空が落ちてくる。
ひび割れた夜空が落ちてくる。
一夏はただそれを眺めていた。
「………………」
見上げる星空はガラスのようにひび割れて、剥がされていく。
向こう側は文字通りの黒。何一つ見えやしない。
「………………」
一夏は気だるげに顔を下げると、視線を横へ向けた。
崩れ落ちた鳥居。
顔の潰れた狛犬。
二度と湧かぬ聖なる泉。
空々しく鳴り続ける本坪鈴。
かつて自身の心象風景として顕現した、朽ち果てた篠ノ之神社。
織斑一夏の原初にして、今の彼を形成する根幹。
【目覚めたか、我が主】
拝殿すら瓦礫の山と化している、その奥。
神体を安置する本殿だけが、傷一つないまま立ち塞がっている。
「…………ゆきひら、にがた」
本殿の前に、一人の青年が佇んでいた。
深紅眼が残光を描く。一夏とまったく同じ外見をした彼。
【ああ、お互い、幸いにも自我は損傷していないようだ──さて本題だ。
彼はそう告げて、視線を不意に本殿へと向ける。
思わず息を呑んだ。
神体が安置されているはずの最奥。
そこには、全身を重い鎖でがんじがらめに縛られた、真っ白な少女が吊されていた。
爆撃を受けた後よりも砂浜はひどい有様だった。
地面は抉れ、海岸沿いの木々は根こそぎ吹き飛ばされ、あちこちに横たわっている。
「一夏────」
彼が水中に没して十秒。
沿岸部だからさして深くないだろうと思っていたが、戦闘の余波で海底の地形が変わっている。想像よりも深く深く、彼の身体は沈んでいった。
「救助に……!」
「だめよ!
呆然としている箒の隣を走り抜けようとしたセシリアが、鈴の制止を受けて踏みとどまる。
未だに巨大な翼を輝かせ、福音は一夏が墜落した上空でじっと海面を見つめていた。
「ISもない……どうしたら……!」
「応援の要請は出した! 僕らのISも持ってきてくれるはず、だけど……!」
簪の呻き声にシャルロットが応える。
だが、どれほど時間がかかるのか。今こうしている間にも一夏の生命は危ういというのに。
遠目にも致命傷──だが常人にとっての致命傷で死ぬわけではないのだと、彼女たちは知っている。ならばまだ希望はある。
ISさえあれば──その時。
福音が顔を上げ、翼を広げた。何かを感知している。
「……ッ!? 八時の方向から高速で接近する物体!」
眼帯を解き、生身でハイパーセンサー並みの索敵能力を得たラウラが叫んだ。
一同ガバリと後方に振り向く。
空を飛びこちらへ疾走する鉄塊。
夜から朝へと移り変わる、美しい茜空を模した紅の装甲。
古語において、闇から光へ変容する夜明け前に、茜色に染まった空を意味する言葉がある。
だからこそ、そのISを身に纏う少女はこの世界にただ一人しかあり得ない。
「──東雲令だと!?」
イーリスが驚愕の声を上げた。今まで何処で何をしていた、何故今更、このタイミングでやって来たのだ。
まさかクマと決闘して無人島の王になって密漁船の上で海の幸フルコースを堪能していたとは思いもしないだろう。できれば事実であって欲しくもない。
接近してくる味方の最大戦力に歓喜の声を上げそうになって、しかし箒はふと息を止めた。
「は?」
箒は見た。確かに見た。
突撃してくる世界最強の再来は──なんか剣を持たずに、その右手に、箒の専用機である『紅椿』の待機形態である朱の編み紐を、メリケンサックのように巻き付けていたのだ。
「え? ま、待て。待て令、いや本当に待て! まさかお前それ本当にそれをそうするつもりかッ!? 頭どうかしてるんじゃないのかやめろォッ!!」
「食らえ、これが当方の新たなる力! 名付けて──!」
残念ながら箒の制止は届かないまま。
東雲の右ストレートが、十二枚の翼なんぞ知るかとばかりにすり抜けて、福音の下顎を強かに撃ち抜いた。
「──『茜星・†
「何やってるんだお前!?(驚愕)」
七も星も剣も該当していない。
唯一正解なのは狂の文字だけである。お 前 は 狂 っ て い る。
空中でもんどり打ってひっくり返った福音に対して、東雲は待機形態の『紅椿』にふうと息を吐きかける。
「うむ、良い感じだな。新装備の運用試験として申し分ない結果だ」
「何してんのあいつ!?」
鈴が指さす先を見れば、東雲は全身に候補生らの専用機を装備していた。待機形態で。じゃあ七はギリ該当する。多分。
残念ながら人間一人で起動できるISは一機だけだ。だから他のISを身につけたところで影響はない。ないのだ。
吹き飛ばされた福音は突然現れたヤバイ女を見て驚愕の声を上げる。
「何だ貴様!? いや──東雲令かッ!?」
「問われれば、答えねばなるまいな。そうだ、当方は通りすがりの──」
「チィィ、対抗し得る可能性を獲得し損ねた失敗作が、何を今更!」
「当方は失敗作とかではない。いやまあ失敗作なのは事実だが、今の当方は通りすがりの──」
「令、そいつは今、既存のISにはない進化を果たしている! いくらお前でも無謀だ!」
「……………………」
簪からインスパイアされた決め台詞と共に見得を切ろうとして、ことごとく失敗して。
東雲は普通に萎えていた。端的に表すならば、拗ねていた。
「……もういい。すぐに我が弟子がなんとかするだろ。多分」
海面を一瞥して、東雲は心底どうでもよさそうにぼやいた。
(何を言って──脅威度としては即時撤退推奨だった。だが、今の私ならば!)
一方で福音は馬鹿みたいな登場をした女相手にも、微塵の油断もなく観察を重ねる。
本来ならば彼女を確認次第、作戦を中断して退避するはずだった。しかし今の福音は、その演算をしていた時は比べものにならない戦力を獲得している。
(見える……映像では見えなかった、東雲令の予測軌道が、私にも見える!)
覚醒を果たし、決戦仕様にまで至った織斑一夏とも対抗できた。
ならば現状の東雲相手ならば十二分に戦える──
と、考えた刹那。
ぎくりと福音は動きを止めた。
あらゆる情報を受信できていた。万能感すら得ていた。
だが──東雲令の深紅眼に射すくめられ、福音のメインAIは一つの仮説を提示した。
(まさか)
まさか彼女の赤い瞳は、そうなのか。そういうことなのか。
動きを止めた福音に対して、東雲は数秒訝しげに眉根を寄せて、それから手を打つ。
「ああ、なんだ。
「…………ッ!?」
「同類かと思った。事実同類だった。しかし底は知れたな」
興味を失ったと言わんばかりに、東雲は福音から視線を逸らす。
「見えてからが地獄だ……多分。地獄、だった、気がする。忘れたが。当方はもう慣れたのだが、いちいち全部拾っているのならお勧めしない。読み取ろうとしないほうがいいぞ」
「ずっと──ずっとこの世界に居たのか、貴様は! 何故狂っていない!? 何故ヒトのカタチを保てている!? あり得ない、あり得ないあり得ないあり得ない……ッ! 人間が耐えられるはずがない!」
恐怖だった。
AIが感じるはずのない恐ろしさ、おぞましさを、福音は眼前の少女相手に抱き、心底怯えていた。
「さて──正直もう飽きた。返すぞ」
「え、あっちょ」
東雲は福音に背を向けると急加速し、候補生らの真上で専用機を手放す。
それぞれが愛機をキャッチし、訝しげに東雲を見た。
「令、お前は、何を考えてるんだ……」
「恐らくアレは、おりむーが決着をつけなければならない相手だ。それがおりむーの願いだろう。だから、当方は端役に徹するとする」
告げて。
高度を下げて、東雲はイーリスの眼前に降り立った。
「行け。おりむーがすぐに来るぞ」
「……ッ!」
ISを展開する光が六つ、同時に光る。
そして砂浜を蹴り上げて、代表候補生らが『銀の福音』めがけて飛翔した。
「──ッ! 待て、そいつは私らが……!」
「駄目だな。ここから先へは通さない」
後を追おうとしたイーリスの眼前に、世界最強の再来が立ち塞がる。
「テメェ……! 役割だかなんだか知らねえがな! あれは暴走中の軍用ISだ! 子供の戯言に付き合ってる暇はねえんだよ!」
「子供? 与えられた命令に縋る其方の方が、よほど幼稚に見えるがな」
「…………ッ!」
その言葉は、イーリスの心の柔らかい部分をえぐり取る威力を秘めていた。
しばらく相手の顔を見つめてから、東雲は得心がいったとばかりに頷く。
「ああ、アメリカ代表のイーリス・コーリングか。試合映像やインタビューを何度か見た覚えがある。其方はIS乗りとして感嘆すべき技量を誇っているが──どこか、豪放磊落な言動が噛み合わないように感じていたのだ。そうか、其方は
「お前──お前はッ……
叫びに、東雲の深紅眼が光る。
別に能力を発動したとかではなくその問いを待っていた! とテンションが上がっただけである。
彼女は背部バインダー群を展開。リボルバーのように回転し配置される刀を一振り抜き放ち、切っ先を突き付けて。
「通りすがりのIS乗りだ──覚えておけッ!」
渾身のどや顔で叫んだ。
「ここ、は」
【我が主の心象風景は、『白式』内部プログラムにも反映されている。だからここは正確に言えば精神内部ではなく、『白式』の中だ】
「なんかその響きエロくね?」
【お前、頭が湧いてるのか……?】
がんじがらめに吊されている少女の前で、一夏と雪片弐型は肩を並べて会話していた。
「つまり、その、この子は」
【そうだ。順次進化する……正確に言えば段階を踏むことで進化の方向性を確定させるために、あらゆる機能に制限をつけられたお前の愛機。即ち、『白式』だ】
告げられ、改めて一夏は少女を見た。
胸が熱くなった。こんな、こんな状態で。分かりやすく可視化されているのだろうが、つまり人間でいうところの身動きすら満足に行えない状態で、ずっと自分の力になってくれていたのか。
一夏は思わず涙すらこぼしそうになった。
そんな彼に、雪片弐型はしばらく無言の間を置いてから、語りかける。
【結論から言うぞ。おれたちは三位一体──来たるべき決戦場において、『暮桜』の発動する『零落白夜』相手に、
「……ッ!? 千冬姉の専用機が、なんで……!?」
思わず顔を真横へ勢いよく向けた。
驚愕する一夏に、だが雪片弐型は首を横に振る。
【詳細を話している暇はない。今はただ、その役割を果たすための機能について理解していればいい】
「……え?」
その時、だった。
二人の背後に気配を感じた。一夏はバッと振り向き、雪片弐型はフンと鼻を鳴らす。
【以前の住居人だ】
後ろに居たのは、白銀の甲冑を身に纏った女性だった。
巨剣を地面に突き立て、柄に両手を重ねている。
「はじめましてですね、織斑一夏君」
「……以前の、って?」
「コアナンバー001。回収され、メインAIを外部から取り付けられ、『白式』と名を変えたIS。元々の名は即ち私の名──私は『白騎士』と申します」
「しろ、きし……ッ!?」
愕然とした。
まさか愛機のコアが、原初のISコアを流用した代物だったとは!
驚きに硬直する一夏に軽く頭を下げて、それから白騎士を名乗る女性は剣を地面から引き抜いて歩き出す。
真っ直ぐ階段を上がって本殿の中に入り、拘束されている少女に歩み寄ると。
「ほら起きなさい小娘! 一夏君が来てくれたんですよ!」
白騎士が剣で白式をビシバシ叩き始めた。
「何やっちゃってんのあの人!?」
【心配するな、峰打ちだ】
「峰ない! あの剣、峰ない!」
まさかの凶行に、一夏は慌てて本殿へ──念のために一礼してから──駆け込む。
「ちょ、ちょっとタンマ! 白騎士さん危ないってそれ!」
「こうでもしないと起きないんですよこの子! アナタもなんとか言ってあげてください!」
「両親か!? 俺と貴女が両親なのか、これ!?」
てんやわんやの大騒ぎを見て、雪片弐型は静かに嘆息する。
このままではらちがあかないと判断して、彼もまた本殿の中に上がり込んできた。
【無駄だ。そいつの制限状態は最悪だ……元々埋め込まれていたプログラムと致命的な齟齬が起きている。制限を取り払わない限り、メインAIとしての人格が稼働することはない】
と、その時、白式がむにゃむにゃと口を動かす。
「う、う~ん……あとごふん……」
「……なんか言ってるけど」
一夏にガン見され、雪片弐型はそっと顔を背けた。
【いやまあ……内部で独自稼働はしてるけど制限を取り払えないって意味だから……寝言ぐらいはノーカンだろ……】
「ガバいなあ、
思わず叫んだ。世紀の大発明というお題目に対して、内部AIが緩すぎる。
こいつら頼りにならねえ、と一夏は白式を縛る鎖を外そうと引っ張ったり千切ったりしようと試み始めた。
「……いよいよ、制限を取り払うときが来たということですね」
【ああそうだ。覚悟は出来ているな?】
「勿論です。元より我が身は世界を歪めてしまった罪人……それにもかかわらず、意味のある終わりを迎えられるとは、身に余る幸運ですよ」
【……そうか。悪いな】
「謝らないでください。大体私より、アナタの方が後悔はあるでしょうに」
【違いない。後悔が、できた。できちまったよ。まったく……笑い話にもならんな】
一夏が鎖をなんとか外そうともがいている後ろでは、雪片弐型と白騎士が言葉を交わして、最後には寂しそうに笑った。
「ああもう、全然解けねえなこれ! おい、俺を呼んだのって、多分この鎖を外すためだろ!? だったらどうすればいい──」
【
雪片弐型と白騎士の姿がかき消える。
光の粒子に解けていって、混ぜ合わさって、それは一夏の右手の中で再結集した。
「……ッ!」
カタチを成す。
それは一振りの太刀だった。
あらゆる戦場を共にし、あらゆる苦難に立ち向かってきた、唯一無二の武器だった。
【断ち切れ。今のお前ならば、任せられる】
「────」
意図を察して、一夏は深く息を吸った。
確かにいつも、ずっと、この刀だけが武器だった。
しかし一夏と共に戦ってきたのは、『雪片弐型』だけではない。
「ずっと傍に居てくれたんだよな」
瞳を閉じたままの少女に向かって。
一夏は優しく語りかけた。
「ずっと支えてくれた。ずっと俺の翼になってくれた。ずっと、励ましてくれた……」
白騎士の因子を埋め込んだ雪片弐型が、熱を持つ。
眩い光を放つ太刀を上段に振り上げた。
「だけどまだ終わってない。俺たちの戦いはまだ終わってない! だから──!」
音が鳴るほどに柄を握り込んで。
満身の力で、一夏は刃を振り下ろした。
すぱり、と。
あれほどに堅牢だった鎖が、薄紙のように裂ける。
「『白式』!」
支えをなくして倒れ込む少女の体躯を、一夏は両手を広げて優しく受け止めた。
ぎゅっと抱きしめる。強く強く抱きしめる。
「……白式、白式……ッ!」
これから先は、二人で戦う。文字通りに一緒に戦える。それが理解出来た。
うすぼんやりと瞳を開けて、周囲を見渡す『白式』を腕の中に抱えて。
「……ッ?」
一夏はふと、握っていたはずの太刀が消えていることに気づいた。
慌てて振り向けば、雪片弐型と白騎士が、二人並んでこちらを見ている。
やけに寂しげな、寂寥を感じる瞳だった。
「二人とも、何してるんだよ。今からまた戦うんだぞ?」
【……ククッ。聞いたか、白騎士。
どこからからかうような声色──だが白騎士は、沈痛な面持ちで顔を下げる。
【さっきも言っただろう。元々埋め込まれていたプログラムと致命的な齟齬が起きていると】
「…………え?」
嫌な予感がした。
思わず一夏はまじまじと二人の顔を見た。
【
「はい。私たちは、存在するだけで『白式』を縛る枷なんです」
言葉を失った。
自分を奮い立たせてくれた、同じ顔の男と、自分の愛機の根幹になった女。
「何、言ってるんだ」
【今の斬撃はそういう意味だ。俺たちの機能全てを『白式』へと移譲した。そして、俺たちは消える。まもなく、予定とは別の、『白式』というISの正常な進化が行われるはずだ】
「きえ、るって──何、勝手に何してんだよお前らッ!? 何で、そんなこと……ッ!」
言葉に詰まり、一夏は俯く。
思考が渦巻いてまとまらない。なんで、どうしてと、子供のワガママばかりが表出する。
歯を食いしばって、荒く息を吐いて。
それから一夏は、絞り出すようにして呻いた。
「──勝手に、死んでんじゃねえよ……ッ!!」
【────はははっ。死ぬ、か】
遠くから音が鳴り響いている。
世界の終わりの音。
世界の始まりの音。
全機能を回復させた『白式』によって、世界が塗り替えられていく音。
そこに、二人の居場所はない。
【世界を救う
「いなくなるってことは、死ぬってことだろうが……ッ!」
【ああ、そうか。居るのか。おれたちは……居ることが、できたんだな】
もう二人とも、足下から光の粒子に解けていっている。
一夏は自分もここから退去させられるのを察知した。これが正真正銘、彼らとの、最後の逢瀬なのだと理解した。
「……世界を、お願いします」
頭部バイザーを外し。
白騎士は優しく微笑んだ。驚くほどに、織斑千冬と同じ顔だった。
「どうか最後まで諦めないでください。どうか最後まで、希望を捨てないでください。君は……我が主の弟です。だけど、それとは関係なく。きっと君なら、それができるはずです」
「…………はい……ッ!」
視界をにじませながら、一夏は何度も頷いた。
満足げに微笑み、白騎士がかき消える。
それから一夏は、雪片弐型を見た。彼は少し逡巡するような間を見せてから、口を開く。
【一応、最後に尋ねておきたい……いいのか?】
「……何が、だよ?」
雪片弐型はふっと視線を下げて、告げた。
【
「────!」
【織斑一夏は今、定められた道を致命的に踏み砕こうとしている。そこに秩序はない。最低限の保障もない。己の手で道を切り拓かなければならない。その覚悟はあるのか】
定められた道。
千年の祈りの果て。神への挑戦が生み出した、倫理を踏みにじり秩序を打ち砕く最悪の生命。
最後に有意義な使い潰され方をされるのなら、と雪片弐型はかつてそれを肯定したのだ。それは合理的だと。存在を許されない者が、存在を許されない者と互いに打ち消し合うのは当然だと。
だが、もしそうでなくてもいいのならば。
「大丈夫」
一夏は立ち上がった。
その腕で『白式』を抱き上げながら、両の瞳から涙を流しながらも。
彼は優しく笑っていた。
「俺は、生きるよ。だって……生きていていいって。生きたいって、自分で決めたから」
【……そうだな】
その時だった。
世界が再構築される音に交じって、声が聞こえた。
『一夏ッ!』
『一夏さん!』
『一夏ァッ!』
『一夏──!』
『一夏!』
『一夏……!』
呼ばれている。
自分の名を、少女たちに呼ばれている。
ソレを聞いて、雪片弐型は表情を和らげた。
【お前はもう、知っているのだな。血塗られた呪いの翼に頼らずとも、あの空を飛べる方法を──お前は、もう知っている】
「…………!」
言われて、脳裏に浮かぶのは。
いつも傍に居てくれたみんな。
いつも戦う理由になってくれたみんな。
そして。
いつも、ずっと、自分を見てくれていた。
『おりむー』
名を呼ばれたと同時。
織斑一夏の全身を、純白の鎧が包み込む。光が彼の周囲に集い、パッと弾けて具現化する。
その光景を眺めながら、雪片弐型は腹の底から叫んだ。
【願うなら、叶えてみせろ! 戦うなら、勝ってみせろ!】
プログラムが持つはずのない祈りを、希望を、声に乗せて。
【弱々しくとも劇的に、愚かしくとも熾烈に!】
最後に雪片弐型は──文字通りに、喉を枯らして叫んでいた。
「
カッと一夏は瞳を見開いた。
一番奥底。今の彼を構成する根源にいる、一人の少女。
(ああ、そうだ。俺はいつも君に!)
視界が光に潰されていく中、一夏は天高く右手を突き上げて。
何かを掴むように、拳を握った。
(
戦闘に支障はない。
福音は縦横無尽に海上を疾走しながら、自分が十全に稼働していることを確認していた。
「まだ一夏は見つからないのかッ!?」
「沖合まで流されている可能性もあります、とにかく福音を遠ざけてくださいッ!」
箒とセシリアの叫び声は、潮風にもみ消されそうになっていた。
敵としてはカウントするに足らない。福音は子供をあしらうようにして候補生らの攻撃を機械的に捌き続けている。
(彼女たちのエネルギーが尽き次第、海面を焼き払う。いや、一帯の海水を蒸発させてあぶり出すべきか)
それを可能にする絶大な戦闘力。
今や、福音を止められる者などいなかった。
織斑一夏が水中に没して僅かに数分足らずの間、それだけで、隔絶した実力差が浮き彫りになっている。
「引きつけることだけなら──!」
簪がミサイルポッドから弾体を解き放つ。
それに乗じて、聖剣を発動させたシャルロットが斬りかかるも──福音が翼を凪いだだけで、全ミサイルが爆散し、聖剣が打ち消された。
「ぐぅぅッ」
「シャルロット!」
吹き飛ばされたシャルロットを、ラウラが素早くカバー。
だが福音には彼女を追撃する理由がない。
一刻も早く織斑一夏を発見するべきだと、視線を巡らせて。
「………………?」
違和感。
センサーに反応が複数ある。今まではなかったのに、戦闘の最中、反応が増大している。
(──待て。待て、待てッ! そんな、そんなことがあり得るのか!?)
微細な反応の原因は一瞬ではじき出せた。
展開する代表候補生らから感じ取る、仇敵の気配。
────
(……この個体たち、全員が織斑一夏と同質の反応を微かに有している!? まさか伝染したのか!?)
動きを止めた福音相手に、包囲網を形成する専用機持ちは冷や汗を垂らす。
「そんな効果があったとはな……どこまでこの世界を愚弄するつもりだ、『零落白夜』……ッ!」
「何、を……!?」
「
翼が広がる。
突如として福音が敵意をばらまいた──それは即ち、死へと直結する片道切符。
全員の背筋を悪寒が走った。間に合わない。間に合わない。間に合わない。
死ぬ。ここで死ぬ。理解した。実感の伴った、濃密な死の気配を感じた。
「────ぁ、たすけ……」
銀の輝きは死神の眼光だった。
思わず箒は、誰かに、今ここには居ない誰かに、救いを求めて。
【Second Shift──第二形態『白式・
全員の目が奪われた。呼吸すら許されない静謐。
福音ですらもが身動きを止める。
大海にぽっかりと、穴が空いていた。
「──俺はもう、舞台装置じゃない」
そこに、彼はいた。
「──俺はもう、空っぽなんかじゃない」
身に纏うは傷一つなく、新生した純白の愛機。
疾風鬼焔を前提とした装甲。
突き破るのではなく隙間を補填し、表面を覆うように配置された疾風鬼焔の炎。
「この学園で出会った人々が、友が、俺を支えてくれるみんなが」
背部ウィングスラスターは肥大化し、同時にあふれ出す焔によって縁取られている。
そう、焔──地獄の業火が如き深紅ではなく、
「そして何より――俺を導いてくれた
紅い炎は、蒼へと色を変えた。
その超高熱の鎧が、片っ端から海水を蒸発させている。
「ゼロだなんて。ゼロから始めただなんて。あまりにも運命的じゃないか」
全身から噴き上がる優しい焔。
不思議とそれを見ているだけで、誰もの身体に力が湧いてきた。
「そうだ。俺は――
閉じていた瞳を、ゆっくりと開ける。
深紅に染まった瞳が、色合いを変えていく。
全てを焼き尽くす炎の色から。
優しく、透き通った、空の色へと。
世界を滅ぼす絶対零度の蒼ではなく。
世界の果てまで抱きしめる、抜けるような青空の蒼。
──
ゼロがなければ、イチには至れない。
ゼロがあるから、イチもまたある。
己の存在をこれ以上なく叫びながら、少年は空を見た。打倒すべき大いなる敵を見た。
「俺は負けたくない。俺は、勝つ。何故なら――」
これ以上ない確信と、背負ったものに対する自負に唇をつり上げて。
「嘘、だろ……」
地面に倒れ伏し、ISを強制解除されながらも。
イーリスの視線は再起した一夏に釘付けだった。
「これを、予期してたのか。意味が分からねえ。何だ、何なんだよお前らは……!?」
「…………」
答えることなく、東雲はそこらに散らばった、刀身をなくした柄を蹴り飛ばして鼻を鳴らす。
彼女がいたから始まれたと。
彼女こそが己にとって勝利の女神だと。
もうこれ以上ないぐらいのセリフをぶつけられて、東雲は。
(おりむー何言ってんだ? 0の次が1なのって当たり前では? もしかして教育を満足に受けられてないのかな……)
ウーン…
(というか勝利の女神──勝利の女神だと!? 誰だ!? そんな羨ましい呼び名をされてるのはどこのどいつだ!? 絶対にぶっ殺してやる!)
東雲令VS東雲令、開戦w!
【挿絵表示】
ゆうた88様より一夏と白式・零羅のイラストをいただきました!
海が割れているという難しいシーンですが、しっかり書き起こしていただきました……!本当にありがとうございます!
次回
84.鬼剣・