理解できない。
どうして、そうなるのか。
どうして、今ここで立ち上がるのか。
守られていい場面なのに。回避していい危機なのに。
今こうして一夏は、東雲より前に立っている。
彼が背負う炎の翼にあてられて、ひどく身体が熱い。
(…………あれ?)
東雲は曲がりなりにも実力者だ。自分の身体状況を把握するなど造作もない。
だから気づく。
眼前の焔とはまったく違う熱を、己の身体が持っている。
胸の奥底で灯った熱が、
知らない。
こんな感覚を、彼女は知らない。
だって――心の底から誰かを好きになる感覚は、実際にそうならなければ、分かるはずもないのだから。
八本脚が、招くようにして蠢いている。
それを見て一夏は強く、強く『雪片弐型』の柄を握り込んだ。
(五手――このやり方は多分、東雲さんとは逆だろうな)
見ていれば分かる、彼女の魔剣は一手ごとのダメージを積み重ねて計算していき、その結果としてカウントが成立する。故にその宣言が外れることはない。
残念ながら一夏は、形式こそ師のものを借りたが――そこまでの化け物じみた実力を有するわけではない。
愚直なまでに、自分にできることを積み重ね、築き上げることしかできない。
(だから俺のするべきことは、その場その場の最善手を模索することじゃない。結論を定めて、
荒ぶる烈火の翼とは対照的に、彼の眼は冷たく澄み渡っている。
心はマグマのように滾り、しかし思考は鉄のように冷えている。
(五手だ。五手で終わらせる。結論ありきで――そこに至る四手を逆算しろ)
思考回路がアリーナ全域を掌握して演算を開始する。
味方のポジションと武装――三人にアイコンタクト。
敵の位置と立ち回り――オータムの美貌を模した顔と視線がぶつかる。
これ以上ない速度で理論が組み上がり、必ず通る攻撃を弾き出す。
全てが自分の中で完結する東雲とは違い、一夏はやっぱり、そんな風に強く戦えない。
それがプラスに転換される。
東雲令の魔剣を、
織斑一夏の鬼剣は、
彼女は勝利に手を伸ばし、そして順当と当然の蓄積のみでつかみ取ってしまう。
――故に、魔剣、
彼は敗北の中を這いずり、しかし最後には燃料を起爆し勝利へ飛躍せんとする。
――故に、鬼剣、
『一夏……!』
「……信じてくれて、ありがとな箒」
影蜘蛛と相対する少年に、箒が思わず声を漏らして。
一夏はそれに対して、はっきりと口を開いた。
「だからあと少しの間だけ俺を信じてくれよ、箒。心配も祈りも不必要だ。ただ……いつも通りに。言ってくれたみたいに。
『――! ああ、ああ……っ! 無論だ、それに、少しだけだなんて言うな! 私はずっとお前を信じている!』
「へへ……うん、ありがとな」
それを聞いて。
その心強さに、箒は深く息を吐いて、そのまま膝から崩れ落ちた。
けれど大丈夫だ。見ているだけで、信じているだけで。
彼は帰ってくると、分かったから。
「……ラウラ・ボーデヴィッヒを……そして俺のプライドを……返してもらうぞ、物真似野郎……ッ!」
カッと瞳を見開き。
相対する『アラクネ・シャドウ』が迎撃の姿勢を取る中で。
「一手ッッ!!」
炎翼がはじけ飛んだ。
元より熱は十二分に溜まっている。それを消費しての超加速は瞬時に距離を詰めた。
既存のIS全てを置き去りにする最高速度。
"――速いじゃねえか"
言語の学習が進んだのか、『アラクネ・シャドウ』はオータムの声色を再現して嘲る。
直線的な加速など恐れるに足りない。ましてや刀一本。
余裕を持って、影蜘蛛は八本脚のうち二本を交差させ正面から斬撃を受け止め――
――られなかった。
泥で構成されていたとはいえ、その強度は弾丸を弾くことも可能であったはずなのに。
二本の脚は、一切の抵抗も許されないまま切断された。
今までの『白式』とはまるで別物。
それはISの常識を塗り替えてしまうかのような出力。
当然だ。『
その特性――
"な――!?"
「驚き方も物真似できてるのか、今のはスカッとしたぜ――二手ッ!!」
がら空きになった真正面から、頭部に、加速の勢いを乗せて思いっきり蹴りを叩き込んだ。
泥の覆い方からして、ラウラの身体は胴体に収められているのが分かっている。ならばそこを避けるのは自然。狙うは、頭部と四肢。
前蹴りを鼻面に突き込まれ、『アラクネ・シャドウ』が大きくのけぞる。
「今のを避けられない時点で、お前は我が師の模倣なんざ一ミリもできてねえよ――だろ!?」
「まったくですわね!」
姿勢の崩れた『アラクネ・シャドウ』だが、リカバリーは神がかっていた。のけぞったまま身体を投げ出して後ろへ宙返り、距離を空けつつ体勢を立て直す。
が、その時背後にはもうセシリアの姿があった。
驚愕する暇もない。
自立行動するAIに、それが読めるはずがない。
今の今までビットをフル稼働させ援護に徹していた狙撃手が、
「三手、ですわッ!」
インターセプターの鋭い刃が泥を突き破り、人間で言う頸動脈に突き刺さる。同時にセシリアは影蜘蛛に組み付き、身動きを封じ込める。高貴さをかなぐり捨てた、勝利への布石。
そう、これは
"こんのクソガキ共!?"
「クソガキで――」
「――悪かったね!」
セシリアへ伸びるサブアームを、鈴とシャルルの砲撃が打ち落とす。
それは言葉にせずとも伝わっていた、三手の次へ至るためのつなぎ。
「四手ェェェッ!!」
分かりきったその結末を確認する必要もない。
戦場全域を把握する一夏にとってそれは既知である。
叫びを上げながら純白の刃を振りかざし、ウィングスラスターから噴き上がる炎をアフターバーナーのように推進力に換えて。
言うなれば――
全身全霊をかけて、一気に距離を詰めて。
真正面から、斬りかかる。
"舐めんじゃねえ!"
ここに来て『アラクネ・シャドウ』が札を切った。『アラクネ』を模した全身から、
「こっちの台詞だ三下ァッ!」
分かっている。予測できている。一度模倣できたもの、データを消去しているとは考えがたい。
故に振るわれる斬撃もまた、ラウラの動きを元にしたもの。
もう何度も見た。彼女の実直な、軍人らしい効率的な攻撃。
迎撃されるパターンを絞り込んでいた。ラウラならどうするか。あの冷酷無比な強敵ならばどうするか。
(こっちの初動を潰しに来る!)
"何かできると思ってんじゃねえぞ!"
予想は的中。
エネルギーを絶えず放出することで形成されるブレードは、振り上げた右腕を叩き落さんと突き出される。
冷静な戦術眼がそれを予期し、伝達された身体が感覚的に対応する。
感覚的な予期では、そこからつなげられない。
理論的な対応では、相手のペースに乗せられる。
だが、
「ルアァァァッ!!」
全身から放出される火焔。それは攻撃を溶かす特殊装甲にして、
前に出した左肘と、後ろに引いている右足。二カ所から噴き上がる焔が炸裂し、身体をその場で独楽のように回転させる。
奇しくもそれは、ラウラの猛攻をしのいだ際の機動――それを十倍近い推力で再現した、より洗練された戦闘機動。
確かに当たるはずだったプラズマブレードの突きが虚空を穿ち。
コンマ数秒で一回転し戻ってきた『雪片弐型』が、伸びきったその泥の腕を真横から食い破った。
"え――――"
「――さあ、勝負だ!」
これが最後。
度重なる過負荷に機体は限界を迎えている。それでも一夏のために、レッドアラートを最小限にとどめていた。
一夏自身もとっくの昔に限界を迎えている。それでも勝利のために、身体は猛り狂う焔に突き動かされていた。
荒れ狂う感情が、指向性を持って流れ出す。
研ぎ澄まされた一閃ではなく、魂ごとぶつけるような一撃。
セシリアに捕縛され動けない。
サブアームは撃ち落とされた。
だからもう、『アラクネ・シャドウ』はそれを見ているしかない。
先ほど同様に焔が弾けて回転を一瞬で静止させ。
その時にはもう愛刀を両手で握って。
大上段に振り上げていて。
「――五手ェッ!!」
両腕から噴き上がる焔が炸裂し、爆発的な威力を載せた刀身が振り下ろされた。
誰も、指一本動かせないような静謐。
振り抜かれた『雪片弐型』の切っ先は、地面まであと数ミリというところで静止した。
一夏はその姿勢のまま、揺るぎない静かな瞳で怨敵を模した影を見つめている。
「…………俺の、勝ちだ」
"…………みてえだな"
その返事はきっと、一夏が確かに感じた、オータムという女の武人としての誇りがアウトプットされた結果だった。
影蜘蛛はそれきり、糸が切れたように全てのサブアームが垂れ、残った片腕も下がり。
ぱかりと――斬撃の軌跡を証明するように、左右真っ二つに割れた。
片腕を切り落とした段階で、通常の斬撃ではラウラごと叩き斬ってしまうことに気づき、踏み込みを調整して表面をなぞるように斬り捨てた。一発勝負の危険な綱渡りだったが――ここぞという時の勝機を、モノにしてみせた。
横一閃で相手の攻撃を弾き、すぐさま頭上に構え縦にまっすぐ相手を断ち斬る。一足目に閃き、二手目に断つ。織斑千冬や篠ノ之箒が習得しているそれは、『一閃二断の構え』と呼ばれる術理である。
さして剣術を学び続けたわけでもない一夏に、それを再現できるはずもない。彼は自分にできないことはできない。
けれど。
信頼する愛機の力と、自らの意志で疑似再現したそれは。
一足目に断ち、二手目に撃ち込む――剣『術』と呼ぶにはおこがましい、人間ではない者が振るう剣。
ならばこそ、鬼剣と呼ぶにふさわしいだろう。
「……う、ぁ」
泥の中に胎児のように丸め込まれていたラウラが、ひどく憔悴した様子で倒れ込んでくる。
刹那のうちに、『白式』が光の粒子となって散った。焔の塊と化していたのが幻のように。
「っと――」
ラウラの小さく、華奢な身体を、胸で受け止め――きれない。両足の感覚がない。というか全身がしっちゃかめっちゃかに悲鳴を上げて軋んでるし間違いなく明日は筋肉痛で動けない。
「――ぉおっ!?」
そのまま銀髪の少女を抱きしめて、一夏はびたーん! と地面に仰向けに倒れ込んだ。モロに打ち付けた背中の痛みが重なって、もう涙を通り越して鼻水が出てきた。
「あ……! い、ぎ……!」
リアルに叫ぶことすらできない痛みだった。叫んだら間違いなくどっかしら痛む。
あまりに生々しい勝利の代償に、思わず頭を抱えそうになる。
「……おりむら、いちか」
そんな一夏とは対照的に、どこか夢うつつのような声色で。
瞳の焦点が合わないまま、ラウラが唇を動かす。
「おまえの、つよさが、ただしいのか」
「……俺に、とっては。だけどあんたにとっての強さは多分、別だと思う」
激痛に顔をしかめながらも、嫌になるほどの晴天を見上げながら、彼はそう告げた。
「俺にとっての強さは……心の
「どうありたいか、なんて……」
「自分で見つけるんだ。俺だってできた。それで……それはやっぱり、つらくて、苦しい時間の連続だからさ。あんたが……君がそうするのなら。俺は、一緒に休むぐらいはするよ」
「…………」
「歩き方が分かんないなら、さ……一度休めばいいんだ……少し休んだところで……過去の俺たちは、追いかけてきたりはしない……過去の自分は、力を……貸してくれる……」
意識が朦朧としてくる。空の青は、既に霞んでいる。
それでも伝えなければと、一夏は必死に言葉を紡いだ。
「だから……過去の自分を、否定しないであげて、くれ……そんなの……かわいそうじゃんか……」
「よわくて、ぶざまで、みるにたえない、わたしを?」
「だってそれも君なんだから……好きにならなくてもいい……嫌いなら……いつか、思いっきり笑ってやれよ……私は、強くなったんだって。そうしたら……」
「――祝福、してくれる」
限界だった。
返事ができず、一夏は小さく頷く。
自分が多くの人々に支えられたように。
自分の言葉が、彼女の助けになればいいと。
そう祈った。
「……ぁ」
仰向けのまま目をやれば、こちらに駆け寄ってくるセシリアたちと。
その場で一歩も動けず、目を見開いて、何かひどく動揺しているような東雲が見えた。
(…………見て、くれてた、かな)
それきり。
意識は闇に閉ざされた。
「あっはっはっは!! あいつ、乗り越えやがった! 出来損ないとはいえ、私に勝ちやがった! そうだよそうだよ、そうこなくっちゃァな! あと、あの模造品より私の方が百億倍美人だぜ!」
『――――――』
「……あー、いやすまん。笑ってる場合じゃなかったな。博士生きてっか?」
『…………束さんにも……分からない……これ……展開装甲じゃない……多分『白式』が『雪片弐型』に内蔵された展開装甲を解析して再現したんだ……デンドログラムが塗り替えられたとかじゃない、大本から全否定された……つまり……』
「おっ、今日も台パンが見れんのか!」
『つまりこれ――
「…………それって、まさか」
『可能性が増えたッ!! 『零落白夜』以外の選択肢として、選べるかもしれない……!』
「まじ、かよ……大成功じゃねえか……! やったなおい! こりゃ祝杯だぜ!」
『カンパーイ! ――とかしてる場合じゃないんだよ! これはなんとしてでも逃せない! 『白式』を直接解析して伸ばす方向性を定めないと!』
「おいおい今のひどくねーか。蜘蛛は寂しいと死んじゃうんだぜー? ……これを兎相手に言ってんの意味わかんねえな……」
『――うんそうと決まれば早速学園に』
「馬鹿野郎! それは駄目だ!」
『ッ!? ……び、びっくりしたぁ』
「こないだの一件で私もあんたも睨まれてる。捕まるとかじゃなくて、相手次第じゃ即殺だ。特に東雲令がやべえ。私、絶対にあいつの前には出れねえよ」
『はぁ? あのさ、束さんが殺されるとか本気で思ってるの?』
「確率はゼロじゃねえ。ぶっちゃけ死地だ。いくら博士とはいえ、来させるわけにはいかねえ……私に任せろ」
『……むー、そこまで言うなら』
「……クライアントとしても危機に晒すわけにはいかねえし。それに。私は結構、あんたのこと気に入ってんだよ」
『ああ、美人でスタイルも抜群だもんね、束さんって』
「それもある非常にある。が、一番はやっぱ眼だな。吸い込まれそうだ」
『………………………………』
「……あんた……結構ウブだよな……」
『うっせーしね』
シャワーノズルから降り注ぐ熱い湯が、東雲の身体を濡らしていく。玉のような肌にぶつかり、水滴は細やかに弾けた。
同期の親友である簪と比べていくらか慎ましやかな胸は、しかし入学後に出会った箒を見て『慎ましい』から『何も言うことはない』にグレードダウンした。セシリアも恨めしい。鈴相手にはちょっとした優越感を抱いている。だから東雲は鈴のことが結構好きだ。無論、箒とセシリアも、そして鈴も、友人として深く情愛を感じているのだが。
ただ、今の東雲は自分の身体などまるで意識に入り込まず。
半ば呆然としながら、水流を浴びていた。
(……今日の、戦闘)
どうして自分に任せなかったのか。
どうして自分は、押しのけて戦わなかったのか。
常に最適解を選び続けてきた東雲にとって、この困惑はひどく精神を揺さぶるものだった。
(……おりむー……織斑、一夏)
あの力強い声を思い出すたびに、身体がどうしようもない熱を持つ。
東雲には理解できない論理で動いた筆頭。動かないはずの身体を動かして、ISを規定コースから外れた進化に導いた、気になる男子にして弟子。
(父も、母も、それでいいと言っていたのに)
捨て子として施設で育った彼女は、ある日養子として引き取られた。初めてできた家族である父と母は、純粋に日本を憂う人々だった。純粋に、狂っていた。
だから国防の戦力になればと、娘をISの専門施設に送った。東雲はそこで才能を開花させた。親の愛なんて知らないまま、戦士としてだけ完成され尽くした。
過程で分かった。必要なのは勝利である。最適解を選び続けることである。肩書きに価値はない。何せ、
「…………おりむら、いちか」
名を口にしてみた。
途端、得体の知れない熱が胸の奥底から湧き上がってくる。
今までも彼の顔を見てドキドキすることはあった。胸の高鳴りを感じ、これが恋なのだろうかと悶々とすることはあった。
余りにも、違う。それまでのもの全部がまとめて消し飛ぶほどの、痛烈で、強烈で、鮮烈な。
まぶたの裏に常に彼の顔が浮かぶ。
会話を思い出すだけで頬が緩みそうになる。
『今から、この瞬間から、ずっと見逃さないでくれ』
言われるまでもなかった。目が釘付けになって、舞い上がる余裕すらなかった。
普段ならきっと、元から見てるわい! と思ったかもしれない。でも違った。
あの瞬間。
一目で。
心が、撃ち抜かれた。
知らない。
こんな感情は知らない。
知りたい。
この感情は何なのか、知りたい。
知らなければ――もっと、もっと、一夏のことを。
「おりむら、いちか」
もう一度名を呼んだ。
呼びかけは彼に対してではなく、自分の身体に対してだった。
熱がもっと燃えさかり、身体を舐めるようにして広がっていき、肉体に影響を及ぼす。
東雲は静かに、そこに手を伸ばして、それから自分の眼前に掲げて、指を確認するように眺めた。
(…………濡れてしまった)
台無しだ馬鹿!
おれはいちども
しののめさんがガチ恋だとは
いっていなかった(多分)
次話でも補足しますが
千冬≧恋愛クソザコ>>>>>>(超えてはいけない壁)>>>>>>一夏(疾風鬼焔)≧代表候補生組≧一夏
って感じです
通常一夏でも代表候補生相手に勝ちの目自体はあって
仮に疾風鬼焔発動できたとしても候補生は簡単に負けてくれない
みたいな感じです
バースト・ブースト・イグニッションにしようと思ってたけど
ルビ実際に振ってみたら長すぎて爆笑した
ブーストはクビだクビ
兎さんと秋姉貴に関しては次話で補足できなさそうなんでここで補足しますと
零落白夜以外もいけるじゃんってなったところで
今までやってきたことと大して変わらないことしかしません
具体的には対超高速機動特化型ゴーレムが降ってくる
次回
EX.織斑一夏との出会い