エンリコ・ベルディーニ事件は、原作通り片が付いた。制圧に向かった3組は、全員怪我一つなく任務完了とのこと。善きかな善きかな。
なお、戻って来たヘンリエッタからスペイン広場でジェラートを食べた話を聞いたというエルザが羨ましそうにしていたので、今度暇を取れる時は食べに行く約束をした。考えられるイベントとしては、口元についたジェラートをなめ取るとかだが、公衆の面前でそんなんやったらリアルでポリスメンが召還されそうだから自重しよう。
応援にお呼びが掛からなかった俺とエルザは、他の任務も無かったので公社で書類仕事をこなしていた。五共和国派関係の情報は欧州を中心に様々な国から入るのだが、こっちで翻訳をしないといけない情報も結構あるのだ。ちなみに、俺はフランス語とドイツ語、エルザはドイツ語ができる。
「流星雨観測の引率?」
「はい。みんなで明日演習場に行って空を眺めようという話になっていて。ジョゼさんが引率してくださるそうですが、ラウーロさんも一緒がいいなと思って」
エルザからそんな可愛いお誘いを受けた。
これはあれだ。
当日ジョゼが仕事が忙しくなってヘンリエッタがベッドで泣くやつだ。
原作だとヒルシャーとアルフォンソが引率役になるも、トリエラ・ヘンリエッタ・リコ・クラエスの義体4人が盛り上がったり語らったり歌ったりしてるのを遠くから見ているという様子だった。
そこに俺が追加で配置されるとどうなるか。
うん、エルザは絶対俺を離さなそう。俺だけ義体達のそばに居るか、エルザだけみんなから離れて俺の所に来るかの二択となると色々気まずい。うん、事前に義体同士の親睦を深めるよう言っておこう。あ、お開き後に2人だけで星を見るのもいいな。それも言えば大丈夫だろう。
「分かった、俺も一緒に行こう」
「ありがとうございます! とっても楽しみです!」
笑顔で寮に戻るエルザを見送りつつ、アニメ版の流星雨のエピソードを思い出す。
行っておくか。
「ようマルコー、ちょっといいか?」
「どうしたラウーロ?」
2課のオフィスにいたマルコーに声をかける。
「ちょっと頼みがあってな。仕事が片付いたらバーに付き合ってくれよ」
「丁度片付いた所だから構わんが……」
いぶかしげなマルコーを伴い、俺はバーに向かった。
「明日流星雨が見られるってのは知ってるか?」
「ああ、ニュースでやってたな」
グラスを傾けつつ、話を始める。
「エルザ達が演習場で流星雨観測をするんで、俺はその引率に行くんだ」
「……それで」
マルコーが興味なさげに酒を飲む。
「アンジェリカも誘いたいって話なんだが、まだ外出許可は出ないだろ?」
「そのはずだ」
「だからマルコー、アンジェリカの部屋で一緒に夜空を見てやってくれ」
俺の頼みを聞いて、マルコーは苦い顔をした。
原作だと病室から1人で流星雨を見ていたアンジェリカだが、アニメ版ではマルコーが来ていた。アニメ版オリジナルのクラエス囮事件があったからこその流れなのだが、この世界ではその事件は起きていない。このまま何事もなければ、マルコーは原作通りの行動を取るはずだ。夜にアンジェリカの病室を訪れる事はないだろう。
原作におけるアンジェリカの最期は、自分にとっては哀しいけれど納得のできるものだった。甦る過去の記憶・ペロとの再会・彼女の口から紡がれるパスタの国の王子様。
だけど叶うことならば、もっとより良いものになって欲しい。
「……断る。最近のお前は随分自分の義体に入れ込んでいるようだが、俺にまで押しつけるな」
予想通りの返答だった。
「マルコー、あんたの気持ちは分かる。アンジェリカは最初期の義体だ。薬の副作用で自分が教えた事がどんどん消えていく。興味や熱意が消えるのも仕方が無いだろうさ。だけど、それでもだ。アンジェリカに良くしてやってくれ」
俺がそう言うと、マルコーはグラスの酒を一気にあおり、こちらを睨む。
「分かってるなら何故そんな事を頼む?」
「あの子は何も悪くないから――なんて陳腐な事を言うつもりはない。冷たいようだがアンジェリカの為でもない。これは俺の為の保険なんだ」
俺もまた、グラスの残りを飲み干すと、マルコーに強い視線を送った。
「保険だと?」
「……エルザにもいずれ、記憶障害は出る」
「……エルザの義体化は後の方だったとはいえ、一期生は避けられんだろうからな」
エルザの事を言うと、マルコーの口調がこちらを気遣ったものに変わる。基本的に、善人なのだ。だからこそ、辛い思いをする。
「俺は、最期までエルザに幸せを与えてやりたいと思ってる。けど、実際にあの子の記憶が消えていった時、自分がどうなっちまうかは正直分からない。今のあんたみたいにならないとも限らねえ」
「………………」
「だから、さ。今こうしてあんたに頼んでおけば、俺がもしそうなっちまった時に言ってくれるだろ? 『俺に頼んだ時のお前はどうした』とかさ。人にやらせておいて、自分はしない何てことはできないはずだ」
「エルザは幸せだな……」
「エルザに幸せを与えられるのは、俺だけだからな」
言いながら、俺はマルコーのグラスに酒を注ぐ。
「……考えておく」
俺の注いだ酒を時間をかけて空にした後、マルコーはそう言った。
翌日。
原作通りにジョゼには仕事が入り、トリエラはアンジェリカの見舞いの後でヒルシャーに引率を頼んだ。元々俺が居たのに加えエルザも参加したので、公安資料のイタリア語訳作業は流星雨観測の予定時刻まで大分余裕を持って完了した。
夜。俺とヒルシャーとアルフォンソ、エルザ達5人とで演習場へと向かった。
リコはやはりやたらテンションが高くトリエラにひっついていたが、エルザとも会話をしていた。少しは友情度が上がっているといいんだが。
それからしばらく、空を眺めつつ話をしていた5人だったが、おもむろにトリエラがヘンリエッタをお姫様抱っこし、第九の合唱が始まる。
エルザはドイツ語の発音も綺麗だなと思いつつ、少し離れた場所から見守る。
そのうち、アルフォンソが笑い出した。
「どうした? アルフォンソ」
「普段テロリストどもをなぎ倒し三カ国語を話す小娘が、今度はこのくそ寒い中ベートーヴェンですよ?」
そう言ったあと、アルフォンソはほろ苦い表情になる。
「……義体にしておくのがもったいない」
アルフォンソはアニメ版寄りの性格のようだ。
「そうだな」
俺は首肯し、ヒルシャーも複雑な表情を見せる。
流星雨と、少女達の合唱。
素晴らしい組み合わせながら、ほんのひとときに鮮烈な輝きを見せる流星と義体達の在り方が重なる。
少女達に少しでも幸あれと、俺は流れ星に願った。
なお、その後もうちょっと2人で星を観ていくと言って残り、いちゃいちゃした。
公社施設にあるアンジェリカの病室の前に、マルコーは来ていた。
ドアを開ける手をふと止め、職務上必要だからという理由以外で、アンジェリカの所に来るのはいつ以来だったかと考える。
――エルザに幸せを与えてやれるのは、俺だけだからな。
昨晩のラウーロの言葉を、マルコーは噛み締める。
アンジェリカに幸せを与えてやれるのはお前だけだ、そう言われた気がした。
ラウーロは義体を始めから完全に仕事の道具として扱っていた担当官だったが、2ヶ月程前から急に方針が変わったらしい。
最近の『条件付け』処置の際は、可能な限り投薬量を減らすよう担当のベリサリオ博士に頼んだという話をマルコーは聞いていた。
以前の自分のようだなと思いかけるが、非番の日に頻繁に連れ出したり夜な夜な宿直室に連れ込んだり等、それまでジョゼについて囁かれていた噂があっさり消し飛ぶレベルの事案を抱えている男なのでやっぱり違うと思い直す。
そんな随分とアレな人物ではあるが、それでもラウーロの言葉はマルコーの胸に響き、彼をここに来させた。
マルコーがドアを開けると、アンジェリカは第九を聞きながらステアーAUGを抱えてベッドに横たわっていた。
「マルコーさん」
窓の外を見ていたアンジェリカはマルコーの来訪を知り、嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、マルコーは胸に痛みを覚える。アンジェリカを、目を逸らさずに見たのはいつ以来だったか……。
「今、流れ星がたくさん降ってるんですよ」
アンジェリカがCDコンポの音量を下げながら言う。
「……ああ、一緒に見ようと思ってな」
マルコーは自分でも驚くほど素直にそう言った。直前までは何かしらの理由を付けようかと思っていたのだが。
アンジェリカの笑みが深くなる。
「ありがとうございます。1人でちょっと寂しかったので、とっても嬉しいです」
マルコーはアンジェリカから銃を預かるとケースに戻し、ベッドのそばの椅子に腰を掛ける。
いくつもの流星が光るのを2人は黙って眺める。
病室に流れる第九番。
「アンジェリカ、何か願い事はしたのか?」
沈黙に耐えかねた、わけではない。
いつかのように、マルコーは自然に聞いていた。
「はい。はやく退院して、お仕事ができますように、って」
ごく自然なアンジェリカの表情。
「そうか……」
『条件付け』の業の深さに、マルコーはため息をつく。しかし直ぐに顔を上げ、挑む表情をつくる。
忘れていた何かが、彼の体にわき出してくる。
「このリボンは、プリシッラに貰ったものだな」
そう言いながら、マルコーは昔のようにアンジェリカの頭を撫でた。
「そう……でしたっけ……?」
絶えて久しかった担当官とのふれあいに、アンジェリカは幸福感を覚える。
「退院祝いに、新しいリボンを用意しておく。好きな色を考えておけよ」
「好きな色……、え~っとえ~っと」
「すぐにじゃなくていいさ」
慌てて思考を巡らすアンジェリカに、マルコーは苦笑する。
「あっ……」
久しぶりに見たマルコーの笑みに、アンジェリカもまた笑顔になる。
「アンジェリカ、面白い話を聞かせてやろう。むかしむかし――」
――彼女はもう、あの物語を覚えてはいない。
――だったら、何度でも聞かせるまでだ。
マルコーは自分の胸に、再び熱が宿るのを感じた。