魔法少女さやか☆マギカ   作:神谷萌

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第6話:アンタは胸を張っていてよ

「えっ、上条君、退院したんですか?」

「ええ……連絡行ってなかったの?」

 驚くさやかに対して、病棟の看護師は困惑気にそう言った。

 翌日、恭介の入院する、否、していたはずの滝元医大病院に向かったさやかだったが、すでにそこに上条恭介の姿はなかった。

 目的をなくしたさやかは、そのままとぼとぼと病院を出ると、見滝原に帰るために、最寄である南滝元駅に向かう。

 ホームは島式と対向式を組み合わせた2面3線で、コンコースは駅ビルのある見滝原駅より小ぢんまりとまとまっていた。改札を通ると、対向式ホームの背の側に、鮮やかに花を咲かせたクレマチスの植わったプランターが並べられている。

 5分と待たずに、都交6300形電車が、LED方向幕に、「西馬込」「地下鉄三田線直通」の表示を交互に、「快速」の種別表示とともに出しながら、ホームに滑り込んできた。

 人影はまばらで、電車にたやすく飲み込まれていく。それを終えると、電車は扉を閉めて、滑るように発車した。

 

 

 タタン、タタン……

 モーターのない中間車の車内には、台車からはレールの継ぎ目を超えるときのジョイント音だけが響く。

 人も座席の半分ほどが埋まる程度には乗っていて、車内放送などもあるにもかかわらず、さやかの周囲にだけ音を遮る壁ができたかのように、さやかにはそれらが耳に入ってこなかった。

 退院したなら、連絡くれてもいいのに……

 自分だけが無音の車内で、さやかはため息をつく。

『次は見滝原ー、見滝原でございます。ご乗車の電車は、地下鉄三田線直通の快速西馬込行です──』

 その車内放送の僅かな後に、電車は見滝原駅の上り線ホームに滑り込んだ。

 扉が開き、さやかはとぼとぼとした足取りでホームに降りる。

 恭介を見舞いに行く為に作ったPASMO定期を自動改札機に触れさせて、改札の外に出た。

 その後、自宅に一端帰宅しようと考えていたが、脚は半ば無意識に、上条恭介の自宅のほうに向かっていた。

 もともと、美樹家と上条邸はそれほど離れていない。

 とは言え、ありがちな和洋折衷建築の一戸建てである美樹家と、資産家の上条家の豪邸とは、隔世の感さえある。

 その高い鉄の門が、越えられない壁のようにさえ見えた。

 その奥の屋敷の方から、済んだバイオリンの音色が響いてくる。

 練習、してるんだ……

 多分、またバイオリンが弾けるようになったことがよほど嬉しいのだろう。

 さやかはそう思うと、口元で微笑んで、黙したまま踵を返した。

 

 後悔はない、筈だった。

 

 

「おい」

 だが、そんなさやかの心に水を差す存在があった。

「折角会いに来たのに、挨拶もしないで帰るのかい?」

「! お前……」

 その姿を見て、さやかは反射的に身構える。

「今日1日、追いかけまわしてたくせに?」

 紙袋に入ったストレートのチュロスを抱え、今も1本かじりながら、杏子はニヤニヤと笑いつつ、さやかに話しかけてくる。

「何の用?」

 さやかは警戒を解かないまま、剣のある言葉で聞き返す。

「知ってるよ、この家の坊やなんだろ? アンタが契約した理由」

 杏子は、上条邸を振り返りながらそう言い、それから視線をさやかに戻した。

「ったく……。たった一度の奇跡のチャンスをくだらねぇことに使いやがって。魔法ってのは自分だけの願いを叶えるためのもんだ。他人の為に使ったってロクなことにならないのさ」

 そこまで言って、杏子はチュロスを一口かじる。

「巴マミは、その程度のことも教えてくれなかったのかい?」

「…………っ」

 杏子の言葉に、さやかはぶるぶると震えつつも、反射的に視線を逸らす。

 杏子はさらにチュロスを一口かじる。

「惚れた男をモノにするなら、もっと冴えた手があるじゃん? せっかく手に入れた魔法でさァ」

「……?」

 杏子の発現の意味が分からず、さやかは怪訝そうににらみ返す。

「今すぐ家に乗り込んで、坊やの手足を潰してやりな。もう一度アンタ無しでは何もできない身体にしてやるんだ」

 まるで悪魔が囁くかのような低い声で、杏子はそれをあっけなく言い放った。

「それは……!」

 さやかの顔色が変わる。慄いたように表情を引きつらせた。

「そうすりゃ身も心も坊やはアンタのモノ……」

「…………」

 一度は押し黙ったさやかだったが、自分を落ち着かせるように軽く深呼吸をし、僅かなあとに、

「反対はされたわ。マミさんにも、サッきゅんにも」

 と、さやかは切り出した。

「お?」

 さやかの言葉を意外に思い、杏子は軽く目を円くする。

「それでもあたしは、あいつの手を治してやりたかった。それだけ」

 さやかは淡々と言った。

「あはっ、あはははっ!」

 杏子は、それを聞いて、お腹を抱える姿勢をしながら哄笑をさやかに浴びせる。

「アンタってホントにバカなんだな」

「バカでも何でも良いわよ。バカだけど、同じ過ちは繰り返したくないから」

 そう言うと、さやかは杏子を振り払うようにして歩き始める。

「お?」

「マミさんと約束したの。アンタとは係わり合いにならないって」

 とっぽく聞き返す杏子に、さやかはそう言い捨てるようにして立ち去ろうとした。

「待てよ」

 杏子がさやかを呼び止める。

「だったら、アンタの代わりにアタシがやってやろうか?」

「!?」

 その言葉に、さやかの顔色が変わる。

「係わり合いにならない、とは約束したけど……」

 さやかは、そう言いつつソウルジェムを握り締める。その拳がぶるぶると震えていた。

「恭介や街の人に危害を与えるって言うんなら、話は別だ!」

「へへっ、やっとその気になりやがった」

 言うと、杏子は変身もせずに、ポーン、とその場から跳躍するように駆け出した。

「追いかけて来いよ! 止めたかったらな!」

 着地ざまにちらりとさやかを振り返り、悪戯を考えた子供のような、憎らしげな笑みで言う。

「ま、待てっ!」

 さやかの方は先に変身をかけつつ、杏子を追う。

 けど、アイツ……

 さやかを引っ張るように逃げつつ、杏子は少し怪訝そうに思う。

 いくら魔法少女でも、アタシの心を引き寄せる能力が効ききらないなんて、なかなかたいしたやつなのか、それとも他に理由があるのか──

 一方。

『マミさん!』

 さやかはテレパスで呼び出す。

『どうしたの?』

『昨日の杏子ってやつに絡まれて。無視するつもりだったんですけど、恭介の手足を潰すとか言い出して!』

『! 分かったわ。私もそっちに行く』

 マミはそう答えて、一旦テレパシーの通話は途絶えた。

 既に陽は沈みきり、あたりは街灯や道路等の灯りが照らすだけになっている。

 2人は幹線都道と国道が交差する大き目の交差点の、歩道橋の上にいた。

 一般の通行路だが、下にも横断歩道がある為、通学中の小学生以外は、まずこちらを使うことはない。

「ここなら遠慮はいらないねぇ」

 杏子はそう言って、さやかはソウルジェムを取り出そうとする。

「待って」

 杏子が変身しようとすると、その背後から声をかけられた。

「アンタは……!」

 現れたほむらに、杏子は一瞬だけ言葉を詰まらせる。

「話が違うわ。美樹さやかには手を出すなと言った筈よ」

 ほむらは淡々と言いつつも、睨むような視線を杏子に向ける。

「何の用よ、転校生」

 さやかの方から、割り込んできたほむらに対して、苛立ちの声が発される。

「悪いけど、アンタとやりあうつもりもないし、あたしはそもそも誰かを傷つけるつもりはないの」

 剣の切っ先をほむらに向けつつも、さやかはそう言った。

「どうやら、アンタじゃお気に召さないようだぜ」

 そう言いながら、杏子はソウルジェムを掲げようとする。

「ちょっと、待ちなさい!」

 タァンッ!

 ほむらの怒声の、僅か一瞬後に、発砲音がとどろいた。

「っ!」

 杏子が反射的に手を抑える。

「ごめんなさい、加減はしたはずだけど」

「マミさん!」

 さやかが表情を明るくする。

 マミのスナイドルが、杏子のソウルジェムを弾いたのだ。

 赤いソウルジェムは、そのまま落下して行き────

 たまたま下を走っていた、トヨタ ハイラックストラックの荷台に落下した。

「まずい……ッ」

 ヒュンッ

 そう言い残して、ほむらの姿がかき消える。

「マミ……てめぇ……なんて事しやが────」

 邪魔をされた杏子は、さやかの傍ら、歩道橋の手すりの上に姿を現したマミに向かって、怒りで震えながら睨みつける──かと思いきや、

 グラリ────

 と、膝から力が抜けたかのように、崩れ落ちて倒れこみかける。

「ちょ、ちょっと、アンタ!」

 さやかが、それを見て、とる物もとりあえず飛び出し、正面から杏子を受け止めた。

「さやか!? マミ!?」

 その時、ようやくにして、魔法少女姿のサッきゅんが姿を現した。

「…………」

「ちょっと、しっかりしなさいよ! アンタ!」

 さやかが、杏子の身体を揺すったり、頬を軽く叩いたりするが、反応はない。目を見開いたまま、スイッチが切れたように、動かずに止まっている。

 取り乱しかけるさやかの傍らに、マミが膝を折ってかがむと、さやかにうつ伏せで膝枕された状態の杏子の首筋に手を添えた。

「サッきゅん? これはどういうこと……」

 マミは、その姿勢のまま、視線も向けずに低い声で問い質す。

「え……?」

 まだ到着したばかりで、状況を把握しきれていないサッきゅんは、少し困惑気にしつつも、倒れこんでいる杏子を見つけて、顔を青ざめさせる。

「ま、まさか……」

 血の気を失ったサッきゅんに対して、マミはおおよそ普段からは信じられない、酷薄そうな声で事実を告げる。

「この子……死んでるわよ…………!!」

 

 

 すでに絶版になって久しいが、都心部の高さ制限を嫌って、なお使用されていたトヨタ ハイラックス2WD。

 1トン積みに対してエンジンは2000cc、100psの1RZ-E。若干アンダーパワーとは言え、普通の人間が生身で走って追いつけるわけがない。

 だが、その後ろ、歩道と車道の間の路側帯を、ほむらがそれを走って追ってくる。

 黒に近い紫をベースにした、セーラー服に似たツーピースの、魔法少女の装束に身を包んだほむらは、時折、CDやMDで曲をスキップするように、姿がかき消えては、一気に距離を縮めて現れる。それを繰り返して、着実にハイラックスに近付いてくる。

 ついにほむらの手がハイラックスの後部アオリを捉えた。

 さらにもう一度、ヒュンッ、と姿が消えると、次に現れたとき、ほむらはハイラックスの荷台に転がり込んでいた。

 欠けられたシートの上で、赤く輝くソウルジェムを見つけ、掴み取る。

 その次の瞬間、再びほむらの姿が消えた。

 そして、ハイラックスが通過していったその脇の歩道に、ほむらは立っていた。

 

 

「まさか、こんな事故が起こるなんて……」

 びくりとも動かなくなった杏子の身体を囲むさやかとマミ。そのマミの背後の位置で、サッきゅんが青ざめた表情で言う。

「どういうことなの……?」

 マミは、静かにだがはっきりした声で、サッきゅんに問いただす。

「君たち魔法少女が身体をコントロールできるのは、せいぜい100m圏内が限度なんだ。でも、ソウルジェムは本来肌身離さず持っているものだと思ってたから、こんな事故が起きるとは想定してなかったんだ」

「100m? いったい何の意味よ!?」

 今度はさやかの方が、視線をサッきゅんに向かって聞き返す。

「君たち魔法少女にとって、肉体っていうのは、いわば外付けのハードウェアなんだ。その本体が、コンパクトかつ安全、魔力を効率よく運用できるソウルジェムってわけ」

「…………」

「つまり、ソウルジェムが君たちの本体、魂と言うべきものなんだ」

「…………」

 しょぼくれたような口調で説明するサッきゅんに対し、2人は鬱蒼とした沈黙を返す。

「このっ!」

 やがて、さやかが激昂したように、杏子の身体をマミに押し付けると、サッきゅんの胸倉に掴みかかった。

「それじゃあたし達、ゾンビみたいなモノにされてるって事じゃない!」

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってよ」

 さやかに掴みかかられて、サッきゅんはばたばたと手を振る。

「順を追って説明するから」

 サッきゅんは、そう言いながら、何とかさやかの腕から逃れる。

「良いかい、ソウルジェムという本体と、外付けのハードになった身体も、基本的には繋がっている。この星のコンピューターシステム、パソコンに例えようか。2人とも、ハードディスクって単語は解かるかい?」

「パソコンの中に入ってる部品だってことしか……」

 さやかは困惑気にそう答えたが、

「えーと……、ソフトやデータを入れておいて、電源が入っていないときに保存しておく、磁気ディスクユニットよ」

 知識が多少あるらしいマミが、素人にも解かりやすいように、と考えて、さやかにそう説明した。

「今、一般に市販されているパソコンは、本体の中に内蔵されてしまっているから解かりづらいけど、あれは本来、パソコンそのものにとっては、後から付け足す付加機能なんだ。でも、この星の昨今のOSは、ハードディスクなしじゃ運用できない、必須品でもある」

「つまり……肉体は魂の付属品……そう言いたいって事……?」

 さやかが、低い声で唸るようにいう。

「そう……それで、少し昔、と言っても、マミが生まれるよりももっと前の話だけど、そのころは、このハードディスクも、パソコンの本体にケーブルを使って接続する、外付け方式が普通だった。当然、OSを起動するハードディスクと、本体とは、運命共同体。どっちかがトラブルを起こせば、もう一方も機能不全を生じる。ただ、外付けであれば、修理や交換は容易いし、本体が一緒に致命的ダメージを受けるリスクもずっと下がる。普通の人間は、魂の入れ物と一体である肉体が破壊されたら、死しかないだろう? それが君達は、心臓や脳に致命的ダメージを負っても、再生する事が出来るんだ」

「あ…………」

 サッきゅんの説明に、さやかは完全に納得できたわけではなかったが、その意味するところに気がついて、マミを振り返った。

 衣装に新たに黒いチョーカーを加えたマミが、困ったように、しかしさやかを必要以上に不安にさせまいと、笑顔を作った。

「さやかはさっき、ゾンビって言ったけど、とんでもないよ。外付けのハードがゾンビだったら、本体も正常に作動できない。あくまでソウルジェムって本体と、肉体っていうハードを、物理的に分離しただけ」

「…………」

「…………」

 理不尽に対する怒りや不満がないわけではなかったが、それ以上に複雑な感情がお互い絡み合った空気が、あたりを支配する。さやかとマミは言葉を失い、沈黙する。

「それに、この方法をとるには、もうひとつ理由があるんだ」

「もうひとつ、理由?」

 マミが、仰向けにした杏子の身体を膝枕するようにしながら、訊き返す。

「最初にも言ったとおり、魔獣から回収された負の精神のエネルギーを一時的にせよ溜め込んでおくには、生身の身体じゃキャパシティが低すぎて受け入れきれない。その為のソウルジェムシステムでもあるんだ」

「そう、それで解かった。アンタがなんであれだけあたしに念を押したのか」

 さやかは低い声で、細々と言う。

「解かってくれたかい?」

 サッきゅんは、いまだ気まずそうな顔をしながらも、いくらか表情を明るくして、視線を上げた。

「ううん。本当はまだ納得しきれてない面もある。不安な事もあるし、悔しいとも思ってる。けど、そのおかげでマミさんは死なずにすんだし、あたしもこうして一緒に戦える。今更、アンタだけを恨んでもしょうがない」

 さやかは低い声で言う。恨まないとは言ったが、その言葉にはいまだ悔恨の念が篭っていた。

「さやか……」

 サッきゅんは再び俯き、ため息をついた。

 そこへ、ハイラックスの荷台から紅いソウルジェムを回収してきたほむらが、さやかやマミの背後側から現れた。

 杏子の身体をはさむ形で、ほむらは、マミの反対側から杏子の身体を軽く抱き起こすと、その手にソウルジェムを握らせた。

「!」

 杏子の仁美に生気が戻ったかと思うと、ツリ眼だが大きく円い瞳をぱちくりとさせた。

「…………? なにが、どうなってんだ?」

 杏子は状況が理解できず、歩道橋に座り込んだ状態でキョロキョロと辺りを見回した。

「今日は解散にした方がいいようね」

 ほむらが言った。

「…………? よくわかんねーけど、ルーキーやマミも戦意喪失みてーだし、無理に喧嘩吹っかけても面白くもねーし、そうするしかねーか」

 

 

「騙してたのね、あたし達を」

 美樹家、さやかの自室。

 さやかの勉強机に置かれた、青く澄み切ったソウルジェムの前で、小動物姿のサッきゅんがうなだれている。

「ごめん……ボクの説明が足りなくて、結果としてそう言う形になってしまった」

 サッきゅんは低く言う。

「そうね、『生身の人間とは違う』ってだけは、しつこいくらいに繰り返し言ってたものね」

 さやかはそう言ったが、その口調は乾いたもので、無機質な感じの表情ともども、到底納得したという感じのものではなかった。

「でも、魔獣と戦うのに必要な形態ではあるんだ。少しでも安全にね」

「…………余計なお世話──」

 そう、言い切ろうとして、さやかは一旦言葉を詰まらせる。

「──って、言いきれない……」

 サッきゅんの言い訳に、しかしさやかは強い調子にもなりきれない。

 このシステムでなければ、マミは病院での戦いで死んでいた。

 それもまた事実だったから。

「それに……まださやかは魔法少女になり立てだから無意識にしか使ってないだろうけど、魂に依存する意識と肉体とを分離するって言うのは、魂の方を保護する意味でも必要な事なんだ」

「どういう、意味よ?」

「たとえば、背中を槍で切り裂かれた場合、本来、肉体の痛覚がどれだけの刺激を受けるかって言うとねぇ」

 サッきゅんはそう言うと、前足をそっと持ち上げ、

「ごめん、さやか、大分つらいけど、それだけだから」

 と、申し訳なさそうにそう言って、ちょん、と、さやかのソウルジェムを突付く。

 ソウルジェムの突付かれた部分に、水面に石を投げ込んだかのような波紋が走る。

 ギシリ

「いぎぃ、ぃぃぃぃぃっ!? かはっ、かはぁぁぁぁっ!!」

 さやかの背中に、焼けるような激烈な刺激が与えられる。立ってなどいられず、その場に倒れこんで、背中を逸らすようにしてのた打ち回る。

「これが本来の“痛み”。これだけの深手を負ったら、普通は動けなくなるんだよ。キミがあの時、杏子に襲われて生き延びれられたのは、分離されている魂が肉体に対して、必要以上の痛覚を遮断しろって命令してたからなんだ。運命共同体でありながら別個の個体であるというこのシステムだからこそ可能な事なんだよ」

 サッきゅんは、申し訳なさそうにしつつも、はっきりとした声で説明する。

「慣れてくれば完全に痛覚を遮断することも出来る。ただ、肉体の健全性を保つ障害になるから、あまりお勧めは出来ないけど」

「はぁっ……はぁ……っ」

 さやかは、苦悶の様は大分和らいだが、いまだに苦しそうに息をしている。

「お、教えなさい……よ……」

「教える?」

 息も絶え絶えになりつつも、さやかはサッきゅんに迫る。

「あたし達を……こんな目に合わせてまで……どうして……魔獣と……っ」

「…………」

 サッきゅんはそう言われて、しばらく逡巡していたが、

「解かった、話すよ」

 と、覚悟を決めたかのように、切り出した。

「ボクは、実はこの星の住人じゃない、宇宙のはるか彼方から、この地球を探して、やってきた存在なんだ」

 

 

 かつて、宇宙に大文明を築いた知的生命体の種があったという。

 彼らは膨大な領域で膨大なエネルギーを消費し、産業文明活動を行っていた。

 だが、やがて彼らはひとつの重大な危機に直面する。

 エネルギー問題。

 勿論、地球のオイルショックや南北較差問題のように、そういったエネルギー問題に直面してこなかったわけではないし、解決しても来ていた。

 だが、今回のそれはスケールが違った。宇宙全体のスケールだった。

 エネルギーの大量消費により、宇宙空間のエントロピーが増大し、それらは核物理学上のエネルギーの総量を減少させて、やがては宇宙全体が冷え込み、“熱的死”を迎えるというものだった。

 そこで、その文明を築いた知的生命体がとった手法が、熱力学第二法則の適用されない、すなわちエネルギー保存の法則の範囲外になるエネルギーを、相転移によって熱量換算可能なエネルギーに変換し、宇宙全体のエネルギーの均衡を保つという物だった。

 そしてその“エネルギー保存の法則の範囲外になるエネルギー”こそが、個体が意識を持つ知的生命体、つまり人間の精神だったのだ。

 

「ところが、彼らの説にはとんでもない誤りがあってね」

「誤り?」

「うん……さやか、小学校のころ、こういう実験をしたことはないかな?」

 

 フタのない木箱に、まず、砂を入れる。

 その砂の上に、木箱の上いっぱいまで、砂利を入れる。

 それをふるいにかけるように揺する。

 そうすると、個体の重い砂利は沈もうとし、逆に砂は浮き上がってこようとする。

 結果、砂利のあいていた隙間に砂が詰まった状態になり、全体の嵩は減る。

 

「あー、小さいころなんかの本で読んだことあるわ」

「つまり、これと同じ事なんだ」

 

 つまり、エントロピーの変化は見た目の嵩の減少に過ぎず、エネルギーの総量自体はあくまでエネルギー保存の法則に従って循環していた。

 そもそもそうでなければ、知的生命体の文明によるエネルギー消費なぞ無にも等しい、天体、特に恒星の活動でとっくに宇宙は“熱的死”を迎えていなければおかしいはずなのだ。

 にもかかわらず、その知的生命体は、宇宙に許容範囲外のエネルギーを注ぎ続けていた。

 

「そ、それってさぁ、ある意味やばいんじゃないの?」

 サッきゅんへの不満や怒りなど通り越して、さやかは顔を蒼白にし、慌てた声を出す。

「やばい、なんてもんじゃないよ!」

 サッきゅんも、つい声を上げてしまっていた。

「もともと、宇宙空間のエントロピーを増大させる、つまり、宇宙全体を膨張させるのはその内部に抱えているエネルギーなんだ。単純にエネルギーの総量を増大させるようなことをすれば、本来エントロピーの増大に伴ってゆっくり膨張していく宇宙は、限度を超えて空気を入れ続けた風船がやがて破裂するのと同じように、破滅を迎える」

「そ、そうよ、ね……」

「正確に言えば、破裂どころの騒ぎじゃない──」

 

 エネルギーが過多になった宇宙は、やがて膨張の限界に至る。

 末期には過剰なエネルギーを圧縮してその飽和度を和らげる為に、恒星の重力崩壊が促進されてブラックホールが多発し、あたりの天体を破滅させる。勿論、太陽系も例外ではない。

 そして最後は、宇宙自体の中心が重力崩壊を起こして爆縮現象を起こし、最後に、宇宙全体の質量を持つ、しかし体積は限りなく0に近い大きさの珠になった“宇宙”が、3次元という空間上に残される。

 

「そのことに気付いたのが、僕たちだった」

 

 個体こそ少ないが、やはり高度な文明を持つ別の知的生命体がいた。

 同レベルの規模で戦争をすれば30回に1回は勝つ、という程度の物だったが。

 しかし宇宙に起きる変異──主に恒星の重力崩壊の促進──に気付いた彼らは観測を続け、隣人の過ちを知った。

 

「そこで、僕らはそのエネルギーを回収する必要性に迫られた」

 

 一度“熱量換算可能になったエネルギー”を、アストラルエネルギーである精神に返すためのシステム、それが魔法少女だった。

 

「魔獣という形で具現した負の精神エネルギーを一度魔法少女に返し、最終的にアストラルエネルギーとして昇華させる。その為に送り出されたのが、ボクたち、“母胎に返す者”(サッキュベーター)

 

 

「でも……」

「でも?」

 さやかの呟きを、サッきゅんは鸚鵡返しにする。

「なんであたし達なの? 地球人なの?」

「それは、地球人の精神エネルギーが大きいからさ。それこそ、その総量は宇宙を作り変えられるほどにね。だから、エネルギーを取り出そうとしていた連中のシステムの副作用で魔獣が出現するようになったし、ボクらはそれを優先的に回収しなければならなかった」

 怒りというよりは、気だるそうに聞くさやかに対して、サッきゅんはそう説明する。

「地球人のエネルギーって、そんなにすごいの?」

「うーん、さやかの歳じゃ、女の子だし、技術史にはあまり明るくないだろうけど……地球人の精神エネルギー、分けても負のエネルギーは凄まじい物があるよ。鉄道、自動車、航空機、コンピューター、電波無線を使った広域放送、音響機器、映像機器、宇宙開発、あらゆる物が発明される、或いはその発展進化の過程において、そうしたマイナスの感情が強くそれを加速してる」

「…………へぇ」

 さやかは、感心したというよりは、気の抜けたような声を出す。

「ただ、この事例に関しては、もっとも感情の振幅の強い、所謂思春期入り始めの時期、それも、女性の方が適しているんだ。だから、さやかぐらいの歳の子を、中心に勧誘してるんだよ」

「…………」

 サッきゅんの説明に、さやかは沈黙を返す。幾分硬いが、険悪さはだいぶ薄れてきている。

「ひょっとしたら、この星は、一度彼らに目をつけられた事もあるのかもしれないね」

 サッきゅんもまた俯いたまま、呟くように言った。

「…………どうなったの、そいつら?」

「え?」

「宇宙を滅ぼしかけたバカな連中がどうなったのか、よ」

 さやかはサッきゅんに視線も向けず、訊ねなおす。

「…………」

 サッきゅんは僅かに沈黙してから、答える。

「滅亡したよ」

「そう、なんだ」

「自分達で制御できないエネルギーを濫用した末路なんてそんなものだよ。エネルギーの制御に失敗して、母星ごと跡形もなくなった。…………この星も気をつけてほしいけどね、同じ過ちを、もう3度も繰り返してる」

「それはよく解からないけど……」

 サッきゅんは警告するように言うが、さやかには理解しきれもしなければ、それをどうこうできる立場でもない。

「でも、サッきゅんたちも魔法少女自体にはなれるんだよね?」

「なる事だけはね……」

 サッきゅんはそう言って俯く。

「ボクたちは、より前世代的なエネルギー問題の解決の為、精神のネットワーク化に成功し、実現してしまった。労働も、娯楽も、移動のために必要なエネルギーも必要なく、疲労する事も知らずにこなせるようになった。肉体の維持にも必ずしもこだわる必要はない。事実、このSQとしての身体も、一種の生態端末だからね。だけど、その代わりに、個というものが薄くなってしまったのさ。もちろん、プライベートは存在する。けれど、地球人のそれに比べて、感情の振幅が小さすぎるんだ。だから、あの程度の力しか出せない」

「そっ、か……」

 サッきゅんの答えに、さやかは素っ気無い返事だけをする。

「ごめん……さやかにとっては、勝手な言い分にしか聞こえないよね」

「…………」

 うなだれたままのサッきゅんに対して、さやかは僅かな沈黙の後、口を開いた。

「ひとつだけ確認させて」

「確認?」

「うん」

 さやかはそう言って、ようやくサッきゅんの方に視線を向けた。

「もし、アンタたちが来なかったら、地球に魔獣も湧かなかったの?」

「…………どっちとも言いきれない。でも、現れた可能性の方が高い」

 サッきゅんは、逡巡しつつ、沈んだ声でそう言った。

「元々、エネルギーを作り出そうとしてた連中がばら撒いたモノの副作用で現れるようになったのが、魔獣なんだ。負の感情を実体化して、“熱量換算可能な”エネルギーの源にするためのね」

 サッきゅんは、口調をニュートラルに戻し、視線を上げて、そう説明する。

「さっき言った通り、地球人の感情が持つエネルギーは、特段に大きいから、まず確実に出現していたと思う。100%ではないけれど、っていうところかな……」

 説明し終えて、サッきゅんは再び俯く。

「そう」

 そこまで言うと、さやかはふらりと歩いて、サッきゅんに近付く。

「ねぇ、悪いんだけど、魔法少女の姿になってくれる?」

「え?」

 さやかから発された意外な言葉に、サッきゅんは一瞬、キョトン、としてしまう。

「せめて、縋らせてよ」

「あ、う、うん」

 俯いた姿勢から、涙を浮かべるさやかに対して、サッきゅんはこくりと頷くと、勉強机からベッドに飛び降りつつ、ぽんっ、と、そこで魔法少女姿になった。

 とは言っても、さやかより頭ひとつ分近くは小さなサッきゅんを、さやかは縋りつくように抱きしめる。

「うっ、く……あたし……っ、ホント、バカでっ……!」

 さやかは顔をサッきゅんの右肩にうずめて、すすり泣く。

「ごめん……さやか……っ」

 サッきゅんは抱きつき返すようにしてそう言った。

 だが──

「アンタが謝るな!」

 さやかは突然怒鳴ったかと思うと、サッきゅんの腕を振り解き、その肩を掴んで顔を正面に見据え、声を荒げた。そして、そこからは泣き崩れるような声で、更に続ける。

「アンタに後ろめたいことなんかないでしょうが。宇宙を護って、その為に魔法少女を生み出して、結果的に地球の平和をも護って……」

 言って、さやかは再び顔をうずめる。

「だから、これは……あたしの場合は……あたしがバカだっただけ……」

「さやか……」

「アンタは胸を張っていてよ……でないと、あたし、正義の味方でいられない……」

「さやか……」

 サッきゅんは、小柄な自分に縋りつくさやかの背を撫でる。

「さやか……ありがとう……」

 

 

「はーい、席ついてー」

 見滝原中学、2年4組の教室では、担任の早乙女和子が出席簿を手に、生徒に着席を促す。

「HRを始めまーす。まずは出席から。秋月くーん」

「はい」

「天海さーん」

「はーい」

「如月さーん」

「はい」

「黒井くーん」

「はい」

 近年の通例どおり、男女を分けずに、ファミリーネームの50音順に呼ばれていく。

 ただし、転入生のほむらだけは“あけみ”でも最後だ。

「美樹さーん」

 さやかの番になって、和子はその姓を呼ぶが、返事はない。

「美樹さん?」

「せんせーい、美樹はいませーん」

 ほむらの前、さやかの右隣に座る男子生徒が、手を上げながらそう言った。

「どうしたのかしら……」

 和子は心配げに言い、軽くため息をつく。

「美樹さん、どうなさったのかしら……」

 仁美も、心配げに、主が不在のさやかの席を振り返って呟く。

「…………」

 ほむらだけは、ただちらりと視線をそちらに向けただけだった。

 

 

「ただ起きれなかっただけだよコンチクショー」

 ベッドの上で毛布を被ったまま、さやかは起きたらテレビでタモリが話している声を聞いてしまった気まずさを隠そうと、誰にともなくそう言った。

「今朝方近くまで泣いてたもんね」

 一晩抱き枕状態にされ続けた、魔法少女姿のサッきゅんも、眠たげに口を手で覆って大欠伸をした。

『おいおい、正義の味方がサボりかよ、ルーキー』

 そこへ、テレパスが聞こえてきた。

『まぁいいや、そう言うことなら、ちょっとツラ貸せよ』

 さやかが自室のカーテンをめくると、自宅前の道路に、テレパスの声の主、佐倉杏子が立っていた。

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