世界最強の再来VS世界最強(前編)
さあと流れる風に黒髪が弄ばれる。
不規則にうねる様は烈火の如く。
されど、顕現する世界は絶対零度の牢獄。
常人ならば立ち入っただけで心臓が停止するような。
数瞬後には八つ裂きとなった自分を幻視するような。
当人同士しか語り得ない、当人同士が語り合うためだけの、ふたりぼっちの異界。
「……ッ!」
それを見守りながら、一夏と束は息をのんだ。
誰が見ても分かる。
片や、かつて世界の頂に君臨し、今もなお世界最強という二つ名を独占する女傑。
片や、世界の頂へと手を伸ばし、今まさに世界最強という二つ名を簒奪する女傑。
「…………」
「…………」
言葉は不要。
抜き身の刃が感情を雄弁に伝えている。
確定しきっていた激突。
訪れることは予期されていた頂上決戦。
或る神話が打ち崩された後に待っているのは、人間の時代。
だからこそ──これは、
たった二人の立会人と、月だけが、その戦いの観客だった。
時は半日ほどさかのぼる。
「ハグハグムシャムシャゴックンズズズッズズッズ」
「うん。それで、やっぱり
IS学園食堂。
未だ夏休み継続中であり、厨房に火はついていない。
しかし日本代表候補生ランク1にとっては些細な問題であり、白い調理衣に身を包んだ職人らが厨房を間借りして作業している。
「ムロ、なにぼさっとしてやがる!」
「すみません親方!」
鉄火場である。
風格のある親方に怒鳴られ、丁稚と呼ばれる弟子が慌ただしく材料や米櫃を運び、厨房の中を走り回っていた。
「……前から気になってたけど、あの人たちってどっから来てんのよ……」
「噂によると、銀座の一等地に店を構える職人を専属で雇っているらしい。職人も店先だけではなく弟子を鍛え上げられる場所として重宝しているんだとか」
テーブル席にて東雲の両脇に座る鈴と箒は、職人らを眺めて顔を引きつらせる。
「これだけの量を要求され、さらに質も伴っていなければならない。確かに修行としてはうってつけでしょうね。さしずめ大名修行といったところでしょうか」
「……多分、武者修行って言いたいのかな……?」
本国ではかかりつけのシェフを持っているセシリアにとっては、東雲が専属の職人を雇っていることはなんら不思議ではない。簪からの訂正に肩をすくめつつも、セシリア用にさび抜きにされた寿司を口に運んでいく。
「久々にみんなで集まれたからって、ここまで張り切る必要があるのかな……」
「所謂おもてなし、というやつではあるのだろうが……いくばくかの遠慮もさすがに湧くというものだな」
次々と運ばれる最上級の握りがほぼノータイムで東雲の胃袋に吸い込まれていく。
溶鉱炉に近い光景に、シャルロットとラウラは自分たちの常識が通用しないのを実感した。
「それでなんだけど、なんていうか……いつの間にか、俺の目が蒼くなって、戻らなくなったじゃないか」
超高速で寿司やお吸い物を食べる……食べる? どちらかといえば吸収している東雲の対面で。
一夏は自身の、青く染め上げられた両眼を指さした。
確かに元はとび色だった双眸が、澄み渡った蒼穹の色に上書きされている。
「束さんによると、一回でもその領域……暮桜が『
「
「この色のままだけど、受信能力に関しては抑制と発動ができてるんだ」
「
「簪、さっきからあんたの補足何も伝わってこないんだけど」
鈴の鋭い指摘に、簪は足元のカバンから何やら箱を取り出す。
「新西暦サーガ最新作、『シルヴァリオ・ラグナロク』2020年4月24日発売予定……! 過去二作同梱の特別パッケージも……! これであなたも光の奴隷!」
「やめなさい! 時空が乱れる!」
アーキタイプ・ブレイカー時空だとしても2022年なのでもう販売されていなければおかしい。
よって簪のこれは、完全な戯言であった。
閑話休題。
「……で。こうして夏休みに集まれたのはいいんだが、一夏。お前さっきから本当に令と会話で来ているのか?」
代表候補生、あるいはそれに等しい立場の八名である。
夏休みとはいえ多忙を極めていた。候補生らは本国での試験や教習。箒は倉持技研でのテストパイロット。そして一夏は、先の『
そうしたスケジュールの合間を縫って、全員が学園に帰還できたのは貴重な時間であった。
「ああ。多少違いはあるけど、この辺は東雲さんが先達として頼りになるからな。さっきからアドバイスをもらってるよ」
「バリバリムシャムシャゴックンズズズ……」
「ほんとぉ?」
意志疎通ができているという割にはさっきから人間の言語を喋っていない。
一同が疑わし気な視線を東雲に向ける。
敬愛する師匠が疑われている状況に、一夏は激昂し机をぶっ叩いて吠えた。
「馬鹿言うなよ! 確かに東雲さんは食べ物がかかわるとちょっと頭のおかしくなる人だけど、ちゃんと俺の相談には乗ってくれてるじゃないか!」
「バリバリムシャムシャ!」
「もしかして咀嚼音で抗議してるのか、この女……!?」
どうやら一夏からの評価に不満があるらしい。
両手を高速で動かし寿司を頬張りながらも、東雲は愛弟子に鋭い視線を向ける。
「むっ……『特定分野に対する集中力に長けていると言え』……? いや集中力ってわけじゃないだろこれ」
「待て。待ってくれ一夏。本当に何を言っているのか分かるのか?」
「え? わかるだろ」
「分かるわけないだろうッ!?」
いつの間にかツーカーを通り越えて恐ろしいまでの思考連結を果たしている師弟を前に、さすがの箒も絶叫した。
一応、口がふさがっていても東雲は細かい
「そういうことなら、教官にも意見を仰ぐのはどうだろうか」
ウニの感触になんともいえない顔をしながら、ラウラがふとそう言った。
一夏は腕を組んで考え込む。
「あー……いろいろなことにケリがついた後、といえば後なんだけど……」
「やはり、そう簡単に話をしやすくなったわけではないか」
箒の言葉に、彼は無言でうなずいた。
確かに千冬も東雲同様、人間の限界を超えた情報受信能力を持つ先達者である。それも酷使の末に一度は
しかし──彼女はまた同時に、彼にとっては大切な家族でもあった。
(流れさえつくればいけるか? 『千冬姉、俺、卒業後の進路色々考えてるんだけど、競技ISパイロットってどう思う? その場合、受信能力ってやっぱ封印状態だよな?』……みたいな)
大切な相手だからこそ、傷つけるようなことはしたくない。
一夏の躊躇は臆病なやさしさと言い換えられるものだった。
「となると、やはり令さん相手に教えを乞うのがベストでしょうか」
「あたしらが助けになれないのはもうしゃーないもんね」
彼の気持ちを汲み取って、一同が話の方向性を整理し始めた。
その時。
「やはりそういうことか……」バクバクバク
寿司を食いながら、東雲が突如声を上げた。
話に割って入ろうという意思だけは読み取れるものの、本当に話が分かっているのかは限りなく怪しいセリフだった。
「東雲さん?」
「問題ない。ちょうど当方も、織斑千冬に用件があった。話をつけておこう」
言うや否や、彼女は空っぽになった寿司桶をテーブルに置いたまま立ち上がった。
視線でついてこいと促され、一夏も立ち上がる。
「あとは任せた」
「え、あ、ああ……」
何を任されたのだろうかと箒たちは顔を見合わせ、それから厨房をみた。そこでは今もなお、ひっきりなしに寿司が量産されている。
「…………学校に残ってるヤツ、全員呼びましょっか」
「それがいいと思いますわ……」
IS学園に、『無料で寿司配ってるから食いたい奴は来い』なる奇怪なアナウンスが流れたのは、後にも先にもこの日だけだった。
話をつける、と言った割には、東雲が一夏を伴って向かったのはISバトル用のアリーナだった。
「えっと、千冬姉に会いに行くんじゃ?」
「そろそろ日が傾くだろう。長期休暇のこの時間、織斑千冬はアリーナに来る」
なんのために──と問いを発しようとして、一夏は口をつぐんだ。
(……訓練してる、のか)
あの世界最強が。
「……特に当方には知られたくないそぶりではあったが。生憎、ふと興味本位で知覚範囲を広げてみれば、アリーナで『打鉄』を乗り回す姿を発見した。同時に向こうも感づいたようで、バツの悪い様子ではあったな」
「何の話してんだ??」
千里眼同士がちょっと挨拶してるみたいなノリだった。
自分では未だ理解しえぬ領域に、一夏は思わず顔を引きつらせる。
「え、えーとそれで、東雲さんの用件っていうのは?」
「少しばかり胸を借りる所存である」
胸を借りる──つまり模擬戦だろうか。
「そういうの、簡単に頼んでもいいのか?」
「通常の代表候補生なら一蹴されるだろうな」
すなわち、自分は通常の候補生ではないと言っていた。
一夏は決して馬鹿ではない。その物言いを聞いて思い当たる節はある。
(そういえば東雲さんって、ただの代表候補生じゃない……日本代表候補生の中でも頂点に君臨する、ランク1だったな)
「無論、それらの肩書に本質的な意味はない」
考えを見透かしたように、東雲は無表情のまま言葉を続ける。
「何より当方は、日本代表候補生の頂点にただ居座っていれば良いとは考えていない」
「……ッ」
「当方はいずれ、世界最強の異名を取る戦士であり──そして、食べ物がかかわるとちょっと頭のおかしくなる女だ」
「根に持ってるのか、それ……!?」
完全に東雲は拗ねていた。
師匠相手にどう機嫌を取るべきか悩んでいるうちに、二人はアリーナのピットにたどり着く。
「失礼します」
「む」
そこでは千冬が一人、黙々と『打鉄』の整備にいそしんでいた。
「学園用ISの私物化ですか」
「馬鹿を言うな。長期休暇中のみ、希望する教員は訓練用ISを割り振られ、臨時の専用機として扱うことができる。無論、休みが終われば
一夏にとって、スーツ姿でない千冬は新鮮だった。
ISスーツだけを身に纏い、彼女は汗で張り付いた前髪を鬱陶しそうに後ろへ流す。
「それで、雁首揃えて何の用だ」
「
東雲の問い。
千冬はチラリと、真横の『打鉄』に視線をやった。
「……不本意ながら、あいつの助力もあった。外観こそ『打鉄』のままだが、中身はもはや別物だ。現役時代の『暮桜』に、勝るとも劣らないだろう」
「それは重畳。量産機相手に勝ったところで、意味がありません」
「一時的にこいつは、『
つられて視線を向ければ、機能限定中の『白式』が即座に機体内部をチェック。
開示されたカタログスペックは最新鋭の第三世代機に匹敵するレベル。大幅な改良、いいやここまでの変化は改造と呼ぶほかない。
しかし、問題はそこではない。
「ま──待ってくれ。二人ともさっきから、何の話をしてるんだ?」
思わず声を上げた一夏に、千冬は少し困ったように眉を下げた。
「あまり……身内に見せたくはないが」
「いいえ。今日ばかりは、彼を一人の、IS乗りとして扱っていただきたい」
「お前の介添人というわけか……分かった。こちらも一人呼んでいいな?」
「任せます」
それきり会話を終えて、東雲は踵を返した。
「えっ、ちょっ?」
「おりむー、頼みがある」
慌てて千冬に黙礼して後を追えば、どうやら東雲は真向いの別ピットに向かっているらしかった。
「頼みって……」
「最終調整を行う。機体調整は本土で十二分に済ませてはきたが……おりむーに頼みたいのは、最後の調整に関しての立ち合いだ」
言い渡された内容に目を白黒させる弟子へ、東雲は硬い表情のまま告げた。
「此れより在るは尋常な決闘である故に、な」
それは。
それは──世界最強の再来と、世界最強が、決着をつけることを意味していた。
日が暮れていった。
空に茜色が広がり、それすら失われていくのを、一夏は黙って見ていた。
東雲は無言のまま、『茜星』の前に跪き調整を続けている。
細かい出力の数値を絶えず観測し、問題がなければ次の箇所へ移る。その繰り返し。
(……手伝える、はずもないか)
根本的に、こと一対一の戦いにおいて、彼女の手助けができるなどと思い上がれるほど一夏は馬鹿ではない。
会話から察するに、自分は立会人としての役割を求められているのだろう。
ならば役割以外にできることは限られている。
(遠い背中だ)
カチャカチャと鉄のこすれ合う音。
一人でそれと向き合う少女の背中が、ひどく遠かった。
極度に集中しているのだろう。自分の存在を感知しているとは思えない。
(俺にできることは……何もしないこと。最大限集中している彼女の、邪魔をしないこと)
切っ掛けに心当たりはなかった。
むしろ予兆などないほうが自然なのだろう。諸々の厄介ごとが片付いたから、晴れて時が来た、というわけだ。
(どっちが勝つんだろうか)
世界最強の姉と。
世界最強に最も近いと謳われた師匠。
改めて、自分は恵まれた環境にいることを痛感する。
(他人事じゃない。二人の決着は、これから先、俺の人生にだって影響を与えるはずだ)
求められたのならば見守ろう。
だがそれは単なる傍観者としてではない。
(俺も一人の……頂点を目指す、IS乗りとして。今日の戦いを真剣に観なきゃいけないんだ)
手首を包む白いガントレットをそっと撫でた。
実のところ、月面から帰還して以来、一夏はまだ一度も戦闘行動を行っていない。単純な直線飛行レベルの機能確認は済ませたが、それだけだ。
メインコア人格であった『白式』の消滅。
戦闘機動に大きな支障はない。何せそもそも、コア人格の補佐なしに戦闘していた経験の方が長いのだ。
問題は、欠けてしまったのは機能ではなく、一夏の心の話。
「────時間だ」
凄絶な声だった。
ハッと顔を上げたとき、そこに敬愛する師匠の姿はなかった。
「往くぞ」
「……ッ!!」
悪鬼。
あるいは、剣に狂った、
全身が粟立つ感覚に、一夏は思わず両腕で自分をきつく抱きしめた。
(やっぱり試合前はおりむーにガン見されるに限るな! ぐふふ……当方がそんなに性的に魅力的だったか……?)
最終調整というのはメンタルコントロールの話だった。
卓越したスポーツ競技者は独自の
(今回ばかりは負けられないからな……おりむーが見てることで負けるのは二度とごめんだ)
ピット内で真紅の鎧を身に纏いながら、東雲は緩みそうになる表情を引き締める。
立ち合いに関しては、真剣そのものだった。
(だって今日、当方は────)
カタパルトに足をかける。
一瞥すれば、愛弟子はまっすぐな眼差しを向けていて、その視線にはこれ以上ない信頼が宿っていて。
「……勝ってくる」
「────ッ!」
完璧に調整した機体と身体で。
東雲は広大なアリーナめがけて飛翔した。
師匠の発進を見守ってから、一夏は観戦用に客席へと向かった。
管制室には誰かが待機しているらしく、無人のアリーナでただ一人の観客となる。
(……なんだか慣れないな)
他に人がいないアリーナ。当然ながら初めての経験だ。
挙動不審になりながらも、適当な席に腰を下ろそうとして。
ピリ、と首の裏が痺れた。
「誰だ!?」
先ほどまで誰もいなかったはずの客席。だが一夏の感覚は、巧妙に隠蔽された存在を感知した。
即座に右腕部装甲並びに『雪片弐型』を展開。
切っ先を突き付けて、それから目を丸くする。
「って、束さん……!?」
「やっほー」
背中から伸びる鉄の咢で刃を噛み止めながら、天災は気楽そうに手を振ってあいさつした。
慌てて一夏は武装を解除し、得心がいったように頷く。
「成程、千冬姉側の立会人って……」
「そうそう、束さんにご指名が来たんだよ」
気を取り直して、二人並んで席に座る。
「箒には会いましたか?」
「あー……どうしようかなーって。会ったら何しに来たんだって聞かれるじゃん?」
「なら、終わってからでも顔を出してあげてくださいよ。心配してましたから」
「いっくん、親戚みたいなこと言うよね……」
束は渋面を作りながらも、小さくうなずいた。
「これが終わったら、かな」
「はい」
とはいえ、今はただ、決闘に集中するほかない。
既にアリーナの中央では両者が対峙していた。
「……どっちが勝つと思いますか」
夜闇の中でも輝きを失わない、茜色の鋼鉄機構。
愛機『茜星』を装着する東雲を見ながら、一夏は隣の束に問う。
「五分五分──に、近い。正直に言えばね。ちーちゃんは
「それは、モンド・グロッソに出場していたころの……」
束は静かに首肯した。
「相手の動きが、読み取ろうとしなくても読み取れる。ちーちゃんですら最初は経験によるカンだと思ってたらしいけど……織斑計画によって拡張された、情報受信能力の影響だね。だけどそれも今はまったく機能していない」
織斑千冬という女傑の最盛期。
それは既に過ぎ去った過去の話だと、束は断言した。
『いくら親友とはいえ不快だな──私は今が全盛期だ』
「!」
アリーナ中央からの通信。
慌てて視線を向けると、鈍色の装甲を纏った千冬が不機嫌そうにこちらを見ていた。
「ちーちゃん、それは見栄張りすぎ」
『そんなわけあるか。私は公式コミカライズで大トリを持っていける程度には全盛期だぞ』
「あれは作者の好みでしょーが! 言っとくけどあんなアンソロジーしぐさを公式漫画の最後の最後に引っ張ってきたことに関してはかなり言いたいことがあるからね!?」
あと文化祭編やる必要あった?(半ギレ)
閑話休題。
準備を終えた東雲と千冬は、間合いを置いて向かい合っていた。
開始の合図は束が遠隔で管制室から出すらしい。
それぞれの愛機が、IS乗りの視界にレッドランプを灯した。
カウントが刻まれていく。
宿命の対決の戦端が、すぐそこに迫っている。
「申し出を受けてくださったこと、感謝します」
「構わん。私も、夏季休暇の間に結論を出しておきたかったところだ」
結論とは、即ち。
「『果たして今、
「他にも候補はいますが……まずは当方が、名乗りを挙げさせていただければと」
「濡羽姫か。あいつはよくやっているが、しかしお前が勝つだろう」
無体な指摘だった。
しかし東雲は首を横に振る。
「十度立ち会えば当方が最低でも八は勝ちます。ですが彼女は、残りの二を引き寄せる力を持っている」
「……それもそうだな。確率は問題ではなかった。肝心なのは、勝つべき時に勝てるかどうか」
千冬が低く構えた。
腰に差した太刀の柄に手を伸ばす。
「果たしてお前はどうだ? 『世界最強の再来』」
「証明しましょう、今ここで。『世界最強』を倒すことによって」
同時に東雲の背部でバインダー群が解放、展開。
円状に配置され、抜刀体勢を取る。
互いに即時攻撃態勢。
だというのに、呼吸が詰まるような静寂。
「……ッ」
世界そのものが凍り付いたのではないかと思うほどだった。
一夏は自分の身体が酸素を求めていることに気づいていたが、脳がうまく反応してくれず口を開けなかった。
極度の緊張状態。
頬の内側が干上がるのを感じた。
隣の束が不意に右手を挙げた。
東雲と千冬を中心に、空間が歪む。
右手が振り下ろされた。
瞬息だった。
両者の加速は弾丸の射出に近かった。
剣術試合であれば、踏み込みに床板が突き破られているであろう。
(は、や────)
初速から既に、一夏の反応速度限界ギリギリ。
シルエットの交錯には瞬きする間も置かない。
ほとんど同時に、二人の刃が閃く。
「──秘剣・
東雲が選んだのは最速最短の勝利だった。
突撃姿勢から繰り出される神速の刺突。
(殺す覚悟で往く)
狙い過たず胸部装甲に切っ先が接触。
そこからの動作は神業にも等しい。絶対防御が作動しないラインギリギリを見定め、衝撃を身体内部へ伝播。
オータムとの初戦闘にて開花した、忌むべき悪の殺人刀。
しかし東雲は数多の修羅場を越え、この秘剣を更に磨き上げ、完全なる
実感として、今までの秘剣には足りないものがあった。
何が足りないのか──疾さが足りない。
通常、刀の切っ先で相手を突くのなら、接触は一度きりになる。二度目を放つためには
東雲はオータムとの戦いを経て、デュノア社襲撃事件ではほとんど同時と見紛う速度で六度の刺突を繰り出すに至った。
それでもコンマ数秒のラグはある。それは、織斑千冬を相手取る上では死に直結する。
だからこその、改良型秘剣。
第一の工夫は刺突を差し込む角度。
見れば、真紅の刀身は斜めに傾いでいるではないか。刃を矢として解き放つのではなく、刀身に沿って順次衝撃を当てる狙い。外から見ればチェーンソーの挙動に近いだろう。東雲の計算上は総計15回以上の攻撃を見込んでいた。
無論、単純な突きと比べて難易度は遥かに勝る。だが要求される緻密さを東雲の技巧はクリアしていた。
だがそれでも足りない。
何が足りないのか──威力が足りない。
織斑千冬相手ならば、身体内部に衝撃を撃ち込むだけでは不足する、と東雲はにらんだ。
場合によっては臓腑を破裂させたとしても、向こうは構わず迎撃を実行し、それによって自分は敗北する可能性があった。
第二の工夫は刺突の範囲。
装甲表面を削り取るように放つ攻撃は、点を描く刺突とは異なり身体に沿って線を描いている。
即ち、腰から肩にかけてを袈裟斬りにするような軌道を取るのだ。
実に五十センチはあろうかという接触範囲全てが、芯を砕く破壊の起点。単一の照準に絞るのではなく、内臓全般を満遍なく食い破る殺意の奔流。
殺すつもりでいく、というのは誤りだ。
東雲令は、織斑千冬を本当に殺そうとしている。
技術とセンスの粋を尽くして、敬愛する恩師の命を消し飛ばそうとしている。
────そうでもなければ、勝てないから。
「なんだ、
千冬の声色には少なからずの失望があった。
真紅の刀身が
馬鹿な、と呆気にとられる。十数度にわたる攻撃は確かに発生した。五臓六腑を肉塊に変えるだけの威力は通ったはずだ。
(──
そのまま機影が交錯する。東雲は千冬の背後へとオーバーランし、両足で地面を削りながら急ブレーキをかける。
傷一つない刀身を確認しつつ、振り向いて構える、と同時。
「……ッ!?」
愛機が悲鳴を上げた。
展開されるレッドアラートウィンドウ。
表示されるエネルギー量が凄まじい勢いで削り取られている。
IS乗りが競技バトルにおいて最も恐れる事態。
──『絶対防御』の発動。
(これは──当方の力を、受け流して……ッ!?)
『茜星』の胴体装甲に、微かながらの斬撃痕が刻まれていた。
かすり傷にも見えるそれだが、機体の状況は最悪の一歩手前。内部フレームは破壊され、身体の挙動に合わせたフレーム動作にエラーを起こしている。
慌てて装甲を
「当方が使うと、見越していたのですか……秘剣の改良型を。貴女を殺す剣を振るうと──」
「お前は少し、真っすぐ過ぎるな。目を見れば分かったぞ」
千冬は手に持った太刀を、その手で撫でた。
観客席では一夏が口をポカンと開けたまま絶句し、束ですらもが見開いている。
根本的な物理の話。
力とは、指向性を持つ。ベクトルと称されるそれを、常人は体感することがほとんどできない。
なぜならば、身体を自分から切り離して感じられないからだ。『腕を押された』というのは『自分を押された』という感覚に脳が変換してしまう。
しかし卓越した武人は己の身体をパーツごとに切り離して掌握し、与えられた衝撃を順に受け流すことができる。
「秘剣返し、とでも呼ぶべきか」
余りにシームレスで見落としそうになったが、千冬自身はほとんど身体を動かしていない。僅かな身じろぎだけで十数度の殺人攻撃を完璧に受け流したのだ。
発生した秘剣の威力全てが、千冬の身体を介して、臓腑に至ることなく両腕へと伝導。
彼女はただ刃を相手に添えるだけでいい。それだけで、相手の攻撃は全て相手の元へと帰っていく。
改良に改良を重ね、絶技すら越え神域に達した殺人刀──
──
「どうした、手品のタネは尽きたのか? 私は大道芸を見に来たわけじゃないぞ」
交錯したポイントから一切動かないまま。
千冬は東雲に対して、絶対王者の覇気を滾らせて言う。
「これで終わりなら……お前に、『世界最強』はまだ早いな」
決闘が始まり僅か数秒。
明暗は分かたれたように見えた。
(東雲さん────)
心配もあった。
けれどそれ以上に、一夏は東雲の顔から目が離せなかった。
(気づいているのか? いや、そんなわけない。完全に無自覚なんだろう)
視線の先。
用意した切札を完全に攻略され、絶体絶命の窮地にある彼女は。
(東雲さん、今君は……
彼女は両眼に勝利への焔を灯し。
唇を吊り上げ、歯を微かに露にしていた。
次回
世界最強の再来VS世界最強(後編)