見滝原中学校────
チャイムの音が、午前中の授業の終わりを告げた。
「きりーつ、礼、着席ー」
日直の号令の後、4時限目の担当教師が教室を出て行き、さやかたち2年4組にも昼休みが訪れた。
「さやかー、一緒にお弁当食べよー」
さやかが、自分のカバンの中から、可愛らしいピンクの包みに入った二段タイプの弁当箱を取り出していると、クラスメイトの女子から声をかけられた。
以前は仁美とばかり一緒にいたが、元々、思い込みは激しいところがあるものの、人見知りとかいった単語とは無縁な性格だけに、交友関係自体は広い。
その仁美が恭介と付き合い始めた、という噂というか、事実なのだが、学校の真ん前で堂々とやっていれば、もともと恭介も仁美も学校中に名前が通っている上、男子も女子もこういう話題には食いつきやすい年頃のこと、あっという間に学年中に広まってしまった。
その告白の翌日から、美樹さやか・志筑仁美の定番コンビは崩れ、さやかは、マミと会っているときを除けば、そこそこ親しいクラスメイトと談笑していることが多くなった。
「あ、うん」
さやかは、いったん声の主たちの方を向いて、笑顔で挨拶すると、右手で弁当の包みをつかんで、立ち上がろうとした。
「さやかさん」
「え?」
立ち上がりかけたさやかは、別の方向から声をかけられて、そちらの方を向いた。
そこには、真剣な面持ちでさやかを見つめる仁美が立っていた。
てっきり恭介と一緒にいると思っていたので、さやかは、一瞬動きを凍りつかせ、短く間抜けな声を出してしまいつつ、真ん円くした目で仁美を凝視してしまった。
「申し訳ありませんが、今日のお昼は、私と御一緒していただけませんか?」
仁美は、やや高圧的に、しかし真剣そのものの態度でそう言った。
「…………」
さやかは、椅子から立ち上がりかけた姿勢に、目を真ん円くしたどこか間の抜けた表情のままで、僅かな間仁美を凝視していたが、やがて、
「わかった、いいよ」
と、苦笑交じりに言いつつ、身体を起こして仁美と向かい合った。
「すみません、皆様、今日はさやかさんをお借りいたします」
仁美は、いつもの温和そうな様子とは異なり、真剣かつニュートラルな口調でそう言い、先にさやかに声をかけたクラスメイトたちに向かって、軽く会釈をした。
「どこへ行く?」
「あまり、人の来ないところがよろしいのですけれど」
さやかの問いかけに、仁美は表情を微かに曇らせるようにしながらそう答えた。
「それじゃ、屋上行こう」
そう言って、さやかは仁美を先導するように歩き出す。
仁美は、それに続き、教室の前のドアから出て行き様に、再度教室の中を振り返って、先ほどのクラスメイトに頭を下げてから、さやかとともに教室を後にした。
「なに、アイツ……信じらんない」
さやかと仁美を見送ったクラスメイトたちの1人が、軽く呆然としつつ、呟くようにそう言った。
すると、それを皮切りに、他のクラスメイトたちも、次々と文字通りに口火を切る。
「ホントだよ、さやかが上条君と仲いいのなんか、それこそ同じ小学校のやつならその頃からみんな知ってたことなのにさぁ」
「横からかっさらっといて、今でもよく友達ヅラできるよね」
「ちょっと自分がいいところのお嬢様だからってさ、なんでも思い通りになると思ってるんだよ、志筑は」
「ああいうのを泥棒猫、って言うんだろうね、さやか可哀想」
「よく志筑に付き合えるよね、さやか。いくら前からの友達だったからってさぁ」
「志筑、さやかいなかったら友達1人もいなかったんじゃないの?」
「でもさ、上条君も見る目無いと思わない? 入院中だってしょっちゅうお見舞いに言ってたんでしょ? さやか」
「男子なんてみんなそんなもんだって。普段猫かぶってるし。儚いお嬢様気取ってればコロッとだまされる馬鹿ばっかり」
「結局上条君も他の男子と同じって事かぁ~」
「ちょっとショックだなぁ、それ。私も、上条君のことちょっといいなって思ってたんだよね」
「それ、さやかが聞いたら卒倒しちゃうよ」
「だから、そこまでは入れ込まなかったんだよ。さやかで決まりだと思ってたから。だから余計に志筑のやつ、許せないんだ、私」
「でもさ、それだったらアンタもさやかも、ある意味丁度よかったんじゃない?」
「あははっ、言えてるかも」
女3人寄れば姦しいというが、詳しい経緯も知らず、表面的なイメージで好き勝手なことを言っていた。
教室でそんな会話がなされているとは知らず、当のさやかと仁美は、屋上へと上がってきた。
高い金網フェンスが張られている代わりに、生徒の散策用スペースとして解放されている場所ではあるが、季節柄まだ風が冷たく感じられるためか、この時期ここで昼食を採ろうとする者は極めて稀だった。
「それで、なんの相談? 仁美のことだから、恭介に関することでしょ?」
その中程まで進んだところで、さやかは、背後についてくる仁美を振り返り、笑顔でそう訊ねた。さすがに、本心から笑顔になることはできなかった。足りない分を、意識で埋めて笑顔を作った。
「お昼休み返上してまでってことだから、お弁当のことかな、好きな食べ物とか知りたいの?」
逆に、精神の安定を図ろうと、まだ仁美が何も言っていないにも関わらず、さやかは、次々に話題を出して進めていこうとする。
「さやかさん」
それを遮るようして、仁美は、きっぱりとした口調で、さやかの名前を口にし、正面から真摯な目で向かい合った。
「…………じゃあ、なんなのよ」
逆にその態度を見て、さやかの声が半オクターブ低くなる。
「まずは単刀直入にお聞きします。貴方は、私や上条くんに、なにか重要な隠し事をなさっていませんか?」
仁美のほうも、それに怯むことなく、正面突破の質問をさやかにぶつける。
「────……な、何言っちゃってるのかな。別に、2人にそりゃー……まったく隠し事なんかないわけじゃないけど、そんなマジになんなきゃならないようなことはないよ?」
さやかは、そう答えたが、その前の逡巡するような僅かな沈黙や、茶化すような言い回しが、その動揺を如実に表していた。
「上条くんの手に関すること──でも、ですか?」
仁美は、続けざまに斬り込む。
しかし、
「そんな事言ったって、あたしは医者じゃないし、恭介の手をどうこうすることなんかできるわけないじゃん?」
と、その問いかけに対しては、さやかは、いともあっさりとそう言いきった。
「そう……ですか……」
仁美は、どこか落胆したような様子になって、右手で左の二の腕をつかむ仕種をしつつ、悲壮そうな面持ちでさやかから視線をはずし、軽く伏せさせた。
しかし、すぐにそれを元に戻し、
「それではもうひとつ……これは、質問ではなく、お願い、なのですが」
と、次の話題を切り出した。
「なに?」
さやかは真剣な口調で聞き返す。
「上条くんに、その、表面的でも良いですから、以前と同じように接してあげていただけませんか?」
「え?」
仁美の言葉があまりに意外だと感じ、さやかは、再び間の抜けた声を出してしまう。
「さすがに厚かましいお願いだとは思いますけれど……上条くんにとって、さやかさんは、男性とか女性とか関係なく、心の支えの一部なのですわ……さやかさんが上条くんを避けるようになってから、バイオリンも、少しスランプ気味のようですし」
どこか、必死に訴えかけるように言う仁美に対して、
「へぇ、そうなんだ」
と、さやかは、あっさりとした口調で、どこかあっけらかんとして言う。
「でも、悪いけど、それは無理。あたしは恭介のことをそう言う風には見れないし、できもしないって解かりきってることをできるって言いたくない」
「…………そう、ですわよね」
意外にあっさりと答えたさやかに対して、仁美は力なくそう言って、顔を俯かせる。
「っていうかさ、これからは仁美が恭介のこと支えてあげれば良いじゃん。まぁー、あたしも癪だと思ってないわけじゃないけどさ、仁美が恭介について知りたいことがあれば、教えてあげないこともないよ? まぁ、そりゃ、何でも知ってるわけじゃないけどさ」
さやかは、心の奥で自分が悲鳴を上げているのを押し殺すように、わざと明るく、ニカニカとした笑顔におどけ交じりの口調でそう言った。
「はい……ありがとうございます」
仁美は、視線を床に這わせたまま、弱々しくそう言った。
「話、これで終わりかな?」
「ええ……」
さやかの問いかけに、仁美は力なく答える。
「こんな状況で御飯って雰囲気じゃないし、あたし、3年の知り合いの先輩のところに行くからさ、仁美も、どこかで適当にお弁当食べるなり時間つぶすなりして戻りなよ」
「はい……」
さやかは、言うと、仁美の返事を待ってから、
「それじゃ」
と、努めて最後まで明るい態度をとり続けて、その場を後にした。
「志筑仁美、何がしたいの? 貴方は?」
屋上に取り残された仁美の背後から、さやかのものではない、最近知るようになった、どこか感情の薄い声がかけられた。
「暁美……さん?」
軽く驚いた仁美が振り返ると、さやかと入れ違うように、そこにほむらが立っていた。
「貴方は自分の望むものを手に入れたでしょう、何が不満なのかしら?」
「…………っ」
仁美は、一瞬、下唇を噛み締めて、視線をほむらから逸らし、
「貴方には、関係のない話ですわ」
と、ぶっきらぼうに言ってから、視線をほむらに戻した。
「そうね」
ほむらは、そうあっさりと肯定するが、
「ただ、私としては、美樹さやかの心をこれ以上乱してほしくないの」
と、睨み付けるように目を細めつつ、静かにだが、威圧感のある口調でそう言った。
「どうしてですの? 貴方は別に、さやかさんとは──」
「そう、なんでもないわ」
反射的に睨み返すような表情になった仁美に対して、ほむらは、その言葉を途中で遮って、自ら結論を言う。
「むしろ嫌悪感を抱いているといっても良い。けれど、私の目的のために、できれば美樹さやかをこのまま維持したいの」
「目的? 維持────?」
ほむらの言葉が理解しきれず、仁美は、そのキーになる単語を鸚鵡返しにするようにして聞き返した。
「詳しいことは秘密。けれど、貴方は上条恭介と結ばれ、美樹さやかはその事実に、自分の中である程度の折り合いをつけた。これは僥倖に近いの。だから、これ以上事態をややこしくしないで頂戴」
「…………」
ほむらの発言には、ところどころ、仁美には理解の難しい言い回しがあったが、大筋では正論だと感じていた。
「解かったら、これからはこんな真似をしないで頂戴」
ほむらは、そう、言いたいことを言い切ると、踵を返して、校舎の中へと戻っていこうとする。
「ひとつだけ!」
そのほむらを呼び止めようと、仁美は、声を上げてそう言った。
「なに、かしら?」
ほむらは、顔だけでちらりと仁美を振り返り、聞き返す。
「暁美さんは、────魔法少女というものを、ご存知ですか?」
「さあ」
縋り付くように訊ねてくる仁美に対し、ほむらは突き放すように答える。
「知っていようが知るまいが、貴方にはもう、関係のないことよ」
言い終えると、ほむらは、今度こそ屋上を後にした。
ぽつり、と、仁美だけが、人の気配のない屋上に取り残された。
春先ながら、妙義
夕刻の上条家。
今日もまた、恭介の練習部屋の防音室に、志筑仁美は招き入れられていた。
恭介の左腕の上で、バイオリンが音を奏でる。
だが、自らもピアノという形で音楽を嗜む仁美には解かる。
恭介の演奏は、徐々に荒れてきていた。
その演奏すら、途中で再び、ギィ、と、弦を引き誤って耳障りな音を立ててしまう。
「…………」
恭介は、そのまま、弓を弦からはずすと、だらり、とそれを握る右腕をぶら下げるように下ろした。
「どうして、だろうね」
恭介は呟くように言う。
「身体の方は、脚の方も、もうすぐ松葉杖も取れるって言われてるくらいなのに……こっちの方は、どんどん駄目になっていくよ」
バイオリンを下ろし、自嘲気味に笑い、パイプ椅子に力なくもたれかかる。
「無理に焦らなくても……スランプなんて、誰にでもあることですわ! ゆっくり、養生するつもりで直していけば……」
仁美は、恭介を何とか元気付けようと、自分の方が必死なぐらいの様子で言った。
「違うんだ……駄目なんだよ」
恭介は、穏やかだが、それがとても危うく見える苦笑を浮かべて、言う。
そして、つ、と、一点を指差す。
そこには、昨日、仁美が見つけた、幼い頃の写真が飾られた写真立てがあった。
「やっと、解かった。僕はこの時、賞を取れたことなんか、どうでもよかったんだ。他の誰のためにでもない。ただ1人、僕のバイオリンを心の底から褒めてくれた、その子のために、弾きたかった。それだけなんだ」
「上条くん……」
恭介に釣られるようにして、弱気な表情を見せた仁美だったが、やがて、覚悟を決めたように、声に出して、迫る。
「私の為では、駄目なのですか?」
「…………え?」
仁美の突然の言葉に、恭介は戸惑ったような様子を見せた。
「上条くんは、決定的な思い違いをしています。さやかさんが上条くんに寄せていた想いは、女性として、男性に対する、それです」
「な────」
「そして、私は、それを承知の上で、貴方に想いを告げさせていただきました。さやかさんにも、そうするように勧めたのですが、行動に出ることはなく、諦めてしまわれたのです」
「それじゃあ、さやかが僕を避けるようになったのは……!!」
驚愕しながら問い返す恭介に対し、仁美は真剣な表情で深く頷いた。
「経緯はどうあれ、上条くんは、私を選んだのです。これからは、私を見てくださいまし! そのバイオリンも、誰かの為にというのなら、私の為に弾いてくださいまし!!」
仁美は、表面的には感情的な様子を見せて、恭介に迫った。
「近寄るな!」
恭介は、命の次に大切と言っても過言ではないはずの、バイオリンの、その弓を乱暴に振るって、仁美を遠ざけさせる。
「僕は、僕はなんて残酷なことを……! さやかは、だから、僕の為にっ……」
顔を覆い、目を向いて、恭介は慟哭する。
「上条くんっ!」
その姿を見て、仁美は驚愕と困惑、それに心配で、思わず声を上げていた。
顔を覆う指の合間から見える、血走ったその瞳に見えるのは、狂気────いや、それすらも通り越した何か。
「!?」
仁美は、視界の中を横切ったそれを見てギョッとする。
どこから入り込んできたのか、否、その前にこんな現象が存在するのか。いつの間にか、黒い霧が、防音室の中に湧きはじめていた。
「ウォォオォォォォォォォ」
恭介の声帯が、おおよそ人間のものとは思えない、どこかコンピューターによる合成音を思わせるような唸りを上げる。
恭介を覆うようにして濃さを増す黒い霧の中から現れたのは、操り人形を操る、ショートカットの少女を模した異形の小人。
「ひっ!」
その不気味さに強烈な嫌悪感を感じ、仁美は、短く悲鳴を上げつつ、反射的に身を竦めてしまう。
ガシャアンッ!
黒い霧が異形とともに仁美を飲み込みかけた時、白い、あまり透明感の無い閃光が、防音室の2重ガラスを突き破って飛び込んできた。
「貴方は!?」
「話は後、逃げるよ!」
やや露出度が高いがファンシーな衣装を身に纏った、見た目は仁美たちより幼い、アルビノを思わせる乳白色の少女は、右手に持った短弓を引き絞り、異形に向かって閃光の矢を放ちながら、少年のような話し方でそう言うと、その体格差をものともせずにひょいと抱えて、破ってきた窓から常人離れした跳躍で、飛行するように跳び出した。
『マミさん! 今の、サッきゅんの聞こえました!?』
さやかは、見滝原中学校近くの路地を駆け抜けながら、険しい顔をしつつ、マミにテレパシーを飛ばす。
『ええ、聞こえたわ。私も今、そっちに向かってる』
マミの返答に、僅かながら安堵を覚えたその時。
「え…………」
自宅のある、旧い住宅街の方に視線を向けると、その一帯を、真っ黒な霧の巨大な塊が、外からはまるで地平近くに積乱雲が降りてきたように、覆い尽くしていた。
そして、その霧をかき分けるようにして、姿を現した異形。
「何、あれ……」
さやかは一瞬、呆然として立ち尽くしてしまった。
それまでさやかが出会ってきた魔獣とは文字通り格が違う、巨大な異形。
その姿は、中世欧風の、方形状の四隅に円柱状の構造を持つ塔。それが、無数の馬を立てた巨大な
『さやかさん! 早く来て!』
マミのテレパシーで、さやかは我に返る。
『このままじゃ街に被害が出るわ! 私は結界に専念しないとならないの!』
『杏子はどうしたんですか!?』
『もう突っ込んで行ったわ! 一緒に連れている魔獣の数が多すぎて……それに、瘴気に巻かれた一般人も……!』
「ちっ」
さやかは、舌打ちすると、走りながら周囲に人気が無いのを確認してから、右手の中で指輪のソウルジェムを本来の姿に戻しつつ、その放つ光を見に纏う。
青い魔法少女の装束になったかと思うと、弾丸のように鋭く跳躍し、一気に魔獣の方へと向かっていく。
「くそったれぇ!」
上条家のあるはずのあたりで、杏子が毒つきながら、連結を切り離して多節棍になった槍を使い、群がる、少女の姿をした魔獣たちを、片っ端から砕いていく。
「くっ!」
ちらりと一瞬、後ろに目をやると、あまりに濃く、しかも広範囲に広がった黒い霧に巻かれた通行人が、卒倒しているのが見えた。
以前の杏子なら、魔獣は退治する一方で、一般人の被害は省みないところがあった。しかし、今の杏子に、そう言った戦い方はできない。
槍の柄を一瞬戻し、即座に再び連結を切り離して、群がる魔獣をまとめて砕いた。
だが、あまりに多勢に無勢。
杏子自信はどうということも無いが、一般人をすべて救うことは、かなりの難易度のように思えた。
『マミ! 早くしろ! 支えきれねぇぞ!』
多節棍を振るった反動で、空中で仰向けの姿勢になった杏子の視界に、マミが必死に広げているリボンが、何とか塔の上までドーム状に覆おうとしているのが、目に入った。
『こう範囲が広くちゃ、そう簡単には張り切れないわ』
結界を展開しているマミも、悲鳴のような声を上げる。
「くっ、まずい……」
杏子は、民家の屋根の上に着地し、勢いあまってテレビアンテナを蹴飛ばしてしまいながら、迫ってくる新手を見て、ギリ、と奥歯を鳴らす。
これまでの波状攻撃より、明らかに数が多い。
杏子の多節棍が薙ぎ払う──が、半ば予想したとおり、取りこぼしが出た。
魔獣たちは、「ケケケケ」、と、杏子を嘲笑うかのように、跋扈し始めようとする。
「くそっ!」
一度槍を元に戻し、振り返りながら再び連結を外そうとしたとき。
下から迸ってきた青い閃光の雨が、魔獣たちを次々に貫き、砕いていった。
「バカヤロ、おせーぞ!」
「悪いと思ってるわよ!」
杏子とさやかは、そうやり取りをしつつ、各々手にした槍と剣とで、残った魔獣を砕いていく。
『結界、完成するわ……今!』
マミからのテレパシーがそう伝えた瞬間、黄金色のリボンが覆ったその空間の中から、色彩が消え、あたりの光景は黒地に白い線で書かれた線画のようになった。
「よっしゃ、行くぞっ!」
「言われなくたって!」
2人は、民家の屋根を蹴り、戦車に乗って行進する塔へと向かって飛び出す。
そうはさせじとでも言うのか、少女形の小人姿の魔獣の新手が、正面から無数に向かってくる。
「Load set」
さやかは、白いマントを一度翻すと、そこに無数の剣を生み出した。
剣は、切っ先を前に向けたまま、次々に青い閃光になって発射され、魔獣の群れに突き刺さっていく。
「へっ、こうなりゃどうってことねぇよ、こいつらは!」
杏子は口元で不適に笑いながら、さやかの射撃をすり抜けてきた残りを、槍で次々に砕いていく。
「けど、自分でこれ見て倒すのは、いい気分しないわね」
さやかは、自らも右手に剣を握って接近戦にもつれ込みながら、不快そうな顔をして言う。
「!」
杏子が、紅い光を纏ってさやかに急接近する。
塔の魔獣が刃のようなものを、さやかに向かって、ドシュッドシュッと何発も発射したのだ。
「え!?」
さやかが声を上げたときには、すでに、杏子の槍が多節棍になって、それを弾き落したところだった。
あたりに散乱した、刃のようなそれは……──
「なに、これ……っ……!?」
それは、バイオリンの弓を巨大化したような代物だった。弦の部分が、刃のようになっている。
「まさか……そんな、っ」
さやかは、塔の魔獣を見上げて、その場に呆然と立ち尽くしてしまう。
「バカ野郎、何をボサッとしてやがる!」
杏子が、さやかを抱えるようにして突き飛ばす。
その次の瞬間、それまでさやかたちが立っていた場所に、バイオリンの弓の刃がどすっドスッと突き立った。
パパパパパパパッ
なんとか難を逃れたさやかと杏子の頭上で、黄金色の閃光が無数に弾ける。
「なんとか、間に合ったようね」
2人が見上げると、民家の屋根の上に、無数のスナイドルを周囲の空中に従えたマミが立っていた。
「Reload」
尚も向かってくる新手の魔獣に対し、マミのスナイドルが再び一斉に火を噴いた。
それをすり抜けてきた残りを、さやかと杏子が砕いていく。
そこへ撃ち込まれる刃の弓を、マミが新たに生み出したスナイドルを次々と両手に握り、クイックアクションで撃ち落としていく。
「けど、このままじゃあ……」
「うん、まずいわね」
近付けない!
3人に共通の意識が走り、焦りが見え始める。
「瘴気が広範囲に広がりすぎているの、本人だけじゃなくて、あたりの人間の負の感情まで巻き込んで、魔獣を生み出す糧にしているのよ!」
マミが、射撃を続けながら憔悴した口調で声を上げる。
「それじゃあ、キリがねーってことじゃねぇか!」
杏子が毒つく。
一方、さやかは──
何とかしなきゃ、何とかしなきゃ……
そう頭では考えるものの、そればかりが思考を占めて、まったく打開策を思いつくことができない。
痛覚遮断で特攻することも考えたが、さらにそこからあの塔を破壊するだけの技を使う自信が無い。
3人は、手詰まりか、と半ば覚悟を決めかける。
「っ、しまった!」
最初に手を落したのは、マミだった。
コスチュームの、トリガーのタッチを感じるために指貫にしてあったグローブが仇になった。
魔法少女になっても、意識してそれをとめない限り、肉体は新陳代謝を続ける。激しい運動をすれば、当然汗をかく。
その汗で濡れた指でトリガーを弾いた瞬間に滑り、銃身が大きくぶれた。修正の利くレベルではない。
悪いことに、それはさやかに向かって打ち出された、弓の刃を狙っていた。魔獣と斬りあっていたさやかに、撃ち漏らされた刃の弓が迫る────
「!」
それを凝視してしまっていたマミが、目を見張った。
どこからか飛んできた投擲斧が、さやかの寸前でそれを破断し、撃ち落した。
異変はそれだけではなかった。
キィィィィィン……
それまで、遮二無二3人めがけて突っ込んできていた魔獣の群れが、突然、フラフラと彷徨うような動きに変わった。
しかも、その魔獣たちを、塔の魔獣が放つ弓の刃が、次々に撃ちぬいていく。
「なにこれ……どうなってるの!?」
あまりに唐突な状況の変化に、3人は目を疑い、さやかが代表するように声を出した。
「みなさん、今です!」
そこに別の声が響いてくる。サッきゅんのものではなかった。
「今なら近付けます!」
フォレストグリーンを基調に、白い提灯袖、チェックのブラウス風の装飾を組み合わせることでチューブトップ風を演出しているワンピース。羽飾りのついたベレー風の帽子、装飾を意識しながらもしっかりと踏みしめられる構造のショートブーツ。
両刃のロングアックスに、投擲斧を格納した、左腕の甲に固定された小さな円い盾。
「うそ……アンタ……」
さやかは、ぶるぶると震えながら、力の入らないような様子で、新たに現れた魔法少女を指差した。
「仁美!? アンタ、どうして!?」
────上条家から仁美を救出した、魔法少女姿のサッきゅんは、一旦マミのマンションの屋上まで退避してきて、そこで小脇に抱えるようにしていた仁美を、一旦両腕で抱えるようにしてからゆっくりと下ろした。
「大丈夫? 怪我はないかい?」
サッきゅんは、心配気な表情で仁美を見つつ、そう訊ねた。
「ええ、かすり傷程度ですわ」
仁美は、制服を払うようにしながら、そう答える。
「そっか、よかった」
サッきゅんは、そう言って、軽く胸を撫で下ろした。
「あれが、魔獣、ですのね?」
仁美が問いかけると、サッきゅんは素直に頷いた。
「人間の、絶望、呪い、嫉妬、恨み、そんな負の感情が具現化したモノ。それらが“熱量換算可能なエネルギー”に変化する過程の段階の存在だけど、人間にとっては害悪以外の何者でもない。そう言う存在」
「上条くんは……どうなったんですの?」
仁美は、巨大な動く塔を黄金色のリボンが覆っていく光景に視線を向けながら、サッきゅんに訊ねる。
「今は、自身の呪いである魔獣に取り込まれた状態。でも安心して。魔獣を倒せば元に戻るよ」
サッきゅんはそう説明する。
「その為に、魔法少女はいるんだからね」
サッきゅんは、仁美に向かってそう言うと、
「でも、これはちょっと規格外だ。彼女たちでも苦戦するかもしれない。ボクもできる限りサポートしてあげないと」
そう言って、塔の異形のいる方へと向かおうとする。
すると、そのサッきゅんの、ピンクがかった白い尻尾を、仁美の手がむんず、と掴んだ。
「お待ちください!」
「きゅぶぃ!」
尻尾を引っ張られて、サッきゅんは悲鳴を上げる。
「な、何をするんだよ」
サッきゅんは、お尻を抑えながら抗議を上げるように振り返る。
「その魔法少女の中に、……いえ、美樹さやかは魔法少女なのではありませんか?」
「う…………」
仁美に、険しいというほどでもないが鋭い目を向けられながら問い質されて、サッきゅんはたじろぐ様にして言葉に詰まらせる。
「そして、契約の際に叶えた願いは、上条恭介の腕の機能を回復させること。違いますか?」
「…………その通りだよ」
観念したかのように、サッきゅんはため息混じりに肯定の返事を返した。
「では、どうして、その事を私や上条くんに伝えなかったのですか!?」
仁美は、悲痛な面持ちでサッきゅんに問い質す。
「それは、本人じゃない以上、断言はできないけれど……今、この光景を目にしなかったとして、キミたちはそう言われて、信じることができたかい?」
「! それは…………」
サッきゅんの言葉に、今度は仁美の方が絶句する。
「それが普通だよ。大半の人間はボクたちのことを認識していない。魔法少女のことも知らない。自分が願った奇跡で何かが起こった、なんて言われても、普通は誰も信じない。それどころか、下手をすれば、
サッきゅんは、どこか醒めたような表情になって、そう言った。
「…………魔法少女というのは、普通の人間とは、違う存在なのですか……?」
「……そうだね、生身の人間とは、根本的にとは言わないけれど、決定的に違う。それに、詳しい説明をしなかったせいで、彼女たちを苦しめることにもなってしまった」
何ば自失したような表情と姿勢で、呟くように問いかける仁美に対し、サッきゅんは、少し悲痛そうな表情になって、そう答える。
「だから、上条くんへの本当の気持ちも封じた……」
「そのへんも、ボクが断言できるようなことじゃない」
仁美の呟くような言葉に、サッきゅんは軽く首を振ってそう言った。
「ただ…………借りた言葉だけれど、希望と絶望は等価値なんだよ。2つを同時に手に入れることはできない。さやかは、上条恭介の腕を治した奇跡の代わりに、上条恭介と共にあることを諦めたんじゃないのかな? そして、それをキミに託したんじゃないのかな?」
「…………っ!」
仁美は、下唇を噛む。
「そしてそれは、彼にも同じことが言える」
サッきゅんは、努めてニュートラルに言う。
「上条……くんにも?」
仁美が聞き返すと、サッきゅんは、軽く頷いてから、
「さやかが契約にいたった一部始終を、ボクは見ていた。彼はそうとは自覚せずに、さやかと、自分の腕とを、天秤にかけたんだ。天秤を動かしたのはさやか。でも、そうさせたのは彼。さっきの言葉通りなら、その彼が両方とも手に入れることは、できないんじゃないのかな」
と、自分でもいまいち断言はできないというように、そう説明した。
「…………」
「さやかはボクがついてフォローしてあげる。だからキミは、ここで起きた事は忘れれば良い」
サッきゅんはそう告げて、今度こそ踵を返し、戻ろうとする。
「勝手に、託されても、困り、ますわっ…………」
仁美が、かすかな声で呟いたのを聞きつけて、サッきゅんは今一度だけ歩みを止める。ただし、振り返りはしない。
「私、はっ……」
ただ、自分が欲しいモノ、自分のものにしたいモノのために、行動していた。
それは、紛う事なき事実。
けれど────
けれども────
今、
「サッきゅんさん、でしたわね」
力なく膝を突いてへたり込んだ姿勢のまま、仁美は顔を上げると、真剣な瞳でサッきゅんを見上げる。
その態度に、サッきゅんも振り返ると、魔法少女姿の顔を、真摯なものにした。
「私とも契約できる、と、仰いましたわね」
「うん、今ならね。でも、キミはそれを望まないと思っていたんだけどな」
静かに言う仁美に対し、サッきゅんはニュートラルな口調で、自分の思ったところを口に出す。
「ええ、でも、たった今、願いができましたの」
仁美は、言いながら立ち上がり、サッきゅんと向かい合った。
「その意思があるというんなら、僕には拒むことはできない」
サッきゅんは、やや困惑気に眉を潜めて、そう言った。
「さやかさんの願いに比べたら、取るに足らないもの。でも、奇跡でしかなしえないこと、ですわ」
そして、仁美は願いを口にした。
「さぁ、叶えてくださいまし、SQ!」
仁美の言葉に答えるかのように、その身体から、眩いばかりの光の柱が立ち上り始めた。
胸から溢れ出したフォレストグリーンの光が、空中で集まって珠になり、ソウルジェムを形成する。
「ここに契約は成立した。今からキミは、魔法少女だ」
「何やってんのよ……アンタ……」
ふるふると震えながら、さやかは仁美を凝視して、訊ねる。
「ご心配なく。私、少々ですけど武道も嗜んでおりますから」
「そうじゃない!」
仁美がニコリと笑って答えると、さやかが声を荒げた。
「なんで、アンタもなっちゃったのよ……ま、魔法少女に……」
「それは……」
震える声で問い質すさやかに対し、仁美は、答えかけて、
「!」
と、急に表情を険しくし、視線をさやかから離した。
迫ってきた魔獣の1体を、手にしたロングアックスで切り裂き、消滅させる。
「詳しい話は後に! 魔獣の力は、だいぶ弱っているはずですわ!」
「そうだな、まずは目の前の相手を片付けちまおうぜ」
仁美の言葉に対して、杏子がさやかの背後から同意の声を出し、槍を両手で構えなおした。
「くっ、解かったわよ、やってやろうじゃない!」
さやかも言い、両手に白銀の剣を1振りずつ生み出す。
「はぁぁぁぁっ」
マミを除いた、3人の魔法少女が、己の武器を振りかぶって、突進する。
仁美は、その進路上に立ちふさがる魔獣に対して、僅かに進路を逸らしつつ、横から薙刀の要領で薙ぎ払う。そのままの勢いで放物線を描きながら塔の魔獣に迫り、ハンマーの要領でロングアックスを振り下ろし、叩きつけた。四隅の尖塔の1つが、崩壊する。
杏子は同様に、行く手を阻む魔獣の姿を確認するや、槍の柄の連結を解いて多節棍にし、複雑な軌道をいとも簡単に描かせて、魔獣を打ち砕く。直後に柄を連結させて槍に戻すと、それを紅く光らせながら、仁美とは反対側の尖塔に、それを突き立てる。爆発したかのように、尖塔は破壊された。
正面から迫るさやかに向かって、塔の魔獣は弓の刃を放ってきた。さやかは右手に握っていた剣を投擲する。青い閃光になったそれは弓の刃を破壊し、さらに塔の魔獣の正面に突き刺さって、穴を穿った。さやかは左手の剣を青く輝かせると、その穴からに中に飛び込んだ。かと思うと、まるで己が弾丸になったかのように、内部を突き破って、その後ろ側に貫通する。
塔の魔獣は傷つき、ただでさえ緩慢な動きがさらに速度を落とす。少女を模した小人の人形は、すでに姿が見えなかった。
「みんな、行くわよ!」
3人が一撃離脱で塔の魔獣から離れたとき、すでにマミの手には、その銃身が臼砲、と言うより加農砲のようになったスナイドルが握られていた。
「Tiro Finale────!!」
黄金色の閃光が、正面から塔の魔獣に命中する。
最初は若干威力不足かに見えたが、やがて光が塔の内部ですべてを巻き込む竜巻のように渦巻き出し、すべてを飲み込み、崩壊させ消滅させていった。
「私の願いは────」
最初からそれを、覚悟していたはずだった。
そんなものは失っても、どうということはないと思っていた。
否、そもそも失うとか、そんな表現をするべきものですらないと思っていた。
けれど。
一度知ってしまったその居場所は、あまりに居心地がよくて。
無意識のうちに、それが当たり前になっていた自分に、自分は気づかないでいた。
自分は弱くなったのかもしれない。
自分を弱らせたあの人が忌々しい。
それ以上に、その状況に甘んじてしまった自分が忌々しい。
だけど、もうそれを忘れることはできない。
けれど、それに気がついたときは、もう遅かった。
自分で、それを金槌で滅多打ちにしてしまってから、そのかけがえのなさに気がついた。
それが治せるだなんて思っていない。
でも、せめて夢だけは見たい。
「上条恭介から、私、志筑仁美と、美樹さやかの記憶を、消してください」
「はっ」
恭介が意識を取り戻したとき、彼は、防音室の中に備え付けられた、休憩用のソファに深く腰掛けていた。
どうやら、うたた寝をしてしまったらしい。
傍らにあったバイオリンを確かめる。異常が発生していないか、試しに弓をかけてみた。
覚えたばかりの譜面を、弦に走らせてみる。
弦は淀みなく鳴った。
最近陥っていたはずのスランプは、まるでそれが嘘だったかのように、恭介の腕は、滑らかにバイオリンに曲を奏でさせ続ける。
それは、バイオリン独奏曲になっている譜面は大変珍しいものだと言われ、挑戦し始めた楽曲。
バイオリンがウィリアム・シェイクスピア作曲『Where griping grief』を奏でる。
なぜだか解からないが、目尻にたくさんの涙が浮かんだ。
なぜ悲しいのかも解からないのに、恭介はバイオリンをとめることができずに居た。