TS転移で地球人   作:月日星夜(木端妖精)

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幕開
第六十四話 偶像変生


 

 

「どうか、よろしくお願いします」

 

 そう言って深く頭を下げたナシコに、デンデは慌ててしまった。

 地球の神となってまだ日が浅い彼にしてみれば、彼女はこの星のために戦った強大な戦士だ。恐縮してしまうのも無理はないだろう。年齢もよくわからないし……。

 

「は、はい。もちろん、構いません!」

「……良かったです」

 

 デンデが答えてからやや間を置いて、ようやく彼女は緩やかに顔を上げた。返事をしなければずっと頭を下げていたのだろうかと思ってしまうくらいに腰が低い。デンデの持つ彼女への印象とは違ってしまっていて戸惑いが大きくなるばかりだ。

 

 ナメック星で最長老に頼まれて自分を守っていた時は、もっと活気に満ちていたというか、言い方は悪いが子供っぽい元気さを原動力にしていたように思えた。今は……澄ましているのが自然体、とでも表せばいいだろうか。リアクションも、身振り手振りも最小限。いちいち大袈裟に動くナシコとは対極的だ。……やはりかなり参っているのだろうか。しかしデンデには、彼女が落ち込んでいるのか普段通りなのかはいまいちわからなかった。

 

 傷は全て癒えているから顔も体も綺麗なもの。白い衣服は少々傷んでいるが、彼女が着ているとファッションにも捉えられる。

 ぼんやりとした目に、憂いを帯びた瞳。

 

 神が慌ててしまった理由は、いつもとまったく雰囲気が違うから、だけではない。そもそも大人の姿と子供の姿とでは彼女の振る舞いは結構変わるのだが、ほんわかとしたとても緩い空気を纏っていたことは共通していたはず。外面ではなく内面の話だ。大人ぶって表情を引き締めている時でさえ和やかなのに、今はそれとわかるくらい冷たい。訳もなく責められているような気分になってしまって、居心地の悪さに身動ぎしてしまう。

 

 セルという強大な敵を倒した直後だから、ピリピリしているのだろうか。

 しかしそれならば、孫悟空の声によってみんな緊張を解きほぐされていたはず。父を亡くした孫悟飯でさえ笑顔を浮かべていたのだ。

 

 実際ナシコもその時は気が抜けて平常に戻っていたのだが……。

 ある一点。ただ一つの事実がナシコを再びこのようにしてしまった。

 

 それは、『孫悟空を殺したのはナシコである』という事実。

 

 間接的に、の話ではある。しかし"間接的"もいくつも重なれば、それは直接手を下したに等しい。

 セルへの対策が不十分であった。人造人間に絆されて、破壊せず見逃してセルの変身を許した。体調不良で作戦を乱した。足を引っ張り、思うまま戦わせなかった。迂闊に元気を集めて、それを利用された。

 

 何より罪深いのは、未来を知っていて怠惰に過ごしていた事だ。自分のために時間を使った。ちやほやされたいとか、愛されたいとか、ゆっくり過ごしていたいとか、そういう下らない自分の欲求を優先して、備えを疎かにした、その分だけしっぺ返しを食らった。

 

 いくら孫悟空本人が朗らかにしていようと、その事実が重くナシコの心にのしかかったのだ。

 地の底まで落ち込んで、しかし負の面ではなく正の面に振り切った。

 ナシコはこれまでの自分を顧みて、もう二度と失敗しないよう、徹底的に自分を鍛え直そうと決意した……。

 

 そのために精神と時の部屋の使用許可を取ったし、何日かかるかわからないために期限をぼかした休みを取った。

 

 ……ナシコは、あたかも全て自分が悪いように感じてしまっているが、それは違う。

 そもそも人間的欲求を抑えて献身的に未来へ人生を捧げるなど無理な話だ。

 身を削るにも限度がある。彼女にも自分の生活というものがある。

 

 ……それでも、結果として孫悟空は死んだ。孫悟飯は悲しみと怒りに苛まれてしまった。

 変えよう、防ごうと思っていたことを一つとして成し遂げられなかったのだから、自責の念に駆られるのも仕方がない。

 幸か不幸か、ナシコは自責の念には潰されなかった。生来の楽観的な性格に助けられたのかもしれない。未来を思うことができた。過去に囚われるばかりで終わらなかった。

 

 しかし、今の彼女に『誰かに頼る』という選択肢はない。

 未来を打ち明け、協力しようという考えが浮かばない。

 それは何も、至らなさから思い浮かばないのではなく、自分以外の誰にも未来を変えるため、救うための戦いに身をやつしてほしくないからだった。

 

 みんな未来を知れば快く力を貸してくれるだろう。そのために備えるだろうし、心構えをするだろう。

 その分だけ、普通に送れるはずだった生活は浸食され、時間が奪われてしまう……それがナシコには嫌だった。

 

 何もしないでいれば魔人ブウが現れるのは7年後だ。

 今その強敵の存在を打ち明けたとして、どれほどの心労をかけてしまうのだろうか。

 良い案が挙がって、たちまちに問題が解決する可能性は多分にあるものの……ナシコは、自分から言い出すのに躊躇いを覚えていた。

 変にそれぞれの認識が違って悪い未来になったりすれば、それは全部自分のせいになる。それを恐れて、何もかも勝手に一人でやろうとしてしまうのは、これは性格の問題だ。

 

 

「一人で入って平気なのか」

 

 表情も佇まいも変わらず何かを考えていたナシコにピッコロが声をかけた。

 神と融合したために、この神殿を勝手知ったる我が家と感じて住む事にしたらしい。腕を組み、仏頂面だが、声にはナシコへの心配が含まれているようだ。

 

「ええ、大丈夫です」

「そうか」

 

 言葉少なにやり取りをする二人。

 ピッコロは、ナシコの言葉を素直に受け取れなかった。

 

 前に彼女が精神と時の部屋に入った時はウィローと二人だった。扉を開け放ち、中を覗いたとたんにげーっと声を漏らすナシコがウィローに泣きつくのを、耳の良いピッコロは一言一句漏らさず聞いていた。

 一人で入れば一週間もたないだろうと言ったのはナシコだ。彼女の気質はとにかく人懐こく、他者に依存している。

 

 ……かつては何十年も山奥の家で一人過ごしていたナシコだが、人里に出て、アイドルなんて職業についてしまったせいか、いつからか誰かの傍にいないと落ち着かなくなってしまったらしい。

 自室に一人……くらいならまだ平気なのだ。その家に親しい誰かが一人でもいるなら。

 それが、誰もいないとなると心細くなって、見た目相応の情緒を持つようになってしまう。

 

 特に今は孫悟空の事で精神的にかなり疲弊している。こんな状態で他の一切を遮断してしまえば、それこそ発狂しかねない。

 それはなんとなくピッコロもデンデも、ポポさえもわかっていた。

 

 だが止める事はできない。普段より数段物腰柔らかでいるナシコが、その実剣呑なものを押し隠しているのを感じ取れてしまっているからだ。無理に引き留めれば乱暴に振り払ってでも勝手に入っていくだろう。

 デンデの許可を求めたのは神である彼への筋を通そうとしただけ。しかし「神が命ずる」と言ったとして聞かないだろうというのは明白。そういった鬼気迫るものを、今のナシコの穏やかな顔からは窺えたのだ。

 

「神様、すみませんがこれを……預かっていていただけませんか」

「え、あ、はい……」

 

 そっとカプセルホンを手渡されたデンデは、なぜ自分に預けられたのかを不思議がった。

 中に入れば外との通信ができなくなるので、この端末を持っていても仕方ないのはわかるのだが、仕舞うのなら腰に備えたポーチに入れておけばいいのではないだろうか。

 

「では、失礼します」

「あ、あの、お気をつけて……」

 

 特にその事への説明はせず扉の前へ立ったナシコが両手を揃えて一礼し、心配するデンデににっこりと微笑んでみせた。

 花のかんばせとはこのことだろうが、如何せん恐怖が勝る。見た目と雰囲気がちぐはぐだ。目も笑ってない。というか半分死んでいる。

 

「ふうっ……」

 

 ほんの少し扉を開け、隙間からするりと入っていく少女を見送って、静かに閉じられる音を聞き届けてからデンデは額の汗を拭った。

 張り詰めた空気を発していた人間がいなくなったため、ようやく空気が緩んだ。

 これで一安心とポポと顔を見合わせる。

 

「……?」

 

 ふっと一条の光が視界を過ぎる。

 直後に、扉が爆散した。溢れる光と降り注ぐ瓦礫の雨が、何が起こったのかを如実に語る。

 

「え、ええっ!?」

「あ、あの馬鹿、扉をぶっ壊しやがった……!」

 

 さしものピッコロもこれには驚きを禁じ得なかった。

 おそらくは、ナシコ自身、自分が孤独に参ってしまって逃げ出したくなることは予測していたのだろう。

 その対策として逃げ道を塞いだ。単純な思考回路だ。

 しかし、だ。あの空間への出入り口はこの扉しかないのを失念している。

 

「な、なんということを……これでもう、ナシコ、永遠に部屋から出られない……」

 

 汗を流しながら呟くポポ。

 もしや、もしやだが。

 悟空に続いてナシコまで帰らぬ人となってしまった事を伝えるのは、自分の役目になるのでは?

 それは、困る。とても困る。弱った……。

 

「ど、ど、どうしましょう!?」

「……ううむ。こんな事態は初めてだが……そうだな、これくらいの損壊具合ならば10日もあれば直せるだろう」

「とっ、10日もかかるんですか!?」

 

 前の神の知恵を頼ったデンデだが、返ってきた答えは絶望的だ。

 どうやら壊れた扉を直す事はそう難しくないらしい。だが問題なのはその期間だ。

 10日といえば大したことのない日数に思えるかもしれないが、精神と時の部屋と外の世界とでは流れる時間が違う。

 こっちでは10日でも向こうでは10年だ。それはあまりにも長い。

 

「そ、その前に死んでしまいますよっ!」

「ならばお前も死ぬ気で頑張るんだな。この建造物を直せるのは今の神であるお前だけだ」

「えええっ、そ、そうなんですか!?」

 

 そんなのは初耳だ。驚きもそこそこに俯いて困ってしまうデンデ。

 ドラゴンボールを作るのとはわけが違う。勝手のわからない設備を、果たしてちゃんと直せるのだろうか……?

 

 倒壊した施設の修復を目的に話し始めた三人は、そもそもの原因であるナシコの事にはあまり触れなかった。

 壊したことに怒ってもいなければ、出てきた後に説教しようとも考えない。

 デンデもピッコロも、ナシコの気持ちはなんとなくわかるからだ。

 

 力が及ばず何もできない無力感。歯痒く、悔しい思いをしたのはピッコロも、この神殿で戦いを見ていたデンデも一緒だった。

 ああも切羽詰まってしまうのもしょうがないだろうと共感すると、怒る気には到底なれなかったのだ……。

 

「とにかく、すぐに取り掛かりましょう!」

「ああ……」

 

 とはいえ、修業のために死んでしまっては元も子もない。

 二人はどうにかナシコを連れ戻すために奔走する事になった。

 

 

 

 

 この世界の脅威は必ず自分で払うと誓ったナシコは、塞ぎ込むように精神と時の部屋に踏み込んだ。

 ほとんど着の身着のままだ。ポーチに入っているのは多少の生活用品と神龍製の櫛くらい。

 外界へ続く扉へ手だけを向けて光弾を放ったナシコは、背後で起こる爆発に背を押されるように一歩を踏み出した。

 

 重々しい靴音がずっと遠くまで響く。

 

 息苦しさに、気持ち悪さに、目眩がする。

 

「けほっ……。ん……」

 

 メンタルが強いと言えないナシコは、閉鎖空間が出来上がったいう事実だけですでに泣きそうなくらい気落ちしている。それでも、これは必要な事だった。

 空間を割り次元を超える程の戦闘力が得られるまではここから出ない。そう決めたのだから。

 それはすなわち、超サイヤ人3相当の……いや、それを遥かに超える戦闘力を得なければならない事を示していた。

 

 ナシコが目指すのはもっと先だ。これから来るだろう未来の困難の数々を打ち払うには、もっともっと強くならなければならない。肉体的にも精神的にも。

 

「ふっ、ふっ、は……は、ふ」

 

 胸元の布を握り締め、環境からくる息苦しさ以上のものに汗を浮かべる。

 自分以外音を出すものがないこの世界に響く心音。それが耳鳴りを起こし、呼吸は浅く速く、頭にはもやがかかって、手足の先の感覚が鈍くなってくる。

 

 ……これだ。

 

 ただ一人になっただけだというのに、もう弱り切ってしまっている。

 だから駄目なのだと、ナシコは自分をなじった。

 

「……がんばらなくちゃ」

 

 言い聞かせるように呟く声もむなしい。

 数十年ぬるま湯に浸かっていたこの虚弱な精神を、まずは鍛える必要があった。

 そのためには、徹底的に他者との繋がりを絶つほかない。

 カプセルホンに保存された写真や動画があると逃げ道になってしまうから、それも外に置いてきた。

 他者の気質を真似ることも、声真似も、神龍への願いの中で一時的に封じてある。イマジナリーフレンドなどを作り出しては修行にならないためだ。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 呼吸がままならない。自分の意思で止める事も緩めることもできず、表情筋の動かし方さえ忘れてしまったみたいに固まった顔で、ナシコはその場に蹲ってしまった。

 ひたすらに背中が冷たい。静寂が怖い。あれほどあった決意が萎れて、どうしてこんなことをしてしまったのかという後悔が膨れ上がる。

 

「がんばって……がんばって……みんなのためだから、みんなのために、みんなのためにがんばろ? がんばろ、ナシコ、大丈夫だから……」

 

 喘ぐように、弾む言葉で不安を和らげる。優しく、甘く、好きな声で慰められてほんの少し安定した心は、何もない空間に響く声への言い知れない恐怖で圧壊した。

 

 

 

 

 ナシコが精神と時の部屋に入ってから二日経った。

 ……内部では、二年の時が経っている。

 設備の復旧は順調だ。デンデに才能があるのもあって、当初10日と予測されていた修復作業も8日まで短縮されそうなほど……だが、それでも長い。

 

 

 一面の白世界。

 面積を地球と同じくするこの空間の、その白さの中にナシコの姿はなかった。

 涼し気な白い衣服が空間に溶け込んでいる訳でもなければ、気を無にして存在を隠している訳でもない。

 この場所に、ナシコはいなくなっていた。

 

 唯一の生活空間である出入り口付近。

 食糧が積まれた棚が少し荒れている。低い段の瓶が落ちて割れ、中身を零していた。

 台所の方では、シンクの前にいくつか食器類が散らばっていた。使用した形跡はないが、乱雑に落ちている。

 それが仕舞ってあったのだろう棚の中に、ナシコは小さな体を押し込めていた。

 

 木板に背を預け、身を丸めて頭を抱えている。手には乾いた血がべったりと付着していて、衣服や足元には頭髪が散乱していた。

 カリカリと頭皮を掻く音がこもる。カチカチと歯のぶつかる音がする。

 

 うつろな瞳が映す光は無く、もう歌もうたえない。

 自分で思っていた以上にこの境遇が堪えたのだろう……ナシコは精神崩壊を起こしていた。

 

 ──この二年間は、自責の念と寂寥感と孤独との戦いだった。

 何もかもの責任を自分に求めて、どうしようもなく追い詰められた。

 慰めてくれる誰かはおらず、心の弱さと向き合うことができずに、壊れてしまった。

 

 人一倍他人との触れ合いを必要とする彼女が、こんな場所で一人きりでいて正気でいられるわけがない。

 

 気を感じられるようになってからは離れていても親しい者の気配を感じられていた。そんなときでさえ視界に入っていなければ不安に苛まれるほどだったのだ。

 一切の気を感じ取れないこの場所で、正真正銘のひとりぼっちになってしまって……耐えられなかった。

 

 精神や肉体の脆弱さを鍛えるどころの話ではない。不変の体が辛うじて彼女を生かしているだけで、これでは植物人間と変わらなかった。

 ……禅や精神の統一。そういったものを、ナシコは苦手にしていた。おおらかで細かい事が苦手であるのに、一切を無視して挑んでしまった結果がこれだ。

 

 ナシコが取るべき手段は誰かに師事することだったのかもしれない。

 これまで教え導かれた経験はないのにここまで強くなれているのだから、そうしていれば真っ当に成長できたことだろう。

 だがそうはならなかった。勝手に追い詰められて、勝手に自滅してしまった。

 

 こうなってしまっては、扉の修復が完了し外に出られたとしても、元の生活に戻るのは難しいかもしれない……。

 

 

◆ 

 

 

 それからもう二年余りを、ナシコはキッチンの棚の中で過ごした。

 

「……」

 

 暗闇の中で翡翠の光がまたたく。

 ふと……眠りから覚めるように、理性の灯りを取り戻したナシコは、もぞもぞと棚から這い出た。

 錆びきった体をギシギシと動かして、ふらつきながらバスルームへ向かっていく。

 ……何がきっかけだったのかはわからないが、どうやらナシコは帰ってこれたようであった。

 

 一度生気を宿した瞳は再び虚無を映しているが、動き始めたなら問題はないだろう。

 ようやく孤独に慣れ始めて、修業の土台が出来上がった。あとはひたすらに限界まで鍛え上げるだけだ。

 何年かかるかは……神のみぞ知る。

 

 

 

 

「わ」

 

 扉の修復作業に当たっていたデンデは、懐で震えるカプセルホンを押さえ、取り出した。

 ナシコから預かったこの端末は、彼女が精神と時の部屋に入ってから一日経つとブルブル震え、二日経つとひっきりなしにメロディが流れ、三日もすると常に振動するようになった。

 

 あれから七日。急ピッチで進められた復旧はさらに予定を早めて、もうほとんど直っていた。

 あとは向こうの空間と繋げれば完成といった段階だ。

 

 画面を見下ろしながら両手で持ったデンデは、慣れた手つきで送られてきたメールに返信した。

 触れた事のなかった端末であり、かつ他人のものだったが、返事をしない訳にはいかないだろうという事でこうして弄っているうちにすっかり慣れてしまった。もちろん大切な領域には触れないようにしている。覚束ない操作でよくわからない自撮りの数々を見てしまったり、ポエムじみた書きかけの日記なんかも決して記憶に残してない。

 

「よし、っと」

 

 内容は、まだ修復は完了しないのかというウィローからの確認だった。

 事務的な文面からは感情は窺えないが、初日から二日目あたりまでのメールの内容はそれはもう怒りに満ちたものであった。事情も話さず姿を消したナシコに大層ご立腹らしく、代わりにそれを浴びなければならないデンデは、ちょっと携帯というものを嫌いになった。

 友人知人らしき者への対応も大変だったし、溜め息を吐かずにはいられない。

 

「あれ? なんだろう、これ」

 

 世間に揉まれた新社会人のような顔色のデンデの前に、ひらりと羽根が落ちてきた。

 真っ白なそれは、追って視界を動かすと消えていた。

 ……こんな高所に鳥は来ないと思うのだが、今のはいったい……?

 

「……む」

 

 上空にて座禅を組んでいたピッコロが、数時間ぶりに動きをみせた。

 ぴくりと僅かに顔を上げるだけだったが、予感が現実のものとわかると振り返り、神殿へと降りてきた。

 

「デンデ、離れていろ」

「え……わ!?」

 

 不可解な助言に疑問を持つよりはやく、何もない空間からぶわっと羽根が噴き出した。

 それは空間に亀裂を走らせ、まるでガラスでも割るかのように広がっていく。

 剥がれ落ちた空間の向こうに真っ白な世界を覗き見て、ピッコロはまさかと目を見開いた。

 

「うわ!」

 

 甲高い音をたてて世界が砕ける。

 それは、錯覚だったのだろうか。飛び散る透明の断片に思わず顔を庇ったデンデが、おそるおそる腕を下ろした時には、亀裂や罅なんていうものはどこにもなく、いつもの神殿の光景が広がっていた。

 ただ一点、そこに大人の姿のナシコが立っているという以外は……。

 

 はらはらと雪のように舞い落ちる羽根の中に立つナシコは、ずいぶん雰囲気が変わっていた。

 入る前に纏っていた衣服は薄布の、純白のドレスに代わっている。さながら婚姻の際に着るようなウェディングドレスか。

 黒髪を包み横へ流しているベールが神秘的で、ぼんやりとした瞳や、その気の質など気にならないほどであった。

 

「……お久しぶりです」

「えっ、は、はい、お久しぶり……あれっ?」

 

 落ち着いた声で挨拶をされて思わず普通に返してしまったデンデは、まだ完全に直っていない扉とナシコとを見比べた。どうやって外に……? まだ扉は使えないはずなのに……。

 

「ずいぶん長い間使わせていただいてしまって……すみません」

「いえ、それはその、構いませんが……」

「おい、その姿はなんだ。どうなっている」

 

 どこか超常的なものを感じさせるナシコに気後れしてしまうデンデに代わって、ピッコロが問いかける。

 7年も籠って修行していたのだ、恐ろしいパワーアップを遂げているのだろうと予測していたが、どうも気が測れない。消しているのか、だとしたらその変身が不可解だった。

 

「どうにか、安定して変身できるようになった姿です。……気は、感じられますか?」

「いや……」

「……そうですか」

 

 そっと髪を押さえたナシコが「それならよかった」と呟く。指先から二の腕の半ばまでを覆うウェディンググローブに、足を包むシューズ。ところどころに花の意匠が施されていて、派手ではないが洗練された装いはステージ衣装のようでもあった。もちろん中にそういった衣装を作る材料がない以上、これが彼女の変身であることは明白。

 

「どういう事か説明しろ」

 

 勝手に納得するナシコに催促するピッコロ。

 聞きたい事は山ほどあるのだ。気質を始めとして、どれほど強くなったのか、そもそもなぜ強くなったのか、どうやってあの空間から脱してきたのか。

 

「……」

 

 窺うように瞳を向けられて、ピッコロは口を噤んだ。

 やはり何か違う。これまでのナシコとは一線を画している……。

 前までのナシコには、気圧されるような気迫は無かったし、そういうタイプでもなかった。

 まるきり生まれ変わってしまったみたいだ……。

 

「神の域に至ると、その者の気は内面に秘められ、澄んだ気配のみを纏うようになるらしいです」

「……神の域、だと?」

「ええ。普遍的な神ではなく、界王神よりも上の段階……なのだとか」

 

 デンデを見下ろすピッコロの疑問を見越して説明され、界王神よりも上だと、と内心驚愕してしまう。話に聞いた事がある、四つの銀河を統べる界王を纏める大界王の、その神……そんな存在より先へと至ってしまったというのか。

 

「前に元気玉を作った際に、そんな神様も応えて気を送ってくれたんだと思います。神の気を取り込んだ影響か……これと似た姿になること自体は前にできていたのですが、安定しなくて」

「慣らすために修行を積んでいた訳か」

「はい。目的は遂げました。お騒がせしてすみません」

 

 目礼する彼女に、そういえば、とデンデはカプセルホンを返した。

 手渡された端末を見下ろす目の色が昏い。

 

「ウィローさん、カンカンになってましたよ」

 

 一応のこと、デンデはメールを通じてやり取りしていた内容を伝えた。

 ほんの少し、ナシコの表情は陰った気がする。常ならば嫌な顔をするとかリアクションがあるものなのだが、本当に静かなものだ。落ち着いた大人の女性そのもの……いや、見た目なら前からそうだが、中身も相応に成長したようである。一人で過ごすことが精神的な成長を促したのだろうか。

 

「ありがとうございます、神様。それから、ピッコロさん。相談があるのですが」

「なんだ」

「究極……中の星が黒いドラゴンボールはご存知ですか?」

 

 ぴく、と瞼を動かすピッコロ。それは融合した神の記憶にある、最初のドラゴンボールの事か。

 まだ善と悪にわかれていなかった頃に作り出した強力な物だ。知っているが、なぜ今それを口にしたのか……。

 未来を知る事のできる彼女が話題に上げたのなら、おそらく何かしら意味があるのだろう。

 

「危険なものなので、破壊するか作り変えてしまうかしてほしいんです」

「……なるほど、そういう事情か。あいにくだが今のオレにドラゴンボールを変化させるような力はない。もちろん作る事もな。まあ、こちらで処分しておこう。ドラゴンボールは二つも必要無い」

「ありがとうございます」

 

 感謝の言葉を述べるナシコは、ほっとしてるようにも、はたまたなんの感情も動いていないようにも見えた。

 物静かで不気味だ。人と接するための猫を被っている訳でもない、自然体の物腰。話しやすくはあるがやり辛いとピッコロは感じていた。

 

「一応聞くが、あれが何を引き起こすというんだ」

「いえ……そのもの自体はそこまで大きな影響は……ああ、そうだ」

 

 究極のドラゴンボールを使用した星を1年後に破壊するという効果以外に挙げるようなものはない。

 話の流れでドラゴンボールに貯まる邪気について思い出したナシコは、それを取り除くことができないかをデンデに相談した。

 

「じゃ、邪悪龍、ですか……そんな恐ろしいものが……」

 

 願いを叶えるたびに貯まるマイナスエネルギーが限界を超えれば、たちまちに強大な敵を生み出してしまうだろう。100年の間使用されなければ自然に浄化されるらしいが、現代の使用頻度を考えると……遠くない未来に相対する事になるだろう。

 さらに、神の気が存在する世界であるなら一個が惑星級の大きさの超ドラゴンボールも存在することになる。

 そんなものからまで邪悪龍が生まれれば、どうなるかわかったものではない。

 

「わかりました。何かできる事がないか探してみます」

「ありがとうございます」

 

 確実ではないが、未来の懸念を一つ消せて、ナシコは安堵しているようだ。

 それから、おずおずと申し出た。

 

「あの。お水を頂けませんか。お腹が空いてしまって」

「ええ、もちろんいいですよ。すぐ持ってきますね!」

 

 やや眉尻を下げてお腹に手を当てる彼女に、ようやく普通の彼女を見つける事が出来て喜色を浮かべたデンデは、神だというのに甲斐甲斐しく世話を焼こうと走り出そうとした体勢で止まった。

 

「お腹が空いたなら、食事くらいはご用意できますが……?」

 

 生理的欲求があることに安心して聞き逃してしまったが、空腹で水を求めるのは何か変だなと思いつつも提案すれば、ナシコは控えめに首を振った。

 

「心遣いは嬉しいのですが、どうにも食欲がなくて……」

「そういえば随分やつれているな。中でちゃんと食事はとっていたのか」

「ええ、はい」

 

 9歳か19歳の容姿を保つ彼女だが、ある程度肉付きは変わる。それが今は下限まで痩せているのを見て取ったピッコロが食事事情を聞けば、頷いて返された。

 それが嘘であるとはすぐにわかった。……見た目の上ではまったくわからないが、心を読み取ろうと探れば簡単に見破れた。

 どうにも中にいる間、彼女は水しか口にしていなかったようだ。ナメック星人でもあるまいに、人間がそんなことをしてよく死なないでいられたものだ。

 

「ま、オレが口出しする事ではないが……すぐにまともな食事を取ろうとはするなよ」

「……」

 

 それまで栄養を取っていなかった体に一気に詰め込んでしまうと、体が耐え切れず死んでしまうことがある。それは普通の人間であるならの話で、ナシコが普通かは怪しいが、いちおう彼女は純地球人だ。そこら辺の機能は普通の人間と変わらないだろうと思い忠告したピッコロに、ナシコは少々ばつの悪そうな顔をした。

 

 それよりも気になるのは、彼女の中では中に入っていた期間が3年ほど、となっている事だ。時間の感覚が狂っているにしてはズレが大きい。

 だが、身内が怒っていると聞いて大して焦らずにいた理由はわかった。

 

「お前がその部屋に入ってから7日間経っている。意味はわかるな?」

「え……7日……? そう、なんですか?」

 

 意地の悪い表情を浮かべるピッコロに教えられて、ようやくナシコの表情は大きく変わり始めた。

 自分の認識との違いに困惑しているようだ。それもそのはず、精神崩壊していた時間はナシコの記憶に残っていない。だから、立ち直った後の3年間のみが彼女の中で経過した時間なのだ。

 

「……帰り辛い、です」

「それなら、こちらから連絡を入れますから、少し時間を置きましょう!」

「ありがとうございます、神様」

 

 家で待つ鬼の顔を思い浮かべたのだろう、目を伏せて弱った様子の彼女に、デンデは神らしく慈悲を与えてあげた。

 

 

 

 

「それじゃあやはり、あの時悟空さんを移動させたのは神様だったんですね」

「はい。あの戦いはボクも見ていましたから……ボクだけでなく界王様も見ていらっしゃったようで、そちらから通信もあり、閻魔様の下で肉体を与えられた孫悟空さんはすぐに界王様のもとへ……」

 

 神殿の奥。テーブルを囲んで、ナシコとデンデは話をしていた。

 内容は、あの時悟空が界王の元にいた理由から、ナシコが中でどんな修行をしていたかなどだ。

 

 7年──ナシコの中では3年──みっちりと修行を積んだナシコだが、実のところ、そこまで劇的に力を上げられなかった。基礎戦闘力が倍以上になったが、期間を考えると凄まじいアップとは言い難い。

 最初の1年でナシコの力は限界に達してしまった。これが"今現在の限界"なのか、"完全な限界"なのかはわからないが、未来の脅威を実感していても止まってしまう成長に相当歯痒い思いをしたようだ。

 

 身勝手の極意を発揮できるように努め、完全なるプレゼンターに至った。

 ナシコは神の気を纏うこの状態を"ブランシュ"と名付けた。ロゼを意識したルージュが赤を意味するフランス語なので、純白な姿のこれを同じくフランス語で白を意味するブランシュとしたのだ。

 ちなみにウェディングドレス風味の衣装は意識して作り出している訳ではなく、勝手に生成されているらしいのだが、これは彼女の潜在意識にある神聖なもの、綺麗なものをそのまま出力した結果なのだろう。

 

「それでは、失礼します」

「ナシコさん、お元気で!」

 

 数時間ほど置いて、ナシコは神殿を後にした。

 地表付近まで下りて自宅へ向けて飛ぶ中で、空の彼方に顔を向ける。

 孫家へ赴いてチチと話をしたかったし、悟飯とも話をしたい。

 しかしやはり、まだ優先すべきことがある。それが終わるまでは気を緩める事ができない。

 

「あら。どこの式場から迷い込んできた方でしょう?」

 

 変身を解いていない事もあり、さほど時間をかけずに帰宅したナシコを待っていたのは、ウィローではなくカラーシスターズのNo.4、ミドリだった。

 

「ただいま……ウィローちゃんは……」

「おりませんよ。お仕事です」

 

 つんとして語られた事に、ナシコは「そっか」とだけ呟いた。

 お小言を覚悟していたものの、本人が不在ならば、先に用事を済ませてしまおう。

 

「アオちゃん、どこにいるかわかる?」

「はぁ、ええ。あの子に用があるのでしたら、お呼びしますよ」

 

 姉妹間で通信が行えるため、ナシコが探しに行くより呼び出した方が早い。

 どこか不思議な雰囲気のナシコを窺いながら体内通信を行ったミドリは、ナシコの帰りを確認するという用事が済んだためか、退室していった。含み笑いのようなものを零していたのは、怒れるウィローにナシコが泣かされるのを楽しみにしているためだろう。

 

「お待たせして悪いね」

 

 座る事もなくアオの到着を待っていたナシコは、ぬっと入って来たパラガスに、ああ、そういえばいたなこういう人、とぼんやり思った。

 アオが監視についている人だから、彼女を呼べば当然彼もついてくる。

 その後ろに隠れるように小さなメイドがいるのを認めたナシコは、さらにトランクスが続いてくるのに、言葉にならない疑問を浮かべた。




TIPS
・ナシコ
修行を頑張り、身勝手の極意やプレゼンター改めブレンシュをものにした
魔人ブウや、邪悪龍もしくはザマスや他の宇宙の戦士といった脅威を知っているにも関わらず平和の時分に修行しても伸びなかったZ戦士のように成長が止まってしまった自分に強い失望を抱いている
清らかな純白のドレスは気で作られた頑丈なもの。これでもう戦いの最中に肌を晒す羽目にはならない……はずだ

基礎戦闘力は3200万
スパークリング40倍で12億8000万
ブランシュの倍率は90倍。3200万×90で28億8000万
現時点では破格の戦闘力だが……

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