魔法少女さやか☆マギカ   作:神谷萌

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第11話:どうして

 ジリリリリリリリリリ……

「んー……」

 美樹家、さやかの自室────朝。

 目覚まし時計の、それほど大きくはないが耳障りなベル音に、さやかはうっすらと目を開けつつ覚醒し始めると、右手をベッドサイドに伸ばして、音を立てる目覚まし時計を探る。

 視線も向けずにそれを見つけてつかみ、ベル音を止めると、ワンテンポ置いてから、

「ふぁぁぁぁ……」

 と、気だるそうに欠伸交じりの“伸び”をしつつ、背中の方から下がるようにして身を起こした。

「また……変な夢……」

 さやかは頭を、手の、手首との付け根あたりで軽く叩きながら、まだ幾分寝ぼけ眼でそう呟く。

「さやかー、朝ごはんよー」

 祖母がさやかを呼ぶ声がした。

 

 

 朝食はベーコンエッグの乗ったトースト。それに牛乳をコップ1杯

「いくら女の子とは言え、そんな軽い食事でお昼まで持つのかい?」

 祖母はどこか心配気に聞いてくる。

「やだなお祖母ちゃん、あたしこれでもしっかり食べてる方だって」

 さやかは、一度口の中のものを嚥下してから、ケラケラと笑ってそう言った。

「そうね、最近は朝食、抜いてしまう子も多いんでしょう?」

 専業主婦の母親が、シンクに向かったままそう声をかけてきた。

「んー、でもやっぱり食べないと力出ないしねー」

「こらさやか、行儀悪いわよ」

 さやかが、言いつつ、全てを嚥下した後、指を舐めとっていると、戦後生まれとは言えまだ厳格な躾が生きていた頃の生まれの祖母が、それをやや険しい声で嗜めた。

「はははっ」

 壮年期の父親は、自らも端を止めつつ苦笑する。

「このところさやかが明るくて、家の中がほっとするよ」

「え、そ、そんなに変わってるかな、あたし」

 さやかは、どきりとして目を円くした。彼女は、家族の前ではありふれた日常を装っていたつもりなだった。

 もっともつい先日、マミに泣きついたときに、

『何かひどいショックを受けていて────ええ、今日はウチに泊めますので。はい、責任持ってお預かりいたします』

 と、いうような電話を、さやかの家族はマミから貰ってしまっているのだが。

 ちなみに、さやかの家人に、マミの声は、マミ本人ではなく、若い母親、ないしは最低でも大学生程度の姉だと思われていた。

「学校で、何かいいことでもあったのかな?」

「え、別に特別な事は……なかったと思うけど」

 さやかは、惚けるように父親から視線を逸らしつつ、そう言った。

 実際には特別な事はありまくりだが、機嫌が良くなるような"いいこと"があったかと言われると、そんな事はなかったような気もする。

「もう、お父さんったら、そんな野暮な事聞かなくたっていいでしょうに」

 母親はそう言って苦笑しつつ、

「さやかのいいことって言ったら、上条くん絡みの事よねぇ?」

 と、一番俗物的な発言をした。

「あ……」

 言われて、さやかはむしろ、自分が落ち込むと言うより、家族に対して気まずそうな表情になって、視線を泳がせた。

「あー……えーと……──」

 さやかは、どう反応したものかと逡巡し、視線を泳がせ続けるものの、

「その、恭介には、振られちゃった」

 と、結局あっさりとぶっちゃけた。

 ピシッ、と、一瞬その場の空気が凍りつき、それから気まずい雰囲気が今度はその場全体を包み込む。

「振られたって言うか、まぁちょっと、お互いゴタゴタしてて、その、自然解消的に」

 さやかの、妙に乾いた声が食卓に響く。

「そ、そうか」

「ご、ごめんなさいね」

 両親は、あからさまに「地雷を踏みましたー」という態度で、慌ただしく動き始める。

「さ、さて私はそろそろ仕事に出ないとな」

「あ、今準備しますね」

「って、あからさまに動揺しなくていいってば!」

 さやかは、とたんによそよそしい態度を取る両親に向かって、眉間にしわを寄せた苦笑で声を荒げる。

「まったく、やーっと割り切れてきたところだって言うのに」

 そそくさと玄関に行ってしまった両親に対して、さやかは憤りの声を上げつつ、軽くため息をついた。

「さやか」

 祖母が、さやかの傍らに立ち、声をかけてきた。

「何? お祖母ちゃん」

 さやかは、素の表情で何気なしに祖母を振り返った。

「お前ぐらい若いとまだ解からないだろうけどねぇ、人の縁って言うのは複雑に入り組んでいるものなんだ。人はね、出会いと別れを繰り返して成長していくものだよ。一時悲しい別れがあったとしても、ずっと後になってから思い返せば、大切な思い出になったりするものなんだ」

 祖母は、穏やかな表情と口調で、噛み砕くように言って聞かせた。

「ん、大丈夫、もう解かってるよ、お祖母ちゃん」

 さやかは、そう言って苦笑して見せた。

「さてと、あたしも学校、行かなくっちゃね」

 そう言って、さやかは食卓から立ち上がった。

 

 行ってきます、の挨拶。

 いつもの登校路。

 ────の、はずだった。

「あれ?」

 さやかは気がつくと、新興住宅地の、ある1軒の家の前で立っていた。

「はて……さやかちゃんは何でこんなところにいるのでしょうか?」

 右の人差し指で自分のこめかみの辺りをつついて、小首をかしげる。

 とりあえず、何か意味があるのかと思い、その表札を見る。

 姓の部分は「鹿目」。その後、名前は「和久」「詢子」と2行に分かれて書かれ、さらにその下、1行空けて「タツヤ」と書かれていた。

「…………」

 1行空けている理由は、おそらく先の2人が夫婦で、最後の名前が息子だから、と言ったところなのだろう。

 だが、さやかはその空白に、どうしても違和感を感じてしまっていた。

 ここに入る名前を、あたしは知っていたような気がする。

 他人の家の表札に無礼だとは思ったが、指でその空白の行をなぞってみた。

「って」

 その仕種で、腕時計の文字盤が眼に入り、我に返る。

「やばいやばい、こんなところでいつまでものんびりしてるわけにいかないって」

 さやかは、慌てて学校へ向かう道を駆け出した。

 

「どうかしたのですか? 今日は少し遅かったようですけれど」

 学校に着くと、自分の席に着くなり、仁美が心配気に声をかけてきた。

「んー、いや、ちょっと回り道しちゃってさ……」

 さやかは、自分でもよく解からないことなので、そう言う以外説明のしようがなかった。

 だが、

「はぁ……」

 と、仁美は一旦は納得しかけたものの、急に表情を険しくし、さやかに問い質す。

「まさか、また何か大事なことを隠されているのではないですわよね?」

「え? あ、いや、今回のは別に、ほんとに大した事じゃないんだって」

 さやかは、仁美の剣幕に驚いて一瞬表情を引きつらせた後、両手をばたばたと振る仕種をしながら、そう言った。

「ただ、このところ変な夢を見るんだよね。結構前から、なんだけど」

「変な夢、ですか?」

 さやかが表情を引き締めて言うと、仁美はキョトンとして鸚鵡返しに聞く。

「んん、それが起きちゃうとあんまりはっきり覚えてないんだよ」

 さやかは、仁美から視線を外して己の正面に顔を向けつつ、僅かに顔を強張らせて言う。

「ただ、なんかこう、忘れちゃいけないことがあって、けどそれを覚えていたのかもはっきりしないような、気持ち悪さがあるんだよね」

「それは……確かにスッキリしませんわね」

 仁美も、考え込むような、難しい表情をしてしまう。

「あ────」

 そこでさやかは、記憶の隅に引っかかった単語を思い出し、何の気なしに呟く。

 

「まどか」

 

 ガタッ

 不意に、2人の背後で物音がした。

 さやかたちが振り返ると、いつの間にか登校していたほむらが、机の中に移そうとしていたカバンの中身を、思い切り床にばら撒いてしまっていた。

「あらら……」

「大変ですわ」

 とるものも取りあえず、さやかは立ち上がり、ほむらが落とした教科書やノート、筆記用具などを拾い集めようとする。一瞬突っ立ったままになりかけた仁美は、そのさやかの姿をチラリと見て、追いかけるようにして自分も屈んだ

『美樹さやか』

『!』

 テレパシーでさやかの頭に響いてきたのは、ほむらの声だった。

 さやかは、一瞬だけ引きつって手が止まるが、すぐに何事もなかったかのように再開する。

 ほむらの方は、最初から平然と自分の物を拾い集めていた。

『放課後話があるわ。貴方の夢の件で』

『…………』

 さやかは僅かに逡巡する。

『アンタ……何を知ってるの?』

 さやかは、ほむらが床にぶちまけてしまったものを拾い集めながらも、視線はそれらに向けたまま、表情をにらむように険しくする。

『それは、貴方がどこまで私に話してくれるか次第』

『…………』

 ほむらの言い回しに、さやかは不快さを隠しもせず、

『解かった、行ってやろうじゃない』

 と、挑発し返すように返事をした。

『私も御一緒させていただいてよろしいのですわね?』

 テレパスでの会話に割り込んできた"声"に、今度はほむらの方が一瞬引きつって、動きを止める。

 視線を上げると、"声"の主が、険しいとまではいかないが、真摯な視線をほむらに向けていた。

『志筑……仁美……まさか……貴方も魔法少女に?』

『ええ、つい先日のことですけれど。これからよろしくお願い致しますわね、暁美ほむらさん』

 絶句しかけるほむらに対し、仁美はどこか挑発的な挨拶を返した。

『そ、そう……別に……いえ、いてもらった方がいいわ』

『畏まりましたわ』

 丁度2人のやり取りが終わり、ほむらの席の片付けが終わった頃、

 キーンコーンカーンコーン……

「はーい、HR始めるわよ、席についてー」

 と、担任の早乙女和子が本鈴と共に教室に入ってきて、生徒たちに声を張り上げた。

 

 

 放課後────

「それで、なんなの話って」

 見滝原中学校、校舎の屋上。

 さやかと仁美が塔屋部から出て、やや不機嫌な空模様の下に来たとき、既にほむらはその出入り口の正面を見据えるようにして、5mほど離れた位置に立っていた。

 さやかは軽く足を開いた姿勢でほむらと正対し、仁美はいつものようにカバンでスカートの前を押さえるようにしつつ、そのさやかの後ろに控えるように立った。

「貴方、今朝言ってたでしょう?」

「だから、その夢がどうしたのかって聞いてるの」

 疑問系で切り出すほむらに対して、さやかは焦れたように聞き返す。

「それだけじゃなくて、貴方はあの時、確かに言ったはずよ」

「だから、何を──」

「鹿目まどか」

 更に問い質そうとするさやかの感情的な声を遮って、ほむらははっきりと口に出した。

 ドクン

「!?」

 それを聞いて、さやかはなぜか、全身、特に頭の中が過熱するような感覚を覚えた。

「やはり、覚えているの? 鹿目まどかを? 美樹さやか、あなたは……!」

 ほむらは、さやかの反応を見るとそれまでの態度が一変し、切羽詰ったように追求する。

「う、うう……」

 さやかは、脳内の血流が一挙に増大したような感覚を覚え、表情を歪ませてよろける。

「さやかさん、大丈夫ですか?」

 慌てて、仁美がさやかの身体を支え、右手でさやかの右手を握る。

 さやかは、一旦仁美に向けて笑顔を作り、こくんと頷いて見せてから、

「そんな名前、──知らない」

 と、ほむらの方を見てそう言った。

「じゃあ、なぜこの名前を口にしたの? 朝」

 ほむらはさやかの様子を心配した風もなく、畳み掛けるような早口で更に問い質す。

「知らないけど、知ってる──覚えてないけど、忘れてない──なに、この、感覚、は……、まどか……鹿目まどか……?」

 さやかは、ほむらの問いかけに答えるというより、自問自答するように、表情を歪めながらそう言った。

「どうして……────」

 立ち尽くしたようになっていたほむらは、血が出そうなほどに握り締められた拳をわなわなと震わせていた。やがて、呻くような声を出したかと思うと、それに続いたのは、周囲を振るわせんとするほどの絶叫だった。

「どうして、貴方なのっ!?」

 その大声に、仁美は一瞬、驚いたように身をすくめる。

 だが、当のさやかは、ほむらの様子など目に入っていないかのように、うわ言のように呟く。

「まどか……鹿目まどか……」

 

「あたしの……一番の親友……」

 

 

 滝元市。

 小さな教会の礼拝堂で、1人の少女が祈りを捧げている。

「なかなか感心な事ですね」

 瞑想して祈りを捧げていた少女に、神父と思しき壮年の男性が声をかけた。

「何か、迷っている事でもおありですか?」

 聖書を手にした神父は、そう言って、少女に優しげに声をかけた。

「いえ──」

 少女は顔を上げる。

 赤毛を肩口にかけて前におろす三つ編みにした、生来なら愛らしいであろう少女だったが、その顔や、袖口から見える手には、鋭利な刃物で深く斬りつけられたような、痛々しい無数の傷跡が残っていた。

 しかし、それでも少女の表情は、晴れやかな笑顔になっていた。

「逆です」

「ほう」

 少女の嬉しそうな答えに、神父は更に破顔する。

「私、ずっと心の中にわだかまってた事があって……」

「ふむ」

「でも、そうしたら、昨日、夢の中で、言ってくれたんです。もう気にするなよ、って」

 傷跡だらけの少女はそこまで言って、照れくさそうに苦笑した。

「それは、主の御使いが、ですかな?」

「はい──」

 神父の問いかけに、少女は答えつつ、夢ともつかない記憶の中から、その姿を思い出す。

 自分を抱きかかえて笑う、真紅の天使の姿を。

「多分、そうだと思います」

「なるほど」

 神父は、穏やかに笑ったまま、少女の言葉に応えつつ、キラキラと眼を輝かせるその姿を見ていた。

 すると、小さな礼拝堂の窓の外で、オートバイの爆音がし、遠ざかっていくのが聞こえた。

「!」

 少女がはっと気がついて、窓によると、外開きの窓の桟に、手紙ともいえない、メモ用紙に走り書きした簡単な文が残されていた。

 少女はそれを手に取り、その文面を見た。

 

『これからも、元気でやれよ。

 天使になりきれなかったバカより』

 

 杏子は、傾き始めた陽が俄かに茜色に染め始めた空の下、背景に滝原湖の見える幹線都道の道路橋を、滝元市側から見滝原市側に向かって、2サイクルバーディーを走らせていた。

 ヴィンテージスタイルのヘルメットを被ったその表情は、どこか寂しくもありつつも、口元で満足げに笑っていた。

 

 

「ん、うう……ん……?」

 さやかが眼を覚ますと、眼に入ってきたのは、白い無機質な天井と、横たわっている自分を他から遮るように張られたカーテンだった。

「ここ……は……?」

 一瞬、病院を連想したが、天井の材質が毎日のように見ているものであることに気がつく。

「あ、保健室……? なんで……あたし」

 さやかが、すぐには状況が認識できずに自問自答するように呟く。すると、シャッ、とカーテンの端がわずかにずらされ、

「あ、気がつかれましたのね」

 と、仁美が顔をのぞかせて、さやかの状況を確認し、軽く胸を撫で下ろすようにため息をついた。

「! まどかは? まどかは大丈夫なの?」

 さやかは、はっと我に返ったように覚醒すると、仁美に向かって問いただす。

「落ち着いてくださいまし! “鹿目まどか”はここには居られませんわ!」

 仁美は、慌ててさやかに駆け寄り、冷静さを取り戻させようと声をかける。

「え……あ……?」

 仁美の言葉を聞いて、さやかは一瞬、呆然とする。

「さやかさんが倒れられたとき、あの場にはさやかさんと、私と、暁美さんしかいませんでしたわ」

「あ……そうか……」

 仁美の言葉を聞いて、さやかはようやく状況を正しく認識した。

「一体、なにがどうなっているのですか?」

 仁美はさやかに訊ねる。

「暁美さんも、あの後半狂乱になって、私が止めるのも聞かずにどこかへ行ってしまわれましたし。なにがどうなっているのか、私にはわけがわかりませんわ」

 仁美は、そう言って困惑気な表情でため息をつく。

「いたんだよ、あたしの隣に」

 どこかしんみりした表情で、さやかが呟くように言った。

 仁美は、それを聞いて、視線をさやかに向けて上げる。

「鹿目まどか……いつ頃からか……まではまだはっきり思い出せないんだけど、確かに、あたしの隣にいた……友達で、臆病なくせに他人をほっとけなくて、バカみたいに優しくてさ……」

「どこか遠くにいる、お友達なんですの?」

 さやかの独白のような言葉を聞いて、仁美はそう訊ねた。

「……今は、多分、そうだと思う」

「思う?」

 さやかの自信なさ気な言葉に、仁美は思わず眉を潜めた。

「あたしの中の鹿目まどかは、見滝原中の制服を着てて、今もすぐ傍にいて……そう、仁美、アンタとも一緒にじゃれあってる──そんな存在」

「私、も……?」

 仁美はいっそう怪訝そうな表情をする。

「あはは……こんな事いきなり言われても信じられないよね……」

 さやかは、気弱げに、誤魔化すような苦笑をしながらそう言った。

「確かに、そうですけれども──」

 仁美は、困惑気にそう言ってから、

「けれど、暁美さんのこともありますし、無視もできませんわ」

 と、視線をさやかに戻して、はっきりと言った。

「あ……うん、そっか……」

 さやかは、苦笑を消して、弱ったような表情でそう言ったが、

「ありがとう、仁美」

 と、顔を上げて仁美と視線を合わせ、笑顔になって礼を告げた。

「気にしないでくださいまし。さやかさんは、私にとって大切なお友達なのですから」

 仁美は、そう言ってくすくすと苦笑する。

「あたしも──」

 さやかは明るい表情になって、言う。

「アンタと、友達やめなくて、良かった」

 

 

「はぁ……アタシとした事が……」

 住宅街近くの道路を、杏子はバーディーを推して歩いていた。

「ガス欠とは……なにやってんのかなぁ」

 杏子は、重量物でしかなくなったバーディーを推しつつ、ため息交じりにぼやく。

「ん……?」

 特に何かきっかけがあったわけでもなかった。

 たまたま前を通りかかった公園の中に、小さな男の子が1人で遊んでいる事に気がついた。

 周囲を見渡すが、他に人影が見当たらない。

「どーれ、しょーがねーな、と」

 杏子は上手く車止めを避けてバーディーを公園の中に入れると、その入り口あたりで傍らに寄せて、スタンドを立てて駐輪する。

「おーい、坊主」

 ヘルメットを脱ぎながら、杏子は男の子の背後から声をかける。

「あー?」

 3歳ぐらいだろうか、男の子は声で杏子に反応しつつも、一心不乱に何かをやっている。

「どうしたー、1人で遊んでるのかー?」

 杏子はそう言いつつ、男の子がなにをしているのか、覗き込んだ。

 男の子は非舗装の地面に、細い木の枝で絵を描いていた。

「!?」

 その、男の子が描いている絵を見て、杏子は目を円くした。

 男の子が描いていたのは、アニメでよくある、典型的な魔法少女のような、フリルのついたドレスを着た女の子。

 それは、所詮未就学の子供が描いた落書きのレベルでしかない。

 なのに、杏子にはその絵のディテールの細かいところまでもが、その意識の中で再現される。

 それどころか、当然ただの線画でしかないのに、写真のように彩づいて見えた。

 杏子は、まるでその絵に吸い込まれるような感覚を覚えた。杏子自身には数分以上の時間に感じられたが、実際には2・3秒の時間だった。

「はっ」

 のけぞるようにして我に返る。

「な、なあ坊主」

 杏子は、姿勢を立て直すと、男の子に声をかける。

「なにー?」

 男の子はようやく杏子の方を振り返って、満面の笑顔で返事をした。

「い、いや、上手く描けてるなーって」

 無駄にドキマギとしながら、杏子は男の子に訊ねた。

「まどかー」

 男の子は無邪気そうな声で答える。

「まどか?」

「うん、まどか!」

 杏子が鸚鵡返しに聞き返すと、男の子はもう一度元気よく答えた。

「そうか、まどかって言うのかー」

 ご機嫌そうな男の子に対して、杏子も歯を見せて笑った。

「あ、っと、そうだ」

 杏子はポケットから、プリペイド仕様のAU・SHARP Sportioを取り出す。

「この絵、写真撮らせてもらってもいいか? いいだろ?」

 携帯電話のカメラを起動しながら、杏子は男の子に向かって訊ねる。

「うん、いーよー」

 男の子は、特になにを考えた様子もなく即答した。

「うし」

 杏子はタッチパネルのシャッターボタンを指で叩き、男の子が地面に描いた絵を撮影した。

「おーい、タツヤー」

 杏子が撮影した映像を保存し終えたとき、少し離れたところから声がかけられてきた。

「ああ、こんなところにいたのか」

 男の子の父親と思しき男性が、そう言いながら小走りに駆けてきて、そう言った。それから、屈んで手を伸ばし、男の子を抱き上げる。

「すみません、何かご迷惑をおかけしませんでしたでしょうか?」

 男性は、穏やかな様子で杏子に問いかけるように言う。

「いや、別にそんな事はねーよ」

 杏子は、携帯を右手に握ったまま、頭の後ろに腕を組んで、笑い返しつつそう応えた。

「そうですか、すみません、ありがとうございました」

 男性は再度杏子に会釈してから、踵を返して、杏子が入ってきた方とは逆側の出入口の方に向かって去って行った。

「さて……と」

 意気揚々として、杏子もその場を立ち去ろうとしたが、

「…………ガソリン、調達してくっかなぁ……」

 公園の入口のところまで戻ったところで、ガス欠したバーディーの姿を見て、やや俯きがちの姿勢で肩を落とし、ため息をついた。

 

 

 巴邸────。

「鹿目まどか……ね……」

 その名前を聞いたマミは、肘を突くように口元に手を当てて、唸るように逡巡する。

「マミさんも心当たりは、無いですよね……」

 ガラストップのテーブルに向かい合うようにして、さやかと仁美が並んで座っている。

 テーブルの上には、人数分の、明らかに手製のアップルパイと紅茶の入ったティーカップ。

 問いかけたのは、さやかの方だった。

「うーん……言われてみると……あるような……ないような……」

 マミは、口を軽く尖らせるようにして、難しい表情をする。

「巴先輩も、なのですか?」

 仁美は、軽く驚いた表情で聞き返す。

「マミでいいわよ……」

 マミは、仁美に向かってそう言ってから、

「美樹さんのようにはっきりした意識があるわけではないのだけれど……ただ、言葉の響きとして引っかかるのよねぇ……」

 と、複雑そうな表情をしたまま、そう言った。

「多分」

 それまでベッドの上にいたサッきゅんが、そう言いながら、ストッとテーブルの上に降り立った。

「全てのキーワードを知ってる、或いは己自身がキーなのか、どちらかだと思うけど、それを持っているのが──」

「暁美ほむら」

 サッきゅんの言葉の先を制して、仁美が言う。

「そうですわね?」

「単純に推測すると、そう」

 仁美の問いかけるような言葉に、小動物姿のサッきゅんはそう言って頷いた。

「けど、どうも彼女が中心じゃないような気もする」

「え?」

 サッきゅんの困惑気な言葉に、3人が揃って聞き返すような声を発した。

 3人とも、その推測が正しいと思っていたからだ。

「考えても見て欲しい。暁美ほむらの場合は、言動から考えれば“最初から全部知っていた”。これももちろん不自然だけど、もっと不自然な事があるじゃないか」

「え?」

「どういうこと!?」

「!」

 さやかはどこか間の抜けた声を出し、マミは驚いたように聞き返したが、仁美だけは、それに気がついて視線を鋭くし、その対象に向けた。

「でも、とりあえず今は暁美ほむらだ。彼女から事情を聞きださない事には何も解からないし、何も始まらない」

 サッきゅんは、小動物姿で器用に真摯な表情をし、そう言った。

「確か、佐倉さんが、その暁美さんと面識があったはずよね?」

 マミが確認するように言うと、

『ああ、居場所もわかるし、連絡も取れるぜ』

 と、杏子がテレパスで割り込んできた。

『なんなら、今この後からでも呼び出そうか?』

『いいのですか?』

 仁美が訊き返す。

『すぐにでも……と言いたいとこだけど、1時間ほど待ってくれ』

 杏子はそう返事して来た。

『なにやってんの?』

 さやかは素に聞き返した。

『ガススタのジェリ缶でガソリン運んでる』

『は?』

 間の抜けた聞き返しをしたのは仁美だった。

 さやかは呆れた表情でため息をつく。

『なにガス欠なんかこいてんのよ、だっさ』

『う、うるせー』

 

 

 幹線県道の交差点────夜。

 かつてさやかと杏子が争いかけ、その結果ソウルジェムの秘密の暴かれた歩道橋。

 まだそれほど遅い時間ではないが、やはり下に横断歩道があるせいで人の姿はまったくと言っていいいほどなく、暗い。

 その大歩道橋の中心で、既に真紅の装束を身に纏った杏子がいた。ただし、まだその仕込み槍は手にしていない。

「頭数に頼るなんて、貴方らしくないわね、佐倉杏子」

 既に陽の落ちた暗闇の中から、やはり、黒に近い紫の装束を纏ったほむらが現れた。左腕に小さな円い盾を装備しているものの、やはり武器の類は手にしていない。

「本当に話があるのはアタシじゃないからね」

 杏子は、悪びれもせずにそう言った。

「その割りには、貴方以外はみんな遠巻きに見ているだけのようだけれど」

 ほむらは、それが目的と言うより、杏子にその仕種を見せ付けるように、周囲を見渡す。

「巴マミも銃を呼び出していない。志筑仁美の武器が気になるけれど、おそらくは全員、まだ武器を手に持っていない」

「へぇ」

 ほむらの淡々とした発言に、杏子は意外そうな声を出した。

「何でも知ってるアンタでも、解からないことがあるんだな」

「…………」

 挑発するように言う杏子に対し、ほむらはただ黙ったまま、鋭い視線を向ける。

「まぁまぁ、2人とも」

 そこへ、小動物姿のサッきゅんが姿を現した。

「っ……」

 ほむらは反射的に構える。

 左腕の円い盾のようなものに手を突っ込んだかと思うと、中からオートマチックの拳銃を取り出した。IMI デザート・イーグルIII .357。

「キミがボクに敵意を持ってるのは解かってる。けれどボクを殺しても何も解決しないよ」

「どうかしらね」

 ほむらはそう言って、ガンサイトにサッきゅんを捉え、引き金に指をかける。

「キミがボクを何かと勘違いしているのは最初の頃から解かっていた。それがなんなのか、ずっと解からなかったけど、よく思い出してみたら、キミ自身がすでにその答えを口にしていたんだ」

「黙りなさい」

「それでも君は撃たない。撃っても無意味だと思ってるからだ。ボクの推測が正しければ、ね」

 ほむらは低い声で脅すように言ったが、サッきゅんはそれを確信しているかのようにずけずけといい、堂々と振舞う。

「ボクがさやかと契約したとき、キミはこう言った」

 

『どんな願いを叶えたのか知らないけれど、どんな願いもいずれ裏切られるわ』

 

「……この言葉で気付くべきだった。ありえない事だと除外してしまったのがいけなかった。キミみたいなイレギュラーを分析、考察するのに、例外を作ってはいけないのに、だ」

「つまり……どういうことだよ?」

 焦れたように問いただしたのは、サッきゅんの背後に立っていた杏子だった。

 サッきゅんはほむらの方を向いたまま、続ける。

「まるでボクたちが、魔法少女が絶望することをしているかのような言い種。……確かに、杏子みたいに裏目に出ることが無かったわけじゃない」

「うるせーな」

 杏子が抗議の声を上げるが、サッきゅんは構わずに続ける。

「けれどそれはボクらの本意じゃないし、むしろそうなられると困る。けれど、以前それを実際にやってた連中がいた」

 サッきゅんはそう言って、ほむらの視線を見据え直す。

 

「暁美ほむら。キミはボクの事を、“インキュベーター”だと思ってるんじゃないのかい?」

 

「!?」

 ほむらの表情が僅かに変わる。

「なんだい、そりゃあ……」

 杏子がどこか間の抜けた声で聞き返す。

「アンタたちの仲間か?」

「違うよ。いや、種としては縁戚にあたるらしいけど、文明の系統樹は違う根にある惑星の住人。その彼らが作り出した、アストラルエネルギーを“熱量換算可能なエネルギー”に変換する為の生態端末さ」

「それって」

 暗がりの中から、さやかが姿を現した。

「以前言ってた、宇宙を滅ぼしかけた連中のこと!?」

「そう。滅びたはずだった。だから可能性から除外して考えていた」

「でも、そうだとしたら暁美さんは、そんなに昔から生き続けている存在だということなのですか?」

 仁美が姿を見せ、信じられないと言ったように、誰にともなく問いかける。

「まっとうに考えればそう言うことになるね。でも、いくら魔法少女でもそこまで生きることは普通は不可能だよ」

 サッキュベーターのソウルジェムシステムによって誕生した魔法少女は、代謝が衰えることがない上、本来細胞の入れ替わりのない脳も再生可能なため、肉体が完成に近づく“成長”はするが、それを終えた後の“老化”は常人に比べて非常にゆっくりしたものになる。意識してそうするなら、ほとんど止めてしまうことも出来る。

 とはいえ世に不変なものはない。いずれはソウルジェム自体の劣化により、回収した感情エネルギーの処理と魔力の抽出が鈍くなり、肉体のほうもそれに伴って劣化を始め、“死”に至る。それは悲劇でもなんでもなく、そうでなければならない話なのだ。

「それとも、不老不死を願ったのかな?」

 サッきゅんはそう言って、最後にほむらに問いかけるように言う。

「貴方は…………」

 ほむらは、俯き加減の姿勢で表情をゆがめつつ、ギリ、と奥歯を鳴らしてから、その険しい表情のまま顔を上げて、サッきゅんを睨み付ける。

「そういう貴方は一体何者なの!? 姿はインキュベーター達にそっくりで、なのに自ら魔法少女に変身して、契約した魔法少女の破滅を望まないかのようなことを言って!」

「ボクたちは────」

 サッきゅんは答える。

母胎に返す者(サッキュベーター)。“熱量換算可能なエネルギー”の人為的かつ不当な供給により、宇宙の“物理的死”を回避するため、その根源である、知的生命体の負の感情エネルギーが具現化した魔獣から、それを回収している」

「宇宙の生死と地球の平和、両方にとっての脅威である魔獣、それと戦える存在が魔法少女」

 サッきゅんの言葉を受け継ぐようにして、マミが姿を現した。

「だからサッキュベーターは私たちの絶望を望まない。そして私たちが絶望する言われもない」

 言いつつ、わずかに睨むように、ほむらに視線を向けている。

「システムの“外見”や、使う生態端末の設計が似ているのは当然と言うか、当時、状況が切羽詰っていたから、彼らのシステムの大元を流用して、そのエネルギーの流れる方向を変えて造ったものだからさ。例えるなら発電機と電気モーターの関係だね」

 発電機と電動機の構造は原理的に同一である。軸の回転から電力を生み出すものを発電機、電力から運動エネルギーを生み出すものを電動機(モーター)と呼んでいるに過ぎない。

 それを端的な形で使っているのが鉄道における電気車だ。今日の日本の電車のほとんどは、減速時に、空気を使って車軸を物理的に制動するブレーキのほかに、モーターを発電機として電気を発生させる事で、車軸の回転に対する抵抗とする制動機構を備えている。かつては抵抗器を使って熱として棄ててしまう“(狭義の)発電ブレーキ”が主流だったが、現在はそれを架線に押し返すことで別の電車・電気機関車や設備を減速用の負荷にする“回生ブレーキ”が主流になっている。とはいえ根本的な原理は変わっていない。

「さて、ボクは自分の正体を明かしたよ」

 信じられないと言ったように、立ち尽くしてよろめくような様子のほむらに対して、サッきゅんが言う。

「そろそろボクたちにも、キミの正体を明かしてもらっても良いんじゃないかな」

「…………」

 ほむらは、わずかな沈黙の後、

「そうよ……」

 と、静かに言い始める。

「私はインキュベーターと契約した魔法少女。だけど、不老不死の身体で生きてきたわけじゃないわ」

「? どういうこと?」

 さやかが問い質す。

「そのインキュベーターって、生き残りがいるってことなの?」

「それも違うわ」

 しかし、ほむらは即座に否定の答えを返した。

「わけがわからないよ」

 サッきゅんが困ったように言う。

「私の願いは“やり直す事”。その為に限定的な時間移動能力を身につけたの」

「! そうか!」

 それまで飄々としていたサッきゅんが、俄かに興奮したような声を上げた。

「キミは別の可能性を持つ時間軸から来た、テンテレポーターだったのか!」

「どういうこと?」

 サッきゅんの言葉に、さやかが訊き返す。

「彼女は抽象的時間移動能力を使って、過去の自分に割り込んでいたのさ。でも、その時点で彼女自身がユニークな存在になってしまう以上、タイムパラドックスが発生する。彼女が戻れる過去は、常に別の可能性の時間軸なのさ。おそらく彼女が最初にいた可能性の時間軸では、彼らは滅亡しておらず、ボクらは存在していなかったんだよ」

「なんだかややこしいことになってきたわね……」

 さやかは右の人差し指で自分の頭をつつきつつ、複雑そうに表情をゆがめる。

「いいえ、多分それであってるわ」

 ほむらが言う。

「私たちの地球はインキュベーターの食い物にされていた。私はこの能力でその運命と戦い続けたわ。ある人物を助ける為にね」

「それが、鹿目まどか、ね?」

 マミが、穏やかな口調で、しかし問い質すように言う。

「ええ、そうよ。でも、結局それは叶えられなかった。まどかは、最後は自分を犠牲にして、魔法少女の絶望を受け止める為の“円環の理”を作り出して、宇宙の法則を書き換えたの」

「そんな、無茶だよ!」

 悲鳴のような声を上げたのは、サッきゅんだった。

「鹿目まどかは、私の時間移動が原因で、因果律が収束して、魔法少女の契約によってとんでもない奇跡を起こせる可能性を持ったわ。それを使ったの」

「そうだとしても──」

「そうよ!」

 反論しかけたサッきゅんの言葉を遮って、ほむらは声を荒げる。

「全部終わったと思ってた。世界からまどかはいなくなったけど、私との絆は残った。一番いいシナリオだと思ってた。それなのに──」

 ほむらは、ヒステリックに声を荒げる。

 

「『グリフレットの別れ』によって、その世界は滅亡したのよ!」

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