教室で静かな時間を過ごす。
初秋の風は未だ熱を帯びているが、外気の温度はそれを上回るため、一度吹き抜けば皆は涼風と言う。感覚を利した詐欺ではあるが、結局はそれが憩いである事を否定できず、猫耳の中学少女――空狩捉把は、顔には出さずとも心中悔しげに歯軋りした。
受験本番まで残り四ヶ月に迫る中、未だ和やかな空気を見せるクラスの面々。雄英高校を志望する人間として、LHRにて進路に関する話題で質問攻めに遭ったが、今や皆が其々の旅路に向けての下準備を始めているため、捉把に集っていた人の環も消えている。
捉把は基本的に寡黙であるが積極的な行動、高い学習能力によって好成績を維持していた。無論、三年初期から何者かによる掩護で確固たるものになっているとは、教師陣も未だ知らぬ事。
人物像は才色兼備、容姿端麗の優等生と聞こえは良くも、クラスでは友人関係が疎かで孤立気味だった。爆豪勝己を弄びに行きたいが、彼曰く「校内で気安く絡むなクソが」らしく、自重している。
しかし、孤独ではなかった。マイペースな性格が幸いし、話題に付いて行けずとも落胆する事は無く、寧ろ皆が話しているのを聞いているだけでも楽しかった。だが、やはり彼女も人の子であり、話し相手を求めるのは必然の理。
弁当を手にした捉把は席を立ち、教室で静かに食事をしている友人の机に移動した。無言で彼女が動くと、男子生徒が機敏に察知するのは周知の事実。その一挙一動が注視の的となるのは仕方ない。
この時ばかりは捉把も周囲を気にしたが、歩調を緩めずに目的の座席の前に椅子を拵えて座る。対面するように座ると、座席で何やら独り言を呟いている友人の頭頂に手刀を叩き込む。
「出久モード中断」
「あたっ!えっ、あ、空狩さん!?」
「そこはプリティキャットで良いんだよ」
捉把の冗談に、友人――緑谷出久は朗らかに笑った。
繁茂する樹林の如くもじゃもじゃと膨らんだ緑の髪に、円らな瞳とそばかすが特徴の少年。気弱で幼い頃から爆豪某による冷遇を受けているが、それでも日々憧憬するヒーローに向けて邁進する強い精神力の持ち主である。
他人に気圧されて道を譲る性格、それでも時折凄まじく頑固で譲歩すら許さない一面があり、大抵が弱者を虐げる相手への義憤に任せ、行動に移す――云わば、根幹からヒーロー気質である存在。
捉把の人生でも稀有な人柄で、優柔不断で困惑する様子に愛嬌を覚え、弟も同然に接している。
しかし、最近は疲労の色が濃く見受けられ、目許の隈や顔色から鑑みても健康とは言い難い。授業中も密かに筋力トレーニングや居眠り、早朝から何処かへ出掛ける姿を何度か目撃(用事で偶然にもすれ違った)した。
志望校のヒーロー科合格に向けた増強によって、着衣時は判らないが、その筋肉は成長している。それでも友人として捉把は、些か心配になってしまう姿であった。
「出久くん、無理は禁物だよ」
「……僕は、空狩さんやかっちゃんみたいに、凄い人になりたいんだ。それに、期待だってされてる、だから……」
「成りたいモノを目指すのは良いよ。でも、その為にも自分の体を考えて」
「でも……」
「頑張り屋さんの君に期待してくれる人は、きっと倒れる事を望んでない。私だってそうだから」
捉把の言葉に口を噤み、出久は頭を下げた。
「ごめん……ありがとう、空狩さん」
「礼には及ばないよ。唐揚げ一つで許すから」
「あはは、矛盾してる……」
捉把は箸で相手の弁当箱から唐揚げを取り、口許に運ぶ手を寸前で止めた。すると手元を翻し、怪訝に思って見つめる出久の口に突っ込む。強引に入れた所為で、白目を剥きそうになっていた。
唖然とする彼に微笑んだ。男子生徒がカメラを起動させる寸前で、女子生徒による鉄拳を喰らって吹き飛ぶ。貴重な一枚は、いずれ量産され多くの人間が買い募る事となる未来しか無い。阻止した女子生徒に、他の全員が拍手している。
そのクラス風景のなかで、呆然とする出久は瞬く間に赤面した。
「むぐっ!?んっ……ちょ、空狩しゃん!?」
席を立った捉把は、出久の足下に屈むと、脚部や胴、腕や肩を服越しに撫でる。艶かしい動きに思わず生唾を呑んだのは男子だったが、出久ばかりは表情に異なる色を浮かべていた。
捉把が神妙な顔である、珍しかった。黙って検査を受ける出久は、暫し黙り込んだ彼女の言葉を待つ。
「食事、何か具体的なメニューに従って生活してる?」
「え、あ、うん」
「見せて」
出久は食事制限について、ある人から頂いたメニューを手渡す。内容を検めた捉把は、頭を横へ振る。
「これでは駄目。体に全然吸収されない」
「そうなの!?でも……」
「出久くんがそこまで言うなら、任された」
「何も依頼してないっ!?」
彼女の真意が判らず、始終当惑する出久の前で、捉把は紙の裏にペンで何かを書き付ける。何度か虚空を睨んで、腕を組んで物思いに耽る仕草をしたり、修正を加えたりと手元は忙しい。黙視するクラスメイトの視線など空気の如き扱いであった。
書き終えた捉把は、出久にそれを渡した。
改善されたメニューは、およそこの場で即座に組み立てたとは到底思えぬ計画性に基づいて構成された物だった。これを目にして、彼も漸く悟った。
筋肉の発達の程度、手触りで確めた硬さなどで疲労具合、日々見ている居眠りの時間帯や頻度や復調までの所要時間の平均、そして食事メニューから摂取される栄養等の諸情報を脳内で統計したのだ。
この場で、それも出久の鍛練法を全て把握していないにも関わらず、この身体を考えた彼女なりの最適な解答を導き出した。
「……やっぱり、凄いよ空狩さんは」
「それで頑張って。もし良ければ、君のお母さんの手伝いもするよ」
「いや、充分だよ、本当にありがとう」
微笑んだ出久、しかし――
「ところで――この『夜食のアイス』って何?」
「しっかり食べるんだぞ」
「もしかしてこのメニュー、アイスで完成されてる!?」
修正しました。
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「これは――夢なの……?」
緑谷引子は、玄関で出迎えた息子と、彼が伴って帰宅した人物に瞠目する。隣に立つ美麗な少女に、言葉を失っていた。予想通りの反応に、出久は含羞に顔を紅潮させて俯く。飄々と構えているのは捉把のみだった。
未だ動揺の熱も冷めぬまま屋内へと案内する。挨拶をして入る捉把に、未だ信用できないといった面持ち。
出久は断っていたが、立案者であり初日とあって効果の如何を確認したい捉把の言葉あって、今夜の食卓に参加する為に緑谷家を訪れた。
引子は息子を引き寄せ、小声で話す。
「あんな可愛い子、一体どうしたの!?」
「クラスメイト、なんだけど……少し変わってて」
「知ってるわよ、あの勝己くんのお嫁さんでしょ?」
商店街で有名となれば、主婦の間に伝聞が広まるのも必然である。将来有望な勝己と、彼を唯一制御しうる美少女との風聞であり、事実とはあまりに異なるとはいえ、外観としては誰にもそう映ってしまう。
耳敏い捉把は翻身し、出久の腕に身を絡めた。もはや銃弾すら防がんばかりに硬直する出久と、膝から崩れ落ちそうになる引子。
「踏めば唸るだけが能の爆弾より、可愛くて気遣いが出来て優しい出久くんの方が好みです」
「え、えええええ!?」
「尤も、この子は私にとって可愛い弟です。恋愛対象として、あの地雷も出久くんも論外ですからご安心を。きっと息子さんは将来、良い恋人を連れて来ます」
「あ、そう……」
やや悄然とする出久の隣で微笑む少女に、引子は戦いて引き攣った笑顔になった。
それから夕飯の仕度を引子とした捉把は、夜のランニングから帰った出久に新メニューの食事を供する。「捉把ちゃんの手作りよ!」と息巻く引子を諫めた。
いや、実際には引子の手腕のみ。
捉把は指示しか出していない。
出久は一口目から驚愕を味わわされる。以前のメニューとは違い、激しい運動後にも胃が受け付ける優しい献立だった。皿の上を眺めると、素人でも判る栄養が充分に備わった簡単に作れる物だった。
滂沱の感涙を流し、けれども手を止めずに食する姿に捉把は満悦の相で頷く。引子の負担にならず、出久の体を可能な限り癒す食事――これを考案した己を自画自賛していた。
皿を平らげた出久が篤く礼を言った。これは重畳、思い残しは無い。
自分の分も完食した捉把は、片付けまで手伝った後に帰る事にした。引子の指示もあり、出久が途中まで見送りに出て行く。
同じ中学校に通学する事情もあり、近所であるため、あまり意味が無いとも考えたが、気紛れに夜道に出久を伴って歩く。帰り際に引子と連絡先も交換し、交遊関係も築けたとあっていつも以上に上機嫌だったが、やはり表情が希薄で余人には読み取り難い。
「空狩さんは、受験に向けて何かしてる?」
「私……?」
「!あっ、愚問だったよね!君が何もしてないなんて――」
「やばい、何もしてない」
「――へぁ?」
真面目な顔で夜空を見上げて呟いた捉把の言葉を疑った。出久は暫し放心してから、それでも残酷な現実に引き戻されて悲鳴を上げる。
捉把とて、準備もせず受験に挑戦する積もりは無かった。勉強面は勝己という秘密兵器を十全に活かし、“個性”の鍛練も怠らず、日々精進していた……あの日が懐かしい。
最近は勝己に「テメェなら、もう問題ねぇだろ」と勉強会を解散され、最近は趣味の散歩や読書に耽溺し、鍛練もあまりしなくなった。――そう、確実な怠惰である。
己の醜態に蒼褪め、決然とした眼差しで出久に振り返った。
「出久くん、お願いがあるの」
「!?ぼぼ、僕に出来る事なならなら、な、何でも」
出久の両手を自分のそれで包んで胸元に引き寄せた。
「私も君の鍛練、一緒にさせて欲しい」
「そ、それは駄目だっ!女の子にさせちゃ……」
「お願い、出久くん」
「ぐっ……ぅうッ……!空狩さん、一体どこでそんなスキル……お願いの仕方を教わったの?」
捉把はきょとん、としてから答えた。
「母さん。友人へお礼やご褒美を上げる時は額にキス、あとなるべく声を震わせて上目遣いして頼めば、大概は処しきれるって」
「うううんぅぅ!!否めないのが凄い!!」
一人悶絶する出久の回答を待った。
無茶難題であるとは先刻承知であった。献立をより詰めようかと提案する際、運動に関する情報提供を求めたが、出久としては事情があるらしく断られてしまった。他人の私生活へ安易に踏み込むべきではないが、漸く察知した危機感と微かな好奇心に捉把は踏み出した。
暫し考え込んだ出久は、携帯を徐に取り出して誰かと通話を始める。
そして――。
「緑谷少年、空狩少女、準備は良いかい!?」
「はい、オールマイト!!」
「イエス、サー」
廃棄物によって水平線を蔽われてしまった海浜公園の開拓作業。従前通りに重い物を運ぶ出久、ゴミの山が形成する
冷蔵庫の上で監督を務めるオールマイトは、日によっては来ず、代わりにマネージャーの八木俊典が来る事がある。出久が訓練を受けている事に驚いたが、それが“平和の象徴”と呼び讃えられし英雄と知って、その驚愕は一入だった。
何故に彼等が交流する事になったか、出久に訊ねてはいないが、捉把はこれが一線なのだと自戒した。流石にこれ以上は踏み込んではならない、そう感じたのである。
何よりも、オールマイトの助言を貰える身とあっては、口止め料として充分すぎる代価だった。“平和の象徴”の薫陶を受けた彼は、いま誰よりも恵まれている。その実感は本人にもあり、焦燥を加速させる自身が生み出す圧力や不安材料になっている。
それを危ぶむオールマイトの心中を察せぬほど、捉把は愚鈍ではなかった。
休日とあって、海浜公園のゴミの上で食事を摂る三人。途中から八木俊典と交代し、オールマイトは仕事へ。筋骨隆々としたオールマイトと、長身痩躯の八木俊典の
握り飯を片手に舟を漕ぐ出久を見て、八木俊典はコートを肩に掛けた。休憩中ならば睡眠も仕方無い、彼の努力は狂気じみていて、誰もが見ていて心配になる。
「出久くん」
「んぇ……?」
だからこそ、鍛練を共にする捉把には、彼を支える役目を己にも課していた。
出久の額に唇を軽く当てる。途端に顔を赤らめ、蒸気を立てん勢いで目を見開く反応に頷く。少年の慌ただしい様子に八木俊典も「おお」と感嘆の声を漏らした。
興奮の熱も冷めぬ間に、捉把は出久の頭を引き寄せ、自分の膝の上に寝かせる。クロップドタンクトップのばかりに、胸部が見え隠れする角度であった。
出久がさらに混乱するが、捉把は判らず、それでも微笑みを称えて膝の上の少年を見た。
「頑張ってるご褒美。これから宜しく、出久くん」
「は、はひぃ……!」
「空狩少女、やめてあげて」
~おまけ~
「だめ!頑張らないと、おじさんアイスは買わない!」
鍛練で弱音を吐いてすり寄る捉把に、オールマイトは昂然と胸を張って突き放す。
「
「その言い方は卑怯だよ空狩少女」
「私のお腹の平和を、どうか」
「うん、駄目だめ!おじさんの意思は固いから!」
倒れた出久に二人が駆け寄る。
「出久くん、大丈夫?」
「少し休もう、緑谷少年!!」
「オール……マイト……」
「なんだい!?」
出久が苦しげに顔を上げた。
「空狩さんに……アイスを……」
「私の、“平和の象徴”は……ここにあった……!」
出久が意識を失って再び地面に伏せた。
無表情のまま、されど震えながら捉把は彼を抱き締め、腕の中に眠る“平和の象徴”を癒した。
「緑谷少年……君、毒され過ぎだよ、おじさん割りと君の将来が心配だよ」
大人の憂いは積もる。
緑谷パートでした。
勝己はまた……後々やりますね。
次回も宜しくお願い致します。