虹
晴れた空に映るもの。空を通じて現れる光の具現。人は決して虹の反対側へはたどり着けず、そのたもとは見ることすら出来ない。空からの光を見える形にしたものであり、そのたもとにはこちらを見る誰か、どこかの星があるのかもしれない。
理多を叩いてしまった簪は恐ろしくなってその場から逃げ出してしまった。教室に戻ろうとしていたクラスメイトとすれ違いながら、呼び止める声を無視して彼女は一人になれる場所を探して走る。
己の息を吐く音が頭に響くようにして聞こえる中、授業を知らせるチャイムの音を簪は聞き逃していた。
本当は聞こえている。ただ、あのまま教室に戻りたくないと思った。戻ってしまうとまた篠ノ之と顔を合わせてしまう。その可能性が彼女の耳を塞いだ。
きっと周囲は赤くなったを頬を見てどうしたのだと彼を問いただすだろう。そうしたら犯人である簪は追い込まれてしまう。
彼が本当のことを話せば簪はクラスメイトに暴力を振るった乱暴者だと思われ糾弾されるだろう。そして彼が本当のことを伏せて取り繕ったような嘘をつけば、皆は本当のことを知らず、簪は彼に嘘をつかせてしまうことになる。
きっと彼は優しいから後者を選ぶだろう。そして私はその優しさに甘んじる自分への罪悪感に耐えられない。どちらに転んでも私は自分が可愛いが為に傷つく。それが恐ろしく、まず最初に自分の保身を考えてしまう自分が受け入れ難くて、私はあの場から逃げることを選んでしまっていた。
簪はそう思った。
簪の足は人目を避けるようにして人気のない方へと彼女を運び、気がつくと彼女がいたのは学園のある人工島の中でも整備が行き届いていない植林場だった。
環境への配慮のための植林という、見え透いた世間への言い分のために植えられた木々。自分が傷つかないために人を黙らせ逃げた自身と、環境への配慮なんて心にもない自分を良く見せるお題目のために植えられてそのまま放置されている木が、今は同じものに思えた。
その中の一つ、幹が太く元の場所から無理矢理引き離され、見知らぬ新天地に植えられてしまったのだろう傷ついた木を背にして、簪は自分を守るようにして丸くなって塞ぎ込んだ。
こんな場所を誰が見つけられるのか、という当たり前のことから目を逸らしながら、やはり誰も探しにきてきてはくれないのだ、私は必要とされていないのだ、と自分の態度や行動を棚に上げて不貞腐れる。
誰も言葉を発さない木々は彼女に考える時間を与えた。
時刻は昼過ぎ、本来であれば生徒たちは授業を受けている時間だ。
しかしそんなことに何の意味がある。誰とも交流せず、ただ教室の一席に陣取り話を聞いて、そしてまた姉への劣等感を払拭するためのIS開発にのめり込むだけの日々にどうして価値が生まれるか。
こんな場所で塞ぎ込むのと何も変わらない。場所が教室から木々の中に変わっただけ。ただ一人でいるだけだ。
身一つで孤独な時間は何も生まず、ただ思索にふけることだけは簡単だった。
——君はお姉さんと対等にいたいだけだ。
強く彼の言葉が頭の中で蘇る。
彼の言葉は間違ってなどいない。彼の言葉を聞いて私は確かに納得していた。
彼は寸分違わず私が思っていたことを探り当て、私が隠していたことを暴いた。
だからこそ私は心の奥底を暴かれたことに、情けない自分を晒し上げられたことに怒り、それ以上情けない自分を自覚することを避けるため、彼を言葉を遮るために暴力を振るった。
それが間違ったことだということなど分かっている。
しかしどうしたら良かったというのだ。自分をよりも優れた人に劣等感を覚えるなと言うのか。そんなものは無理だ。人間は神じゃない。どれだけ聖人のように立派な人だって心の中に悪感情が存在しないはずがない。悪感情も知らないで、間違いを知らないままに、その反対の正しさを知るはずがない。
だというのに彼は私の中の悪を断じた。私が求めていた言葉を私に断りもなく無遠慮に突きつけたのだ。
でも間違ってしまったのは彼だけではない。彼に暴力を振るった私も同じように悪だった。
誰も正しくない。対話という手段は適切に行わなければ、ただ争いを生み出す火種にしかならない。それは如実に形になったのだ。
お互いに歩み寄ろうとせず、互いの利己を優先する。有史以来、人間のやってきたことで、人の歴史の根底にはいつもその摩擦があった。
勝手な履き違えと一方的な歩み寄り。それこそ人が人を誤解なく理解でもしない限り、なくなることなどあるはずもない。
しかし目下、私が考えるべきなのは壮大な人類の行く先などではなく、どうやって人を叩いてしまったことを収めようかという、実に小さく個人的な問題だった。
そしてそんな個人的大問題の解決法は明白だった。
古今東西、今も昔も、過失を起こしてしまった時の解決方法は相手に謝るという一点に尽きる。
先ほども言ったように人は神ではない。起こしてしまった事実は覆すことなど出来るはずもなく、非力な人に許されたのは謝り、相手に許しを乞うというただ一つの手段だった。
しかしそれこそ虚しいことだ。謝るなど本当は相手に許しを乞う行為などではない。ただ相手に許しを乞う姿勢を見せ、自分が許されたいのだという利己を相手に押し付ける行為でしかない。
しかしそうしなければ人は傲慢であることの型にいること強いられ、結局は許されないで終わってしまう。
許されたいがために許しを乞う行為は自身の非を認めているよう見えて、それ自体が自分のためでしか成り立たないのだ。
その実、相手が許してくれているのかなんて、謝った側は永遠に分からない。
「謝って、そしたら許してもらえるのかな……」
小さく自問する。
つまるところ私の問題はそこに起因する。過失の事実はなくならず、謝るという手段しか彼女には残されていない。そしてそれを実行したところで許される保証もなく、何かが明確に変わるわけでもない。己の自己満足のための消費にしか思えず、浅ましさを覚える。
どうやってもやってしまったことへの後悔はなくならず、問題に向き合うことすらも億劫になる。
どこかへ遠くへと消え去りたい。そうすればこんなことを考える必要もない。
思いついたのは逃げるという選択肢だった。
姉はきっと彼女が何もかもを投げ出したいと言っても、どれほどか予想もつかない引き止めの言葉を放った後に何も言わず、居させてくれるだろう。簪には確信があった。
情けなく、何も成せず、何も残せず、今を空虚に生きているだけ。それでいいじゃないと簪は唇を噛む。
自分には成すための能力が無かった。それだけのことだったと簪は結論づけた。どうして今まであんなに一生懸命になっていたのか、今の簪には分からなかった。
ただここを去ろう、何処か遠くへ行こう。前など何も見えない理由で立ち上がって、簪はすでに日が落ち先がほとんど見えない木々の間を歩き始めた。
「ねえ、待ってよ」
そして彼女を引き止める声があった。
月明かりを背にして篠ノ之理多はそこにいた。
●
暗い面持ちで足元だけを見ていた簪は重い首を持ち上げて顔を上げた。
前を見るとそこに理多が立っていた。
簪は笑った。
「何しに来たの? 叩かれたことに文句を言いに来たの? それとも情けないやつ、って笑いに来た?」
自嘲するような声色だ。
しかしそれを聞いても理多は表情を変えない。何も言わず、脇目も振らずに簪を見ている。
薄く赤い瞳が簪を見つめ、まるで己の内側を覗いているような錯覚を思えさせる。
簪は己の感情がまたしても高ぶるのを感じる。
「何か言ったらどうなの! そうやって黙っていれば、自分は何でも分かってるって態度をとって、そうしていれば傷つかないと思って!」
当てこすりのような罵倒にしかし、理多は反論しなかった。そうやって無抵抗な相手を責めることに、それに何も言わない理多の態度に簪は己の浅はかさ、情けなさを諭されたように思う。
そして簪がそれ以上何も言わなくなると理多は意を決した表情を見せ、一歩、また一歩と彼女と空いていた距離を埋めていった。
それまでの無言から打って変わり、迫ってくる理多に簪は気圧される。
もしかしたら仕返しに来たのでは、自分がやったように叩かれるのではと思った。
草を踏みしめる音が恐怖の迫る音へと変わった。
どうしたらいいのか分からない。何が起きようとしているのか分からない。何も分からず、未知から顔を背けるようにして、簪は自分を守るようにして腕で顔を隠した。
「ごめんなさい。更識さんの気持ちも考えないで、全部ボクの独りよがりだった。それで君を傷つけてしまった。本当にごめんなさい」
殴られることも責められることもなかった。やってきたのはそれ以上何もない、ただの謝罪だった。
「……へ?」
呆気にとられた。顔を覆っていた腕を戻し、目端に溜まった涙で滲む視界の中、簪は何も言わず頭を下げた理多を見た。
困惑する簪は何も言えずにいる間、理多は何も言わず頭を下げたまま動かない。
「どうして……?」
「ボクは君にひどいことをして、君を傷つけた」
「なぜ謝るの?」
「君と仲直りがしたいから」
そして簪は黙ってしまう。そして動かず簪の言葉を待つ理多の姿を見て、一つのことに思い当たる。
——忘れていた。こんな単純なこと。
ただ謝るだけでそれ以上何も言わない理多。彼の言葉を聞き、彼の姿を見て簪は一つの思い違いをしていたことに気づく。
謝罪は確かに自分のための行為でしかないのかもしれない。しかし謝り許しを乞うて相手の許しを得たいということ自体は正しいことだ。正しく在ろうということ、それ自体がどうして悪だと一方的に弾ぜられなければならない。
それは違うと、簪は理多を通して見つけた。利己という悪と正しく在ろうとする善が同時にいられないと誰が決めた。聖人が悪意を持つのが人の真実というなら、罪人が善意を持つことが不実であることが成り立たないはずがない。
悪意と善意、その両方を人は持つ。その当然に人は人に人間らしさを見出す。それが事実かどうか簪には分からない。だが今彼女が理多に感じている超然とした資質でない、素朴な人間らしさは確かにそこにある。こんな時どうしたらいいのか簪にはすぐには思いつかず、
しばし沈黙があった。
そして——、
「その……、もう頭は下げなくていいから」
簪は彼を許すことにした。
●
夕陽が落ち、すっかり暗くなった時間。
理多と簪は桜の木を背に座り込んでいた。
「いつも箒ちゃん、あっ、ボクの双子の姉さんね、が言うんだよ。ボクはいつも余計なことをしてるって。今回も更識さんが思っていても言われたくなかったことを言っちゃった。ごめんなさい」
「……簪でいい。苗字で呼ばれるのはあまり好きじゃない」
小さく簪が答えた。今回の件はもういいという意思表示であった。
その言葉を聞いて理多はうなずき、確認するように聞いた。
「お姉さんと比較されるから嫌なんだよね」
またしても、誰にも言えなかったことを知られていると簪は驚いて目を見開き、彼を見た。
理多はまた失言をしてしまったことに気づき、慌てて余計なことを言わないように両手で自分の口を塞いだ。
それを見ていた簪は不思議そうに見つめていた。疑問が不安定な確信へと変わり、簪はそれを確かめようとした。
「篠ノ之くんは人が何を考えているのか分かるの?」
簪の質問に理多何かを思い出しては落ち込んだ様子を見せ、ポツポツと呟き出した。
「小さい頃からずっといろんな声が聞こえるんだ。人の心の声もその一部。」
簪は自分の疑問が正しかったことに少なからず驚いた。
理多は続ける。
「でもどれほど聞こえても、ボクはそれをうまく聞き分けられない。誰かの言っていいことも悪いことも一緒くたに聞こえて、それなのに言って欲しくないのに言って欲しい願望も表裏がない。だから何かを深く思い悩んでいる人をボクは容易に傷つけてしまう」
いつもは悦喜に染まった顔も今は暗く萎んでいた。
「人の心が分かっても分かり合うのは難しいね」
力なく理多は呟いた。
簪はその通りだと思った。たとえ肉親であろうとも相手が何を考えているのか、どうしたらいいのか分からないのだ。不特定多数、玉石混淆の声すべてを聞き取ってしまう理多にはもっと分からないのだろう。
もしも誰も彼もの声を聞き取り、それを正しく受け取ることができれば、それはもう今までの人という型に当てはまらない人の革新というべき存在へと至るのかもしれない。
しかしここにいるのはまだ到達点も遥か先の歩み出したばかりの巡礼者。革新へはまだはるか遠い。
そう思えば、誰もが満ち足りていない。簪も、理多も、誰かも、誰もが欠けて苦しんでいる。
「みんなが分かり合えるように生まれていれば良かったのにね」
簪の呟き。それは理多の言葉への答えだった。そして無遠慮だった理多の言動に対する許しでもある。
捉え違えた簪の心を痛めつけてしまった理多の言動を、そもそも初めから分かり合えればいいのにと簪は言った。
理多は驚いたように簪を見た。
「許してくれるの?」
「自分が思っていることが相手に伝わらないのは私も同じだから」
姉への劣等感を自身で蓋する簪には、思いを正しく受け取れない理多に自分と同じようで異なる弱さを見出した。
それを聞いた理多が嬉しそうに顔をほころばせる。
「それじゃあボクたちはもう友達……。いや、マブダチだね」
「マブダチ?」
聞きなれない単語に簪は首を傾げた。
「小学生の時、一夏から借りたマンガに書いてあったんだ。喧嘩して仲直りしたらそれは友達を超えた特別な友情、マブダチだって」
「マブダチ……。特別……。そっか、私たちもうマブダチなんだ。高校入って初めてできた友達がマブダチって、なんだか変なの」
可笑しくなって簪は堪えようとして、止められず笑い声を小さく漏らす。
同じ気持ちの理多も笑い。
そして二人は一緒に笑った。気持ちはきっと同じだった
●
ひとしきり笑って落ち着くと簪は立ち上がった。
「もう暗くなったから帰りましょう? 私授業を抜けてきちゃったからきっと怒られるわ」
「ボクもだね、やっぱり簪ちゃんを放って置けなかったから。途中で教室から出て行っちゃった」
辺りはすっかり暗くなっている。この時間では授業の無断欠席だけでなく、寮への帰宅時間もとっくに過ぎていることだろう。担任の教師と寮長である織斑千冬に怒られると思うと二人は気楽にはなれなかった。
まあ、二人で怒られるならいっか、と簪は一人納得していると隣から理多が手を叩く音がした。
驚いてそちらを見ると何かを思いついた様子の理多。
「もう怒られるのが分かってるなら、理由が一つ増えても同じだよね?」
「え? それってどういうこと?」
「こういうことさ」
言うと理多は首元に隠していたネックレス、羽ばたく鳥を象ったそれを取り出して掲げた。そしてネックレスは理多の意思を反映して輝き出した。
簪はこれを見知っている。待機状態のISが展開されるときに見せる特有の輝き。
眩しさで隠していた視界の先、光が収まるとそこにいたのは黒いISに搭乗した理多だった。
初めて見る機体だ。全体的にシルエットは細く、対照的に背部に搭載された鳥の翼のようなスラスタが印象的だった。
一般的には見えるはずのIS搭乗者も、この機体は全身装甲らしく、外の空気から断絶するように肌を覆っていた。
「この子の名前は『フェネクス』。姉さんがボクとの夢を叶えるために設計した。ボクたちの夢のための翼」
「篠ノ之博士が作ったIS……」
それがどれほどの価値を有しているのか簪には途方もなかった。ただ分かるのはこれが理多と束にとっては兵器以上の意味がある大切なものだということ。
理多はフェネクスのアームを使い、抱きかかえるようにして簪を持ち上げた。
突然のことに簪は驚いて小さな悲鳴を上げてしまう。
「篠ノ之くん、急にどうしたの」
「篠ノ之じゃなくて、理多って呼んでほしいな。ボクたちもう友達でしょう?」
そしてフェネクスは小さく周囲の木々を揺らしながら大空へと上昇して行った。
腕の中、簪は驚くほど自分に負担がないことに驚く。かかるはずの空気の抵抗がなく、驚くほど快適な飛行。理多の操縦技術がなせる技だった。
「リタくん? どうして急に? 無許可でISを飛ばしたら厳罰ものだよ」
慌てて止めようとする簪に理多は笑いながら首を振る。
「それは兵器のISが守らなきゃいけない規則でしょ? フェネクスは違う。この子は戦うための力を一つも持ってない、ただ飛ぶための機体なんだ」
「そんなISが?」
ISはスポーツ用と銘打っているがその実態はどう取り繕うとも兵器でしかない。どのISも命を奪うための兵器を積み込み、容易く人の命を終わらせられるのだ。しかしそれらとフェネクスは違うと理多は言う。
そう言ってる間に二人は天高く飛んでいく。
「簪ちゃんだけに見て欲しいものがあるんだ」
「え……?」
フェネクスは速度を緩めることなく分厚い雲へと突入した。
何も見えない雲はしばらく続き、周囲には雷鳴が低い音で唸っている。これが少し怖くて簪は落ちないようにフェネクスに固くしがみつく。
そしてフェネクスは雲を突き破った。
雲も風もなく、ただ静かな雲の足場の上。二人だけがいた。
周囲を見てもないもなく、遠くを見れば青い水平線が見えるだけだ。
そして上を見上げて大きく息を吸った。
目を見開いて写ったのは満点の星空。雲の上で見るそれは地上のどの場所からでも比較できないほど澄んでいた。
大きな極星も、消えてしまうそうな瞬きも等しく星としてそこにある。手を伸ばせば届きそうな距離の中、アームから腕を抜いた腕を広げ、理多は簪に宙抱きしめようとした。
しかし宙はあまりにも広く、遠く、届くことはない。
理多は幼い笑顔を作る。それは子供の頃の夢であった。
「これだけたくさんの星が空を埋め尽くしているんだ。どこかにきっと宇宙人がいると思うんだよ」
理多は話し始めた。
「ねぇ、魂って、本当にあると思う? 魂はどこへいくのかな?」
「どうだろう。私にはわからない」
簪は明確な答えを持てなかった。
「姉さんはボクが感じ取っているものはそれだって言うんだ。そしてボクは宙に瞬くあの星に惹かれるんだ」
いくつもある宙の星。そのどれを見ても大小様々な光が美しい。
「もしかしたらあのどこかに誰かがいるかもしれない。そう感じたら、会いに行こうと思わずにはいられないよ。もし魂がどこかへと行くならボクはあの星のもとへ行きたい」
遠く、会えない人を理多は夢想する。上昇を続けていたフェネクスが動きを止めた。
その場所は青く、そして黒い。星と宙が交わるその境界に二人はいた。
遠く、これからやってくる太陽が小さく水平線から顔を覗かせている。その眩さに宙の星たちはかき消されてしまう。これ以上先へ行くことはできない。
スラスターが停止して二人はゆっくりと来た道を堕ちていった。遠くなっていく宙、陽光にさらされて虹がかかっている。
これが最後だと理多は口を開く。
「虹のふもとはどこにあると思う? 虹はね、光を通して生まれるんだ。この虹の向こうには光を生み出す星がどこかにあるはずなんだ。そこにはきっとボクたちと同じように虹を見上げる誰かがきっといるんだ。ボクはそう感じる」
手を伸ばせども虹は遠のいていく。
堕ちていく浮遊感の中で聞く理多の夢想はどこか遠い場所を見ている。
離れてしまわないように彼にしがみついた簪は空を見上げた。そして視界の端、そのどこかに意思を持って瞬いた光を見つけた気がした。
もう一度確認しようと見回したがどこにもなかった。見間違いだったのだろうか。
いや、簪は確信した。遠いどこかに必ずいる。血と知を持った誰かの存在を根拠もなく確信する。
一度そう感じたら、胸の鼓動が興奮で早鐘を打つのが分かる。
「私もあの場所に行ってみたいな」
自然と簪は口から思いを打ち明けていた。
「いけるよ、きっと。ボクたちにはあの場所を指し示めしてくれる魂があるんだから」
寄り添う二人は昇る太陽を見た。そのまばゆい陽光でもかき消することのできない、遠い宙にある魂の瞬きを天と地の狭間から見上げていた。
●
陽光も星の瞬きも届かない闇の中。悪意に塗りつぶされた闇の中で、ボサボサの髪を束ねた少女は壁越しに星空を見上げた。少女は小さく舌打ちをした。
どこか遠くで自分に似たやつが楽しそうにしている。その気配だけで気を悪くするのには十分だった。
部屋に一つしかない扉が乱暴に開かれた。現れた女性に少女は嘲笑うかのように見た。
それを見て女性は少女を睨みつけた。
「おい、エイプリル仕事の時間だ。……何笑ってやがる」
理由なく笑うエイプリルに女性、オータムは不快感を隠そうともしない。エイプリルと呼ばれた少女はオータムを見下して言う。
「劣等種には分からんだろうなぁ。これほど分かりやすく存在を主張しているのに気配すら感じ取れんとは」
「んだとテメェ!」
エイプリルの挑発するかのような物言いにオータムは激高し、掴みかかろうとする。しかしエイプリルはその動きを初めから分かっていたかのような動きでかわした。
容易く避けられたことでオータムは舌打ちした。
「チッ……、バケモンが」
しかし言葉は続かなかった。いつの間にか展開された白いISが彼女にビーム兵器の銃口を突きつけていた。
「見苦しいぞ、オールドタイプ。その鈍い感覚で世界のほんの一欠片も見通せない愚物が。いっそ死んで見せて、少しでもこの星を綺麗にするか?」
悪意を纏うエイプリル、その身には白き一角獣を象ったIS。しかし穢れなき白はむしろ穢れ全ての存在を許さない断罪者として現れていた。無垢にして不純の抹殺者。それがエイプリルだ。
オータムへの興味を失い、エイプリルは室内から見えるはずがない空を見上げる。濁りきった汚濁が星を包み遠くが見えず、見慣れた汚らしさに虚しさを覚えて少女は嗤う。
「母なる星は辱められて、その腹の上にはこんなにも汚らしい人間に満ち満ちていやがる。こんなもん一回、何もかも焼き払わないとどうにもならねぇ。だったら、だったらさっぱりさせようぜぇ!」
オータムは目の前のエイプリルが誰に向かって喋っているのか理解できず恐ろしく感じる。しかしエイプリルは確かに遠くに感じる誰を睨みつけ、呼びかけていた。
しばらく更新が止まります(悲しみ
次話はおそらく二月になってしまうかなと。私だって書きたいんじゃい!