一話「海辺のかき氷って初めてなんだ」
燦々と光る太陽に照りつけられた海。
広大に拡がる第二の蒼空とも呼ぶべき景観に人々が集まり波飛沫と戯れる景観は、夏の風物詩とも呼べる。海が自身の生息する陸地とは異なり、危険である事を知りながらも人々が惹き付けられるのは何故か。
熱される大気と大地と比して海の水温が丁度良い塩梅になるからこそ、遊び場として求められるのだろう。
人間の文明に深く関与してきた海は、太古から貴重であり危険と認識されており、それは不変の事実として現代にも生きる。
故に――年頃の遊び盛りたる少年少女が汀に引き寄せられてしまうのは必然の理。
日射による日焼けを防ぐ為としてと納得しているが、正直な気持ちを申せば、日焼け止めを施せば然したる脅威では無い他に、そもそも日焼け自体を嫌っていない(というよりも気にしない)彼女は、煩わしい装備だった。
しかし、そうすれば――隣から爆撃を受ける。
横では海水浴用の浮き輪などの諸々道具を揃えた勝己が並び立っている。前身頃の肌蹴たシャツと水着パンツの彼は、顰めっ面で海を睨む。
その威圧感だけで周囲に居る人間を制しているが、そこかしこで彼の容姿に惹かれた女性がいつ進み出るかと機を窺っている。
なぜ勝己と共に海水浴に興じているか……事の経緯は複雑であった。
先の職場体験にて、捉把が危険であるとグラントリノより報告を受けた相澤は、誰よりも早く職場体験の課程から切り上げさせた。
出久の退院も待たずに出る理由について疑念を持った彼女を無理やり納得させ、誰よりも早い期末試験を実施。筆記自体はクラス一同であったが、実技に関して捉把は弱点らしき部分が無く、結果として一人のみでの挑戦となった。
形式は後にクラスで行った試験内容と変わらないが、もう一つの目的があって教師が目を光らせていた。
捉把の中に悪性があるか否か。
オールマイトの管轄などで、
突飛な試験に些か面食らっていた捉把には明かさず、結果からはヒーローと敵の比重は六と四。
試験結果から、筆記を残し期末試験を早々に終えた捉把は誰よりも先に夏休みを堪能した。尤も、轟家での花嫁修業に続き、偶然にも休暇が入って帰宅したエンデヴァーによる稽古で自由らしき時間は無かったが。
皆が無事に終えたと知り、試験結果も合格の通知を受け、林間合宿への準備に思いを昂らせていた捉把の所へ、連絡が入って来た。
『テメェ、飯食ってんのか?』
勝己からのメールが久々に感じる。
轟家の世話になってから、食生活などが一新されており、不健康な循環は改善された。それは既に勝己も聞き及んでいる筈であり、彼がわざわざこんな事をメールで聞いてくる訳がないと推考する。
捉把は文面に目を細め、それを自分なりに訳文した。
『テメェ、飯食ってんのか?』
↓
『貴女はいま、元気にしてますか?』
そうか――成る程。
轟家への移動、そして職場体験が重なって勝己との交流も薄くなっていた。中学から続く仲とあって、捉把としては大事にしたい人物の一人である。
クラスメイトとは隔離されて何週間かを過ごした捉把は、メールではなく通話に望んだ。
「もしもし、勝己くん」
「飯、食ってんのか?」
「うん、元気だよ」
相変わらず不機嫌口調だが、懐かしさに捉把は心が温かくなる。
「…………」
「勝己くん」
「ンだよ、用があるならさっさと話せ」
「今度さ、一緒に遊ぼうよ」
勝己の長嘆が電話越しに聞こえる。
この反応は、満更でも無い時の彼の徴候。普段はこちらが誘えば撥ね付けられてしまい、一方的に彼に引きずり回されるのが通常だった。
だからこそ、今回の自分の提案に少なからず同意の色が見受けられる彼が微笑ましい。
「こっちは期末で暇じゃねェんだよ」
「それにしては通話応答が早いけれど」
「うるせェ、半分野郎の家で退屈してねェんだろ」
ふと投げ遣りな勝己の応答。
これは如何なるものか、捉把は黙考した。
「……勝己くん」
「あァ?」
「もしかして、嫉妬してるのかい?」
「テメェの脳内花畠はまだ治ってねェのかよ」
捉把は手応えを感じて頷いた。
「勝己くんと遊びたいんだよ」
「忙しンだよ」
「あの爆殺卿ともあろう人物が、私が合格した期末試験に準備をして挑まないと合格が危ういと」
「あァ!?やったるわ、余裕で合格し殺したるわ!!予定の空いてる日を言いやがれカス!!」
単純なのも相変わらずだ。
捉把はスケジュール帳を展く。
「じゃあ、貴方が期末試験を無事に突破したら、ご褒美に遊んであげよう」
「何様だテメェ」
「ん?もしかして不安――」
「上等だコラァッッ!!!!」
一方的に通話を切られた。
結果的に彼は合格し、皆が買い出しに行く中で二人で海水浴場へと行く事になった。なぜ海水浴になったかは、捉把も勝己も判っていない。
しかし、提案したのは勝己の母こと光己である。
二人は水着やその他の道具を準備し、バスを幾つか経由して出発した。
――そして今に至る。
捉把と勝己は適当な場所を決めてパラソルを立て、シートを敷いた。
この海水浴場は入場料金を払えば、飲食し放題。尤も、その分だが入場料金が高価であるものの、光己がペアチケットを入手していた事で、半ば無償のパラダイスと化していた。
貴重品などはコインロッカーに預け、最低限の荷物を配置する。
捉把は準備の完了を見届けると、パーカーを脱いだ。
「おいッ、てめ……」
「何さ、さっきから」
時既に遅く、捉把の生肌が露になる。
中学三年後半から急激な成長を遂げた肢体の全貌がそこにあり、紐で結ばれたタイプの黒い三角ビキニに包まれた胸部などは目を瞠るものだった。
豊かな曲線を描き、肌理の細かく白い肌が浜辺の砂よりも眩しい。惜し気もなく晒されたそれは、女性からは羨望、男性からは好奇の目を引き寄せる。
薄紅の髪はやや左でポニーテールにし、左こめかみから流れる汗や首筋が艶麗な匂いを人の鼻先に漂わせた。
危惧していた通り、パーカーという武装を解除した途端に近辺の男性が感嘆の声を上げる。
元より秀逸した容貌の彼女に目を付けていた者としては、期待以上の姿だった。
目前でこちらの顔を覗こうとして前屈みになった姿は、勝己としては目の毒にしかならない。
「光己さんに選んで貰ったんだ」
「あンのバッバァ……!!」
「似合うかな?」
「見苦しいわアホ!とっととしまえや!!!」
「ん……そんなに、変だったか」
捉把が自分を見回した。
無表情に変わり無いが、そこに少し影が差したのを勝己も察する。光己に勧められたのもあるが、やはり彼女としては自信を以て披露した水着なのだろう。
気遣いとは縁遠い勝己も、居たたまれなくなる。
周囲で接触の機会を見計らう男達に片っ端から牽制の睨みを利かせ、暫し逡巡した後に捉把の脱いだパーカーを拾う。
その顔に嘲笑を作り、鼻で嗤って見せた。
「ハッ!馬子にも衣装ってヤツだろうな」
「…………」
捉把は彼の顔を注視した。
嘲りにしては、顔を逸らしている。耳は赤くなり、上げられた口角は不自然にひくついていた。
そこに素直になれない感情があるのだと思い、捉把は微笑する。
「褒めてくれてる、んだよね」
「テメェ耳がイカれてんだろ」
「――ありがとう」
捉把は勝己の顔を両手で挟み、自身に引き寄せる。
前傾姿勢になった彼の額に口付けした。
「貴方なりに頑張ったご褒美だよ」
舌打ちした彼が暫く無視を決め込んだが、強引に日焼け止めクリームを塗らせた後、海へと手を引いて駆け出す。所々で上がる男達の怨嗟の声も、波打ち際に近付けば潮騒に掻き消された。
勝己を連れて水との戯れで二時間も興じた。
峰田や上鳴がいれば、羨望の血涙を流していたところである。
勝己本人もまた乗り気ではなかったが、彼女の挑発などもあって戦闘じみた気勢で対応し、退屈のしない時間となった。
一頻り遊んだ二人は、海の家にて休憩していた。
カウンターでの混雑に巻き込まれるのを厭う勝己だが、捉把には待機指示を下した。彼女は勝己の帰りを待って、テラス席の一つを占有している。
勝己からの注意で再びパーカーを着たが、捉把自身は彼の意図に気づいておらず、また男性の視線はパーカーで隠しても集まる一方。
退屈を紛らわす為に周囲の景観を見回す。
外に陳列する露店の中にはグッズ売り場があった。
そこに集る子供達は、誰もがオールマイトなどのヒーローグッズを片手に燥いでいる。やはり昨今の幼心の憧憬を集めるのはヒーローなのだろう。
しかし、視線を巡らせれば全く意外な物も見咎められた。
それは捉把が先日対峙した通称ヒーロー殺しと世間に周知されたステインの人形やアクセサリー。可愛らしく作られたそれと、現実を知る捉把としては差異の激しさに可笑しさなどを感じる。
あの時、最後にステインが見せた強迫観念の片鱗……見入ってしまった捉把としては、恐怖しかない。
ヒーローの存在に疑問を抱いている。
職場体験前に、勝己に対して懐いた独占欲や傷害行為の裏にある破壊への欲求は、敵としての側面が非常に強いと自覚した。
教師陣が自分への警戒心を強めているのは、薄々ながら感じている。相澤でさえもが、時折危険な物を扱うような慎重さを見せた。
周囲の人間との間で、次第に距離が生じている。
今回の隔離試験でも、クラスメイトとさえも僅かながらに距離感を感じた。
これから自分がどうなるのか、その思案のみに頭は悩まされる。
捉把が沈思に耽っていると、その隙を衝いて誰かが相席していた。
顔を上げれば、そこに無精髭と煙草を銜え、コップを満たす麦色のビールを片手にした男の笑顔。アロハシャツの襟を広げ、その隙間へと団扇で風を送っている。断りもなく腰かけている状況から、失礼な男であるというのが第一印象だった。
「何悩んでんだい嬢ちゃん」
「いえ、別に……」
「ふーん。君、幾つ?」
「……どちら様ですか?」
捉把が視線を鋭くして問う。
男は剽然と肩を竦めて笑うと、懐から一枚の手紙を出した。机上を滑らせ、捉把の手元へと送る。
煙草を灰皿に擂り潰し、無精髭の生えた顎を撫でた。
「嬢ちゃん可愛いからな、気を付けな。男どもが皆集まって来るぜ」
「大丈夫。猛獣を連れているから」
「そうかい。ならオッサンの杞憂だったか、予定が無いならちょいと一緒にと誘おうと思ってたンたが、噛み付かれちゃ堪ンねぇや」
男が席を立った。
「俺は
渡した紙をそのままに背を向ける。
捉把はそれを手に男を呼び止めようとするが、人混みに紛れて消えていた。呼び止めようとした口を噤み、捉把は再び席に腰を落ち着ける。
紙は丁寧に畳まれており、耐水用の素材で出来ていた。
捉把は紙面を展開した。
『◯月×日、君を迎えに行く。それよりも早く、君の都合もあるだろうから、日取りなどの相談は下記の連絡先に頼むよ。
――父より
TEL.◯××―◯×◯―□◯□』
捉把は硬直した。
本名は明記しない差出人の部分に意識が集中する。
先刻の男は、恐らく仲介人だろう。グラントリノから聞いた通りの人物ならば、それも何重にも介して送られた手紙。
筆跡が判らぬようコンピューターで打たれた物である。
父の方から接触を図って来た。
混乱に紙を握り締め、周囲へと視線を奔らせる。勿論、この海水浴場には居ないだろうが、不気味にも自分が何処からか監視されている感覚に支配された。
無意識にパーカーのポケットに押し込み、俯いて黙る。混乱して思考が纏まらない、捉把は苦しくなって自分の胸に手を当てた。
その様子を見た近くの男性たちが近づく。
「君、どうしたの?顔色悪いけど」
「え、いやっ、その」
「大丈夫?ここ人多くて大変だよな、良かったら落ち着ける場所知ってるけど」
「違、大丈夫……私……」
動揺で言葉すらも整理が付かない。
捉把が男達に困惑していると、彼等の肩の間から獣も同然の獰猛な面が現れた。男達は驚いて飛び退いて怯える。
男を威圧する険相のまま義欄なる人物が座っていた所へと腰掛けた彼に、捉把は思わず安堵の息を吐いた。先程までの混乱が嘘のように消えて安心感ばかりが心中を充たす。
救いに入った獣――勝己が持っていたかき氷の一つを差し出す。その視線は未だに怯懦で蒼褪めた男達へと向けられている。
捉把は両手で受け取った。
「……ありがとう」
「曖昧に応えてっから調子に乗ンだよ」
「ごめんね」
勝己は捉把の顔色を見て目を眇める。
普段から軟派に遭おうとも、軟派と認識していない捉把が動揺や混乱を催すには至らない。この不自然な様子を考える内に、この数週間をクラスメイトとは別途で試験を受けた異例などを鑑みるに、彼女が特別な状況下にあると察知した。
けれども、その原因までは推測できず、勝己は顔を苦々しくした。
捉把は手元のかき氷を見下ろしたまま、一向に手を付けない。
「溶けンだろ、はよ食え」
「海辺のかき氷って初めてなんだ」
「あァ?」
「昔の夏はよく、母さんと一緒に食べていたけれど、それ以来かな。何年振りだろう、少し感慨深いよ」
勝己の前でかき氷について語る彼女の声音は、僅かながらに寂寥を滲ませた。
「……食うの、久し振りなんか」
「そう、だね。母さんがいなくなってから、食べなくなったよ。大好物だったんだけどな」
そこから口を閉ざし、捉把は少しずつかき氷を食す。
彼女の好きなイチゴのシロップを満遍なく掛けたそれは、最高の好物になる筈だったが、表情に明るみが戻らない。黙々と食べる様子は、勝己が予想していた反応とは大いに違う。
平生の冗談や、勝己を翻弄せんとする勢いの感じない捉把に対し、奇妙な苛立ちが生まれる。
この少女の遍歴は以前に聞いたし、まだ完全に彼女を理解したとは驕ったりもしない。
それでも、捉把の現状が気に入らなかった。
「しけた面して食ってンじゃねぇ」
「……ごめん」
「好きなんだろ」
「え?」
「これから嫌いになるくれェに食わせ殺したるから覚悟しろ」
ぶっきらぼうな彼の言い草に、捉把は驚いて固まる。
我に返った彼女は、少しずつ可笑しさに含み笑いをして、必死に爆笑を堪えた。
「食わせ殺すって……アイスクリーム頭痛を死因にするって事……?凄くふざけてるね……ふふふ」
「アァッ!?文句あンのかコラ!!」
「っふふ……爆殺王よりも、焦凍が専門だと思うけど……ふふ、駄目だお腹痛い」
「不満なら言えや」
捉把が首を振った。
何故だか舌に乗るイチゴの味が、ほんのりと甘味を増したように思える。かき氷を食しているのに、心の内側に心地好い熱が広がった。
勝己を正面に見据えて、捉把は笑む。
「かき氷、また好きになれそうだよ」
「ふん、そう言ってられんのもその内だわ。今に苦痛でその顔歪めてやる」
「楽しみにしてるね」
食後に海での第二回戦も乗り越え、二人は帰路に着く。
駅まではバスで同車する事になっており、二人は空いた優先席に座った。疲れ果てた捉把は勝己の肩に頭を預けて眠る。その寝息は安らかであり、以前の陰りもなく綻んだ情けない顔だった。
勝己は今日、彼女が撮影したツーショット写真を眺めると、鼻を鳴らしてポケットにスマホを仕舞う。
無防備に眠る彼女を見詰めていると、海水浴場からそのまま着せていたパーカーの襟元から何かが覗いていた。
勝己は何の躊躇いもなく手を入れ、それを引っ張り出した。
疑問の正体は丁寧に折り畳まれた紙である。
「ンだコイツ、いつの間にこんな――」
無造作に開いてに中身を検分し、勝己は絶句した。
『父より』、その差出人の身分を示した部分を凝視した後、捉把を見遣った。
彼女は先程襟に手を入れられた感触で起きたのか、薄目で勝己を見上げる。
彼は思わず紙をポケットに突っ込んで誤魔化した。
「……勝己くん」
「……ンだよ」
「久しぶりに貴方のご飯が食べたいから、今日……泊まっても良いかな?」
「……半分野郎の家に連絡入れとけ」
「うん、じゃあ今晩はお世話になりますね」
捉把は柔らかく笑み、再び寝入る。
勝己は悟られぬよう、再び紙を取り出して記された内容をすべて記憶すると握り潰した。
原作で勝己が皆との買い出しに行かなかった理由を捉把にしてみました。
水着に萌えるシーンをもう少し書き足した方が良いのか悩んでいますが……次やな!!次!!