捉把は鯛焼きに噛み付く。
「中の餡が足りない。これだと冷めたホットドッグだよ」
「文句言うんじゃねぇ」
出久の腕の中で泣き疲れて眠った後、次に覚醒したのは彼の膝の上だった。その間も更なる飛躍の為に熟考しており、寝目覚めの後継が間近で間断無く繰り出される独り言。自分は地獄に来たのかと錯覚したが、捉把が起きたのをすぐ察知して、出久は捉把がした様に髪を撫でる。
グラントリノが帰宅し、全員で温かい鯛焼きを食しているのが現在だった。出久としては、夕飯が鯛焼き一つでも良いのかと思案する場ではあったが、捉把は満悦の相であり、先程の状況から考えれば好物が一番なのかもしれない。二人のコスチューム姿を見て、グラントリノは首を傾げている。
プロヒーローとして資格を得たのは数十年前。今や技術も進歩し、思潮も変遷して行くもの。デザイン、機能性を併せ持つ物がよりコンパクト且つ個人の個性的な部分をより際立たせる役割を果たすに相応しい造形を揮る。そうだとしても、捉把のコスチュームは“ヒーロー的”ではない。
私服に武装を重ねた程度にしか見えないのが限界。出久の様に、一部にオールマイトへの尊敬が窺われる部分が見受けられれば、それこそ本人の主張を映した独特さが醸し出される。憧れも無い、確かにヒーローへの明確な動機も定まらない、そんな彼女の心情を表しているとも言えた。
グラントリノとしては、曾て目的の為に“個性”の自由行使が必要だったからヒーローの職務を選んだ。コスチュームも機能重視、デザイン性の云々は問題の対象外である。自分自身に頓着が無い理由もそうだが、捉把自体も遠からずそういった部類なのだと推察した。
教え子が選んだ後継者、力を伝承しながらいずれ倒すべき怨敵と見定めた悪の子息。ソファーに腰かけた二人は、事情を鑑みれば異観の極みである。未だ改善の余地は沢山ある磨かれていない石、いつ暴発するか予測不能の爆弾。
オールマイトを指導していた時代以上に難儀する予感があった。仇敵の娘など、最初は預かる積もりも毛頭無かったが、体育祭で見せた気迫や底無しの闇を思わせる殺気を画面越しに感じ取り、放置こそ危ういと判断。敵勢に渡る前に、ヒーローとしての心構え、最悪はヒーロー界から脱退させ両者の闘争から遠ざけなくてはならない。いずれは社会の帰趨すら操れる存在になるだろう二人である。
“平和の象徴”と“悪の象徴”。
相反する両者の相克は、被害が日本全体へ波及する。
現役を引退して長らく経ち、三人目のワン・フォー・オール後継者の指導とは、如何に自分が盟友の遺した行く先を案じているかが、ありありと自覚させられる光景。鯛焼きを完食して、二人を暫く観察していた。
「そ、空狩さん、落ち着いて」
「喉が渇いたね」
「ほら水も飲んで」
「何だか塩気のある物が欲しくなったよ」
「僕のカロリー◯イト食べる?」
「さすが……私の“平和の象徴”」
容姿も性格も似ていないが、やはりオールマイトと酷似する部分を秘めている。強迫観念じみた彼の“平和の象徴観念”、それを覗かせる人間など錚々いない。狂気を持つ人間は、同士と引かれ会ってしまうのかもしれない。どんな運命の巡り合わせであれ、オールマイトと出久の邂逅が様々な物事の始点だろう。
出久は既に、捉把がワン・フォー・オールについて把握している事を伝えられており、その驚愕の熱が覚めずに戸惑っている部分もある。ひた隠しにした真実を共有する仲間が居る、そうなれば本人には無意識で乗し掛かる心の重圧も和らぐ。逆に出久からの問――捉把が何故、識っているか、その立場についての質問は無かった。安堵が先立って、それどころでは無いのだろう。
敵対者の娘と知っても、その人柄ならば対応の変化も無いが、悲運の子である捉把の先程の涙を見ていた身として、余計に気遣ってしまうかもしれない。捉把自体が母だけを肉親とし、一方のオール・フォー・ワンは名を口にする事すら忌諱する様になった。
出久がもし、オールマイトの師が彼女の父によって殺害されたと判った時、それが捉把にも伝わったなら、益々罪悪感は深甚なるものになっている。互いの関係に亀裂を生まぬよう、慎重に機を窺わねばなるまい。
「小僧、今の所の許容上限はどんな感じだ」
「5%だと思います。試した事は無いけれど、身体は鍛えたし、もっと上げられる可能性も」
「壊れねぇ程度にしろよ」
「はいっ!」
グラントリノは捉把の方へ振り向く。
「お前さんは小僧と組手でもして、俺を摸倣するなり何なりしろ」
「凄く漠然としているね」
「本来の“個性”がそれだと、“どれを”伸ばして良いか判らんからな。平時使用してる『獣性』と『空間』が一週間でも妥当だろ」
捉把も鯛焼きを食べ終えた。
出久から水を受け取り、体を伸ばしてから着替えを始める。グラントリノが室外へと蹴り出し、扉を固く閉じた。男性の目も意に介さず脱衣する女性の杜撰さに、慌てはせずとも呆れて物も言えない。目を見開き、赤面して硬直してしまった出久の反応も正常といえるのだろう。
私服に着替えた捉把は、既に瞼を閉じ掛けた半睡状態である。出久の背中に倒れ込み、寝心地の良い姿勢を探って何度も寝返りを打つ。寄り掛かられた彼は苦笑混じりに、ゆっくりとソファーへと押し倒して、布団を引っ張り出す。
「小僧」
「?はい」
「仲良くやれよ」
「……はい!」
捉把を両腕に抱え、布団へと降ろして行く。
「出久くん、膝……枕……」
「ほら、枕はここだよ」
「ん、出久くんの膝ではない……?」
「ぼ、僕は別の布団だから」
「絵本、読んで。それか、手を握って欲しい……」
「「(幼児ッッ!!)」」
****************
保須市で数々の事件を起こしたヒーロー殺し。
その所在を知る者は居ない。単独で常に行動し、計四十名も死傷させた凶悪な犯罪者。己が標榜する正しき社会の定型を取り戻す為に、私欲に塗れて穢れた社会の汚穢を悪となった刃で剔除する。敵名をステインとされる男の機能は、純粋にその一点のみに注力していた。
バンダナの下の目許を隠す包帯は薄汚れ、襤褸の布を襟巻きにする。背には細身の太刀、脇や腰にも複数の短刀、靴の爪先には鋭利な突起を持つ凶悪な具足だった。一見して対峙する者の危険のみを悟らせる凶相は、歪な笑みを浮かべており、口端を表面が粟肌立ったような長い舌が舐めとる。
敵の中でも、数々のヒーローを討ち取った猛者であり、その意志に賛同する者達も少なくない。凶行を信念の下に降される裁定と掲げる狂気は、荒廃した敵の中では色濃く、明瞭な輪郭を宿す様に映り、一種のカリスマ性を垣間見せる。
ステインは保須での使命を果たさんと執行中だった際、黒霧と名乗る謎の男に勧誘され、ある組織――とも言い難い連中と対面していた。それは先日、かの雄英高校へと襲撃を仕掛けた野蛮にして獰猛な正体不明の集団。またの名を“敵連合”、その中枢人物である死柄木弔と正対する。
カウンターに居る黒霧を一瞥し、油断無く周囲の様子を見回しながら、死柄木との交渉を始める。内容は、ヒーロー殺しの敵連合への参入。自分を招き入れるというならば、深い企図があってと推考し、様子見をかねて応答した。
死柄木が手元の写真を摘まんで面前に揺らす。少年少女が印刷された物に、ステインは長嘆を禁じ得ない。自分の思想に賛同し、共闘関係を築かんと考えての交渉かと思えば、相手は異常な程に、されど幼稚な破壊衝動に駆られた子供の思考も同断だった。オールマイトを象徴と崇高する社会、ヒーローを志して邁進する少年達への腹慰せに呼ばれたのかと嘆きもする。
僅かでも興味を懐いた己が腹立たしい。信念無き殺意、その果てに得る物が如何に滑稽で無意味か。ステインは脇の短刀をそれぞれ一振り抜き放ち、バーの中で対する二人を攻撃する。修羅場を経験して練り上げた技術は、二人をやがて圧倒した。
弱い者――つまり、強い意志を持たぬ者は、理想の殉教者となる人間には敗北する。それは歴史が常に証明してきた、より渇望する強さのある者が塗り替え、新体制を築く自然淘汰の摂理。つまり、ステインが持つ理想に比すれば矮小たる敵連合など取るに足らず、足元に及ばず。接触し、対立すれば自然と死ぬ。
「――だから、こうなる」
黒霧は腕を斬られて以降、動けずに居る。
目の前では、ステインによって組み伏せられ、右肩は刃を突き立てて固定されていた。首に翳した剣呑な短刀を退かさず、獰猛だがどこか冷静な瞳で見下ろされ、死柄木は笑いながら痛みを訴える。
その様子も全く気に留めず、ステインは続けた。死柄木の首を刈り取らんと、右手に摑んだ短刀を動かす。これまで相手の身体も必要があらば切った、既に人体を切断する術理には心得がある。頸であろうと一瞬で断てる。
「“英雄”が本来の意味を失い、偽物が蔓延るこの社会も、徒に“力”を振り撒く犯罪者も、粛清対象だ……ハァ」
いよいよ首の皮を切り裂かんとした時、死柄木の手が刀身を摑んだ。五指を絡めた部分から罅が蜘蛛の巣状に広がり、破片となって床へ降り落ちる。
ステインはその時、目前で歪に膨らむ意志の芽を感じた。総身を微かに震わせる狂気の迫力が、死柄木の手で匿した面相に浮かべる笑顔より放たれる。
「口数が多いなァ……信念?んな仰々しいもんかいね。強いて言えば、そう…オールマイトだな。あんなゴミが祀り上げられてる社会を、滅茶苦茶にぶつ潰したいなァとは思ってるよ」
触れれば崩壊する――そう認識し、ステインは飛び退いた。間一髪で振り抜かれた相手の掌を回避する。黒霧は依然行動不能だが、肩から出血を滲ませても動く死柄木を見据え、短刀を鞘に納めた。死線を前にして人は本質を顕す、それは命を奪われる寸前となったヒーローが救済を乞う時に嫌という程に目の当たりにした。
この死柄木弔は、死を目前にしても未だ狂気の蕾を散らさずに輝かせる。間違いなく、目的は対極であっても信念がある。そして、現代の社会の形を破壊する事に於いては一致していた。粛清はそれよりも先、この男の信念が如何なる花を咲かせるか否か、見届けてからも遅くはないと判断する。
死柄木は未だ納得の色を見せず不満を垂れ流すが、黒霧は交渉成立に安堵していた。ステインの“個性”から解放された体を解している。
ステインは、不意に黒霧の側にあったテレビ画面を見た。何処かと通信しているのか、死柄木と対面した際に向こう側からも声が聞こえていたのである。声音には何か惹き付けられるモノを感じたが、同時に胸を擽る大きな不快感も忘れられない。自分が目指す社会とは、全く別な形を欲する者の波長、死柄木以上の歪であり、咲かせた花が醜悪なる薫りを放つ物だと判る。
暫く画面を睨んだ後、黒霧へと向き直った。
「用件は済んだ!さァ、“保須”へ戻せ。あそこにはまだ成すべき事が残っている!」
************
職場体験でノーマルヒーロー・マニュアルの下に就いた飯田は、オフィスでコスチュームを脱ぎながら思索していた。兄を再起不能に陥れた悪、断罪すべき仇。
ヒーロー殺し――ステイン。
これまで出現した七ヶ所で、四人以上に危害を加えている。ネットでも直ぐに調査が出来て、飯田はそこに規則性を発見した。どんな酔狂か、信念や理想と宣おうとも犯罪に相違無いが、一つの地区で必ず四名のヒーローは殺傷する。保須市ではまだ兄以外の犠牲者が出ていない。つまり、この保須にはまだ潜んでいる。再び現れる可能性が高い。
飯田は固く握りしめた拳に力をさらに込め、常に生徒の鑑として正しくあろうとした委員長ではなく、怨恨の炎を燃やす復讐者の面構えとなっていた。
「来い、この手で――始末してやる……!」
一方、埼玉では――。
「ん?」
捉把はふと、ポケット内に収納していた中身の異変に気付く。取り出してみると、眼鏡のレンズに小さな罅が入っていた。購入して日の浅い品とあって、些か苛立たしい。――不良品を摑まされたか!
背筋に悪寒が走った。周囲を検めるが、特に異常は無い。交代制でグラントリノと組手をしており、出久が今壁に叩き付けられた所であった。眼鏡に続いて不吉な兆候、嫌な予感ばかりが掻き立てられる。
「……まさか、糖分不足か」
「おい、次はお前さんだぞ。俺の鯛焼きに手ェ出すな!」
捉把は鯛焼きを咥えてグラントリノへと飛び掛かる。
~おまけ~
三分後、捉把はソファーに垂直落下し、俯せで激突する。その腰の上にグラントリノが着地し、こめかみに青筋を浮かべて見下ろした。矮躯から発散される怒気を感じ取って、顔を上げた捉把は口内に少し残っていた餡を舐めとる。
「おじいちゃん、以前にも増して厳しいね……」
「お前が鯛焼き食うからだろ」
捉把は仕方無しと、懐からもう一つの鯛焼きを取り出して渡す。
「機嫌を直してよ。鯛焼きをあげるからさ」
「だ・か・ら、それ俺のだろ!」
引ったくられ、捉把はグラントリノが降りた瞬間に出久の背中へと回る。
「職場体験……成る程、上司からの恐喝も体験して、社会に出る時の精神面を作る為にあるんだね」
「うん、たぶん違うと思う」
「よし!次は小僧!」
「宜しくお願いします!」
「頑張って出久くん」
「だから俺の鯛焼き取るな!」
くっ……有言実行ならんかった……!不甲斐ない……!
よし、気を取り直して次や、次!