修練場の中心で仰臥する空狩捉把。
隣ではゴーグルを装着した相澤が目薬を差していた。律儀に放課後に訓練の際には同行すると申し出る彼に甘え、解散した面子の成長具合を予想しつつ、教師と切磋琢磨していた。暴走の危険が内面に有る“個性”だからここ、
今年の一年で最も教師陣に危険視される少女は、鍛練に於いても校外での行使を禁じられる。出久と秘密で戦闘訓練を何度もしているが、身体の底から血流とは違う奔流を感じて何度も停止させた。その都度、自分への危機感を重々理解する。
捉把の暴走の起点が『空間』である為、“個性”に依存しない体術を練り上げる。更に『獣性』も如何なる状況下でも安定した力だと考えられるが、体力的な面で生態を変化させる度に消耗が激しい。通常の体術ならばヒーロー並みだが、それでいつまでも処し遂せはしない。
目的へ向かって
疲れ果てた捉把の横に飲料水ペットボトルを置き、相澤は彼女の腹部の上に腰を下ろす。呻き声を上げた彼女だったが、一息つくと腹筋を苛め抜く筋トレを始めた。どれだけ過酷な運動を要求しても、外見は一向に華奢の一語。体質上の関係か、腕は太くならない、背筋も筋の線が浮かばないし膨らまない、脚部もしなやかで細いまま。一見成長の無い捉把だが、基礎的な筋力は眼に見えて変わっている。
「ここまで付き合わせたんだ、次の体育祭で下手な真似したら、特別補習だ」
「相澤先生の……申し子ッ……として……!」
「ああ」
捉把が脱力し、地面に四肢を擲って沈黙する。
時間は頃合い、あとは休憩と調整を委ねるだけと考え、相澤は腰を上げた。彼の体重から解放され、下からは情けない声が聞こえる。
この準備期間の七割を共に過ごした事で、相澤は幾つか捉把の性格を把握した。周囲に合わせて行動する中で好成績を記録する事は芳しいが、積極性が無い。平時は倦怠感に任せているため、危殆に晒されるまで力を極力温存している。その結果、土壇場になって咄嗟の判断を幾度も求められる事になり、冷静であっても些細な切っ掛けで精神的な瓦解を始め、“暴走”を始めてしまう。
だからこそ、今回は自ら監視の名目で放課後に彼女を叩き上げた。多角的に攻めるほど、彼女は多彩に輝く。相澤という強敵と正対することで次第に戦法を自ら編み出し、追い詰められてからではなく自主的に試行する。
精神的な成長もあり、更に特に面倒を見ていたとあって、担任としては些か不適当だが相澤の期待も大きかった。
捉把もまた、自分一人を見てくれる存在が稀有であり、相澤に対する信頼感は本人が自覚するよりも深かった。受験のオールマイトの訓練は、主体が出久であったため、自分には特に無い。しかし、相澤は意識を自分に傾注してくれる、母親以来に深く接した大人だった。
ふと、捉把は悲鳴を上げる腕で上体を起こして相澤の背中に質問を投げ掛けた。
「……ただ、特別補習で時間取ると、合理性に欠くのでは?」
「安心しろ、その為の“とっておき”を用意した」
「まるで私が最初から下手すると考えていますね」
「一位獲っても、仕出かしそうだからな。……まぁ、楽しみにしている」
楽しみにしている――その相澤の言葉に、捉把は珍しくも誠意で応えようと誓った。口にせずとも、彼が期待していると判って胸が躍る。
置き去りにされた飲料水を手に取ると、紙が貼り付けられていた。紙面に記された文字は、『運動後に半分は必ず飲みなさい』。もう一度ペットボトルを検めると、相澤が愛飲する栄養補給飲料水――味が最低だが一日分のウンタラカンタラが摂取できる物。
一口含んで飲んでから、去って行く相澤に一礼した。
「やっぱり、不味い」
*************
ある日の下校時間、体育祭まであと僅か。
鞄を手にし、勝己に引き摺られて帰ろうとする中で騒々しい廊下の様子に皆が立ち往生していた。開け放たれた引戸の前を生徒が埋め尽くしている。人の壁が形成され、見事に閉鎖されてしまった。麗日が先頭に立って眺め回している。
好奇心に駆られて出ようとしたが、捉把はがっちりと腕で勝己の隣に固定された。疑問を浮かべる峰田に辛辣な一語を語尾に付け加えて説明する彼に、捉把は震える峰田に謝罪しながら後を追う。
USJ襲撃戦の噂は既に校内全体に伝播している。入学から日が経っていないのに敵との激戦を経験し、耐え抜いた生徒だからこそ、体育祭では何よりも強い敵対勢力として注視を浴びるのは当然の理。
集団に見られても傲然としている勝己の態度を崩してやろうと、腕を絡めてみたが、いつもの様に恥ずかしがる様子は無かった。注意深く、油断無く彼等を見回して抜け道を探している。珍しく慢心も無く、蔑視もしない勝己の面構えだった。
「意味ねェからどけ、モブ共」
「ごめんなさい、彼はシャイなんです」
「喧しいわ!」
補足は間違っていたらしい。
捉把が頭を撫でると舌打ちして鎮まる。最近判明した爆豪勝己の生態であり、よく頻繁に利用していた。食生活改善で失態を晒すと激怒し、一から料理を叩き込む勝己の勢いを止めようと不意に撫でてみると効果覿面だった。因みに誉め言葉を付属させると尚効果は高い。
すると、前景を遮蔽していた団塊の中から、一人が前に進み出た。額を晒し、出久よりもやや柔らかいが暴れた髪型の少年。目の下には隈が見られて、勝己とは対照的に静かで不気味な空気がある。
捉把と勝己を交互に見て、ヒーロー科に幻滅した様子であった。普通科の生徒であるらしく、ヒーロー科に対する大胆不敵な宣戦布告を始める。
普通科の生徒は、入学後の成績によってヒーロー科への編入する制度があるのだ。受験で失格した者達の漂流先、或いは溜まり場が普通科であると称する彼は、だからこそ合格した面子に対する戦意が滲み出していた。
捉把にとって、教室前に集った学生の中でも、特段この男子生徒が苦手と感じる。無意識に勝己の背後に回ると、その生徒が卑屈に笑った。恐れをなしたと見たのだろう、逆に勝己は腕ではなく捉把の手を強く摑んだ。
捉把はふと、USJの時の安心させる体温と感触を想起し、自分も少し身動ぎして彼の掌と自分のそれを合わせると握り返す。
もう一度だけ、普通科代表で現れた少年を見返すと、先程よりも印象が緩和されていた。成る程、精神安定剤として勝己が適切というのは、大いに笑い話になると内心では自嘲する。
B組の生徒まで駆け付け、獲物を狙う鋭い眼光ばかりが募る。強い敵視を向けられるのは、実力を認められているからと受けとるには、少々難しい。中には楽勝だと言わんばかりに笑っている連中さえそこかしこに見受けられた。
勝己の精神を逆撫でしないかと怖れたが、至って本人は冷静である。
「しかも、恋人と呑気にイチャ付いて間が抜けてるっつーか」
「俺のモンだ、口出すなモブが」
「公然と嘘を付く度胸だけは誉めるね、勝己くん」
「あ?じゃ手ェ放せよボケカス」
「え?嫌だよ」
衆目の面前で手を繋ぐ二人の会話、もはや見せ付けているとしか思えなかった。団塊の一部が絶叫、或いは呪詛を唱え始め、怒りの奔流が更なる渦を作る。悪化していく廊下の様相とは対岸の位置で、峰田の血涙が床を汚し、それを尾白が掃除していた。身内にもまた一人、何故か敵意を剥き出しにする者がいる。
暫く罵声も混じる喧騒が教室を包囲した。
元より燃えていた彼等に点火したのは勝己の態度である。これ以上の事は無いかと出久や皆の視線が集まる先で、勝己は集団の行動を恰も茶番劇の様に見詰めていた。
敵情視察に赴く心意気は認めるが、顔を見る事しか出来ない教室に来ても得られる情報は皆無。この時間を鍛練に充てる事こそ、体育祭で真に勝利を狙う者の然るべき行動――最初の勝己の言葉には、そういった含意がある。殆どが罵り口調の所為で伝わり難いが、捉把は読み取った。
やがて勝己は集団の間を押し退けて進み始める。後ろではクラスメイトの批判が殺到するが、捉把を引き寄せながら肩越しに言い放つ。
「上に上がりゃ、関係ねぇ」
勝己の言葉に何人かは胸を打たれた様だった。
切島は感動で微弱に震えている。
「く……!!シンプルで男らしいじゃねぇか」
「切島くんの頭も単純だね」
「男、って感じだろ!?」
「そういう事にしておくよ」
常闇もまた、得心顔で頷いた。
「上か……一理ある」
「騙されんな!無駄に敵増やしただけだぞ!」
捉把は騒めく一同の環を切り抜け、勝己と共に校舎を行く。
「勝己くん、前夜には勝己くんのご飯が食べたい」
「忙しんだよクソが。――要望言えや」
「和風ハンバーグ」
「はっ、気が向いたらにしてやる。精々楽しみにしてろ」
「楽しみだなぁ」
当日前は、完璧な和風ハンバーグを腹に収められた。
*************
当日、会場に集まるのはヒーロー会社、その他関連の大手企業の重鎮達、全国テレビ放送のカメラ、更には国民まで観戦に来訪する。オリンピックさながらの光景、誰が見ようとも圧巻である。果たして、今日は新たなヒーロー界の新星となる兆しを見せ、会場を興奮の熱で席巻する“ヒーローの卵”がいるか否かが問われる。
待合室でクラスメイト達と待機中の捉把は、天井を揺らす歓声と気迫に早くも脱力しかけていた。勝己は精神統一を図り、腕を組ながら瞑目し、パイプ椅子の上に胡座を掻く。椅子を幾つも連結して寝台を拵え、その膝の上に頭を乗せて寝ているのが、現在の彼女の状態である。
捉把が室内を目的も無く見回していると、轟が出久へと近付いて話しかけていた。深呼吸の途中であったのもそうだが、普段は会話もしない相手から突然接触されて当惑する出久に、全く構わず轟は続ける。
「緑谷」
「轟くん……何?」
出久と轟の会話に、勝己が目を開けて振り返る。やはり、彼等の行動には注意が惹き付けられるのだ。
「客観的に見ても、実力は俺の方が上だと思う」
「へ!?うっ、うん…」
「おまえ、オールマイトに目ぇかけられてるよな、別にそこを詮索するつもりはねぇが――おまえには勝つぞ」
クラス最強からの宣戦布告。
勝己の表情は芳しくない、しかし捉把の諫言もここで怒りの火勢を助長する薪にしかならない。
不安げに相貌を歪めていたが、出久は訥々と胸裏を吐露し始めた。
「轟くんが何を思って僕に勝つって言ってんのか…は、わかんないけど…。そりゃ君の方が上だよ、実力なんて大半の人に敵わないかもしれない。客観的に見ても…」
「緑谷もそーゆーネガティブな事は――」
「黙って」
跳ね起きた捉把が切島の頬を叩く。
その直後、緑谷の決然とした声音が響く。
「でも……!!皆……他の科の人も本気でトップを狙ってるんだ。僕だって……遅れを取る訳にはいかないんだ。
だから――僕も本気で獲りに行く!!」
「……おお」
勝己が椅子から立ち上がる前に、捉把はその胡座の膝の上に座った。怒りから一転し、目を見開いて驚いた彼の両の頬を手で挟み押さえる。
「悪いけれど、私もトップを狙ってる」
「……そうかよ、なら叩き潰したるわ」
「上等、君にも勝からね。さて……闘魂注入、スタート前のヨーグルト」
捉把は一気に机の上に置いてあったヨーグルトを食べた。
同時に一年生の入場が始まり、捉把達は待合室から出る。
会場へ続く暗い一条の廊下を突き進む皆の足取りは、今や覚悟で一歩ずつが力強い。先頭を歩く出久もまた、何かを呟いて会場の外へと出た。
沸き上がる歓声に歓迎され、捉把達は全身の骨まで震える感覚に襲われる。続くB組、普通科、経営科などの入場が恙無く完了した。
用意された壇上に『18禁』ヒーロー・ミッドナイトが登場した。極薄スーツに身を包み、体の線は服を着ていないも同然に、あられも無く晒されている。峰田の歓喜が凄まじいが、ふと捉把はふと勝己を見た。平然と見ている彼だが、何故か捉把は不快感を覚え、本来の立ち位置を外れて勝己の両目を手で塞いだ。
「?何の積もりだクソ女」
「いや、何というか、見ないで」
「あ??」
常闇によって引き戻され、勝己は入試一位として学年代表を担い、壇上でマイク前に立つ。捉把は長引く不快感に、元凶たるミッドナイトを睨むと彼女は視線に気付いて嫣然と微笑む。大胆な宣誓を告げ、生徒全員を挑発する彼の肩に、ミッドナイトは腕を組んでいた。
勝己が気にせず、眼下の生徒に挑発の言葉を飛ばしているが、その一切気にしない様子に捉把は甚だ不満を掻き立てられた。勝己は列に戻る際に、出久の肩へ故意に自分の肩をぶつける。
戻ってきた彼の足を、捉把は爪先で蹴った。
「あ?いい加減にしろや」
「……別に、何でも無いよ」
「んでキレてんだよッ……あとで問い殺したるわ……!!」
「何処かの外道神父みたいな事を言うね」
捉把の不機嫌など、いつもの無表情にしか見えず、誰も判らない。勝己が睨むが、捉把はそれを弄ぶ事もせず、珍しく無視していた。
そんな会話をしている内に、ミッドナイトがモニター前に立つ。画面に浮かび上がったのは、生徒が挑戦する体育祭の醍醐味であった。
第一種目――障害物走。
全11クラスの総当たり、全員が平等に競う(厳密に言えばサポート科は道具使用可)舞台は、スタジアムの外周となる約4㎞。その道程にある『障害物』が何であるか、その一点に捉把は疑問を懐く。
ちらりと獣のごとき視力で解説席を見れば、包帯で巻かれた相澤が見ていた。親が観戦していない今、見せたい相手となれば彼ぐらいだろう。
捉把は一呼吸してから、スタートの合図を待つ。
「見てて下さい――先生」
『スタ――――――――――ト!!』
体育祭始まりでっせ。
よし、次やな、次やで次。