1.東雲さんとの出会い
IS学園一年一組教室。
見渡す限り女子が敷き詰められたその箱の中心で、織斑一夏は憂鬱なため息を吐いた。
針のむしろと呼ぶにふさわしい空間。
自分が最大の異物でありながら、存在することを強要されるプレッシャー。
人生経験が豊富とは言いがたい思春期の男子にとっては、天国の皮を被った地獄である。
(き、キッツイ……)
全方位から突き刺さる視線。
いや……全方位、というのは語弊があった。
一夏はちらりと、右隣に目を向けた。
そこには当然少女が座っている。
綺麗な黒髪を下げた、紅眼の少女。女子としてはかなり高い背丈なのが見てとれた。
彼女だけが、この教室で一夏を見ていない。
興味がないのか、あるいは意図して徹底的に無視しているのか……その判断はつかなかったが、一夏にとってはありがたい話だった。
HRの自己紹介で
織斑一夏でさえもが知る超有名人。
『
それが東雲令である。
あああああ、とダミ声で呻いて、一夏はベッドに突っ伏した。
男子用に急遽割り当てられた一人部屋、他に人も居ない以上、誰かに遠慮する必要はない。
思い返すは今日という一日。
(なんで初日から、エリートと決闘なんてしなきゃいけないんだよぉ~)
きっかけはクラス代表を決定する、という織斑千冬の言葉だった。
知名度や注目度が先行し、多くの生徒が一夏を他薦。
それにユナイテッド・キングダム代表候補生セシリア・オルコットが噛みついた。
最終的には一夏とセシリアの決闘をもって、一年一組のクラス代表を決定することになったのだが。
(……東雲さん、カッコよかったな)
寝返りを打ち、部屋の天井を見上げて、一夏はスッと目を細めた。
圧倒的な知名度を誇り、その実力を保証されながらも、
セシリアが一夏を罵倒し始め、一夏がその喧嘩を買おうとした瞬間だった。
『大体、実力ある者こそが代表になるべきです。貴方のような見世物ではなく、東雲さんこそ日本人として代表に立候補するべきではありませんか!?』
『――当方は立場に興味がない』
全身が粟立ったのを覚えている。
たった一言で、教室の空気が、それまでの流れが斬り捨てられた。
『クラスの代表も、代表候補生も、国家代表も、平等に無価値である。ISを扱う以上、価値として認められるのは戦いの後に生き残っていたという事実のみ』
『……貴女はいつもそうやって、わたくしたちのことを、まったく歯牙にかけませんわね』
『セシリア・オルコット。戦績は六勝零敗。当方は六度生き残り、其方は六度死んだ。それ以外に価値判断の基準はない』
『……ッ!』
言葉から察するに、東雲はセシリアに六度勝利したことがあるのだろう。
『当方はIS乗りである。故にあらゆる他のIS乗りを打倒する。そこに肩書きは介在しない』
東雲はそこで文庫本を閉じて、セシリアを見た。
一夏には横顔しか見えなかったが、彼女の紅い瞳には、色合いとは裏腹に絶対零度の温度だけがこもっていた。
『セシリア・オルコット。其方は、其方が死んだ後に代表候補生という肩書きが遺れば、満足するのか?』
純粋な疑問の声色だった。
セシリアが言葉を失うのを確認して、それきり東雲は興味を失ったようだった。
(あれは、強さに裏打ちされた言葉だ)
一夏には分かる。
強さを持たない人間には、そんなことは言えない。
戦って、生き残る自信があるからこそそこに自らの存在意義を据えられる。
そうでありたいと思っていた時期が、あったような気がする。
けれど今は、一夏は守るための力を欲している。
だから強さのベクトルが違うのだろうと、その時はおぼろげに考えていた。
(……ん?)
一夏は不意に、そこで眉根を寄せた。
もし勝ちたいのならば。
彼女に師事するのが一番ではないだろうか。
ベクトルが違う。目的が違う。
だが操縦技量だけは嘘をつかない。
「……つっても、あのとっつきにくさじゃあなあ」
「失礼する」
ぼやいてベッドから立ち上がった瞬間、部屋のドアを開けて東雲が入ってきた。
一夏は硬直し、一度窓の外を見た。特に意味はなく、自分を落ち着かせるための行動。
(……え? 何?)
「織斑一夏、当方はこちら」
名を呼ばれ、幻覚ではないことがはっきりして、一夏は頬を引きつらせた。
「茶請けとかはないけど、大丈夫か?」
「気遣い痛み入る。緑茶を出していただけるだけでも当方は感謝している」
間近で見れば、ますますその美貌を意識させられる。
再会した幼馴染である篠ノ之箒とはまた違う。人を寄せ付けない雰囲気は似通っているが、箒のクールな印象とは異なり、東雲令は鋭利な空気を身にまとっていた。
「えーと、それで、どうしたんだ?」
東雲を部屋に設置されていた椅子に座らせ、一夏はベッドに腰掛けた。
部屋の照明が彼女の黒髪を照らす。少し紫色がかかっているだろうか。
「当方は日本代表候補生として、首相官邸より極秘指令を受け学園に派遣された」
「へー…………ワリィ、ごめん、もう一回頼む」
「当方は日本代表候補生として、首相官邸より極秘指令を受け学園に派遣された」
レコーダーを再生するかのように、声色に変わりなく東雲は同じ文言を告げた。
あまりに学校生活とはかけ離れた言葉に、一夏は思考が停止する。
「え? その、それを俺に言ってどうするんだ」
「当方に下された命令は、織斑一夏、其方の護衛」
「ご、護衛……ッ!?」
「暗殺、籠絡、妨害、傷害、あらゆる事態が想定され、あらゆる事態に最も対応できる人材として、当方が選択された。後日、織斑千冬からも説明があると思われる」
「…………代表候補生って……トム・クルーズみたいな仕事もやらされるんだな……」
「ジェイソン・ステイサムと言って欲しい」
思わぬ反応が返ってきて、一夏は目を丸くした。
茶化すと言えば聞こえは悪いが、あまりに突飛な事態を前に、彼なりに落とし込もうとして冗談めいた言葉を選んでしまったが――まさか東雲令が雑談に乗っかってくるとは。
というかジェイソン・ステイサムを知っているとは。
驚愕が伝わっていたのか、東雲は少し視線を一夏から逸らす。
「当方が知っていると変だと思っただろう」
「ああ、いや、変だとは思っていない。でも、東雲さんが知ってるのは、意外だとは思った」
「……承知。話を戻す。当方はIS乗りとして其方を護衛する。だが根本的な解決策として、其方の鍛錬も業務として行う」
自分の身は自分で守れるように、それまでは保護者がつくってことか。一夏は独りごちた。
それから、拳を軽く握った。
誰かを守るための力が欲しいと願っていたのに。
一番最初に告げられたのが、
なんたる皮肉かと自嘲の笑みが浮かぶ。
「明日の早朝0600に迎えに来る。準備をしておくように」
東雲はそう言って、椅子から立ち上がった。
「緑茶、馳走になった。何かしらの形で返す」
「おお」
渦巻く思考の渦中にいた一夏は、顔を上げられなかった。
(めちゃくちゃイケメンで緊張した)
東雲は部屋に戻ってから、ルームメイトである篠ノ之箒がシャワーを浴びているのを確認して、ベッドに腰掛けた。
(うわー、超緊張する。いやでも彼氏欲しいし、これ逃したら学校で男子と話す機会本当になくなっちゃうし、頑張らないと……でも男子ってどんな話すればいいんだろう……)
「ああ、戻っていたのか、先にシャワーを浴びてしまったぞ」
「問題ない」
バスタオル姿の箒がシャワールームから出てくるのを確認して、東雲は素早く立ち上がった。
「何か考え事をしていたようだが、どうしたんだ?」
「当方は千載一遇の好機を得た。だからこそどう立ち回り、好機をどう活かしていくかを考えていた」
替えの下着とバスタオルを抱えて、東雲はシャワールームに入る。
その背中を見送りながら、箒はごくりと唾を飲んだ。
「……千載一遇の、好機、か……学び舎をそう表現するのは、君ぐらいだろうな……」
気付け、お前の幼馴染超狙われてるぞ。