空狩捉把は医務室にて、適当に時間を潰していた。
電話で召喚したエンデヴァーは、暫し喚き散らしていたが、結果として要望だけを伝えた後ひリカバリーガールによって退室させられたのである。途中から息子の名前を称呼しているのみだったが、今晩は出久は怪我もあって食事の勧誘を断り、渋々と承諾した轟との三人。
決勝が始まる前の休憩時間――爆豪勝己と轟焦凍は、待合室で精神統一をしている筈だ。激戦の末に轟に敗北した捉把と出久、二人の影響を受けた所為か、轟は酷く落ち着きが無いと見舞に来た女子からの情報を得た。
彼なりに、自身を顧みて考えているのだ。捉把としても、自損覚悟で挑んだ甲斐があるが、やはり出久ほどまではいかない。捉把は最後の小さな一押しであり、今まで心に執念と憎悪の炎を燻らせ、それを硬い氷の中に閉ざしていた轟を打ち砕いたのは、紛れもなく彼だ。
オールマイトが見込んだ理由も判る。
エンデヴァー入室の前に居た八木の事情聴取で、捉把は自分の親と思われる存在について知った。
オール・フォー・ワン、敵の中では伝説の支配者とされる人間。オールマイトは一度彼と対峙した経験があり、その際に倒したとされるが、捉把の記憶からしても、恐らく面識が出来たはそれより以前だろう。
捉把は頭頂の獣耳に触れた。これは、その男によって母から譲与されたモノ。自分の力ではない――それなのに、轟に対して全力で闘えという己が浅ましく思えた。
捉把は遠くの喧騒に耳を澄ませる。
試合開始まで残り十数分、決勝戦の観戦が能わぬのは些か不満だが、リカバリーガールに厳重注意を受けた後で不用意に動き、相澤に発見されてしまえば補習がより厳しくなるだろう。無難に不動に徹し、医務室にある小説で無聊を慰める事にした。
準決勝まで勝ち残った常闇と同位とされ、表彰台では三位として参列する。次に会場へ行く時は、メダルを受け取る時に備えるしか遣ることがない。話し相手にしようかと考えたが、リカバリーガールは出久の様子見に観客席に向かっている。大人しくする他ない。
残り五分のところで、扉が盛大に開け放たれた。
驚いて顔を上げると、勝己が不機嫌面でベッドで読書をしていた捉把まで歩み寄る。表情が酷いのは普段通りではあるが、荒々しい歩調から見るに、どうやら心中も穏やかではない。
小説を膝の上に置いて迎えると、勝己はベッドに腰掛けた。顔は捉把へと向けず、正面一点を見詰めている。
「……試合、始まってしまうよ」
「あァ」
「私は轟くんに惨敗した身ゆえ、貴方を応援するね」
「はっ、ッたりめーだろ。テメェが俺以外応援すんのかよ」
「出久くん」
何気なく、しかし即答した捉把の言葉に場の空気が緊張した。室温が幾らか冷たくなったように錯覚した捉把は、彼の表情をゆっくりと窺う。
顔を顰てた勝己が、漸う捉把へと振り向いて立ち上がる。憤怒に燃えた双眸が、炯々と見下ろしている。医務室に来る以前に、出久に関する出来事で機嫌を損ねたのだろう。そう考えると、歩調の感じなども納得だった。
急成長を遂げる出久、少なくとも近くで見てきた捉把は、彼の努力を頷ける。しかし、今まで路傍の小石と卑下していた相手が、突如として衆目を浴びるひ足る実力と進化を見せ付ける。自分自身の進捗との差違に苦しめられるのは、天才の勝己ならではの苦悩。
以前から、その反応を端々で露にしていたのを見ていた捉把としては、我ながら軽率だったと後悔した。平生その諧謔で勝己を弄っていたが、今度ばかりは機会を見誤った。
捉把の腕を摑む。握捉把は思わず痛みに顔を歪めた。準決勝の負傷は既に快癒しているが、握力が強く込められており、骨が軋みそうになる。
勝己はその表情を見て、一瞬目を見開くと、手を放して背を向けた。余程相手が目に入らぬほど激怒していたのかもしれない。
「優勝したら、何でも聞くっつったな」
「うん、可能な限りの事をするよ。……もう
「無ぇよ、だから体育祭終わっても、絶対命令権として保持する、で良いだろ」
「思い付いたら行使、ね。うん、了解」
勝己は扉までそのまま行くと、一度だけ振り返って捉把の前に、立てた親指で首を切るような仕草をする。
「絶ッ対ぇー勝つ」
「判ったよ、後で医務室の中で敗因を聞いてあげるから、」
「ああ!?敗けねぇっつってんだろ!なに抜かしてンだゴミが、あの舐めプ野郎は完膚無きまで潰し殺す!」
「もう時間が来るよ。いってらっしゃい」
捉把が手を振ると、勝己が扉を強く閉めた。
結局、彼が何の為に訪れたのか判らない。優勝者の報酬の件にしても、体育祭後でも良い。試合前に勝己がそんな無駄な用に拘泥する筈がないのだ。
途方に暮れた顔で、暫く彼の動機を思索してから、一つの解答に辿り着いた。これが正解とも限らないが……。
「……慰めに来た、のかな?」
捉把は枕に頭を預け、天井を見上げて含み笑いをこぼす。
「だとしたら嬉しかったよ、ふふ。ありがとう」
***************
表彰台――苛烈な戦闘を制した者が立つ場所。
一位、爆豪勝己。
二位、轟焦凍。
三位、常闇踏影、空狩捉把。
優秀な成績を修めた四名だが、中でも最優と称される首位に在る者は、その評価とは何とも似つかわしくない風体で立つ。最も高さのある表彰台の上で、拘束具を装着されたまま、右に居る轟に言葉無き声で訴えていた。
捉把は制御装置として、三位でありながら一位表彰台に居る。メダルの授与を担当するオールマイトも困惑気味、この奇観に観客一同が苦笑した。
宣言通り一位を獲得した勝己は、捉把に対する一度限りの絶対命令権を手に入れたが、未だ慎重にその用途を考えている。尤も、轟には別件での約束を交わし、内容を完遂した彼にもまた、絶対命令権があるのだ。これを知れば勝己の憤怒は必至、沈黙こそ最大の安全策。
捉把は首に下げたメダルを齧るようにして、カメラに応える。今回の体育祭で最も衝撃を生んだ選手の一人として、レンズがそちらへと殺到する。
「そいつ撮んなッ!」
「ごめん。どうやら勝己くんよりも、私の方が幾分か綺麗に映えるらしい」
「んだとコラッ!俺も映えるわ!」
「その姿、ヒーローを志す子供にとって、良い目標になったと思うよ――反面教師として」
「てめぇの口を爆破したるわ!!」
捉把は常闇の背後に隠れた。
「空狩、俺を犠牲にする心算か」
「いや、可愛いから抱き締めたくなっただけだよ」
「即刻離れよ!」
常闇に弾かれ、渋々と残る轟に寄ったが、彼を見上げて捉把は目を伏せる。
「何だか、轟くんは弄る部分が少なくて困るね」
「……すまん」
その後、オールマイトによる掛け声で体育祭は閉幕した。
***************
体育祭の熱が冷めてくる夜。
広い和室の中心に配置した机で、大勢が美味を堪能していた。予約していた和食亭に集ったのは、エンデヴァーと轟、捉把に加えてエンデヴァー事務所所属の人間ばかりである。些か盛大だが、主催者はエンデヴァーでなく捉把という事になっており、先程から様々なヒーローに声を掛けられていた。
尚、取材を受けた際の事がTVで放送され、これを見たクラスメイトは仰天、相澤からは後日の補習がより酷烈になるとの死刑宣告。捉把としては、人生史上でも色濃い一日となった。
轟は始終顔を上げず、対面に座るエンデヴァーを見ない。隣に居る同級生の少女ばかりにしか応えない。当然、予想通りの事であって捉把も困惑せず、寧ろ手元の料理に箸先を伸ばすだけだった。
室内でも煌々と光るエンデヴァーは、二人の様子を満足げに眺める。準決勝で対決した二人、息子である轟はさることながら、将来の相棒を約束(口上のみだとしても)した捉把が揃う宴席は、馴れ合いを求めないエンデヴァーの前でありながら、誰一人として緊張せずに賑々しい様相を呈していた。
「轟くん、美味しいね」
「……そうだな。空狩は和食好きなのか?」
「うん。一番好きなのは鯖の味噌煮」
エンデヴァーが傲然と顎を上げて、独りでに笑った。
何事かと訝る捉把は、怪訝な表情で前の男を睨んだ。
「貴様、今は独り暮らしと聞いたぞ。親はどうした?」
「……母は故人、父は誰かすら知りません」
捉把の言葉に、轟が食事の手を止める。
エンデヴァーが腕を組み、捉把の目を見据えた。
「なら貴様、俺の家で暮らせ。焦凍の相棒として鍛えてやろう」
「てめッ……!!」
「おじさん直々にですか。恐れ多いというか、嫌というか。ごめんなさい、無理です。私、年上は好みではないので」
轟は怨恨の眼差しを父親に向けた。これまでとは比べられない、度し難い激情を必死に堪え、眼光に変換している。
捉把が否定すると、拍子抜けしてエンデヴァーが固まる。No.2の教授となれば、とても貴重な体験となるであろう。ヒーロー志望の人間ならば、是が非でも受講を希望する。しかし、捉把の“個性”から考えても、相澤が最適であると考えての回答だった。
今回の件で判ったが、父親――と思われる人物のオール・フォー・ワンについては、これから考えるべき事柄である。母親から聞いていたのは、“個性”を複数持つ怪物という端的な情報のみ。それ以外は特に無く、特徴的に脳無の様な物かと考えたが、体育祭で視た夢の内容が正しければ、あの男こそ父親。
捉把の……いずれ倒すべき敵、母の仇。
「移住の件はどうだ?」
「今さら移動も面倒――」
「一般的な家庭と比すれば、俺のは豪邸と言われる」
「でも、ご家族に迷惑では――」
「別に問題ねぇ。姉さんも喜ぶ」
「私の生活リズムは――」
「来るか、来ないか」
「……飯も旨いぞ」
「……………………宜しくお願いします!」
捉把は恭しく頭を垂れた。
満悦のエンデヴァー、途中から加わった轟は再び食事を始めた。
捉把が最後まで難色を示した理由は二つ。
一つは、別の家庭に自分という異分子が介入する事。他人の所為で、本来の団欒の空気を壊すのが恐ろしかった。捉把の中では、家族という存在自体が母以外に無く、姉妹や兄弟などの関係は一切経験無く、どう処するか難しい。
轟が受け止めてくれるなら、問題は大方無いのかもしれない。家族の温もり、それを知った時に、自分がどうなるのか、そこに幽かな興味があった。
二つ目は、現在実行中の食事改善。勝己の指導下で行われたそれを、途中で投げ出すのではないか。いや、仮に食事が轟家で供されるなら、主旨にそうだろう。
しかし、捉把としては週に何回か、勝己が家を訪れるのを楽しみにしていた。それが断たれるとなると、答えを逡巡してしまう。
「明日にでも荷を積めろ。こちらで手配する」
「……おじさん、本当は私生活でも私を手放したく無いんですよね。こんなに好かれるとは思ってもいませんでした」
「いい加減な妄想はやめろ!!俺は焦凍の――」
「許嫁認定だって。将来は轟くんにエプロン姿を披露するね」
「……!?」
「話を聞け小娘ェェェエエ!!!」
捉把は茶を啜ってから、注文表を開く。
「よし、〆の沢庵漬けだね」
****************
翌日の早朝、代休の日に慣れ親しんだ住居を離れ、大豪邸に移居した。
捉把を迎えた轟の兄弟とは、出会って直ぐに打ち解けられたのは、偏にマイペース且つ可憐な容貌が相俟って、特徴的な人物に見えたからだろう。特に姉の冬美は捉把を実の妹もさながらに可愛がる。姉妹とは斯様なものかと、捉把はひそかに納得しつつ、未知の心地好さに浸った。
宛がわれた自室は、以前よりも広い。エンデヴァーの紹介とあって、轟の兄・夏は些か微妙な表情だったがら轟からエンデヴァーを振り回す性格と聞いて、積極的になったのは捉把も苦笑ものである。荷物を部屋まで運ぶ間も手伝い、何度も好みの物や趣味に関して質問攻めに遭った。
捉把は柔らかい寝台と、和風の佇まいに賞嘆の念を懐く。家族とは疎遠と聞いたが、全員を養う為に働いている一人の父親としては納得した。
初めて轟家の食卓に参加し(エンデヴァーは不在)、家族の団欒に不自然無く溶け込んだ。捉把としては、初日から家族として受け容れてくれた彼らに感謝すること深甚であった。良好なスタートを切った捉把は、暫くその空気を楽しんだ後で、自室に戻って休んでいる。
そろそろ就寝の時間に差し掛かる頃、轟が部屋を訪ねた。
「空が……捉把」
「?何で名前呼び?」
「いや、これから一緒に暮らすから、姉さんが呼べって。不快なら止める」
捉把は暫く黙り込んだ後、首を横に振って否定した。
「全然嬉しいよ、えーと……焦凍くん」
「……家族だから、くんは要らないだろ」
「そっか。これから宜しくね、焦凍」
「ん」
轟が耳を赤らめ、短く応えた。捉把も若干頬は赤い。
捉把は窓の外を見た後、はっとして振り返る。
「そういえば、体育祭でまたも私の胸を摑んだんでしょう?」
「……何で、それを」
「何と無く。胸元をみる時によそよそしかったから」
轟は片手で顔を覆い、嘆息する。
「そっか、満足できなくて夜這いに来たんだ。焦凍も大胆だね」
「違ぇ、もう寝る」
「おやすみ、焦凍」
「……ああ」
轟が去った後、消灯して寝台に潜り込む。
「体育祭も終わったし、次は何かな……」
入って僅か数秒と経たず、意識が消えた。
勝己に連絡は、まだしていない……。
~おまけ~
一方で、その勝己は――。
「……んじゃ、こらぁぁぁあ!!!?」
不在になった空狩捉把の元住居に立ち尽くす。
蛻の殻となった場所を見て、途方に暮れたのだった。
二章、完結です。
次はインターン、捉把を何処に行かせるか悩んでいます。もし良ければ、感想欄で意見が頂ければ嬉しいです。
では、次やな、次。