二日目の授業を終えて、一夏は教室の自席で教科書を睨んでいた。
はっきり言って理解度はクラスメイトらと比べダントツに低いだろう。
ISとは、最新にして最強の兵器である。その先進性には、高い専門性が付随している。
基本的な直線飛行の段階で既に、一般人からすれば呪文のような言葉の連続だ。
まったくの素人である一夏がこれを理解する上でのハードルの高さは並大抵ではない。
「……なあ東雲さん」
だからこそ、優れた指導者の教えを請わない理由はない。
日本代表候補生にして、世界最強たる自らの姉の再来とまで謳われる実力者を臨時の教師として迎え入れることができたのは、一夏にとってはこの上ない僥倖だったのだが。
「えっと、その服装は……」
一夏の前方。
教師役である東雲令は、なんかゆるふわっとしたニットに短いスカートを履いていた。
伸縮性に優れるニットは彼女の身体のラインをそのまま浮き上がらせている──しかしその胸は平坦であった。さらにはだて眼鏡もかけている。
艶やかな黒髪は制服の時より柔らかく光り、鋭さ、寄せ付けなさが減じられたように見える。
教室が一瞬で淫靡な空間になったような気がして、一夏はひっきりなしに足を組んだり頬をかいたりして誤魔化していた。
「当方がリサーチした際、『家庭教師のお姉さん』というものはこういう服装をするという結果が出たため、今朝のうちに速達で注文した」
「何を見たんだよ東雲さん……」
「ぴーあいえっくすあいぶい、なるサイトである」
「pixivじゃねーか!」
閑話休題。
服装については当人のモチベーションの表れなようであるため、なるべく気にしない方針でいくことにした。
一夏は教科書と自分のノートを見比べながら、疑問点を口にする。
「なあ、少し思ったんだけどさ。ISの動かし方……これ、かなり無理矢理、テキストに落とし込んでいないか?」
「事実である」
東雲は深く頷いた。
「ISという兵器は、IS乗りの直感に対応できるよう、システムに余白が存在する。自動予測やランダム回避機動とは異なる動きをすることを前提に構成され、それはつまりIS乗りの多様性が認められている証拠である」
「ああいや、そうじゃなくてさ。なんていうか、基本操縦技術の段階から、正直実際に触れてみないと分からないところが多すぎるっていうか……」
「それもまた事実である。ISに関するマニュアルは、整備用のものは非常に役立つものの、
「これ何なんだよッ!」
一夏は思わず絶叫して、分厚い教科書をバンバン叩いた。
「お守りである」
「……お、お守り?」
「ISの操縦を行う際には感覚がモノをいうことが多い。その際に必要なのはメンタルコントロールである。そのマニュアルを読破し、自らの血肉としたという事実が、戦場において自らの精神を安定させる材料となる、当方はそう考えている」
「じゃ、じゃあ、このマニュアルを読まない人とかも、いたりするのか?」
「存在する」
東雲は間髪を容れず、一夏を指さした。
「織斑千冬が代表例である」
「――――ッ!」
「彼女を筆頭とした感覚派のIS乗りは世界に数多く存在する。最近では、中国の代表候補生もそのタイプだと聞いている」
「感覚派……マニュアルのテキストを読むことなく、操縦の仕方とかを全部、身体で覚えてる、ってことだよな……なるほど、型稽古をあんまりしないけど実戦でやたら強いタイプか」
一夏は得心したようにうなずき、ノートに書き込みを加えた。
彼なりにかみ砕き、表現を改め、文字通り自らの血肉とするために知識を詰め込んでいく。
その過程を確認しつつ、東雲は解説を続けていく。
「反対となるのはマニュアルを暗記し、それをベースに自らの操縦技術を構築していく理論派である。其方が決闘を行うセシリア・オルコットは典型的な理論派、故に彼女の型にハマると抜け出せないことが多い」
「型?」
「感覚派はその場その場で自分に最適な行動パターンを構築し、常に変化を止めない。だが理論派は、
「ああ、なるほどな」
必勝の手。常勝の手段。それらを用意し、如何にそこへ持ち込むかに主眼を置く。
それを見切ることができれば、自分にも勝機があるかもしれない。
だが――
「……でも、東雲さん。仮にその必勝パターンを見切っても、見切られたところで痛くもかゆくもないようには、構築してるんだろ?」
「……いい気づき。其方の言う通り」
東雲は少し驚いたように目を丸くした。
彼が、戦いの『た』の字も知らないような少年が、そこに思い至るとは考えていなかったためだ。
リアクションに対して、一夏は乾いた笑みを浮かべる。
「いや、さっき、専用機をもらえるってなった時……改めて、彼女の自信を感じた。自信っていうかプライド、なのかな。勝たなきゃって気負ってるわけじゃない。負けるはずがないって確信してる。俺をナメてるんじゃない。自分の評価が高いからこそ、ああいう風に自然と振る舞えるんだと思う」
「…………」
「その点俺は、自分の評価なんてないから……多分彼女の気に障ってるのは、ここだ。踏み潰し甲斐をくれって言ってた。あれはオルコットさんなりの、発破だったのかもしれない」
「……其方がそう感じたのであれば、そう受け止めればいい」
突き放したような物言いだったが、一夏は気にしなかった。東雲がそういう人間だと分かっていたからだ。
「まあ、いい。それじゃあISの解説、続けてくれよ」
「承知」
「あ、ちなみに東雲さんって感覚と理論、どっちなんだ?」
「当方は理論派である。ただ勝ちパターンは一種類しかない」
「……その一種類で、代表候補生相手に六連勝してんのか……」
一夏はちょっと引いた。
夜。
篠ノ之箒は、寮の外で、日課である篠ノ之流剣術の型稽古を行っていた。
左右に一振りずつの竹刀。鍛え上げられた腕力は、それを軽々と振り回す。
(まったく。まったくッ! 一夏の奴っ!)
だがその精神は、在るべき姿とはかけ離れていた。
篠ノ之流剣術の神髄は水面のような静けさ、穏やかさ、そして冷たさに存在する。
あるがまま、揺らぐことなく、ただ斬り込んできた敵は返しの刀を受けて絶命する。そこに一切の揺らぎは生じない。
カウンターに特化した流派であるからこそ、箒に求められるのはいついかなる時もブレない精神であった。と、いうのに。
(最初に挨拶をするだけしたら、後はまったくの無視か! けしからん! 久方ぶりに! 再会した! 幼馴染だというのにッ!)
竹刀の軌道がブレる。それは腕に無用な力みが入ってしまった証拠。
剣筋が傾き、速度は殺され、見るも無惨な剣戟を演じてしまう。
だが箒とて確かな実力者である。自分の太刀筋の乱れを自覚すると、ぴたりと動きを止めた。
「……いかんな。今日はもう、休んだ方がいいか」
竹刀をしまい、汗を拭う。
がくりと肩を落として、彼女は自室への道を歩き始めた。
――その時、ふと、視界の隅で何かが動いた。
(……え?)
目を凝らす。夜のとばりが下りていて、シルエットしか見えないが。
遊歩道脇の小さな休憩スペースに、人影がいた。
少女の華奢なシルエットではない。大人の女性のスタイルでもない。
まごうことなく、青年の姿。
「い、いち――」
思わず喜び、名を呼んで近寄ろうとした。
だが。
駆けだした足が止まる。
「フゥッ、フゥッ、フゥッ」
一夏は荒く息を吐きながら、地面に全身から汗を流しつつ、必死に腕立て伏せをしていた。
一体どれほどの時間、トレーニングをしていればその姿になるだろうか。
「……っ、300」
カウントしていたのか、彼は腕立て伏せをやめると、そのままスクワットに移行した。
誰にも見られないような、夜闇の隅の中で。
一人、黙々と。
(――――――私は、何をしているのだ)
無性に恥ずかしくなった。
彼は必死に努力をしているのだ。勝負に向けて、決闘に向けて。
くだらないことで精神を揺るがされ、鍛錬に集中できていない自分が情けなかった。
(……部屋に戻ってから、もう一度。篠ノ之流ではなく……剣道の型から、やり直そう)
箒は拳を握り、彼に気づかれないよう、向かうべき方向へと向き直った。
「……だあっ、きっつい……!」
要求数をこなし、スペースにばたりと倒れ込む一夏を見て、それを
「ISを動かす上で最低限の筋力は存在する。あとは筋持久力と根本的な体力」
「だよなあ……! よっし、東雲さん、どれくらい走ったらいいかな!」
「もうしばらくの休息を必要とする。その後、グラウンドを十周走り、その後に全力疾走で一周」
「うわキツいやつじゃんかそれっ」
タオルとドリンクを渡され、一夏は頬を引きつらせる。
「だけど、必要なんだよな……うん、頑張ってみる」
「訓練機の申請が決闘まで間に合わなかった以上、やれることは限られる。それを突き詰めることが、当方の考える最高効率のプラン」
「分かってるよ、東雲さん」
ドリンクを飲み、身体を伸ばす一夏を見て……東雲は首を傾げた。
「今日の昼」
「ん?」
「あまり、決闘には気が乗らないように見えた。けれど、トレーニングにはきちんと打ち込んでいる。何か意識の変革があった?」
「ん……いやまあ、色んな人に、色んなモチベーションがあるんだなあって思って。俺にはまだ何にもないけど。でも、それを負けの理由にはしたくないかなって。それと」
「それと?」
「……言葉にはできないけど、少しずつ、なんかこう、自分なりの戦う理由。それが確かに存在する、ってのだけは、分かってきたから」
「……そう」
興味のなさそうな返答に、一夏は苦笑いを浮かべた。
彼自身まだ理解していない、その理由。負けたくないというほんの少しだけともった意思の炎。
それが燃え盛る時、きっと、彼は進化する。
(にしても、さっき通りがかったとき、しののんも来れば良かったのに……)
グラウンドを真剣に走り込む一夏をぼけーっと見ながら、東雲令は寮を振り返った。
(正直いきなり一対一は見込みが甘かった。過信してた。もう無理です。話の……つなぎ方が……分からん……ッ!!)
今でこそ一夏が積極的に話をしてくれるからいいものの、残念ながらこの東雲という女、異性とのコミュニケーションスキルが致命的に壊滅していた。
(しののん、助けて……! 男子との話し方を教えて……! そういや幼馴染だったよね? 彼がどういう話好きとか教えてくれないかな……あと好みのタイプとか……)
織斑一夏は指導者が煩悩まみれであることなどつゆ知らず、求道者のように、あるいは哀れなハムスターのように、黙々とグラウンドを走り続けていた。
次の次とかでセシリア戦です
遅すぎィ!