体育祭で常に先頭を争った出久と轟の戦闘。
その火蓋が盛大に切って落とされた。
その時、捉把の視界に暗幕が降りた。
体育祭のスタジアムから変転し、景色が陰湿な闇を湛えた試験管の並ぶ景色に変わる。奇怪な生物が溶液に浸され、中には一部が崩れた人間すら見受けられた。地面の殆どがそれらに繋がるパイプ菅によって足場が無い。
捉把の立つ目前で、女性が子供を抱えて踞っている。その背中に既視感のある捉把は、直ぐに誰かを悟った。――母だった。
しかし、知っている姿と少し異なる。頭頂に狐の耳、尻尾を持つ女性の姿だった。目鼻立ちと、何かを叫ぶ声で母なのだとは分かるが、自分が知る彼女とは大いに違う。
そして、抱き締められた子供は、恐らく幼少の自分。それもまた、今とは違い獣の耳も尻尾も無い、極めて“個性”が存在しなかった世界でいう“普通の人間”の容姿。
闇の奥から歩み寄る影があった。
全身の所々に靄が掛かり、ただでさえ暗室の中とあって全く顔すら見えない。体格は非常に良く、スーツ姿であったが、体に幾つもパイプ菅が接続されている。
母が自分を背に庇い立ち、男の前に身体を張るが、一瞬の後に彼女は地面に倒れて苦悶し始めた。転倒した母を踏み越えて、自分へと手を差し出す。
『子供というのは親の期待に応えてくれると聞いたけど、予想以上の成果だ!“僕”が確り継承されている!』
屈んだ男は、小さな自分の両肩を優しく摑み、後ろへと向けさせた。捉把も二人から視線を外し、背後を顧みる。振り向いてはならない、そんな拒否感と予感が筋肉を麻痺させるが、景色全体が回転して視界をそちらへと誘う。
床を覆う一面の赤。
散乱する死体の中には、試験管の怪物も居る。いや、どれが誰の物であるかすら判別の付かない大惨事だった。後頭部を擽る母の呻き声、前へと男に催促されて一緒に進み出る小さな自分。爪先が血に濡れて、それを無感動に見下ろしている。
男は愉快そうに笑った。あたかも我が子の善事を誉めるかの如く、隣に居る小さな捉把の頭を無造作に撫でる。
『素晴らしい――愛してるよ捉把』
肚の底から竦ませる様な含み笑いで、男は再び幼い捉把を催促する。今度は踞る母親の方へ。付き従う子供の指先に付着した血が断続的に落ちて、母へ繋がる標となって地面を汚す。
母が顔を上げた時、男はその頭を鷲摑みにした。そして片手は捉把の背中へ優しく触れさせる。子供の自分は未だ何も判らずに、男と彼女を交互に見遣る。
『いつか帰って来なさい、我が家へ』
男の笑顔と共に、母と捉把の体が光を放った。
**********
捉把の意識が浮上する。
暗中からスタジアムへと引き上げられた。観客席を突き抜けた一迅の風に吹かれ、階段に倒れ掛けるが、幸いにも背後で観戦に夢中となっていたエンデヴァーの胴に凭れ掛かって回避する。訝って見下ろす彼に礼を言って、その場に腰を下ろした。
舞台の上は、氷壁の残骸と暴風に巻かれた。正対する轟の半身は霜が出来ており、出久の右の五指は歪み左腕は力無く垂れている。対象の沈黙を図る氷結と、爆裂する超金剛力の激突は観客席に物理的な圧力を与える迫力だった。
機動力、応用力……何を取っても強豪と称しても相応しい轟だが、先程から調子がいつもと違う。
体育祭前に調整について、出久は骨折や自傷を免れる為の身体許容上限まで全身を強化した術を会得した筈である。ところが、現在は回避したかった反動を敢えて甘受し、全力で轟の技を封殺していた。轟の全身の震えが酷くなる程に減速する連続攻撃、減退する攻撃力。その分、出久は前へと出る。
出久の身体が翠の電流を帯びた。途端に身体能力が上昇し、相手までの間隙を疾駆する。特訓の成果か、発動の所要時間と制御意識の持続を問題視しない面構え。正確に“個性”の出力を過たずに動く。
轟はもはや氷結は意味を為さず、飛び越えた敵の空中から振り被られた回し蹴りすら受け止める事が出来ない。辛うじて顔を庇った腕もろとも威力で弾かれた。地面を跳ねて転ぶ。出久の蹴りは型も無い、云わば素人の使う喧嘩技。それでも効果的な打撃となった。
壊れた腕を使わずに平衡を保って着地し、追撃に走ろうとして停止する。やはり、些細な動作にも激痛の伴う重傷であり、体育祭の範疇を超えた命懸けであった。
力の入らない全身が煩わしく、内側から冷却された己の体に苦しんでも立ち上がる轟。前を向いた瞬間には、腹部に出久の右拳が捻じ込まれていた。吹き飛ぶ前に左腕を氷結させて倒れる。
捉把の目には審判達が耳の通信機を押さえ、密かに話していると判った。恐らく、出久の負傷の激しさから戦闘の見計らいを詮議しているのだろう。
父親から継承した左の“個性”を使わず、右のみで勝利し頂点を獲る所存の轟。成る程、父への確執や拒絶からすれば、正しく今の彼は全力。しかし、それは“本来の轟”の力量ではない、“父を否定する者”としての強さだけだ。夢を叶える為の強さとは程遠く、脆弱で浅はかな信念。固執する事で視野狭窄になり、憎悪によって進む前に懐いていた夢は外へ追いやられる。
理想のヒーローは――そんなモノは無い捉把だからこそ、轟の目の奥に自分とは違う、明瞭な目標の光が垣間見えた。いま、体育祭をそれで制すると標榜した彼に、出久は憐憫と悲憤を胸にして戦っている。
常に全力でヒーローを志し、また全力の皆と競い争い高めあった短期間で、その重要性を見いだした。ただ個人の憎しみを遂げる為の全力に何の意義がある、そんな信念の元に揮われた力と向かい合った者を、敗けた者の気持ちを考えられるのか。
だからこそ、出久は調整した筈の力を全開放し、自損覚悟の“全身全霊”で轟の奥にある“本来のカタチ”を削り出そうとしていた。
「何でそこまで……」
「期待に応えたいんだ……!笑って、応えられるような…カッコイイ
苦しみ足掻いた時期、その末に報われた時、更なる先を見据えられる喜びを知っている。自らの憎悪で
「――なりたいんだ!!」
轟の表情が更に曇る。何かを躊躇い、苦しんでいる。
接近した出久だったが、腕が意志に追い付かずに動かない。身体許容上限まで強化した脚で蹴り上げれば威力は高いが、左腕と同じく氷結を受ければ致命的である。何より、今や轟は右の能力が上手く使用できぬ窮状で、大きな攻撃には出れない。
出久は思考を巡らせた結果、頭突きで彼の胸を打つ。
後方へと踏鞴を踏んで引き下がる轟。
「だから全力で!やってんだ――皆!君の境遇も、君の決心も、僕なんかに計り知れるものじゃない……!でも……“全力”も出さないで一番になって完全否定なんて、フザけるなって、今は思ってる!だから、僕は勝つ!」
「うるせぇ……」
右が発動しない。
肉薄した出久の拳が無防備な轟を穿つ。
「君を超えて!!」
轟が後方へと盛大に吹き飛んだ。
出久の苦痛に歪む相は、それでも轟から目を逸らさない。真正面から彼に向かって行く。一つひとつ、一撃を叩き込む度に自分と相手の心を隔てる障壁を打ち破る。距離を潰し溝を跳び越える一足、逃げる相手を摑み訴えかける拳。
轟は既に満身創痍だった。“個性”の影響を差し引いて、精神状態も冷静で強壮だった平時の彼ではない。出久の特攻によって、心の氷が剥落した本来の姿である。
立ち上がる轟と、叫ぶ出久。両者の決闘は、これまで行われたどの戦闘とも異なる様相を呈する。エンデヴァーの芳しくない表情、騒めく観客やヒーロー、危険な機を見計らう審判。
「親父を――……」
「君の!力じゃないか!!」
轟の表情が消えた。
出久が前に踏み出すと、舞台上で大きな火柱が天を衝く。あまりの火勢に立ち止まり、炎の中から姿を現す対敵を喜びと戦きが混在した面持ちで見る。
エンデヴァーの凶相に笑みが浮かんだ。
捉把は自分の膝に頬杖を突いて微笑む。
「カッコいいよ、二人とも」
業火を左半身から迸らせ、薄く涙を浮かべた轟が出久に迫る。
「俺だって……ヒーローに――!」
轟焦凍の殻が破れた時だった。
「……凄いや」
「何笑ってるんだ。……どうなっても知らねぇぞ」
轟の“個性”が何の柵も無く発動する。
出久の右腕と前足に帯びていた袖と裾が、内側から躍動する凄まじい力の運動に引き千切られた。尋常一様ではない突風が周囲一帯に吹き荒び、審判達もそれを悟って動き出す。
踏み込んだ轟の足下から氷結が前方へ奔り、出久は踏み込んだ前足で跳躍する。高速で接近する両者の右腕と左腕が重なる様に振り出された。
「緑谷――ありがとな」
寸前で幾重にも壁を展開するセメントスだが、二人の中間地点を爆心地として暴発した力の衝突が、それらを無にした。轟音が空間を支配し、地面を走った亀裂から刹那で瓦解する舞台。呑み込んで行く衝撃波で土煙と砂塵は上空まで柱の如く衝き上げられた。会場全体を引き裂かん爆風の猛威に観客席のプレゼントマイクまで驚倒している。
捉把は咄嗟にエンデヴァーの背後に回って爆風を凌いだ。座席の背凭れでも耐えるのが厳しく、皆が前の席に縋み付いている。
猛威が過ぎ去った後に立ち煙る煙幕の中、観客達は沈黙した。注目される舞台で、次第に晴れて行く視界。舞台の上に立っていたのは轟一人だった。彼の向く正面の先にある壁面では、意識を失って倒れる出久が居た。
勝者を告げる声と観客の声が重なり、再び騒音に包まれる。エンデヴァーは勝者の息子を迎える為に、捉把を置いて動き出す。
捉把もまた、次の飯田との対戦の為に階段を駆け上がったが、その途中で一度だけ舞台へ振り向く。其所では、轟の茫然とした、それでも以前より晴れやかな顔を見る。
「……うん、大丈夫かもね」
捉把もまた、憂慮する事もなくスタンバイしに行く。
今回が良い経験となっただろう。小さな切っ掛けでも、これは轟の心中を大いに覆す出来事だ。これまで触れ得る者のいなかった奥底に、出久に切り開かれた道がある。否、出久によって再び前に現れた望んだ夢への方向を捉え、指導するだろう。
捉把はセメントスが修復する舞台へと向かう途中で、大きく破けて諸肌脱ぎのような体操着の轟と出会う。
「君にしては熱い戦いだったね」
「……空狩は、親父と見てたのか」
「軟派された」
「そうか、何を貰った?」
「鋭いね、たこ焼きとフランクフルト」
「……おまえが話さないなら、それで良い」
轟が隣を通過する際、その肩を叩いた。
「轟くん、あの“賭け”だけど」
「ん、ああ、あれか」
出久の一回戦終了と同時に、捉把を巡って争う三人の男子の私的な戦。
「私が優勝した場合、君達の報酬は無効になる」
「……確かに、そうだな」
「じゃあ、その時は私が一人ずつに個人的な依頼が出来る、それで良い?」
轟は暫し考えてから首肯した。
「ああ、俺は構わない」
「それでは、轟くんは……――体育祭の後、美味しい蕎麦をご馳走して」
「……俺の姉の蕎麦で良いか?」
「よし、決まりだね。楽しみにしているよ」
***********
修復された舞台上に、飯田と捉把が対峙する。
あまり言葉を交わした機会は無いが、クラス委員長と問題児の対決である。
飯田にとって、空狩捉把は未知の存在。普段は相澤に説教を受けている彼女だが、改善の気配は一向に見られない。しかし、ヒーロー基礎学での戦闘訓練で轟と互角に渡り合う他、先のUSJ襲撃戦でもオールマイトを苦しめた脳無と同様の生物を単騎撃破した実力。体育祭での活躍も重ね、最大の警戒対象に値する理由は充分だった。
分析すると、あらゆる獣の生態を己が肉体で再現する『獣性』、一定の範囲に望むままの効果を発揮させる『空間』。どちらも強力、飯田が正面から彼女に勝るとすれば機動力のみ。一回戦を終えてから観戦席を長らく外していた上に、騎馬戦で心操に洗脳され、“アレ”を見ていなかった――その一点に懸け、彼は最初から全速力を放つ心積もりであった。
何故か、開始前からミッドナイトに冷たい眼差しを送る捉把。挑発気味に笑う審判と火花を散らしている。飯田を前にして、他者に構けるこの余裕!脚の機構を最大出力に設定し、合図の時を待つ。
やや不満げな捉把の顔が飯田を見詰める。渋々構えた彼女の視線は、ちらりと解説席を見遣った。知っている、放課後に相澤と特訓に勤しんでいた事は、クラス内では周知されている。その点もやはり恐ろしい。
ミッドナイトが両者の立ち位置を検め、審判に一瞥を投げ掛けてから、手元の鞭で足下を撓り打った。
『始めッ!!』
乾いた音と共に出された合図。
飯田が全速力で疾走した。
彼我の距離をたった一秒余りで潰す。これには捉把の驚愕しており、その隙を衝いて飯田は捉把の隣を過ぎると同時に襟を摑んだ。
やはり予想以上の行動速度に動揺し、狼狽えている様子。相手が踏ん張る前に、再出発した。無抵抗な彼女に速攻で仕掛け、舞台の端にある枠線まで持って行く。このまま相手に真価を発揮させる猶予など微塵も与えずに勝つ、それこそが飯田の戦法。
際まで手に摑んでおり、いざ叩き付けんと腕を引こうとする。しかし、いつの間にか手元から重量感が失われた。次に背にぶつかる衝撃で前に蹌踉めく。線の前で踏み留まり、驚いて振り返った飯田の視界が、捉把の靴の足の裏に蔽われた。
飯田は己の失策を悟る。無抵抗だったのは、敢えて自分を際まで移動させる事。寸前で拘束さえ解いてしまえば、逆に追い詰められるのは……――!
捉把は上着を脱ぎ捨てた姿で、足を振り上げていた。体力の消耗という不覚を前線で晒していた故に、今度は最低限しか“個性”を発動せず、最小限の攻撃で相手を速やかに倒す策に出た。飯田の高速移動は想定しており、実際の体感速度はそれ以上だったとはいえ、枠線まで持って行かれる数秒も猶予があれば事足りる。
踵だけは地面から離さず、上着だけ摑まれているなら、適当な時に脱いでしまえば、置き去りにされる。慣性の法則に従う身体には、両腕を犀の胴に変えてしまえば圧倒的質量によって数歩で静止する。
後は直ぐに解除し、背後から蹴りで相手を突き放す。これで枠線を出れば畳重だが、それで踏み堪えられた場合は追撃である。こちらを向くや否やの機を狙い撃てば、不安定な姿勢と焦る意識もあって効果は高い。動揺で彼はすぐに攻撃へ移行できない。
「残念だったね、眼鏡くん」
「ぼ……俺は飯田天ブガッッ!!」
捉把に顎を蹴り上げられ、眼鏡を頭上に飛ばして転がる。舞台の上を落ちた飯田を見下ろしながら、捉把は宙に舞い躍った彼の眼鏡を摑み取り、自分に装着する。
「委員長の座は私が頂いたよ」
「そんな賭けはしていないんだが!?」
「やばっ……これ度が合ってな、目が痛いし、あの人とお揃いみたいで嫌だな」
捉把はアイマスクのミッドナイトと見比べ、舞台の外に居る飯田へと眼鏡を投げ渡す。
『勝者――空狩捉把!!』
勝利者宣言に歓声が沸く。
捉把は擬装した笑顔で両手を振り、全方位から浴びる声に応えた。沸き止まぬ声の波、殆どが艶かしい少女の肢体に興奮した男性の本性である。峰田や上鳴までもが、何処から取り出したか『空狩捉把』と掲げる団扇を振り回しており、勝己によって即座に灰塵と帰した。
解説席の相澤は嘆息する。
『ヘイ!どうしたミイラマン!?お前もあの子で目を養ってブッ!!また肘ィ!?』
『空狩、調子に乗って羽目外すな』
相澤の声に、捉把は首を傾げたが、飯田に差し出された上着を軽く羽織る。先程とは一転して暗い声、観客席の一部からは「よくぞやったぞ小娘ェェエ!!」と叫ぶ炎の巨漢の大声や、爆発音などが聞こえる。……どちらも聞こえなかった事にしよう、それが平和だ。
捉把と飯田は一礼して退場した。
観客席への通路を辿る前に、エンデヴァーが立ち塞がる。注文していないが、既に片手に昼食弁当二人前を用意していた。
「……おじさん、これから頼もうと思っていたのに。やっぱり、コンビニ弁当は無難で良いよね」
「ふん、貴様ごときの思考なぞ読めるわ」
「いや、自分から買ってくれるとは。私の事大好きだね」
「ム……頼まなかったか?」
「頼んでないよ」
「………………。クソゥ!!俺は……俺はまた……!」
悔やむ無惨な大人を取り残し、捉把は通路の角を曲がって、轟と遭遇した。静かな彼は、通路先で聞こえる父親の苦悶の声に眉を顰ませた後、捉把の手元にある弁当に視線を留めた。
「存分に財布として使ってくれ、あんなヤツ」
「良かった、これで心置無く奢って貰えるね」
「……次の対戦、宜しく頼む」
「うん、全力で……ね」
「ああ」
次は準決勝――轟との対決である。
~おまけ~
轟が去ろうとしたが、捉把は腕を摑んで止めた。
「“賭け”の事だけど」
「何だ」
「左も使って私を倒したら、三人の勝負とは別として報酬に」
「……報酬に」
「何でも言うことを聞いてあげるよ」
轟は沈黙し、複雑な表情になった後に再び歩き出した。
「……考えとく」
「よし」
捉把もまた立ち去ろうとして……
炎の巨漢が後ろに現れる。
「貴様ァァァア!!これまでの分を――」
「ありがとう、おじさん大好き」
「請求してや――」
「それじゃ、もう行くね。ありがとう」
「ヌゥオオオオオオオ!!!!!!」
颯爽と退散する捉把と、燃え上がるエンデヴァー。
それを遠目に、角からオールマイトが見ていた。
「(うわぁ……私もアイスを奢れと言われたけど、ああはならなくて良かった。というか、エンデヴァーの炎が凄ぇ……)」
ふう、書けた。次や!