アリーナの観客は沸いていた。
唯一の男性IS操縦者と中国代表候補生の激突。
片や話題性で注目を集める中で壮大な啖呵を切り、戦いの中で可能性を示してみせた期待の新星。
片や確かな実力を約束され、またIS学園への転入という難関をくぐり抜けてきたスーパールーキー。
その戦いが鈴の『龍咆』という隠し札から始まり。
鮮やかに一夏が正体を看破する、という、プロレスの試合にも近い劇的な展開。
盛り上がるなという方が無理だった。
「……すごい」
誰もが惜しみない感嘆を抱いた。
誰もが思わず立ち上がり、目に焼き付けようと思った。
――両者の感情だけが、そこでは置き去りにされていた。
上を取られている。
地面を這うようにして駆け抜け、機をうかがう。
不可視の砲弾が次々と地面を穿ち、舞い散る破片や砂煙の中を白い機影が縫うようにして飛ぶ。
(連射性! 一発当たりの威力! とにかく隙がねえ! 嫌になる装備だな本当にッ!)
アリーナ中央の上空に鎮座する赤銅の機体を見据えて、一夏は苦々しい表情を浮かべた。
今は横の移動に集中して、レース中のF1マシンのようにフィールドを回りつつ攻撃を避けている。
大きく身体を右に傾かせて機体ごと右方へ旋回、一気に身体を反転させ、仰向けに天を見上げた。
(射撃精度はセシリアの方が断然上だ! でも連射性の高さに封じ込められちまう!
やはり分析通り――鈴は自分が一方的に有利なポジショニングを譲らない。
論理的な帰結ではなく、感覚的に選んでいるのだろう。
ここなら、なぶり殺せると。
だが。
「なんで、なんで、なんで、なんでェッ!」
鈴は泣きそうな顔で必死に衝撃砲を撃ち続ける。
当たらない。当たらない。当たらない。当たらない。
弾丸は身体を掠めることもなく地面に着弾し続ける。白い翼が稼働する度に、四肢で疾走する獣のように『白式』は鋭角にターンして攻撃を回避する。
当たらない。当たらない。当たらない。当たらない。
「避けんなァッ!」
不可視の砲弾をどうやって。素人のくせに。
挙動そのものは決して鋭くない。回避先だって読み切れないわけではない。
なのに、当たらない。必中を期したはずの砲撃が空を穿ち、既に『白式』はズレたポイントにいる。
「なんでなのよぉっ! アンタがなんで避けられるのよこれをっ!」
「撃つタイミング、つまりそれって俺に攻撃が当たるタイミングだろ! こちとら
分かる。自分がいつ撃たれるのか分かる。
自分の弱点なんだから――挙句の果てには実際に攻撃で指摘されて理解した弱点なんだから――分からないはずがない。
弾丸が見えずとも、直撃のタイミング、弾速、弾丸のサイズが分かっていれば、そこから弾丸の動きを逆算することは可能だ。
だからこそ。
素人とは思えない戦闘機動を見せつけられているような気がして。
もうあの時の自分とは違うと一夏が言っているような気がして。
「――そうやって自分の資質を自慢してるわけ!? 俺はやっていけるって! この新しい分野で突き進んでいくんだって、雄々しく宣言してる主人公にでもなったつもりッ!?」
「ち――ちげぇよ馬鹿! 誰もそんなこと言ってねえぞ!?」
「うるっさあああああああああい!!」
鈴が動いた。太陽を背に、上空から墜落するようにして距離を詰める。
両手の青竜刀が振りかぶられた。
次の一手を模索して、思考回路が壮絶な急回転を開始する。
(突っ込まれた――退いて距離を――いや――だめだ、だめだ、なんかダメだ理論的には絶対逃げた方がいいのに
結論は、事前の相談とは真逆の斬り合い。
逃げてはいけないと判断した。攻撃を避けた方が合理的なのに、攻撃云々ではなく、今の鈴から逃げてはいけないと思った。
地上で刃と刃が激突し、甲高い轟音と共に火花が散る。
一夏は即座に『雪片弐型』を引き戻した。鈴のもう一方の青竜刀が既に襲いかかっている。横薙ぎのそれに刃をかち当て、逸らすようにして受け流す。
「お前何が言いたいんだよ! 俺は俺にできることを全部やるだけだ! それになんでお前が文句言ってんだよッ!?」
「自分で、分かってるわけないでしょォッ!」
かんしゃくを起こした子供のように、彼女の言葉は会話を成立させない。
メチャクチャに振り回される二振りの『双天牙月』。質量は破壊力に直結する。一撃を受けるあるいは回避するだけで、空間が軋み、砂煙が上がり、余波が身体を打ちのめす。一閃一閃が死を予感させる。
「だったら俺だって好き放題言わせてもらうぞ! お前あんな風に喧嘩売っときながら、何ヤケになってんだよ! もっと堂々としてろよッ!」
「堂々となんて、できるわけない! こんな……! こんな……ッ!」
刃の軌跡はデタラメで、少しでも剣術をかじっていれば素人かと見間違うほど。
にもかかわらず、的確に一夏の体勢を崩し、防御を押し込んでくる。
「アンタだけ、どんどん進んでいく! ちっとも後ろを振り向かない! 巻き込まれて仕方なくなんかじゃなく、自分の意思で進んでいく――
「…………ッ!?」
思わず、挙動がブレた。
鈴の観察眼はそこを見逃さず、思考をすっ飛ばして身体は動く。
自分が振るう刃の間隙に、蹴りを差し込む。
放たれた前蹴りがしたたかに一夏の顎を打ち抜き、『白式』がぐらりと傾いた。
観客席の箒たちが悲鳴を上げた。
鈴は素早くコマのように回転――満身の力で『双天牙月』を振り抜いた。
クリティカルヒット、ではない。混濁した意識の中でも、咄嗟に一夏は防御姿勢を取った。かろうじて構えた右腕に刃がめり込み、白い装甲を粉砕し、インパクトが身体を紙くずみたいに吹き飛ばした。
「がッ――――」
制動する暇も無く地面に叩きつけられ二三度バウンドして、それからうつぶせにベシャリと倒れる。
荒い呼吸で鈴は左の青竜刀の投擲機能を立ち上げた。
既に分かっている。立ち上がった瞬間、まだ一夏は動けない。素人は最初に状況を目で確認しようとする。そのタイミングで着弾すれば、回避は間に合わない。
「そうやって何もかも置き去りにして、
『双天牙月』は投擲武器として莫大な攻撃性能を有する。
これは戦況を決める一手になると、思考ではなく感覚が告げている。
振りかぶって、左腕に力を伝導させ、身体全体を使って、打ち出した。
身体を起き上がらせた一夏はまず鈴を見ようとした。状況を確認しようとした。
そこで眼前に迫る刃を直視した。
「――――ッ!!」
爆音にも近い激突音。
それは投げつけられた青竜刀が、『白式』の装甲を粉砕した音――ではない。
「…………は、あ……ッ?」
鈴は思わず限界まで目を見開いていた。
叩きつけられた右肘と、かち上げられた右膝。
それらがまるで顎のごとく、青竜刀の刀身を噛み止めていたのだ。
「っぶね……!」
ガシャン、と青竜刀が地面に捨てられる。
片手に握ろうかとも思ったがやめた。使い慣れていない武器をぶっつけで試すほど剛毅ではない。恐らくない方がよく動ける。
(何、よ、今の。やろうと思ってできることじゃない。身体が勝手に動いたってヤツ? どう考えたって異常じゃない、そんなの、そんなの――)
続く言葉を理解して。
鈴は、愕然とした。
へし折りたい事実がその質量を増していくのを感じた。
他ならぬ自分がその証明者となっている、それを自覚して。
「――――――ッッッッゥゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
絶叫と共に残った青竜刀を振りかぶって突撃した。
一夏はギョッとした。
(なん、だ、この隙だらけの攻撃、迎撃を誘ってるのか!?)
エネルギー残量では向こうが圧倒的のはずだ。
それなのに、重心はぐちゃぐちゃで太刀筋も見るに堪えない、まるでやぶれかぶれの吶喊。
(ダメだ思考を読み取れないッ! とにかく迎撃!)
大振りの一閃は、僅かにのけぞるだけで空を切った。
そのまま逆袈裟に反撃を放ち、クリティカルヒット。赤銅の装甲が刻まれ、アリーナにばらまかれる。
(――通ったッ!?)
攻撃を通した一夏の方が驚愕してしまうほどに、それはお粗末な攻防だった。
「何、なんだよ鈴……! 俺は、お前を置いていったりなんかしない!」
「うるさいうるさいうるさいっ! 分かるわけない! アンタに、アンタにだけは分かるわけがないッ!」
鈴が攻撃を振るう度に、一夏は反撃の機会を見いだす。
相手の剣戟に沿うようにして剣を振るえば、攻撃を逸らしつつこちらの反撃が当たる。
無理に突っ込んでこようとしたタイミングですれ違いざまに胴を打てばあっけなく当たる。
カウンターが次々と直撃し、シールドエネルギーが爆発的に削り取られていく。
「だってあの日々に価値なんてなかったんだって! 捨てても未練なんてないってッ! そう思ってるも同然じゃない!
「何、勝手なことを……!」
エネルギー残量を計算。恐らく既にほぼ同量。
感情の熱量は、今、一夏が爆発的に増している。だから言葉は勝手に吐き出されていった。
「置き去りになんてするわけないだろ! 俺は今まで積み上げてきたものがあるからこそ俺なんだ! だから、俺はそこから積み上げていくッ! 今までの自分からさらに飛躍するために! 昔を蔑ろになんかするかよ!」
「そんなの、聞いても……ッ!」
「大体昔を蔑ろにしてるのはお前も大概だろうが!」
「は、ハァッ……!?」
鈴が急制動し、こちらに顔を向けた。
「あの思い出の中の俺たちは、いつも今の俺たちを見てんだよ! 恥ずかしいことをしてないかって!」
「ンな綺麗事で――思い出を消化しようとするなァァァァッ!!」
一気に鈴が飛び上がった。再び上を取られる。
陽光が遮られ、チャージ音が響く。
「眩しい過去の思い出も! 約束した未来の栄光も! 全てを背負って進まなきゃいけねえんだろうが!!」
「全部背負えるわけない! どうせ何かを捨てるに決まってる!」
「捨てねえ! 忘れねえ! お前こそ忘れてんじゃねえぞ!」
「何をよッ!?」
衝撃砲が放たれる、と予期した。
でも。
この瞬間だけはただまっすぐに突っ込むことしかできない――それ以外にするつもりもない。
一夏は大地を蹴り上げ、まっすぐに、太陽との直線上に位置する鈴に向かって突撃しながら。
腹の底から叫んだ。
「だって――まだ約束通り酢豚食わせてもらってねぇぞお前この野郎ッ!!」
「――――――――」
試合が始まってから一秒たりとも攻撃を止めなかった鈴が。
その時、初めて、動きを、止めた。
直撃。真っ向からぶつけに行った唐竹割りだった。
鈴の視界の隅で、シールドエネルギー残量を示すゲージが、がくんと減った。
「そんなに俺がお前を置いていくように見えるのかよ、だったらなァァッ――」
斬りつけ、振り抜いた『雪片弐型』――それを投げ捨てて、一夏は鈴に組み付く。
背部ウィングスラスターが爆発じみた炎を噴き上げ、猛然と加速。
視界がマーブル状のまぜこぜになった。
視界の中ではもう、お互いの顔しか像を結んでいない。
左手で青竜刀を持つ腕を押さえつけ。
右手で、鈴の左手を優しく握りしめ。
今にも泣いてしまいそうなのに泣いていない少女の貌に。
一夏は
「――ほら。これなら、置いていこうとしても置いていけないだろ」
そのまま、二人は白い流星となって、アリーナ外壁に激突した。
ビーッ、と。
勝敗を告げるブザーが鳴る。
「か――」
「か――」
箒とセシリアは立ち上がって、それから顔を見合わせた。
モニターに表示されている両者のエネルギー残量を二度見して、もう一度確認して、やっと事実を呑み込んだ。
『勝ったァァ――――――ッ!!』
感極まり、二人はひしと抱き合った。間に座っていた東雲は頭部を彼女たちの豊かな胸部装甲に挟まれ、完全に見えなくなっている。
他のクラスメイトたちも立ち上がり、ワーキャーと叫んだ。
「ほ、ほ、本当に勝ってしまったぞ!」
「だだだ大金星ですわよこれ!」
「ひょうほあんにもはみみゅにゅ」
何か聞こえた。
バッと二人は離れる。心なしか恨めしげな目で、東雲が見上げてきていた。
「……賞賛に値する。当方たちの予測を裏切った。当方は当方の認識を反省している。本当に――
「そ、そうだな」
バツが悪くなり、それしか返せなかった。
謝るべきなのだろうか、しかしまあ、東雲はすぐに意識を切り替えたように、というかガバリと今までにない勢いで空を見上げたし気にしてないのでは――
――待て。
「……あの、東雲さん?」
名を呼ばれても彼女はこちらを見ることはなかった。
ただまっすぐに、視線を上空へと向けていた。
釣られて箒も、セシリアも、すぐそばにいた生徒たちも空を見上げた。
何もなかった。
「何か、来る」
瞬間、来た。
ずっと思い出の中に生きていた。
手に入れたものは全部砕け散って。身の回りの人々はまるで自分のことを忘れてしまったかのように生きていて。
証が、欲しかった。
何でも良かった。勉学でもスポーツでも良かった。
そんな中で、ISと出会った。
「……ぅ、あ」
チカチカと視界が明滅している。
鈴は頭を振って、それから、愛機が絶え間なくメッセージを垂れ流していることを認識した。エネルギー残量、ゼロ。
ああ、と。
(まけ、たんだ)
「――俺の、勝ちだ」
視線を巡らせた。ぐちゃぐちゃに破壊されたアリーナの壁。そのすぐそばに転がる自分と、肩で息をしながら今まさに立ち上がった少年。
「……ご、め」
「謝るな。俺の方が謝るべきだ。ごめんな、鈴、寂しがり屋だって分かってたのに」
一夏はその左腕の装甲のみを粒子に還して、素手で彼女の髪をかき混ぜた。
「ごめんな、鈴。俺は確かに……前ばっか向いてるように見えたかもしれない。でも全然大丈夫だから。俺、ちゃんと覚えてる。お前との日々も、俺たちの日々も」
「……いち、か」
「――あの、『毎日酢豚作ってくれる』って約束も、さ」
柔らかい微笑みを浮かべられては、何も言えない。
そうだ。
その笑顔が見たくて会いに来たのだ。
(なんだ――こうすれば良かったんだ)
まだ二人の手はつながれている。
置いていかれたくないと思った。
だったら、一歩踏み出して、手を伸ばす。
それだけで彼が、差しのばした手をしっかり握り返してくれるなんて、当たり前だった。
「――えへへ」
手のひらを介して伝わる熱が心地よくて。
それは腕から胸へ、胸から頭へと広がっていき。
涙となって、両眼から滴る。
やっと、泣けた。
「あ、ちょっ、え、大丈夫か、どっか痛いのか?」
「違うわよ、ばーか」
限界を迎えていた『甲龍』の装甲がぼろぼろと剥がれ落ちていく。
後で怒られるだろうか、今は気にしない。
「ほんと……一夏のばーか」
抱えていたものを下ろすような、身に纏っていた防護壁を解除するような。
その感覚が心地よくて。
""――――――――――――""
それはガラスが割れるようなチープな音と、獣の咆哮が混ざり合ったような、極めて不快な音だった。何度も何度も、拳銃を連射するようにして響き続ける。
二人同時にそちらを見た。
アリーナを覆う遮断シールド、そこに何かが組み付いている。落下してきてシールドに弾かれたそいつは、体勢を立て直して、シールドの上に立ち――何度も何度も、拳を叩きつけている。
「え……?」
全長は人間よりも大きい。それでいて装甲は隙間無く埋められた
愛機がアラートを鳴らしてウィンドウを立ち上げる。
未確認機体――未確認、IS。
バリン、と。
総計27回に及ぶ殴打が、遮断フィールドを砕いた。
エネルギーの塊を拳で粉砕する、という理解不能の事態。
足を突き立てていた床がなくなれば、どうなるのか。
着地というよりは墜落に近い。
機影がまっすぐアリーナの中央に、
激突、しかし地面が粉砕され土砂が巻き上がるだけでそいつは微動だにしない。
黒に近い灰色だった。
ひょろりと細い足は自重に耐えきれるのか心配になるほど頼りない。
対照的に、両腕は丸太を三本束ねたほどに太く、長大だった。
頭部とおぼしき箇所に赤い複眼がうごめき、カチカチカチと音を立てている。
様子を窺って。
状況を把握して。
行動を選定している。
(や、ば――――!)
両腕が起き上がり、二つの手のひらがこちらに向けられる。
戸惑いよりも危機察知能力が先行した。
鈴の腕をひっつかんで反転加速離脱離脱離脱遅い間に合わない――!
【OPEN COMBAT】
ただ愛機がそう告げた。
同時、世界を焼き尽くす
OPEN COMBAT「えっ残業ですか?」
次回
18.唯一の男性操縦者VS未確認機(前編)