クラス代表決定戦、当日。
屋外アリーナは雨天の中、静かな空気に包まれていた。
一組クラスメイトらは傘を差し、あるいはレインコートを着込んで客席に座っている。
世界で唯一ISを起動できる男子の、入学試験を除けば初陣。それを聞きつけた他クラス、それはおろか他学年の生徒すら押しかけ。
悪天候の中だというのに、客席はほとんど埋まっていた。
「織斑君、大丈夫でしょうか」
管制室のモニターでそれを眺めながら、副担任である山田先生がぼやく。
「これだけの観客の中で、しかも専用機を初めて受け取って、初陣だなんて」
「プレッシャーに押しつぶされるようなら、それまでだったということだ」
腕を組んで佇む織斑千冬の声色は冷たい。
弟への思いやりなどないような態度に、山田先生は思わず振り返るが――千冬の細い指がひっきりなしに腕を叩いているのを見て、安堵した。どうやら彼女なりに思うとこは多々あるようだ。
「それより、織斑の専用機は」
「はいっ、今搬入が完了して、ピットに出てきます」
「オルコットの方は?」
「準備完了だとシグナルが出ています」
「よし」
千冬はマイクに向かおうとして、一度動きを止めた。
「……あいつのピットに、彼女がいるとはな」
その言葉遣いに山田先生は、少し驚いた。
基本的に生徒相手では雑な言葉遣い――それが自分を神聖視させないための意図的なものである、とは知っていたのだが――をしている千冬が。
明確に生徒を指して、『彼女』と呼んだ。
山田先生はまさに専用機が運び込まれた、セシリアとは反対側のピットを見た。
ISスーツ姿で落ち着かない様子でうろうろしている織斑一夏と、それを見守る篠ノ之箒。
そして――東雲令。
「あの、織斑先生」
「なんだ」
この決闘に関係のない問い。
だが気になってしまったものは仕方がない。
山田先生は意を決して尋ねてみた。
「東雲さんって、どれくらい強いんですか?」
「十戦すれば最低でも五回は私が勝つだろうな」
「なるほど………………………………………………え?」
何か今、とんでもない言葉が。
世界をひっくり返しかねないような言葉が聞こえた、が。
「早くアナウンスしてやれ。奴の初舞台だ」
千冬はただ静かに、織斑一夏の姿だけを瞳に映しこんでいた。
(さあ、真価が問われる刻だ……気張れよ、一夏)
(……落ち着かねえ)
最大限の努力を積んできたという実感はある。
ただそれがどれほど働いてくれるのか。根本的に、どこまでやれるのか。
(そして俺は、何を信念に据えて、彼女と戦うのか)
彼女――高貴なる者、セシリア・オルコット。
圧倒されるような気分でさえあった。自分の考えが及びもしない領域で、彼女は戦っていた。
そんな少女相手に、自分は何を成せるのだろうか。
『織斑君っ、織斑君っ、織斑君っ』
「――ッ」
時が来た。
ピットの壁が割れるようにして開き、ISを運ぶカタパルトの駆動音が響く。
姿を現したのは灰色の機械装甲。宇宙を切り裂き、旧兵器一切を一方的に殲滅する超兵器。
「これが、俺の……」
――
不思議な感覚だった。
あれだけ遠く、重く、巨大な存在として、東雲に教えられたというのに。
目の前に現れたときに、一夏は不思議なほどそれに現実味を感じなかった。
「……織斑一夏。呆けている暇はない」
「ッ! あ、ああ」
東雲の言葉に我に返って、一夏は慌てて機体に乗り込んだ。
「『
『オルコットには伝えてある。アリーナをしばらく飛行し、慣らし運転もかねて行え』
「了解……!」
それから、機体名を確認する。
共に空を駆ける相棒。
(初陣が雨で悪いな……『
それから前を向いた。
「一夏、勝て!」
「……」
箒の激励と、東雲の視線。
それを受けて、一夏は静かに瞳を閉じる。
たった一週間の間に詰め込めるだけ詰め込んだ知識や訓練。
それらを裏切るわけにはいかない。無様な結果は見せられない。
「織斑一夏――『白式』、行きます!」
アリーナに飛び込んだ。地面そのものを引き寄せたような感覚だった。
「ッ……!」
慌てて急制動。テキストにあった文字列が、正確に言えば単語が脳裏をよぎる。
(確か、円錐状のイメージで……!)
加速する向きを調整し、空中にふわりと飛び上がる。
遅い。それを実感した。スピードが、ではない、機体の反応が遅い。
当然だ。『白式』はまだ『最適化処理』を行っていない。パイロットに合わせて性能を引き出すために、まずはある程度の動きをしなければならない。
グラウンドを走るように、アリーナをゆっくりと周回する。観客の視線など気にならなかった。雨に打たれながらも、飛行する感覚を味わう。
(……そういえば、武器は)
一夏の思考に連動して、武装一覧のウィンドウが投影された。
武装――近接戦闘用ブレード。
「これだけかッ!?」
驚愕すると同時、それが右手の内に顕現する。
セシリアは射撃兵器を積み込んだ遠距離戦のエキスパート。
ただでさえ低い勝率がさらに下がるのを理解して、一夏は思わず天を仰いだ。
分厚い雨雲に覆われ、空なんて見えやしなかった。
管制室で、東雲と箒はじっとモニターを見ていた。
「なあ、東雲さん」
「……」
無言で言葉を促され、箒は一旦咳払いを挟んだ。
「何で一夏の応援を当然のようにしてるんだ?」
「機密事項」
箒としては当然の疑問だった。
幼馴染として応援するぐらいは許されるだろうとピットにいけば、そこには真剣な面持ちでISを待つ――心なしかこの一週間で顔つきが精悍になり、身にまとう雰囲気も変わった気がする――幼馴染がいた、のだが。
その隣には、当たり前みたいな顔をして東雲令がいたのだ。
なんだこの女。
「機密事項って……」
「当方もすまないとは思っている。だが、織斑一夏の訓練を手伝っていたのには、相応の理由がある」
「な、なるほど」
東雲がそう言うなら、そうなのだろう、と箒は引き下がる。
(一瞬、まさか男女関係のアレコレかと思ってしまったが、東雲に限ってはそんなことはあり得ないな! うむ、失礼な考えだった)
失礼でも何でもない、実に的確な分析である。
不安が払拭され、いや不安は払拭されたが箒の懸念は的中しているというややこしい事態なのだが、とにかく箒は気分を切り替えた。
隣に佇む少女。さほど背丈の変わらず、やや近寄りがたい美少女。
彼女が冠する称号を思い出して、ごく自然に、箒はそれを言った。
「かの『
「……その二つ名は好きではない」
「え?」
そこで箒は、意図しないうちに、少し東雲から距離を置いていた。
雰囲気が激変した。鋭利な空気がより研ぎ澄まされ、ただ隣にいるだけで喉を突かれるような圧迫感に襲われたのだ。
「当方はいずれ『世界最強』を襲名する。
「――――ッ」
「根本的に、その名はモンド・グロッソ優勝者に与えられる名前。個人を指し示す異名ではない」
「そ、それは、そうなのだが……ッ」
東雲の言葉はもっともだった。
本来、世界最強――ブリュンヒルデとは特定個人の二つ名ではない。結果的に世界最強となった者を呼ぶ名。ならば襲名制なのは事実である。
しかしそれを口にするのが、どれほど重い意味を持っていることか。
「聞こえているぞ、東雲」
「何か当方が失礼なことを言ったでしょうか」
「生意気な小娘が……目指すべき場所の遠さ、もう一度叩き込んでやろうか」
「それは模擬戦のお誘いでしょうか。でしたら、喜んでお受けいたします」
「いい度胸だ」
声をかけた千冬は、不敵な笑みを浮かべていた。一方の東雲は無表情のまま、しかし瞳に炎を宿している。
教師と生徒、というよりはライバル同士の会話みたいだな、と箒はぼんやり考えていた。あまりにも現実味がなくて、宙に浮いているような感覚だった。
何故か山田先生がチラチラと東雲を見ているが、それについては誰も触れなかった。
「あ、あーっ! 織斑先生、『初期化』と『最適化処理』が終わったみたいですよ!」
「……よし。オルコットに知らせろ」
山田先生の言葉を皮切りに、試合に向けて事態が進行していく。
雨脚は、ますます強くなっている。
(……結局ビビって、ぐぐいっと近寄れなかった…………)
東雲令の内心がバレなかったのも、雨音がうるさかったからかもしれない。
「これが……!」
飛行の減加速を行い、複雑な機動もやってのけた。
段々と感覚がアジャストされていくのを実感した、矢先。
『フォーマットとフィッティングが完了しました。確認ボタンを押してください』
条件反射でボタンを押した。
機体が光に包まれ、装甲が新生する。灰色から一切の穢れを廃した純白へ。各装甲はより鋭角に、背部ウィングスラスターは巨大に。
「……ッ」
驚愕は機体の一新にとどまらない。
手に握っていたブレードの真の姿が露わになる。
「近接特化ブレード……『雪片弐型』……!?」
まさか、姉の使っていた剣の同型を託されるとは。
多くの人々が何かを望み、何かを期待し、何かを背負わせてくる。
けれどここに至って、一夏はそんなことどうでもよくなっていた。
「――やっと
ピットから飛び出したセシリアが、様子をうかがうようにして真正面に浮かんだ。
薄暗い曇天の下でも、その美しい青色は色あせることがない。
両者は押し黙って、しばし雨に打たれた。
雫が装甲に弾かれ、砕け、大気に溶けるようにして消えていく。
「……見つけましたか、戦う理由は」
「……見透かされてたか」
「あんな質問、それを探している人しかしませんわ」
一夏は苦笑いを浮かべた。
セシリアも小さく笑った。
「いいや、結局見つけられなかった」
「あら、そう。残念です――」
「――だから俺は、今からそれを作るよ」
切っ先を突きつけた。
「俺は、結局そうなんだ。結局ゼロなんだ。空っぽなんだ。何も持ってない」
言葉はアリーナの音響に拡散され、客席にも響いている。
ざわめいていた生徒らが口をつぐんだ。それだけの圧が、情念が宿っていた。
「何で俺がこんな目にって。どうして俺ばっかり、面倒ごとをしょいこまなくちゃならないんだ、って。俺はそればっかり考えてた」
「それは……ええ。そうでしょうね。貴方は世界の流れの濁流に押し流され、ここにたどり着きましたわ」
「ああ。でも、嘘だったんだ。違うんだ。本当はすごく……羨ましかった。ここにいるみんな、理由があって、信念があってここにいる。その中に放り込まれて、俺はすごく、劣等感を抱いていた。惨めな気持ちだった」
声色は暗く、重い。
誰もが考えた。何も縁がなかったISという超兵器。その学び舎にある日突然放り込まれ、環境が激変し。
何かを求められ。
何かを期待され。
何かを背負わされ。
「――でも、それじゃだめなんだ。人間は……自分にできることを、その時にやらなきゃいけない」
「……貴方」
「まあ、受け売りなんだけどさ。でも俺も、そう思ったよ」
だから、と彼は。
世界で唯一ISを起動できる男子は続ける。
「俺はゼロだ。俺は空っぽだ。
「……ッ」
試合開始のカウントが始まる。
セシリアは我知らず、歓喜に口端をつり上げた。
目の前に存在するのは――踏み潰すに値する敵だ。
「何もないなら――死に物狂いで、何かを手に入れるしかねえッ!!」
カウントが刻まれ、そして、ゼロになる。
「いいでしょう。わたくしが空っぽの貴方に――敗北を与えて差し上げますわッ!」
「俺は自分の力でつかみ取るッ! 敗北なんていらない――勝利をッ!!」
遠くに雷鳴が響く。
それをゴングのようにして、一夏は爆発的な加速で飛び出した。
(『人間は……自分にできることを、その時にやらなきゃいけない』かあ、いい言葉だなあ)
教えたのはお前だ。
(それにしてもさっきの啖呵は結構かっこよかったかも……あれ、もしかして、思っている以上に優良物件なのでは!? こ、これはまずいよ。めっちゃみんな見てる中であんまかっこいいことしないで……うん、そうだな、無様に負けちゃったらどうかな!)
割と最低なことを考えながら、東雲は目つきだけは真剣にモニター内の決闘を見守る。
その横顔に頷いて、箒は祈るように両手を組んだ。
「ああ、そうだな東雲。私たちはここで祈ろう……一夏の勝利を」
(え、嫌なんだけど)
教官役として最上級に不適切な内心は、ついぞ箒には届かなかった。
原作との変更点
・普通に試合開始前にファーストシフトしました(ここ本当に開始前にしないの理解できない、しろや)
・セシリアが慢心抜きで最初からクライマックスモード
まあこんなもんで釣り合いがとれるんじゃないですかね……