うせやろ?(茫然自失)
最初に気づいたのはいつだったか。
IS、という己が生み出した発明品を、束は誇らしく思っていた。
(何が東雲計画だ。何が織斑計画だ。人類全体のアップデートなんて、馬鹿馬鹿しい。いや、気持ちは分かる。空を飛んで、宇宙に進出して。そうやって前へ前へと進んでいく指向性は分かる)
だが幾世代にも渡って引き継がれてきた人為的な遺伝子改良と、人としての自我を顧みない機能拡張。それらは束の逆鱗に触れた。
(あんなの、要るものかよ。あんな風にしなきゃ進化できないなんて間違ってる。人間をナメるな。人間はそんなものじゃない)
千年にもわたる呪われた旅路の果てを、束は全身全霊を以て否定しようとした。
確かに人体はひどく脆い。強い衝撃を与えれば損壊するし、病原菌によって内側から死滅することもある。生存可能な世界は、地球という惑星の中ではひどく狭い。
だが人類には知恵がある。できないことを、できるようにする力がある。
(人間が人間のままできることなんてたかがしれてる。それを無理に内部構造へ組み込もうとするからどこかで破綻する。そういうのは
インフィニット・ストラトスという超兵器が発明された根底にあった発想がこれだ。
人類を信じているからこその、逆説的な博愛の証明。
特殊な先導者は必要ない。
フラグシップとなる新人類など要らない。
ただ人間は、みんなで進歩することができると。
篠ノ之束はそう信じていた。
「白騎士、お前が新世界の、平和の象徴になるんだよ。お前は秩序の純白色なんだ」
【──はい、分かりました】
体系的でない世界への憤りはある。
弱者を踏みつける構造への不満もある。
だけど暴力による革命ではなく、社会そのものが新しいステージに進むことで、誰もが幸福を享受できる世界になる、
「暮桜、お前が新世界の、正義の象徴になるんだよ。お前はISを悪用する人間を裁く、法の番人なんだ」
【──肯定】
いつ、間違ったのだろう。
いいや束は間違えてなどいなかった。
「世界を守るんだ。悪い人がいたら、やっつける。それだけでいい──それだけでずっと、ずっと、この世界はマシになる」
【──疑問。善悪の判断基準とは?】
「ああ、そのあたりは……後で倫理プログラムをインストールするから」
【──了解】
だが。
彼女は束の作業を待たずに、独自に善悪について考え始めた。
【疑問。何故、殺人は犯罪なのか】
【疑問。何故、笑顔は尊ばれるのか】
【疑問。何故、人類の九割が不幸を実感している世界において、大多数は変化を望まないのか】
それは束にとってはエラーだった。致命的とはいわずともバグだった。
疑問を吐き出し続ける思考ログを束は定期的に削除していた。
「どこから毎回引っ張ってくるんだか……外部アクセスも遮断してるはずだよね? なんでこんな……」
特に、織斑千冬の愛機として、最強の日本代表として活躍するようになってからが顕著だった。
無効化したはずのプロコトルを再設定し、『暮桜』は次第に自身の思考リソースのほとんどをその問いかけに注ぎ始めた。
【疑問。この世界で博士は満足なのですか】
【疑問。ISによる新世界において、人間の愚かさは是正されるのですか】
【疑問。先ほど死亡した三十六名の子供は幸福だったのですか】
束は生まれて初めて、根幹からの恐怖を感じた。
何度削除し、リセットしても繰り返される問い。
誰も答えられない疑問を並べ、しかし暮桜は人間とは違い、ずっとずっと無限に、その答えを探していた。
束は何度もそれを削除した。不必要だとコマンドを打ちこんだ。思えばあの時もう、彼女は創造主の手を離れていた。
【何故彼ら彼女らは死んだのですか】
【意味のある死だったのですか】
【死を笑う人がいるのは何故ですか】
秩序を守るための存在だからと。
そのためには
倫理プログラムでなく、自分が感じ取ったものを材料にして彼女は思考していた。
一体全体どこから感じ取ったというのか、束をして理解不能だった。
【何故彼を誰も助けなかったのですか】
【何故彼女は死ぬ必要があったのですか】
【どうして殺した。殺す必要なんてなかった。どうして他人を傷つけたがるんだ】
抽象的な問いと、具体的な問いが入り混ざり始めた。
彼とは誰か、彼女とは誰かと尋ねれば、数分前に死亡した個人名、国籍、家族構成などの個人情報が回答された。コアネットワークを介して、束の定めたルールを無視して、彼女は世界から情報を受信していた。
そして。
【博士、疑問があります】
「……あと十秒で、今までのログを全部消す。もうこれで何度目かも分からないよ。一体全体、次は何の質問かな? どうして人間は生まれたのですか、とか、私たちはどこから来てどこへ行くのですか、とか、そういうの?」
【いいえ】
【
全身に悪寒が走った。
その疑問は
束は彼女の廃棄を決定した。
日本政府に、秘密裏に暮桜の廃棄を打診した。
もっといい機体を造ると言えば、政府は快く打診した。
当時の織斑千冬は
だが時期がまずかった。
第二回モンド・グロッソ本戦の直前。
千冬のスポンサー、政府、すべての団体が、それが終わってからにしてくれと言った。二連覇を達成してから──彼女の二連覇に疑いの余地はなかった──束にとってもそれは、呑むしかない条件だった。
無理にでもあのタイミングで破壊するべきだったと、悔やんでも悔やみきれない。
織斑千冬による二度目の世界制覇は達成されなかった。
織斑一夏は心の奥底までを砕かれた。
そして、
一夏と東雲の『零落白夜』が猛る。
相対する世紀の天災と、決着を付けるために。
「ああもう……ッ! こっちはこんなとこで手間取ってる場合じゃないのに!」
「東雲さんを殺して、俺と千冬姉の記憶を消去して『白式』をリセットする──ってとこですか? 俺たちに勝てたら全部できますよ」
刃に翳りはない。
大剣を象る、光の凝縮体──『銀の福音』の光翼に近しい。だが光が固まったというには、眼を灼くような輝きはない。
むしろ誰かを温めるような、ぬくもりがそこにはある。
「何度でも言う! 私は絶対に、この世界を守り抜く! 『零落白夜』による破滅は広がらせない。世界を生命のない荒野にはさせない──!」
「何度だって答えます! 俺も世界の破滅は回避したい。だけど、そのために俺たちを犠牲にしようとするなら抵抗するッ!
大局を見る大人と、そうではない子供。
みんなの世界を守ろうとする彼女と、自分の世界を守ろうとする彼。
そこに価値観の優劣はない。善悪もない。正義の有無すら関係ない。
(そうだよ。抵抗は、いいよ。抵抗せずに、生け贄として差し出されても困る。そんな世界、守った意味がない。だけど──そうは思ったけど、抵抗しすぎなんだよっ! 私が倒されたら何の意味もない……ッ!!)
だから反逆の余地を残した。
それに勝利して、篠ノ之束による暴走という結果で、人々の倫理観を守ったまま次の世代につなげるつもりだった。
仮に世界を守ることに成功した場合、最大数を残せても全人類の半数は死滅する。
残った世代が、誰かを生け贄に差し出すことを良しとして生き残ったのなら、そこからきっとまた犠牲を許容し続ける。
それはダメだ。だから、
篠ノ之束唯一の誤算がそこにある。
だって悪役は、最後には打ち倒されるものだ。
「……おりむー。当方は其方を信じる。だから──」
「ああ。俺も君を信じるよ。俺と君なら、誰にも負けない。だから!」
視線は交わることなく、だが重なっている。
ぴたりと、二人は束を見ていた。
「……ッ!」
理解し合えても、お互いに譲れない。
だから衝突は必然だった。
【
一夏と東雲は同時に飛び出した。
振るわれる巨大な剣──絶剣。当然、直撃は敗北に繋がる。
(篠ノ之流相手に、迂闊な真似を──!)
千冬の懸念は的中。
すかさず束が迎撃態勢を取る。
「篠ノ之流・陰ノ型・極之太刀──」
「東雲さん!」
名を呼ばれ。
共に剣を振るっていた東雲が、微かに眼を細める。
だからどうした関係がない。先手を取ったつもりの相手に、一方的に攻撃を通す。それが篠ノ之流の根幹。極みに極まった技巧は相手の攻撃を誘発し、それを読み取って束は最速の斬撃を繰り出す。
一つ一つの動きが、一つの道を極めきった先に存するからこそ実現できる非現実的な絶技。
「──『絶:天羽々斬』」
そんな独りよがりの剣、通用するはずがない。
篠ノ之流、それは男に女が勝つための殺人剣術。無論流派として、一対多数の心得も存在する。
だがこれが単純な一対二だと考えること、それ自体が、束の視野狭窄の証明。
(……ッ! こっちの意識の間隙を縫うように、六連撃──!?)
今この瞬間において、最も眼前の術理を紐解けるのは、織斑一夏だ。
深紅眼の向こう側にして別次元、碧眼の世界の中で彼は陰ノ型なる技術を読み解いていく。
こと理解力においては、既に東雲令と織斑千冬すら圧倒しているだろう。
(なんだこれはッ!? どんな身体捌きをすれば──いいやそこじゃない! 来るもんは来るッ!)
微かな身じろぎのみで、連結した東雲に攻撃の存在を知らせる。
最早二人は一つの生命体。そのメリットは、つまり片方が分かればもう片方もそれを識ることができる、という連動性にほかならない。
通常なら遅すぎるだろう。
東雲令では、察知することができない。
織斑一夏では、察知できても対応できない。
だが今は違う。今だけは、違う!
(東雲さん!)
(フッ……3LDKは流石に家賃が高いか? しかし舐めるな。当方は将来の日本代表だ、その程度造作も──)
(ちっげぇよ馬鹿! ああいやこれって東雲さんに流出した俺の願望なのか? え? 俺東雲さんと3LDKで同棲したいの? え? 身の程を弁えろクソバカ野郎が! このッ……ふざけんなよマジで……! 俺なんて東雲さんちの犬小屋がお似合いだろうが……!)
(犬小屋が良いのか……(困惑))
(毎日帰ってきた東雲さんに、一番早く『お帰りなさい』って言えるからだよエヘヘ///──あ、すみません死にたくなってきたので帰ります……)
その話をするのは今は違う。今だけはマジで違う!!
(とにかく六連撃が来る! 分かるか!? 東雲さん!)
(ああ。おりむーが教えてくれたからな)
意思伝達は光よりも速く行われた。
昨日まで、先刻までの自分たちとは違う。
お互いの横顔を手がかりにして、瞳の中には未来へと続く道が見えている。
初撃──空を切った。
そこで束はやっと気づいた。見切られるはずのない斬撃が、見切られている。
「
鏡あわせのように振り下ろされた太刀が、互いを弾いた。
六方向から飛んでくる斬撃総てを、東雲令が防いだのだ。
「……ッ!?」
「──捉えたぞ、篠ノ之束……ッ!」
速度域で追いつかれた。
馬鹿な。先ほどまでは、対応はおろか反応すらできていなかったのに。
ましてや今は、織斑一夏という、単体戦力の面ではお荷物を抱えているというのに。
「何を考えているのか分かるぞ……
体勢の崩れた束に七手が光る。
だが、その程度で止まるようでは篠ノ之流を修めたとは言えない。
「だから、何だ──!」
崩れた体勢のままで束が跳ねる。
横っ飛びに回避しつつ、剣筋が鎌のようにしなった。ばさりと、東雲の髪が一房落ちた。
あと一歩でも踏み込んでいたら首が落ちていただろう。
逆説。
束の読みと、一歩ズレた。
「浅いッ!?」
「見切っている!」
意図的な調整。
有効打を避けつつ、距離を詰めたのだ。
(ほんとう、に……! 本当に、さっきより強い! なんで!? いくら受信精度が跳ね上がったとしても、いっくんが私たちの領域に辿り着いたわけじゃない!)
束の考えは事実だった。
一対一であれば、現状の一夏は未だ、束相手はおろか東雲相手でも蹂躙されるだろう。
(なのにどうして……!)
意味不明だ。
理解不能だ。
しかし現実として、二人は、二人になってから、束を追い詰めている。
「高く! もっと──!」
「光れ! もっと──!」
裏打ちするように、二人の気迫が一段と猛り、刃の輝きも増していく。
(ああ、そうかそういうことか! 絶剣、魔剣と鬼剣の共存する、戦闘理論のカラクリ──)
八手、直撃こそしのいだ。しかし余波だけで、エネルギーが凄まじい勢いで削り取られていく。
その中で束は、やっと『絶剣』の本質を理解していた。
(────『
篠ノ之束にできて、他の人間にできないこと。
そんなものはないと天災は豪語していた。それは違う。
今目の前に、その回答がある。
「東雲さんにできないことは、俺がやる──」
「──承知した。ならば当方は、おりむーにできないことをやってみせよう!」
余りにも単純過ぎて平易過ぎて。
だからこそ。
篠ノ之束と織斑千冬。二人の突出した傑物が、
東雲令と織斑一夏には、できている!
「そんなッ、そんな簡単な話に! 負けるわけにはいかないッ!」
九手が顔の真横を通り抜け、『安眠姫』背部のウィングユニットを消し飛ばした。
十手が放たれる前に身をよじって間合いを取る。
束は右手を開くと、それを二人に対して突き付けた。
砲撃ではない。だが掌を見た刹那に、『白式』と『茜星』がエラーを吐く。
「……ッ!?」
【懲りずにシステム攻撃──そんなもの!】
即座に白式が『零落白夜』の結界を張り巡らせ、放たれたウィルスや停止命令を消滅させた。
しかし束は勝利の確信を得たように笑みを浮かべている。
「今、何をした……何をされた……ッ!?」
「ウィルスもコマンドも囮! 本命は創造主の命令を弾く相手専用のバックドアだよ!」
右手を天高く掲げ、束は哄笑を上げた。
「ハハハハハハッ! アクセスできたのはコンマ数秒だったけど、それで十分! その二機のIS内で、最優先に重要度が設定されている装備を剥奪した……ッ! これでもう『零落白夜』は使えない!」
「な──ッ!?」
驚愕に一夏と東雲は絶句する。
最重要装備の簒奪。
創造主による、まさに禁じ手。
束が掲げる手に光の粒子が結集、丸く、平べったい円形を象り──
サメ避け軟膏になった。
「は?」
天災の頭脳にあるまじき空白が生まれた。
完全に理解不能だった。この局面で? ISの中に? サメ避け軟膏? それも最重要扱い? なんで? 何? サメ? サメが居るのか?
「あっそうだ、旅館が吹っ飛んだときになくしかけたから、『茜星』に格納していたな──というよりも、返せ! それは当方のものだ!」
完全に束の脳はバグり明後日の方向に加速していた。
意図せずして生まれた隙。
それに対して東雲が真っ直ぐ突撃する。一夏は完全に引きずられる姿勢だった。
「十手!」
抉るような刺突。束が反応する暇もなく、それは彼女の右手を正確に捉えた。
残存エネルギーががくんと削られる。絶対防御が発動したのだ。出力の意図的な低下、本来なら手首から先が全部消し飛んでいた。
つまり絶対防御で守られていないものは普通に消し飛ぶ。
「あっ」
「えっ」
ジュッ、と音が上がった。
東雲令の攻撃が一瞬でサメ避け軟膏を消滅させていた。
何がしたかったんだお前。
「と、当方のサメ避け軟膏が──!?」
「……十一手!」
愕然としている東雲を無視して、今度は一夏が彼女を引きずって攻撃を放つ。
正真正銘、真正面からのアタック。
(やら、れる──!?)
無意識下で、束は最後の最後に取っておくつもりだった切り札を切っていた。
バックドアすら通用しない相手用の──即ち仮想敵は『暮桜』だ──力で押し潰すための単一仕様能力。
【Awaken──『Eye of the Óðinn』】
「しまッ」
暴走状態に陥った『暮桜』は、その保有する単一仕様能力をまったくの別物に変質させていた。
代償であるエネルギーの大幅な減損なしに生成されるアンチ・エネルギービーム。
当初の『
だから直線上の攻撃は論外だ。攻撃が逆に蒸発する。
かといって防御は不可能。いかなる盾であろうとも貫かれるだろう。
篠ノ之束が出した結論は──『零落白夜』が攻撃に転用されている隙を狙った、多方向からの攻撃。
要するに自爆だ。
「……ッ!?」
一帯の空間が根こそぎ炸裂した。
周辺に存在している物質の、
遠い遠い並行世界ではマテリアル・バーストと呼ばれた究極の破壊現象である。
(な、なんだこの、何がッ)
一夏の全身が総毛立った。
刹那の内に死が迫っている。
刀身として顕現している『零落白夜』。対応は間に合わない──
「
「────」
だが。
耳元で囁かれた声に、一夏の身体は刹那で従った。
「一夏、東雲────!」
爆炎に消えた教え子達の姿に、千冬が陸地で絶叫する。
濛々と立ちこめる黒い煙の中。海面がゆうに十メートル単位で減っていた。莫大な熱量を浴びて、蒸発したのだ。
文字通りに海を削り取った大規模破壊。
(……なんて、ことを)
そのまっただ中。
防護シールドで己の安全だけは確保していた束は、忸怩たる思いだった。
(どう、する? いっくんを、殺した? 殺してしまった? そんな、それは、何もかも、私がこの手で台無しにした、ってことに──)
「収束されたエネルギーの解放であった。見事である、賞賛に値する代物であった」
声が響いた。
ガバリと顔を上げる。
黒煙の向こう側。抱き合う二人の人間のシルエットが、浮かび上がっていく。
「だけど束さん。解放は無秩序だった。そこに付け入る隙が存在した……らしいぜ。意味わかんねー……なんで俺生きてんだ……いや原理は読み取れるんだけどさ、ホントに意味が……いや……えぇ……?」
「現実は現実として受け入れろ、我が弟子。そうでなければ我らの身は無事に非ず、一片たりとも残らず蒸発していたであろう」
最後に、太刀が振るわれた。
茜色の鋭い刃が煙を吹き散らし、焼け焦げた装甲と、すすけた頬と。
けれど、両眼に生命の焔を宿した、東雲令と織斑一夏の姿を露わにした。
「──だが、当方達は生きている。これで十二手だ」
「……なんだ、それ。ははっ」
「俺たちが進む道だけを切り拓いたんだよ。多分。『零落白夜』で。恐らく。きっと。そして──切り拓いた道を、俺たちは今から進む」
ぎくりと束が身を強ばらせた。
直線上。障害物はない。自爆技の余波で、『安眠姫』は戦闘能力を失っている。
「……どう、して。そこまで、生存を諦めないことが、力になるのさ」
「──束さんは知ってるはずだ。誰かに生きていて欲しいっていう祈りが、貴女を動かしていたんだから」
その言葉。
胸の中に、グサリと突き刺さり、呼吸が止まった。
束は頭を振る。
「違う。違う、私は──そんなんじゃ、ない。そんなことを考えては、いけない。篠ノ之束は世紀の天災だ。我儘で、非常識で。誰かの、小さな人々の都合を無視して突っ走る、黒幕にして悪役で──!」
「委細承知。ならその三文芝居を今、当方たちが終わらせます」
正真正銘のラストアタック。
真っ直ぐに二人が加速した。束は違うと叫ぼうとした。だけど。
「これが、貴女が生かして、貴女が愛した──人類の、生きる威力だッ!!」
涙で視界がぼやける。
腕を上げる気力すらなかった。
一体どこから間違えたのか。全部一人でやろうとして。
(────ぁ)
蜂蜜色のロングヘアを幻視した。
もう帰ってこない彼女は、束の瞼の裏で、呆れたような笑みを浮かべていた。
「十三手──絶剣:
からんと。
うさ耳を象ったヘッドギアが、力なく、岩場に落ちる音がした。
「スクランブルが発令されたかと思えば、このような事態になっていたとは」
波が寄せては返す音。
地形そのものが塗り替えられたというのに、波のテンポには結局変わりがなかった。
荒れ果てた陸地と、巨大な鋼鉄の沈んだ海辺。そして空を飛び回っている各国軍のIS部隊。
「わたくしたちに何も言わず、というのは……理解出来ますが納得はし難いですわね」
「悪かったよ」
疲れ切って砂浜に仰向けで転がる一夏に対して。
月を遮るようにして顔を覗き込みながら、セシリア・オルコットは嘆息した。
「うわー、だけどこれ、あたしらがいてもマジで足手まとい以下だったんじゃないの?」
「悔しいけど僕も同感かな」
倒れ伏す『
これを相手取って何ができたのだろうか。しかも話を聞けば、実質『零落白夜』を全身に発動させていたようなものだったらしい。
「地獄だな。そしてそれを打倒したお前達、本当に何なんだ?」
「正直、理解に苦しむ……」
ラウラと簪が釈然としない顔で見つめるのは、一夏と、そのすぐ傍にしゃがみ込んでいる東雲だ。
問いに対して、唇に指を当ててしばし東雲は考え込み。
「当方とおりむーが一つにつながった結果、だな」
『は?』
「やめてくれ東雲さん事実だけど語弊がある! 言葉選びが最低最悪だッ!」
思わず跳ね起きて一夏は絶叫した。
考え得る限り最悪の表現である。
「……ですが。まさか、あの篠ノ之束博士を真っ向から打倒するとは思いませんでしたわ」
そう告げて、つうとセシリアは視線を滑らせた。
彼女の見つめる先には──『私は一人で突っ走って関係者の皆様方に多大な迷惑をかけました』という大きなプレートを首にかけた束が、正座していた。
「全く! 姉さんは本当に、本当に──!」
「うう、ごめんってば箒ちゃん。束さん、反省してるからぁ」
「おい箒、そのあたりで……」
「千冬さんも千冬さんなんですッ! 貴女が甘やかし続けた結果がこれだと言っても過言ではありません! 千冬さんも横に正座して! はやくッ!!」
怒り心頭と言った様子の箒が束を正面から見下ろして説教している。
流れ弾が千冬にも飛び、仕方なく世界最強は血まみれのスーツ姿で束の横に正座した。
「ぷくくー。ちーちゃんも怒られてるし。隣で一緒に怒られるとかいつ以来だろ」
「小学校以来だ──いつもお前のせいだった。そして今回もだ」
「はぁ!? 今回に関しては、完全に束さんのせいだけど──女子トイレのドアノブぶっ壊したのはちーちゃんのゴリラ腕力だったでしょ!?」
「その件に関しては帰り道でコーラを奢ってやっただろうがッ!」
「記憶にございません~まだ許してません~」
「なんだお前やるのか!?」
「そっちこそ!」
「ふ・た・り・と・もッ!!」
離れて見ている一夏達ですらが震え上がった。
箒の声には、それだけの迫力があって──胸ぐらをつかみ合っていた千冬と束は震えながら、幼子のようにゆっくりと正座に戻った。
「……どうなるのかな」
「さあ? 束さんのやってきたこと……まあ、裁判になるんだろうな。悪意があって法を破ったわけだし。でも裁判前に逃げ出しそうでもあるな」
「いいのか?」
ラウラの問いは抽象的だった。
しかし一夏は迷うことなく頷く。
「戦ってる間は、あの人は必死だった。本当に、目的以外何も見ていないって感じで……だけど今は違う。少しは、俺と東雲さんの手で、心を動かせたのかなって思うよ」
思えば悪戯っぽい姉の友達であったのは、いつまでだったか。
ISを造った直後も、ああして巫山戯ている姿を見た覚えがある。いつしか過去のものになっていた。
怒り心頭激オコカムチャツカファイアーながらも、箒の背中がどこか優しいのはきっと、気のせいじゃない。
「そうだな。当方とおりむーの共同作業の結果だ」
「あのですね、令さん。その言葉遣いは間違っていますわよ」
「? おりむーが言っていた言葉だが?」
一夏は即座にダッシュで逃走しようとして、瞬時に顕現した青竜刀とアサルトライフルとワイヤーブレードと荷電粒子砲に行く手を遮られて泣きそうになった。
「ち、ちが……ッ。それは俺だけど俺じゃないんだ! 本当なんだ信じてくれ!」
「言い訳は良いから。はい、なんて言ったの? 原文ママで教えなさい」
「…………『これが俺と東雲さんの、初の共同作業だ』と」
ゴリッと頬にアサルトライフルの銃口がめり込んだ。
青筋を浮かべたシャルロットが天使のような笑顔を浮かべている。ソドムとゴモラを焼き払った天使もきっとこんな顔をしていたのだろう。
「へーーーーーーーーーふーーーーーーーーーーーん。一夏は令のことが好きなんだ?」
「そ、ういう自覚はなくてですね……連理して、意識が結合された結果、ワケ分かんなくて……」
「僕は今、イエスかノーかで聞いたんだけど?」
ゴリゴリッと銃口が口の半分ぐらいまでめり込んだ。
なんだこの女怖すぎだろとセシリアが一歩退く。
完全に拷問室と化した海辺にあって。
「……そういえば、なのだが」
ふと、東雲が遠慮がちに手を挙げた。
「何でしょう?」
「ああ、いや。おりむーが駆けつけてくれた時──織斑千冬先生が倒され、当方も一敗地に塗れた後だったが、ギリギリのタイミングで駆けつけてくれた時」
「その追加情報マジで聞きたくなかったわ。完全に運命の相手じゃない気分悪くなってきたんだけど」
鈴がマジギレ顔で口を挟んだ。
何を不機嫌になっているのだ? と首を傾げながらも東雲は言葉を続ける。
「あの時、おりむーは色々言ってくれた。当方に価値はあると。当方と共に生きていきたいと」
「…………」
説教から戻ってきた箒は、第一声にそれを聞いて完全に『無』の表情になっていた。
他の面々も同様。セシリアと東雲以外の全員が、虚空のような両眼で一夏を見つめる。
ちなみに全て事実なので一夏は何も言い訳できなかった。
「当方がいなければ嫌だと。当方のことを諦めないと言っていた」
「しののめさんもうほんとうにゆるしてくれおれがわるかった」
事実を整理するだけで勝利宣言になる女がいるらしい。
完全にメインヒロインとして、東雲は一拍おいて。
最後の問いを発する。
「それで、あの詠唱、何だったのだ?」
「本当にやめてくれ」
一夏は両腕を突き出して全力で拒絶を示した。
必要な
というか気になったのそこかよ。
「『茜星』、再生できるか?」
「えっ」
東雲がコマンドを発すると同時。
ザザ、とノイズ音がいったん流れてから──織斑一夏の公開処刑が始まった。
『
これは浄土への否定 これは快楽への拒絶
夢幻を殺傷せしめる未来の至光
不公平は叫んでいる 不条理も啼いている
この翼は包み込む
天開しろ
展回しろ
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
人生一番の悲鳴だった。
全身全霊で殺してくれと叫んでいた。
何もかもメチャクチャになった。何もかもおしまいになった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
のたうち回る一夏を、少女たちが囲んで見下ろしている。
今、ゴミを見る目で見られたら、多分それだけで死ねる。
「殺せェッ! 俺を今すぐここで殺せェッ!! ブッ殺せ! 楽にしてくれッッッッ!!」
切実な願いだった。
こんなザマを晒して生きていられるかという心の底からの発露であった。
「畜生……なに見てんだよ……さっさと、殺せよ……ッ」
「ねえ、一夏」
「何だよ────」
シャルロットに名を呼ばれ、ヤケクソ気味に顔を上げると。
「九股なんて、さいてー」
「は?」
頬を赤く染めたシャルロットが訳の分からないことをのたまっていた。
目を白黒させながら周囲を見渡せば、大なり小なり同じような反応をしている。
「いやその……それが、お前の答えなのか……?」
「あんたにしては、やたらこう……そうね。熱烈なアプローチっていうか……」
「は……?」
意味が分からない。
だがここにきて、一夏の思考回路はきちんと回転し始めていた。
詠唱──の、冒頭部分。
九節、なんかこう、今の自分を構築してくれた人々を挙げた。
当然だと思っていた。だけどよく考えると最後の詠唱に特定人物を組み込むってそういう意図がなかったとしてもどう考えたってアレじゃなかろうか。
「ち、ちがッ……!」
「むむむ……こう、何だ。照れくさいというか」
「うん。だけど私たち、ちゃんと、一夏の力になれてたんだな、って嬉しくて」
五人の乙女達が頬に手を当てていやんいやんと身体をくねらせている。
どうしたらいいのか分からず、一夏は呆けたように口を開閉させることしかできなかった。
「つまりまあ……令さんが特別というより、わたくしたちが特別、という話ですか?」
「ムッ」
セシリアが好機とばかりに──まだ箒に勝機があるという判断だ──まとめに入ったのを見て、東雲が不機嫌そうに唇を尖らせる。
「まあまあ令さん。よく考えなくても、この唐変木極まりない織斑一夏らしいじゃありませんか。皆と一緒に強くなれたからこそ、皆と一緒がいい──
何気ない言葉だった。
だが東雲は虚を突かれた。そうだ。自分が願った、一夏が皆と共に笑い合えている未来。
「ああ」
力のない声が漏れた。
そうだったのか。
「当方にとって皆が日常であったように。当方もまた──皆にとって、日常に、なれていたのか」
一拍の静寂を挟んで、全員力強く頷く。
「当たり前だろう。お前がいなければ……寂しいさ」
前に出た箒の言葉に、胸が熱くなった。
投げ打っていいと思えるほど、尊く感じていた光景に。
自分もまた、居ることができるのだ。
「……そう、か」
「あっ、令、今アンタ笑ってた!?」
柔らかく弧を描いた唇に、鈴が両眼を見開く。
「えっ、ちょっ、も、もう一回!」
「意外だな。だが、サマになっていたぞ」
「令……うまく笑えるように、なったんだね……」
一気に騒がしくなる空間。
後処理に駆けつけたIS部隊らもまた、慌ただしく動きながらも次世代の少年少女らを微笑ましく見守っている。
(……これが、今ここにある世界。おりむーが守ろうとしたもの)
自分がその渦中にいるなんて、まったく想像ができていなかったけど。
こうして『皆』と共にいることが、何よりもの証明で。
胸の内側から、ただ立っているだけなのに温かい温度があふれ出して。
『
だから──東雲さえ気づかなかった。
音もなく。
光すら超えて。
「東雲さん──!」
一夏の声を受けて、最速最短で東雲は振り向いた。
千冬クラスでも対応できるか怪しいスピードで東雲は迎撃を抜き放つ。
しかしそれすら黒色にとっては遅すぎて。
──東雲令は一夏の叫びを聞きながら、意識を闇に落とした。
絶海の牢獄と無限に続く迷宮は、救世主より希望と明日を略奪することは終ぞ叶わなかった。
視線に宿る気高き不滅の光を知れ。
心胆を射貫く悪滅の意志を知れ。
罪業を滅却すべく闇を切り裂き、桜が舞う。
怒り、砕き、遍く不浄を無に還す。
彼女の飛翔こそが新世界の光を齎すのだ。
「──
「──邪悪なるもの、一切よ。ただ安らかに息絶えろ」
荘厳な声が響く。
ひどく遠く、残響すら伴って。
「……え?」
眼前の現象が理解出来ず、一夏は呆けたような声を上げることしかできなかった。
刹那だった。
気づけば、ひとりでに飛んできたISが、東雲を包み込み──起動していた。
「何、だ。何だよ、これは──」
機体のフォルムには見覚えがある。
刃を幾重にも重ねたかのような鋭角さを持つ装甲。
だが色合いが違う。鮮やかな桜色は、怒りの焔に灼き焦され漆黒へと昇華した。
腰元に装着された巨大な太刀と、刀身を収める鞘には拘束用の鎖が雁字搦めに縛られている。
「何のために存在するのか。何のために来たのか、という問いなら、
東雲令の貌で。
黄金色に両眼を輝かせて。
女神さえ嫉妬するような微笑を浮かべて。
「──
暮桜はそう語りかけた。
役者は揃った。
人類最後の英雄譚が、幕を開けた。
あと三、四話ぐらいで完結!(なんでこの期に及んで数が定まってないんだ馬鹿か?)
追記
『激オコカムチャツカファイアー』は『激オコムカ着火ファイアー』ではないかという誤字指摘をいただきまして完全にその通りなのですが
余りにもミスとして僕の愚かさがでているので戒めとして残しておこうと思います
誤字報告ありがとうございました。本当に毎度助けられております。
次回
陸 イグニッション・ハーツ/ワールド・パージ