0.instrumental
妻の遺体を目の当たりにして崩れ落ちる男を。
誰かが『人は所詮被造物なのだから』と慰めた。
我が子が血を吐くのを必死に止めようとする男を。
誰かが『私たちは運命から逃れられないから』と労った。
男は、それを許せないと思った。
人は、こんなものではないはずだ。
誰もが祈りを持っている。誰もが願いを持っている。
決して無下に扱うことなど出来ない、それこそ『神』が存在するなら永久不滅として然るべき存在であるはずだ。
結論。神などいない。
光も闇も川も山もある。大地も、大空も、過去も、未来もある。
だが神はいない。この世界は残酷なほどに、秩序を欠いている。それなのに秩序づけられているような顔を見せるだけだ。
だから証明しなければならない。
人間はそんな、安いものではないのだと。
土から生み出された人形などではないのだと。
贖うべき罪を無理に押しつけられる道理などないのだと。
故に男は誓った。
自分の手で、あるいは自分から連綿と続くであろう人々の手で、神に挑むと。あるいは、神を目指すと。
愛を証明する為に。
平和を確定させるために。
幸福は人の手の中にあると、高らかに叫ぶために。
そのたった一人の狂気が、人類史を深く傷つけた。
××という男は、古くは中世から存在したという世界の裏側で暗躍する一族の嫡男として生まれた。
彼は数百年を数える遺伝子改良が生み出した最新型であり、想定されたスペック通りにあらゆる分野で才覚を顕す。学業、運動、芸術、彼に欠点はなかった。
世界各地に散らばる研究施設の内、彼は日本──当時の通称は大日本帝国であった──を代表する存在となる。決して表には出ず、暗がりの中で囁き合う知的集合体の一員であった。
来たるべき世界を制する決戦に向けて、彼は一つのアイディアを出す。
即ち、
設計図である遺伝子の段階から手を加える──これ自体に問題はない。しかしどこまで能力を拡張するのかが悩みどころだった。
××自身のように基礎能力を保証することなら簡単だ。しかし現状、それ以上のものが求められていた。
例えば、壁の向こう側や遙か遠方の敵影など、見えないはずのものが見えたり。
例えば、非可聴域の音波や潜伏する敵の息づかいなど、聞こえるはずのないものが聞こえたり。
成程それらを身につけることが出来れば、現人類を上回る、新たな人類と呼んで差し支えないだろう。
しかしである──拡張限界にはまだ程遠くとも。
全てやってしまえば、
考えあぐねた××は、恩師でもある己の実父に相談した。
呼び出しに応じ、山奥にて隠居していた父親は、××の住む町へとやってくる。
「この辺りも様変わりしたな」
「ゑゑ。昔の店はほとんど残っていませんよ」
父に連れてこられた喫茶店も消えてしまった。看板が増え、行き交う人々も増えた。
××はつい先週に開店した新しいカフェへ父とともに入り、窓際の席に座った。
珈琲が運ばれてくるまでの間、店が面している通りを眺めた。
大通りを路面電車が滑っていく。蓄電、あるいは電力をつなぐ電線の開発には、今××の前に座る父が関与していたな、とふと思い出した。父は先代らよりも早く本業を引退した。人体の改造ではなく、その過程で得られたノウハウを生かして多方面にわたり技術発展を支えた。
親類の中には裏切り者と呼ぶ者たちもいたが、××にとって父は誇りだった。
やがて二つのカップが湯気を上げながら運ばれてきて、××と父はそれをしばし味わった。珈琲は南米から輸入した豆を挽いた、苦みがすうと溶けていく見事な味わいであった。
××はカップをテーブルに置いて、話を切り出した。
「お父様。私の研究については……」
「嗚呼。聞いているよ。助言が欲しいのだろう?」
頷き、××は父に、今計画している新人類の概要を説明した。
既存の人類を上回るスペック。しかし代償に、その精神性を著しく損なう可能性があること。
「私は悩んでいるのです。最強の兵士であっても、人間として根本的な欠落があることを良しとして良いのか。花を愛でる喜びを知らずしては、精神面の管理に難がないか……」
「ふむ……成程」
父は顎をさすり、それから煙草に火を付けた。紫煙がくゆりながら昇っていき、喫茶店の天井に届くか届かないかといったところで空気に混ざり消えてしまった。
××の父は技術発展により多くの人々を救った。
経済を回し、労働者に仕事を与え、社会を前進させた──立派な人だった。
だが恐るべき一族の、当主を務めた男でもあった。
彼は数秒目を閉じてから、英国製のジャケットを指でしばらく撫で、それから口を開いた。
「──力以外に、何が必要なのだ?」
父の言葉は、××にとって天啓にも等しかった。
同時に、最後の良心が霧散した瞬間でもあった。
それが最後の後押しだったのか、××はいよいよ計画を軌道に乗せ始めた。梗概を踏まえれば、『新人類創造計画』とでも呼ぶべきであろうか。しかし後世に残された資料は余りに少なく、実際の計画名を知る者はごく一部に留まる。
××は研究に携わった者が残らず戦慄するほどに、内容を刷新したという。
以下にその変更点を大まかに記す。
まず五感という概念が解体された。本当に必要なものだけが残され、後は切捨てた。
次に残った感覚を拡張し受信性能を高めた。
次に身体能力の強化を施した。
次に痛覚の希薄化を施した。
遺伝子改良でスペックを確保し、理想的な成長を人為的に操ることで、最強の兵士へと成るはずだった。
そうして切り捨てと拡張を行った後、××は
損耗箇所を即座に修繕するナノマシンの採用。××の一族、そして一族が属する母体が先進的に実験を重ねていたナノマシン技術を、惜しげもなく投入した。
更に、拡張していた残存感覚に新たなる概念を持ち込んだ──五感により感知されていた物質的な代物ではなく、将来的に実現されるであろう電波による不可視情報の獲得。生身のサイボーグ、と呼んで差し支えない。
当然、××が危惧した通り、精神面での安定はほとんど期待できなかった。
だがそこは問題にならなかった。そこを問題として挙げるには、関係者たちはもう、倫理観を拭い去りすぎていた。
いよいよ実際に新人類を造り出す、という具合の時期に、日本本土が焼かれた。
既に計画は最終段階に到達しており、モデルケースの製造まであと一歩だったとも噂されている。しかし実現に至ることはなく、また、継ぐ者もおらず、全ては炎の中に消えたと噂されている。日本が世界大戦に向けて遺伝子改良兵士を生み出さんとしていた、という話を聞きGHQが機密部隊に調べさせたとも噂されている。
結局の所存在を裏付けるものはなにも見つからず、××は開戦に間に合わなかったのだろう。
××の行方は、誰も知らない。
××が最後に到達した、新人類の設計図。
戦火により焼失したと言われる、神への挑戦の最終形態。
人は其れを
ともすれば都市伝説に過ぎぬ、と失笑を買いかねない、アングラで密かに囁かれる存在。
現代を生きる科学者相手に問えば、恐らく訝しまれるだろう。
現代を生きる科学者相手に資料を突き出せば、恐らく狂喜するだろう。
人を超えたヒト。
神へ近づいたヒト。
あるいは──ヒトではなくなった、何か。
××の行方は知れぬ、しかし彼、彼の先代たちが受け継いできた一連の人体改造技術は、確かに現代にも息づいている。
現代においては
源流にして始祖。原点にして頂点。
××の名は残らずとも、成果はどこからともなく引き継がれていた。
祖先の仕事を復活させようと、ある男が熱心に倉庫を漁っていた。
瞳には狂気を覗かせ、胸には自分こそが人類を一つ上のステージへ押し上げるという決意が宿っていた。
「────」
そして男は見つけた。
ここから、全ての物語は始まる。
いずれ織斑へと至る悪逆非道が、
契機となったのは歴代の中でも群を抜いて才覚を発揮した××、彼が残した最後のレポート。
果たして存在するかも不確かであった、××の結論を記した計画書。
その書面にはこう書かれていた。
──東雲計画実験個体、番号『
※(おりむーはこれ知ら)ないです
第七章 Invictus Soldier
3巻の内容をやります
やっと海に行きます
擬似サードシフトした『ぼくのかんがえたさいきょうの福音』が愛と平和を守るために全身全霊でワンサマ個人をブチ殺しに来るお話です
では充電期間に入ります
活動報告に色々載せましたので、お暇なときにお読みください
完結目前なの、タカキも頑張ってるし俺たちも頑張らないと!って気分になるな…