カンカンカンカン……
革靴がリノリウムの床を鳴らしていく。
造りは鉄筋コンクリートのオフィスビルの様式だが、色は白黒のモノトーン。しかし
何を探してるんだろう、あたし……
気が急いて走っている。何か──何か大事なものを探している。
けれど、その肝心な何かがなんなのかわからない。
通路を駆け抜ける。
突き当たりに、ようやく自分以外に白黒以外の色が見えた。
緑色に光る、非常口の看板。
やや太めのピンストライプが描かれた扉の、ノブに手をかける。
ごくり、と喉を鳴らしてから、扉を勢いよく開ける。
バァンッ
扉を開けると、眼下に広がるのは巨大な大都会。
モノトーンの世界の中で、モノトーンの人の群れが、機械的に何かをこなすように動いていく。
「どこに……」
呟いて、下唇をかみ締める。
喪失感と絶望感で、身体が震える。
「どこに、──のよぉーっ!!」
彼女の叫びに答える声は────
「大切なものを、無くしてしまったのかい?」
────あった。
「君がなくしてしまったのは、宝物? それとも、大切な誰か?」
ウサギとフェレットを足して2で割ったような、奇妙な生き物が、そう話しかけてくる。
「────それとも、自分自身?」
「私が探しているのは、─────!」
怒鳴るようにして答えると、その生き物は首を横に振った。
「でも、それは見つからない。見つけられない」
「解かってる、解かってるのよそんなこと!」
生き物に向かって、感情的に声を荒げて返した。
「でも、ひとつだけ。ひとつだけそれを見つける手段があるかもしれない」
「なに? それ、なに?」
生き物のその言葉に、縋りつくように手を伸ばして、生き物の肩の部分を掴んで激しく揺すった。
「簡単だよ。奇跡を起こせばいい。その為に────」
「ボクと契約して、魔法少女になってよ」
ジリリリリリリリリリ……
ベルをハンマーが打つ、クラシックなスタイルの目覚まし時計が激しく音を立てている。
クッションぐらいのサイズの枕を抱きしめる形で、ベッドの上に寝ていた。
「夢……か……」
まだ寝ぼけ眼でそう呟いてから、ベッドサイドの目覚まし時計を止めた。
美樹さやかは、見滝原中学に通う、少し活発だけど、ありふれた、という単語の範疇から外れない、14歳の少女。
「行ってきまーす」
見滝原市の割りと旧くからある住宅街。縁側のある旧い日本型住宅の、引き違い戸の玄関をガラガラとあけつつ、家の中に向かってそう声を張り上げた。
「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ」
いつもの登校路を、特に運動部に所属しているわけではなかったが、ランニングのスタイルで小走りに駆けていく。
「ん……」
さやかの家のある、昭和テイストの和洋折衷型の家が並ぶ旧くからの住宅街と、よりモダンなユニット住宅の並ぶ新興住宅街、その両者からの中学生達の登校路が交わる場所。
さやかは一度脚を止めて、新興住宅地のに住む生徒が登校してくる路地の方を見た。
「…………?」
なぜそうしたのかよく解からず、小首をかしげるようにしながら、今度はゆっくり歩いて登校を再開する。
やがて、見滝原中学校の正門前に繋がる、公園の遊歩道へと至る。
白いレンガ敷きに、花壇や、黒い街灯のある洒落た遊歩道だが、この時間帯は見滝原中学の生徒の登校路として使われていて、かなりの人数を確認することが出来た。
「おーい、仁美ー」
さやかは、自分より前を静かに歩いて行く見知った後姿を見つけると、手を上げて軽く振りながら声をかけた。
同級生の志筑仁美が振り返る。
「おはようございます、さやかさん」
彼女は結構良いところのお嬢様で、学生鞄でスカートの前を隠すようにしながら、静かに歩いていた。さやかが声をかけると、それに気付いて振り返り、軽く会釈をするようにして、さやかのように張り上げる声ではないものの、はっきりとした口調で挨拶した。
「おはよ、1人?」
さやかは、パタパタと走って仁美に駆け寄ると、笑顔で仁美に挨拶を返しつつ、そう訊ねる。
「? はい、そうですけど……」
仁美は、口元で微笑んだまま、軽く小首をかしげるようにして、聞き返すように答えた。
「え? あ、そ、そうだよね……何聞いてるんだろ、あたし……」
仁美の態度を見て、さやかは決まり悪そうに苦笑しながら、誤魔化すように言った。
「なーんか昨日、変な夢見ちゃってさ」
さやかがそう言いながら、2人は登校路を正面に見えてきた中学校に向かって再び歩き始める。
仁美は先ほどまでと同じように、鞄を前に下げてしゃなりしゃなりと歩く。さやかは頭の後ろで手を組み、そこから鞄を下げている。
「夢……ですか?」
「うーん、よく覚えてないんだけどね」
仁美に訊ねられて、さやかは正面を向いたまま視線を空に上げて、煮えきらない答えを言った。
「夢はその人の深層心理を反映しているといいますわね」
仁美は、軽くさやかのほうを向いて、くすりと笑いながらそう言った。
「深層心理ねぇ……」
迷ってる、って事なのかなぁ。
さやかは、断片的に残る夢の記憶をリフレインさせながら、そう思った。
でも、何に迷ってるんだろ?
さやかは仁美の言葉に逡巡するが、それらしい心当たりが無かった。
「ところで仁美、昨日のラブレターの相手、どうするつもり?」
さやかは、答えの見つからない自分の夢の話題を終わらせようと、別の話題をみつけると、ニヤリと笑みを浮かべて仁美に視線を向けた。
「もう、その話題には触れないでくださいまし」
仁美は、僅かに困ったような表情をして言った。
「それじゃあ、今回の相手もゴメンナサイってわけか。ちょっと可愛そう」
さやかは、明るい微笑を交えつつ他人事のように言う。
「わたくしもそれほど人のことは言えない立場なのですけどね……」
そらせ気味のさやかに対して、仁美はやや丸めがちの背をさらにすくめさせて、どこか自嘲するようにそう言った。
「なんでー、仁美みたいにもてたらどんな相手だって、自信もてると思うんだけど……」
さやかは意外そうに言う。
「そうは言いますけど、さやかさんだっておもてにならないわけでもないでしょう?」
「えー? あたしなんか全然可愛くないし、ダメダメだって」
仁美が、少し拗ねたような表情で言い返す。すると、さやかは左手に持った鞄を左に下げつつ、右手をパタパタと振りながらそう言って苦笑した。
「それに……」
さやかは、言いかけて、急に視線を逸らした。
「それに……なんですの?」
仁美は、軽くさやかに顔を向けて、口元で微笑んで問いただす。
「…………別に」
さやかは、少し逡巡して、視線を仁美から逸らしながら誤魔化すように言った。
「くすっ」
仁美はおかしそうに笑う。
「さやかさんは、誰か気になっている方がおられるのでしょう?」
「べ、べべ、別にそんなんじゃないってば!」
仁美の言葉に、さやかは慌てたように、中腰で構えて手を振った。
「それならよろしいのですけれど」
仁美は、優しげに微笑んで言う。
「チャンスはきちんと掴んでおきませんと、早乙女先生みたいになってしまいますわよ」
「ああ、うん……」
仁美にそう言われて、さやかはどこかげっそりした表情になった。
「3ヶ月目だっけ、今……」
「新記録ですわね」
「このまま続いてくれるといいんだけど、平和でいいんだけど、ね」
「いいですか皆さん、今日は先生から大切なお話があります」
見滝原中学校、2年4組。
朝のホームルームが始まるなり、担任の早乙女和子は強い調子で切り出した。
「目玉焼きの黄身は半熟かそうでないか……」
やや口調のペースを落とし、含みを持たせるように言うと、
「そこの君! どう思いますか!?」
と、伸ばした伸縮式の指示棒で、びしっと最前列の男子を指してそう質問した。
「え、いや、その……」
突如指された男子生徒は、戸惑ってオーバーリアクションに腕をばたばたとさせつつ、言葉を詰まらせる。
「どっちでも、いいんじゃないでしょうか?」
「そう! どっちでもいいんです!」
男子生徒が右手を上げる姿勢でおずおずと答えると、和子は即座に声を張り上げる。
「女子の皆さん、『目玉焼きは半熟じゃないと食べられない』とか言う男性と交際したりはしないように! それから男子の皆さんはそう言う大人にならないように!」
「あー、やっぱり駄目だったか」
さやかは、背後の仁美をちらりと振り返り、和子の独演を他所に小声で囁いた。
仁美も、まるで駄々をこねる子供を見ているかのような苦笑をする。
「あー、あと、転校生を紹介します」
おいおいおい、そっちが先だろ!?
急にやる気なさ気になった和子に対して、クラス全員が一斉にそうツッ込んだ。
「暁美さん、入ってきてー」
「はい」
教室の前のドアの外から返事が来たかと思うと、ガラリと扉が開く。
長いストレートの黒髪をなびかせながら、少女が入ってくる。
男子がどよめき、女子がざわつく。
「うわ、すげー美人」
さやかはその姿を見て、思わず呟いていた。
伝統的な黒板に代わって設けられたホワイトボードに、和子が水性の専用マーカーでその名前を書く。
『暁美ほむら』
「あけみほむらです。よろしくお願いします」
寡黙そうな黒髪の転校生は、淡々とそれだけ言って軽く会釈をする。
「皆さん、仲良くしてあげてくださいね」
和子が言うと、クラスの中からパチパチと拍手が起こった。
ジロッ
「!?」
その瞬間、ほむらの視線がまるで突き刺さそうとするかのように、さやかに向けられた。
「それじゃあ、席は……と……」
和子が教室内を見回す。
「先生ー、俺の後ろが空いてますー」
そう言って親指で自分の後ろの席を指したのは、さやかの隣に座る男子生徒だった。
え?
さやかはその男子生徒の言葉を聞いて、一瞬それに“疑問を持った”。
どうして空いてるんだっけ、この席……
「あら、本当ね」
確かにその席には今は誰もついていなかった。机の中には何も入っておらず、最初から空白地帯だったかのように空いていた。
「じゃあ、そこでいいかしら?」
「はい」
和子が問いかけると、ほむらは頷きながら返事をして、さやかの側の通路を通ってその席へと向かう。
さやかの席のすぐ前を通りかけたとき、
ジロッ
「!?」
と、再び突き刺すような視線を一瞬、さやかに向けた。
──なんなのよコイツ。
ほむらは、席にたどり着くと、鞄を机のサイドのフックにかける。さやかはちらりとそれを振り返った。
ジロッ
三度、決して表情を険しくしているわけではないにもかかわらず、突き刺さるような視線をさやかに向ける。
さやかは、ビクッ、と肩を跳ねさせて、身をすくめるようにしながら身体の向きを戻す。
「なんなのよこいつ……すごくやりづらいなぁ……」
さやかは、渋い顔で呟き、最後に脱力したように軽くため息をついた。
休み時間。
「ねぇねぇ暁美さん」
好奇心旺盛そうな何人かの女子生徒が、席についたままのほむらを取り囲んでいた。
「前はどんな学校だったの?」
「ミッション系の私立中学にいたの」
「髪すごく綺麗だねー」
「ありがとう」
わいわいと騒ぐクラスメイト達に対して、ほむらはニコリともしないものの、淡々とながら答えていく。
「ふふっ、すごい人気ですわね」
「なんだかなぁ……」
さやかの席の傍らで微笑む仁美に対して、さやかは脱力したように突っ伏す姿勢になっていた。
しばらくクラスメイト達の質問に答えていたほむらだったが、やがて、
「……ごめんなさい」
と、そう言って、髪を掻き揚げる仕種をしながら立ち上がる。
「ちょっと緊張したみたいで、気分が悪くて……保健室に行かせてもらえるかしら?」
「大丈夫? 連れてってあげるよ」
ほむらを囲んでいた女子生徒の1人が、心配げにそう言ったが、
「いえ、できたら」
と、ほむらは言って、視線をすぐ近くの別のクラスメイトに向けた。
「保健室まで連れて行ってもらえるかしら? 美樹さやかさん」
「え、あ、えっと……あたし?」
さやかは、突然自分に振られてビクッと跳ね起きる。
正直気は進まなかったが、他のクラスメイトの視線がさやかに集まり、断り辛いというか、その場に居辛いというか、そういう空気を作り出していた。
「はぁ……解かったわ、保健委員だしね」
さやかは、ため息をつきつつ立ち上がる。
「! ……そう、そういうことなのね」
ほむらは、誰にも気付かれないほどの一瞬だけ目を見開き、それから淡々とそう言った。
教室を出て、廊下を歩く。
「あの、こっちだけど」
「知ってるわ」
さやかが先導しようとするが、ほむらはそう答えた。
「あのさ、暁美さん?」
2人の間を支配する妙な空気に、さやかは不条理さを感じてため息をつきつつ、切り出した。
「なにかしら?」
「なんかさっきからあたしのことジロジロ見てたみたいだけど……もしかして前に一度会ったことがあったりとかするの? あたし達」
さやかにはそのような記憶は無いが、もしかしたら昔に逢ったことがあるのかもしれない。あるいはさやかがそれを覚えていないから怒っているのかもしれない。そう考えて、訊ねてみた。
「…………」
ほむらは、その場に立ち止まり、しばらく逡巡したように沈黙した後、
「そう、あなたも何も覚えていないのね」
と、言った。
「! あ、やっぱりそうだったの──」
ほむらの言葉に、さやかは今度は申し訳なく思って、眉を下げて謝ろうとするが、
「私のことではないわ」
と、ほむらの、それほど大きくないがはっきりした声が、それを遮った。
「え────?」
ほむらの言葉の意図が理解できず、さやかは表情を凍らせる。
「それに、それならそれでいいのよ」
「どういう、意味よ?」
途端に投げやりになったかのようなほむらの言葉に、さやかはようやく絞り出した声で、その意図を問いただす。
「気にしなくていいわ」
「気になるって!」
ほむらの態度に、流石にさやかも焦れて声を上げる。
「美樹さやか!」
「!」
ほむらは突然、険しい表情でさやかを見据え、それまでと異なりやや荒げた声を出した。
「な、なによ」
突然険しくなったほむらの態度に、さやかは少し驚きつつも、気丈を装って聞き返す。
「ひとつだけ覚えておきなさい。あなたがあなたでなくなる事をして、それで誰かを助けようとしても、結局誰ひとり救われない、それどころか関わる人を傷つけてしまうわ」
「はぁ?」
ほむらの言うことがあまりに荒唐無稽だったため、さやかは間の抜けた声を出してしまう。
「あたしがあたしじゃなくなる事って、いったいどういう意味よ?」
「直に解かるわ。そしてあなたは天秤を傾かせる。でもその時、安い正義感や義務感に捉われては駄目。そんなことをすれば、あなたは全てを失うことになる」
いつの間にか、2人は保健室にたどり着いていた。
ほむらはその扉を開けつつ、振り返りながら、
「“あなた自身”も含めてね」
と、そう言ってから、保健室に入り、その扉を閉めた。
「いったい、どういうことよ?」
「ってわけで、今日はなんだかいろいろサイコな出来事に出会ってしまってさやかちゃんはもうくたくたなのですよー」
放課後、ショッピングセンター内のファーストフード店。
さやかはトレイを避けつつ、行儀悪くテーブルにもたれかかっていた。
「ふふふ、大変でしたわね」
テーブルの向かい側に座る仁美が、苦笑気味に笑って言う。
「もー、笑い事じゃないってばー」
さやかは身を起こすと、そう言って一瞬だけふくれっ面になってみせ、すぐにその表情を崩す。
「自分が自分じゃなくなるとか、なんか哲学的なこと言われても、困るって」
「自分が自分ではなくなる、ですか」
頭を抱えるような態度で言うさやかの言葉に、仁美はそれを反芻した。
「例えば、自分の言いたいことを言えなくなる、自分の本心とは違う行動を強要される……とか、そういういみなのでしょうか?」
「んー、それは解からなくもないけど、ますますあたしとはかけ離れてるなぁ……」
何でわざわざ言ったのか、とさやかは首を傾げるばかりだった。
仁美はちらりと、手首につけた女物の腕時計に目をやると、
「あ、もうこんな時間……ごめんなさい、そろそろ失礼しますわ」
と、そう言って立ち上がりかけた。
「あ……習い事か。お嬢様って言うのも大変だね……あたしゃ小市民でよかった」
そう言いつつ、さやか自身も腰を上げて片付けに取り掛かる。
「割りと、好きでやってることですから」
仁美は、苦笑しながら言いつつ、トレイの上のゴミを処分して、トレイをその上の回収棚に乗せた。
さやかもそれに続くようにして片付けを終え、2人はファーストフード店を出る。
「それでは、失礼いたします」
「うん、また明日」
お互い手を振って、その場で別れた。
「…………」
カツンカツン。
人のごった返す夕方のショッピングセンターの中だというのに、リノリウムの床を鳴らす自分の足音が、やたら大きく聞こえた。
「…………確かに、隣に、誰か、いたような……」
ほとんど無意識に、さやかはそう呟いてしまってから、はっと口を手で抑えた。
「何言ってんのよ、あたしは。誰がいたって言うの? はぁ……」
疲れたような態度をとって、誰が見ているわけでもないのにオーバーリアクション気味にため息をつく。
「やだなー、あたしまであのサイコに巻き込まれてんのかなー?」
柱のひとつにもたれかかるさやかの後ろを、同じ見滝原の制服を着た、ロール髪の少女が通り過ぎていった。
「あー、それこそあたしらしくないぞー」
こんこん、と頭を自分でノックするように軽く叩いてから、
「よしっ」
と、気合を入れなおすように言う。
「さてと……」
さやかはそのまま、ショッピングセンターの中にあるCDショップに向かった。
やはり、見滝原の制服を着た生徒が散見される。が、さやかが向かったのは、それを見ることができないコーナー……先端のポップス曲ではなく、クラシック音楽CDのコーナーだった。
「何かいいの、入ってないかな……」
陳列棚に並ぶCDを、1枚1枚、指をさしながらタイトルをチェックしていく。
パンッ
乾いた音がし、閃光が掠めた。
「きゅっ!?」
何かの鳴き声のような、短い悲鳴が上がる。
「なんで“存在している”のか知らないけれど、逃がしはしないわ」
そう言って、セーラー服にやや似通った、黒に近い紫と白を基調にしたツーピースを着た、長髪の少女がにじり寄ってくる。
「よ、よくわかんないけど、き、君は誰かとボクを間違えてるんじゃないかな? ボクは、結果的にだけど、この星を……」
チュンッ!
言い終わらないうちに、再び乾いた音が鳴り、閃光が掠めて床に火花を散らした。
「わ……たすけ……」
『助けて』
「えっ?」
少し腰を屈ませてCDの棚をチェックしていたさやかに、その声は聞こえた。
怪訝そうな顔をして、さやかは身を起こした。
『誰か、助けて……』
「誰? 誰なの?」
周囲を見渡すが、それらしい相手はいない。
『お願い、助けて……』
けれどそれは、確かに聞こえる。
ゴクリ、とさやかは喉を鳴らした。
『助けて……』
「こうなったら、今日はとことん付き合ってやろうじゃない」
険しい表情をしつつ、その声の聞こえる方に向かって、さやかは歩き出した。
CDショップを出ると、買い物客の人ごみの中をすり抜けるように進む。足取りは徐々に速くなり、やがて小走りといえるものになった。カツンカツンと、ざわめく雑踏の中でも解るほど、さやかの靴は、音を立ててリノリウムの床を踏んでいく。
間違いない、こっちの方から聞こえてくる。
さやかが、助けを求める声に突き動かされて小走りにかけていくと、やがて、人の気配の少ない、通路の端の方まで辿り着いた。
『改装中につき、関係者以外立入禁止』
その先あたりには、プレハブ構造の簡易な壁に、そう書かれたプレートの掲げられた扉がある。
「…………」
一瞬躊躇ったように、扉の前で立ち止まってから、それを振り払うようにドアノブに手をかけた。
鍵はかかっておらず、軽い扉は簡単に開いた。
「お邪魔……します」
おずおずと中に入る。
当然テナントは入っておらず、無塗装の壁とリノリウムの床が続く無機質な通路が続いている。作業中であることを裏付けるかのように、あちこちに資材や工具が積まれていたが、人の気配はない。
ドアのところにたどり着くまでの勢いとはうって変わり、あたりを警戒するようにしながら静かに脚を進めていく。
「!」
そうしているうちに、さやかの視界の中に、白い影がよろよろとふらつきながら姿を現した。
「え?」
────ドクン。
その姿を見たとき、さやかの中で何かが動くような感触が走った。
「今のは……いや、えっと……」
なんだろう、コイツ、ウサギ? フェレット?
ううん、その前にコイツ、どこかで見たような……
その姿を見て、さやかは胸にドキドキと動悸のようなものを感じた。
「た……すけて……」
さやかが呆然と立ち尽くしかけたとき、その白い生き物はさやかの目の前で、搾り出すように言いながら崩れ落ちて倒れた。
「ちょ、ちょっと大丈夫!? しっかりして!」
得体の知れない存在であったが、見た目はどちらかというとぬいぐるみのようで愛らしかったし、それに傷ついて助けを求める姿を見て、慌てて駆け寄り、腰を落とす。
「そいつに近寄らないで!」
さやかがそれに手を伸ばそうとしたとき、激しい怒声がそれに割り込んできた。
「アンタは……」
聞き覚えのある声に、さやかはそちらに、見上げるようにして視線を向ける。
「暁美……ほむら…………」
「そいつを渡して」
さやかが呻くように声を漏らす。だが、現れたほむらはそれにも構わず、声のトーンを落としつつも脅すように言いながら、カツカツと靴を鳴らして近寄ってくる。
「相変わらず汚い真似をするのね」
「な、何を言っているのか解からないよ……大体ボクは君と会ったのは今日が初めてで……!?」
凄むような表情をして、まるで以前からそれを知っているかのように言うほむらに対し、白い生き物は戸惑ったような声を上げる。
ギリ、とさやかが歯を鳴らし、
「おい転校生!」
と、気付いたときには声を荒げていた。
「これはアンタがやったのか? どうしてこんなひどいこと!?」
さやかは、ほむらに向かって問い詰める。
「美樹さやか。あなたには関係ないわ」
対照的に、ほむらは冷たい、しかし冷酷なほど鋭さを持った声ではっきりと言う。
「それとも、あなたが関係することを望むのであれば……私は、あなたには容赦しないわ」
カツン、カツン。
酷薄に言い放ちながら、ほむらはさやかに近付いてくる。
──なにか……なにかないか……
さやかはあたりを見回す。
「!」
それを見つけると、さやかは白い生き物を抱きかかえながら、立ち上がり様に振り返って走り出す。
「逃がしは……」
セーラー服に似た、白と黒に近い紫を基調にしたツーピースを来たほむらの左腕に、真円状の小さな盾が出現する。
だが、次の瞬間、さやかはそれを手にしていた。
すばやく安全ピンを抜き、ハンドルを握り絞る。
バシュゥゥゥゥッ
「!?」
赤い消火器から白い消火剤が、ほむらへ向かって一気に放たれた。
あたりを粉末の霧が覆い、ほむらは視界を失う。
「っ、逃がさな────」
遮られた視界の向こうで、走り去っていくさやかの足音を聞き、ほむらがそれに対して追いかけようとした時。
「……くっ、相手してる場合じゃないのに!」
白い粉末に変わって、黒い霧があたりに立ち込め始めた。
「あいつ、なんなのよ、いったい、あの転校生!」
革靴で廊下を鳴らしながら、さやかはほむらのいた場所から、一目散に駆け出していた。
「それにしても、何なのコイツ……」
走りながら、腕に抱えたそれに視線を向ける。
垂れた長い耳はウサギの一種のようにも見えるし、細身の長い身体はフェレットのようにも見える。
さやかの知識の中はこのような生き物は存在していなかったが、さわり心地はぬいぐるみ、といった人工物のものには感じられない。明らかに生きている、体温があるし、怪我をしている。
そう考えている間に、さやかは通路の突き当たりに辿り着いてしまった。
照明の消えている薄暗い通路の中で、緑色の非常誘導灯だけが、煌々と灯りを湛えている。
非常階段に出る扉に向かい、そのドアノブに手を伸ばす。
ガチャ、ガツン!
「開かない!?」
ドアに鍵はかかっていなかった。
にもかかわらず、何かが
「どうなってなってんの、これ」
ガツン、ガンガンガンガン!
さやかは、左腕で白い生き物を抱いたまま、焦れてドアを何度も押したり引いたりする。
「ここ以外に出られそうなトコは……」
数分ほどその行為を繰り返してから、それが無駄に終わり、さやかは口に出しながら周囲をキョロキョロと見回す。
見回して、気がついた。
「なに……これ……」
逃げることに無我夢中で気がつかなかったが、周囲に黒い霧が立ち込めていた。
正体はわからなかったが、生理的に危険なものに感じられた。
「危ない、ここからすぐに離れて!」
「えっ?」
さやかがそう感じたとき、まるでそれを裏付けるかのように、白い生き物はそう言った。
「ここから速く離れて!」
「けど……!」
危険なのは感じている。だが、どこへ逃げるべきか。もと来た通路を引き返せば、あの転校生──暁美ほむらのいた方向に向かうことになる。
八方ふさがりの状況に、さやかが、ギリ、と奥歯を鳴らしたとき。
ドゴォッ、バキバキバキッ!!
「なっ!?」
巨大なものが、おろされたままになっていたテナントのシャッターをボール紙か何かのように踏み抜き、さやかの前に現れた。
「な、に、こいつ……っ」
その姿を一言で表すなら、巨大なカマキリ。
ただ、明らかに不自然なのは、その手が鎌や斧に例えられるカマキリ本来のものではなく、鋏の形をしていたことだ。ザリガニのような別の生き物のものとも違う、文字通りに道具の鋏の刃の部分。
その巨大な鋏が、まるでさやかの胴を鷲掴みにするかのように動き、迫ってくる。
勿論、掴まれるどころではない。実際に挟まれたら、さやかの胴が上下泣き別れになってしまうだろう。
さやかが、その迫る鋏から少しでも逃れようと身を竦めつつ、どうしようもない、と諦めたと言うより反射的に、視線を逸らして目をぎゅっと閉じてしまったとき。
ガキィンッ
迫って来た鋏は、ついにさやかを捉えることはなかった。
さやかの直前で、色相がぶれた膜のようなものが、さやかを捉えようとする鋏の前に、一瞬だけ視認できるように出現して、それを弾き返した。
「……?」
さやか自身が目を開いてそれを見上げたとき、視界に入ったのは、バランスを崩してのけぞるカマキリの化け物と、そして、そのカマキリと自分との間に、立ちはだかる様にして現れた人影。
「危ないところだったわね」
人影──長い髪を縦ロールにした女性は、さやかを振り返りながら、相手を安心させるような、穏やかな微笑みを浮かべながら言う。
「でも、もう大丈夫」
「えっと……どちら様」
さやかは、見覚えのない顔にどこか場違いな声を出してしまうが、
「マミ! 来てくれたんだね」
と、さやかの腕の中にいた白い生き物は、表情を輝かせ、さやかの腕から身を乗り出すようにして声を上げた。
さやかには、ぱっと見には女性は、自分よりもいくらか以上に年上に見えたが、よく見るとさやかと同じ見滝原中学の制服を着ていたから、外見で感じるよりも自分に近い歳なのだろう。
「自己紹介、しないといけないわよね」
女性はおっとりした口調で優しげにそう言いつつ、
「けど、その前に」
と、視線を正面に戻しすと、手に持っていたそれを胸の前に構える。
王冠のような装飾品が、黄金色の宝石を抱えたもの。
次の瞬間、その宝石から光が溢れる。
女性がステップを踏み、靴で自分の前側につ、半円を描く。
宝石から光が黄金色の光を凝縮したようなものが、リボン状に湧き出す。それが女性の身体に巻きついたかと思うと、見滝原の制服が、山吹色のスカートとちょうちん袖のブラウスを主体に、ピンストライプのタイツと羽飾りのついた帽子、そして最初に見せたそれと同色の宝石をあしらった髪飾り、と、くどすぎない程度にファンシーな衣装になる。
「え、えっと?」
その姿のかわる様を見て、さやかは彼女の背後で呆然と立ち尽くしてしまう。
一方、カマキリの化け物は、出で立ちの変わった女性に向かって、焦れたかのように、今度は両手で一気に、女性に向かって襲い掛かってきた。
「危ない!」
さやかがそう言うが速いか────
タタンッ!
ガランガラン……
「え……?」
さやかは、先程とは別の意味で唖然とする。
乾いた音が響いたかと思うと、カマキリの腕の、肘にあたるだろう部分が砕かれて、鋏がリノリウムの床に転がった。
女性は、装飾の彫られた白銀の銃床を持つスナイドル銃が2丁、長い銃を両手それぞれに持っていた。
「Reload」
女性が銃身を下に向けると、直接ブリーチへの再装填を経ることなく、スナイドルのサイドハンマーが起き上がる。
「マミ、残念だけど見た目の割りに余り持ってないよ、こいつ、“中身がない”みたいだし」
さやかの腕の中で、白い生き物が女性に向かって背中越しにそう言った。
「そう」
それを聞いて、女性は柔らかく苦笑する。
「でも、腕力だけは強いみたいだし、こんなところに放って置くわけにもいかないから」
そう言って、マミと呼ばれた女性は、左手に持っていた方の銃を放り投げる。放り投げられた銃は、一瞬穏やかに白く光ったかと思うと、そのまま姿を消した。
「中がないなら好都合、消えてもらうわ────」
右手に持っていたスナイドルを一度引き寄せ、その銃身を左手で撫でる。
すると、その銃身は、まるで臼砲のような巨大なものになった。
「Tiro Finale!!」
ゴォンッ
サイドハンマーが叩かれ、黄金色の光を放ちながら発射される。それは巨大カマキリの胴体に命中したかと思うと、そのまま炸裂するように光で満たし、ボロボロと侵食するように巨大カマキリを消し去った。
その光景を見て、さやかは呆然としてしまっていた。まるで、夢を見ているかのような光景。
「す、すごい……」
だが、光が晴れたとき、そこには破壊されたビルの壁やシャッターなど、妙に現実感のある光景が残さされていた。
一方────
「ち────」
壁の影からその光景をのぞいていた、長髪の少女が舌打ちしながら走り去っていくのを、マミは確認しつつ、追わなかった。
「ありがとうマミ、おかげで助かったよ!」
さやかの腕の中の白い生き物は、向かい合ったマミという女性に向かって、明るい声でそう言った。
「お礼ならその子に言って。私だけじゃ間に合わなかったかもしれないから」
マミはそう言って、白い生き物を抱いているさやかを視線で示した。
「うん、そうだね」
そう言って、白い生き物はさやかの腕の中で姿勢を入れ替えてちょんと座るようになり、さやかに視線を向けた。
「ありがとう! さやか!」
「え!?」
そう言われて、さやかは驚いて目を円くした。
「何で名前知ってんの!?」
「えっと……それは……」
「順番に説明していきましょうか」
問いただすさやかに対して、白い生き物が言いよどみかけると、マミはニコリと微笑んでそう言った。
「まずはお礼と自己紹介ね」
そう言うと、マミの身体を包んでいた衣装が、再び光の流れになって黄金色の宝石の中に吸い込まれて行き、見滝原中学の制服姿に戻っていた。
「
へ、変身した? っていうか、変身してたのを解いた!?
そうさやかが思っていると、
「よろしくね」
マミはにこりと優しげに笑って、そう言った。
「あ、え、こちらこそ」
さやかは少し決まり悪そうに返事をする。
「それから、この子はサッきゅん。私の大切なお友達よ」
マミは、白い生き物を指す様に視線を下げて、そう紹介した。
「よろしく!」
片手というか前脚というか、上げて、挨拶をするように笑顔で言う。
「本当の名前は
「それじゃあんまりに可愛くないから、私がそうつけてあげたの」
サッきゅんと呼ばれた白い動物が言いかけ、それをマミが継いだ。
「そして、私はこのSQ──サッきゅんと契約した魔法少女なの」
マミはニコニコと微笑みながらそう言って、すぐに眉を下げる。
「うーん、急には信じられないわよねぇ」
「いえ! 目の前で見てましたから! ちょっとかっこいいな、って思いましたし!」
さやかは慌ててフォローするように、しかし嘘をついているわけでもなく軽く興奮したようにそう言った。
「サッきゅん、ひょっとしてこの子も?」
マミは、視線を自分の腕の中のサッきゅんに移して、そう訊ねた。
「うん、彼女には充分な資質があるよ」
サッきゅんはこくりと頷いて、そう即答した。
「えっ、わ、私にですか?」
いきなりそう言われて、さやかはどきりと身体を跳ねさせながら聞き返す。
「そもそも、魔法少女って、やっぱりアニメでよくある、世界を闇に染めようとする悪の組織と戦ったり、ガチで攻撃魔法撃ち合って友情したりする魔法少女……ですか?」
「なんだろう、後者のは妙な悪意を感じるよ……」
「大丈夫よ、気にしないで。私も気にしないから」
さやかは身を乗り出し気味にして訊ねる。サッきゅんは、それを聞いてなぜか脂汗をかき、それを聞いたマミはくすくすと笑いながら言った。
「基本的なイメージとしては……ううん、ちょっとだけ違うかなぁ。世界を護るため、っていう意味では正しいと思うけど」
サッきゅんは、少し悩んだようにしてから、そう答えた。
「あ、やっぱりそうなんですね!」
さやかは、再び興奮したように目を開いて言う。
「それじゃあ、今のは悪の組織の放ったモンスターとか?」
さやかは、先程マミの砲撃で消滅させられた巨大カマキリが出現した場所を見て、そう訊ねる。
マミに撃ち落されたはずの鋏も、いつの間にか消滅していた。
「いや、ボク達の場合は、特定の敵がいるわけじゃないんだ。ただ、悪意的な存在だし、放置しておける存在でもないと言う点では、君の考え方も間違ってないよ」
サッきゅんは、今度はよどむことなくそう答えた。
「すごい。正義の味方なんですね!」
さやかは、マミの顔を見て訊ねるように言った。
「まぁ、そう言うことになるかしら?」
マミは若干苦笑気味にそう応える。
「それなら、あたしもなります! 魔法少女!」
妙に正義感の強い14歳は、妙に嬉しそうにはしゃぎながら、自分の胸を押さえるポーズでそう言った。
「だって、あたしにも資質があるって、さっきそう言ってたよね?」
さやかは畳み掛けるように、サッきゅんに向かってそう言った。
そんなさやかを見て、マミとサッきゅんは顔を見合わせ、苦笑しあう。
「えっと、気持ちは嬉しいんだけど……」
言いにくそうにマミが切り出し、それをサッきゅんが継ぐ。
「資質があるって言う意味じゃあ、さやかは確かにそれなり以上だよ。でも、それだけで軽はずみに魔法少女になられても、むしろ逆効果になってしまうこともあるんだ」
「え?」
サッきゅんの口から出た意外な言葉に、さやかはそれまでの興奮に急ブレーキをかけられたかのように、間の抜けた声を出してしまう。
「詳しいことは、これから君にきちんとした説明をするよ」
サッきゅんは、再び視線をさやかに向けて言う。
「もし、それでもさやかが、魔法少女になりたい、或いはボクと契約したいって望むのなら────」
そこまで言って、サッきゅんはにっこりと満面の笑顔になった。
「ボクと契約して、魔法少女になってよ」