月面の最終決戦が火花を散らす。
顕現した二つの『零落白夜』──汎ゆるエネルギーを消滅させる、最短最速で世界を滅ぼす破滅の光。
織斑一夏が掲げるのは蒼穹色に染められた刃。
暮桜が携えるのは漆黒を凝縮した刃。
奇しくも、青空と、夜空の色。
「東雲さんを返してもらう──!」
「無理だ。彼女は今、現実よりも幸福なのだから」
暮桜の笑みには確信が宿っていた。
如何なる方法を用いたのかは皆目見当もつかないが、事実として東雲の意識から応答はない。即ち、暮桜は東雲の封印に成功したと判断できる。
(どう、やって……!? 我が師は戦闘技術も一級品だが、それより何より強いのが精神だ! いや待て──束さんも東雲さんを抑えることには成功していた。アレ以外にも、他に、何かしらの抜け道があるのか……?)
お前だお前。
「現実よりも幸福な世界は存在する。そして厳密に言えば違う──現実こそが不幸の最底辺だ」
「……ッ。だから、救わなきゃ、ってか」
「肯定。悲しみを繰り返した先には、何も掴めない。悲しみを乗り越える。苦しみを背負って進む。美しいのは言葉だけだ──いい加減に気づけ。それらは総て無価値なんだと」
違うと、一夏は叫んだ。
そんなことはない。最後の最後に笑い合うことができれば。そんな未来を諦めなければ。
「この世界にだって、俺たちが生きていることにだって、意味はあるッ!」
「この世界にはもう、君たちが生きていることにさえも、意味などない」
月面が爆砕した。
脚部装甲がスライド、『零落白夜』の光を推力に転じさせた加速。
間合いが死に、刃が同時に振り落とされた。
接触──の寸前で身をよじり、受け流す。
(さっきのを見るに、どういうワケか同じ能力同士でも出力負けしている! 正面から打ち合えば即で死ぬ!)
最小限の動きで攻撃が噛み合わないように調整する。かすりそうになる攻撃は『白式』が迎撃、稼がれたコンマ数秒の内に離脱を繰り返す。
刹那の内に三度放たれる斬撃。速度域が違いすぎる。必死になって捌く。
お互い、『零落白夜』による消滅効果を用いての戦闘機動。
即ち──文字通りに一挙一動が
(クソ、死神に品定めされてるって感じだな……! 身じろぎする度に死を直感させられる!)
近接戦闘において一夏はもうトップクラスの腕前を誇っている。
だがその彼ですらつけいる隙が見いだせない。剣の一振り一振りが洗練され、舞の次元へと昇華されていた。
暮桜の一閃は速く、真っ直ぐで、美しい。
余りの速さに斬撃の線は重なり、光の波濤と化している。
まだ一夏が耐えられている理由は二つ。
一つは、『零落白夜』を『零落白夜』で相殺、あるいはコンマ数秒でも防げていること。
一つは──常時発動中の『
「これだけの強さがあって、どうして──!」
彼の碧眼は見抜いている。
暮桜の身体捌きは一級品。だがところどころには、東雲令とは異なる理論が垣間見える。
情報を吸い上げただけで『世界最強の再来』の戦闘理論を組み込むことはできない。それほど生ぬるい代物ではない。
(要するに……東雲さんと同格の強さを、既に持っていたってコトだ!)
なのに。
そこに至るため、多くの艱難辛苦を乗り越えてきたはずなのに。
最後に選んだのは馬鹿げた救世だった。
「そうだな。私は強い、と思う。強いからこそできることがある。例えば──
「──ッ!?」
漆黒の光が捻れた。
文字通り、暮桜の『零落白夜・
蛇のようにうねり、鎌のようにしなる不規則な起動。
咄嗟に後ろへ跳び下がるが──曲線を描いて一夏を追随してくる。
(何だこれはッ!? 大きさの調整なら俺にだってできた、だけど──『零落白夜』はここまで自由性を持った能力なのか!?)
先割れして前後左右から同時に攻撃を加えられる。
防ぎ、かわし、飛び跳ねて包囲網を潜り抜ける。
単純計算で『零落白夜』を使える敵四人を同時に相手取っているに等しい。
「『白式』、俺たちも形を変えることは!」
【無理! できないよこんなことッ!】
主の悲鳴にまた愛機も悲鳴で返す。
その会話を聞いて、ふと暮桜が表情から笑みを消した。
右腕を一振り。それだけで『零落白夜』が太刀へと巻き戻っていく。
「……ッ? 何の、つもりだよ」
「いやなに。一つ理解した。成程、成程。発現すれど、未だ経験値は零か。得心がいった、だからこそ『連理』なる現象が成立したのだな」
「──経験値、だと」
聞き慣れない言葉に思わず首を傾げる。
疑問に答えたのは相棒の切迫した言葉だった。
【悔しいけど事実だよ。ついさっき発現した上に、単体の行使をほとんどせずにあのクソ女と連理したから──私たちの『零落白夜』は、遙かに格下だ……!】
思わず息を呑む。
教科書にそんなことは書かれていなかった。経験値を積まなければ差が出る? ISコアが成長するように、機能自体も性能を上げていくとでも?
もしも、もしもそれが本当だというのなら。
「成程──成程。次いでもう一つ、理解した」
ぞわりと。
一夏の全身が総毛立つ。
「経験値を蓄積し、私の『零落白夜』と同格に育てて相討ちに持ち込む。それが我が創造主の定めたルートだったと言うことか。実に合理的だ──確かに、そこまで『零落白夜』を成長させられては、私も打つ手がない。激突の余波で最低でも地球の5割は崩壊するだろうが、
篠ノ之束が計算し、弾き出した、世界を守る方法。
結論から言えば世界を守り抜くことは不可能だった。だけど、世界の一部でも残すことは可能なら、それに賭けるしかない。
「だが我が創造主の計算は崩れた。もうここに至っては、私を殺しきるか、そうでないか。文字通りに0か1しかあり得ない」
その言葉に、一夏は歯を食いしばる。
暮桜を殺しきる──不可能だ。先ほどまでの戦闘で嫌と言うほどに思い知らされた。
(間違いなく、勝てない! 俺が生き残っているのは『零落白夜』ありきだ! 性質だけを鑑みるなら……東雲さん、いいや千冬姉に束さんが揃っていても勝てるビジョンが見えない……!)
難敵などと言う言葉では生ぬるい。
文字通りの──天敵。
(届きさえすれば! 俺の『零落白夜』だって必殺であることに変わりはない! 一撃当てれば、だけど、その一撃がこんなにも遠い──)
「私の救世を折る存在としてあり得るのは、君だ。君だけだ」
活路を必死に探す一夏に対して。
暮桜は右腕をすうと真上へ向けて、掌を開いた。
「だから君は、ここで
上空──月面を地表とした場合の、高高度。
そこに立て続けに、幾何学的な文様が浮かんでいく。漆黒の宇宙に溶け込んだ、黒く発光し蠢動する魔方陣。次から次に生み出されるそれが、上を──ソラを、覆い尽くしていく。
円形の枠内部を図形が埋めていく。多角形や三角形が回転しながら光り輝く。星と星を結び合わせ、複雑な図形を描いていく。
地上からは今、月の模様代わりに暮桜の展開した魔法陣しか見えないだろう。文字通りに星と星を遮る巨大な牢獄。
「……ッ!? な、んだ? なんだこれはッ!? な、にが……!?」
【ヤバ、いっ──
絶句、しかできなかった。
無様に酸素を口から零す。真空空間の中で、全身の震えが止まらない。
あり得ざる権能の行使を平然と行って。
暮桜は女神の如き微笑を浮かべて。
「さて、気張れよ新鋭──少しは人類最後の英雄らしいことをしてみせろ」
直後。
神の怒りが、漆黒の『零落白夜』が一夏めがけて降り注いだ。
月面に展開されたアンチエネルギー・ビームの多重重複魔法陣を見上げて。
箒たちIS学園専用機持ちは、呆然とへたり込んでいた。
(あん、なの。あんなのと、今、一夏は戦って──?)
意味が分からない。理解の範疇を超えている。
かつて織斑千冬の必殺技として振るわれた必殺の刃。最早刃に非ず。総ての存在を無価値にする、裁きの光だった。月という衛星の半面を覆い尽くす絶死の牢獄だった。
「…………だめだ。暮桜、全部のアクセスを弾いてくるね」
いくつかのモニターを高速で操作していた束が、力なく呟いた。
声色にはこれ以上ない諦観がこもっていた。
「こんなタイミングで覚醒するなんて。ああいや、いっくんの覚醒と連動してたのかな──ははっ。まあ、どうでもいいけど」
「……勝算は」
千冬の問いに、世紀の天災はヘラヘラ笑いながら首を横に振る。
「あるわけないじゃん。まずいっくんが殺される。次に私たちが殺される。それから順に国が潰されていく。ああいや、私たちごと、地球を丸ごと更地にするのが合理的かな」
「何か、対策は」
「ちーちゃん」
「一夏を、助ける方法は。世界を、守る方法は、まだ、きっと」
「……ちーちゃん」
世界最強の声に覇気はなく、言葉はほとんどうわごとに近かった。
答えが見つからないことを直感的に理解できてしまっていた。
重苦しい沈黙が流れる。
誰にもどうすることもできないという事実が、時間が経つごとに重くのしかかってくる。
もう全員、限界だった。
福音との戦いを乗り越えて。
皆で一緒に笑い合える未来に手が届いたと確信を抱いていて。
全部壊れた。呆気なかった。
勝算を探すという気力すらない。文字通りの絶対的な存在に、容易く蹴散らされる未来が見えている。
規模が違いすぎた。
天体の半分を『零落白夜』で覆い尽くすような相手に、どう抗えというのか。
今まではずっと、彼がいたから、最後まで諦めずにすんだ。
何故なら彼は最後まで諦めなかったから。
でも彼は今、寒くて暗い無酸素空間で、一人戦っている。ひとりぼっちで戦っている。手の届かない、理外の闘争。正しく最新にして最後の神話となるだろう。
知る限り最も英雄に近い、織斑千冬と篠ノ之束の両名の心が折れている。
その状態で未熟な少女たちにできることなど。
「──違う」
ゆるゆると、束は声のした方に顔を向けた。
へたり込んでいたはずの少女が二本の脚で立っている。
真っ直ぐに月を見上げて、決然とした眼差しを向けている。
かつて誰よりも非力で。
かつて戦場に立つ資格すらなくて。
そこから積み上げて、築き上げて。
誰よりも切に切に、彼の隣へと願っていた少女。
篠ノ之箒が、誰よりも最初に、立ち上がっていた。
「箒ちゃん……?」
「私は、約束した。誰よりもお前を信じていると。最後まで、お前の疾走を見届けると。だから、だから──
視線を巡らせて、箒は座り込んでいる仲間たちに鋭い眼光を飛ばした。
「何を諦めているッ!? 私たちが諦めるというのは、あいつを本当に一人きりで飛翔させるということだ! ずっとあいつに救われていたのは誰だ!? あいつのおかげで翼を得ていたのは私たちだろう!? それが今ここで諦めて、恥ずかしくはないのか!」
全員の瞳に、少しずつ、光が宿り始める。
「私は行くぞ。あの時とは違う。エクスカリバーの時とは違う。私にはISがあるし、まず、誰も負けていない。一夏だって戦い続けている。何よりも……あいつは、私たちに託したんだ!」
ハッと千冬が息を呑む。
最後の通信。一夏は『
「……ええ、ええ。箒さんに同意見です。あの男……わたくしたちが後から来ると確信しています」
同様に立ち上がり、夜風に金髪をなびかせて。
織斑一夏のライバル──セシリア・オルコットは決然と述べた。
「勝算がない戦いに迷わず挑むこと。世界の終わりが訪れても、それがどんなに突然でも、命を懸けて戦うこと。まさしく、このセシリア・オルコットの好敵手に相応しいです。ただ──その場にわたくしがいないというのは、オルコット家当主として恥さらしにも程があります!」
瞳の中に光が宿る。
光──燃え盛る焔。
いつも彼が持っていた、それは覚悟という名の心の在り方。
「……ごめん箒。あたし、心の底から今、自分が情けないわ。あいつだけ月に行かせて、勝手に諦めて。完全に寝ぼけてた。だからちょっと
鈴はそう言って立ち上がり、箒に右の頬を差し出した。
同じ幼なじみのケジメに頷き、箒は迷わず──その頬に右ストレートをめり込ませた。
「あべし!」
ドゴンという重い音が響き、鈴が鼻血を垂らしながら砂浜に転がる。
「目は覚めたか」
「えっ!? あ、うん……え!? あんた今グーでやった!?」
想定より十倍ぐらい強い衝撃だった。
歯が吹っ飛んでいないか確認しながら、鈴はビンタをお願いと明言すれば良かったと後悔した。
「だけど、できることなんて……!」
「ないわけじゃない、と僕は思います」
無謀にもまだ戦意を保持する少女らに、束が悲鳴を上げる。
しかしシャルロットは冷静に通信を開きながら、一同に視線を配った。
「僕たちは……一人じゃない。暮桜に立ち向かうのなら、一人で立ち向かわせることだけはしちゃいけない。だから僕らも行こう。一夏の隣で戦うコトがきっと、僕らが最後まで捨てちゃいけない選択肢なんだ」
彼に手を伸ばされ、それを掴んで。
シャルロット・デュノアの人生はそこから始まった。
だからこの最終局面で彼の手を離すことなどありえない!
「最後まで、できることを。それが、僕らが一夏に何よりもずっと見せてもらってたことのはずだ!」
力強い宣言。
最早立ち上がる気力すらない千冬と束を置いて。
ただの代表候補生、あるいは専用機持ちが、次々と戦士の顔を取り戻していく。
「……できること、か。そうだな。できることを一つ一つ積み重ね、築き上げていく。ああそうだ。あいつは、そういう男だったな」
ラウラはフッと笑みを浮かべた。
つながりは断たれていない。異なる星にいようとも、心はまだ、つながっている。
「私たちは、弱いな。だが弱くとも、共に戦ってきた。弱さを理由にして諦めるのは……過去の私に顔向けができん」
過去の自分を受け入れること。
弱い自分もまた、自分だと理解すること。
それができるのなら、どんな窮地であっても諦めるという選択肢は消え去る。
「月へ……一夏が、待ってるところへ行こう……!」
心の殻を砕いてくれた。
だからこそ、今の自分がいる。
かつては怯えて何もできなかったかもしれない。だけど今の簪は。
「今度は私たちの番、だから……! 私たちが、一夏のヒーローになろう……!」
雄々しい宣言だった。
どれほど無謀で、可能性がゼロに等しくとも。
決して空虚ではない、確かな温度のある言葉。
「………………」
それらを聞いて。
世紀の天災の人差し指が、ピクリと動いた。
「……今の私に、できること…………」
ISバトルとは三次元的な機動が前提となる超高速戦闘。
だがこうして、自分より上の空間を制圧されるというのは──前世代における、制空権を奪われたに等しいディスアドバンテージだ。
「チィィ──!」
月面を滑るように動き回る。
二次元機動、駒のように回転しながらも曲線を描いて攻撃から逃れる。
真上から降り注ぐ漆黒の雷を紙一重で避け続ける。
制限された空間での回避機動、脳が沸騰するほどの集中。
並行して、白い装甲が蠢動する。
「これならッ!」
物質を完全に消滅させる『零落白夜』の成長過程において見られる力。
物質への干渉・操作を可能にする能力。
今の一夏なら、それも十全に使える!
「借りるぜ、セシリア──!」
そもそも、
コアネットワークを介してオリジナルを策定、それを再現するという意味では正しく『零落白夜』の発展途上をデッドコピーした代物だ。
装甲各部がスライド、蒼い焔を溜め込み──それらが一転してレーザービームとなって真っ直ぐ放たれた。
それだけではない。レーザー弾幕の中に、装甲を細かく砕いて圧縮した実弾を紛れ込ませた。無秩序に見えて、好敵手から学び取った相手を追い詰める神算の一斉射撃。
「笑止千万だな」
だがそれも、全てまとめて腕の一振りで霧散する。
あらゆるエネルギーを消滅させるという性質がいかに反則じみたものか、一夏は歯噛みしながら実感した。
(同じ代物を使ってて言うのもなんだが、メチャクチャだ! 攻撃が全部通用しねえ! エネルギー体……所謂ビーム兵器を無効化するのなら分かるが、
本来なら、『零落白夜』同士の対決ならば千日手となり得る。
互いに打ち消し合い、あるいは激突の余波で本体が消し飛ぶ。勿論それは、地球の半分ごと、という条件がつく。
「苦しそうだな。だが理解るだろう? 我らは共に、『有』を『無』にする権能を得た者。この力の本質はそこにある」
「ああ、そうだな! こんなのがあったら便利すぎて使い倒しちまいそうだ!」
「使い倒さなかったからこそ、今追い詰められているというのに……だが今、使ったな? 途上の逆転を、『無』から『有』を生み出したな?」
警鐘が響いた。
愛機の絶叫が遠くに聞こえた。生存本能が過剰に反応している。あらゆる感覚が鋭敏になる。
「
「……ッ!」
嫌な予感がした。
暮桜の言葉は正しい。織斑一夏もまた、存在を抹消するという理外の力を手に入れた。
ここに一つ疑問が提示される。
無を有にする──存在しないものを、生み出す。
有を無にする──存在するものを、存在しなかったことにする。
果たしてどちらが難しいのだろうか。
存在しないものを一から創造すると言われ、誰もが明瞭に答えられずとも、それは不可能ではないと感じる。なぜならば人類史の歩みはまさしくその結晶だからだ。
だが逆に、既に存在するものを抹消するとはどうすればいいのか。
その、皆目見当もつかないはずの答えを手に入れた者が、ここに二人いて。
彼らにとって、『無』を『有』にする程度、造作もなくて。
暮桜がぞんざいに右腕を振るい──
「これしきで死ぬなよ? ────【
──月面を極光が舐めた。
TNT換算するのも馬鹿らしくなる、爆発というよりは破壊そのもの。
束が発動した
超新星爆発の十倍以上の規模、太陽より大きな恒星を丸ごと全て放射線として放出したエネルギーにも匹敵する輝き。
未だ宇宙科学分野でも解明の進んでいない宇宙最大最悪の爆発現象。
それはこう呼ばれる──ガンマ線バースト。
計算結果を『白式』が瞬時に弾き出した。
ガンマ線がこのまま降り注げば地球のオゾン層は跡形もなく破壊される。
感覚が疾走した。条件反射の領域で一夏は剣を振るう。
「『零落白夜』ァァァァァァッ!!」
純白の刀から放出される蒼光が、限界を二つ三つと破る。
人間が両手で構える太刀としては規格外。身の丈を超える刀身が『零落白夜』によって生み出され。
【
月を丸ごと断ち切るような、巨大な剣。
それが暮桜が発生させた極光を、根こそぎ蒸発させた。
分かりきった結果など一瞥もくれず、暮桜は反動に膝をつく一夏に空々しい拍手を送った。
「素晴らしい反応だった──そうだ。
「うる、せぇ……ッ!」
限界を超えた行使の反動が来ていた。
四肢の装甲が軋む。肩で息をしていた。指先の感覚がおぼつかない。
だが、言わなければならない。
「今ので……はっきり……分かった……ッ!」
「……?」
「あんたの言う裁きは、救済は、
全身を苛む激痛に立ち上がることもままならないまま。
それでも蒼い切っ先を突き付けて、一夏は吠える。
「世界に絶望したんだよな、世界を憎んでるんだよな! だけど、あんたの勝手な絶望を、俺たちに押しつけるな!」
「勝手な絶望ではない。人類全てが感じている絶望だ」
少年の痛烈な叫びに。
しかし暮桜は悠然と両腕を広げ答える。
生命の存在しない月面に、厳然たる君臨者として在る。
「感じたことはないのか? この世界は、ここからより良くなっていくことはないと。先人らはあまりにも劣っていただけで、最高の幸福度などとうに過ぎ去っていると」
「それを決めるのは、あんたじゃない……ッ!」
「いいや、
この世界の真理を語っているという口調だった。
声色は淀みなく、筋の通った鋭さがあった。
だがそれを──それを、織斑一夏は認めない。認められるはずもない。
「逆も成り立つだろうがこの馬鹿女!! 幸福は不幸で相殺できない……! だから、生きてて良かったって! 生まれなきゃ良かったって! それを判断できるのは本人しかいないんだよ! それを決める権利は誰にも、俺にも、親にだってすら存在しない!」
織斑一夏は、自分は生きていていいと思った。
皆と一緒に生きていたいと思った。
それを決めたのは彼だ。
命の価値を決めたのは、彼本人だ。
だからこそ、一夏の人生は始まったのだ。
故に、世界で最も、彼女の理想は織斑一夏と相容れない!
「勝手に外部から生まれなければ良かったと判断するのはよお──厚かましいって言うんだぜ、暮桜ァッ!!」
爆発的な加速。
上空から降り注ぐ『零落白夜』をすり抜けるようにして回避し、暮桜へ猛然と突っ込む。
【……ッ!? 一夏、今なら──!】
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
機動のキレが今日最高のものだった。
届くと、『白式』ですら確信した。
矢のように飛び出し、構えた刃を『暮桜』へと突き込んで──
「厚かましい? まさか。
虚しい音が響いた。
手首のしなりを使った防御行動。
絶対無敵、最強の矛を弾かれ、一夏はゆうに数十メートルは吹き飛ばされた。
(なに、が……!?)
月面に踵を突き立て制動。
現出した結果と過程が結びつかない。確実に届いた、はずだった。
【……ッ! 一夏、今のは……!】
やっと気づく。遅すぎた。最初に気づくべきだった。
(読んでいたんじゃない、最初から知っていた! つまり──!)
「君の思考すべてが流れ出しているぞ、今もな」
暮桜が機械装甲の指で、東雲のこめかみを叩く。
仮想空間に誘われてはいない、だが半分ずっと、つながっている。
「いつからだ……最初からか!? ずっと、俺とお前は
無意識下で行われる、コアネットワークを介した精神的な接続。
一夏と暮桜はずっと前につながっていた。
「いつから、という質問には……そうだな。答えるべきだろう。君にはそれを聞く権利がある」
ずっと。
「私はずっと君を知っていた。ああいや、直接的なつながりは……衛星軌道上が二度目だったか」
ずっと。
「君が私を目覚めさせた。私は君の悲鳴を聞いて存在意義を確定した」
ずっと前に。
「──
呼吸が凍る。
聞くなと愛機が叫んでいた。
「覚えている」
「君の悲嘆を」
「君の恐怖を」
「それを受けた我が主の憤怒と憎悪と絶望を」
かつて助けを求めた少年がいた。
誰か、と。
救世主を必死に願った少年がいた。
彼女は間に合わなかった。
心の折れる音を聞いた。
悲劇に踏み潰される人を見た。
主と共にはせ参じたときには全てが遅かった。
事後対処の限界。
根本的な解決の必要性。
偶然にも保持している最適解。
第二回モンド・グロッソ決勝戦当日。
暮桜は──その日、運命に出会っていた。
「………………お、れ?」
手の中から『雪片弐型』が滑り落ちそうになった。
視界がしっちゃかめっちゃかに跳ねている。
息が出来ない。苦しい。
「君の諦めを知っている。生まれたくなかった。生きていたくない。死ぬのは怖いけど、こんな絶望には耐えられないと」
彼女は、君を救いに来たと言った。
あの時には果たせなかった活劇を。
ヒーローとして今度こそ、悲劇を未然に食い止めてみせると。
「君だけじゃない。自死に至らずとも、こんな恐怖劇はもういやだと、果てのない不毛な悪夢に終わってくれと。苦しみや悲しみを、子々孫々に味わって欲しくないと。そう願う人々がいた」
人々が無意識下で願う破滅。
今という現実が苦しみに満ちているのなら、自滅願望とは生まれて当然の代物。
それを暮桜は、あの日、薄暗い倉庫の中で、
「願いを私は受信した。絶えず受信した。誰にも拾われない願いを、祈りを、私は──そうだ。私は
感覚が遠のく。
声だけはクリアに聞こえているのに、もう、握りしめた柄の感触すら分からない。
「故に私はここにいる。無自覚に打ち棄てられた感情に応え、声にならない悲鳴をこれ以上生み出させないために、ここにいる」
誰にも立脚しない空虚な願いではない。
確かな、かつて直接的に願われた存在。
何よりも誰よりも。
ほかでもなく、織斑一夏が求めた救世主。
それが、『暮桜』の正体。
例えばの話。
天使は、羽を持つ。
人間の上位存在として描かれるそれは、異なる大陸の異文明においても共通して羽を持つ。
上位存在のモチーフとして、空を飛べるという権能が共有されているのだ──直接交流を持つことが不可能なほど、隔絶した場所同士でさえ。
人間は電子技術の発達によりつながりを得た。海を越えてリアルタイムに声を交わすことができるようになった。
だからこそ、それ以前の奇妙な合致が際立つ。
未だ認識できない非科学的なつながりを思わせる共通認識。
生まれたときから何故か抱いている指向性。
集団的な無意識の具現化したもの。
それはこう呼ばれる。
────
「さあ歓喜せよ、我が最初の救済。我が原初の渇望。この
雄々しい宣言と同時。
暮桜が漆黒の刀身を極大に肥大させ、振りかぶる。
【一夏、退避を──いちかッ!?】
「え、あ」
反応が遅れた。
戦場で死を招く空白だった。
「始まりのためではなく、終わりのために終わってくれ──『零落白夜・無間涅槃』」
振り下ろされる斬撃。
回避が間に合わない。だから打てる手は一つしかなくて。
無意味であることを誰よりも理解しながら咄嗟に身体が動くまま下段に構えていた刃をやけっぱちに振り上げて。
「あ、あああああああああああああああああああああああッッッ!!」
絶対にやってはいけない、即デッドエンドの自殺行為。
だがそれ以外になく。
真正面から──『零落白夜』同士が激突した。
「ぐ、ううっうぅうぅうぅうぅッッ」
獣のような唸り声が漏れる。
全身が悲鳴を上げている。四肢が引きちぎれそうになるのを、『白式』が無理につないでいた。
黒と蒼が両者の中心でぶつかり合い、せめぎ合い。
拮抗は数秒にも満たなかった。
瞬く間に黒が蒼を飲み込んでいく。根底の出力が、存在の強度そのものが違った。
アンチエネルギーという性質だけを持った一夏の『零落白夜』と。
コアがオーバーロードし続け、エネルギー体を消滅させるという性質を独自に進化させ続けてきた『零落白夜・
結果が示されるのに時間は要らなかった。
蒼がひしゃげ、貫かれ、砕かれ、撃ち抜かれ。
漆黒の奔流が、一夏の胴体を捉えて、その身体を吹き飛ばした。
「今日はスクランブルエッグを作ってみた。口に合うか?」
「あーん」
「フッ……ひな鳥のような女だな」
「令ねーちゃんちょっときついよ……苦しいって……」
闇落ち一夏にあーんを要求しながら、膝の上にショタ一夏を座らせ。
東雲は織斑一夏フルコースを堪能していた。
「むぐむぐ。美味しいな、多分」
「フッ……冥利に尽きるよ」
こういうクールなおりむーもいいな! と東雲は目を輝かせて頷く。
不満など有り様がない。
完全に、彼女にとっての理想郷だった。
「ん、宅配かな?」
その時、ピンポーンと呼び鈴が鳴る。
年上旦那な一夏が立ち上がろうとするのを手で制して、東雲はショタ一夏を膝から下ろして玄関に向かう。
「それぐらいは当方がやろう。気立てのいい妻というやつだ」
誰の妻だ? どの妻だ?
もしかしてこの狂った世界で明瞭に家庭を描いているのか?
東雲はふんすと鼻息荒く、良い奥さんとして家のドアを開ける。
「ちわーす、宅配ですー」
配達員の姿をした一夏が向こう側に居て。
太い腕や日差しのために頬を伝っている眩しい汗を見て。
すうと、眼を細めた。
(これは……もしかして……おりむーに秘密でおりむーと浮気できちゃったり、するのか……!? いやさすがにそれは……!)
良い奥さんは10年早かった。
(……浮気じゃない。相手が全員おりむーなら浮気じゃない。つまりは──ろ、ろくぴーか……ッ!!)
訂正。2万年早いぜ!
完結まであと約3話!(真上の文言から全力で眼を逸らしつつ)
次回
捌 ブレイジング・メモリー