ぐだ子(女主人公)を主役にするFate/Grand Orderの二次創作短篇。
各篇独立した話なので、登場するサーヴァントは異なります。

「道成寺天花法剣(どうじょうじはなのつるぎ)」 ※「魔を降す剣」から改題
 登場人物:武蔵、清姫

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夢を通ってある小さな特異点に迷い込んだぐだ子と武蔵。武蔵の記憶から再現された世界かとも思われたが、二人の前に現れた異界の清姫が告げる。この世界は道成寺縁起、安珍と清姫の伝説の舞台となった場所であり、狂える蛇が民衆を苦しめていると。ぐだ子と武蔵は、彼女に協力して、事態の解決に乗り出すのだった。


外題:道成寺天花法剣(どうじょうじはなのつるぎ)
 「魔を降す剣」より改題


道成寺天花法剣
道成寺天花法剣


 こんな夢を見た。腕組みをして立っていると、二刀流の女が近づいてきた。

 

「なんて漱石を気取ってみたりなんかして。まーたこのパターンかー。もう十夜どころじゃないぞお」

 

 マイルームのベッドの上で、まどろみの中に落ちるやいなや、間を置かずに訪れる唐突な覚醒。不自然なほど眠気の残らない、しっかりと開かれた目で辺りを見渡せば、お馴染みとなった見知らぬ光景。

 

「今回はいつのどこに飛んだのやら」

 

 グランドオーダーを開始してより、いつの頃からかぐだ子は夢を見るようになっていた。

 契約をしたサーヴァントと内容を共有する不可思議な夢だ。

 マスターとサーヴァントとの間に繋がれた、霊的な経絡(パス)の影響だろうとするのが医療班と技術班とに共通する見解だった。なぜそれが起こるのか、原理に対する見解は十人十色で現状不明としか言いようがなかったが。

 そして稀に出会ったことのないサーヴァントと繋がることもあった。

 

「武蔵ちゃんと初めて会ったのも夢の中でだったよね」

「いやー。あたしにとっては生身の頃の現実だったんだけどね」

 

 新免武蔵守藤原玄信(しんめんむさしのかみふじわらのはるのぶ)。通称を宮本武蔵。言わずと知れた二刀流、本朝第一の剣豪である。正しくはぐだ子の生まれた世界とは、異なった歴史を歩んだ平行世界の武蔵である。数奇にも平行世界の漂流者と成り果てた彼女と、いかなる巡り合わせか、ぐだ子は夢の中で出会い、一つの冒険を共にした。

 

「そうだった。ねえ、武蔵ちゃん、さ。この場所に心当たりってある?」

「んー。むむむ……ごめん! 日本のどこかだとは思うけど、ちょっと分かんないや」

「だよね! ありがとう。武蔵ちゃんは悪くないよ。実は私もそうだろうなって思ってた。だって、ここ、一面見渡すばかりの、焼け焦げた原っぱだし。なんだろう山火事でもあったのかな」

 

 きょろきょろと周囲を見渡す。

 焼野原はかなりの遠方まで及び、四方どちらを向いても、目に入る山々を越えても続いている気配があった。地勢としては、本州のどこか、それも近代より前の時代ではないかと思われた。

 その様子を見守っていた武蔵だったが、やにわに刀の柄に手を添えると、一閃、剣身を煌めかせ、飛来した何かを一刀の下に切り捨てる。

 命と共に空を飛ぶ呪力も失われたのか、火の粉をまきちらしながら、重力に依って地に落ちる。

 傷口から燃え盛る血が流れ出て、轟々と、周囲もろともその蛇体を燃やし尽くした。

 

「……蛇?」

「蛇ね。空を飛び火を吐き散らす蛇か。むかし明国に迷い込んだ時、土地の妖術師が使役する似たようなのを斬ったことがあるんだけど、さては、それの同類かしら。なんていったっけダンサーだかタンサンだかそんな名前の」

「へー。でも、火を吐く蛇かあ。翼もなかったよね。ドラゴンじゃなくて、蛇が火を吐くって珍しいよね。……毎日見てるような気もするけど」

「呼びました? ま・す・た・ぁ(ハート)」

「うんうん。そんな気はしてた」

「え? は? 怖! たしかに今まで居なかったよね。影も形も何の気配もなかったんだけど」

「武蔵ちゃん。きよひーだし」

「えぇー」

「慣れだよ、慣れ」

「うふふ」

 

 混乱と諦観と鈴を転がす笑い声。

 

「ま。いっか! それで、清姫ちゃんも来たってことは、今回の主役は、私じゃなくて、彼女なのかな、もしかして」

「その可能性が高いかなあ。それで……はじめまして、だよね、きよひ……清姫さん」

「まぁ! 一目で分かってくださるだなんて、あなた様と縁を結んだ清姫は、愛されているのですね」

「あの子の愛はちょっと重すぎて、1%も返せてる気はしないけど、それでもすごく良い子だしね」

 

 和やかに笑い合う二人に、呆れを含んだ視線を向けると、武蔵は刀を鞘に納めた。武蔵には目の前の彼女とカルデアの清姫と見分けがつかなかった。総州松平の姫君といい、我が主はよくよくこの顔に縁があると見た。

 

「では、あらためてご挨拶を。縁により招かれたカルデアのマスター様、従者様。わたくしはクリカラ。かつて清姫と呼ばれた少女を器に、サーヴァントとしてこの地に応現しました。クラスはセイバーですわ」

「セイバークラスのきよひー」

 

 ぐだ子は戦慄した。脳裡をよぎるナイスボートなる不穏な響き。実際にはよく似た別人に等しいと分かっていても、鋭い恐怖が背筋を走り抜けた。

 

「あ。ごめんなさい。ちょっと驚いちゃって。クリカラさんは清姫の別側面というわけじゃなくて、あの子を核にした……つまり神さま系?」

「神さま系です」

 

 一度だけランサーにクラスチェンジした姿を見たが、あれはあくまでもカルデアと契約したバーサーカー清姫に対して行われた、スカサハの施したルーンによる霊基の一時的な改竄である。

 今回はそれとは異なり、イシュタルやパールヴァティーら依代の身に降臨した女神たちの事例だろう。

 

「クスクス。では参りましょうか。マスター様、新免様。この地を覆う厄災。わたくしたちがこの地に呼ばれた理由。その仔細は歩きながら説明させていただきますわ」

「分かった。武蔵ちゃんもそれでいい?」

「もち。行きますか」

 

 三人は、クリカラの先導で、その場から歩きだした。

 

「それで向かう先は?」

「道成寺。正確にはその焼け跡ですわ。つけくわえると今は延長六年、清姫が安珍を焼き殺した日から、一月ほどが経っています」

「焼け跡って言った? それっておかしくない」

 

 武蔵が待ったをかける。

 

「道成寺のお話は私も知ってるけど、あくまで焼いたのは鐘に隠れた僧侶安珍で、お寺は焼いてないはずじゃ。私が生きてた頃も残ってたわよ。そりゃあ建て直しはしてるでしょうけど。それともこっちの世界だと寺ごと焼いたってこと?」

 

 最後の問いはマスターに対して向けられたものだ。

 当然、応えは「否」である。

 ぐだ子の知る安珍清姫の伝説でも、クライマックスは梵鐘に隠れた安珍が鐘ごと焼き殺される場である。寺は焼けない。

 

「清姫は狂ってしまったのです。いえ、最初から最後まで恋に狂ったバーサーカーですけど、そういうことではなくて、狂おしく心を焼き、身を焦がす愛恋の情火は、ついには彼女を、無辜の衆生にまで火を吐きつける悪しき蛇に成り果てさせてしまいました」

 

 楚々たる外観、玲瓏とした声、歩き姿も清姫そのものだったが、やはり別人なのだなとぐだ子は思った。

 こんな客観的に、いっそ突き放したくらいの態度で、己の狂愛を語れる娘ではない。

 

「そんな折、不動明王の法剣を振るう強き剣士と、彼女を従えるマスター様が現れたのです。これはもう、わたくし、運命ではないかと!」

 

 いや、やっぱり、思い込みが強そうなところは一緒かな。

 

「さあ! 見えてまいりましたわ。あそこが蛇のねぐらです」

 

 そうするうちに、焼け落ちた、かつて寺であった物の残骸が見えてきた。正しくは、もっと前から見えてはいたが、それがそうだとは分からなかった。それくらい無残な有様であった。

 

 

 

* * *

 

 

 

「まずは一当て。せいやっ!」

 

 鐘に巻きつく大蛇に武蔵は斬りかかった。

 一当ての言葉通り、相手の力を計るのを目的とした軽い攻撃ではあった。しかし、そこは古今随一の剣豪の業前である。月並みの怪物であれば、それで勝負はついていただろう。

 

「硬ったー」

 

 岩でも叩いたような衝撃に顔をしかめる。

 煤で薄汚れた黒灰色の蛇体の下から、元はカルデアの清姫と同じ白蛇であったことをうかがわせる、白鱗が顔をのぞかせる。

 

「まさか鱗の一枚も剥がせないとは。自信なくすわねっとぉ!」

 

 飛び退り、火の吐息から軽やかに身をかわす。

 斬って斬れないとは思わなかったが、考えなしに無理を押して撃ちこめば、剣が曲がるか、腕が痺れるか、良くないことがありそうだった。

 

「ふっふっふ。まあ、今回はあくまで偵察だし? 三十六計をきめさせてもらいましょう! じゃあ、またね!」

 

 踵を返し、一目散にその場から走り去る。

 蛇は興味がないのか、逃げる武蔵を追うことはなかった。

 足早に駆けることしばし。元は庭石であったと思わしき大石の陰で、待機させておいたマスターと合流する。

 

「お帰り。どうだった?」

「いやー。負けた、負けた、強いわ、清姫ちゃん」

 

 あれちょっとずるいんじゃない、と武蔵はぼやいた。

 清姫の宝具による転身には通常時間制限がある。それを常時展開しているようなものだ。

 

「あれが今の清姫。悪しき蛇ですわ。平時はああして安珍の墓とも言うべき梵鐘にとぐろを巻いて守っていますが、時折、狂を発しては、ねぐらより這い出で、自ら焼き殺したはずの安珍を求め、探しまわり、目につくものを手当たり次第に焼いてまわるのです」

 

 クリカラが解説する。

 

「紀州国衙から討伐の軍が幾度か派遣されましたが、すべて無残な失敗に終わりました。当然ですわね。あれは人の身が衆になったからとて討てる物ではありません。一百年の昔に没した坂上田村麻呂、今より四半世紀の未来に生まれる源頼光、当代であれば藤原秀郷(たわらのとうた)の如き、不世出の英傑のみが倒しうる大怪異」

 

 そして、と言葉をつづける。

 

「日ノ本一の武芸者に相応しき相手かと」

「またまたー。日本一だなんておだててくれちゃって、照れるなあー。でも、ちょっと不思議なことがあるのよね。クリカラちゃん。ううん、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)。あなた、どうして、自分で戦わないの?」

 

 表情も豊かに頬を染め、芝居っ気たっぷりに照れてみせ、一転、眼光も鋭く、いかなる意図があってのものか、と抜き打ちに追求する。

 

「戦いは不得手……などと白々しい嘘は申しませんわ。権現の身とは言え、わたくしは明王の利剣なる竜種の王(ナーガラージャ)。いかに盛強でも人の変じた妖蛇悪竜に(おく)れを取りはいたしません。すべてはあの哀れな娘の魂を救うためです」

「きよひーを救う?」

「その通りですわ、マスター様」

 

 

 

* * *

 

 

 

「きよひーを救う?」

 

 にわかに真剣な顔を作る。

 別にこれまでも不真面目だったわけではないが、なおざりにして、聞き逃してはならない言葉だと確信した。

 カルデアの清姫は、ぐだ子にとって、導きのドルイド僧クー・フーリンら冬木組に次ぐ、オルレアン以来の古株も古株である。

 たとえこの夢の世界の清姫が、自分の知る彼女とは究極的には別人であること、既に悪逆の怪物に堕した、異なった歴史のなれのはてだと理解していても、好き好んで討ち滅ぼしたい訳はなかった。

 

「いや、ちがうか。救うのはきよひーの魂って言った」

「その通りですわ、マスター様」

 

 クリカラは肯定する。

 

「マスター様の支援を受けた新免様なら、斬り殺すのは容易でしょう。あるいは放っておいても遠からず討たれる定めでありましょう。怪物退治は人の英雄の仕事ですもの。けれど、竜王たる清姫/倶利伽羅(わたくし)、人類の守護者たる英霊、なにより清姫と縁深いマスター、これだけ揃ってやる事が、斬って、殺して、さようならでは、あまりにも情けないではありませんか。それは御仏の心に叶うものではありません」

 

 清姫(みこ)の口を借りて、歌うように、託宣のように、倶利伽羅竜王は語りかける。

 

「地獄とは心の内に存するもの。瞋恚(しんに)熾火(おきび)は未だ消えず。今もあの娘の魂は壊劫(えこう)の火に焼かれ続けているのです」

「……きよひー」

「なにより、わたくしの此度の応現に際して、人であった頃の清姫の体が選ばれたこと。これ自体が、まさしく御仏のお導き。わたくしは、なんとしても、あの蛇なる娘を、無明の闇から解き放たねばならないのです。マスター様、新免様、伏してお願い申し上げます。どうか、わたくしをお助け下さい」

「もちろん。ううん、こっちが助けてもらう側なんだと思うな。協力しましょう。それで、わたしは、どうしたら」

 

 すると、一言。ひどく神妙な態度でクリカラは返した。

 

「殴ります」

「はい?」

「殴って、殴って、殴り倒して、命の危機まで追い込んで、ぐずぐずと恋だ愛だの考えられなくして、一度正気に返らせます」

「それは正気なのかな?」

 

 殴り飛ばされる蛇ではなく、発言者が。

 

「……如来の慈悲は宏大無辺。あらゆる衆生を照らし、救う、光明です。触れた者は自ずから悟り、苦界より脱っし得ましょう。ですが、ええ、ですが、わたくしは竜王ですもの。普段のお仕事は不動明王の剣として悪魔を調伏し、聞き分けのないお馬鹿さんたちを力ずくで正道に立ち返らせることですわ」

「そんな殴ルーラーみたいなことを」

「……ぷっ! あはははははは!」

 

 武蔵が耐えきれないとばかりに爆笑した。邪魔しないように黙っていたが、これは無理だ。

 

「いいわ。いいわね! 私、そういうの好きよ」

 

 

 

* * *

 

 

 

「やっほー。清姫ちゃん、さっきはごめんね。牽制の一刀からの逃げの一手とか失礼にもほどがあった。反省してます。あれよね召喚に際して与えられた未来の知識から似た事例を探せば……そう、ピンポンダッシュ」

 

 呑気なことを言いながら、武蔵は再び蛇の前に進み出る。

 

「ですので、リベンジマッチの今回は、最初から本気も本気の全力です。

 剣轟抜刀!

 南無。天満大自在天神!

 南無。大日大聖不動明王!

 我が開眼せし空の剣。無念無想すら断ち切らん。いわんや邪念邪想をや。初撃より全霊をもってお相手いたす」

 

 武蔵の全身より剣気がほとばしり、天地の精気と交じり(こご)って、不動明王の威容を形作る。

 明王の四臂が携える地水火風の四大の剣が、鐘に絡まる蛇を切り刻む。

 下等な妖物化生であれば、目にするだけで腰が砕け、触れるだけで塵と化す、悪想打破の破邪の剣。

 あるいはただの幻影ではなく、意気に応じた尊格の真の顕現であったかもしれない。

 しかし、蛇もさるもの。

 傷口から燃え盛る血を流しながらも、身をよじり、牙を立て、毒炎を吹いては、果敢に迎撃し、ついに斬撃をしのぎきる。

 怒れる蛇が、鎌首をもたげ、明王を将来した術者を、悪意に爛々と輝く鬼灯(あかがち)(まなこ)で睨みつけた。

 

「離れたな?」

 

 不敵な顔で武蔵が応じる。

 剣豪宮本武蔵の宝具が不動明王の勧請(かんじょう)で終わるはずもない。

 もとより狙いは大蛇ではない。

 その蛇体がとぐろを巻いて、頑なに守り続ける安珍の墓標。焼け焦げた梵鐘が真の標的であった。

 武蔵の剣が振り下ろされる。

 

「六道五輪・倶利伽羅天象!」

 

 天壌不二(てんじょうふじ)の大斬撃。四大を越えた空の境地の一刀である。

 あっけなく鐘は砕け散り、金屑と消し炭と骨の欠片が混ざり合った残骸が、あたり一帯に撒き散らされた。

 蛇のすべてが凍りついた。

 静寂。そして絶叫。

 

「安珍様! 安珍様! うわあぁぁぁぁぁー」

 

 気の触れた蛇は残骸に取り縋り、この世の終わりを見た幼子のように、いっそ無垢とすら思える声音で泣きじゃくった。いつしかその姿は大蛇から、見慣れた人の姿へと戻っていた。

 

「えぇーそういう反応?」

 

 一層怒り狂って襲い掛かってくるものと考えていた武蔵は、思いもよらぬ愁嘆場に、激しい居心地の悪さを覚えざるを得なかった。

 後味が悪くとも、いっそこのまま斬り殺してやった方が、彼女の為なのではないか、武蔵がそう思案していると、ふいにぴたっと清姫が泣き止んだ。

 天真爛漫を絵に描いた、万丈の喜びに溢れた笑顔で、振り返る。

 

「まあ! 安珍様ったら、そちらにいらっしゃったのね、死んだふりだなんて、人をびっくりさせるのがお上手なんだから。そう、本当に、人をだまして、びっくりさせるのがお上手ですこと。安珍様が我が家を避けて行ってしまわれたと聞いた時、わたくしがどれほど驚いて、悲しんで、怒って、怨んで、憎んだか! 妄語戒ひとつ守れぬ悪僧め! 嘘吐き、嘘つき、うそつき!」

 

 数多の修羅場を勝ち抜いてきた宮本武蔵をして、いすくまるほどの怨念と愛慕の入り混じる情念の圧力。

 感情のうねりにあわせて魔力が高まっていく。

 

「武蔵ちゃんさがって! 宝具が来る!」

 

 異常な魔力を察したぐだ子は迷わず撤退の判断を下す。

 

「まあ! 安珍様が一度に二人も。あらあらどちらが本物の安珍様なのかしら。迷ってしまいます。本物と偽物。どちらを先に焼きましょう」

「どっちも人違いです。なんて言って素直に聞くわきゃないか! マスター! 君こそ下がりなさい。クリカラちゃん、そっちはお願い。私の方はどうやら逃げている余裕はありません。なーに。爪先半分、空の位に踏み込んだ私です。なんとかしのいで見せましょう」

 

 腹を括った武蔵の前で、清姫が宝具を解き放つ。

 

 

 

瞋恚の毒よ、世界を焼け(あなたをころす)

 

 

 

 これは一つの恋の歌 嘘偽りのない無垢なる恋

 

 我が恋よ燃え上がれ

 赫々(あかあか)と物狂おしく炎を上げて

 粟散す最果ての辺土(くに)まで、轟いておくれ

 

 あなたを一目見た日から、わたしの世界ははじまりました

 わたしはあなたに愛を捧げて、あなたも受けてくれました

 

 ただ一日限りの邂逅が、あまりにも眩しくて、愛おしくて

 きのうのすべては、霧に閉ざされてしまったようです

 かわってあなたと過ごすあしたの、なんという輝きでしょう

 

 その日その時までわたしは幸福に包まれていました

 わたしの恋、わたしの愛、わたしの世界

 あなたがわたしの恋を殺すまで

 

 嘘だ、嘘だ、真っ赤な嘘だ

 だってあなたは約してくれた

 わたしに会いに来てくれるって

 

 だれもかれもが嘘を吐く

 訳知り顔で小娘に、世の道理を説くように

 あの男は行ってしまった

 お前は騙されたのだ、と

 

 これが叶わぬ恋であるものか

 あなたが去ったと言うのなら

 わたしはあなたを追うまでです

 

 どこまでも、どこどこまでも、追いかけて

 

 走れぬように足を焼き

 這えぬように腕を焼き

 騙れぬように舌焼いて

 

 嘘を誠にしてみせましょう

 

 安珍様 ずっとずっと 永劫果てる先まであなたを……。

 

 

 

 清姫の全身から吹き上がった毒の炎が武蔵を飲み込んだ。

 いたるところで火柱が上がり、あたり一面が火焔で染まる。

 

「武蔵ちゃん!」

「……マスター様、しばしご勘弁を、失礼をいたしますわ」

 

 苦鳴を発したぐだ子を、クリカラは抱え込むと、火勢の及ばぬ所まで飛ぶように駆けた。

 いくつかの火柱が寄り集まって、ひときわ太く長大な火柱を形成すると、その中から大蛇が再び姿を現した。また中小の火柱から、無数の蛇が吐きだされて行く。

 ぐだ子たちがこの世界で最初に遭遇し、武蔵の手で一刀断ち割られた蛇だ。

 

騰蛇(とうだ)ですわ」

 

 手にする扇で群がる蛇を追い払いながら、クリカラが火蛇について教授する。

 

「ここにいるのは、神性も失われた影法師のようなモノどもですが、もとは唐土(もろこし)の蛇神で、陰陽道では十二神将の一つに数えられます。悪しき蛇の放つ膨大な火の力に引き寄せられたのでしょう。……ええい、わずらわしい!」

 

 一喝すると、火を吐く蛇を、倍するほどの猛火が襲い、ことごとく燃やし尽くした。

 それからも襲い来る蛇を幾度か蹴散らした。

 襲撃が弱まったところで振り返ると景色は一変していた。

 

「うわあ。なにこれ、地獄絵図か何か?」

 

 炎獄であった。

 目路のかぎり、あらゆるものが炎に包まれていた。草木はもとより、土が焼け、岩が焼け、大気が焼けて、空の雲にすら火の手は届いた。空は夕焼けよりも赤々と染めぬかれ、雲は溶けおちて、火の雨が降りそそいだ。

 それもただ尋常の火が燃えているだけではない。

 心を焼いて、身を焦がす、瞋恚の毒の、その具象。

 

「これがきよひーの心象風景」

 

 武蔵の一撃に呼応して、展開された『瞋恚の毒よ、世界を焼け』。

 ネロの所有する黄金劇場。あるいはバベッジの纏う蒸気鎧。それら心象風景を具現化させる系統の宝具に類似した性質を持つと見えた。

 で、あれば、この毒気に満ちた火炎地獄こそ、清姫の抱く怒りその物。

 カルデア謹製の礼装を纏っていなければ、なによりクリカラが連れ出してくれなければ、いまごろ熱と煙にまかれて命はなかったのではないか、ぐだ子はあらためてぞっとした。

 

「どうってことありませんわ。新免様にも頼まれましたしね。ですが……新免様が先に逝かれるだなんて」

 

 見込み違いだったかとクリカラは内心で独語した。

 

「ちがうよ。武蔵ちゃんは死んでない。分かるんだ」

 

 マスターとサーヴァントの間を通る霊的な経絡は未だに健在だった。

 

「わたしも、武蔵ちゃんも、もっとすごい修羅場をいくつも潜り抜けて来たんだ。こんなのなんてことない、へっちゃらさ」

「まあ。それは頼もしいですわ」

 

 ぐだ子の体が小刻みに震えていることは、彼女に寄り添うクリカラには明白であったが、少女の強がりと、それを支える従者への信頼とを竜王は言祝(ことほ)いだ。

 

「これでは、わたくしも、負けてはいられませんわね」

 

 クリカラが扇を一振りすると、中空に生じた無数の火の玉が、燃え盛る炎の中へ飛び込み、毒の火を焼いた。

 古い映画で見たエジプトから脱出するモーセらの前に示された奇跡のように、火が割れて、道ができる。

 

「すごい」

「ざっとこんなものですわ」

 

 感嘆するぐだ子に、まんざらでもない様子で、コロコロと笑う。

 

「ですが、これは一時しのぎにすぎません。泣く子が叱声に面喰い、しばし怒りを忘れたまでのこと。気を取りなおせば、すぐにまた憤怒に心を支配され、地上を地獄に変えるでしょう」

 

「うん。行こう! 武蔵ちゃんと合流して、きよひーを直接叩く。つまり最初の目標通りだね。よし!」

 

 ぐだ子は意を決して、清姫の宝具の中に飛び込んだ。

 無秩序に徘徊する蛇の群れを時にやり過ごし、時に打ち払い、ぐだ子は奥へと進んでいく。

 

「どんどん炎が勢いを増していくね」

 

 中心に近づくほど、地形は荒廃の度を増し、火勢もまた強まっていく。

 

「だって言うのに、なんて物悲しい」

 

 火が燃え盛っているというのに、この寒々しさは何と言おうか。

 きっと、彼女には、もう安珍への執着と怒り以外の何物も残されてはいない。怒りに、心の中のありとあらゆるものを焼き尽くされてしまったのだ。

 

「だとしても、ひどい! こんな有様があの子の心象だって言うの」

 

 元来、清姫は一目惚れした旅の僧の元へ夜這いするほどの情熱家である。

 また、ぐだ子の知る限り、言動共に過激なヤンデレ娘だが、周囲をことさらないがしろにしたり、排他的に振る舞うようなこともない、根本的には心根の優しい、温厚な人物である。

 たびたび「戦いは不得手」だと本人も言うように、本当なら平穏な陽だまりの中にこそいるべき娘だ。

 その彼女の、平行世界の別人だとはいえ、彼女の心がこれほど虚無的である事実は、ぐだ子の心を苛んだ。

 

「あの子が自分でそうあることを選んだんだ。だから、これはわたしの気持ちの押しつけだ。でも、わたしはそんなの嫌だ。きよひーは友達なんだ。友達が道を間違えたなら、腕をつかんで引き戻してやる。絶対だかんね! わかったか! きよひー!」

 

 びしっと人差し指を、清姫に突きつけ、ぐだ子は宣言した。

 

「お帰りになられたのですね安珍様。うれしい!」

 

 喜色満面。初対面の女を安珍と呼び思慕の念を寄せる。

 

「聞いちゃいないか。清姫! まず、わたしは安珍じゃない」

「はい安珍様」

「だから違うってば」

「安珍様?」

「うぐぐ。つぎ、安珍はもう死んでる。清姫が自分で焼き殺したんだ」

「おかしなこと。わたくしは今、安珍様とお話していますわ」

「なにこの堂々巡り。分かってたけど、うちのきよひーだってまだ話は通じるぞ」

 

 童女のように無邪気で、同じくらいに頑なだった。

 ぐだ子の啖呵を認識しているかも怪しい。

 カルデアの清姫もぐだ子を安珍と呼ぶことはある。そこまでは同じだが、彼女の場合は夫婦の縁は二世(にせ)におよぶ理屈から、自分を召喚したぐだ子は安珍の生まれ変わりに違いないと信じているまでで、会話自体は成立する。

 一方こちらの清姫は一人ですべてが完結してしまっている。破綻具合がファントムを彷彿させる。

 

「聞けったら、この分からず屋。清姫、いまのあなたは見るにたえないよ。気づいてる、あんなに嘘が嫌いなあなたが、どうしようもないほどの大嘘吐きになっちゃってるんだよ」

「嘘? このわたくしが? 安珍様ったら、どうしてそんな悲しいことをおっしゃるの?」

「本当は自分でも分かってるんでしょう? ただ認めたくないだけで。安珍はもういないって、清姫が自分自身で焼き殺しちゃったって」

 

 さもなければ、安珍が隠れた梵鐘を、あれほど大切に守る理由がない。

 鐘の内部があらためられず、安珍の死が確定しさえしなければ、目をつぶっていられる。

 時折、発狂したように安珍を探し回ったのも、安珍が未だ存命で逃げ回っていると自分自身に言い聞かせる為のものだろう。

 

「やめ……」

「そこまでは……うん、嘘はついてないよね。都合の悪い部分に目をつぶっているだけで。でも、さっき武蔵ちゃんが鐘を打ち砕いて、中身をあばいちゃった後で、なおも他人を安珍だって言い張るのは、明らかな嘘だよね。だって清姫自身が信じていないんだから」

「やめて!」

 

 清姫は金切り声で叫ぶと、半狂乱になって、火の玉をぐだ子に向けて撃ち放った。

 だが、動揺しきった状態から、感情任せに放たれた攻撃など、たかがしれたもの、ぐだ子の前に進み出たクリカラが、扇をひらりとあおぐように使えば、瞬く間に消え去る程度のものだった。

 

「お見事ですわ、マスター様」

「気が重かった。正直今もすごくつらい」

「いたしかたなかったのです。誰かがあの娘の偽りを指弾する必要がありました。一念を糧として動く者は、純粋な分、激しくも脆い。怒りがわずかなりと薄れた今なら、つけ入る隙もありましょう」

 

 クリカラはぐだ子をねぎらうと、最後に「あとは打ち合わせの通りに」と小さな声で言い添える。

 

「悪蛇よ聞きなさい! 恋すら焼き尽くしてしまった哀れな竜蛇よ。おまえは『嘘』をついた。おまえ自身を裏切った。おまえの歪んだ愛は愛染明王ですら見放されることでしょう。せめて、わたくしの炎で焼き殺してあげます」

 

 ぐだ子の後を受け、クリカラはさらに糾弾する。

 

「この身は剣士にあらず。我は剣なり。不動明王が降魔の剣。貪瞋痴(とんじんち)の三毒を焼く智恵の焔」

 

 宝具解放の神呪。

 

「どうか御照覧あれ。マスター様。剣を持たぬこの身がセイバーのクラスたる所以をお見せしますわ」

 

 剣の神霊(セイバー)が呪句を唱え、宝具を、あるいはすなわち己の本性たる竜身を解き放つ。

 

『現身火生三昧』

 

 クリカラの胸元、ちょうど心臓の辺りから火を纏った竜が現れる。

 竜は天に昇り、たちどころに天を覆うほどに大きくなると、八方をねめつける。

 竜が一声吼えると、地を焼く炎は勢いを弱め、火蛇の群れはたちまち塵と化した。

 

 

 

* * *

 

 

 

「ふむ。火生三昧ときたか。ははは。これは案外、清姫は不動明王との仏縁があるのかもしれないな」

 

 いつだったか、清姫の宝具を見た胤舜が、そんなことを言いだした。

 

「うん? ああ、火生三昧というのはだな、書いて字のごとく火を生じる三昧(サマーディ)だ、では意味が分からんよなあ。ははは。怒るな、怒るな。三昧とは、簡単に言えば、瞑想によって到達できる精神が集中しきった状態のことでな。三昧正受。三昧境などともいうな。そしてこれが只人(ただびと)ならぬ菩薩や明王ともなれば、三昧に入れば特有の神通力を発現される。不動明王の場合は、一切の煩悩、天魔外道を焼き尽くす火を体からお発しになる。これを火生三昧というのだな」

 

 清姫の宝具は仏門の言葉だと説き起こす。

 

「その身を転じた結果が、一念不生、妄語(うそ)を許さぬ、火を吹く火竜と言うのなら、よろしい、清姫こそは不動明王が化身たる倶利伽羅竜王その人に相違あるまい。当の本人に自覚があるかは分からんがな。はっはっは!」

 

 そんな風に、仏僧はひとしきり笑って、話を終えた。

 そんなことを、ぐだ子は思い出していた。

 器となった清姫の体から飛び出した火焔の竜王は、天上から下界を睥睨(へいげい)し、破邪顕正(はじゃけんしょう)の咆号一声、急降下して、邪竜撃滅の攻に出た。

 竜蛇相搏(りゅうだそうはく)

 毒蛇は躍り上がって、天降る火竜を迎え撃ち、両者真っ向からぶつかりあった。

 竜王は爪牙を敵する蛇体に激しく突き立て、片や蛇はその身を蠢かせ、絡みつかせて、ギリギリと相手の体躯を締め上げる。

 竜王が火を吹きつければ、蛇もまた負けじと毒の炎を吐きかける。

 当初、勢いは互角に見えたが、やがて浄火が毒炎を焼き尽くした。

 たまらず悪しき蛇は悲鳴をあげる。

 さながら怪獣映画のクライマックスシーンだ。

 

「そんな感想を一番に覚えるのは、自分が日本人だからかな」

 

 オルレアンのファヴニールやウルクのティアマトを思い出させる大迫力。

 我が事ながら、とんでもないことに慣れた物だと思う。

 それらを越えていなければ、恐ろしくて、逃げ出していたかもしれない。

 

「言ったでしょう。『わたしも、武蔵ちゃんも、もっとすごい修羅場をいくつも潜り抜けて来たんだ』って。ここが踏ん張り所。だよね!」

 

 大声で叫び、気合を入れる。

 そして掲げるのは右手に刻まれたマスターの象徴。

 切るのは鬼札。

 

「令呪をもって命じる。賦活(ふかつ)せよ。セイバー。続けて命じる! 武蔵ちゃん! あの分からず屋にガツっと一発、行っちゃって!」

 

「任された!」

 

 号令一下、伏せられていた武蔵が、待ちわびたとばかりに、全力で飛び出す。

 解放された令呪の魔力の後押しを受けた俊足をもって韋駄天走りに駆けに駆け、竜王の吐息に、身にまとった毒炎を吹き剥がされ、むきだしとなった蛇の背を一足飛びに駆け上る。

 

「いやあ。絶景かな。このデカさ! いつぞやの鯨退治を思い出すわ。その時も暴れる巨鯨の背に乗って、こうやって刀を突き刺したのでした」

 

 気息を調え、剣の柄を逆手に握り、えいやっと一息に突き下ろす。

 

「蛇殿。我が渾身の一刀、馳走つかまつる。御免!」

 

 

 

* * *

 

 

 

 武蔵の一撃は霊核にまで達した。

 蛇体を支える芯鉄(しんがね)、竜骨は千々に砕け、魔力もあらかた霧散してしまった。

 

「最悪の気分ですわ」

 

 竜の姿を保てなくなった清姫が、心底苦々しい様子で吐き捨てた。

 

「何が不愉快って、こんなにも凪いだ心で、さきほどまでの怒り狂った己の醜態を直視させられている、この状況ですわ。酷い方々、どうしてあのまま狂ったままに逝かせてくださらなかったの?」

 

 蒼褪めた顔色は、魔力の喪失ばかりが原因でもあるまい。

 

「言ったでしょう。友達が道を間違えたなら、腕をつかんで引き戻してやるって。いや、こんなこと言われても、あなたは困ると思うけど。ここではない世界で、わたしは、清姫、あなたと友達になったんだ」

「ええ。本当に困ってしまいますわ。身勝手な方。わたくしは、貴女様のことなど何も知らないというのに」

「だよねー」

 

 平行世界の自分が死後、英霊として召喚され、戦いと旅を通して召喚者と絆を育むことになる。こんな話、客観的に見て胡散臭いこと甚だしい。私たちは前世でアトランティスの戦士だったと同レベルの与太話だ。

 

「ですが。本当の話なのでしょうね。だって現にそこにわたくしと同じ顔をした女性が」

「あっ。そうか、そう解釈しちゃうかー」

「違うのですか?」

 

 釈然としない顔。

 

「うん。違うんだ。でも、この流れだと、誰だってそう考えると思う。えっと、実はね……なんだかここへ来て一気に話がぐだぐだしてきたなあ」

 

 きまりわるく頭を搔く。なんだか思っていたのと違う方向に話が流れだしたぞ。

 

「あらためて名乗りましょう。初めまして、清姫、わたくしは不動明王が剣なる竜、倶利伽羅ですわ」

「竜王様?」

「悪竜の暴虐に苦しめられた衆生の救済を求める声に呼ばれて顕現したのです」

「それは……」

「聞きなさい、生きながら蛇道に堕した娘よ。わたくしは最初、あなたが先ほど望んでいたように、悪竜のまま討滅するつもりでした。わたくしの目には、もはや済度(さいど)(すべ)なきように見えたのです。曖昧の内に何も分からぬままに死なせてやる。それがせめてもの慈悲かと思われました」

「ならどうして……!」

「如来の慈悲の大いなるかな。大慈は時に非情に似たり。清姫、異界のあなたが築いた(えにし)。無道なる悪しき蛇として、瞋恚の火に焼かれ、死んでいくことを良しとしない方が居たのです。そのお方を御仏は遣わされました」

「仏様はちょっと分からないけど。あのさ。わたしの世界でも清姫は蛇になって安珍を焼き殺したんだ。でもそこで終わり。最後はそのまま入水してしまったって伝わってる」

「……その女は、きっとわたくしとは別人ですわ」

「かもね」

「愛が薄いんですわ」

「いやあ、あれ以上、重くなられてもなあ。本当はね、清姫、あなたが自殺しちゃったのもわたしは悲しいんだ。多分、他にも同じことを思った人がいっぱいいたんだろうね。ずっと語り継がれていくんだ。あなたの悲恋を題材にして、多くの物語が作られる。千年以上経っても現役だよ。とんでもないことだと思わない?」

「だから、それはわたくしとは別の女の話ですわ」

「それでも! 清姫さ、家族の事思い出せる? 家族じゃなくても良いよ。安珍以外で何か覚えてる?」

「なにを馬鹿なことを」

「覚えてないんだね」

「それがなんだと言うのです」

 

 記憶、感情、己のすべてを火にくべて、燃え尽きた成れの果てが、今の清姫であった。大切だったはずの物を失っても、それの価値が分からない、だから心が動かない。それはあまりにも悲しかった。許しがたかった。

 

「みんなあなたの事が大好きだったんだよ。あなたのことが大切で、忘れがたかったから、語り継いだんだ。それを忘れて、安珍のことだけ抱えて死んでいく? 冗談じゃない!」

 

 言っている間に一層腹立たしくなってきた。

 

「なるほど。クリカラさんが言うように、ぶん殴ってでも正気に返すべきなのか」

「マスター、マスター、落ち着け、落ち着け」

 

 変な方向に舵を切りかけたぐだ子を、見かねた武蔵が苦笑いしいしい、どうどうと馬でもなだめるように、落ち着かせる。

 

「いまちょっと笑ったでしょう。清姫」

「え? ええ、だって、おかしいんですもの」

「そっか。そうなんだ」

「なんですの」

「なんでもないんだ。こっちの話。ねえ、清姫、おなじことばかり言うようだけど、あなたは愛されてたんだよ。あなたが安珍を愛したように、あなたを愛した人もいたんだって、どうか覚えていて欲しいんだ。怒り狂ったあなたがしたこと、それが消え去ることはないけれど、あなたを好きだった人たち、それが消え去ることもまたないんだって。オマケで、怒りの炎が消えた後には、跡には何も残らない、そんな悲しい最後は許せない、そんな我儘な奴もいたって」

「……つくづく身勝手な方ですのね」

「……うん」

「覚えておきますわ。その情熱的な告白。ああ、でも、どうやら終わりが迫って来たよう」

 

 すでに清姫の霊核はひび割れていた。

 ここまで持ったのが奇跡に近い。もしかしたら、運命とやらが、気を利かせたのかもしれない。

 

「さようなら。……あら、くすくす、おかしなこと、こんなに長々と話し込んでいたのに、わたくしったら、貴女様の名前も知らないわ」

「ああ! ごめん。相手がきよひーだから、すでに知っているつもりでいたよ。周囲からはぐだ子って呼ばれてる。それで本名は……」

 

 最後まで伝えられただろうか。

 霊基の崩れる時に発する霊子の燐光の中に清姫は消えていった。

 

 

 

* * *

 

 

 

「夢か……じゃなくて、この現象、夢オチなのか現実なのか紛らわしいんだよなあ」

 

 ベッドの上で目を覚ました。

 枕に頭を乗せたまま、右手を上げて、手の甲を確認する。

 

「令呪は欠けてる。やっぱり現実にあったことか。あとで武蔵ちゃんにも確認しよう」

 

 時計を見れば、普段の起床時間よりも一時間ほど早い。起きだすのも億劫だが、二度寝するには時間が足りない。そうなると、布団の中でぼうっとするわけだが、色々と思考が空回る。

 

「結局、わたしがしたことってただの自己満足で清姫を苦しめただけなんじゃないだろうか」

 

 愚にもつかないことを考える。答えが出るはずもないし、出たところで、どうしようもない。

 

「なんにせよ。きよひーの心が、少しでも救われただろうか。その一助にでもなっていたら良いのだけど」

 

 するとベッドの下から声がした。

 

「覚えていますわ。あれほど情熱的な愛の告白でしたもの……きゃっ清姫ちゃん、照れちゃう」

「えぇ!」

 

 

<了>




pixivとの二重投稿になります。
同サイトで2018年12月15日から2019年1月13日にかけて連載した物を加筆修正しました。


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