Last kiss
「スプリングフィールド!」
自身を呼ぶ声に、スプリングフィールドは足を止め、いつも通りの微笑を浮かべ、ゆっくりと振り返る。
「指揮官、こんな所まで来てよろしいのですか? まだ部隊の皆さんとの打ち合わせもあるのですし、戻った方がよいのではないでしょうか」
肩で息をする指揮官を、スプリングフィールドは優しく窘める。二人が今居るのは人形達の武器保管庫へと続く廊下であり、作戦司令室がある区画からはそれなりに離れている。作戦前のブリーフィングがある指揮官が居ていい場所ではない。
だが、それでも。指揮官は、どうしてもスプリングフィールドに会いたかった。
「実働隊の皆にはすぐに戻ると伝えてある。だから大丈夫……とは言えないが、話すくらいの時間はある」
「そうですか……それでは、少しだけ。実は私も、指揮官とお話したいなぁと思っていたり、なんて……」
冗談ですよと、彼女は少しだけ頬を染め、微笑んだ。その姿に、指揮官の心が逸る。
ああ、時間が惜しい。時が止まればいいのに。それなら……。
けれど、無情にも時間は過ぎていく。何かを口にしようとして、閉じて。彼女はその間も、指揮官が何かを口にするのを待っている。
そして、漸く出た言葉は。
「……すまない」
不甲斐なさから、固く拳を握り締めた。歯が軋むほど噛み締める。自分にもっと能力があれば、もしかしたら彼女にそれを背負わせる事は無かったのかもしれない。そんな後悔が、重く指揮官にのしかかる。
これからスプリングフィールドは死地に赴く。無事に帰還できる確率はほぼゼロに近く、生存した状態で帰還する事すら難しい、しかし誰かがやらなければいけない潜入任務。彼女はそれに自分から志願し、そして指揮官はそれを受理した。彼女の実力ならば、任務を確実に成功させられるから。
本当は誰も行かせたくなかった。しかしそれは上層部からの命令であり、指揮官にはそれを断れるだけの権力が無かった。
血が出るほどに握り締めた手を、スプリングフィールドの手が優しく包んだ。
「指揮官、ありがとうございます」
その声は、今まで聞いた彼女の声のどれよりも、輝いて聞こえた。
「……俺は、君を、死地に送るんだぞ。なんで、君に、感謝される……」
「私達人形には、死がありません。せいぜいが記録の断絶。ロストしても、作戦前のメンタルモデルのバックアップをインストールすれば、最後に会った時と同じ振る舞いが出来ます」
「でも、それは――!」
それは、「君」じゃない。そう言おうとした唇は、彼女の人差し指によって塞がれる。
「確かに、それは『私』ではないのかもしれません。いいえ、貴方からしたら、もはや別人なのでしょうね」
でも。
「だからこそ、貴方が私の死を哀しんでくれる事が、私は本当に嬉しいんです。だってそれは、貴方が私を、人と同じくらい、大切に思ってくれているという事だから」
彼女は笑顔で。
しかし、目の端からは、一筋の輝きが伝っていた。
「指揮官との思い出が、私にはたくさんあります」
「……ああ」
「初めて淹れたコーヒー。砂糖もミルクも入れ忘れてしまって、とても苦かったのに、指揮官は美味しいって言ってくれました」
「……苦かったけど、本当に美味しかったんだ。初めて、誰かに淹れてもらったコーヒーだったから」
「何度も指輪が欲しいって言ったのに、渡してくれませんでしたよね」
「君達にとっての誓約の意味を知って、気軽に渡そうなんて思わないだろう。……ちゃんと考えて、いつか渡そうと思っていたんだ」
スプリングフィールドが、取り留めのないような思い出を一つ一つ、大切に取り出す。それは指揮官にとっても同じ事で、彼女が語るたびに、彼の目にも同じ思い出が映る。
ああ、それは。死がないと言う彼女にとっての走馬灯だったのだろうか。ほんのわずかの間の思い出話を終えて、彼女は微笑む。
「ここまでの思い出は、後の私の記録として、私に受け継がれます。だから、『皆』の思い出です」
けれど。
「『私』のメンタルモデルは、既にバックアップをアップロードしてあります。だから、ここで指揮官と話した記憶は、『私』だけのものです」
そしてこれも、私だけの記憶です。
優しく、しかし強く指揮官の腕が引かれる。彼の体勢が前のめりになり、顔の位置が低くなり。
そして、彼女の唇が、彼の唇に触れた。
時間にして、わずか一瞬の事。されど確かな感触に、指揮官は目を見開く。
唇が離れ、スプリングフィールドは微笑む。
「指揮官、一つだけ、お願いをしてもいいてすか?」
「……ああ」
「私は貴方を愛します。記録ではなく、記憶で貴方に恋をします」
だから。
「私がこの基地に戻って来たら、指輪を渡してくれませんか」
そう言って、またスプリングフィールドは微笑む。しかし指揮官には、その笑顔に含まれた想いが、その笑顔に隠されたモノが、確かに見えた。
だから。
「ああ、約束する」
握り締めた拳を包む彼女の手に、指揮官は自分の手を重ねる。
「何時になるかは分からない」
「だが、約束する」
「俺は、帰ってきた君に、必ず指輪を渡そう」』
――ピッ。
ボタンを押す音と共に、音声の再生が終わる。録音機を持った彼女は、とてもイイ笑顔で、指揮官に歩み寄る。
「指揮官、約束してくれましたよね?」
「……ソウダナ」
ニッコリと微笑む彼女の体には、何処にも傷は無い。服や頬が少し煤けてはいるものの、ほぼゼロの確率を彼女は乗り越え、無事に帰還した。言質と共に。
「指輪、渡してくれますよね?」
「……いつか、な」
「それは今ですよ――!」
既に執務室の扉は鍵がかけられている。悠長に解錠してからの逃亡を許すほどスプリングフィールドが甘くない事は、長い付き合いの中で指揮官も知っている。要するに、詰みという状況。
あとは、スプリングフィールドが押し切るか、指揮官が覚悟を決めるかの、どちらかだけ。
要するに。
愛は強いということだ。
「既成事実を作ってしまえば言い逃れはできませんよね!?」
「やめ、ヤメロォーーーーー!!」
Last kiss/またの名を「トドメの一撃」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
はるたさんすき
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