結婚はやめとけ。アレは人生の墓場だ。
成る程常套句だ。独り身から家庭持ちへ昇華した男達が皆口を揃えて語り継いできた、座右の銘だ。
それにも関わらず、アラサーに至ると性欲抜きに妻という存在に強い憧れを抱くのは何故だろうか。いや、それはきっと世の中が寂れているせいに違いない。
世界の崩壊。
事の発端は三十年以上前に遡るが、当時の俺はまだ離乳食を……卒業した頃か。つまり何も覚えていない。気がつけば軍人になり、特殊部隊に配属され、その時の縁故でこの
話の展開を是正しよう。
とどのつまり、争いに携わる人種から脱却できずいい加減疲れた俺は、狭いワンルームの一角に置いた傷だらけのテーブルに丹精込めて作った夕飯を並べ帰りを待ってくれるような嫁さんが欲しい。
とはいえ、給料だけが取り柄の傭兵さんにもらわれてくれる女性など今となっては金剛石よりも希少価値が高い。やりたいこともできないこんな世の中、好き好んで未亡人になるリスクを上昇させる人間などいるものか。せめて遺族年金が手厚ければと福利厚生制度を嘆くが、時すでに遅しとはこのことを指す。
可能性があるとすれば同業者ぐらいかなあ。
と、思っていたのは今は昔。
「こーれどうすっかなあ……」
茜色の光線束が染める執務室の中央。変わらず指揮に書類作成、人形のケアと仕事に追われる俺を沈黙と共に眺めているのはリングケースを根城とする一つの、銀の輪。クルーガー殿から「お前もそろそろ落ち着く頃合いだろう」と提供されたブツだ。聞けばペルシカ殿が拵えた新型の人形用後付装備だとか。趣味の悪さを疑わざるを得なかったのを肯定する。
データが欲しいのでなるべく早く誰かに渡して運用してくれ、と仰せ付かったはいいものの、安易な選定を許されない形状が億劫にさせる。あれから早二日。候補の一人も挙げぬまま時は過ぎるばかり。だってこれどこからどう見ても結婚指輪じゃん。これ渡すの実質的にプロポーズじゃん。人形を嫁さんにするのは盲点だった……。
「指揮官、今お時間よろしいでしょうか?」
比喩なしに頭を抱える俺に、来訪者が一人。声のトーンと喋り方からその正体はM4A1だろう。努めていつもの声色を作り、入室許可を預ける。
「失礼いたしま──指揮官、お疲れですか?」
「ん?ああ、いや大丈夫だ。そんなに顔色悪かったか?」
「少し……。あの、ご無理はなさらないでください。私も姉さんも、AR15もSOPIIも心配しますから……」
M4の気遣いに感銘を受けた俺の涙腺が決壊直前の状況下にあると気づいたのは遅れての出来事だった。問題児だらけの我が隊の中でM4は数少ない良心、希望の星である。これからも彼女のために誠心誠意仕事に取り組む所存であります。
大天使エムフォエル、その優しさは荒野の如く渇いた指揮官の心を潤すと云う。ついうっかり指輪について話したのは純然たる事故であって彼女の善良性につけ込んだわけではないと宣言しておこう。
「ありがとう。体調の方は本当に大丈夫なんだ。ちょっと選択を迫られたというか、決めなければならないことがあってな」
「決めなければならないこと、ですか?」
「まあ、これなんだけど。指輪──」
「ご、ご結婚なさるので、ですか!?」
「いつになく食い気味」
興奮気味のM4をなだめる中、彼女が珍しく見せた女の子らしい一面に新鮮さと安心感を覚える。
微笑む男が体重を預ける机上には失態が広がっていた。つまるところ、言葉足らずがM4の周章を招いたのだ。これが戦場なら死にも直結する。
敢えて冗長な説明を講じたのは、そんな己を省みる行為だったのかもしれない。
「いやな、どうやらペルシカ氏が開発した新型の人形用後付装備らしいんだ。なんでもシステムに好影響を与えてスペックアップを図るらしい。具体的な情報はまだ開示できないらしいからこれ以上は俺からも何も言えんが、まあ悪いもんじゃないだろう。形状以外な。だから俺が誰かと結婚する予定とかは一切ないから安心……?してくれて構わない」
「そ、そうですよね!ごめんなさい。私ったら、はしたない姿を……。うん、そうですよね。指揮官が私達を置いて行くなんて、そんなことしませんよね。うぅ、とんだ勘違いを……」
「いやいや、誤解を招く言い方をしたのはこっちだ。謝るよ」
華奢な双手を頰に押し当て恥じらう少女に、不覚にも胸の高鳴りに似た感覚が芽吹く。
それはダメだ。大天使エムフォエルは部下であり相棒でありまた娘のような存在なのだ。可愛い以上の感情を持つことは禁じられている!
が、しかし。言葉一つで心理の働きを制御できようか。感情のビッグバンは自制心のリミッターを破壊し、「M4に指輪わたしてーな」と思わせるまでに至る。刹那の思考、抵抗、葛藤。目的なく指輪を凝視する俺と、その俺を観測するM4。
やがて彼女は開口するが、顔はまだ羞恥を色を残している。
「その、指揮官は結婚願望とか……お持ちなのですか?」
問いから、俺が指輪へ注いだ執念は余程のものだったと伺える。誤魔化しの効かなさを悟った。
「んーまあねえ。仕事が仕事だし帰る家と迎えてくれる嫁さんには憧れるかなあ」
「そ、それでしたらえ、えむ、えむえむ……えむむ……えむふ……」
何やら奇怪な呪文を唱え出したM4。
いや、もしやM4をもらってくださいとか言ってくれるのではないだろうか。
心の臓が加速する。言うべき言葉に思案を巡らせ始めた、その瞬間──。
「え、M16姉さんはいかがでしょうか!」
俺は心の底から神の存在に感謝することになる。
急速に冷え行く脳髄と、妙に浮かれ気分だった数秒前までの己を祝う。
「あーいや、別に指輪渡したからって結婚するわけじゃないからな?まあ形状が形状だしシステム名も『誓約』とかで思いっきり意識されてるけど……」
「で!し!た!ら!お相手は慎重に選ぶべきです!その点M16姉さんなら……きっと指揮官の結婚、もとい誓約相手として不足はないと、贔屓目なしに考えます。確かに少々酒癖に問題はありますが、ええ、きっと……」
妙齢の女性の外見をする人形から真剣に婚姻についてアドバイスされる、自らの不甲斐なさに涙が止まらない。
趣旨が変容している気がしなくもないが、ひとまずM4に礼の言葉を述べることにした。
「ありがとう、参考にするよ。ああそうだ、全く話は変わるんだが。以前AR15に渡すと約束していた作戦報告書がまとまったから、悪いけどおつかい頼めるか?」
「はい、承知いたしました」
仕事モードに切り替わったM4が一礼し、廊下へと消える。
その背中を見送る男には、結婚という言葉の意味について再考する必要がある。
その後のことはまだ、知らない。知りたくない。
☆
指揮官に結婚願望がある。
運良く離席のタイミングにありつけた私の演算装置は、先刻取得した一つの事実を延々と処理・反芻している。
指揮官に、結婚願望がある。
それは私の深層で蠢いていたバグに活力を与えた。
私は戦術人形。それも特別モデル。命じられたまま鉄血人形を葬り、言われるがまま戦えばいい。私の存在価値は戦場において十全に高まる。逆説的に、それ以外の物事など必要としない。
にも関わらず、あの時私は想像してしまった。何かの雑誌で一見し、記憶装置に保管していた煌びやかな純白の衣。ウェディングドレスなる装いをし、指揮官の隣に立つ自分の姿。突然姉さんの名前を出した理由はイメージの自分がひどく妬ましく、また妄想の言語化が「恥ずかしさ」によって阻まれたからだ。
「AR15、いる?」
「うわ……なにその顔。ひどいわよ」
「……やっぱり?」
隠そうともしない悪態。揺れた髪から微かに桃の香りが漂う。それが私の決心を少しずつ、固める。
「あのね、大事な話があるの」
ひとまず話そう。
その後のことはまだ、知らない。知ろうとも思わない。
要約
指揮官「結婚したいし御誂え向きに変なシステムできたけど相棒兼娘みたいなやつらに指輪渡す(実質結婚)ってうーん」
M4「欲しい。けどまずはAR15に相談しよう」
AR15「それは本当なのかしら!!?!?!!??!?」
後々渡したくな理由が全く別のものに変わるとは指揮官は夢にも思うまい。