篠ノ之理多
劇物系コミュ障。
篠ノ之さん家の末っ子。束の弟で箒の双子の弟。身長は一夏よりも少し低い。顔は束そっくりであり、見た目は男になった短髪の束。余りにも似ているため、一時期千冬は束によるクローニングを疑っていたが正真正銘実普通の姉弟。受容感覚が他人とかけ離れているため、深く知り合えばするほど話し相手は彼の特異性に気がつき不気味に思って離れていく。普通に話す分には少し年不相応なくらい天真爛漫な少年。
趣味は天体観測と野鳥観察、鳥に餌をやること。IS学園に来るまでは文鳥を飼っていたが入学に合わせて、当時の保護プログラム担当官に預けてきた。
幼少期にISの訓練で試しにと銃を撃ってみたところ泣き出すほど驚いたため、束はそれ以降は理多のISには武装を最低限のものも含め、一切載せないことにしている。割と恥ずかしい思い出なので本人は出来る限り隠している。
好きな女性のタイプは巨乳。本人は束や箒、千冬などとしか関わりがなかったため実は気づいていない。
授業の無断欠席、寮帰宅時間の無視、ISの規定範囲外での起動など、その他の余罪も含めた理由により担任の教師と寮長である織斑千冬にこってり絞られ、更に理多への千冬による個人的な説教を終えた翌日。理多は簪に誘われて教室棟から離れたIS整備区画側の建物に来ていた。
マブダチと呼ぶ簪の誘いとあらば理多が断るはずもなく、その日の放課後、彼は教室の外で待っていた簪と合流して二人は目的地へと向かう。
聞くところによるとここはIS整備の授業や実習で使うことになる建物とのことだが、入学して間もない理多には初めて来る場所だ。
各ISが整備や調整のために忙しく運ばれ、時々上級生のものらしい怒声や指示の声、それを受けた下級生の急ぎ足が行き交っていた。それが中央タラップを歩く簪と理多、特に男性である理多を見つけると急にしおらしくなるものだから、それを見て二人は少し笑っていた。
理多が先を歩く簪に続いていると、目的地についたのか一つのガレージの前で簪は足を止め、理多の方へと振り返った。一度、目があった。
簪は少しためらった様子を見せ、一度大きく息を吸って吐くと、改めて理多へ向き合った。
「リタくん、昨日はありがとう。そしてごめんなさい。私のせいであなたも怒られちゃったわ」
「気にしないでよ、ボクが好きでしたことなんだ。それにフェネクスに乗って君を空に運んで怒られる理由を一つ増やしたのはボクな訳だし……」
「それはそうなのかもしれない。だからこそね……。これをリタくんに見て欲しい」
簪が扉の開錠ボタンを押した。簪の指紋を認識すると重く閉ざされていたシャッターが開かれ、中の空間に入れるようになる。。
非常灯と廊下側の照明が灯りとなり、部屋の主人が浮かび上がった。
黒いIS。日本産のISの中で最も普及している、侍甲冑をモチーフにした「打鉄」にその機体はよく似ていた。しかし防御重視の打鉄とは違い、装甲の大部分が取り外され、増設されたスラスターが通常ものもとは違う唯一性をみせる。
しかしISに乗る者が見れば、一目でわかる程度に未完成であった。装甲をはじめ、足りないものが多すぎる機体だ。
そんな機体に心当たりのある理多は未完成のISをよく見て、確認するように簪を見る。
「あれが簪ちゃんの完成しなかった専用機?」
簪は頷いてそれを肯定した。しかし悪感情は見せず、朗らかに笑って見せた。
「うん、完成しなかった私の専用機。名前は打鉄弐式。今日はこの子をリタくんにも見せたかった」
前向きな面持ちで向き合えるようになった打鉄弐式を簪は理多に見せた。しかし来ると思っていた、驚いたような声や興味深そうな感想もやって来ない。
よく見れば理多はどうしたらいいのか分からない様子で固まっていた。どうしたのだろう、もしかして打鉄が期待に添うものではなかったのだろうか、と不安が簪の胸によぎる。しかしどうやらそうではないらしく、理多は困った顔を作り、簪とようやく顔を合わせた。
「……アレも見せたかったものなの?」
理多は暗いガレージ内の一角を指差す。その先に簪が視線を移すと、まず目に入ったのは自身が泊まり込みの時に使った簡易ベット。そして周辺には着替えの山、持ち込んだ食べ物の容器の入ったゴミ袋、そして見終わった後に片ずけをサボったアニメのDVDの塔。一言で言えば生活感満載の空間がガレージの隅に形成されていた。
「きゃ……」
「きゃ?」
「きゃあーっ! 見ないでー!」
叫び声とともに簪はガレージの中に飛び込んで行った。もちろんシャッターを閉じることを忘れず。
閉じられたシャッターの向こう側では何かが割れる音やゴミ箱に叩き込まれる音、収納する音がひっきりなしに聞こえる。閉じられたシャッターの前、理多は微妙な表情を作り、準備を終えるまで待っていた。
待つこと10分。ようやく中からの騒音が収まり、閉じられていたシャッターがゆっくりと開き、中から中身の見えない大きなゴミ袋を持った簪が出てくる。
彼女は顔を赤くして、持っていたゴミ袋を力一杯ダストシュートに投げ込み、
「いつもは、もっと綺麗なんだから。今日は特別、例外的、前例がなく汚かったの」
理多が何かを言う前に焦った様子で言い訳を始めた。
それを何も言わず見ていた理多は、
「ソウダネ。イツモハ、モットキレイナンダネ」
片言の発音と焦点の合わない目から本音が漏れている。
事実は分かっていたが、こういう時は嘘をつくのが自分と相手のためだと理多は学んだ。
●
簪は、コホンと喉を鳴らしてまだ少し赤い顔を誤魔化すように仕切り直し、ガレージの奥に掛かっていた防塵シートを引き摺り下ろした。
そして隠されていたそれが姿を見せる。姿を現したのは日本産第三世代IS「打鉄弐式」。
二人は簪の専用ガレージで彼女の専用機を見ていた。
理多は興味深そうにして打鉄弐式に近づくと、博物館で恐竜を見る少年のような笑顔で周りを囲うように歩きながら観察して、一通り見終わって簪の隣に戻った理多は不思議そうに聞いた。
「この子が打鉄弐式なんだね。でも良かったの? 完成まで誰にも見せたくなかったんでしょ?」
「……うん、良いの」
簪は先ほどとは違う理由で頬を赤く染める。恥ずかしいのか、ときどき指先を遊ばせては肩を小さくする。そして踏ん切りがつくと理多の顔を見て少しづつ話し始めた。
「私がしたかったのはこの子を私の力で完成させること。……それに昨日、リタくんはあんなにも綺麗なものを見せてくれたのに、私にはこれの他に見せられるようなものは何もないから……」
「そんな気にしなくて良いのに……、でもありがとう。ボクたちマブダチでしょう? 友達に遠慮はナシだよ」
「なら、私はマブダチだからこの子をリタくんだけには見せて良いと思ったの。……迷惑だった?」
遠慮がちな簪の様子に理多は苦笑していた。
そう言われてしまうと、理多が取れる返答は一つしかない。
「そういう言い方、卑怯って言うんだよ。まったく、もう」
しょうがないな、と苦笑する理多の視線を簪は恥ずかしそうに受けとめて小さくなる。
そんなやりとりを終え、改めて二人は並んで打鉄弐式を見上げた。
完成とは程遠い、打鉄弐式の姿を改めてみて、理多は少し悲しそうにして顔を曇らせる。
「この子、本当に未完成のまま君に引き渡されたんだね」
「……うん。倉持技研がいくらでも代わりのきく代表候補性よりも世界で唯一の男性IS操縦者、今はそうじゃないけど、彼の専用機を担当できることになるなら、きっとそうするのが宣伝にもなるし仕方がない事だというのは分かってる」
当時のことを思い出して簪は悔しさに唇をかんだ。暗に倉持技研から、お前は織斑一夏よりも価値がないと言われたも同然なのだ。気持ちがいいものであるはずがない。
簪は手を伸ばし、装甲がまだ埋められていない打鉄弐式の剥き出しのままの骨格に触れる。
「それでも私の力になってくれるはずだったこの子を見捨てることが、私には出来なかった。必要のない子の私がこの子を一人で完成させれば、私はお姉ちゃんと対等になれると思ってた」
「……そっか」
短く答え、理多は簪が持つ複雑な感情を受け止めた。感情は声となり理多に伝わる。暗く淀んだ悲鳴、でもその芯は明るく前を向いていた。
理多は少し考えて。そして、それが良いと自分に結論を以て一つの決断をした。
首にさげている翼の飾りを掲げると光が理多を包んだ。光が開けると理多は漆黒のフェネクスを纏っていた。そしてすぐに理多はフェネクスの全身装甲を解除するとフェネクスを展開したままの状態で降りる。
情報記録端末をフェネクスのコンソールに挿入して操作すると、抜き出したその端末を簪へと差し出した。
差し出されたものが何であるか、すぐには分からず簪はキョトンとした顔で理多を見た。
「これは……?」
「フェネクスのだいたい
「じゅ、十年⁉︎ そんなものがあるなんて……。でも私はとてもじゃないけど受け取れないよ」
十年、それはつまり最初のISである『白騎士事件』のIS、白騎士と同時期もしくはそれよりも早くにフェネクスが製造されたことを意味している。つまるところこのデータは世界で現存している最も長いISの稼働記録であり、篠ノ之束の後追いをする形でISの開発を進めた各国からすれば喉から手が出るほど貴重なサンプルデータだ。
そんな貴重なものを渡されても容易くに受け取れるはずもなく、差し出されたそれを簪は突き返した。
突き返された端末を受け取った理多は肩を落とし、落ち込んだ様子で簪を見た。
「君の専用機が完成しなかったのはボクと一夏のせいだ。でも一夏もボクも君の邪魔がしたくてこのIS学園に来たんじゃない。一夏もボクの友達だ。ボクの友達に、ボクの友達を恨んだり嫌って欲しくない。君の力になりたいんだ」
力強く言う理多に簪は嫌とは言えなくなる。確かに一夏への恨み言はある。しかしそれは目の前の友達を困らせてまで持ちたいものではない。
そして理多は少し照れ臭そうにはにかんで、
「それに誰にでもコレをあげるとは言えないよ。簪ちゃんが僕のマブダチだからあげてもいいと思うんだ。迷惑かな?」
先ほど自分が言ったことへの意趣返しなのか、理多は簪の口調を真似てそう言った。
さっきの自分がなんだかクサいことを言ったのだなと改めて見せられたことで思いつつも、それでもそう言ってもらえる友人の存在、その申し出に簪は嬉しく思った。
「そう言われちゃうと反論できないよ……。でもありがとう、リタくんがそう言ってくれるなら、リタくんの力を貸してもらっていいのかな?」
「もちろんだよ! なんてったって僕たちマブダチダチなんだから」
心の底から嬉しそうに言う理多に簪も笑って応えた。
●
数週間が経ち、場所はIS訓練アリーナ。今日は学年クラス対抗戦が行われる日だった。
準備に忙しそうな教師たちを尻目に理多と簪はボーッと対戦順が表示されたモニターを見上げていた。
「ねえ簪ちゃん? ホントに良かったの?」
口を尖らせ、少しつまらなさそうに口を開いた理多がアゴでモニターに書かれた名前を指す。クラス対抗の対戦表、そこにはクラス代表の簪ではなく理多の名前が表記されている。下には小さく代理の文字が書かれ、理多が簪の代わりに出場していることを意味している。
そんな理多の問いに簪は乾いた笑いをした。
「本当は出たかったけど、リタくんのおかげで操作系は問題が解決したけど武装面のシステムがまだだからね……。代わりに出てくれてありがとうね?」
「簪ちゃんがいいならいいけどさー……」
やはり納得がいかないのか理多はまた子供っぽく口を尖らせた。先日の理多の協力によって、打鉄弐式は飛行面ではほぼ完成と言ってもいい状態になった。
フェネクスに搭載されていたOSは自動的にシステムを構築し自己進化する機能があったらしく、打鉄弐式は飛ぶためのシステム周りをほとんど完成させていた。しかし武装関係のシステムはそうもいかなかった。と言うのもフェネクス自体にそもそも武装が一切搭載されていないため、その方面のシステム自体がもともと存在していなかった。だから武装に関しては簪が自力でやる必要があった。
中途半端な助けしかできなくて申し訳なさそうにする理多を、もともと全てを自力でやるつもりだったからすごく助かったと簪がなだめる場面があり、今日まで簪は武装面に関しての開発を頑張っていた。しかし流石に新学期が始まったばかりのクラス別対抗戦には間に合わず、未完成の機体で出たくないという簪のお願いを受けて理多が出ることとなった。
しかしそれは果たして良いのか、元はと言えば男である自分と一夏が現れたことで簪の専用機が完成しなかったのだ、そう思うと悪いことをしているような気が理多はしていた。
「簪ちゃんがいいならいいけどさー……」
引っかかるものがあり、リタはもう一度呟いていた。
モニターを眺めていると試合の準備が終わったらしく、一組と二組、三組と四組の代表がそれぞれ呼び出された。名前を呼ばれた理多は立ち上がり、入場のための発射台がある区画へと向かい歩き始めた。隣に座っていた簪もそれに倣って続く。
少し不貞腐れた顔の理多を簪が覗き込むようにして見つけ、悪いことをしてしまったと思い、簪は眉を下げた。
「もしかして出たくなかった?」
「そう言うわけじゃないけどさ、なんだか世の中は理不尽だなって……」
その言葉で理多の心中を察したらしい簪は表情を強張らせた。乾いた笑いを漏らしつつ、そして罪悪感から目を合わせられずにそのまま話し出した。
「その……、怒らないで聞いてほしいのだけど……。本当はね、もともとリタくんに出てもらおうって思ってたの……」
「と言うと?」
「クラス対抗戦で優勝すると学食のデザートが一年間無料になるパスポートが貰えるらしくて……」
「あっ、ふーん……」
簪は理多からこの時ほど低い声を聞いたことがなかった。何も映さない紅く暗い瞳が半目になって簪を見つめている。
思い出せばクラスメイトたちも妙に理多が代理になることに積極的だった。自分はどうやら上手いこと担ぎ出されたらしい。それほど甘いものは女子を団結させるらしい。理多には分からないことだった。
「……、…………。簪ちゃんがいいならいいけどさー……」
力のこもらない声で再度、理多は呟いた。
●
フェネクスを纏い、アリーナの中で理多は相手選手が準備を終えるのを待っていた。専用機を持つ理多と違い、対戦選手である三組の生徒は専用気持ちではないようで訓練機の用意に時間をかけていた。専用機持ち同士である一組と二組の試合はもう始まったらしく、ハイパーセンサーが遠くの対戦によって起こる諸々の音を拾っていた。
スラスターが爆炎を吐く音、ISが風を切る音、一夏と知らない女の子の話す声。それぞれが同時に聞こえて来て、いかに盛り上がっているかがよく分かる。
戦うことはそんなに好きではないがデザート一年パスが欲しいと言うクラスメイトの要望を受けて、気合いを入れるために手を合わせようとした時、上空にある異物感に気づいた。
小さな違和感。ハイパーセンサーの感知範囲外の遥か上空、気がついたのは理多だけらしい。違和感の正体を見極めようと上を見上げた理多を観客の生徒たちは不思議そうに見るか、なんだろうと同じように上を見上げた。
上にあるのは白い雲ばかり。天気は曇りであり太陽は薄っすらと雲の向こうに顔を透かせている。
しかし理多が見ているのはその少しした。陽光に隠れるようにして小さな黒い点がポツリとあった。
鳥だろうか? はじめ理多はそう思った。しかしおかしい。黒い点はだんだんと大きくなり、確かな二つの影となった。
それの正体に理多が気がついた時、影はスラスターに火を入れ、一気に加速を得て降りて来た。
ISだ。それも二機。二機のISは加速を得ると一組と二組が試合をしている第一アリーナの方へと向かって行った。アリーナのシールドを破く音、それまでなかったビーム兵器やスラスターの音が一夏たちのいるアリーナの方から聞こえ、やってきた所属不明のISが彼らと交戦していることが分かる。
遅れてやってきた三組の対戦相手が第一アリーナの方を心配そうに見ている観客たちの状況を飲み込めずオロオロとしていた。
「え、えぇっと……、篠ノ之くんこれってどういう状況?」
状況がわからず三組の生徒は目の前の、一夏達がいるアリーナ見たままの姿勢で固まった理多に話しかけた。
やっと彼女の存在に気がついた理多が彼女の方へ向き声をかけようとした瞬間、理多は跳ねるように上に再度顔を向けた。目を大きく見開き、焦った様子で動き出した。
「危ない!」
言うや否や、理多は背中のアーマードDE使い、フェネクスを緊急発進させた。圧倒的な加速を得たフェネクスは直進し、正面にいた三組の生徒を掴みながら壁に激突した。
「何⁉︎ 一体なんなの⁉︎」
巡るましく変わる状況についていけず、壁に叩きつけられた生徒は抗議の悲鳴をあげる。しかしそれ以上言葉は続かなかった。
彼女が何かを言う前に桃色の閃光が柱となってアリーナのシールドを突き破り、彼女と理多がいた地点を抉っていた。
「危険だから君は早く中に!」
「え、でも……」
「いいから! あれは大丈夫じゃないんだ!」
今まで見せたことがない理多の剣幕に押されて少女は閉口する。
言いながら理多は三組の生徒を入場用カタパルトの中へ押し込み、外から操作して出入り口を閉じた。そして振り返り、アリーナのシールドに開いた大穴からゆっくりと降りてくる白いISを見上げた。
「ユニコーン、なの……?」
動揺で声を震わせながら理多は一人呟く。降りてくる白いISに覚えがある。忘れるはずもない。
理多が乗りこなすフェネクス、その兄弟機、そして最初の試作機。サイコフレームの実験機であり、宇宙空間航空での問題を理由に廃棄されたかつての相棒。
もう喪われたはずだった白き一角獣を象った機体がやって来たことに少なからず理多は動揺していた。搭乗しているのは束だろうか。いやそれはない。あのフルサイコフレーム機は彼女には扱えず、サイコフレーム同士が強固に連結してしまったがために分解することも出来ず、廃棄されたはず。ならば、誰かが廃棄したはずのユニコーンを回収して搭乗していることになる。
ならばあれは誰だ。
見上げていたユニコーンから通信が入る。若い女の子の声だった。全身装甲を外し、日に焼けた肌と髪が露わになる。家族を見るような暖かな視線が真っ直ぐに理多を捉えた。
「はじめましてだな、我が
「……同胞? ——!」
困惑した声を理多は漏らした。
同胞。兄弟を意味する言葉。彼女は理多をその言葉で呼びかけた。そしてその意図はすぐに分かった。困惑は驚きへと変わる。
彼女と目が合い、感情が伝わってくる。暗い鉛のような感情、感じたことがないような憎悪が強すぎるが故に痛みを伴って流れ込んでくる。突如流れ込んできた気持ちの悪い感情がやってくると同じく、理多は自身の感情が流れ出ていくのを感じた。
流れ出た理多の暖かい色はまっすぐ、目の前の少女へと伝わっていく。理多が人の心を音として感じるように彼女はそれを流れる水の感触として受け取っていた。
自分が感じ取るだけでなく、自身が受信される初めての感覚に理多は驚き彼女を見上げる。驚き、震えた声で理多は問いかける。
「君も、もしかして
「私と
互いが初めて遭遇する己と同質の存在に困惑する。世界で初めて出会った自分に近い存在のはず、しかし互いが相手に感じるそれは致命的に違うものだった。
逡巡が終わり、しかしその違いもまた良しとユニコーンの少女、エイプリルは理多を見下ろし口を開いて語りかける。
「シオンの地、約束の地に辿り着くには人間は罪に穢れきってしまった。だからこそ迎え入れられるために私たちは自らの手で自然に対し、地球に対して贖罪しなければならない。お前もそう思わないか?」
「君はそんなにも人が憎いの?」
言葉の端々から滲み出るエイプリルの憎悪に理多は気持ち悪さを覚える。どうしたら、ここまで泥水のような淀み切った憎悪を無差別に人に向けられるか理多には分からなかった。
しかし否が応でも彼女の憎悪が像となって次々と刻が見える。
廃れた砂漠を歩くなじられた人々、響く銃声と飛び散る血しぶき、動かなくなった親兄弟、銃の反動に震える腕、覆いかぶさる脂ぎった中年、食べ物へと変わった友人、そして厚い雲を破って舞い降りた白き一角獣。
「憎いからって、自分が傷つけられたからって誰かを殺していいはずがない。そんなのは間違ってる!」
「間違っているのは人間たちの方だ。間違ったことは全て正して導く、それこそが正義なのだとなぜ分からん!」
真っ向から二人の意見は対立し、並行する。一方的なエイプリルの物言いに理多は初めて怒りを示す。
「どうして自分が正しいなんて言える。人が誰かを傷つけていい権利なんてあるわけがないよ」
「あるとも。この身に宿った才覚こそがその証拠。劣等種であるオールドタイプを滅ぼせという天の啓示であり、そして天はこの身に巨悪を裁く力を与えたもうた。私が正しいからこそ今もこうして生き残り、そして私の思いにこのユニコーンは応えた。疑うのなら刮目せよ。これこそがニュータイプの輝き、正義の証左」
ユニコーンがその身を震わせる。装甲が膨張して開き、変身というべき変化を遂げたユニコーンの装甲の隙間から輝きが漏れる。エイプリルの胸を焦がし続ける憎悪が姿を変えたほの暗い虹の輝きをユニコーンは放ち、重圧となって理多はその場から動けずにいた。
そして理多に呆れた視線をよこし、エイプリルは今更と言いたげに口を開く。
「それに、お前は人を殺してはいけないと言うが、別にお前はその人間どもに思い入れなどない、自分とは違うナニカだと思っているだろう?」
「な、何を言って……。そんなこと——」
「そんなことはない、などと言わせんぞ。お前は感じているはずだ。自分と同じ形をしているはずなのに自分とは異質な存在への違和感を。他者を理解しようとしないオールドタイプへの気持ち悪さ。お前が外宇宙への未知に期待を賭け続けるのはそれ故なのだろう? ここにいない彼らならば自分と同じかもしれない、そう感じているくせに人間を殺すなと、どの口が言う?」
エイプリルの責め立てる口調に理多は何も言えずにいる。ずっと宇宙の果てに行きたいと思っていた。しかしその明確な理由は分からず、いくつもの理由が束ねられて今の願いがあり、エイプリルの言う一人しかいない人類の革新であるが故の孤独感は、ないと言えば嘘になる。誰もが自分のようであったのならと、そう願ったことは確かにあった。そしたら自分は他者ともっと上手くやれていたのではと思うことはあった。
「君ならボクを助けられるって言うの?」
自分の暗い一面を見抜いたエイプリルを理多は弱々しい眼差しで見上げ、それに答えるようにエイプリルは腕を伸ばす。
彼女が見せるのは微笑。世界でただ一人の、お互いの理解者を彼女は求める。
「私ならばお前の孤独を埋めてやれる。そしてお前はお前の力を私に寄越せ。二人で力を合わせ、人の咎に裁きを下し、清い身一つを持って外なる宇宙に住まう新たなる血と知に会いに行こう。そう、悪い話でもなかろう?」
エイプリルの持つ絶対の自信が彼女の言葉を響かせる。ユニコーンの放つ輝きは物理的な力を伴って理多をその場に釘付けにし、エイプリルの質問に答える以外の選択肢を奪う。
冷や汗が額を伝う。理多は予感した。彼女の言葉に頷き、彼女について行けば自分は目指した場所へとたどり着ける。それは間違いのないことだった。しかしその旅路は血に染まり、彼ら以外の人はいなくなった世界。夢と良心が秤にかけられる。正しいことがどちらかなど分かっている。
それでもあの場所にたどり着けるという事実が理多の判断を鈍らせ、言葉を躊躇わせる。
「間違っているのかもしれない……。でも、それでも、あそこに行けるのならボクは……」
エイプリルの言葉に理多は抗えなかった。遥か先の星光に手を伸ばすように、理多は手を伸ばし、自身に向けられるエイプリル手を取ろうとして、
「ダメだよリタくん! そんなものをあなたが見せてくれた星空とそれを一緒にしちゃいけないよ!」
繋がろうとしていた理多とエイプリルの意思の間を簪の言葉が断ち切った。放送室にいる彼女はマイクを使い、自身の言葉を届けていた。
「その人はリタくんの見ているところと同じ場所を見ていない、ただ憎しみをぶつけることしか見てないよ、そんな人の言うことを聞かないで!」
「簪ちゃん……」
二人しかいなかった空間に簪が乱入したことで張り詰めていた空気が形を変えた。エイプリルの放つ重圧が簪にも向けられる。その重圧に簪は慄くが、重圧が分化されたことで理多は落ち着き考える余裕を取り戻した。伸ばしていた手を払い、エイプリルの言う人類への粛清に拒否を示した。
息を大きく吸い、肩で息を吐き、ふらつく体で、それでも理多はエイプリルを拒むように見上げていた。それを見てエイプリルはつまらなさそうにそれを見下ろす。簪にはいちべつせず、興味すら示さない。
「そうか、オールドタイプごときに耳を傾けるのがお前の答えか。……まあ、いい。今回はお前の顔を見に来ただけ。別に今すぐにお前を連れていこうと思わんよ。どうせ、お前はいずれ元へやってくるのだ、それまで気長に待つことにしよう。それにもう潮時のようだしな」
エイプリルはもう一つのアリーナの方へと視線を向けた。理多はそこで、そちらの方から聞こえていた戦闘音が止んでいることに気がつく。
そして目の前の脅威であるエイプリルから視線を逸らしていることに気づき、慌てて正面に向き直る。振り返るとユニコーンはアリーナから飛び立とうとしているところであった。
ISの広域通信にエイプリルからの別れの言葉が入る。
「ではまた会おう同胞。いずれかの場で、我らはニュータイプであるが故に、必ずもう一度巡り会うことになる。その時、お前の答えを楽しみにしておく」
通信が切れると同時にユニコーンの姿がぶれた。ハイパーセンサーですら追えない光の速度にまで加速したユニコーンは飛び去って行き、空を割るようにして暗い虹の残光を残していった。