今日の2時間目は隣のクラスと合同の体育の授業であった。体操着姿の生徒達がグラウンドに駆けていき、その後ろでゆっくり行く水奈瀬コウに東北きりたんは、あの、先生、とぼそっと声をかけた。水奈瀬はいつものように慣れた表情で、彼女の視線の高さに腰を下げた。
「どうだ、今日は出られそうか?今日はドッチボールなんてやろうかなぁって考えたりしてるんだけど」
水奈瀬は共感を誘うように楽しくドッチボールの話を提示してみた。だが、きりたんの表情は変わらず、落ち着いたままだったので、今日も見学するか?と優しく問いかけた。彼女は静かにそれに応じ、すみません、と頷いた。
「分かった。また出られそうだったら、いつでも言ってな」
そう言い、水奈瀬は立ち上がり、グラウンドの方へと向かって行き、先生、ドッチボールやるの?と生徒が群がり始めていた。きりたんはそれを横目にグラウンドを隅で見渡せる位置に進んでいった。
少し段差になっている所の砂を払い、そこに居座って、授業の風景を眺め始めた。
二クラス分の生徒達が男女二列ずつに並び、体育座りをして整列すると一人の女子生徒が手を上げた。
周りの女子生徒達が大丈夫?と体育座りのまま、顔を横から横にのぞかせていた。その立ちがった女子生徒である音街ウナは水奈瀬に簡単に了解を得ると、きりたんの方へ向かって行った。
「おーい、東北。どうしたの?調子でも悪いの?」
きりたんはウナの行動に警戒して身構えていたが、その言葉に少し肩を脱力させた。
「何だ、私のこと呼びにでも来たのかと思った。私運動苦手だから、その、笑われたりとかしたくなくて、いつも体育は見学させてもらってるんだ」
そうなんだ、と理解を示しつつ、ウナは座る所の砂を払い、きりたんの隣に座った。
「そういう音街こそ、どうしたの?どう見ても、健康体に見えるけど」
きりたんは首だけ横に向けて、まだ引き気味で警戒しているように聞いた。
「東北がどうしたのかなぁって思って、調子悪いって嘘ついちゃった。それにせっかくだし、話もしようかなって」
ニコッと笑ってみせたウナを見て、きりたんは自分のわがままとして見られそうなこれを否定せず、受け入れてくれたことが内心とても嬉しかった。それを表には出さないように、そっか、とすぐに顔を前に戻した。
生徒達はグラウンドの外周のランニングを始めようとしていた。ダダダダ、という連続音を背景にきりたんは話を始める。
「あのさ、水奈瀬先生っていい先生だよね」
「先生?うん、私も先生は好きかな。かっこいいし、優しいし」
「へぇ、年の差恋愛か。さて、音街の恋は芽生えるか」
冗談交じりでからかうようにきりたんは言い
「ってそっちじゃないよ!」
ウナは冗談だとは分かってはいたが、反論をする反応を一応見せた。あはは、ときりたんは冗談だと笑ってみせた。
「でも、東北も先生のこと気に入ってるんだ。ちょっと意外だな」
「私のこと、よく気にかけてくれて、嬉しいから。廊下とかで調子はどうだ?ってよく聞いてくれるし」
きりたんは少し顔を伏せて、どこか素直じゃなそうにそう言うと、そうなんだ、とウナは水奈瀬の姿を追いかけてみていた。丁度、彼はドッチボールをするための枠の線を足で引いている所であった。彼への印象が変化している時に、それでね、という言葉にウナは反応して、首をきりたんの方に向けた。
「先生はこうやって見学するのを許してくれてるけど、でも、先生に少し悪いなぁとも思うんだよね」
ウナは言葉を頭の中で整理しながら、両足を何度か上げては下げたりしていた。
その間に生徒達がランニングを終え、グラウンドの中心に集まり、ドッチボールが始まろうとしていた。
彼女は足の動きを止めた。
「焦らなくてもいいんじゃない?今日なら行ける!みたいな時に出ればさ。私はね、ちゃんと東北のことを見てくれてる人がいるってことを知れて、何か安心した」
ウナがそう言うと、彼を認めるという気恥ずかしさから仏頂面になって、きりたんは口をはしらせる。
「でも、音街と一緒にいる方が楽しいかな。さすがにずん姉さまやゲームの話は出来ないし」
「あはは、ありがとう。あ、先生撃沈した」
ちょうどボールが水奈瀬の顔面に当たり、二人は顔を一度見合わせてから、グッドタイミング!と思いながら笑った。
ドッチボールが終わり、授業が終わる時間帯になるとウナはすっと腰を上げ、きりたんは重い腰を上げた。二人はハーフパンツに少し付いているだろう砂を手で払った。
「あ、私達一応、調子悪いってことになってるんだから、気をつけないとね」
ウナはきりたんよりも前に行き、ぱっと彼女の方を向くと
「行こ、東北」
ウナはニコッと微笑み、彼女の名を呼んだ。
きりたんは存在を確かめるように呼ばれたことへの気恥ずかしさで、うん、と小声で返事をした。
ウナの少し後ろできりたんは頭を少し下げて、授業を終えた生徒達に混じって教室へと進んでいった。あっという間にウナは生徒に囲まれ、きりたんは後ろの方に流されるように行ってしまい、先ほどまで二人が一緒にいたとは到底思えない状態になった。
二人の様子を授業の間、うかがっていた水奈瀬は言葉に出せないもどかしさを抱えつつ、生徒達と教室に戻った。
その日の夜に居酒屋で、水奈瀬コウと吉田くんは酒を交わしていた。二人はカウンター席で一席開けて座り、少し酔いがまわっているのかお互いの顔が赤く染まっていた。
コップのビールを一飲みし、水奈瀬は相談するようにおもむろに口を開ける。
「やっぱり、大変だよ。吉田くん、教師っていう仕事は」
そんな相談の切れ端の言葉に吉田は快く了解し、飲んでいるコップを置いた。
「何を言ってるんだい、水奈瀬君。生徒達にも慕われているんだろ?一体何を心配しているんだい?」
水奈瀬はビールが入ったコップを置き、ちょっとね、と切り出した。
「ちょっと心配な生徒がいてさ、クラスに馴染めていないというか、浮いているというか、いつも一人でいる女の子がいるんだよね」
「もしかして、いじめられたりしているのかい?」
重い内容であると予想できたため、吉田の言葉にも深みがかかっていた。
「いや、そういう訳でもなさそうなんだよね。生徒達に話を聞いても、一人でいるのが好きみたいだから、皆でそっとするようにしてるって言ってるし。自宅面談をした時も、ちょっと人見知りする子で、家では学校は楽しいって言っているんですよって感じでさ」
うん、と吉田は相槌を打ち、水奈瀬の言葉に深く心を傾けていた。
「でも、ちょっと心配だからさ、声とかよくかけたりして、気にかけるようにしてるんだけど」
「それが本当に正しいことなのか、不安になるんだろ?ちゃんとその配慮が伝わっているんだろうか?一教師という立場上、そこまで深くは関われない。それに相手は小学五年生の女子生徒だ。その行動がただのお節介になったり、もしかしたら大きな問題に繋がることだってあるかもしれない。すごく難しい年頃の相手をしなければならないからより不安になるんだろ?」
吉田の言葉に、そうなんだよなぁ、と頭をカウンターに伏せて、激しい共感の意思を見せた。
「でも、今日の体育の時、隣のクラスの子と仲良さそうに話をしていたんだよね。友達?とは聞けなかったけどさ」
カウンターに付けた頭だけを吉田の方に向けて、思い出すように水奈瀬は言った。それを聞くと吉田は、なら安心だと笑って見せた。
「一人じゃないなら、いいじゃないか!一人でも心が許せる人がいるなら、きっとその子は大丈夫さ」
水奈瀬はそっか、とその言葉を噛みしめていた、吉田は飲みかけのコップを手に取り、
「僕達みたいにさ。水奈瀬君」
とかっこつけて、水奈瀬の横に出した。彼はそんな吉田の行動を受け入れた上で一人の親友として
「そうだね、吉田くん」
そう言ってお互いにコップを、カン、とぶつけ投合した。<了>