魔法少女さやか☆マギカ   作:神谷萌

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第4話:もう、あたしは迷わない

「…………」

 夜────

 美樹家、さやかの自室。

「さやかー、ご飯よー」

 さやかを呼ぶのは、同居する母方の祖母の声だった。

「…………」

 だが、さやかは部屋の片隅で膝を抱えてうずくまるように俯いたまま、動こうとしない。

 表情に生気はなく、しかし断続的に身体を震わせている。

 暗い室内、照明はついていない。窓から差し込む街灯の明かりが、僅かに視界を確保している。

「さやか」

 動物姿のサッきゅんが姿を現し、やはり沈痛な声で呼びかける。

「…………」

 さやかはそれに答えない。

「そうだよね、あの光景は──今のこの国の女の子には、衝撃的過ぎたよね」

 サッきゅんはそう言ってため息をつくが、

「そうじゃない────!」

 と、さやかは荒い声でそう言った。

「ん…………」

「ううん、それもある。ないって言ったらウソになる。怖い」

 今度は逆に、静かに沈んだ声で言う。

「でも……あたしはそれより──マミさんの事が……」

「ん?」

「マミさん、本当に正義の味方として──自分のしてる事に誇りを持ってやってたのに……」

 さやかの脳裏に、鉄道写真撮影家の青年にカメラを渡す、笑顔のマミの姿がリフレインする。

「あんな死に方、ないよ…………」

 さやかは、膝を抱えたままそう言うと、震えつつ、目じりから涙をあふらせながら嗚咽を漏らす。

 だが────

「え?」

 さやかの言葉を聞いたサッきゅんは、顔を上げると、眼を真ん円くして。間の抜けた声を出した。

「マミ、死んではないんだけど…………」

「は?」

 気まずそうに言うサッきゅんの言葉に、今度は顔を上げたさやかが目を円くする番だった。

 

 

『勝手に殺さないで欲しいわね』

 マミからのテレパスが、割り込むようにさやかに届いてくる。

『え、だってマミさん、あんな……』

 さやかが唖然としていると、

「ボク、魔法少女は人間とは違う存在だって、言ったよね?」

 と、サッきゅんがじとりと汗をかくようにしながら、さやかに改めて訊く。

「え、そりゃ、確かに聞いたけど……」

「魔法少女は、ソウルジェムが砕けない限りは死なないんだ。ソウルジェムが物理的に破壊されるか、中にあるエネルギーが尽きない限りはね」

「え……そう……なの……?」

 サッきゅんの説明に、さやかは口をパクパクとさせ、ようやく搾り出したかのようにそう言った。

『そういうこと。たださすがにここまで肉体の損傷が激しいとね、回復にしばらく時間はかかるわ』

「…………」

 さやかは膝を抱えていた腕を開き、わなわなと震え始める。

「さやか?」

「そぉう言うことは……」

 さやかはゆっくりと立ち上がり、学校から無断拝借しっ放しにしていた金属バットを持ち出すと、じりじりとサッきゅんに迫る。

「早く言えぇぇぇぇ!!」

「ちょ、ま、暴力はなにも解決しないよ!」

 

「ああ、でも、流石に食欲は沸かないわ」

 さやかは、一気にやる気をなくしたように、気だるそうにベッドに腰掛け、顔を手で覆いながらそう言った。

「まぁ、あんな光景を見た後じゃね」

 サッきゅんは真面目な表情でそう言うものの、

「その状況でシリアスに言われても、ムードもへったくれもないわよ」

「やった本人が言っても説得力ないよ……」

 と、バスタオルをムシロ代わりに簀巻きにされ、ぶらーんと天井から逆さ吊りにされていた。

『それで、サッきゅん、私の身体なんだけど……』

『あ、そうだった。マミさん、治るまでどれぐらいかかるんですか?』

 マミはサッきゅんに向かってテレパスを飛ばしてきたが、慌てたように言葉を返したのはさやかの方だった。

『最短でも2週間ね……流石に欠けた部分を繋ぎなおしたり再生したりは時間がかかるの。増して今回は首だし、肉体全体の保全も並行してやらないといけないから』

 つまり、呼吸器系が働かない為、再生と同時に、酸素の供給が途絶えて活動不全に陥る肉体の劣化を防ぐ事を、同時に行わなければならないのだという。

『それで、その間のことなんだけど──』

『マミさん、サッきゅん』

 マミが切り出そうとしたのを遮って、さやかが訴える。

『もし必要なら、あたしが──』

「大丈夫、それには及ばないよ」

 サッきゅんは直接声を出して、さやかにそう伝えた。

『誰か、応援を頼んだのね?』

 テレパスでマミが言う。

『うん、呼びかけたんだけど……』

「誰も、応えてくれなかった、とか?」

 今度はさやかの方が、簀巻き逆さ吊りにされたままのサッきゅんに向かって聞き返す。

「それには及ばない、とは言ったよね?」

「え、あ、うん……」

 サッきゅんにそう指摘されて、さやかは俯くように視線をそらした。

『美樹さんはもう少し、人の話をじっくり聞く癖をつけたほうがいいわね』

 マミはため息交じりの声を伝える。

『あーっ、マミさんまでひどいー』

 さやかは一瞬ベッドから立ち上がり、その場で宙を掴むようにガニ股で手をわななかせる。

『ただ、呼びかけに応えてくれたのが、あの子なんだ』

 サッきゅんが真剣な言葉になって、話題を戻した。

『あの子?』

 さやかが反射的に聞き返す。

『佐倉杏子さんね?』

『そう』

 マミがその名前を告げると、サッきゅんは即答でそれを肯定した。

『どんなやつなんですか? そのきょうこっての』

『根は悪い子じゃない……私はそう思ってるけど』

 さやかがそう訊ねると、マミは歯切れ悪く言う。

『けど?』

『うーん……』

 サッきゅんはテレパスで唸ってから、

「マミには言わないで欲しいんだけど……」

 と、直接声に出して、さやかに言う。

「え?」

「マミとは性格が違いすぎるって言うか、そっちで相性が悪いところがあるんだよね」

 さやかが反射的に聞き返すと、サッきゅんは言い辛そうに答えた。

「多分、さやかともあまりウマは合わないんじゃないかと思う」

「ふーん……」

 さやかは、サッきゅんから視線を外して自然に正面を向き、軽く天井を見上げる。

「でも……」

 さやかの脳裏をよぎったのは、ストレートの長髪を持つ魔法少女の姿。

 ────暁美ほむら。

「あの転校生は、いまいち信用しきれないしなー」

「うん、それは同感」

 呟くように言うさやかの言葉に、サッきゅんも同意する。

「ボクのことを狙ってたかと思えば、さやかに攻撃的な発言をしておいて、そのくせ今日はさやかが危ないって時に割り込んできたし」

「ああ、もう、なんだか今日は疲れたわ……このまま、寝ちゃおうか、な」

 軽く混乱したさやかは、そう呟くように言うと、部屋着姿のまま、上半身をどさっとベッドに投げ出した。

「えっと──」

 どこか投げ遣りな態度のさやかに、サッきゅんは言う。

「できれば、そろそろ降ろしてくれると、それはとっても嬉しいなって」

 

 

 翌日。

 キーンコーンカーンコーン……

 電子音が再生する鐘の音が、見滝原中学に放課を継げる。

「美樹さん、今日はこの後用事はありますの?」

 さやかが立ち上がりかけると、いつものように、仁美が近寄ってきて、そう訊ねてきた。

「あ……うん。ちょっとね」

「あら」

 さやかが苦笑すると、仁美はどこか意外そうな顔をしてから、

「昨日も、一昨日もそう言われましたし……美樹さんも、なにかお稽古事とか、始めましたの?」

 と、おしとやかなお嬢様然としながらも、女子中学生らしい好奇心旺盛そうな表情で訊ねてくる。

「あ、ううん、そう言うわけじゃないし、それに」

 さやかは苦笑しながらそう言い、そこで少し視線を逸らすと、

「……今日のは、また別件だから」

 と、若干声のトーンを落としてそう言った。

「ふふ、そう言うことでしたら、仕方ありませんわね」

 仁美はそう言って苦笑する。

「ごめん、なんか最近、付き合い悪いみたいで」

「気にしないでくださいまし」

 さやかが申し訳ないそうに苦笑しながら言うと、仁美は微笑みながらそう言った。

「それでは、失礼いたしますわね」

「うん、また明日」

 仁美を見送ってから、さやかも席を立ち上がる。

 

 校舎を出て、正門を跨いださやかが足を向けたのは、見滝原駅の方だった。

「…………」

 さやかがマイペースで歩いていると、カツカツ、と、やたら規則的なリズムの足音が、着かず離れずついてくる。

 さやかはその足音の主を無視して歩き続けていたが、やがて焦れたように、

「ちょっと、一体なんでついてくんのよ」

 と、振り返って、その足音の主に対して、低い声で問いつめる。

 駅前の通りの雑踏の中、2人の歩みが人の流れから取り残される。

「あなたも、巴マミの部屋に行くのかと思って」

 足音の主、暁美ほむらは、淡々とした口調でそう言った。

「ハァ?」

 さやかはわけが解からないといったように声を出した。

「マミさんは今動けない身体だし────」

 ────!?

 さやかの言葉が、一瞬だけ途切れる。

「邪魔しに行ってもしょうがないでしょうが」

「動けない身体?」

 さやかの言葉を聞いて、ほむらは怪訝そうに表情を歪める。

「言っとくけど、マミさんの部屋、サッきゅんが鍵かけてきたから、中を漁ろうとしても無駄よ」

 さやかはそう言い放つが、ほむらは口元に手を当てて考え込んだまま、視線を逸らしていた。

「何よ、人の話、聞いてないの?」

 そんなほむらの態度に、さやかは不機嫌そうに言ってから、

「それじゃ、あたし用事あるから」

 と、再び駅に向かって踵を返した。

 駅に着くと、さやかはカバンのポケットから、PASMOの定期券を取り出した。

 学生定期ではない。区間は「見滝原←→武蔵滝元」になっていた。

 さやかがホームに入ると、5分と待たずに電車は入ってきた。線内運転の普通電車、ツリ駆け式400系の6両編成だった。

 プシューッ、と言うドアエンジンの音と共に、片側3箇所の片開き扉が開く。乗車客より、降車客の方が多かった。さやかは数人の乗車客と共に、進行方向から3両目の、向かって前側の扉から乗り込んだ。

 半分より少し多い程度に座席は埋まっている。さやかは乗り込んだ扉から、2つほど真ん中よりの席に腰を下ろした。

『さやか、気付いてる?』

 この場にはいないサッきゅんが、テレパスで伝える。

『え?』

『後ろ側のドアの近く。顔は向けないで!』

 言われて、さやかは一瞬顔を向けそうになり、慌ててそれを戻してから、視線をちらりと向けた。

 そこに、ドア横の手すりに腰をもたれさせるようにして、ほむらが立っていた。

 さやかは、怪訝そうに表情を歪める。

 あいつ、マミさんの部屋に行くみたいなこと言っといて、なんで電車に乗ってるのよ。

 

 滝元医大病院────

「あの子、美樹さんだったかしら、今日も来てるのね」

「ええ、本当に助かるわ」

 整形外科のナースステーションで、看護師達が噂する。

「今が一番、つらい時期ですものね」

「あのくらいの年頃だと、動けないことだけでもつらいでしょうし」

「それに──」

 女性看護師に交じって、数少ない若い男性看護師が言う。

「あのくらいの男の子にとっては、どうしようもなく辛い事実ですからね……俺も、親からこの道反対されて、ぐれるって程じゃないけど、反抗した時期でしたし」

 その言葉の意味を知らない、聞く由もないさやかは、既に落ちかけた陽の放つ山吹色の光が差し込む病棟を、小走りに駆けていく。

「恭介!」

 さやかはノックしてから上条恭介の個室に入り、さやかは出来る限り明るく声をかけた。

「今日もCD持ってきたよ。昨日買ってきたんだけど、すれ違っちゃったからさ」

 さやかはまだパッケージの封の切られていない、クラシックCDをカバンからとりだしながら、そう言った。

 だが、恭介はさやかの方を向こうとはしない。

 さやかが改めてベッドの上の恭介を見直すと、恭介はCDプレーヤーをかけ、イヤホンを耳につけていた。

「何、聞いてるの? あ、これは後で聞いてくれれば良いから」

 そう言って、さやかはCDを、個室の病室の小さなテーブルの上に置いた。

「『亜麻色の髪の乙女』」

 恭介は、さやかの方を向こうともせずに、ポツリと呟くように答えた。

「あ、ドビュッシー?」

 ようやく反応のあった恭介に、さやかは表情を輝かせて言う。

「あたしってホラ、こんなだからさ、クラシックなんて聴く柄じゃないだろって、みんなが思うみたいでさ、たまに曲名とか言い当てたら、すごい驚かれるんだよね。意外すぎて、尊敬されてしたりしてさ──」

 さやかは、傍目から解かるほどに、無理して明るく振舞い、おどけるように言ってみせるが、

「違うよ」

 と、恭介は静かに、しかしはっきりとした言葉でそれを遮った。

「ヴィレッズ・シンガーズの方」

「あ……」

 さやかは一瞬、繕った笑顔で固まり、言葉を失う。

「そうなんだ。……恭介がポップス聞くなんて、ちょっと意外だな。あはは……」

 ヴィレッズ・シンガーズも、グループの名前は平成生まれの中学生には馴染みのない名前だろうが、近年にカバー奏者も出ており、曲名の方は、さやかも一応知ってはいた。

「でも、先にドビュッシーが出てきちゃうなんて、あたしも恭介の影響受けてるってことだよね。あたし、多分恭介がいなかったら、クラシックとかちゃんと聴いてみたりしなかったと思うんだよね」

 さやかは、気まずそうな空気を振り払おうと、やはりテンションを意図的に上げて一気にそこまで言った。

 だが、そこで言葉が途切れてしまう。

「…………ねぇ、さやかはさ」

 僅かな沈黙の後、恭介が口を開く。

「僕を、いじめてるのかい?」

「え…………」

 恭介の口から発された、あまりに意外で酷薄な言葉に、さやかは短く声を発して、そのまま絶句する。

「嫌がらせのつもりなのかい? なんで今でもまだ、クラシックのCDなんて僕のところに持ってくるんだい?」

 ベッドのそばに置かれていたキャビネットの上に、ケースに入ったCDが積まれていた。

 いずれもクラシックのCD。そのほとんどが、さやかが小遣いをやりくりして、中学生にとっては決して安くないにもかかわらず、せっせと買い集めてきたものだった。────恭介に喜んで欲しい一心で。

「だって……それは……恭介が音楽……好きだから……」

 さやかは、混乱を覚えつつ、困惑した口調で途切れ途切れに答える。

 すると、それまで虚脱していたようだった恭介が、突然身を起こした。

「もう聴きたくないんだよ!」

 バキィッ!!

 恭介は、荒く声を張り上げる。包帯に包まれた左腕を振るい、その手を積まれたクラシックのCDに叩きつけた。

 ケースが壊れ、その破片が恭介の手を切りつける。包帯から血が滲み、ベッドのシーツにまで滴る。

「自分で弾けもしない曲なんて!!」

「…………!」

 さやかは絶句し、立ち尽くす。

「もう、動かないんだ。僕の指は! この手は、痛みさえ、感じないんだ!!」

「や、やめてっ!!」

 尚も暴れようとする恭介に、さやかは覆いかぶさるようにして制止する。

「大丈夫だよ! きっと治るよ! 諦めなければ、きっといつか……!!」

 さやかは、必死に恭介に言い聞かせようとするが────

 

「諦めろって、言われたのさ」

 

 ────一転して静かになった、しかし重い口調で、恭介は絶望の言葉を告げた。

 

「今の医学ではどうしようもないって。普通に生活できるようにはなるけど、楽器はもう諦めろってさ。僕の手は……この指は……動かないんだ……もう……────」

 

 恭介は、パンドラの箱に最後に残った物の名前を口にする。

 

「────奇跡か魔法でも、ない限り……!」

 

 

「…………やはり、その道を選ぶのね、美樹さやか」

 運命をおう者は、白い巨塔の見える雑居ビルの屋上で。

 

『美樹さん……貴方の望みは、その奇跡は、────────とは、限らない』

 動けぬ身の者は、ベッドの上で。

 

「どうして、ボクたちは感情を切り捨てることまでは、できなかったのかな」

 システムを操作する者は、その巨塔の屋上の手すりから。

 

 

「あるよ」

 僅かな沈黙の後、さやかは真剣な顔で恭介に向き合い、そう告げた。

「奇跡も、魔法も、あるんだよ」

 

 

「最後にもう一度だけ、確認するよ?」

 陽は水平線の彼方に沈み、薄暮の空に幽かに茜色が残る。

 廃止された小さな貨物駅。

 コンクリート製のシンプルな架線柱には悉く蔦が巻きつき、その先端は既に饋電されていない架線にまで達していた。架線柱のいくつかは経年によって重力に負け、傾いている。

 引込み線から繋がる、小ぢんまりとした荷役ヤードには、2両ほどの貨車の廃車体が放擲されていた。

 電車の音が聞こえる。WNドライブの近代的な音。2000系か、相互乗り入れ相手の都交6300形の、どちらかの走行音。

 少し離れた場所に、放擲された貨車よりもロートルの電気機関車、ED28 1のシルエットが見える。大正14年にイギリスはイングリッシュ・エレクトリック社で製造された骨董品(ただしここに来たのは昭和49年のこと)だが、入れ替えに便利な車体構造なので、主に、今も生きている引込み線用の入れ替え用機関車(スイッチャー)として現役だった。

 錆付いた転轍機の上に、ちょん、と座ったサッきゅんが、もう動くことのないポイントの上で、軽く脚を開いた姿勢で力強そうに立つさやかを見つめる。

「あの男の子……上条恭介の手の機能を回復させる──」

 サッきゅんは、静かな、しかしはっきりとした声で、さやかに問いかける。

「本当にそれが、キミの願い、キミ自身の願う奇跡だと信じていいんだね?」

「うん」

 さやかは、険しい表情に真摯な瞳で、頷いた。

「それが、あたしの願い」

「以前も説明した通り、魔法少女は、人間とは違う存在になるんだ。それも納得した上での話、だね?」

 サッきゅんは念を押すように問いかける。

「うん。あたしは、もう迷わないって決めたから」

 さやかは、真剣な表情でそう言った。

「解かった」

 サッきゅんもまた、真摯に答えると、軽く眼を閉じた。

 さやかを包み込むようにして光の柱が天に向かって立ち上る。

 やや逸らせ気味になったさやかの胸から、いくつもの青い光条が直線的に上がり、やがてそれらはさやかの頭の高さから1m弱ほどの高度で集まって、球形に集まり始める。

 天に上る光は、やがて一方向──滝元市の方角へ向かって流れていった。

 残った青い光の球が、やがて実体へ、青く澄みきった宝石を抱えた、王冠のようなデザインの置物へと変貌する。

「ここに契約は成立した。今からキミは、魔法少女だ」

 さやかの元にゆっくりと降りてくるソウルジェムを、さやかは両手でそっと、それを受け止めた。

 

 もう、あたしは迷わない。

 そう、思っていた。

 

 ─────この時は

 

「!?」

 ─────ドクン。

 青く澄みきって輝く、自分のソウルジェム手にした瞬間、さやかの頭の中で、まるで一瞬だけ血流の量が増えたような感覚が走った。

 まるで、頭の中で、或いは心の中で、何かが繋がったかのような感触。

「──か────?」

 さやかが幽かに呟いたそれは、しかしこの場にいるサッきゅんにも聞き取れなかった。

「え? どうしたんだい? さやか」

 サッきゅんが軽く驚いたようにして、心配げにさやかの顔を覗き込む。

「え、あ、ううん。なんか一瞬、ボーっとしちゃって」

「ぼうっ、と?」

 サッきゅんは不思議そうに小首をかしげる。

「おっかしいなぁ。契約で、そう言う副作用はないはずなんだけど」

「そうなの?」

 小動物の姿で器用に口元に手を当て、怪訝そうにするサッきゅんに、さやかの方も首をかしげるようにして、聞き返す。

「うん、或いは考えられるとすれば────」

 サッきゅんはそう言って原因を追究しようとしたが、それはかなわなかった。

 チリーン。

 2人以外を静寂が支配する廃貨物駅で、サッきゅんのソウルジェムであるピアスの鈴が、澄んだ音を一度、あたりに響き渡らせた。

「まずい、こんなときに!」

 サッきゅんが転轍機の上で、背を伸ばすようにして頭を上げ、キョロキョロとあたりを見回す。

「え? え?」

 さやかはサッきゅんの様子に戸惑っていたが、ふと、手にしたばかりの自分のソウルジェムが激しく明滅していることに気付く。

「これって、まさか……」

「そう」

 さやかの言葉に、サッきゅんはあたりを見回す仕種をしながら肯定の返事を返す。

「しかも契約したばかりのさやかのソウルジェムが、それも意識もしないのに反応するなんて、大分近くに、それもかなり強いのがいる……!!」

「アンタが呼んだって言う、代わりの魔法少女は?」

 さやかは、切迫したような焦った表情で問いただす。

「まだ! 間に合う位置にはいない」

 サッきゅんは、一度動きを止めてさやかと正対してから、首を横に振った。

「マミさんは当然まだ動けないし……」

 さやかは、右腕のひじを抱えてその手の親指のつめを噛む仕種をして、険しい表情で呟くように言ってから、

「あたしが……行くしかないじゃない!」

 と、力強く決断した。

 

 

 カンカンカンカン……

 警報機が鳴る。遮断機が下りる。

 西馬込行き快速電車、プレーンなほろ付貫通型の顔つきの1000系が、踏切に向かってくる。

 踏切の前に、虚ろな目をした無数の人間が集まっていた。

 主婦風の女性が、迫ってくる電車のヘッドライトに惹かれるかのように、遮断機の中にフラフラと躍り出ようとする。

 それを、絹のような白い肌の手が、肩を抑えて止めた。

「焦ってはいけませんわ」

 振り返った主婦に対して、その手の主──志筑仁美は優しげに微笑みながらそう言った。

「今から、神聖な儀式を始めるのでしょう?」

 穏やかな、これ以上ないほどの穏やかな笑み。

 そう────人をかどわかす悪魔のそれのように。

 踏切が開く。

 仁美を含む、人々の群れは、ひとつの小さな廃工場へと向かっていった。

 かつて消石灰を原料とするラインパウダーを製造していたが、炭酸カルシウムパウダーへの切り替えにより、その需要が減って、この工場の会社も発注元を失って倒産した。

 やがて集まる人の流れがまばらになり、そして途絶えると、彼らがくぐって行った搬入出口のシャッターが、ガラガラと閉められる。

 ピシャリ、と、閉める力だけが、しっかりとその音を立てた。

「俺は駄目なんだ……」

 廃工場の、既に機材が撤去されて広く開いたスペースに、集まった人たちに向かい合うようにして、1人の中年男性が立っていた。

 配置だけを見るなら、小規模な講演会、或いはライブとその奏者、と言った感じだが、その場を支配する空気は、とてもテンションの上がった状態ではなく、それどころかどんよりと重く陰鬱な雰囲気が漂っていた。

「こんな小さな町工場ひとつ、満足に切り盛りできなかった……」

 中年男性はそう言って、その場で俯き、頭を抱える。

「今の時代に俺の居場所なんて……あるわけねぇんだ……」

 男性の言葉はだんだんと力のないものに変わっていく。やがて、その場に崩れ落ちるように、用意されていたパイプ椅子に腰を落とした。

 座った男性の足元に、金属製のバケツと、業務用の、大容量の厨房用洗剤のボトルが置かれていた。

 男性は椅子に座ったまま屈むと、その洗剤のボトルのキャップを開けると、それを一気にバケツに流し込んだ。

 

 その時、さやかは廃工場の外までたどり着いていた。

 薄汚れた窓ガラスから、中を覗き込む。

 人の集団の前で、パイプ椅子に座った男性が、バケツに洗剤を空けているのを見えた。

「なに? あれ、洗剤?」

 業務用ボトルといっても、貼られているラベルは家庭用と同じものだったので、それがなんなのかはさやかにも解かった。だが、意図が理解できない。

 洗剤を無差別に人にかければ、危害を加える事にはなるだろうが、命に関わるとは思えない。魔獣の呪いにしては、あまりに生易しすぎる。

 さやかが怪訝に思っていると、窓の中では、今度は集団の方から、主婦と思しきエプロン姿の女性が、男性に近寄ってきた。

 その手に、別の家庭用洗剤のボトルが握られている。

「……あれは…………」

 先に注がれた弱酸性洗剤に対して、女性が出したのは、カビ取りなどに使われる塩素系洗剤のボトル。

 「混ぜるな危険」ラベルに描かれるその警告文は、さやかも当然のように見た事があるし、それを破る事によって発生する硫化水素により、事故や自殺があることも、テレビや新聞、ニュースサイトで知っていた。

「まさか!」

 さやかがそう思った通りの事が、目の前で起きようとしていた。

 女性はボトルのキャップを取ると、バケツに向かってそれを傾ける。

「止めなきゃ!」

 さやかはそう言って、自らの青く澄んだソウルジェムを握った。

「セットアーップ! ……なんちゃって」

 ソウルジェムを掲げてそう宣言するように言ってしまってから、妙に照れくさくなって、付け加えた。

「まぁ……精神的にノルのは悪い事じゃないけどね」

 サッきゅんがそう呟いたときには、青いソウルジェムから放たれた光のリボンに包まれたさやかの姿が、一変していた。

 ブレストアーマーをイメージさせるチューブ部分を持つビスチェ調のドレスに、動きを妨げない程度の長さのフレアスカート。翻る白いマント。“魔法少女”らしいファンシーさと、さやかの活動的なイメージとを、両立させたデザインのコスチューム。

 さやかが変身を終えた時には、既に主婦の持っていたボトルの中身が、バケツの中に注ぎ込まれていた。

「間に合え!」

 さやかは、中の空気を入れ替えようと、“ガラスを割る”という意識を持った。

 すると、刀身は細いが、しっかりと刃のある長い西洋剣が現れた、かと思うと、その瞬間、その剣がまるで矢か銃弾のように発射される。

 ガラスを突き破った瞬間、剣は青い光になって弾け、ガラスをサッシごと粉々に砕いた。

「サッきゅん、バケツ頼める?」

「よしきた」

 さやかに言われたサッきゅんは、耳のピアスの鈴をソウルジェム本来の形に戻す。

 さやかはそちらには視線を向けず、返事の声だけをしっかりと聞いてから、サッシのなくなった窓をひらりと飛び越えて工場の中に入る。

「そこまでよ!」

 びしっ、と、集団に右手の指を向けて声を上げる。

「どれが“本体”だか解からないけど……この魔法少女さやかちゃんが来たからには、ここにいる人達を死なせたりしないわ!」

 精神的にテンションも上がってきたさやかは、、もう一方の手を腰にあててポーズを決めながらそう言った。

 ────のだが。

「あら、美樹さん、こんなところで奇遇ですわね」

「ひ、と……み……!?」

 窓の側からは死角になっていた、集団の最前列に、見知った顔を発見し、驚愕する。

「でも、この素晴らしい神聖な儀式を邪魔するなんて、それは正直、感心しませんわ」

 仁美は、現れたさやかに対して、虚ろでいて悪意の篭った、狂気の視線を向け、口元で酷薄そうに微笑む。

 仁美の言葉に反応したかのように、集団の他の参加者までもが、まるでアンデッド・モンスターのような不気味な動きで、さやかに迫ってくる。

「ちょ、ま……っ!」

 さやかは戸惑って後ずさりする。

 ここにいる人間の大半は、魔獣の呪いに操られた、普通の人間だ。迂闊に攻撃するわけには行かない。

「はぁっ!」

 さやかが取り囲まれている、その一瞬の隙を突いて。

 魔法少女姿のサッきゅんが男性のもとに駆け寄り、その足元のバケツを拾い上げる。そのまま、迷わず、別のガラス窓めがけて遠心力で振り回すように放り投げた。

 ガシャアァンッ

 バケツは窓を突き破って、その内容物もろとも屋外へ放り捨てられた。

「やったよ、さやか!」

 サッきゅんはさやかの方を向いて、とこか弾んだように声を出したのだが、

「危ない!」

 と、それを見たさやかはそう声を上げた。

「え」

 グワッ

 サッきゅんが聞き返すが早いか、その頭部を男性の右手が薙ぎ払った。

「きゅぷっ!」

 壁に叩きつけられて、サッきゅんは突っ伏した姿勢で悲鳴を上げる。

 体格差だけではなかった。中肉中背、平凡な外見の中年男性に、片手で軽々と人1人を薙ぎ払う腕力があるようにはとても見えなかった。

「あいつが本体……でもっ」

 さやかは両手に剣を生み出すが、他の人間を斬りつけるわけにも行かず、じりじりと迫ってくる集団に身構えるしか出来ない。

「ぐぅあぁあぁぁァアァァァァァァァァッ!!」

 そうしている間にも、サッきゅんを排除した中年男性は、人のものとは思えない雄叫びを上げると、その身体が異形のもの、魔獣へと変貌していく。

 四肢は錆付いた工作機械を象り、それにベージュの筐体が日焼けした旧いFA用のパーソナルコンピュータが寄せ集まって出来ている。

「くっ」

 魔獣に攻撃の矛先を向けようとするが、いよいよ手の届く距離に迫ってきた。

 さやかは、右手の剣を魔獣に向かって投擲しようと、腕を振り上げる。

 ガシッ

 しかし、その右腕を誰かにつかまれる。

「ひっ、仁美!?」

「私たちはこれから素晴らしい世界へ旅立とうとしてますのに、なぜそれを邪魔なさるのですか?」

 狂気の笑みを顔に湛えた仁美は、さやかの右手首をつかんだまま、さやかの行動を咎めるように言う。

「みんな目を覚まして! 仁美!」

 さやかは困惑した声を上げて、仁美、更には周囲に絡み付いてくる人間を見回し、必死に、説得するように声を張り上げる。

「貴方こそ……これがどんなの素敵なことか、どうして理解してくれないのですか?」

 仁美は、やはり咎めるように言う。

「そうだ!」

 はっ、とさやかは閃く。

 マミさんの技、あたしにも、使えるか!?

 そう思いながら、さやかは左手の剣を床に突き立てる。

 剣が青く澄んだ光を放ち、床につきたてられた部分から、無数の光条がワイヤーのように迸る。伸びた光条が、さやかの行く手を阻む人間に絡みつき、その身体を拘束した。

「いまだっ」

 さやかは自由の身になると、再び両手に剣を生み出し、魔獣に迫る。

「おらぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 魔獣がその腕でさやかを薙ぎ払おうとするより早く、その懐に飛び込むと、白銀の柄を持つ剣で、魔獣の胴に切りつける。

 ザシュッ

 硬い物体で構成されているかに見える魔獣の胴は、さやかの剣を受けて、脆くも切り裂かれる。

 回っていた歯車が外れて飛び散り、年代がかったパソコンディスプレィの画面が砕け散る。

「グゥアァァァァァッ!!」

 魔獣は苦悶の方向を上げる。のた打ち回る。その注意がさやかから逸れた。

「はぁっ!」

 さやかは飛び上がると、マントに手をかけ、それを振り払うようにして外す。

 マントの生地の通過した空間に、無数の剣が生まれた。

「Load set!」

 その剣が青い光を放ち始める。

「これで、とどめだ!」

 澄み切った青に光る剣は、無数の光条になって、直下の魔獣に向けて打ち出される。

「Tiro Finale──!!」

 無数の青い閃光が魔獣の身体を撃ちぬく。

 蜂の巣のようになった魔獣の身体は、残っている部分もボロボロと崩れ、塵のようになって消滅していった────

 

 青い閃光が晴れた後に、作業着姿の男性がうつぶせに倒れていた。

 さやかがその表情を覗くと、妙に穏やかな表情をしていた。

 さやかの魔力糸で拘束されていた他の人間も、意識を失って倒れこんでいた。さやかはそれを確認して、魔力糸を消去する。

 男性の寝顔を確認して、さやかは満足げに微笑んでから、腰を上げる。

「やっばいなー、仁美に顔見られちゃった」

 さやかは、頭をかく仕種をしながら、困惑しつつも何処か緊張感に乏しい口調で、そう呟く。

「大丈夫だよ」

 まだ魔法少女姿のままのサッきゅんが、頭を抑えるようにしながらさやかにむかって歩み寄りつつ、言う。

「操られていた人たちも、目が覚めれば、夢を見ていた程度の記憶にしかならない。現実だとは思わないよ」

「そっか、それならいいんだけど」

 さやかはそう言ってから、

「マミさんが治ったら、後で結界の張り方教えてもらわなきゃなー」

『ふふ、一番の技はもう真似されちゃったみたいだけどね』

 と、マミがテレパスで妙に可笑しそうに言う。

『あ、マミさん。えっと……すみません。つい、勝手に使っちゃって』

 さやかは顔を赤くしつつ、慌てたようにそう伝える。

『構わないわよ、私の後輩、弟子みたいなものなんだし』

 マミは穏やかにそう良いつつ、

『でも、この様子だとうかうかしてられないわね』

 と、悪戯っぽい口調で付け加えた。

『そんな。まだまだマミさんみたいにはなれませんよ』

 さやかは照れつつ、やはり慌てたように言い返す。

「お話中悪いけど、誰かが眼を覚ます前にここを離れた方が良いんじゃないのかい?」

 サッきゅんが、変身をといて白い小動物に戻りながら、さやかに向かって訊ねるように声をかけた。

「あ、そうだった。仁美もいるし……うん」

 さやかはもう一度周囲を見回してから、

「マミさんみたいにフォローできなくて、申し訳ないけど」

 と、まだ眠ったままの、魔獣の本体だった中年の男性に、さやかは後ろ髪を惹かれるようにそう静かに告げて、廃工場を後にしようと、その建物から外へ出た。

 

 

 滝元医大病院。

 すでに消灯時間も過ぎた病室で、一度は眠りについていた上条恭介は目を覚ました。

「奇跡とか魔法とか、そんなものあるんだったら……」

 病室にいる自分という現実。恭介はそれを認識すると、誰が聞いているはずもないのに、声を出してぼやき、包帯に捲かれた左手を見ようとする。

「…………」

 ぴくり。

 恭介の左手は動いた。彼の意思の通りに。

 指は動いた、最初から怪我などなかったかのように滑らかに。

 

 

「そんで? マミがぶっ倒れたって聞いたから、せいぜい笑い倒してやろうと思ったのに、話が違うじゃんか?」

 夜空の下。

 送電線の鉄塔から見滝原市の夜景を見つつ、クレープを口に運びながら、癖のある髪を長く伸ばした少女はそう言った。

「ごめん。急ぎで契約を必要としてた子がいてね」

 傍らに、ちょん、と腰掛けた小動物姿のサッきゅんが、少し申し訳なさそうに言う。

「わざわざ来てやったってのに、ちょぉムカつく」

 少女は不機嫌そうにそう言った。

『えー、池袋までご利用のお客様は次の電車が最後になりますー……』

 見滝原駅からの構内放送が夜の静寂にのって届いてくる。

 2人の視界の正面につり掛け車の銀色の車体が、上りホームに滑り込むのが見える。

 駅前には送迎待ちか、多少の車の流れがあるが、それ以外には、もともと中央道からも甲州街道からも離れているためか、すでにクルマの流れはまばらだった。

「でもまぁいいや、もともとあたしもここの生まれだし」

 クレープを食べ終えた少女は、その長い髪を翻すようにして立ち上がった。

「マミは当分動けねーみたいだし、ルーキー1人に任せるのも癪だしねぇ」

 縛った髪をかき上げる。

「どうするつもりだい?」

 サッきゅんが見上げ、訊ねる。

「そんなに心配すんなって」

 少女──佐倉杏子は、八重歯を見せながら、少年のように笑った。

「ルーキーにちょいと、礼儀とか能力(ちから)の差とかってものを教えてやるだけだからさ」

 

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