魔法少女さやか☆マギカ   作:神谷萌

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第13話:The terminal of "The ring of MOEBIUS".

「……ここは……?」

 “球形の穴”を突っ切ったところで、さやかが閉じていた目を開けると、そこは無限に広いようでいて、どこか狭苦しく、熱く、ねっとりとまとわりついてくるような空気の漂う、妙な空間だった。

 どちらが、上下か、左右か、上手く認識できない。一方向へ向かう重力が存在していないようだった。魔法を使って動くことは出来るが、実際に宇宙に放り出されたらこんな感じだろうか。

 周囲に、魔獣が現れるときにも見られる、光を吸収する黒い霧が漂っていた。

「……あれは……?」

 視界を遮るその霧の切れ間に、ぼんやりと輝く、ピンク色の光の球のようなものを見つけた。

「とにかく、あそこへ行ってみるしかないようね」

 傍らにいたほむらが、そう言った。

 さやかも、頷いて同意すると、ほむらの手を引いて、青い光を纏いつつ、そちらに向かおうとする。

「!?」

 あまりに静寂だったゆえに、2人はその気配に気付いた。さやかが握っていたほむらの腕を放し、それぞれ振り返りながら身構えた。

 珠の光でぼんやりと照らし出されるのは、ひしゃげたような頭を持つ、手人形のような魔獣。

 さやかは、身を翻す勢いで斬りつけつつ、ほむらを離した左手にも剣を生み出した。

 

 

「こいつはあたしが食い止める。アンタはまどかのところへ行って」

 さやかは、構えつつ、背後のほむらを直接振り返らずに言う。

「いいえ、行くのはあなたよ、美樹さやか」

「…………え?」

 ほむらの淡々とした言葉に、さやかは一瞬、呆然として、反射的に聞き返してしまう。

「わからないの? 選ばれたのは貴方なのよ、美樹さやか」

 ほむらは、念を押すようにそういいつつ、M-1962を構えて、さやかの前に出る。

「で、でもっ……」

「私は元から“覚えていた”。けれど、貴方は魂に刻まれた、本来自覚することはないはずの記憶を“取り戻した”。悔しいけれど、まどかにとって貴方は特別。まどかは“円環の理”を創る時、貴方にだけ例外を許したのだもの」

 戸惑うような声を出したさやかに対して、ほむらは低い声で、はっきりとそう言った。

「まどかを取り戻すのは、貴方の責任よ、美樹さやか」

 そうしている間にも、黒い魔獣は、さやかに斬りつけられた後などなかったかのように再生し、むっくりと起き上がる。

 ほむらは黒い魔獣に向かって、躊躇せずフルオートで1弾倉分叩き込んだ。

「早く行って! 私は大丈夫」

「う、うん……」

 さやかは後ろ髪惹かれる思いをしつつも、ほむらの言うことに従った。

 

 

「くそ、こいつら硬ぇっ!」

 新たに現れた、西洋鎧の案山子を抱えた剣車輪に、さしもの杏子も泣き言を上げた。

 槍で切り裂き、棍で殴って凹ませるものの、致命傷を与えるのには四苦八苦していた。

 しかも、この魔獣は、車輪に生えた剣を飛ばして攻撃してくる。剣はすぐに生えてきて、無尽蔵の状態だ。

 マミの支援射撃が頼りだったが、それも魔獣のほうが数に任せて押しかけてくれば、マミは自身の防御だけで精一杯になってしまう。

 マミは、地上でスナイドルを生み出しつつ、迫ってくる魔獣を撃ち続けていたが、踊るような余裕を持って、というわけにはいかなくなりつつあった。魔獣が撃ち出す剣を避けながら、1体1体に複数の弾丸を撃ち込んで、確実にしとめている。

 ガキィィィンッ

 唯一効果的に戦っているのは、意外にも仁美だった。

 精神感応の能力によって魔獣を混乱させ、同士討ちさせる。

 仁美を襲おうとした魔獣は、自らぶつかり合い、回転する剣でお互いを切り裂く。

 だが────

「はぁっ、……ぜぇっ、はぁっ……」

 視界の中に次々と現れる魔獣に、能力を使い続ける仁美の表情には、深い疲労の色が見え始めていた。脂汗が滴る。

「こん、やろ!」

 杏子が魔獣の1体を締め上げ、破壊したときだった。

「!」

 別の魔獣が、一瞬無防備になった杏子の胴に体当たりしてくる!

「がはっ……」

 かろうじて、ソウルジェムを避けたものの、杏子の身体は剣車輪によってミシン掛けされたように切り刻まれてしまっていた。

 あ、やべ、これはアウトかな……

 そう思った瞬間、杏子の体感する時間の流れがとても遅いものになった。

 認識できるのに、反応して動きをとることができない、もどかしい感覚。

 もっとも、動かす身体も、今の杏子にはなかったのだが。

 一度くらい、幸せな夢ってやつ、見てみたかったな。

 杏子が諦観しつつそう思ったとき、走馬灯のように、妹と、さやかの顔が脳裏を横切った。

 …………いいや、見てたか。畜生。もうちょっとだけお前たちと早く出会えてたらな……

 

「だめっ」

 

「!?」

 次の瞬間、杏子の身体は自由を取り戻していた。

 多節棍の鎖を延ばして、自らをミシン掛けしてくれた魔獣に巻きつかせ、締め上げ、そのまま引き千切る。

「!」

 その杏子の背後に、別の魔獣が迫り来る。

 多節棍を槍に戻し、薙ぎ払おうとするが、間に合わない!

「キョーコを、いじめるなぁぁっ!!」

 仁美のそれよりもひときわ鮮やかな緑の閃光が、強烈な衝撃波を生み出し、魔獣の群れを激しく揺さぶる。

 ギギギギ、と軋む音を立てつつ、動きの鈍った魔獣を、杏子の渾身の一撃が貫き、無に帰した。

 杏子はふぅ、と息をつきつつ、

「こーの感触は」

 と、振り返る。

 するとそこには、年恰好は杏子たちよりさらに小さな、魔法少女の姿があった。

 装束はねこ耳帽子に緑と白のワンピース、ドロワース。

 手には、球形のハンマーの部分に猫の尻尾のような飾りがついたメイス。

「キョーコ、だいじょうぶ?」

 少女は笑顔で問いかけてくる。

「だぁぁっ、ゆま! テメェ、なんでこんなところにいやがる!?」

 近寄ってくる魔獣を槍で牽制しつつも、杏子は魔法少女──千歳ゆまに向かって荒い声を発した。

「だって……だって、キョーコがあぶないことしようとしてるってきいたから」

 ゆまは、杏子に怒鳴られ、うつむいておずおずと言った。

「やれやれ」

 杏子は脱力したようにため息をつく。

「来ちまったもんはしょうがねーが、オマエも魔法少女なんだからよ」

「うん!」

「役立たずじゃねーって言うんだったら、あたしの背中ぐらい守ってみせろ」

「うん!!」

 杏子は、面倒くさそうな口調で言ったが、ゆまの威勢のいい返事を聞くと、ニィ、と唇を吊り上げた。

 一方。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 仁美は、能力の連続使用の限界に近づいていた。

「!」

 魔力が下がり、精神感応の効果が薄れた瞬間、複数の魔獣がまとまって、仁美に向かって突っ込んできた。

 ガキィンッ

 剣車輪をどうにかロングアックスの柄で受け止めるものの、じりじりと圧される。

 さやかさん……上条くん……

 自分はまだ覚悟が足りない、と思っていた。だが、いざ土壇場になってみると、意外に未練として執着するものに少ないことに気づいた。

 そういう生き方しか、出来ませんでしたものね……

 14歳という年齢にしては、老練したような思考で自嘲する。

 ここまで、でしょうか……

 仁美がそう思いかけたとき。

 

 ビシャッ

 

 無数の小さな鉄球が弾丸となって迸り、金属質の魔獣の身体を貫いてボロボロにする。

 その魔獣を、さらに、仁美の前に躍り出た黒い影が、X字状に斬り裂いた。

「…………! あなたは!」

 仁美と魔獣の群れとの間に割って入ったのは、白と黒の、対照的な衣装を纏う2人の魔法少女。

「経緯はサッきゅんから聞かせていただきました。志筑さん」

 法衣のような白衣の魔法少女が、軽く仁美を振り返りながら言う。

「美国さん……貴方も……」

 中学校こそ別だが、近所の名家同士して、いくつかの場面で面識のある顔に、仁美は目を円くする。

「お互い、いろいろと言いたいことはあると思いますが、まずは現状を────」

 白衣の魔法少女、美国織莉子の視線が前を向く。

 剣車輪の魔獣が複数、3人に向かって殺到してくる。

「片付けてしまいましょう」

 ビシャッ

 そのまま、織莉子と、もう1人の黒衣の魔法少女が、その剣車輪に巻き込まれるかと思ったとき、突然、魔獣の動きが鈍った。そしてその次の瞬間には、鉄球が迸り、魔獣の群れを悉く蜂の巣にする。

 半壊しかけた魔獣の群れを、ネクタイのスーツをアレンジした衣装を着崩したような姿の黒衣の魔法少女が、両手から伸ばした黒く輝くクローで薙ぎ払うように斬り裂き、完全に崩壊させる。

「そっちの、緑のお嬢様はさぁ────」

 黒衣の魔法少女、呉キリカが、どこか子どもじみたような笑顔を見せながら、言う。

「もう、諦めちゃうのかい?」

「じょ、冗談じゃありませんわ!」

 仁美は、はっと我に返ると、険しい表情で言う。

 完全に止めを刺されなかった剣車輪が、仁美を振り返って後ろを見せているキリカに襲いかかろうとする。

 だが、まるで予定調和のように、キリカがそれを身体ひとつずらして避けたかと思うと、飛んできた投擲斧がその魔獣を破壊した。

 ブーメランとして戻ってきた投擲斧を右手で捕らえて盾に格納しつつ、仁美は織莉子の前に出る。

「行くわよ、キリカ、志筑さん!」

 織莉子の声とともに、三度、鉄球が弾丸の雨となって、目の前に迫る魔獣に向かって撃ち出された。

「このっ! この、このっ!」

 マミはもはや、踊る、というような余裕を失い、両手にスナイドルを持ち、その銃口を同一の目標に向けて、弾丸を撃ち込んでいっていた。

 だが──

 ガチン!

 サイドハンマーが空撃ちの音を立てた。

「しまった──」

 マミの顔面が蒼白になる。

 スナイドルを新たに生み出すにも、足元に散らばったスナイドルにリロードするにも、ワンアクションが必須だ。

「ひ────」

 魔獣が車輪を横向きにし、まるでマミの首を狙うかのように剣を回転させながら迫ってくる────

 

「Limite esteruny」

 

 マミが反射的に身を竦めかけたとき、その背後から迸った閃光が、魔獣を飲み込み、一瞬にして蒸発させた。

 マミが振り返ると、そこに小柄な魔法少女がいた。

「大丈夫?」

 その衣装は、白と黒のツートーン、星のようなカットはファンシーではあるものの、全体的には露出度の高い衣装。それに魔女っ子の象徴のようなとんがり帽子。

「え、ええ……」

 その肌も露な衣装に、一瞬マミは絶句しかけてしまい、どうにかそう答える。

「はっ」

「Vor der Kanone」

 マミが背後に別の気配を感じて、振り返った瞬間、サッカーボールほどの光弾が、剣車輪の魔獣を粉砕した。

 その上空に、フードのついた全身スーツのような衣装の魔法少女と、白い修道服のような衣装に、メガネをかけた魔法少女がいた。

「表面は硬いけれど、たいした力は持ってない。力押しで充分だわ」

 メガネの魔法少女、御崎海香が言う。その左手に持つようにして浮かばせている本が、その上にかざされた右手から放たれる淡い光で、パラパラとめくられている。

「細かいこと考えないで済むんなら、それに越したことはないっ……かな」

 言いつつ、フードの魔法少女、牧カオルが、剣車輪の射撃をすり抜けて魔獣の本体に迫る。その鋭い蹴りが、ラウンド形のホイールを凹ませ、剣車輪の動きを鈍くする。

「ちちん、ぷいっ!」

 そこへめがけて、白黒の魔法少女、かずみが、黒い十字架のような錫杖を振り、光弾で止めを刺していった。

 負けてられないわっ。

「Reload」

 地に這っていた無数のスナイドルが起き上がり、ブリーチに黄金色の光を装填され、サイドハンマーが起き上がる。

 マミの“踊り”が、再び始まった。

 

 

 ────結節点の“向こう側”。

 

 黒い霧の中、青い光を放ち、自らを矢のようにして、たったひとつの道標にしたがって突き進む。

 熱い。まとわりついてくる黒い霧が持つ熱が、どんどんと増してくるように感じる。

 やがて、さやかの前に、ぼんやりと光るピンク色の光の球が姿を現した。

 直径は、さやかの背丈ほどだろうか。

「…………これが、中心部なのかな?」

 一瞬、キョトン、としたように、それを見る。

「でも、これをどうすれば…………──」

 

 さやかちゃん。

 

「!?」

 突如かけられた声に驚き、それまで光の球を凝視していた視線を上げる。

 いつの間に現れたのか、そこに、1人の少女が立っていた。

 小柄で、やや強い髪を、サイドアップ風のツインテールにしている。

「アンタ、は……」

「さやかちゃん。よく、ここまでこれたね」

 少女は、にこやかに笑いながら、さやかにそう語りかける。それから、ちらり、と、光球に視線を移した。

「でも、これは触らないで欲しいな、って」

「えっ?」

 さやかが反射的に聞き返すと、少女は、さやかに視線を向けなおして、言う。

「魔法少女の絶望が、災厄を生むの。さやかちゃんだってわかってるでしょう? だから、そうなる前に、受け止めてあげるのがこれの役目なの」

 言いながら、もう一度、見上げるようにしてそれを見た。

「魔法少女が祈った、希望まで否定しないように」

 そう言って、少女はさやかに、穏やかな微笑みを向けた。

「…………」

 さやかは、愕然として、少女と光球を交互に見ていたが、やがて、

「…………違う」

 と、呟いた。

「え?」

 少女が、小首をかしげた姿勢で、反射的に聞き返す。

「絶望なんか消したって意味がない。違う、誰かに支えてもらうことはあっても、他人に押し付けるもんじゃない! 自分で乗り越えなきゃ意味がない!」

「さやか、ちゃ」

 さやかが発する声がだんだんと荒くなっていくことに、少女は、驚いた眼を向けつつ、戸惑ったように声を出す。

 だが、さやかは構わずに続ける。

「後悔しない生き方なんてない! 奇跡だけが希望を叶える手段じゃない! 人はねぇ、絶望の中にこそ本当の希望を見出せるの! 後悔だってするけど、進むときは前にしか進めないんだよ! 進むことをやめたら、そこで終わり、そこに希望なんかあるもんか! 絶望を消すことこそ、希望の否定だよ! 絶望の中からだって立ち上がるために、あたしたちにはこの2本の腕があるの!」

 そこまで感情的に言ってから、一旦、すぅ、と軽く息をつき、静かに言う。

「そうじゃないの? “あたし”」

 そう言ったとき、さやかの目の前にいたはずの小柄な少女は、鏡に映したかのような、まったく同一の魔法少女の姿に変わっていた。

「…………なんで、解るかな……」

 “さやか”が、低い声で、そう言った。

「そりゃ、解るわよ。アンタはちょっと前のあたし、そのものだもん。見返りなんて求めないなんて言いながら、本当は周りから甘やかされたがってる捻くれ者」

「あたしのくせに、何を悟ったこと言ってんのよ! アンタだって、一緒でしょ! ただ、アンタには甘やかしてくれる相手がいただけ! サッキュベーターに支えてもらって、好きなだけ正義の味方ぶって! マミさんに甘やかしてもらって、仁美の願いで目先の苦しみを消してもらって! そんなアンタが、あたしとどれだけ違うって言うのよ!」

「違わないわよ! この姿も、心の形も、たぶん、アンタとあたしは一緒だよ! 違う(みち)を歩いてきたとしても、同じ“美樹さやか”だもん! ただひとつ、違うのはねぇ────」

 “さやか”に向かって声を荒げて言い返しつつ、さやかは無数の剣を呼び出した。

「背中よ。アンタが自分で勝手に切り捨ててきたものが、あたしの背中にはまだある。それがあたしを、前に押すのよ」

 そう言って、口元でニヤリと笑う。

「っ…………」

 目の前の“さやか”が、言葉を失って、空間に漂うように立ち尽くす。

「だから、あたしがその原因だって言うなら、あたしがそれを、終わらせる」

 無数の剣が、澄み切った青い閃光の矢に変わる。

「やめてぇぇぇっ!」

 “さやか”が、甲高い悲鳴を上げるが、既にそれは遅かった。

「Tiro Finale────」

 迸る閃光が、ピンク色の光球を打ち砕く。

 それはガラスで出来た風船のように簡単に破裂して、中から光が溢れ出し、放射状に流れ出す。

「まどか────」

 光の奔流は、やさしげに暖かかった。それに包まれて、さやかは声を上げる。

「まどか────!!」

 さやかがもう一度声を上げたとき、光の奔流の中心がいっそう強く輝いた。

 

「!?」

 魔法少女たちが動きを止める。

 ォォオォォォォオォォォン……

 次から次へと湧いて出ていたはずの魔獣が、突如その動きを止めたかと思うと、その場で朽ちるようにボロボロと崩壊し、塵となって消えていく。

「やった……のか……?」

 まだ槍を構えたまま、杏子が呟いた。

「!」

 はっと、魔法少女姿のサッきゅんが我に返る。

 及ばないまでもと支援で撃ち込んでいた弓を消し、不気味な音を立てる結節点を見上げた。

「さやか!」

 

「────う──?」

 光が晴れたとき、さやかの腕の中に、1人の少女がいた。

 特徴的な髪型はしていない。だが、その顔には、確かに“記憶”の中にあった。

「まどか……?」

 その顔を覗き込むようにして、さやかは、小さく訊ねるように声を発した。

「あ……さやかちゃん……」

 ゆっくりと目を覚ますかのように、少女──鹿目まどかは、目を開けながら、顔を起こして、さやかに視線を向けた。

「私……なんだろう、夢を見てた。この世の嫌なことなんか、全部消えちゃえばいいって、私がそう願ったら、全部それがかなっちゃう夢」

「まどか……」

 さやかは、呟くようにその名前を呼んでから、苦笑気味に、穏やかに微笑んだ。

「それは、夢だよ。かないっこない、夢なんだよ」

 

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 沈黙の世界が、唐突に動き始めた。

 ────それは言うなれば、胎動。

 空間を満たしていた黒い霧が、先程までまどかを包み込んでいた桜色の珠のあった場所に向かって、ゆっくりと渦を巻くようにしながら、集まってくる。

『さやか! さやか!』

 サッきゅんの慌てふためいた声が、テレパシーで届いてくる。

『サッきゅん? どうしたの?』

『急いでこっちに戻って来るんだ!』

 強い警告の調子で、サッきゅんはそう伝えてくる。

『“円環の理”の概念が解消されたんだ! エネルギーの不均衡が急激に解消されていってる。そっちの圧力が一定の値まで下がれば、結節点の維持がなされなくなって閉じてしまう! そうしたら、戻ってくることは絶望的になるよ!』

「────っ!」

 さやかはそれを聞いて、表情を険しくしつつ、顔を上げる。

「ここまで来て、バッドエンドなんてありえないでしょうが!」

「え、ちょ……さやかちゃん!?」

 さやかはまどかをしっかりと抱きかかえなおすと、身体から青い閃光を放ちながら、結節点の外側に向かって、一気に飛び出した。

 

 黒い魔獣が、音もなく崩壊して消滅していく。

 あたりには、ばら撒かれたブローニング.30弾の薬莢が、空中に漂うように散乱していた。

「どうやら、終わったようね」

 ほむらはそう呟くと、手にしていたM-1962を手放し、身体の力を抜き、ゆっくりとだが中心に向かって渦を描き始めた黒い霧の流れに、身を任せるようにして、漂い始めた。

 その時、

「転校生ーっ」

 と、中心の方へと向かっていったさやかが、声を張り上げながらほむらの方に向かってくる。

「美樹さやか?」

 ほむらが身体ごとくるりと振り返る間にも、さやかはほむらめがけて緩くカーブを描きながら急速に接近してくる。

「何やってんのよ! もとの世界に戻れなくなるのよ!?」

 さやかは、ほむらの傍まで辿り着くと、困惑にわずかに苛立ちを混ぜた声を、ほむらに投げかけた。

「解かっているわ。だから早く、まどかを連れて行って」

「そんな事は解かってるわよ」

 妙に冷静な口調で言うほむらに対し、さやかは烈しい口調で言い返す。

「で、アンタは何やってんのよ」

「私は──」

 さやかが問い質すと、ほむらはその左腕の盾、それに仕込まれた“機械仕掛けの砂時計”を、さやかたちに見せ付けるようにする。

「時間切れ、みたいだから」

「なに……言ってんのよ」

 さやかは少し困惑気になって、聞き返した。

「私は貴方のような突進能力は持たない。時間操作の能力ももう使えないわ」

「ほむらちゃん……」

 さやかの腕の中にいたまどかが、ほむらに視線を向けて、悲しそうな表情をする。

「これは私への罰──まどかを助けたい、なんて。本当は自分が、自分だけが満たされたいだけの自己満足。美樹さやか、貴方に偉そうなことを言える人間じゃなかったのよ、私は」

 ほむらは、自嘲するような微笑を浮かべて、そう言った。

「ああ、もうごちゃごちゃワケわかんないこと言って困らせないで!」

 さやかは、その場で地団駄を踏むようにしたかと思うと、まどかを脇に抱えるようにし、反対側の手でほむらの手を掴んだ。

 そのまま、再び青い閃光を纏って、結節点の外へ向かって自らを撃ち出す。

「離して、離しなさい、美樹さやか! 私がいたら、それだけ速度が落ちるでしょう!?」

「離すもんか!」

 声を荒げて抵抗しようとするほむらに対し、さやかも烈しい声で言い返す。

「あたしだって助かりたいし、まどかを助けたい。でも、アンタを見捨てられるほど、あたしはぽんと割り切れる性格してないのよ!」

 さやかはほむらを振り返ることはせず、ただ一直線に飛行しながら、怒鳴るように言った。

「美樹、さやか……」

「それに──」

 ほむらの静かな反応に対し、さやかは、口調を穏やかにすると、

「ここでアンタを見捨てたら、“正義の味方”失格でしょ? ほむら」

 と、そう言って、一瞬だけほむらに向かって、微笑んだ顔を向けた。

「ほむらちゃん」

 さやかにしがみついていたまどかが、ほむらに笑顔を向ける。

「一緒に帰ろう、ほむらちゃん」

 その声に、ほむらはようやく口元に微笑を浮かべた。

「ええ、そうね」

 

 

 “円環の理”────

 かつてそう呼ばれた小宇宙は、歪んだエネルギー循環から解放され、内包していた未元物質(ダークマター)が、その中心に向かってゆっくりと、非常にゆっくりと渦を巻きながら、集まっていく。

 やがてその量が一定に達したとき、中心に集まった未元物質は高圧から高温を生み出し、一瞬の核融合反応の後、それによって発生した莫大なエネルギーで、小宇宙に火を点した。

 

 ────ビッグバン。

 

 小宇宙は一気に膨張し、その内包するエネルギーにふさわしい宇宙へと成長する。

 エネルギーを溜め込むだけに存在した、歪んだ小宇宙は、ようやく、エネルギーの循環する正しい宇宙として“生まれた”のだ。

 

 

 ブァァァァァン!!

 今日もツリ駆けモーターの轟音を響かせて、秩父鉄道滝原線400系の上り普通電車が、見滝原駅に進入してくる。

「杏子さん、早くしないと遅れるわよ」

「おくれるぞー」

「わーってるって」

 玄関口からする声に、ドタバタとしながら中から出てくる音が聞こえる。

『1番線、川越市行発車いたします。ドア閉めますご注意ください。駆け込み乗車は危険ですのでお止めください』

 背景で、ツリ駆けモーターの轟音とともに黄色の電車がホームを滑り出て行く。

 巴邸のマンションには、最近2人の同居人が完全にいついてしまっていた。

「忘れ物はない?」

「大丈夫だって。まったく。アンタは小うるさい母親かっつーの」

 問いかけるマミに対して、杏子は口調では煩わしそうに言うものの、顔では歯を見せた苦笑をしている。一方のマミは、そう言われても、ニコニコと穏やかに微笑むばかりだった。

 杏子が出てから、マミが玄関の扉を閉め、持っていたキーで鍵をかけた。

 2人はそれぞれ見滝原中学校の制服を着ていた。

 一方、もう1人の同居人はシャツにショートパンツと言う姿で、真っ赤なランドセルを背負っている。

「さて、じゃあ、行きましょうか」

 3人がマンションのエントランスまで出てきたところで、マミがそう言った。

「おーぅ、がっこういこー」

「行こうって、ゆま、オマエは小学校。小学校はあっち」

 元気良く言ったランドセルの少女に、杏子がどこかぷりぷりとしながら、腰に手を当てて自分たちの通学路とは別の方角を指差した。

「えー、ゆまもキョーコといっしょのがっこういきたいー」

 小さな少女は駄々をこねるように、目をキューっとさせてそう言った。

「だめだ。ちゃんと学校に行けないやつは将来役にたたねーぞ」

 杏子は、そう言って突き放すようにそっぽを向いた。

「うう、わかったよぉ」

 渋々といった感じで、ゆまは杏子の指し示した方へと歩いていった。

「やれやれ」

 杏子は、ため息交じりに頭を掻く仕種をする。

「くすくす」

 その一連のやり取りを見ていたマミが、思わずと言ったように笑い声をもらした。

「なんだよ」

「別に」

 聞き返す杏子に対し、マミは少しだけ意地悪そうにそう言った。

「だ……アタシだって別に行きたくないから行かなかったわけじゃなくてだな……」

「はいはい、そう言うことにしておきましょうか」

 マミはニコニコと笑ったまま、抗議の声を上げる杏子に背を向けて、自分の登校路を歩き出した。

「ってコラ、待てよ、人の話聞けよ」

 杏子は、なおも声を上げつつ、すたすたと歩くマミを追いかける。

 

 見滝原市内には、公には日本の近代気象観測史上始まって以来のスーパーセルの発生によって、主に滝原湖沿岸部に被害の爪跡が残っていたが、それも瓦礫の撤去はすでに進められ、早くも復興は始まっている。

 滝原線のガーター橋も冠水したが、流されるには至らなかった。翌日、死重を搭載した有蓋車を引く、大正生まれの電気機関車が試運転を行った後、その日の午後には全線で運転を再開した。

 

「でも杏子さん」

 マミは、歩きながら、少し不機嫌そうにしている杏子に向かって声をかける。

「ん?」

 杏子が聞き返すと、マミは少し寂しそうな色を顔に出しつつ、訊ねる。

「妹さんとは、一緒に暮らさなくてよかったの?」

「ああ、その話か」

 杏子は軽くため息をついた。

「いちおー、プロテスタントと言ってもクリスチャンの牧師見習い(シスター)だからな。魔法少女なんて傍にいちゃ、まずいのさ」

 杏子は、頭の後ろで手を組んでそこにカバンを提げ、少し反り返るような姿勢で歩きつつ、そう言った。

「そう……」

 マミはそれを聞いて、少し悲しそうな表情をする。

「でも、ま」

 しかし、杏子の方は、あっけらかんとした表情で、

「別に、今生の別れじゃあるまいし、生きてさえいりゃ、話すことだってあるだろ。第一、あいつが危ない目にあったなら、助けに行かなきゃならねーだろうしさ」

 と、ニヤリと笑いながら言い、悪戯っぽくウィンクしてみせた。

「ふふっ」

 

 2人は、市街地から、やがて住宅街沿いへと入る。

「あ、仁美さん」

 マミが先に、その姿に気がついた。

「あっ、マミさん、それに杏子さん」

 マミの視線の先にいた仁美も、2人の存在に気がつき、声をかける。

「おはようございます」

「おはよう」

「よぉっす」

 丁寧に軽く会釈をして挨拶する仁美に対して、マミは穏やかな笑顔で挨拶を返し、杏子は笑顔ながらもぶっきらぼうな言い回しで挨拶を返した。

「あ、そうだ」

 何かを思い出したように、マミがその場でカバンの中に手を入れる。

「これ、仁美さんが以前読みたいって言ってた、御崎さんの本」

 マミは、書店のカバーがかかった文庫本を、仁美に差し出す。

「お借りしてよろしいんですの?」

 仁美は、軽く驚いて、円くした眼でマミを見る。

「ええ、私はもう何回も読んじゃったから」

 マミは、そう言ってにっこりと笑う。

「では、ありがたく拝借いたしますわ」

「ええ、どうぞ」

 仁美は軽く会釈しながら、マミから文庫本を受け取った。

 

 3人は見滝原中学校前の遊歩道に差し掛かる。

 登校する学生の数も増え、話し声で少し賑やかにもなってきていた。

「待ってよー、さやかちゃーん」

 背後から、パタパタと駆けて来る足音がしたかと思うと、良く知った名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

「アンタたちが遅いのがいけないんでしょうがー」

「だからって、こんなに急がなくても、まだ遅刻するような時間じゃないわ」

 やり取りを聞いて、マミたちが振り返ると、その場で駆けるように足踏みするさやかの姿と、それを追いかけるように背後から走ってくるまどかとほむらの姿が見えた。

「そんなこと言ってると、置いてっちゃうよーだ」

 さやかが、冗談交じりにいい、再び学校のほうへ向かって駆け出すが、

「あ」

 と、すぐ前方に3人の姿を見つけて、短く声を上げた。

「おはようございますー、マミさん、仁美、ついでに杏子」

 さやかは、3人の傍まで駆け寄ってくると、はきはきとした声でそう挨拶する。

「ついでってのはなんだついでってのは、ゴルァ」

 杏子が、噛み付くように抗議の声を上げる。マミと仁美はそれを見て、くすくすと苦笑した。

「あぁん? 先輩に向かってそんな口聞いていいのかね、1・年・生・?」

 さやかが、ニタニタと笑いながら杏子の顔を覗き込むようにして、意地悪く言う。

「ぐっ……テメェ!」

 杏子は顔を真っ赤にして、くぐもった声を上げた。

 杏子には小学校の卒業記録はあるが中学校に入学した記録がない。つまり学校に通うということは、中学1年生から、ということになるのだった。

「もう、さやかちゃんも杏子ちゃんも、喧嘩はやめようよー」

 駆け寄ってきたまどかが、あわてて仲裁に入る。

「はいはい。ま、あんまり大人気ないことしてもしょうがないし」

「アタシも、こんなお子ちゃまの相手してる余裕はないもんな」

 一旦はお互いそっぽを向いて憎まれ口をたたくも、すぐに2人そろってぷっ、と吹き出した。

「え?」

 その様子を見ていたまどかが、キョトンとして目を円くする。

「だからさ、こんなのじゃれあいみたいなもんなんだから、本気にするんじゃないっての」

 さやかがケタケタと笑いながらそう言って、まどかの頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと、髪をかき混ぜるように撫でる。

「そうそう、いちいちマジになるなって」

 杏子も、ケタケタと可笑しそうに笑う。

「もー、ひどいよ2人とも」

 まどかが少し拗ねたような声を出した。

「ふふっ」

 そんなやり取りをそれまで黙って見ていたほむらが、微笑ましそうに声を漏らした。

「あー、ほむらちゃんまでひどいんだー」

「あ、ごめんなさい。馬鹿にしていたつもりはないのだけれど」

 ほむらは、笑いつつそう言った。

「ほら、2人とも置いてくよ」

 さやかがそう言った。他の3人も学校の方へと足を向け始めている。

「あ、待ってよ」

 まどかがそう言って、2人もそれに続いていく。

「まどか」

 まどかとほむらが、さやかたち4人の少し後ろに続いて、並んで歩いていると、ほむらがまどかに穏やかに声をかけた。

「なに? ほむらちゃん」

 まどかが聞き返す。

 すると、ほむらはおもむろに、ヘアバンドの代わりになるように留めていた赤いリボンを解いた。

「これ、返しておくわ」

「えっ?」

 ほむらがそう言ってリボンを差し出すと、まどかは軽く驚いた声を出した。

「いいのに……別に」

 まどかは、少し困惑気な声を出すが、

「あるべきものは、あるべき場所に、あるべき姿に」

 ほむらはリボンを差し出したまま、そう言って微笑んだ。

「…………」

 わずかな沈黙の後、

「そっか、そうだね」

 そう言って、まどかはほむらの差し出したリボンを受け取った。

 

 

 “円環の理”と呼ばれた小宇宙が本来あるべき宇宙の姿へと変貌し、その歪んだ機能を止めた後、さやか達が自分たちの宇宙、自分たちの世界に戻ってみれば、そこでは、まるでもともと“鹿目まどかが存在していた”ような世界に変わっていた。

 鹿目家にはまどかの部屋があり、2年1組の教室にはまどかの席があり、家族やクラスメイト達は最初からそうだったように振舞う。

 結局、なにが起こったのかを理解していたのは、あの場にいた魔法少女達だけだった。

 それすらも、さやかとほむら以外からは、風化するように、意識しなければ思い出せないような曖昧なものになりつつあった。

 まどか本人や、さやかやほむらは、最初、居心地悪そうな思いをすることになったが、やがて、逆にそれがあるべき日常だったと、受け入れられるようになっていった。

 

 

「それじゃあ、また昼休みにでも」

「ええ」

「じゃあな」

 昇降口で、学年の違うマミと杏子が別れる。

 同級生の4人は、それぞれ自分の下駄箱に向かう。

「あら」

 仁美が下駄箱を開けると、また洋風の封書が入っていた。

「あはは、さすが仁美。衰えないねぇ」

 さやかは、仁美が下駄箱に仕込まれたラブレターを取り出すのを見て苦笑しつつ、自分の下駄箱を開ける。

「…………」

 その中を覗き込んで、さやかは一瞬凍りつくように静止した。

 下駄箱に何もせずに、その扉を一旦閉じる。

「…………?」

 一旦小首を傾げてから、再度下駄箱の扉を開けた。

 下履きを収める場所に、洋風の封書。背面には「美樹さやかさんへ」の文字。

「えーと……これは……」

 さやかは、それを取り出して、半ば呆然としたように凝視する。

「うわー、さやかちゃん、凄いなぁ」

 明らかなラブレターを、さやかが取り出すのを見て、まどかが驚いたように声を出す。

「ま、まぁ割と物好きもいるってことなのかな?」

 さやかは、視線を宙に泳がせつつ、照れくさそうにしながら言った。

「そうじゃありませんわよ」

 そのさやかの背後で、仁美が上履きを履きながら、言う。

「え?」

「要は、フリーになったと思われてるんですわ」

 間の抜けた声で聞き返すさやかに対して、仁美は少し意地悪そうな微笑を浮かべて言い、ウィンクした。

 

『やあ、おはよう、さやか、仁美』

 教室に入ると、さやかの机の上に、良く見知った不思議な白い小動物がいた。

「あ」

 それを見つけるなり、さやかはバタバタと自分の席に駆け寄り、

『何でこんなトコにいるのよ。アンタ! 本星に帰ったんじゃなかったの!?』

 と、掴みかかるようにして、テレパシーで問い詰める。

『いや、報告は済ませたよ?』

 たじたじと後ずさりしかけながら、サッきゅんは答える。

『言っただろう? この身体はネットワークで接続された端末だって。別に物理的に移動する必要はないんだ』

『なるほど……って、でも、アンタがここにいる必要はないでしょーが!』

 さやかは一瞬納得しかけて、我に返り、さらに問い質す。

『何言ってるんだよ。地球は、まだまだ回収しなきゃいけない感情エネルギーでいっぱいだよ? むしろ収束に向けては、これからが本番さ』

「えーっ!?」

 サッきゅんが答えると、さやかがどこかうんざりしたように、直接声を出した。

『オマケにボクは地球の状況を観察して報告する、サッキュベーターの管理官を拝命──めでたく中間管理職ってわけ』

『は、アンタもいろいろ大変なのね』

 さやかは、机に手を突いてもたれるようにしつつ、やぐされたようにそう言った。

『そういうわけで、これからもよろしく、さやか』

『ま、アンタがいようがいまいが、あたしは“正義の味方”の役割を放棄するつもりはないけどねー』

 さやかは、そう言いつつ、がっくり脱力するように椅子に腰を下ろした。

「あら……」

 仁美が、教室の後ろの扉を見て、声を上げた。

「あ、上条君だ」

 仁美の声に、まどかもその視線の先を追い、言う。

 そこには、すでに松葉杖も取れた上条恭介が、クラスメイトの男子と談笑しながら入ってくる姿があった。

「上条くん、この前バイオリンのコンクールに出たのですけど、あまり成績がよろしくなかったようで……」

 仁美が、心配そうな表情と声で言う。

「あらら」

 さやかも、恭介を見ながら苦い表情をした。

「でも、それにしては、ずいぶん元気そうな顔をしてない?」

 まどかは意外そうにそこまで言って、

「無理、してるのかな」

 と、やはり心配げに目を細めてそう言った。

「逆じゃないかしら」

 ほむらがそういうと、他の3人が一斉に視線を向ける。

「彼にとって、バイオリンは一種の呪縛だったのよ。それに固執しなければならない、ね」

「呪縛……」

 さやかと仁美が、そろって重々しく言う。

「誰かに褒められてそれが嬉しかったとか、そういう思い出が彼をバイオリンに縛り付けていたのよ。それが解放されて、自然な形で楽しめるようになったのでしょうね」

「誰かに、ねぇ」

 呟くさやかに、仁美が、穏やかな、しかしどこか寂しそうな表情で視線を向けた。それから、ふぅ、と軽くため息をついた後、穏やかな笑顔になって、さやかに問いかける。

「それで、さやかさんは、どうしますの? 改めて、上条君に?」

「えー……」

 さやかは、問いかけに対して少し困惑したような声を出し、一旦視線を外して、逡巡するようにする。

「あんな甲斐性のないやつ、あたしは、考えちゃうなぁ」

「あー、さやかちゃん、酷いんだー」

 苦笑気味にそう言ったのは、まどかだった。

 

 

 夜。

 既に駅前商店街も、24時間営業のコンビニ以外は、灯りを消した後。

『川越市行最終電車、発車いたします。ご利用のお客様は────』

 移動しているわけでもないのに、黒い霧があたりを包み込むのとともに、駅から聞こえてくる構内放送の声と、電車の走行音が遠ざかるように薄らぎ、消えていく。

 目前には、まるでミイラのような姿をした、魔獣の姿。

「よかった、どうやら間に合ったみたいだね」

 魔法少女姿のサッきゅんが夜の闇の中から姿を現し、そう言った。

「呼ぶのが遅いのよ。もうちょっとで間に合わなくなるところだった」

 さやかが抗議の声を上げる。

「しょうがないだろ、観測情報をまとめて本星に送る作業だって忙しいんだから」

「はいはい、中間管理職は大変ねー」

 サッきゅんはそう言い訳する。さやかは手をひらひらさせながら投げやりに言う。

「ま、気を取り直して」

 さやかはそう言って、ソウルジェムの指輪を本来の姿に変える。

「行くとしますか!」

 青衣の戦士は、左右の手に剣を生み出すと、颯爽と魔獣の群れに向かって行った。

 

 

 そして、時は進みだす。

 

 

【魔法少女さやか☆マギカ:了】


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