魔法少女さやか☆マギカ   作:神谷萌

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第10話:そんなの、あたしは望まない

「これで条件は同じ──そう言いたいの?」

 見滝原中学校、屋上。

 さやかと仁美は、張られたフェンスの同一の面を向きつつ、距離を離して、それぞれ背中を向けるように斜めを向いていた。

 遥か向こうに、見滝原市と滝本市を分かつ、滝原湖とそこから流れ出す滝原川が見える。その川にかかる、滝原線のガーター橋に向かう緩い上り勾配のカーブを、400系の普通・武蔵滝元行がツリ駆けモーターの轟音を立てながら登っていく。橋を渡ってきた1000系の上り快速・西馬込行とすれ違う。

 杏子の実家だった教会がある、森と林の中間ぐらいの緑地が見える。そこからさらに湖側に視線を移すと、市が設置した見滝原市民小風力発電所のジャイロミル(可変ピッチストレートダリウス)・サボニウス型風車が、ヤグラの上でくるくると回っているのが見える。

 川から湖に掛けての築堤に沿った道路を、乗用車や小型トラックが行き交う。甲州街道・中央自動車道の幹線ルートからは外れているためか、大型トラックやトレーラーの姿はまれだ。

「あたしに同情して、お情けで魔法少女になったってわけ?」

 さやかは、自分から少し離れたところで、反対側の斜め下を臨んでいる仁美を振り返り、本格的に声を荒げ始めた。

「…………」

「お高くとまってるアンタらしいよ! 仁美」

 仁美は、沈黙したまま顔を向けない。

 さやかは、ガシャン、と拳でフェンスを鳴らす。

「あたしだって、アンタのこと嫌いじゃないから──恭介のこと、任せられるって、割り切ろうと……してたのに……っ!」

 

 

 

 前日────巴邸。

「なんでそんな契約受けちゃったのさ!」

 さやかの荒い声が飛ぶ。

「そんな事言われたって、ボクの立場じゃ、そうしたいと言われたら断る権限がないんだよー!!」

 そう言い訳するサッきゅんは、小動物姿で簀巻きにされ、またしても天井から逆さ吊りにされていた。

「マミも杏子も、なんか言ってやってくれよー」

 サッきゅんは、逆さ吊りのまま身を捩って、振り子のように揺れつつ、小型ながらワイドタイプの液晶テレビでドラマを見ながら紅茶を嗜むマミや、扉1つ隔ててダイニングの方にいる杏子に救いを求める。

「あー?」

 ガラリ、と引き戸を開けて、杏子が不機嫌そうな顔を見せる。

 ダイニングのブラウン管式小型テレビが、安物の地デジチューナー経由で映しているのは、動物モノのバラエティ番組のようだった。

「んなくっだらねぇ願いホイホイ聞いてたらそうなるのも当然だろうが。自業自得自業自得」

 杏子は呆れ返り、袋入りのバターしょうゆ味のポテトチップスをわさわさと口に運びつつ、肩をすくめるようなポーズをとって、そう言った。

「サッきゅんにしては、多少配慮が欠けていたようには思えるわね」

 マミが静かに言う。

「だーっ、マミまで? だって仕方なかったんだよ? あの馬鹿でかい魔獣見たでしょ?」

 サッきゅんは、逆さ吊りのまま器用にマミのほうを向いて、じたばたともがきながら抗議するように声を上げる。

「どういう……意味よ」

 さやかが、睨み付けるような表情で問いただす。

「魔法少女が生み出す“呪い”がもっとも深刻なものだとしたら、その次点に来るのが、魔法少女の奇跡に起因した“呪い”なんだ」

「自然じゃないことを起こす以上、裏目に出ることもあるのよ」

 サッきゅんの説明に、マミが軽いため息混じりに補足した。

「普通なら実現し得ない希望を実現した分、その反動が高波のように一気に押し寄せた場合、普通ではありえない巨大な呪いを生むことがある」

「それが、あの魔獣だって言うの!?」

 サッきゅんの言葉に、さやかが反射的に問いただす。すると、サッきゅんは、上下逆さまのまま、こくんと頷いた。

「でもなんで!? 手も治って、仁美みたいな可愛いカノジョもできて、どうしてそんな呪いなんか生み出すのよ!?」

 さやかは、サッきゅんに視線を向けつつも、言葉自体は誰に向けるわけでもなく荒い声で言う。

「さやかさん」

 マミは、穏やかに言いつつ、視線をさやかに向ける。リモコンを手にとって、ドラマを流していたテレビを途中で切った。

「確かに彼には恋愛感情はなかったのかもしれない。けれど、小さい頃からずっと一緒にいたんでしょう?」

「えっと……まぁ、それは……」

 さやかは、濁すようにしながらも、否定ではない答えを返した。

「それまで日常的に、当然のようにあったものが失われたら。それでできる心の隙間は、決して小さいものじゃないのよ」

「けど、それは別に、コイツが背負うべきモンじゃねーだろ?」

 さやかがその言葉に応えるより先に、杏子が、行儀悪くポテトチップスをわさわさと口に運びながら、そう言った。

「手のことを自力で乗り越えられなかったのも、さやかが自分の日常からドロップアウトする選択をしたのも、その上条とかいうやつ自身の責任だぜ? 知らなかったから、なんてのは言い訳以上の何にもならねぇ。大体、アタシらそれで人のこと言える立場じゃねぇだろ?」

 杏子は、どこか気だるそうな口調でそう言ってから、これまた行儀悪く、ほとんど空になった袋を直接口に向けて傾け、粉々になったポテトチップスのかけらを流し込んだ。

 杏子もマミも、本来あるべき日常というものはほとんど失っている。それも、杏子の場合は願いによる反動だが、マミのそれはそうではない。偶発的に起こったものだ。

「それはそうなのよね……」

 マミもまた、複雑そうに目を伏せてため息をついた。

「ともあれ、マミの言うその『心の隙間』が、彼にあの“呪い”を生み出させたのは事実だよ。しかもこのケースは、根本的な解決法がないわけだから、魔獣を倒しても対処療法にしかならない」

「根本的な解決法がない……」

 サッきゅんがそう言うと、さやかが、俯きがちの姿勢で、鸚鵡返しにした。

「だから、彼女の願いに便乗させてもらったのさ。彼からキミと、志筑仁美の記憶を消してしまえば、彼が“呪い”を生み出す要素はなくなる」

 サッきゅんは、そこまではっきりと言ってから、

「…………あまり冴えたやり方じゃないのは、ボクにも、なんとなくだけど解るよ。でも、今はこれしかなかったんだ」

 と、軽く落ち込んだようにそう言った。

「そうね、今更、いきなり手のひらを返されても、それはそれで嫌でしょう?」

「そんなもんかね、取り戻せるもんなら、取り戻したっていいんじゃないのか?」

 考え方の違いか、マミが否定的に言ったそれに対して、杏子は疑問形の言葉を発した。

「あたしは…………」

 

 

「あたしは、取り戻すなんて考えられなかったと思う。どっちが正しいとかじゃなくて、あたし自身の考え方の問題として」

 ファァアァァァン……

 今度は8連の快速同士、鉄橋を渡ってきた1000系の西馬込行と、都交6300形の武蔵滝元行がすれ違う。カーブでのすれ違いざまに鳴らされる、1000系のAW5警笛と、6300形の電子笛が、不協和音をこの場にまで響かせる。

「でも、ひとつだけ、どうしても解らないことがある」

 一度、顔の向きを、相手から身体ごと逸らした正面に戻したさやかは、静かに言う。

「アンタが恭介の記憶を書き換えようとしたのはわかる。でも、それなら、あたしの記憶だけ消せばよかったんじゃないの? そうすれば、アンタは恭介の恋人のままでいられたはずでしょ?」

「そんなことをすれば、貴方の勝ち逃げを認めることになります」

 ググッ

 仁美はそう言いつつ、直接さやかには表情を向けずに、睨み付けるように目元を険しくしながら、はしご型フェンスの外側を覆う、金網フェンスのひし形にクロスした鋼線を握り占める。

 カーブで電車がすれ違う。発電所の風車が回る。眼下の校庭で運動部が活動している声が聞こえる。どこかで自動車のクラクションの音がする。駅前を雑踏が支配する。救急車のサイレンの音が聞こえる。

「上条くんの腕を治して、その後のことは私に全部任せた、なんて、一方的過ぎますわ!」

 ギリッ

 仁美の答えに対して、さやかも、表情を険しくし、歯を剥くようにかみ締めた。

「つまり、結局高慢チキなアンタのプライドを満足させたいだけってこと!?」

 さやかが噛み付くように声を荒げる。

「ええ、そうですわ」

 仁美は、口調では、悪びれもしていないかのように言う。

「私は、結局、人の心でさえ、自分の思うようにならなければ気がすまない、傲慢な人間ですの。さやかさんが思っているような、おっとりしたお嬢様の上っ面さえ、そのための手段なのですわ」

 今度はそれを聞いていたさやかが、はしご型フェンスの手すりをひしゃげさせるような勢いで力をいれ、掴む。

「だから今も、そんなことを言って、本当の心を誤魔化さなければ、プライドを保つことさえできない、嫌な人間ですわ」

 言葉の途中から、仁美の口調が自嘲気味なものになったことに、さやかも気がついた。

 さやかが振り向くと、仁美は寂しそうな目をして、自分の方を向いていた。

「私は小さい頃から、同じ歳ぐらいのお友達なんていませんでしたわ。周りにいるのは、蹴落とすべき敵か、私や家族のご機嫌を伺おうとするずるい大人ばかり。だから私も、手に入れたいと思ったものは手に入れるようにしてきましたの」

「恭介もそうだって言うの!?」

 さやかは噛み付くような声を出す。

「ええ。ただ、そのきっかけは少し違いましたわ。私が上条くんに惹かれたのは、私と同じような立場に置かれながら、あの人当たりの良い気さくな人柄を持っていたところ。もちろん、それ以外にも、バイオリンの腕とか、容姿とかも、ないわけではありませんでしたが。私が持ち得ないもの、私のように上っ面の誤魔化しではないそこに、私は惹かれた────」

「それは……解るよ、あたしも恭介の、あれだけのもの持ってて気取らないところ、好きだったから」

「そう、でしょうね」

 そう言ってから、仁美は、ふっ、と、自嘲的に口元で笑った。

「?」

 さやかは、その様子の理由が理解できず、微かに怪訝そうにする。

「あの日、上条くんを手に入れるために、貴方に詰め寄ったとき──私は、ああは言いましたが、貴方と、これまで通りのお付き合いができなくなることは、覚悟していましたわ。いえ、していたはずだった」

「どういう、こと?」

「先ほども言いました通り、私には、心の許せる友人なんていませんでした。人付き合いは、打算の延長線にあるもの。そう思っていましたから。人当たりのいいお嬢様を演じながら、常に気を張り詰めていた、私にとって────」

 そこまで言って、仁美は、身体ごとさやかに向き直り、真剣な眼差しを向けた。

「美樹さやかさん、貴方は、私にとって最初の、本当のお友達だったんです」

「────」

「近づいたのは、今までのように、自分が孤立するのを防ぐための打算だったかもしれません。だから、それを失いそうになって、やっとそのことに気がついた。失いたくないと思ってしまったのですわ」

 まっすぐにさやかを見つめる仁美の眼が、徐々に潤み始める。

「最初は、私と引き換えに貴方を元の人間に戻そうとも思いました。けれど、サッきゅんにそれはふたつの理由から無理だと言われました。ひとつは、私では貴方に資質が及ばず、すでに魔法少女である貴方という存在に干渉しきれないこと。もうひとつは、貴方を元に戻すということは、その願いもキャンセルされるということ。つまり、上条くんの手が、また動かなくなるということ」

「そんなの、あたしは望まない──あたしの為に、誰かが苦しむのを、見せられるのはいやだよ」

 さやかは、意識せずに乾いた声で、そう言った。

「ええ、そう言うと思いましたわ。ですから、私の本当の願いを叶えることにしたのです。一度壊れてしまったかもしれないけれど、肩を並べてさえいれば、また、いつか────そんな、勝手な夢を見たいという思いを、その願いにかけたのです」

「それで……わざわざ、魔法少女に……」

 聞き返すさやかの言葉に、仁美は頷く。

「上条くんと私では、駄目だった。お互い、貴方の代わりにはなれなかった。ただの自己満足だということは、理解していますわ。このような身体になって、後々後悔したとしても、自分の本当の気持ちに気付きさえしなかった私の自業自得。それだけの、ことですわ」

 そう言って、仁美は不意に、フェンスから離れ、踵を返しかける。

「私から言えることは、それだけですわ。どうぞ、哂ってやってくださいまし」

 そう言って、階段のある屋塔部へと、歩みを進め始める。

「待ってよ!」

 静かに立ち去ろうとする仁美を、さやかは、手を伸ばすようにして、あわてた口調で制止する。

「ホントに、自己満足だけして行っちゃわないでよ。これで留めなかったら、あたしが悪者じゃんか」

 歩みを止めた仁美だったが、さやかの言葉に、まだ振り返ろうとはしない。

「第一、仁美だって、あたしのこと買いかぶりすぎだよ。アンタは覚えてないかもしれないけど、あたし、一度アンタのこと助けてるんだよ。でも、アンタに恭介のことで迫られたとき、助けなければよかったって、本当に思っちゃった。アンタにそう言ってもらえるような人間なんかじゃないんだよ」

「そんなことが──あったのですね」

 どこか必死な様子で言うさやかに対して、仁美は、静かにそう言って、振り返った。

「あたしさ、アンタと違ってバカだから、上手く言えないけど──人って、そういうもんだよ。きっと。『後悔しない生き方なんてない』、あたしの尊敬する人がそう言ってた」

「さやかさん……」

「本当は後悔なんてしたくないよ。ここであんたを引き留めなかったら、絶対後悔するって思う。結果が逆だっていいよ。もう、あたしに自分の信じられること、裏切らせないでよ」

「────」

「壊れてなんか、ないよ。まだ、やり直せるよ。アンタは、やり直して、いいんだよ。そのためにこんな願い叶えたんでしょ? 諦めないでよ。諦めるとこ、見せないでよ」

 泣きそうな声で言うさやかに対して、仁美は、どこか愕然として言葉を失ったような様子でさやかを見ていたが、やがて眼を伏せるようにして、

「ありがとう、ございます」

 と、そう言った。

「あたしだってさ、せっかく友達になったのに、失うなんてやだもん。きっと、これでいいんだよ。そう信じるよ」

 泣いた子がもう笑った、という感じで、さやかは軽く笑い飛ばすように苦笑しながら、そう言った。

 

「そろそろ、いいかしら?」

 2人が笑いあい始めると、見計らったかのように、階段へと繋がる搭屋部からマミが姿を現した。

「あ、マミさん」

 2人は同時に気付いて顔を向けたが、さやかだけが顔をほころばせて声を上げた。

「こちらの方は、確か、銃を使ってらした……」

 仁美は、マミを見て、思い出すように言う。

「あ、うん、紹介するね」

 さやかはマミの傍に移動する。マミの方もさやかの近くまで来たところで、歩みを止めて、仁美に顔を向けた、

「あたしと普段一緒に行動してる魔法少女で、巴マミさん」

「よろしくね、志筑仁美さん」

 マミは、満面に穏やかな笑みを浮かべて言い、軽く会釈した。

「はい。よろしくお願いいたします」

 仁美は、スカートを僅かにつまみあげる、お嬢様然としたポーズで、マミに挨拶の返事をした。

「リアルでも先輩だから、3年生」

「あ、そうだったのですね。失礼をしてしまうところでしたわ」

 さやかが言うと、仁美は眼を円くしつつ、口を手で押さえる。

「もう、そんな事気にしなくていいのよ。これからは一緒に戦う者同士、仲良くしましょう?」

 マミは、手を振りつつ、苦笑交じりに、そう言った。

「はい、ありがとうございますわ」

 仁美の方も、口元に微笑を浮かべる。

「ところで」

 そう言って、仁美は視線をさやかに戻した。

「先日は、確かもうひと方、赤い衣装の方がいましたけれど、そちらは?」

「あー……」

 仁美に訊ねられて、さやかは、決まりが悪そうに言いつつ、後頭部をかく仕種をする。

「アイツは……まぁ、仁美にはちょーっとあれかなーと思って」

「はぁ……」

 さやかの濁すような物言いに、仁美は小首をかしげた。

 

 

「はっくしゅん」

 同じ頃。

 見滝原市内の某所で、待ち合わせをしていた杏子は、盛大にくしゃみをした。

「あー、誰か噂でもしてやがんのかな」

 そう言って、右手で鼻の下を擦る。

 駅前のコンビニで買った黄色いロング缶のコーヒー飲料と、パッケージにデフォルメナイズされた農夫の描かれたチーズのスナック菓子を、ちびりちびりとやりながら、時間を潰していた。

 すると、そこへ待ち人がやってきた。

「よお」

「待たせたようね」

 杏子が挨拶すると、その相手────暁美ほむらは、相変わらず淡々とした様子で、そう挨拶を返した。

「いんや、もともと暇だったからさ、時間潰してただけ」

 杏子はそう言って、残っていた缶コーヒーを一気に煽る。

「そう」

 ほむらはそう言って、杏子が陣取っていたベンチに腰を下ろした。

「だいぶ、彼女たちと仲良くなったのね? どういう心境の変化かしら?」

 ほむらは、直接には視線を向けずに、杏子に訊ねる。

「ま、信用に足るだけのものを見せてもらった、聞かせてもらった、っていうトコかな」

 杏子は、そう言いつつ、手悪戯にコーヒーの空き缶を片手で握りつぶしてみるものの、その表情はサバサバとして微笑んでいる。

 対するほむらの表情は、僅かにだが、どこか忌々しそうに歪んだ。

「そんな顔すんなって。『グリフレットの別れ』に関しては、アンタと同盟するって気は変わってないからさ」

 杏子はつぶした空き缶をゴミかごに放りつつ、そう言った。

「それは、どういう意味かしら?」

 ほむらが聞き返すと、それまで軽そうだった杏子の表情が、真剣なものに代わる。

「信用はできる。けどな、あいつらは100あったら100を助けようとしちまう」

「『グリフレットの別れ』相手に、その考え方は危険、無謀、──なるほど、ね」

 杏子の深刻そうな言葉に、ほむらは同意の言葉を発して頷いた。

「それじゃあ、続きは場所を変えましょう。地図とかも用意したいし」

「ああ、いいぜ」

 

「どの道、佐倉さん、連れてこられなかったのよね」

 見滝原中学校から、最近すっかり魔法少女たちの溜まり場と化している巴邸へと向かう道。

 3人が連れ立って歩いていると、マミがそう切り出した。

「なにか、人と約束があるって」

「え、そうなんですか?」

 さやかが、意外そうにそう言った。

 路地1本挟んだ向こう側から、プァァァンという国鉄AW5警笛の音と、ツリ駆けモーターのうなり声が聞こえてくる。

 交差点で信号待ちをしているクルマの列を、さやかたちはゆっくりと追い抜いていく。

「アイツが、……誰と会ってるんだろ?」

「解らないけど、朝早くに携帯で誰かと話しているのを見たわ」

 さやかが口元に手を当てながら小首を傾げると、マミは今朝方のことを思い出してそう言った。

「え、アイツ携帯持ってたんだ……」

 さやかは、そっちの方がよほど意外だと言うように、思わず漏らした。

 マミは、それを嗜めるように苦笑しつつ、言う。

「プリペイド式だったけどね」

 

「『グリフレットの別れ』の出現予測はこの範囲」

 ほむらは卓袱台に広げられた地図の上で、滝原湖岸のあたりに指で線を引き、そう言った。

 ほむらの住む、和室のワンルーム。

 杏子は行きがけに調達してきたカップ麺を、ほむらの電気ジャーポットを勝手に拝借して作りつつも、視線を地図に向けている。

「いずれのパターンにも対応できる防御線を張る為には、最低でも二ヶ所の霊脈を押さえる必要があるわ」

「その出現予測の根拠はなんだい?」

 杏子は、胡坐をかいたその足の上で大事そうにカップ麺を抱えつつ、ほむらに向かって訊ねた。

「統計よ」

 ほむらは短く答える。

「統計ぇ?」

 杏子は訝しげに表情を歪める。

「この街に『グリフレットの別れ』が来たなんて話、聞いたことないよ?」

「…………」

 ほむらは答えない。押し黙った様子もなく、ただ無言になっただけだった。

「手を組むとはいったけどさ、もうちょっと手の内見せてくれたっていいんじゃない? でないと信用のしようがないよ」

「貴方が? あの2人のことは信用できても?」

 ほむらは逆に、怪訝そうに聞き返す。

「ああ」

 言いつつ、杏子はカップめんのフタを完全に剥がしにかかる。

「あいつら、どーしよーもなく単純でまっすぐだからさ、考えてっことはすぐにわかるんだ。もっとも感化されちまったアタシも割りと根は単純なのかもしんねーけど」

 杏子は、左手にカップ麺を持ち、割り箸を口で咥えて、右手で割りつつそう言った。

 カップ麺を左手で抱えると、箸をつけ、ずずず、とひとすすりしてから、視線をほむらに戻す。

「アンタは何を考えてるのかわからない。ただウソをついてるってわけじゃないのは解かる。けどそこから先がさっぱり読めねぇ。何もかも諦めたような眼をしてるくせに、その奥じゃまだ絶対に譲れないモンを抱えてる。矛盾しまくってて、理解できねーよ」

 いいながら、杏子は再び麺をすすりだした。

「あなたって……鋭いのね」

「それほどでもねーさ」

 ほむらの言葉に、杏子は行儀悪くも麺をすすりながら答えた。

「そうよ、私にはどうしても譲れないもの、取り戻したいものがある」

 ほむらはニタリと、酷薄そうな笑みを浮かべる。

「彼女を取り戻せるのなら、他はどうなろうと知ったことではないと言ってしまってもいいわ」

「なんだかよくわかんねーけど」

 妄執の様相さえ見せるほむらに対し、杏子は臆することもなく、麺をすすり終えたカップを一度卓袱台に置きながら、半ば呆れたような視線をほむらに向ける。

「もしアンタがどうしても譲れないものがあるってんなら、それこそ相談の相手、間違ってねーか?」

 そこまで言って、杏子は表情を引き締める。

「もしアンタにどうしても譲れないものがあるってんなら、それこそあいつらだったら喜んで力を貸してくれるよ? もちろん、アタシも協力するけどよ」

 手振りをくわえながら、険しくも真剣な表情をほむらに向けて、そう言った。

「…………」

「辛いときは誰かに頼ったっていいんだよ」

 杏子はそう言い、

「ま、ちょっと前までのアタシだったら、アンタと似たように1人で塞ぎ込んじまおうとしたんだろうけど」

 と、若干気まずそうにしつつも、視線はほむらに向けたまま、付け加える。

「むしろ、だからこそ、なおさらな」

「確かに────」

 ほむらは言葉に出す。

「現状は、今までの中で最も理想的だと言っても良い」

「今まで?」

 ほむらの言い回しに、杏子は、微妙な違和感を感じて、鸚鵡返しに聞き返した。

「でも……────」

 杏子の問いかけを無視するかのように、ほむらは短く口なする。

「そうやって私は裏切られ続けてきた!」

 ドン!

 ほむらの握り締められた左手が、卓袱台を強く叩いた。

 カップ麺のカップが倒れ、こぼれたスープが地図に染込んで行く。

「裏切るって、どういうこと──」

 杏子の問いただす声を遮って、ほむらが声を上げた。いつもの──今まで他人に見せてきた姿からは想像もできないようなほど、ヒステリックに激昂して。

「もう後戻りのしようがないのよ!どんなに繰り返しても、状況は悪くなる一方で! あの子がその存在すらかけた願いすら、結局は裏目に出た! あの悪魔が貴方たちの前に現れた時点で、すべて手遅れなの! 私以外にどうしようもないの! 誰にも頼れない、私が全部、やるしかないの!」

「いったい、何だってんだよ、もう……」

 杏子は、卓袱台に手を置きかけて、そこでようやく、こぼれたスープが広がり、滴っていることに意識が向いた。

「うぉっやべっ! もったいねーしこりゃ、おい、ゾーキン、ゾーキンどこだよ、おいってば!」

 杏子が慌てながらほむらに訊ねるが、ほむらはしばらく機能停止したように、その場でこわばった表情をしながら、深いが荒い息をしていた。

『杏子! 杏子!』

『なんだよ、Q公。今それどころじゃ──』

 テレパスでのサッきゅんの声に、杏子は煩わしそうに言い返しかけるが、

『魔獣が出た! 場所は──────────────!』

 と、それを遮って、サッきゅんは言葉を続けた。

『なんだと』

 杏子の顔色が変わった。

『マミやさやかはどうした』

『もう向かってる、でもキミが一番近い』

「クソッ」

 杏子は、実際に声に出して毒つきながら立ち上がった。

「わりぃけど、緊急事態ってやつだわ。アタシは行くから、片付けは頼むわ」

 言って、杏子はソウルジェムを指輪から本来の姿に変え、右手に握る。

「待って、だったら私も……」

 ほむらは、顔を上げ、すがるような表情で言うが、

「ダメだ」

 と、杏子は険しい表情で一蹴した。

「今のアンタじゃ、ついてこられたら迷惑だ。割とマジにな」

 そう言っている間にも、杏子の身体を赤い光のリボンが包み込み、チャイナドレスを思わせる魔法少女の装束へと姿を変えた。

 

 

 まだ日没まではだいぶ時間があるが、その路地一帯は光を吸収する黒い霧に阻まれ、周囲は夜のように暗く、ぼんやりとしか視界が利かない。

 しかし、それに接近すれば、紅い閃光が、巨大ななにかと絡み合うようにして争っているのが、目に見えた。

 その巨体──魔獣の姿は着生ランの一種、アングレカムの姿をしており、その四肢は節くれだった茎と分厚い葉。そして、頭部に巨大な白い花をつけている。

 そのいくつもの葉が、紅い閃光に向かって覆いかぶさる。すると、銀色に光る、鋭い刃がその葉を切り刻んだ。

 だが、そうすると今度は、節くれだった胴から蔦のような根を生やし、しなる鞭のように紅い閃光に向かって叩きつけられる。

 それを刃で裁いていくが、その間に葉が復活してしまう。キリがない。

「なに、普段人のこと言ってるクセして、こんな不器用な真似してんのよ!」

 復活した葉が、胴を攻撃しようとするそれを叩き潰そうとしたとき、その肉厚の葉は切り裂かれて、再び地に落ちた。

「う、うるせー」

 根を相手に防戦一方だった杏子は、それを払った多節棍を元に戻しつつ、決まり悪そうに言い、腕で額を拭った。

「アンタらしくないわよ、いったいどうしたって言うの!?」

 さやかは、杏子に襲い掛かっていた根のいくつかを斬りおとしながら、言葉で杏子に問い質す。

「とにかく邪魔すんな! こいつは、アタシがケリつけなきゃなんない相手なんだよ!」

 杏子は息を上げながら、槍を構えなおし、さやかよりも魔獣に向かって前に出ようとする。

「バカ言わないでよね。あたしが言っても説得力薄いかも知んないけどさ────」

 そう言いながら、さやかは、それまで振るっていた剣を右手だけで持ち直すと、左手に新たな剣を生み出す。

「友達が苦しんでるとこ、黙って見てられる性格じゃないのよ!」

「!」

 さやかの言葉に、杏子は、一瞬目を円くして、さやかを凝視するように視線を向けた。

 新たな根が胴から飛び出し、杏子とさやかめがけてしなる鞭のように振り下ろされる。それは本来アスファルトであるはずの地面を、したたかに打ち据える。

 だが、すでにその場に2人の姿はない。左右二手に分かれて、緩い孤を描きながら、魔獣の胴に迫る。

「損な性格してるよな」

「うっさい、だったらひねくれた真似すんな」

 からかい気味に言う杏子に対して、さやかは面白くもないといったように荒い声で返す。

「あたしは今日は、ちょっとテンション高いのよ!」

 さやかを叩き落とそうとするように振るわれた葉は、あっさりとX字に切り刻まれて霧散した。

 青い閃光が魔獣の胴に迫る────

 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ!!

「えっ?」

「!」

 胴から、根が、今度は弾か矢羽のように打ち出された。だが、それはより至近に接近しているさやかではなく、杏子めがけて放たれた。

「しまっ……」

 さやかが声を上げかける。

 魔獣が新たな手を打ち出すのは予想していた。だからさやかは半ば陽動のつもりで前に出た。

 自動回復(オートリジェネ)を持つさやかなら、ピンポイントでソウルジェムを砕かれない限り、多少のことでは致命打にならない。

 だが、魔獣はそのさやかを無視したかのように、杏子を狙った。

 杏子が反射的に槍を引き、攻撃に構えかけたとき。

 キィィィン

 突如、根の先端が向きを変えたかと思うと、そろって一直線に、自らの胴を刺し貫いた。

「ウォォォォォン」

 魔獣はのた打ち回り、耳障りな声を上げる。

「自分で自分を攻撃してる……どうなってんの?」

 さやかは、信じられない光景を見て、目をぱちくりとさせる。

「さやかさん、今のうちですっ」

 その声とともに、新たに現れた緑色の閃光が、一気に魔獣の胴に迫る。かと思うと、鋼色の強烈な斬撃が、魔獣の胴を鋭角に削り取る。

「このぉっ」

 何枚もの葉が、接近してくるそれを叩き落とそうと迫るが、さやかの両手に握られた2本の剣が、それを次々に斬り割いていく。

 シュバッ

 最後の1枚をX字に斬り裂いたかと思うと、崩れ去る葉の向こう側から飛び出してきたのは、紅い閃光だった。

「これで、とどめだぁっ!」

 雷を模ったかの様な槍の穂先が、頭部の花の中心に突きたてられる。

 花は散るようにして消え去り、それにあわせて、胴も崩壊を始めた。

「オォオォォォォン……」

 魔獣は断末魔をあげながら、塵さえ残さずに崩れ去った。

「終わりましたわね」

 黒い霧が、急速に晴れていく。

 さやかと杏子が地面に降り立つと、仁美が、重々しいロングアックスをバトンのように回して姿を消させながら、そう言いつつ近づいてくる。

「!」

 黒い霧が晴れると、空にはまだ陽が残っていた。やや色を朱に近づけつつある空の下に広がったのは、新興住宅街の路地だった。

 そして、その袋小路の終点に倒れているのは、キリスト教のそれと思しき礼拝服を着た、さやかたちとそれほど変わらない年恰好の少女。

 ただし、異様なのは、顔といい、捲くれた袖からのぞく腕といい、刃物で斬りつけられたような傷痕が無数についていた。

「魔獣の生む呪いの主は、こうやって残されますのね」

 初めて目にする仁美が、どこか感心したように言う。

「この子…………」

 さやかが、その痛々しい光景に眉をひそめて、何かを言いかけたとき、

「悪い」

 と、言って、2人を押しのけるようにして、杏子がその少女の脇にかがみこんだ。

「こいつのフォローは、あたしに任せてくんないか?」

「フォローって……アンタが?」

 杏子の言葉に、さやかは、怪訝そうに眉をひそめる。

「そういう気分のときもあるんだよ」

 そういいながら、杏子はひょい、と少女を抱きかかえると、すたすたと歩き出してしまう。

「あ、ちょっと待って……」

「さやかさん」

 あわてて手を伸ばしながら追おうとするさやかを、仁美が咄嗟に腕で制した。

「何か事情がありそうです。お任せしてしまいましょう」

 仁美は真剣な表情で言う。

「そりゃ解らないでもないけど……アイツ、DV親メッタ刺しとかしないだろうな……」

 さやかは、一瞬仁美の顔を凝視した後、真剣に思い悩むようにそう言った。

「どうやら、“本体”はもう片付いてしまったようね」

 黒い霧の晴れた彼方から、杏子と入れ違うようにして、マミが姿を現した。1丁だけ、その両手でスナイドル銃を抱えている。

「あ、マミさん」

 さやかが、顔を上げて、仁美とそろってそちらに視線を向けた。

「あら? 佐倉さんは? 来ていなかったの?」

 マミは、2人が立ちん棒している周囲をキョロキョロと見渡すようにして、そう訊ねた。

「とりあえず、たぶん明日は雨です」

「は?」

 さやかの唐突な発言に、マミは経緯がわからず目を点にした。

 

 

「ホント、アイツがフォローだなんてさても珍しいこともあるもんだ」

 夜────美樹家、さやかの自室。

 既にパジャマ姿のさやかは、呟くようにそう言った。

「杏子がどうして今のようになったのかは、もう聞いたんだろ?」

 勉強机の上に、ちょん、と座った小動物姿のサッきゅんが、訊ねるように言う。

「うん……知ってることは知ってるけど」

「杏子も昔からああいう性格ではなかった。むしろマミよりも優しすぎるぐらいだったのさ、彼女は」

 さやかが肯定の答えを返すと、サッきゅんはそう説明した。

「アイツが、ねぇ……」

「杏子を襲った悲劇は並大抵のものじゃなかった。人柄を変えてしまうのには充分だったんだ」

「そんなものかなぁ」

 サッきゅんの言葉を聞いて、さやかは、そちらに視線を向けるでもなく、鏡台に向かって髪にブラシを入れながら、呟くように言った。

「ボクはどっちの杏子も見ているからね」

 サッきゅんは、言いつつ、軽くため息をつく。

 その口調が、少し重々しいものに変わる。

「荒んでた頃の彼女は、自分がこれ以上傷つかないように盾をつくっていた面もあるかも知れない。でも、盾を取り払ったからと言って、いまさら変わってしまった人格が元に戻るわけでもないって事なんじゃないのかな」

「サッきゅん……ひょっとして、責任感じてる?」

 さやかは、意外そうにそう問いかけた。

「そりゃ、感じるさ。究極的には、ボクたちの都合の犠牲になったようなものだからね」

 サッきゅんは、そこまで言って、再度、ため息をつく。

「人間の心は複雑怪奇。今のボクたちには理解不可能かも知れない。でも、観察してその結果を見ることぐらいはできる。杏子の内面には昔の彼女がまだ残ってる。でも、だからと言って、変わってしまった後の性格が偽というわけでもない。どっちも真なんだと思うよ、ボクは」

「なんだか哲学的になってきたな……今日は仁美のことと言い、頭使いすぎて、疲れてきたかも」

 さやかは、そう言って、そのまま、ベッドに仰向けに、自らの四肢を放り出す。

「あ、そう言えばさ」

 ふぅ、と、一度息をついてから、目をぱちりと開けて、サッきゅんに煽りの視点から視線を向けつつ、思い出したように言う。

「あの魔獣、確かに自分で自分を攻撃したよね?」

 目の前で、ランの魔獣が自分の根で自分の胴を貫いたのを思い返しながら、訊ねるようにそう言った。

「ああ、あれは──」

 サッきゅんは、それなら解りやすい、というように、答える。

「仁美の、固有の能力(ちから)だよ」

「仁美の?」

 さやかは反射的に聞き返す。

「そう。彼女の願いは忘却だった。だからごく狭い範囲をごく短時間の間だけど、対象の記憶を操作する事ができるんだよ」

「へぇ、なんだか便利そう」

 サッきゅんの説明を聞いて、さやかは好奇心旺盛そうな表情をした。

「そうでもないよ。精神感応系は範囲や対象が限定されるし、効果も確実じゃない。杏子だってそうだけど、基本的にはそれ以外の能力で戦ってるだろ? さやかのオートリジェネほど使い勝手はよくないよ」

「そんなものなのかなぁ」

 言いつつ、既に寝支度を終えたさやかは、一度身を起こして、ベッドの布団の中に潜り込もうとする。

「それじゃ明日も早いし、そろそろおやすみ……」

 そう言って、リングライトの引き紐を引いて蛍光灯を消し、それから布団に肩まで入った。

 

 

「…………かちゃん、さやかちゃん……」

 ……誰…………?

 声に出して訊ねようとしたが、それはかなわなかった。

 靄がかかった、ぼんやりとした視界の向こう側で、誰かが自分に必死に呼びかけてくる。

 さほど長くない、やや(こわ)い感じの髪を、サイドアップに近いスタイルでツインテールにした、小柄な少女。

 …………あの子……は……

 

 さら、さら、さら、さら……

 砂時計が、幽かな音を立てて流れ落ちていく。

「泣いても笑っても、この時間軸が最後のチャンス」

 夜の室内、明かりもつけていない、藍色の闇が支配する中で、暁美ほむらは呟く。

「全てを救うか、全てを失うか……」

 カーテンも閉められていない窓から、満天の星空から淡い光が差し込んでくる。

「そう、貴方のことも────」

 

「まどか……」

 一方は夢の中から寝言で。

 一方は覚醒した意識の下で自らの意思で。

 口に出された言葉は、お互い知らず、聞こえるはずもないのに、重なっていた。

 

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