宙
空とは意味を異なる。空とは人の今存在している領域の外周であり限界。その領域の更に外側である未踏の世界そのものを指す言葉。
星空として表現されることもあり、そこには人類とは異なる血と知を持った誰かがいるのかもしれない。
星を見上げるものたちが夢を羽ばたかせる場所。
無人機と白亜のISの襲来から時間が経ち、一学期も残りわずかとなった。
あの日から簪と理多はそれほど言葉を交わせないでいた。話さないわけではない。ただふと気がつくと理多が姿を消し、次に姿を見せるのが次の日の始業の時間という日が続いていた。大丈夫かと周囲が心配しても、理多の笑い顔もどこかぎこちなく落ち着かない様子だった。クラスメイトたちはこの間のことがショックだったのだろう、少しの間そっとしておこうという風に落ち着き、思いやりという動機で皆は彼から距離を取っていた。
そんなぎこちない空気の中、一学期は過ぎて臨海学校がやってきた。海辺の民泊、閉じられたIS学園から離れ、広々とした砂浜での授業とあってうら若い生徒たちは浮き足立っていた。
各々が自由時間に砂浜や照りつける太陽を満喫している中、簪は一人浮かない顔でいた。正直なところ、この臨海学校に来るつもりはなかった。専用機持ちたちが各々の専用機の新装備を試用するなどすることがプログラムされていた。それを思い出すと臨海学校に行く気がしなかった。しかしこの普段と違う場所でなら、普段の空気を脱して理多と話せるきっかけができると思い、参加することを決意した。
騒がしく盛り上がるクラスメイトや同学年たちを尻目に砂浜を横切って歩いていく。しかし歩けども理多はどこにもいない。
どうしたものかと思い悩み、照りつける陽射しに汗を垂らしていると、背後から声がかかった。
「あれ? かんちゃん? どうしたのそんなところで黄昏て。もしかしてお腹痛い?」
簪をあだ名で呼び、声をかけたのは布仏本音だった。彼女は更科の家に使える従者の家系であり、簪にとっては幼馴染みであった。本音は表情が芳しくない簪を見つけ、心配そうに覗き込んでいた。幼馴染みを心配させてはいけないと簪は気丈に振る舞ってみせる。
「ああ……、本音。大丈夫、日差しが強いからちょっとクラクラきただけだから……」
「えぇ! そんなになるまで歩くなんて心配だよー。でもどうしてそんなになるまで歩いてたの?」
「それはその……、篠ノ之君って分かる? 四組の。彼を探していたの」
簪に聞かれて本音は少し考え込むようなそぶりを見せ、何かを思いついたようで手を叩いた。
「そうだ! 誰かがおりむーと釣りに行ったなー、って思って見てたけど、あれがモッピーの弟くんなのかな? そうだとしたら二人とも堤防の方に歩いて行ったのを見たよー?」
「——! そう! ありがとう本音、行ってくる!」
本音の言葉を聞き、簪は飛び出していた。走り去る簪の後ろ姿を本音は嬉しそうに眺めていた。久しぶりに話した幼馴染み、しかし相手は誰かを追いかけてすぐに走り去って行く。しかし不思議と本音は悪い気がしなかった。それよりも姉の後ろ姿ばかりを見ていた簪がもういないことの方がずっと嬉しく思う。
「かんちゃん、すっかり青春だねー」
本音の嬉しさと寂しさをないまぜにしたつぶやきは潮騒の音にかき消された。
●
女子生徒たちが集まる砂浜とは打って変わり、堤防沿いはとても静かだった。釣りをする一夏とその隣に腰を下ろす理多の上を飛ぶ海鳥が時々鳴いて夏の海を魅せている。
ここではない遠くをぼんやりと見る理多が呟いた。
「ねぇ、一夏。僕はどうして宇宙に行きたいって思ったのかな?」
「さあな、俺に聞くなよ。ずっと言ってたじゃないか、宇宙に行って宇宙人に会いたいって。昔から束さんと一緒になってなんか色々やってたんだろ?」
「そうなんだけどね? 最近、どうしてあの時そう思ったのか、自分でも今更分からなくなったんだ。」
「もしかしてこの間のことか? 俺と鈴が無人機と戦ってる間、侵入者となんか話したんだろ?」
一夏の質問に理多は溜息で肯定した。そして息を吸って、さらに深い溜息を零す。
「ボクがこんなのだから、みんな気を使ってくれて一人で考える時間が出来たから考えてたんだ。それに驚いた。あの子、ボクと同じだった」
理多の言葉に一夏は驚いた。
「理多と同じってことは……、ニュータイプ、だっけか? 昔束さんがそんなことを言ってたような……。でも理多と同じっていうなら良い奴なのか?」
一夏の質問に理多は首を振って否定した。
「怖いくらい人を憎んでた。最初は親を殺した人、次にその人が所属していた集団、人種、国家、どんどん恨む相手が大きくなって憎悪ばかりが膨らんでいって、まるで火種が集まって生まれた火柱みたいだった。あんなに何かを憎んでいられる人初めて見た」
「そうか……」
この世界のどこか、自分が見えないどこかで辛い目に遭っている人がいる。言葉にすればそれだけのこと。しかし理多の言葉を通じて一夏にもその辛い感情が手に取るように分かるとそれ以上何も言えないでいた。
「彼女、言ったんだ。彼女だけがボクを助けられるって、僕と同じ彼女だけがボクの孤独を癒せるって。それを聞いてボク、正直彼女について行っても良いと思った。悪いことだって分かってるのに」
「ごめんな理多。俺や千冬姉じゃあ、お前と同じものが見られなくて。もし俺も束さんの言うニュータイプだったらお前にそんな思いをさせずに済んだのにな……」
「一夏が謝ることじゃないよ。こんな才能、なくたって良かったのに。みんなと同じならこんなこと考えなくて済むのに」
「でも俺は理多のそういう感覚すげえと思うぜ? それも全部含めて今のお前がいるんだから、一つ欠けたってお前じゃない。そういう風に悪いところばっかり見てないで良いところも見ろよ。お前の良いところは俺だって知ってるんだからさ」
励ます一夏の言葉に理多は薄く笑みをこぼす。小学校の頃以来、久しく会っていなかったがどうやらこの幼馴染みの良いところは変わってないらしい。気が軽くなった理多はからかうように笑い、
「そういう優しいことはボクにじゃなくて、女の子に言いなよ。まったく……、君は相変わらずの唐変木みたいだね。これじゃあ、箒姉さんも苦労するわけだよ、もう」
「なんでそこで箒が出てくるんだ。今は関係ないだろ?」
「ふふふっ、そうだね」
やはり変わらず鈍い一夏を見て、そんなところも変わっていないことに忍び笑いする理多。どうして理多が笑っているのか一夏は分からなかったが、笑われているらしいことは流石に分かった。しかし先ほどまでの暗い表情とは違い、明るく笑うようになった理多を見て何もいう気にはならなかった。
原因を考えていると垂らしていた釣り竿に魚が引っかかった。引き上げてみると二匹の魚が釣れた。
白い魚と黒い魚。似ているようで確かに異なる二匹の魚。勢いよく引き上げられた釣り竿に引かれ、二匹の魚は地面の上に転がる。食べるのに小さく持って帰るわけにもいかず、逃がすために針を外しながら一夏は呟いた。
「こいつらも似ていても、よく見れば違うんだ。同じニュータイプだからって理多とその女が何もかもが一緒とは限らないだろう? ——それにほら」
一夏は二匹の魚を海に放り投げ、そのまま右手で水平線を指差す。つられて理多もその方を見た。凪いだ海が静かに潮騒の音を立てている。
「これだけ広い海には他にもまだまだ魚がわんさかいるんだ。宇宙も広いけど、地球だって信じられないくらい広いんだ、まだ見たことないだけで、もしかしたらまだ他にいるかもしれない……。なら、何も今すぐに宇宙に行くこともないだろ?」
一夏自身、自分が何を言っているのか分からなかった。理多を慰めようと思いつきで話していた。しかしそれでも一夏なりに見せる気遣いに理多はクスクスと堪えるように笑い出す。
「そっかそっか、ボクは一夏からしてみれば魚も同然ってわけだ。そうだね、もしかしたらまだ見えないような深いところにニュータイプがいるかもだね」
「そんなに笑うなよ。こっちだって思いついたことを頑張って言葉にしようとしたんだからさ」
「ごめんごめん。ところで、そんな一夏にお知らせだけど。今日の晩ご飯はお刺身とかお寿司らしいよ?」
「……この流れでそういうこと言うなよな」
一夏の頭の中では酢飯のベッドに横たわる理多がこちらを手招きしている。
変な想像をしてしまったと、一夏は妄想図を叩き出すように自分の頭を頻りに小突いていた。男子同士の気負いしない会話に満足したのか、背筋を伸ばして理多は立ち上がった。
「うーん、話したらなんか気が楽になった。ありがとう一夏」
「気にするなよ。それよりもさ、お前には俺よりも話さなきゃいけない人がいるんじゃないか? ほら、最近話してないんだろ?」
一夏が理多の後ろを見るように促してそちらを見ると、来たばかりの簪が息を切らしながら立っていた。
「ハァ、ハァ、ハァ……、やっと見つけた」
よほど焦っていたのか、そう言って簪はその場にへなへなと萎れるようにへたりこむ。理多は近づくと手を差し伸べ、立ち上がるように勧める。簪は差し出された彼の手を取って、立ち上がった。
息を切らして少し苦しそうにしたままの簪を理多が心配そうに見つめる。
「大丈夫、簪ちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」
何度か息を吸って、吐いて息を整えようとして。それが自分を落ち着かせるための深呼吸に変わっていき、意を決して簪は理多を見た。
「リタくん。私、リタくんに聞きたいことがあるの」
「うん、ボクも簪ちゃんに聞いてほしい話があるんだ。だから今日の夜、待ってるね?」
簪の言葉は理多に遮られてしまった。笑って理多は言う。一方的な待ち合わせの約束。場所を何も明らかにせず、しかしお互いに話がしたいと認めていた。驚いた簪は目を丸くする。
しかし理多はそれで十分なのだと言いたげに、簪の返事を聞かずクラスメイトたちがいる砂浜へと歩き去った。
呆けたままの簪はその後ろ姿を眺めているしかできないでいる。
背景に黙って徹していた一夏は眉をひそめて一人呟く。
「これってデートの約束……、ってやつなのか?」
それを耳にした簪は少し顔を赤くした。
●
午前の自由時間も終わり、臨海学校らしく授業が始まった。専用機持ちたちが各々の追加装備を試用する中、それとは別の理由で空気はざわついていた。
それも当然だろう、ISを作った生みの親、篠ノ之束がこの場に乱入していたのだから。そして彼女は自らが持ち込んだIS赤椿を己の妹、箒に渡していたのだから。世界各国が第三世代ISを開発している中、第四世代ISである赤椿が現れたことでざわめきはこれ以上ないものだった。束は赤椿のセッティングを終えると周囲を見回し、彼を見つけて動き出した。
ホップ、ステップ、ジャンプ、空中きりもみ、俗にルパンダイブと呼ばれる姿勢で飛んだ。
「愛しのマイブラザー、リっちゃん! 逢いたかったぜ、ヤッホーイ!」
飛び込んでくる姉を危なげなく抱きとめ、理多は再会を喜んだ。
「うん、久しぶりだね束姉さん。三年ぶりくらいかな?」
「うう……、束さんだって逢いたかったんだぜ? ほら、リっちゃんの中学の卒業式も見たかったんだからー」
「大丈夫だよ、ボクのそばにはいつも束姉さんの作ってくれたフェネクスがいるんだから、心細くはないよ」
「うれしいことを言ってくれるね、このこのー。背もすっごい伸びたよね。この間まで束さんの膝の上になるくらいだったのに、いつのま間にか大きくなっちゃって」
「もう、束姉さん。一体いつの話をしてるのさ」
束を抱きとめた理多が回りながら、束は理多の胸元にグリグリと頭を押し付ける
どこか芝居掛かった姉弟の感動の再会のような何かを気がすむまでやると、冷静になった二人は早速と作業に取り掛かった。
特に合図もなく理多がフェネクスを展開すると束は手持ちのパソコンに繋げて操作を始める。
パソコンに次々と表示されるグラフや記録を見て束は呟く。
「うんうん、リっちゃん、相変わらず上手く操縦しているみたいだね。束さんが作ったフェネクスをこんなに大事にしてくれてお姉ちゃん感激ー」
それを聞いて理多は表情を暗くした。
「ねぇ、束姉さん。ユニコーンのこと覚えている?」
「最初に作ったやつ? すぐに廃棄しちゃったけど、あれはちょっともったいないことしちゃったかな?」
「うん、それなんだけどさ。この前、ユニコーンに乗って操縦している子に会ったんだ」
ピタリと高速でパソコンにタイピングしていた束の指の動きを止めた。
「……は? リっちゃん、そういう冗談、束さん嫌いだよ?」
「本当なんだ。彼女、ユニコーンに乗ってボクの前に現れたんだ」
改めて聞かされて束が納得がいかないような表情を作る。
「そんなバカな、だってあれはコアを抜いてサイコフレームの装甲だけをチャレンジャー海淵に沈めたんだよ? あんな深いところにあんな重いもの、どうやったって今の人類の技術じゃあ回収できないんだよ? それをどうやって回収したって言うのさ、それこそユニコーンが独りでに飛んでったって言うくらいのことが起きないと……」
そこまで言って束の表情が固まった。信じられないものを見るように理多を見て、疑いが晴れないと言いたげになり、
「……その子がリっちゃんと同じだって言うの?」
「そうみたいなんだ……」
それを聞いて束は少し考える様子を見せ、そして軽く笑って見せた。
「そんなわけないじゃーん。理多の才能は世界でたった一つの特別なんだよ? 大方、サイコフレームがそいつの感情かなんかを拾って増幅してユニコーンを動したんでしょ。それでそいつ、自分が特別だって思い込んでるだけのイタイ奴ってオチじゃないかなー?」
あくまでも束はエイプリルを理多と同じニュータイプとは認めなかった。それを聞きながら理多は束の中に巣食う荒れ狂ったような激情を感じ取っていた。まだ見たこともないその誰かに束が敵意を向けていた。ニュータイプは特別なのだと、リタこそが特別なのだと束はそう言っている。
束は冷静さを繕ってパソコンを操作しながら、フェネクスのOSの中の不審な履歴が目についた。
「うん? これはフェネクスのOSをコピーしたのかな? リっちゃん誰かにフェネクスの駆動系OSをあげたりした?」
「うん、友達の簪ちゃんにお詫びも兼ねて、彼女を手助けしようと思って」
「ふーん……、どのコ?」
束がそう聞くと理多は遠巻きに眺めていた簪を指差した。そうなの……、と束が簪を見つめて言うと彼女はそのまま立ち上がって簪に向かって歩き出した。
遠巻きに眺めていた生徒たち束を避けるため、がモーゼの奇跡のように左右に分かれて道をあけた。突然こちらを見て離さない束に驚いた簪がどうしたらを慌てていると、すぐそばに束がいた。座ったままの簪を立った束が見下ろし、簪の顔を覗き込むように腰を曲げた束の顔がすぐそこにある。
目の前にいるのはISの生みの親にして、友達である理多の姉。両方の方面から失礼のないようにと、慄きながらも簪は懸命に自己紹介をしようと束と目を合わせた。
「あ、あの! 初めまして、私更科簪です。リタく——」
「お前、リっちゃんの何?」
懸命な簪の頑張りは冷水のようにかけられた束の言葉に遮られた。能面のような、なんの色も映さない無表情と、氷のような睨みつける視線が簪を射抜いている。これほど恐ろしい人間の表情を簪は見たことがなかった。怖がって言葉を失った簪にイラついたのか、変わらず束は同じ質問を投げかけた。
「お前、リっちゃんの何?」
まるでそれ以外興味がない、お前がここにいる理由はこの質問に答えること以外ないという態度だった。人を人と思わない怒りよりも恐ろしさが勝る。どうすればこれほど人を物のように見ることができると言うのか。
「わ、私はリタくんの、その、お、お友達です」
瞬き一つしない視線にビクつきながら、簪はなんとか言葉を絞り出すように答えた。
「……そう、お前が。まあどうでもいいや。あーあ、時間無駄にした」
それだけ言って束は簪から興味をなくし、理多の元へと戻って歩いて行った。
●
時間が過ぎ、夕食も食べ終えて就寝時間までの間、自由時間となった。同室のクラスメイトに一言断って、簪は旅館を抜け出して外を歩いていた。夏といても外は暗くなればそれなりに冷え、簪は浴衣の上に薄い上着を一枚羽織って歩いていた。どこで待ち合わせと理多は言わなかった。事前にどこかと決めたわけでもなかった。目的地もなく、簪は外を歩いている。
ふと気がついて上を見た。空は暗く、星が見え始めている。しかしここが比較的田舎とは言っても人口の明かりが多く、それほどはっきりとは星が見えない。周囲を見渡し、海岸線の防風林の向こう、浅瀬の砂浜がある場所は電柱も建てられず人の明かりが少ない。もっとよく星を見ようとその方へと簪は足を向けた。進めばもっと暗い場所が分かった。明かりの多いことをから暗い方へと歩いて行き、いつの間にか簪は一本の木が生えているだけの崖に来ていた。
その木の根元、空を見上げるために仰向けになった少年がいた。理多だ。近づいてくと足音に気がついた理多がこちらを見た。
「簪ちゃん来てくれたんだね」
「……うん。星が見える方に行けば、きっとリタくんがいると思って」
「アハハ、そうか。ボクってそんなに分かりやすいか。まあでも、ここがこの辺で一番よく星が見えるんだ」
少し照れて顔を朱に染め、簪は俯いた。
「隣、座ってもいい?」
「いいよ」
簪は静かに理多の隣に腰を下ろした。座ってから気がついた。二人で一緒に背もたれにするには、木の幹は少しばかり細く、星をよく見ようと理多が動くと小さく肩が触れ合う。それほど二人は近くにいる。
空の星から目を動かさず、理多は話し始めた。
「昼は姉さんがごめんね。多分、怖かったでしょ?」
そんなことはないと言おうとして、しかし簪は違うとは言えなかった。黙ったままの簪の感情を読み取り、理多は苦笑する。
「そうだよね。束姉さん昔からそうなんだ。ボクが特別だって言って、ボクに近づく人たちみんなを威嚇するんだ」
「それだけお姉さんはリタくんが大切ってことなのかな。私とは真逆だね」
姉の楯無を思い出して、簪は自嘲する。姉と仲が良い理多のような人がいれば、自分のようにほとんど姉と話さないくらい仲が冷え切っている人もいる。おまけに自分は劣等感から姉を遠ざけている。姉と仲が良い理多が少しうらやましかった。
「そうじゃないよ」
しかし理多は簪の言葉を否定した。
「束姉さんにとってボクは神さまみたいなものなんだ」
「リタくんが神様?」
「そう。天才の束姉さんにとって、世界はとても詰まらなくて、自分と比べれば世界の誰もが自分よりも劣ってるんだ。でも子供の時、ボクが遠い宇宙にいる誰かを感じ取った。それで束姉さんは宇宙の果てにいるその人たちに会おうと、人類がまだ成し遂げたことがないことをしようって、生まれて始めて人生で目標を作れたんだ」
「……人生で初めての目標?」
世界的有名な天才である束の根幹が驚くほど、どこにでもある平凡なもので簪は思わず聞き返していた。それを理多はうなずいて答える。
「そう、人生で初めての目標。普通の人が人生をかけるような途方もなく大きな目標も束姉さんからしたら片手間ですぐに出来ちゃうんだ。だからこそ、そんな天才の束姉さんが自分の人生をかけてまで達成したい目標ができたことはきっと、束姉さんの人生の中でそれまでで一番大きな衝撃だったんだと思う。だから束姉さんはボクを神様みたいに扱うんだ。……まるであの子がユニコーンを通して神様を見ているみたいに」
束は自身に生きがいを与えた理多を特別視したいたように、エイプリルはユニコーンを通じて自身が憎悪を持つことを肯定していた。
「リタくんとあの人は同じじゃないよ」
数週間前、突如襲来したエイプリルと彼女の言葉を思い出して簪は首を振った。エイプリルは理多が自分と同じニュータイプだと言い、そして彼女こそがリタと唯一同胞となれると言った。
しかしあれほど憎しみを見せるエイプリルと星を見上げて笑う理多を簪は同じにしたくなかった。
「じゃあニュータイプってなんなんだろうね? 特別に何かを感じ取れる才能? それだけだと彼女もボクも同じだ。でもボクと彼女が違うって言うなら、簪ちゃん。ニュータイプにもある違いって何だろう?」
理多の質問に簪は考えた。そして一番最初に思いついたことは色だった。理多とエイプリルが見せたそれぞれの光。空を割っていた暗い虹の残光を思い出して言う。
「あの子が見せたユニコーンの虹の色はすごく暗かった。まるで底なしの井戸の暗闇みたいだった、でも、同じ暗闇でもリタくんの見せてくれた星空は星が瞬いている綺麗な暗闇だった。似ているって言う二人から私が受け取った光は全然違った」
言葉にしながら簪はどこかその説明に納得する自分がいた。どちらも目で見た光には違いない。しかしそのどちらも普段目にするものとは違い、はっきりとその人を連想させ、その人が放った光なのだと確信できる。きっとあの星空は理多がいなくては見れず、あの暗い虹もエイプリルがいなければ見ることはできない。
「人に見せる光がボクと彼女の違いなら、その違いはどこから来てるのかな?」
「……分からない。でもリタくんの星の光も、あの暗い虹の光もその人を通して私は見ていた。それなら、私はその人が中から発している光を受け取ったのかもしれない。リタくんが見せてくれたあの星空はきっとリタくんがいつも見ているものだって、それを私はリタくんを通じて見たんだと思う。」
「人の中から発した光……。なんだかよく分かんないね」
「人から発したものが、そんなに単純で分かりやすいものだとは思えない……。姉妹でも人は簡単に分かり合えないことを私は知ってる。やっぱり人は単純じゃないよ」
その言葉を聞き、理多はどこか納得がいったように笑った。
「それならボクが感じ取ってる、人のよく分からない感情もそうなのかな。正反対の願いが一緒になっていて、何も決まってなくて、それなのに分かって欲しくて、それでいて分かりたいと思ってる。そんな光が人の魂とか心ってことなのかな」
「一つだけを向いていられる人はきっといない。いろんなものが束ねられてその人がいるのだと思う」
「でもそれほど人の中身が複雑になっちゃったら、どうやって人は一緒になれるのかな。それこそ魂が一緒に混ざり合いでもしない限り、バラバラな人が本当に分かり合うなんて無理に思えるよ」
人が分かり合う、魂が混ざり合う。そんな想像に簪は人に聞いた天国の話を思い出した。この世界から飛び去り、肉体という枷を脱ぎ捨て、魂という身一つでいられる場所。魂にだけとなったのなら、余計なものが無ければ人は安らぎを得られるのかもしれない。
「天国なら……」
言って、簪は言葉を止めた。天国なんて、死んだら一緒になれるなどと想像するのはどうにも縁起が悪い。しかし天国という言葉は理多にぼんやりとした想像に土台を与えた。
「天国? そっか天国かぁ……。そうだね、もし魂に行先があるなら、それが安らかなものだといいね。安らかな気持ちでいられるのなら、自分とは違うものを受け入れられるのかもしれない」
魂が天に召される光景を想像して、空へと還っていく魂を想像して、その魂の行く先を確かめようと空に向かって理多は手を伸ばした。しかしどこかに届くはずもなく、もっと高く伸ばそうとして立ち上がる。しかし魂の行先も、宙に瞬いている星も果てしなく遠い。
肉の体を持った自分ではどれだけ頑張ろうとも届くことはない。
伸ばそうと頑張ってもそれは徒労に終わる。腕を上に向かって伸ばすことに使えた理多は腕を下ろし、簪の方へと振り向いた。
「ねえ簪ちゃん」
「何? リタくん」
自分に魂があるのか、人に魂があるのか、宙の果てに誰かがいるというのか、人の中から発しているという光とはなんなのか、そして何よりも人は真に誤解なく分かり合えるのか。理多は自分が持ついくつもの疑問を一つに質問に集約する。自分でどれだけ考えても答えは見えて来ず、答えを見つけられない寂寥に胸を痛めながら、それでも期待するように簪を見つめて問いかけた。
「ねぇ、魂って本当にあるのかな? もし本当にあるんだったらボクたちの魂って一体どこに向かうんだろうね?」
自身の在処を、人が分かり合える場所の存在を、真に分かり合える誰かがいるのか、それを理多は魂と呼ぶことにした。
しかしそんなことを聞かれても簪が理多が求める答えを持てるはずもなく。簪は答えを待つ理多を待たせる。分からないと答えるのはそれが無いというのと同じ、知らないと答えるのは簪がそれを見えないと言っているのと同じ、簪は理多が満たされうる答えを持たなかった。故に答えは沈黙。答えが出せるまで答えを出さないことだった。
期待に応えられず、簪は俯く。
「そんなに気に病まないで簪ちゃん。大丈夫今すぐじゃなくていい、君が示してくれる答えをボクは待ってるから」
理多は身を翻してもう一度星空を見上げる。いくつもの星が変わらずそこにあり、名前ない星に名前をつけようとしても、もう星は見えなかった。