――決闘前日。
「今日は一日使って休むように」
授業終了後、東雲から告げられた言葉に、一夏は少し不満げな表情になった。
一組教室から少し離れた廊下。東雲が席を立つのを見て、一夏は今日の訓練についてどうするのか聞くべく、小走りに追いかけてきたのだ。
確かに身体は重い。日々を授業と東雲印の座学と東雲印の訓練によって埋められ、肉体は酷使されていた。
人生の中で最も苦しく、汗を流し、そして成長を実感できない日々でもあった。
だが、何かを積み重ねているという自覚を得られる時間でもあった。
「東雲さん、俺はゼロなんだ。ここから積み重ねてかなきゃいけない、そう求められてる。そう期待されてる」
「当方も理解している。だが、絶え間ない積み重ねにこそ休息は必要。少なくとも今日一日は、明日という日に向けて英気を養うべきである。その論理的妥当性は、織斑一夏も理解していると思う」
「……まあ、そりゃあ」
言い当てられ、一夏はバツが悪くなった。
休息の重要性は理解している。特に、勝負の直前ともなれば、いたずらに身体に負荷をかけることはできない。
「ここ一週間は、やりがいのある日々だったはず。それが途切れることは、苦痛?」
「ん、んんー……あー……そう、かも」
「ならば、トレーニングや勉学とは別で、やりがいのあることをすればいい」
東雲は制服姿で、ずいと一夏に顔を寄せた。
思わず、半歩引いてしまう。見る者を撃ち抜くような、女神すら嫉妬するほどの美貌。
普段は鋭利さも相まって遠巻きに見るそれが超至近距離にあっては、一夏のリアクションも仕方ない。
というか近い。少しでも動けば、黒髪が鼻についてしまうかもしれない。
「あ、え、はい。え、ええと、何だろうな、例えば」
「…………戦う理由の確認。きっと戦いの中で、確固たる信念があれば、其方の支えになるはず」
苦し紛れの問いに返ってきた答え。
それは一夏にとって、少なからず衝撃だった。
「……戦う、理由」
もしも。
もしも、自分がそれを問われたとして。
(――俺は、なんと答えられるのだろうか)
織斑一夏はきっと、未だ、その答えを持っていない。
(近づいたら避けられた……どう、して……)
織斑一夏が立ち去った後、東雲は廊下の壁に背を預け、ショックに打ち震えていた。
戦う理由。
戦わなきゃいけないから、じゃない。
戦うしかないから、じゃない。
それは理由とは言わない。戦うに至った背景や物語ではない。
問われるのは理由だ。何を思い、何のために、戦場にその身を置くのか。
(……そんなの、あるわけないだろ)
一夏は頭を振った。そうだ。今でもずっと考えている。
何故俺がこんな目に。どうして頑張らなきゃいけないんだ。
そうずっと、考えている。
(俺の、戦う理由だって?)
ただここに投げ込まれたから。流れが、俺に戦いを強制したから。それ以外に何がある。
自分は空っぽだ。
自分はゼロなんだ。
ここから積み上げて、築き上げて、それでやっとスタートラインに立てる。まだ走り始める準備すらできちゃいない。
――ならどうして、積み上げなきゃだなんて考えているのだろう。
「……ッ」
あの時、最初に感じた無力感と虚無感。
それを思い出せないほどに夢中で打ち込んできた。疲労が思考力を奪っていたのかもしれない。東雲がここまで計算していたのなら、なおさら、今日という一日の過ごし方が分からなくなる。
いっそ疲れ切って寝てしまいたかった。
不必要に考え込み、思考は落ち込んでいく。
戦う理由。
そんなものもなしに、自分は明日、何をするのだろうと。
織斑一夏は重い足取りで、視線を落としたまま歩き出した。
「……ここは」
何も考えず歩いた末。
たどり着いたのは、明日の決闘で使われる屋外アリーナだった。
(広い……ISの空戦を考えて、いやそれにしても広すぎる。何か、戦闘以外の高速機動も見据えて、か?)
基礎的な知識を得た一夏の洞察は的を射たものだった。
ISを用いたスピードレース『キャノンボール・ファスト』。このアリーナはその大会もこなせるように設計されている。
(明日、ここで、俺は)
誰も居ない客席に腰掛け、アリーナを見渡した。
幻視する。飛行もおぼつかない自分の機体。そして一般に公開されている映像データで見た、自在に空を切り裂き飛び回る蒼穹の機体。
「……ッ」
勝利のイメージが浮かばない。
それが率直な感想だった。
「……どこまでやれる?」
仮にISを動かせたとしても、攻撃しなければ話は始まらない。重火器、あるいは刀剣。それらを用いて相手にダメージを与える。それがISバトルの基本だ。
防御に専念したところで、バトルに勝利するためにはシールドエネルギーを削らなければならない。エネルギー兵器であっても、攻撃の際にシールドエネルギーを消費することはない。必然、防御のみでバトルに勝利することは不可能だ。
『浮かない顔ですわね』
「――――!?」
突然声が降ってきた。
ガバリと顔を上げる。無人のアリーナに、まさにその瞬間、蒼い流星が迸った。
ピットから飛び出し、そのまま演舞のように空を舞い武装を展開する機影。
「インフィニット・ストラトス――『ブルー・ティアーズ』か!」
『どうやらわたくしのこと、少しは勉強されたようですわね』
他ならぬユナイテッド・キングダム代表候補生。
アリーナの中央に、彼女――セシリア・オルコットは悠然と着陸する。
『決戦場の下見とは殊勝な心がけですわ。準備は万端、といったところですか』
「……そういうオルコットさんも、最終調整か?」
『ええ。ですが決闘を見越してというより、学園に持ち込んでから今まで調整する機会がなかったので……其方の方がメインですわ』
言外に、決闘の勝敗など既に見えていると、彼女は告げていた。
コケにされている。いや、悪意というより、純粋な挑発だ。
先日そういった言葉を浴びせられた時には何も感じなかった。どうして自分がという不満が先行していた。
けれど。
(……少し、ムカついたな)
自分の反応に、一夏は少なからず驚いていた。
自信もプライドもない。その土台がないから。勝負の領域に到達できていないから。
場違いな異物にいくらふっかけたところで、応じるはずもなかった。なのに。
『ちょうどいいですわ。そこでわたくしの動きでも見ているといいでしょう。明日の決闘に役立つかもしれませんわよ』
一夏は無言で首肯した。
セシリアは眉根を寄せ、それから薄く笑った。
『あら、あらあら。なんだか少しだけ、マシな顔つきになりましたわね』
「……君は優しいな」
『んにゃっ!? と、突然なんですの! 意味分かってます!? わたくし、挑発しているのですが!』
唐突な褒め言葉に、セシリアの挙動が乱れる。
頬を赤く染めて彼女は怒鳴るが、一夏は苦笑いを浮かべた。
「見えてなかったもの……いいや、見ようとしてなかったものが、少しずつ見えてきた気がする。俺が此処にいる理由なんて、本当はどうでもよくて。
『……ふふ、少しだけ、踏み潰し甲斐があるかもしれませんわね』
セシリアはそう告げて、一気に加速した。
縦横無尽に空を駆け回りつつ、腰部から四つのパーツを切り離す。
第三世代機『ブルー・ティアーズ』の最大の特徴であるBT兵器だ。
(多方向からの射撃。同時に五人相手取ってるみたいなもんか)
アリーナのプログラムが仮想ターゲットを立ち上げ、瞬時にレーザーがそれらを貫通していく。
目に入った瞬間にはもう撃ち抜いている。そのスピードに一夏は舌を巻いた。
彼女の視界には一体何が映っているのだろうか。
(今のは無反動旋回か……加速と減速のタイミング、角度が抜群にうまい。無駄なく最短でポジショニングしてて……
その時。
仮想ターゲットが意思を持ったように動き始め、さらにはターゲット下部から弾丸を放ち始めた。
それらは実体を持たない仮のエネルギー弾だが、セシリアはほとんど視認もせずに避けていく。
『やる気のない弾など――!』
「……すげぇ」
凄い、と。
素人としての織斑一夏が、素直に言葉をこぼす。
同時に。
(でも、あれ?
調整を終えたセシリアは、整備班との打ち合わせを終えて制服に着替えた。
それから更衣室を出ると、廊下の壁に背を預けて佇む織斑一夏がいた。
「あら、出待ちはお断りなのですが」
「差し入れだよ。いいものを見せてもらったからな」
一夏は片手に持っていたスポーツドリンクを差し出す。
虚を突かれたような表情を浮かべつつ、セシリアはそれを受け取った。
「……ふん、小間使いの立候補を募った覚えはありませんが、へこへこするのが趣味なのですか?」
「正当な交換……って言えるかは微妙だけど。俺なりに、勉強させてもらったから」
「なら明日、楽しみにしていますわ」
セシリアはそう告げて――両眼に一瞬、獰猛な光が宿るのが見えた――歩き去っていこうとする。
その前に、一夏が口を開いた。
「なあ、オルコットさん」
「はい?」
「君の戦う理由、みたいなの。もしよかったら教えてくれないか」
ずっと聞きたかった。
彼女は東雲ほどでないにしろ、自分より高みにいる存在で、さらに、超えるべき壁だ。――待て。超えるべき壁?
(……なんか俺、ちょっとやる気出てきてるな)
モチベーションの向上を感じ、少し笑った。
一方のセシリアは、問いに数秒考え込んで。
「誇りと義務ですわ」
「……誇りと、義務」
「わたくしは……いいえ、言い改めましょう。
持つ者と、持たざる者。
その言葉を一夏は口の中に反芻した。
「わたくしたちは義務を背負います。誇りも持ち合わせなければなりません。そこには必然、成すべきことが発生いたしますわ」
「嫌だと思ったことは、ないのか。背負わされることを」
「背負って生まれてきましたもの。わたくしたちはその場で、手にあるカードを切って勝負しなければなりません」
「……ッ!」
一夏は稲妻のような衝撃を感じた。
『人間は誰もが、置かれた環境で、自分のできることを成して勝負しなければならない』
かつて聞いたことのある言葉だった。
誰もがそうなのだろうか。それを意識して生きてきたからこそ、この学び舎にたどり着いたのだろうか。
ならば、自分は。
「……大体、今この世界で、最も背負わされているのは貴方ですわ。その調子では先が思いやられますわね」
「はは――心配ありがとう」
「し、心配などしておりませんわッ」
機嫌を損ねてしまったのか、そこでセシリアは足早に去って行く。
その背中。
高貴なる存在の背を見ながら、一夏は両の拳を強く握った。
(今の俺にあるもの)
何があるのだろう。
(今の俺が背負っているもの)
どれほどあるのだろう。
(今、俺が、やりたいこと)
それは前者二つと噛み合うのだろうか。
IS学園入学より一週間。
クラス代表決定戦の日は――雨だ。
(ちょいちょいちょいちょーーーーーい!!)
セシリアと一夏の会話を廊下の角で盗み聞きしていた東雲令は、内心で頭を抱えていた。
(何するのか気になって追いかけてみたらなんで仲良くなってんのッ!? 目を離した瞬間に他の女の子と距離が縮まってないかなァ!?)
クラスではあんなにも険悪な物言いをしていたというのに、二人きりになるとこれである。
もう何も信じられない。神に見放されたかのような感覚を味わわされている。
残念ながら東雲は恋愛における必勝パターンは持ち合わせていなかった。
(ぐぬぬ、セシリアちゃんがこんなにフットワークが軽い女子だったなんて……ッ! とんでもない強敵だよゥッッッ。どうしよう! 明日、なんかもっとこう、ぐぐいと近づいちゃってもいいかな!? いやでもまた一歩退かれたりしたらショックだな! ああああああああああああああああもうやだあああああああああああ)
彼女はISバトルではセシリアのことを歯牙にもかけていないが、恋愛において、大いなる敵として認識しつつあった。
なんかセシリア強キャラっぽく描写してますけど原作と特に変わってません
一方原作主人公はテコ入れされまくってるので頑張れセッシー!