滝元医学大学・附属病院────
「うわぁ、すごい!」
病人衣に身を包んだ少年が、まだパッケージの封の切られていないCDを見て、そう声を上げた。
「これ、もうネットでも手に入らない廃盤だよ!」
「そ、そうなの?」
はしゃぐ様な声を上げる少年に対して、それを届けた同じ歳の少女は、半ばきょとんとして聞き返す。
「さやかはレアなCD見つける天才だね。いつも本当にありがとう」
少年──上条恭介は、爽やかな笑顔で、少女──美樹さやかに言った。
「良かったら、さやかも一緒に聞いてみる?」
ポータブルCDプレイヤーを取り出し、バイオリンソロ曲のCDの封を切りながら、恭介はさやかに対してそう提案する。
「へっ!?」
突然の提案に、さやかはビクッと背を跳ねさせた。
「ほら……」
恭介は、本来ステレオのイヤホンの片方を、さやかに差し出した。
さやかはそれを受け取り、自分の左耳につける。
プレイヤーの再生キーが押される。
イヤホンから、半分ずつのバイオリンの音楽が流れ始めた。
上条恭介の夢はバイオリニストだった。
その才能は既に芽吹き始めており、周囲からも将来を嘱望されていた。
幼馴染みの少女、美樹さやかもその1人だった。
だが、少年の夢は、本人の意思とは無関係に暗礁に乗り上げた。
数週間前、踏切事故に巻き込まれて。
一命こそ取り留めたが、彼の左手は靭帯を激しく損傷し、回復は絶望視されていた。
「…………っ……」
最初は嬉しそうにしていた恭介の表情が徐々に曇り、やがて呻くように、押し殺して泣き声を上げ始めた。
その顔を見せまいとするかのように、さやかから顔を背けた。
「……う…………ッ……」
さやかが出来る事は限られていた。見ていることとの他には、彼の好きそうなバイオリンの曲のCDを流してあげる程度しか────
「…………」
翌日。
「それじゃあ、今日も魔法少女体験コース、行ってみましょうか」
見滝原駅駅ビル『フォーリング・ビュー』のショッピングセンター区画にある、ファーストフード店。
さやかはマミと向き合い、ブランチとしゃれ込んでいた。もっともマミのチーズバーガーもさやかのホットドッグもすでに包み紙だけになっていて、少しだらだらとポテトをつまんでいる段階だったが。
「あーいっす」
マミに言われ、さやかは、まだ布カバーに包まれたままの金属バットを見せびらかすようにしながら、そう元気よく答えた。
「っても、今日もまた、歩き回って探すことになるんですよね」
さやかは、それがいやというわけではない、といった感じの口調だが、どこかため息交じりの苦笑でそう言った。
「ええ、けれどちゃんと、私だってまったくあたりをつけてないわけじゃないのよ」
「あ、そうなんですか」
やわらかく苦笑するマミにそう言われて、さやかは少しだけ気まずそうに言った。
「まぁ、実際にはそれっぽいところの情報を集めて、サッきゅんに確認してもらってるだけだけど」
マミは、穏やかな微笑に、わずかに自嘲交じりの苦笑を混ぜて、そう言った。
「いやぁ、それでも凄いですよー、私なんて突進することしか考えてませんから」
さやかは、他意はなく心からそう言って、やはりじぶんを自嘲するように苦笑した。
『マミ』
丁度、2人の会話が一段落したとき、そのサッきゅんからテレパシーが届いた。
『駅北口から少し離れた廃ビル。誘導するからついてきて』
『解ったわ』
マミは、サッきゅんにそう答えると、
「じゃあ、行きましょうか?」
と、穏やかに微笑んだまま、すでに包装紙類と空のドリンクカップだけが残されたトレイを持ち上げつつ、立ち上がった。
見滝原駅────
大きな商店街や巴邸のマンションがある南口側と異なり、北口側はそれほど拓けていない──と言っても比較論の問題で、小柄とはいえ2階建てで衣料品も扱うスーパーマーケットもあり、決して人通りが少なくないわけではないのだが。
しかし、1990年代末に計画された再開発事業がうまくいかず、結果として、かつて小口貨物を扱っていたヤードが撤去されず、バブル崩壊の際に撤退してしまった周囲の廃工場ともども、不気味な廃墟地帯と化してしまった。
太平洋セメントの消石灰工場だけは今でも稼動しているため、同工場への引込線と駅にある機回し線はまだ生きているが、中小の工場が利用した荷役ヤードは、今は放擲されて荒れ放題になっている。
さやかやマミたちが、サッきゅんに誘導されてやってきたそこは、かつて運送会社の荷役所だったらしい場所で、今は、正面のオフィスビルも、広い敷地を持ったトラックヤードも、雑草が生えて荒れ放題である。
鉄筋コンクリートのはずの建物は老朽化で錆色に赤茶けており、不気味さを醸し出していた。
「!」
「マミさん?」
急に、マミの表情が険しくなった。廃ビルの頂点のほうに視線を向けている。
「あっ」
マミの視線を追って、さやかも、それに気付き、短く声を上げる。
OL風の女性が、屋上にいた。この廃墟の屋上にただ立っているだけでも不自然だが、その女性は、おもむろに錆付いたフェンスを乗り越えようとしたのだ。
「いけない」
マミは、右手に白銀の銃床を持つスナイドル銃を1丁出現させると、それを縦にスピンさせるようにして投擲した。
その銃口の方から、地面に突き立つ。
フェンスを乗り越えた女性が、躊躇う様子もなく、自分の身を屋上から放り投げた。
ふわり。
丁度その女性の真下に突き立ったスナイドルは、大量の黄金色のリボンの束に姿を変えると、舞い上がるようにして上昇し、屋上と地面との中間ぐらいの高さで花のように開いて、ふわりと女性の身体を受け止める。そのまま反発するのではなく、ゆっくりと降下速度を減速させて、マミやさやかたちの胸元あたりの高度まで下ろした。
その間に、マミはソウルジェムから放たれる黄金色の光を纏い、魔法少女の装束に身を包むと、跳躍するようにして女性の下に寄る。その後を、タタタ……と、さやかが駆けて追いかけてきた。
「マミさん!」
さやかは緊張した様子で声を出すが、
「……大丈夫、身体の方はなんともないわ」
と、マミは、女性のおでこのあたりに右手をかざしながら、そう言った。
「魔獣の瘴気に当てられたようね」
『ごめんマミ、助かった』
サッきゅんからのテレパシーが届く。
『いいえ、でも間に合ってよかったわ』
マミは、顔を上げて屋上の方を見ながら、そう返した。
さやかも見上げるが、直接サッきゅんの姿を視認することはできなかった。しかし、マミの様子からして、そこにいるのだろう。
「あまり時間をかけてられないわね、行くわよ」
マミは、両手で抱えるようにスナイドルを出現させながら、さやかに言うというよりは、自身に言い聞かせるようにして言う。
「あっ、はい」
さやかは、我に返ったように返事をしながら、歩き出したマミの後を追う。
マミがビルの扉を開くと、その内側には黒い霧が満ちていた。
さらにその中に進むと、さやかが初めてマミと出会ったときのように、直線がうねっているような奇妙な光景が広がっていた。
「あのときみたい……」
ビルの元の構造がなく、ホールのようになっている空間に、複数の種類の魔獣が漂っている。
さやかは、バットを包んでいる布をはがしながら、そう言う。異形が漂うように舞うその光景に、表情を引き締めながら、剥き身になったバットを棍棒のように構える。
「美樹さん、ちょっと、それ貸してもらえるかしら?」
「え、あ、はい」
マミにそう言われ、さやかは、一度握り締めたバットを、マミに向けて差し出した。
マミが、そのバットに、右手を添えるようにしてかざす。
「おおっ」
バットがその姿を変える。マミの出すスナイドルの銃床のように、白銀色になって装飾の模様が入ったかと思うと、うっすらと光り始める。
「おお、マジカルバットだ~」
それを返されたさやかは、感嘆したような声を発しながら、薄く光るバットを見回す。
「これで多少は身を守れるようになるわ。といっても気休め程度だから、私から離れないでね」
「あ、はい」
さやかは、マミの言葉に返事すると、表情を引き締めなおしつつ、バットを引き寄せて構えなおした。
まるで使い魔のような、小さな、デフォルメライズされた幽霊のような小さな魔獣が、周囲をウロウロとしている。複数の別個体なのか、それともそれでひとつの個体なのか、いくつも存在するそれは、最初はまるで庭を散策するようにそれぞれが自由に歩き回っているように見えた。しかし、マミやさやかが侵入することで、空間を満たす闇の霧を乱すと、一斉に向きを変えて、ゆっくりと2人の方に向かってくる。
「マミ、こいつらたいして強くは無いよ」
どこからともなく現れたサッきゅんが、マミの立つ足元に擦り寄るようにしながら、そのマミに向かってそう言った。
「そう、でも数がいるみたいだし、油断はできないわね」
マミは、周囲をキョロキョロと首を振りながら警戒しつつ、そう言った。
「美樹さん、あまり前に出ないでね」
「あ、は、はい」
さやかは、冷や水を浴びせられたような声を出す。
「あまり取り囲まれると、命を吸い取られるよ。危ないと思ったら、躊躇わずにマミかボクに助けを求めて」
「わ、解ってるよ!」
サッきゅんの言葉に答えつつ、さやかは、手にしたバットをを使い、所謂ゴルフスイングで、魔獣を蹴散らしていく。
一方のマミは、その視線を空間の中心の方に向ける。
中心部には、この闇の中で煌くような光を放つ存在があるのが解る。まだシルエットははっきりとしないが、無数の、幽炎のような魔獣の群れが、それを取り囲んでいる。
マミは、周囲にスナイドルを次々と出現させると、それを左右の両手で次々に持ち替えつつ、中心部を取り囲んでいる魔獣を撃っていく。
黄金色の閃光に撃ち抜かれた魔獣が、破裂するように崩壊し、残滓が周囲の霧と同化していく。
「ひっ!」
数に物を言わせて接近してくる魔獣が、さやかに迫ってきたかと思うと、マミがスナイドルの銃床でそれを殴りつける。さやかが、バットに両腕の全力を込めて殴りつけても弾き飛ばすのがやっとだったそれは、速いが軽そうに見えるマミの一撃で容易く弾けて消滅する。
「す、すみません」
「大丈夫よ、気にしないで」
さやかの言葉に、マミは、軽くウィンクしながら、今度は自分にまとわりついてきた魔獣をゼロ距離射撃で撃ち抜いた。
マミの射撃が再び中心部を向き、閃光が魔獣を蹴散らすと、その奥からひときわ巨大な、巨大な異形の姿が現れた。
まるで欧風の街灯のような姿をしたそれは、輪郭を構成する視覚上の線が太く、直線のカクカクとしたそれが、フラフラと不気味に蠢いている。その灯りの部分から、幽霊のシルエットのような青白い炎が、そのガラスの外まで漏れ出して、ゆらゆらと揺らめいていた。
「こいつが大元ね」
マミは、口元で笑ってそういうと、
「Reload」
足元に転がったスナイドルの1丁を、つま先で弾いてスピンさせつつ垂直に飛び上がらせる。
それをマミの左手が掴んだとき、その銃身は臼砲のように巨大化していた。
「Tiro Finale──!」
その砲口から迸った黄金色の閃光が、巨大な魔獣を貫きつつ、辺りを包む。
撃ち抜かれた魔獣の身体はボロボロと崩壊し、消滅していった。
「ふぅ……」
マミの装束が光のリボンになって消え、見滝原中学の制服に戻る。
同時に、色彩の消えていた街に、色が戻り、再び動き始める。
「さっすがマミさん、やっぱカッコイー」
さやかは、先ほどまで振り回していたバットを肩に抱えつつ、囃すようにそう言った。
「もう! 見世物じゃないのよ」
マミはさやかを振り返りつつ言う。
「危機感もちゃんと持ってね」
「イエース、わかってますって!」
バットを片手で軽く振りつつ、さやかは緊張感に乏しいまま軽い口調でそう言った。
「でも、今回のも“人のいない”魔獣でしたね」
「基本的には魔獣は生み出されるもので、そのものが変貌する事はそれ程あるわけじゃないからね」
さやかの肩に乗っていたサッきゅんが言う。
「でも、ここんとこハズレばっかじゃない?」
「それでも普通の人に危害を加えるのには充分だし、暴走したエネルギーは無視できないの。放っておけないのよ」
どこかつまらなそうに言うさやかを、マミがやや険しい口調で嗜めた。
すっかり陽も落ちた、夜の市民公園を歩く。
「美樹さんは、何か願い事は見つかった?」
やや先を歩くマミが、ちらりとさやかを振り返って訊ねる。
「いやぁ、それが、まだ……」
さやかは、気まずそうに後頭部を掻く仕種をしながら、苦笑してそう言った。
「おかしいなぁ。ボクが見えるって事は、二つ返事するぐらい重要な願いがあるってことなんだけど……契約するかどうか悩むのはともかくとしても、願い事がわからないって言うのは────」
サッきゅんは、小首をかしげながら呟くように言う。
「…………ッ」
その言葉を聞いて、さやかの表情が一瞬だけ曇り、
「そうだ! この前聞きそびれちゃいましたけど、マミさんはどんな願い事をしたんですか?」
と、自らそれを誤魔化すように話題を切り替えた。
「!」
マミの顔色が変わった。歩みが止まり、さやかを振り返る。
「マミ……」
肩の上のサッきゅんが、表情を曇らせるマミを気遣うように声をかけた。
「あっ、別に言いにくいなら無理にとは……」
さやかは、その空気に軽く驚き、慌てて手を振りながら言う。
「ううん、聞いてもらっておいたほうが良いと思うから──」
マミは寂しそうに笑いつつ、そう言って切り出した。
数年前。
とある高速道路で大規模な玉突き事故があった。
運悪く連休の初日という事もあって、家族連れの乗用車が多数巻き込まれた。
先頭の方の乗用車は、大型車の重みで潰された。更には破損した燃料タンクからガソリンがあふれ出し、引火して火の手も上がった。
その、原形すら留めないほど破壊された乗用車の中に、一家でドライブ中だった巴家の自家用車も存在していた。
前席の両親は即死だったが、後部座席の娘はまだ息があった。
もっとも、潰れた車体に身体を挟まれ、火の手も迫っており、僅かな時間の猶予でしかなかった。
破壊されたクルマが路肩をも塞ぎ、対向車線も渋滞しており、その僅かな猶予の間に、消防や警察がたどり着けそうにはなかった。
「死にたく、ない……」
少女は望んだ。
生命に、自然に宿る生存本能が、それを求める。
本当に?
そう聞き返す声があった。
「助けて……」
ボクは確かに君の命を繋いであげられる。けれど、その代わり君は重い定めを負う事になる。それでも、それを求めるかい?
「わたしは…………」
「生きたい」
「…………そう、だったんですか」
マミの経緯を聞いて、さやかも沈んだ表情になり、低い声で言った。
「本当は望ましくないんだけど、あの場合緊急避難的にしょうがなかった」
サッきゅんも重い声で言う。
「だからね、選択の余地がある貴方には、きちんと考えて決めてほしいの」
寂しそうにしつつも、口元で微笑み、マミは言う。
「私にできなかったこと、だからこそね」
「…………」
さやかはマミの話を聞いて、しばらく言葉を失い、俯いて沈んだようにしていたが、
「あ、あのさ──」
と、異を決したように切り出した。
「願い事って、直接自分の為の事柄じゃないと、ダメなのかな?」
「!」
「?」
さやかの言葉に、マミの表情がやや険しくなり、サッきゅんの表情も怪訝そうなものになった。
「例えばの話なんだけどさ、あたしなんかよりずっと困ってる人がいて、その人のために願い事する……とか、できるのかなって」
さやかは言い辛そうにしながら、困惑気な表情でそう訊ねる。
「可能だよ、前例もないわけじゃないし。けど……」
「あまり感心できた話じゃないわね」
困惑気に言葉を濁すサッきゅんに、マミが頷いて、その後を続ける。
「?」
「基本的に、困っていて、魔法の奇跡を必要としているなら、その本人が契約するべきなんだ。さっきも言ったとおり、マミのだって、緊急避難的な処置であって、推奨できる物じゃなかったからね」
サッきゅんは前足を使った手振りを加えつつ、そう言った。
「でも……」
「美樹さん──」
さらに何か言葉を継ごうとするさやかに対して、マミはいつになく険しい表情と厳しい口調で遮り、切り出す。
「貴方は、その人の願いを叶えたいの? それとも夢を叶えた恩人になりたいの?」
「!」
その言葉に、さやかははっと目を見開く。
「他人のために願いを使うのなら、そのあたりのことははっきりさせておくべきだわ。同じように見えても、全然違うことよ、それ」
「言ったよね、本末転倒になるって。脅しじゃないんだ。実例があるんだよ」
マミの厳しい言葉に、サッきゅんが困ったような口調で付け加えた。
「…………」
「きつい言い方でごめんね。だけど、そこを履き違えたまま進んだら、きっと貴方、後悔することになると思うから」
「はい」
マミの言葉に、さやかは神妙な面持ちで言葉を返す。
「あたしの考えが甘かったです」
真剣な表情で言うさやかに、マミはようやく表情を崩し、穏やかな笑みに戻った。
「サッきゅんも、ごめん」
さやかは視線を移し、そう言って軽く頭を下げる。
「難しいことよね、焦って決めるべきじゃないわ」
「ボクとしても早いに越した事はないんだけど、決断が早い事と、浅慮とは違うからね」
マミの言葉に続いて、サッきゅんも優しげにそう言った。
「ねぇ、さやか」
美樹家、さやかの自室。
半ば不貞寝するように、ベッドに寝転がって活動を止めているさやかに、サッきゅんが声をかけた。
「もしかして、さやかの言ってた願いって、あの男の子のこと?」
「!」
さやかは、それを聞いて顔を真っ赤にしつつ、跳ねるように飛び起きて、円い目でサッきゅんを凝視する。
「な、なんでアンタ、恭介のこと知ってんのよ!?」
「言ったでしょ、今はさやかのフォローにまわってるって」
サッきゅんは悪びれた様子もなく言う。
「病院はボクの姿が見えちゃう人が多いからね、直接は入らなかったけど、ちゃんとさやかの事は見守ってたよ」
「そ、そう……」
さやかは、そう聞かされて、がっくりと肩を落として脱力する。
「で、話の続き。マミが言った通り、キミ自身がそれを望むのか、キミがあの子の願いを代行したいのか、それだけはハッキリさせておいて欲しい」
「…………難しい」
サッきゅんに言われて、さやかは視線を逸らしつつ、漏らすようにつぶやいた。
「だろうね、だからお勧めしないんだよ」
「…………」
翌日、放課後。
「申し訳ありません、上条さんは今日、診察の予定が繰り上がってしまって。午後いっぱい、リハビリの予定なんですよ」
ナースステーションで面会を申し込んださやかに向かって、看護師は申し訳ないそうに言った。
「そう、ですか……」
さやかはがっくりと肩を落とし、そう言った。
「すみません」
「いえ、こちらこそお手数おかけしました」
さやかは看護師にそう挨拶してから、軽くため息をつきつつ、エレベーターホールに向かってとぼとぼと歩き出した。
もしかして、体調が優れないのかな。
エレベーターの到着を待ちつつも、心配と未練とで、ちらちらと病棟のほうを見る。
エレベーターに乗り、1階に下りる。外来受付のあるエントランスホールを通り過ぎて、外に出た。
駐車場の歩道を歩き、最寄り駅であり、滝原線の終点からひとつ手前、、南滝元駅への近道である裏門ルートへ向かう。
その南滝元駅から川越市方面に向かって伸びる線路を、線内運転の400系6連が、ツリ駆けモーターの轟音を残して走っていく。まだ17時前、それも上り電車だが、車内は電車通学の高校生であろう人影でごった返しているのが、走り過ぎていく車窓越しにも見えた。
「…………」
病棟の建物の前を通り過ぎかけたとき、周囲に黒い霧がたちこめだした。
「え……これっ、て……」
見覚えのあるその霧に、さやかは戦慄する。
「サッきゅん! 近くにいるんでしょ!?」
周囲を見渡しつつ、さやかは声を上げる。
『うん、見えてる』
テレパスで答えが返ってきた。
『これって、魔獣が現れる前兆なんでしょ!?』
次第に濃さを増してくる霧に、さやかは憔悴しつつ問いただす。
『さやかさん、今、私そっちに向かってるから』
さやかとサッきゅんのやり取りを察知したマミが、テレパスに割り込んできた。
『危ないから、貴方はすぐにそこから離れて!』
「…………っ!」
マミに言われて、一度は脚を踏み出しかけたさやかだったが、
『だ、駄目です!』
と、声に出しそうな勢いで否定し、踏みとどまる。
『魔獣の呪いが病院に取り憑いたらやばいって……マミさん言ってたじゃないですか! あたし、ここで見張ってます!』
『駄目よ、危ないわ!』
マミは咎めるが、
『いいえ! それぐらい、やらせてください!』
と、さやかは半ば意固地に言い返す。
『呪いの本体が近くにあるのかもしれないし、それに──』
それに、ここには、恭介がいるんだ……!
『マミ、ボクが時間を稼ぐよ』
サッきゅんからの声が聞こえてきたかと思うと、その姿が現れて、すとん、とさやかの前に舞い降りる。
そして。
右耳についていたピアスの鈴が、ポンッと音を立てて姿を変える。
「え、それって──」
さやかは驚く。
それは、乳白色の宝石を抱えるようにした、王冠のような置物。
「ソウルジェム? まさか、アンタも……」
さやかが口に出した時、白いソウルジェムが光を放ち始めた。
乳白色の光がさやかの視界を遮り、それが晴れた時、そこに立っていたのは、1人の小柄な少女。
身長は150cmに満たないだろうか。乳白色の髪に赤い瞳は、アルビノを思わせる。
「魔法……少女?」
少女は振り返り、こくりと頷いた。
「一応ね。でも、ボクたちは人間ほど資質を持たない。だから、防戦がせいぜいなんだ」
言いつつ、サッきゅんはその手に短弓を出現させる。
「だから、マミが来るまで、絶対に離れないで。護りきれない」
「わ、わかった」
さやかはその背に隠れるようにして、言う。
その時、目の前で魔獣が実体化する。
その姿は、言うなればチーズで出来たゴーレム。何かに例えるとすれば────
「さ、サンシャイン?」
「何で知ってるの!?」
「アンタだって知ってるじゃん!?」
「ボクは見た目通りの年齢じゃないから!」
そんな緊張感の乏しいやり取りをしている間に、魔獣は2人に向かって腕を伸ばしてくる。
「この!」
先を制して、サッきゅんが手にした短弓から矢を引き絞って放つ。
弓を離れた瞬間、矢は乳白色の光条に変わる。魔獣の肩に突き刺さり、チーズの肩を砕いた。
「やった、効いてるじゃん」
さやかは嬉しそうに言うが、サッきゅんの表情は晴れない。
「見た目だけだ」
サッきゅんがそう指摘した瞬間、魔獣の崩れた肩が、デジタル放送のブロックノイズのようなものに覆われたかと思うと、今度はキャンディリースのようなものがそれを形成した。
「げ…………」
その光景に、さやかも表情を固まらせる。
魔獣はその巨躯に似合わない俊敏さで、一気に2人に迫ってくる。
「だめだ! さやか! 逃げて!」
サッきゅんは弓を引き絞って狙いを定めつつ、自分に向かって振り下ろされてくる腕をかわしながら、そう叫ぶ。
「で、でもっ!」
さやかが一瞬躊躇した瞬間、魔獣の視線がさやかに向く。
「ひっ!?」
「さやか!」
ズダンッ
その瞬間、さやかに迫った魔獣の腕が撃ち砕かれた。
「お待たせっ! 2人とも大丈夫!?」
聞こえてきた声に、さやかが顔を明るくする。
「マミさん!」
「待たせたて悪いけど、一気に片付けてやるわ!」
既に魔法少女の装束に身を包んだマミが、そう言いながら右手を振りかざすと、そこから黄金色のリボンがほとばしり、魔獣を縛り上げて拘束した。
同時に、無数の光の棒がマミの身体の周囲に現れ、白銀の銃床を持つスナイドル銃に変貌する。
マミの手に握られた1丁のトリガーが引かれると、同時に全ての銃が火を噴く。
無数の光弾が、魔獣の身体を粉々に打ち砕いた。
「や、やった……」
「マミ、油断しないで!」
さやかの弾んだ声に対して、サッきゅんは緊張したままの声を上げる。
「え?」
突然、チーズのゴーレムの顔が巨大化し、マミに迫った。
「────え?」
ガブリ────
マミがそれを視認した、次の瞬間、その頭は胴と泣き別れになっていた。
巨大なチーズの頭部が、マミの頭部を咀嚼していた。
「え…………」
さやかは、その現実離れした光景に絶句した。
「マミ!」
サッきゅんが悲痛な声を上げる。
「あ、ぅ…………」
さやかは青ざめ、その場にへたり込んでしまう。
ザッ、と、サッきゅんがさやかと魔獣の間に割り込み、立ちふさがる。
その貧弱な弓を引き絞りかけて────
ドスッ、と、別の何かが魔獣に突き刺さった。
ドォォォォンッ
次の瞬間、突き刺さった何かが大爆発し、魔獣を跡形もなく吹き飛ばした。
爆風に煽られ、サッきゅんもさやかの上に転がる。
ドンドン、ドンドンドォンッ!!
更に無数の爆発が起き、魔獣の残滓を全て粉砕する。
その閃光の中から、長髪の少女の人影が浮かび上がった。
「これで、解ってくれたかしら?」
長髪の少女は、さやかに睨み付けるような視線を向けながら、淡々とした口調で言う。
「魔法少女になるって、こういうことよ」
マミの、首を失って倒れた肢体を背に、暁美ほむらはそう言った。
「しっかり、眼に焼き付けておくことね」
ほむらはそう言うと、さやかの返事を待つことなく、そのまま踵を返した。
「暁美ほむら……キミは、一体……?」
その後姿を見送りつつ、サッきゅんは呟く。
一方────
そう。
あたしはその時、まだなんにも解ってなかった。
「う…………」
奇跡を望む意味も。
「……っく…………」
その代償も────
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
外来診察時間が過ぎ、人気のない病院の駐車場に、さやかの慟哭が響き渡った。