「ところでサッきゅん、さっきの魔獣以外に誰かに追われてたみたいだけど……」
マミは、話題を切り替えるようにして、サッきゅんに顔を向けると、心配6割怪訝さ4割と言った感じの表情になって、問いただした。
「ボクにも何がなんだかわからないんだ。あの子も魔法少女みたいだったけど、なんだかわけのわからないことを言うし、こっちの言うことは全然聞いてくれなくて、いきなり攻撃してきたんだよ」
サッきゅんは頭を抱えるようにして、困惑に軽い混乱の入った様子で嘆くように言う。
「ふぅん……」
マミも怪訝そうに目を細める。
「あいつ、ウチのクラスに今日転校してきたやつなんですけど」
さやかは、頭の後ろに腕を組むポーズで、マミに言う。
「なんてゆーか、何考えてるかわかんないやつで、なんかあたしにちょっかいかけてきては、サイコや電波なことばっか言うんですよ」
そう言って、ため息をついた。
「って、もしかして、あいつも魔法少女?」
言ってしまってから、さやかは、はっと気付いたように、気まずそうな表情をした。おずおずとマミに視線を向ける。
「ふふっ、大丈夫よ」
さやかが失言のと思ったその言葉を聞いて、しかし、マミはニコニコと穏やかに笑ったままだった。
「とにかく、いろいろと説明しなきゃならないこともあるようだし、場所を変えましょう?」
マミがそう、提案するように言った。
「こんなところで立ち話もなんだし、結界も張ってないから、他に人が来たら困るし……」
「そうだね」
サッきゅんは、短い言葉で肯定した。
戦前、とある二大財閥のすったもんだに翻弄された挙句、戦後になって沿線のセメント会社に助けを請うた結果出来上がった“秩父鉄道”東上線。
その東上線川越市駅から分岐し、見滝原市をほぼ東西に貫き、隣接する滝元市の武蔵滝元駅までを結ぶ、滝原線。
東上線、秩父本線をいまだに席巻する500系や指定席急行用の300系も昭和30年代設計のロートルだが、支線の滝原線は、線内運転用に、旧型車の部品にその500系と同型の車体を被せただけの、400系が、ツリ駆けモーターの轟音を立てて走っている。
もともと他の首都圏大手私鉄より経営基盤が強くないところへ持ってきて、貨物輸送により多くのウェイトを置いているせいである。もっともその貨物輸送にしたところで、機関車は最も新しいもので昭和42年製が1両だけ、中には大正生まれの骨董品も現役という有様なのだが……
────閑話休題。
その400系の走る轟音が裏手に響いてくる、見滝原駅前近くのマンション。高級と言うほどではないがアパートと言うには質感の良い建物。間取りは1DK。
……あれ?
玄関に駆けられていた表札を見て、さやかは少しだけ怪訝そうに思う。それには「巴マミ」とだけ書かれていた。
「遠慮しないで上がって。大したおもてなしができるわけでもないんだけど……」
「お邪魔しまー……す」
遠慮がちに言うマミに誘導される形で、さやかは軽く頭を下げながら玄関をくぐる。
やや手狭なダイニングを抜けて、案内された洋間の室内には、マミのベッドと、ミニカーペットにガラストップのテーブル。他にも、ファンシーな、いかにも少女らしい調度品が置かれている。
「うわぁ……素敵」
さやかは思わずそう漏らす。
「ふふっ、ありがとう」
マミは嬉しそうに微笑んだ。
「でも──」
さやかは、感心してような表情で周囲を見回していたが、マミに視線を向けて言う。
「マミさん、1人暮らしなんですか?」
「ええ、いろいろと事情があって、ね」
さやかの問いに、マミは優しげに微笑みつつもどこか寂しそうに答えた。
「だから、遠慮しないでくつろいで」
「あ、はい……」
さやかは、マミの言葉に困惑気にしつつ、そのマミに明るく取り繕ったように言われて、おずおずと、テーブルに向かって腰を下ろした。
「本当に、たいしたものでなくて悪いのだけれど」
そう言って、マミが用意した紅茶とケーキが、さやかの前にも運ばれてくる。
「い、いただきます」
さやかは少し萎縮しつつも、ケーキをデザートフォークで一口に切り、口に運んだ。
「うまっ」
その、レモンのレアチーズタルトを味わったとたん、さやかは、それまでの軽い緊張感を忘れて、思わずそう声に出していた。
「美味しいですね、これ。どこで買ったんですか?」
さやかは、好奇心旺盛そうな目でタルトとマミを顔とに交互に視線を向ける。
「ありがとう。ふふっ、私の手作りなのよ」
マミは何処か照れくさそうに笑う。
「へぇ、すごいですね」
さやかは好奇心旺盛に声を上げる。
「お世辞でも嬉しいわ」
「あや、本当ですって。あ、できたらつくり方、教えてもらって良いですか?」
「良いけど、ちゃんとしたオーブンある? 電子レンジの簡単なのだと、上手く生地焼けないわよ?」
「あちゃ、うちの安物だからなぁ……」
苦笑しながらマミが言うと、さやかは、苦笑しながらおどけまじりに頭を抑えてみせた。
「コホン」
話題が途切れたところで、マミが軽く咳払いをした。
「それじゃあ本題に入るわね、魔法少女の事、それと魔獣の事」
「あっ、はい」
マミの言葉に、さやかはすっかりはしゃいでしまっていた自分を少し恥じながら、姿勢を正した。
「さっきも見たと思うけど、これ」
マミがそう言うと、その右手の中指に嵌められていた指輪がポンッと音を立てて姿を変え、黄金色の宝石を抱えた王冠のような、小さな置物のようなものに変わる。
それはただの宝石のようにも見えたが、中にキラキラと銀色の星のようなものが降り注ぐようにきらめき、何処か神秘的な美しさを見せていた。
「きれい……ですね」
さやかは、それに見とれつつ、思ったままに口にした。
「これはソウルジェム。魔法少女としての……魂の源よ。サッきゅん──SQに選ばれた女の子が、契約によって手にする宝石なの」
「そこから先は、ボクが説明するよ」
マミが言うと、サッきゅんがそれを受け継いだ。
「とりあえずソウルジェムについて説明する前に、魔獣のことから説明するね。その方が順番的に解かりやすいと思うから」
「うん」
サッきゅんは、さやかが頷くのを待って、更に続ける。
「魔獣っていうのは、悲しみや絶望、憎悪に付け入られた人間が、生み出したり、変貌したりするものなんだ。元が女性の場合は、魔女とも言うんだけど」
「生み出したり、変貌……?」
サッきゅんの言葉に、さやかは愕然としたように、ゆっくりとその言葉を反芻した。
「そう、人間の心に宿る、負の感情が持つエネルギーを利用して実体化する代物なんだ」
サッきゅんはそこまで説明して、少し難しそうな表情になった。
「でも、それを放置しておくと、放出されるエネルギーが…………えーと、さやかの年齢だと、まだ熱力学の法則は習ってないよね……?」
「簡単に言えば、魔獣を倒して、それを生み出したエネルギーを回収するのが、魔法少女の役目なの」
言葉を詰まらせるサッきゅんに代わって、マミがそう説明した。
そして、再びサッきゅんが説明を続ける。
「ただ、生身の人間の身体のままじゃ、魔獣や魔女との戦いの為の能力(ちから)が無いだけじゃなくて、回収するエネルギーの莫大な量にも耐えられないからね。だから、魔法少女って言うのは、生身の人間とは違う存在になる」
「な、なんだか重い話……」
サッきゅんやマミはあっけらかんと説明するのだが、それを聞いたさやかは少し笑みを引きつらせた。
「もちろん、ただでとは言わない」
サッきゅんが苦笑するように言った。
「魔法少女になって戦う運命を背負ってもらう代わりに、ボクらは契約してくれる相手にひとつだけ奇跡を起こす事ができるんだ。どんな願いでもかなう奇跡を」
「────っ!?」
ドクン。
サッきゅんのその言葉を聴いた瞬間、さやかの中で何かが反応した。
「どうしたの?」
一瞬、文字通りに凍りついたかのように動きを止めたさやかに、マミが心配そうに小首をかしげながらたずねる。
「あ、いえ、なんでもないんです」
さやかは引きつった苦笑でそれを誤魔化してから、
「奇跡って、例えば金銀財宝とか、不老不死とかも?」
と、サッきゅんに向かって問いかけた。
「できないことはないね」
サッきゅんは即答する。
「それじゃあ──」
さやかは急に、視線を2人から逸らし、床に這わせた。
「例えば、……その、好きな人を、振り向かせる事とかも?」
さやかは、顔をほんのりと紅くしつつ、もじもじとするようにしながら言う。
しかし、それを聞いたサッきゅんとマミは、顔を見合わせて、軽くため息をつく。それから、2人そろって視線をさやかに戻した。
「それは確かに、かなえられない願いじゃないけど……」
「そう言った、自分でするべきことに契約の願いを使うのは、感心しないわ」
困ったように言うサッきゅんに続いて、マミが、批判と言うか、言い含めるような口調でそう言った。
「あ、べ、別に、た、例えばの話ですよ、例えばの」
2人の態度を見て、さやかは顔をさらに真っ赤にしつつ、わたわたと手を振りながらそう言った。
「とにかく──ボク達が魔法少女と契約するのはそれが理由なんだけど、もちろん、直接的な危害もある。今日の魔獣のように、直接暴れまわって破壊するモノもいれば、人の負の感情を増大させて、自殺させたり、逆に他者に危害を加えさせたりもする」
「世間でよくある、理由のはっきりしない自殺や殺人事件は、かなりの確率で魔獣や魔女の呪いが原因なの」
サッきゅんが気を取り直したように説明し、マミがさらに付け加えた。
2人の言葉に、さやかは自分を襲ってきた、巨大なカマキリ形の魔獣の姿を思い出し、身の毛をよだたせた。
「そ、そんな恐ろしいものと戦ってるんですか……」
「そう、見た目だけだと綺麗でかっこいいかもしれないけど、実際には死と隣りあわせなのよ。だから、契約するかどうか、契約するときにどんな願いをかなえてもらうのかは、慎重に考えたほうが良いわ」
「ボク達としても、生半可な覚悟や簡単な願いのために契約しても、本末転倒ってことになりかねないからね」
さやかが思い口調で聞き返すと、今度はマミがそれに答え、サッきゅんがそれに付け加えた。
「うーん、確かにめったに無いチャンスではあるけどねぇ」
さやかは、唸るようにして呟きつつ考え込んでから、ふと気がついて視線をマミに向けた。
「そういえば、マミさんの他に魔法少女はいるんですか?」
「ええ、大体、人の集まるところには何人かの魔法少女がいるわ。そう言うところは、魔獣が生まれやすいから」
さやかの質問に、マミは表情を穏やかな笑顔に戻して答える。
「それで、結局、あの転校生も魔法少女なんですか?」
「うーん」
マミに向けられた質問だったが、唸り声を上げたのはサッきゅんの方だった。
「確かに彼女は魔法少女だよ。しかもかなり強い力を持ってる。でも、よく解からないんだ」
「よく、解からない?」
困惑気なサッきゅんの答えに、さやかは小首を傾げて反芻する。
「彼女は明らかにボクを狙ってたんだ。でも、彼女の言うことはボクには何がなんだかわからないし、恨まれる覚えもないんだよ。でも、正気を失ってるわけでもなかった」
「うーん、結局理由はわからずじまい、って事か……」
サッきゅんの言葉に、さやかも少し深刻そうな表情になった。
「ただ────」
「ただ?」
マミとさやかがそろってサッきゅんを注視する。声を出したのはマミの方だった。
「ボクを何かと勘違いしてたみたいではあったね。それがなんなのかはわからないけど」
「そう……」
マミはそう言って、少しだけ憂鬱気にため息をついた。
「でも、結局つまるところ、魔法少女、って、やっぱり正義の味方なんですよね?」
重くなりかけた空気を振り払おうと、さやかは気を取り直したように、マミに向かって訊ねる。
「ええ、もちろんよ」
マミはにっこりと笑ってそう答えた。
「うーん、さやかちゃんとしては大いに悩むなぁ。正義の味方はやってみたいし、願い事が何でもかなうっていうのも美味しい話だし……」
少しおどけたような口調で、マミはそう言った。
僅かな沈黙の中を、タタン、タタンと電車の走るジョイント音が響いてくる。こちらは近代的なWNドライブ、もしくは直角カルダン駆動の音。都営三田線直通の、西馬込~武蔵滝元間の快速電車の音。
「それなら──さやかさん、しばらく私の魔獣退治に付き合ってみない?」
マミは微笑みつつ、どこか期待したような眼をさやかに向けて、そう言った。
「ええ!? いいんですか?」
さやかは驚いて聞き返す。
「ええ。よほど強い魔獣じゃなければ庇えないことはないし、魔法少女がどんなものか、自分自身で知ってみたら良いと思うの」
「それに、もし危なくなったらボクもフォローするから!」
マミが言い、サッきゅんが手を上げながらそれに付け加えた。
すると、さやかは真摯な瞳をマミに向ける。
「あのっ、よろしくお願いします」
ジリリリリリリリリ……
クラシックなスタイルの目覚まし時計を、半ば無意識に止める。
「ん……夢……?」
さやかがそう呟くと、
「おはよう、さやか!」
「…………じゃ、なかったか」
と、聞こえてきた元気な挨拶に、やや力の抜けた声でさらに呟いた。
「よいっ、しょっ、と……」
眠気を振り払うようにして、ベッドから身を起こす。
「行ってきまーす」
いつものように、特に時間に切羽詰っているわけではないけれども、家を出てランニングするように小走りにパタパタと駆けて、学校に向かう。
「それにしてもアンタ、マミさんと一緒にいなくていいの?」
走るさやかの頭の上に乗って、だらりと伸びているサッきゅんに、さやかは視線を上げるようにしながらそう訊ねた。
「今はマミより、さやかのフォローに回っていたほうがいいからね」
「そう言うものかな」
サッきゅんの答えに、さやかは微妙に納得しきれていないような表情をした。
いつもの登校路。
いつも、1人で通る道。
いつも通り過ぎる、旧くからの住宅地と新興住宅地とが合流する、小さな交差点。
「…………」
さやかは、やはり今日もそこで脚を止めてしまった。
「どうしたの?」
急に立ち止まったさやかに、サッきゅんが怪訝そうに聞いてくる。
「あ、ううん。なんでもないの」
さやかはそう言って、再び登校路を歩き始めた。
そして、いつもの、学校前の遊歩道。
「さやかさん」
今日は、さやかの方が背後から声をかけられた。
仁美の声に、さやかはびくっと背を跳ねさせる。
「あ、お、おはよう、仁美」
さやかは、頭の上に乗っているモノを気にしつつ、ぎこちなく振り返って仁美を見た。
『大丈夫。今は、さやか以外の人間には見えてないから』
さやかの、耳に、ではなく、頭の中に直接、サッきゅんの声が聞こえてきた。
『そうなんだ……って、これ、なに? テレパシー?』
『そう言って差し支えないかな』
さやかが声に出さずに言うと、やはりサッきゅんからの答えが返ってきた。
『あたしにも……もうそんなにマジカルな力が?』
『あ、いや、今はボクが中継してるだけだからね?』
自分の手を見るようにして、軽く驚いたような態度をとるさやかに、サッきゅんはじとりと汗をかきながらそう説明した。
「どうかなさいましたの?」
1人芝居状態のさやかを怪訝に思ったのか、仁美が小首をかしげながら問いかける。
「あ、いやいや、別になんでもないの」
さやかは、慌てて仁美に向き直りなおして、パタパタと手を振って誤魔化した。
さやかと仁美は2人並んで、既に直線上の視界に見えている校舎へと向かう。
「ねぇ、仁美」
「なんでしょう?」
さやかが、空を見上げるように軽く背を逸らす姿勢で歩きつつ、訊ねる。仁美はそんなさやかを覗き込むようにして、聞き返した。
「もし、なんでも願い事がひとつかなうとしたら、どんなことをお願いする?」
「なんでも、ですか?」
さやかの問いかけに、仁美は一旦返事をしてから、口元に指を当てて考え込む。
「そうですわねぇ……強いて言うなら……」
「強いて言うなら?」
「世界が平和でありますように、でしょうか?」
仁美はそう答えて、にこりと微笑んだ。
「へぇ、仁美って……ううん、仁美らしいのかな」
さやかは意外そうに言いかけて、考え直したように笑った。
「特に望むものが無いわけじゃないですけれど、自分の手でかなえられるものは、そうしたいじゃないですか」
「なるほどねー」
仁美の答えに、さやかは一度は感心したようにそう言ったものの、
「お嬢様の考えることは小市民とはやっぱり違いますなぁ」
と、茶化すようににやりと笑って付け加える。
「もう、からかわないでくださいまし」
流石の仁美も表情を険しい笑みにして、比較的にだが荒い声で言い返した。
「そういうさやかさんは、何かそう言う願い事がありますの?」
「んー……、ないことも、ないんだけどね?」
仁美の問い返しに、さやかは半ば誤魔化すように言う。
「それはひょっとして、恋の悩みだったりいたしません?」
「なっ」
仁美の言葉に、さやかはあからさまに狼狽する。
「何言っちゃってるのかな? そ、そんなんじゃないってば」
「ふふふ、顔に出てますわよ」
「ち、違うってばぁ」
仁美の追及に、さやかはムキになって否定する。
「もうっ、仁美こそ、からかわないでよっ」
「あらあら、それは失礼いたしました」
口ではそう言いつつも、仁美はくすくすと可笑しそうに笑っていた。
教室にたどり着き、さやかが自分の席に着くと、サッきゅんはすとん、と、そのさやかの机の上に降り立った。
『さっき仁美が言ってたような願い事もありなの?』
『ちょっと難しい、ところかな』
さやかのテレパシーでの問いかけに、サッきゅんはそう答える。
『不可能って言うわけじゃないよ。ただ、つまり──システム上、魔獣と魔法少女に関わる事には干渉できない。つまりそれは例外になっちゃうってこと』
『なるほどねー』
さやかが視線を天井に上げて、感心したように心の中で言った時。
ガラガラと、教室の後ろの扉が開いて、長髪の女生徒が入ってきた。
『う、まずっ』
ちらっと振り返ったさやかは、入ってきた女生徒──暁美ほむらの姿を見て、表情を歪ませて前に向き直る。
『ナチュラルにアンタついてきちゃったけどさ、まずいんじゃない? 転校生、このクラスだよ? 命狙われてんでしょ?』
『大丈夫、こんな人の多いところで実力行使には出てこないだろうから』
憔悴するさやかに対し、サッきゅんは平然とそう答えた。
『それに、マミもいるし、学校の方が安全だと思うな』
『マミさんのクラス、3年だから遠いよ?』
『大丈夫、話は聞こえてるわ』
さやかとサッきゅんがやり取りしていると、そこに割り込むようにして、マミの声がさやかの頭の中に聞こえてきた。
『わ、マミさん!?』
突然聞こえてきたマミの声に、さやかは慌てて挨拶をする。
『お、おはようございますっ!』
『おはよう』
マミは返事をしてから、
『ちゃんと見守ってるから安心して。それに、サッきゅんの言うとおり、人前で襲ってくるような真似はしないはずよ』
『なら、いいけど……』
そう言いつつも、心配げにちらちらとほむらの様子をうかがう。
ほむらの方もさやかの視線に気付いたのか、さやかの視線にあわせて、ギロッ、と睨み返してきた。
なんなのよ、アイツ。
さやかはテレパシーにも飛ばないように、心の中で毒ついた。
「結局、今のところ特に願い事が思い浮かばないな~」
昼休みの屋上。
校庭がそれほど広くない分、高いフェンスで覆われつつ解放されているそこで、さやかはくつろぎながらそう呟いた。
「あんまり性急に決めない方が、ボク達としてはありがたいんだけどね」
さやかが行儀悪く床に腰を下ろし、フェンスにもたれかかっているその横で、ちょんと座ったサッきゅんが苦笑する。
「でも、魔法少女になってくれる女の子がいないと困るんでしょ」
「まぁ、それはそうなんだけど……」
さやかに問われて、サッきゅんは難しそうに答える。
「そういえば……」
『そういえば、マミさん』
さやかは声に出して呟きかけ、それからテレパシーに切り替えた。
『なにかしら?』
この場にはいないマミから、返事がくる。
『マミさんは、いったいどんな願い事をかなえてもらったんですか?』
『ちょ、さやか、それは……』
さやかがマミに訊ねると、マミより早く、サッきゅんが慌てたような言葉を発した。
『いいのよ、サッきゅん』
マミは、その笑顔が見えるかのような穏やかな口調で言う。
『私がかなえてもらった願い事は──』
「!」
マミの答えを聞く直前、さやかはその人影に気付いて表情を険しくした。
『まって、アイツが来た』
マミを止めながら、さやかは腰を下ろしたまま、上目遣いの姿勢でほむらを睨みつける。
「なんの用だよ、昨日の続きか?」
「勘違いしないで」
対するほむらの態度はやはり刺々しいものだったが、昨日と比べて幾分攻撃的な態度が消えたようにも見えた。
「私はあなたのことなんかどうでもいいの。だから、あなたが敵になるなら容赦しない」
「喧嘩売ってるのは、どう見てもそっちに思えるんだけど?」
ほむらの言葉に、さやかは低い声で言い返す。
「そう。でも本当のことだから」
「じゃあ、何でわざわざちょっかい出しに来るのさ」
「そうね……」
さやかの問いに、ほむらは一瞬だけ沈黙を置いてから答える。
「悲しむからよ」
「え?」
意外な言葉に、さやかは毒気を抜かれたように、目を円くしてほむらを凝視する。
「それだけ。だから、出来ればそいつの甘言に乗って欲しくないし、天秤を傾けるような真似はしてほしくないの」
さやかはわけが解からないまま、ほむらは続ける。
「ただ、それは私にとっては二の次でしかない。それだけのことよ」
言いたい事を言い終えた、というふうに、ほむらは踵を返すと、そのまま屋上を後にした。
さやかは、ただ呆然と取り残される。
「なんなの……あいつ」
キーンコーンカーンコーン……
鐘の音を再現する電子音が、市立見滝原中学校に放課を告げる。
「それでは帰りましょうか、さやかさん」
「あ……」
さやかがカバンに机の中身を詰め込んでいると、既に支度を終えた仁美が近寄ってきて、声をかけた。
「ごめん、今日はちょっと約束があるから」
さやかは、申し訳なさそうに苦笑して断った。
「そうですか、それは仕方ありませんわね」
仁美の方も、残念そうに苦笑した。
さやかが仁美を見送ると、その彼女が出て行った教室の後ろの扉のもとに、さやかが昨日知ったばかりの顔が見えた。
その顔が、にこりと穏やかに微笑む。
数十分後、さやかとマミの姿はショッピングセンターのファーストフード店にあった。
「それじゃあ魔法少女体験コース、行ってみるけど、準備は良い?」
さやかとテーブルを挟んで向かい合うマミが、やさしげに微笑みながらそう言った。
「うむ、どんと来い」
さやかはそう言うと、悪戯っぽく笑いながら、布袋に包まれた長尺物をその脇から持ち上げた。
「さっき体育倉庫から拝借してきました」
さやかは、金属バットをかざすようにして、マミに見せる。
「うん……まぁ、意気込みは良いわね……」
マミは、どこか辟易したような、呆れたような顔をした。
────ドクン。
「…………」
さやかはキョロキョロと辺りを見回した。
「どうか、したの?」
「はっ」
怪訝そうにするマミの声で、さやかは我に返った。
「べ、別になんでもないんです」
慌てて手を振り、誤魔化すように言う。
「そう、それならいいけど」
マミはそう言って苦笑した。
「それじゃあ、準備も整ったし、行きますか」
「ええ、行きましょう」
2人はそう言って、既に空になったトレイを手に立ち上がった。
「サッきゅん、反応わかる?」
ショッピングセンターの、改装エリアの入り口。
マミがそう声をかけると、その肩に乗っていたサッきゅんがすたっと床に飛び降りた。
ちりん。
その、ネコのそれのような耳の右側につけていた、ピアスで止められていた小さい、白い鈴のような物が澄んだ音を立てた。
「大分反応は弱まってるね。ちょっとボクじゃトレースしきれないかも」
「そう……」
残念そうにするサッきゅんの言葉を聞いて、マミは軽くため息をつく。
「昨日、取り逃がしたのが痛かったわね」
マミは落胆したように言った。
「取り逃がした、って? 昨日の魔獣は、マミさんが……」
さやかは不思議そうな顔をしてマミを見る。
「昨日のは、人の負の感情が生み出した魔獣。でも、その根本の実体じゃないんだ」
「解かりやすく言うと、魔獣を生み出しているその呪いを叩かないと、意味がないの」
サッきゅんが言い、マミがそれを噛み砕くように説明した。
「な、なるほど」
さやかは理解できたような、しきれていないような返事をする。
「距離が離れてるとなると、ボクがやるよりマミがやった方が確実かもしれないね」
「ええ」
サッきゅんがマミを見上げてそう言うと、マミは右の中指に嵌められていたソウルジェムの指輪が、宝石を抱える王冠をのような姿に変化する。
美しく輝いていたはずのソウルジェムが、今はその輝きが暗くなったりして、明滅している。
「光の加減が変わってるでしょ? これが昨日、ここで昨日、魔獣を生み出した人の、負の感情に対する反応なの」
マミの説明に、さやかは凝視するように、マミの手の中にある黄金色のソウルジェムを覗き込んだ。
「基本はこの反応を頼りに、魔獣を生み出しているその呪いの存在を追うのよ」
「あー……結構地味……」
苦笑気味のマミの言葉を聞いて、さやかは疲れたような笑みを作って言った。
チカチカと明滅するマミのソウルジェムを注視しつつ、2人はその場から歩き出した。
「…………」
そして、それを見ている一対の視線があった。
「あれは……ソウルジェム? どうして……?」
さやかとマミの2人は、ショッピングセンターを出て、見滝原市の駅前市街地を歩く。
「昨日も言ったけど、魔獣の呪いで起こるのは、交通事故や傷害事件……それに、自殺なんかが多いわ。だから、そう言う事が起こりやすいところを重点的にチェックするの」
歩きながら、マミが説明する。
「それに病院。身体的に弱っていて、なおかつ負の感情を溜め込んでいる人が多いから、そこに魔獣の呪いが紛れ込むとかなりまずいことになる。注意したほうが良いわ」
「病院……」
その単語を聞いて、さやかの表情が俄かに曇った。
「美樹さん、最近そう言う、自殺が増えたとか言う場所、知らないかしら?」
「えっと……」
マミに訊ねられて、さやかは一旦脚を止め、腕を組んで考え込むポーズをとり、唸った。
「あ、そういえば」
カンカンカンカンカンカンカンカン……
警報機の単調な音が鳴り響き、遮断機が降りる。
それは、見滝原市ほど程度の街なら普通にある、鉄道路線の踏切。
ただ、普通の光景と少し違うのは────
「この踏切、最近飛び込み自殺とか、自動車が立ち往生する事故がここ数日立て続けに起こってるんですよ。それで電車がしょっちゅう遅れてるって」
さやかは、Webのブログやtwitterで見かけた記事と、同級生達の噂話とを重ねつつ、手振りを加えて説明する。
『また見滝原第1踏切の事故で抑止ktkr』
『いい加減にしろよ。また三田線巻き添えじゃねーか!』
『今日も川越市で足止め中@滝原線快速下り』
『電車ボロすぎんだろいい加減廃車しろ』
『あそこ、今オタが多いからそのせいなんだろ』
上り線を、線内運転の400系6連が、床下からつりかけ式モーターの轟音を響かせながら、見滝原駅に向けて走ってくる。
普通と違う光景、それが、走ってくる電車に向けられる、三脚に立てられた、1眼レフカメラの、望遠レンズの砲列だった。
ブァァァァァンッ!!
接近しすぎている撮影者に、電車は激しくタイフォンを鳴らして警告する。
「!」
マミのソウルジェムの明滅が、急に早くなる。
2人の傍を、1人の、20代後半ぐらいの青年が、ジュラルミン製のカメラバッグを背負って、歩いてくる。
「あなた──」
その青年が2人の背後を歩き過ぎようとした時、マミは振り返らずに、さやか達に対するものとは明らかに異なる、剣のある声を彼に向かって発した。
「そのケースの中身、一体なんですか?」
「な……」
青年は反射的に立ち止まり、その場でマミに向かって身構えた。
「ちょ、ちょっとマミさん?」
さやかも、マミの態度に驚き、思わず顔色を変えて声を上げる。
だが、マミと、その肩に乗っているサッきゅんは、冷静そのものの表情で、青年を振り返った。
「な、何を言ってるんだ君達は……そんなの、見れば解かるだろ……」
青年は明らかに狼狽しながら、カメラバッグを庇うように抱えなおす。
「だったら、その中身をボク達に見せる事も出来るよね?」
サッきゅんが言った。
普通、わけのわからないぬいぐるみの様な生き物が喋ったら、それに対して驚くだろう。
だが、青年は、それに驚いた様子はなく、マミたちの方を向いたまま、じりじりと後ずさりしていくだけだった。
カンカンカンカン……
警報機が鳴る。遮断機が下りる。
今度は下り線を、400系とは隔世の感のある、三田線乗り入れ用ピカピカの軽量オールステンレス車体にWNドライブのVVVFインバーター制御車、2000系の8連、終点の武蔵滝元行快速が軽やかに加速しつつ、踏切に差し掛かる
「うわ、うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
電車が踏切にかかった瞬間、青年は奇声を上げつつ、マミに向かってカメラバッグを放り投げた。
その次の瞬間、マミのソウルジェムから、黄金色の光の束が放たれ、リボンのように舞う。
フタのロックを外された上体で放り投げられたカメラバッグから、無数の、ミニチュアライズされた一眼レフカメラが飛び散る。
黄金色の光るリボンが、その飛び散った小さなカメラを片っ端から受け止め、空に跳ね飛ばした。
チュドォォォンッ
「ば、爆弾!?」
さやかはそれをみて、驚愕に目を円くする。
カメラのミニチュアに見えたそれが、爆発したのだ。しかも、花火というレベルではない。充分な破壊力を持つだろう威力だ。
「やっぱり、あなたが“呪い”の大元ね」
マミがそう言うと、黄金色のリボンが巨大な布になって、あたりを覆った。
覆われた空間は、色を失い、真っ黒なキャンバスに白墨で描いた線画のような光景になる。
警報機の音は止み、遮断機は降りたまま。行きかう人の動きも、踏切の上の電車も、ぴたりと動きを止めている。
「俺が悪いんじゃないんだ……」
青年は、頭を抱えて振り乱しながら叫ぶ。まるで、マミやさやかたちの姿は眼に入っていないかのようだった。
「みんな、ミンナ、ミンナホカノヤツラガカッテナノガワルインダァァァァァッ!!」
まるで、ムンクの「叫び」のような姿勢で青年が身を逸らしたかと思うと、その背が異様に伸び、そして姿さえも人のものではなくなっていく。
「ひっ……」
さやかは息を呑んで、一歩後ずさりした。
マミのソウルジェムから黄金色の光の束が放たれ、それがマミの身体を包む。
マミの姿が魔法少女のものになったとき、青年もまた異形の怪物へと変化していた。
身体を構成するのは線路。
その両手、そして頭は1眼レフカメラになっていた。
ぎょろり。
異形の頭部であるカメラが、そのレンズをさやかに向けた。
「危ない!」
「うわっ」
巻き込むようにして、マミはさやかごと転げた。
次の瞬間、カメラの頭部に備わったストロボから、光が放たれた。つい一瞬前までさやかの立っていた場所が、その光を受けて、炙られたようにぷすぷすと煙を上げる。
「マミ! さやかの事はボクに任せて!」
「へ?」
サッきゅんはそう言って、マミの肩からさやかの肩へと飛び移る。そのストンと言う衝撃を受けて、さやかは間抜けな声を出してしまった。
「頼むわね」
マミはそう言うと、さやかのいる位置から、異形──魔獣に向かって1歩踏み出す。と、そのステップで、一瞬ふわりとスカートを、挨拶するようにたくし上げた。
すると、マミの周囲にいくつもの光の棒が立ったかと思うと、それらが装飾の掘り込まれた白銀の銃床を持つスナイドル銃に変化した。
魔獣がカメラの両手を振るう。すると、その先から、畳まれた三脚を模った柄を持つ槍が放たれる。
その時には、マミは出現させたスナイドルの1丁を片手で持ち、それめがけて引き金を引いていた。
銃口からほとばしる閃光が、放たれた槍とぶつかり、砕く。
すると、今度は魔獣は、マミめがけて両腕を振るった。
「はっ!」
マミの掛け声と共に、残っていた銃が浮き上がり、魔獣の方を向く。
魔獣の腕から放たれた無数の槍を、マミのスナイドルの射撃が砕いていく。
「マミさん!」
それに気付いたさやかが、思わず身を乗り出しかけた。
次の瞬間、魔獣の右腕から延びたレールが、まるでリボンのように捻じ曲がっては、マミの身体に巻きついて縛り上げたのだ。
「だめ、前に出ないで! さやかはまだ生身の人間なんだから!」
「で、でも」
さやかは思わず駆け出そうとして、サッきゅんに慌てた声で制止される。
「大丈夫」
マミは一瞬、締め上げられて苦しそうな顔をするものの、すぐに穏やかな笑みをさやかに向けたて、余裕気に言った。
「この程度で、未来の後輩にかっこ悪いところ、見せられないもんね」
マミはそう言ってから、再び視線を魔獣に向ける。
「Reload!」
マミが呟くと、一度射撃を終えて転がっていたスナイドルが、いっせいに浮かび上がる。
ブリーチに黄金色の光が挿入されたかと思うと、その尾栓が閉じられると同時に、サイドハンマーが起こされる。
そして次の瞬間、それらが同時に火を噴いた。
射撃は魔獣の頭部に集中して命中する。レンズが、ストロボが叩き割られる。
魔獣はもんどりうつように仰け反る。
「はっ」
マミを拘束していたレールが緩み、マミは掛け声と共にそれから抜け出して、くるりと体勢を整えながら着地した。
1丁だけ、空中に浮かんで残っていたスナイドルが落ちてきたかと思うと、マミの右手に収まる。
そして、そのスナイドルの銃身が巨大化し、臼砲のようになった。
「Tiro──」
マミがその砲口を、のた打ち回る魔獣に向ける。
サイドハンマーが、
「Finale」
ゴォンッ!
放たれた巨大な光が、魔獣を包み込む。
レールとカメラで構成された魔獣の身体が、ボロボロと崩れ落ちていく。
その後に、変貌する前の姿の、気絶した青年と、無残な状態でボディの割れたキヤノン製1眼レフカメラが、残された。
周囲の光景に色が戻ってくる。
ドンッ
「きゃっ」
「あ、す、すみません」
突然、さやかは背中に衝撃を受けた、かと思うと、背後から男性が反射的に謝罪する声が聞こえてきた。
「お前、よそ見しながら歩いてっからそうなるんだよ」
「そんな事ないよ」
高校生ぐらいの2人連れの少年が、さやかを追い抜く形で歩いていく。さやかにぶつかってきた方の少年は、先端に1眼レフカメラを装着した三脚を抱えていた。連れの方の少年が、軽口交じりに咎める。
「いいから気をつけて歩けよ、それで人殴っちまったら、洒落になんねーぞ」
「解かってるって」
さやかが辺りを見回すと、先ほどまで動きを止めていた人やクルマの姿はなく、電車も踏切上にはいなかった。
いつの間にか陽は沈みかけて、あたりは山吹色に染まり始めている。
「えっと、あれ……?」
「今張った結界は、あくまで周囲に危害が及ばないように因果を切り離すだけのものなの」
さやかが事態を理解できずにいると、既に魔法少女の装束を解いたマミが、苦笑交じりに微笑みながらそう言った。
「時間そのものを止められるわけじゃないのよ。その内側では“そう見えてる”ってだけ」
「なるほど」
マミの説明を受けて、さやかは納得して声を出した。
「本物の時間操作能力をもつ魔法少女が生まれるとしたら、よっぽど強い願いか、何らかの強い因果を背負ってる存在か、そのどっちかだろうね」
サッきゅんが付け加えるように言った。
「う……うん……」
2人が話していると、路肩の土手に寝転ぶようにしていた青年が、呻くような声を上げながら、ゆっくりと眼をあけた。
「…………あ、れ? ここは? 俺はいったい何を……?」
青年はそう呟いてから、ゆっくりと身体を起こそうとする。
「いちち……」
青年は、身体は起こせたが、関節が痛むのか、表情を歪ませて声を漏らす。
「無理はしないでください」
マミは青年に近寄り、屈んでその背をそっと支え、微笑みかけた。
「大丈夫、ちょっと悪い夢を見てただけですよ」
「あ、うん……そうなのかな」
青年は、まだ状況が完全に認識できていないのか、ぼんやりとしつつ、マミの言葉に答えた。
「これ」
膝を軽く曲げて座り込む青年に、マミはそれを差し出した。
「貴方の、大切な物ですよね?」
壊れたカメラを差し出す。
「ああ、うん……」
青年はそれを受け取ると、膝の上に抱えて、感慨深そうに壊れたカメラを見た。
「高校の頃に必死にバイトして買って、ずっと使ってたんだけど……駅のホームで突き飛ばされて、こんなになっちまったんだよな……直せると、いいんだけど」
青年は呟くようにそう言ってから、
「あはは、高校生の女の子に何言ってるのかな、俺」
「こ、高校……」
マミが一瞬硬直し、絶句する。
『マミさんの容姿じゃねぇ……』
『今は制服着てるから高校生で済むけど、私服だと大学生だよ』
さやかが苦笑しつつテレパスでサッきゅんに話しかけると、サッきゅんも含み笑いをするかのような声でそう言った。
「でも、もし貴方がそれで悲しい思いをしたって言うんなら、それを他の人には味わわせないようにしましょう?」
マミは硬直から解けると、穏やかに微笑んで、青年にそう言う。
「って、子供が生意気なこと言っちゃいましたか」
「いや──」
マミが悪戯っぽく舌を出してそう言うと、青年は憑き物が落ちたかのようなさっぱりした笑顔で、言いながら立ち上がり、ズボンの尻を払う。
「君の言うとおりだと思うよ」
「はい、ありがとうございます」
青年の言葉に、マミはにっこりと満面の笑顔を浮かべた。
「それでは、私達は失礼しますね」
マミはぺこりと一礼する。
「うん、ありがとう」
青年は手を振ってそれに応えた。
「さ、さやかさん、行きましょう」
「あ、はい」
マミは1歩踏み出して、さやかに声をかけた。
青年は、さやかとマミ達が向かおうとしている方向とは逆に向かって、歩き出していた。
「一件落着、ですか」
「ええ、めでたしめでたし、よ」
マミがそう言ったとき、
「え、あ、あれ!? カメラが、俺の
青年の手の中には、綺麗な状態になったEOS10があった。
夜────
美樹家、さやかの自室。
「マミさん、すげーかっこよかったなぁ」
宿題をやる為にノートを広げつつも、それには手をつけず、右手でシャープペンシルをくるくると弄びながら、左手で頬杖を突いて、熱いため息を漏らしながら言う。
叶えたい願いとか、いろいろありすぎてすぐには決められないけど────
あたしはきっと、ああなりたいと思ってる。
カンカンカンカン……
警報機が鳴る、遮断機が下りる。
西馬込行の快速電車、初代三田線乗入れ用1000系が、直角カルダンのベベルギアの独特な響きを立てて、通過していく。
「これじゃまるで、今までとしていることが────」
既にとっくに陽も落ち、街頭が薄暗くあたりを照らす中で。
警報機と電車の走行音をBGMに、呟いた。