魔法少女リリカルなのは 〜オーロラ姫の凍りついた涙は誰のために〜 作:わんたんめん
「うーん。症状が思ってた以上に深刻ね・・・・。」
少年を医務室に連れてきたあとクロノと必要最低限の職員を残して、退室させた後、いくつかの質問を少年に行なった。
しかし、少年の答えは無反応であった。否、反応自体はしてくれるのだが、まるでこちらの質問の意味が分からないと言うように首を傾げるだけであった。
自身の年齢や自分が何者かさえ答えることができない有様にクロノは思わずリンディに質問をした。
「彼、記憶を何もかも無くしているんでしょうか?」
「そう考えるのが妥当かしらね。おそらく解凍した際に脳の海馬部分に異常が発生して、事実上の赤ん坊状態になってしまったのね。」
リンディの言葉にクロノは表情を暗くした。なぜなら、その少年の記憶を奪ったのは、他ならぬ自分たちだからだ。まだ事件の収束が済んでいないから、関連性があるかもというもしものかのうせいを疑って、彼を目覚めさせた。
だが、結果としては関連性を掴むどころか、一人の少年の記憶を奪ってしまった。
「・・・・貴方が気にすることはないのよ。指示を下したのは、私なんだから。責任は私にあるわ。」
そんなクロノにリンディは優しく諭し、彼の頭に手を乗せる。
クロノはそのことが恥ずかしかったのか、顔を薄く赤らめながらリンディから距離を取った。
「や、やめてください!」
その様子も愛らしく感じるのは母親としての心なのかしらね、とリンディは軽く微笑んでいた。
「さて、本格的にこの子をどうするか、ね。」
「・・・・グレアム提督に預けてみますか?ロッテとアリアに何されるかわかりませんが。」
ギル・グレアム。時空管理局の顧問官を務めており、リンディの夫であり、今は亡き『クライド・ハラオウン』の上司に当たるベテランの重鎮である。
クロノの執務官試験の時の監督も務めていた老人である。
ちなみにクロノの言う、ロッテとアリアとはグレアムの使い魔である『リーゼロッテ』と『リーゼアリア』のことである。
彼女らはグレアムの使い魔として彼に連れ添っている。
そのコンビの強さは管理局随一と言われている程である。
なお、リーゼアリアはクロノの挌闘技の師匠である。
「そうねぇ・・・。一応、保護したっていう名目で預けてみるのもいいわね・・・。まだフェイトちゃんの裁判も済んでいないし・・・・。」
フェイト・テスタロッサ。プレシア・テスタロッサが引き起こした後に『P.T事件』と称されるようになる事件において、保護した少女である。テスタロッサの姓を名乗っている以上、プレシアとの関係性が疑われるが、彼女はプレシアの実の娘であった『アリシア・テスタロッサ』のクローンであり、彼女とプレシアの間に血縁関係自体は存在しない。
彼女は現在事件に関与したとして、裁判が行われているが、彼女自身の意思によるものでなかったのは明らかなため、事実上の無罪は確定している。
しかし、無罪が確定しているとはいえ裁判である以上、時間がかかるためその少女はアースラの艦内にいる。
そして、リンディの視線は少年の首に下がっているネックレスに注がれていた。
そのネックレスはとても簡素な造りに翼に抱かれた剣のアクセサリーが付いていた。
おそらく察するに管理局の魔導師たちが持っているデバイスという可能性が高い。
(ねぇ、クロノ。彼の首にぶら下がっているネックレス。どう思う?)
リンディはクロノに対して念話で語りかける。
(おそらく、デバイスだと思いますけど・・・。)
クロノからの返答は自身が思っていたことと同じものであった。
リンディは少しばかり意を決した表情をしながら少年に語りかける。
「ねぇ、君の下げているそのネックレス。見せてもらってもいいかしら?」
リンディのなかなか踏み入った質問にクロノや職員で緊張が走った。
渦中の少年は最初こそ疑問げだったが、少しするとリンディの伝えたいことが伝わったらしく、首にかけていたネックレスをリンディの目の前に差し出した。
「ありがとう。」
少年にそうお礼を述べると、少年の手からネックレスを受け取る。
(うーん、やっぱり悪い子ではないのかしら・・・?)
一見するとこの少年はとても素直に見える。だが、それは記憶を失っているからであり、本当の彼はまるで違う人間ということもありえる。
(・・・・やっぱり、話せないって言うのが一番ネックね・・・・。少しでも口を開いてくれれば、こっちとしても彼の性格を把握できるんだけど・・・。)
視線を向けるも当の少年の反応は軽く首を傾げるだけであった。
思わず軽い笑みを浮かべると少年もまるでおうむ返しのように笑顔を浮かべた。
その事が少年が自身の記憶を何もかも無くし、赤ん坊に戻ってしまっていることを否応がなしに認識させられる。
リンディが少年の処遇について考えに耽っているとーー
「・・・・うっ・・・・。」
思わずリンディ、クロノの両名はおろか、その場にいた職員でさえ目を見開いた。
今、たしかに喋れないと思っていた目の前の少年が口を開いて、声を発したのだ。
リンディは一瞬、少年が話せるかもしれない、そう思ったがーー
「・・・・うー、あー・・・」
およそ言葉とは言えない声を発した後、少年はむせてしまった。
多分、冷凍睡眠されていたことで長らく使っていなかったのと記憶が吹き飛んでいるのもあって喉を震わすことにまだ慣れていないのだろう。
「む、無理しなくて大丈夫だからね・・・?」
若干、肩透かしを食らった気分だったが、リンディは少年に気遣いの言葉をかける。
クロノも手がかかりそうだと言った表情を浮かべながらも柔らかそうな笑みを浮かべていた。
「それでは私たちは一度、管制室に戻ります。彼に何かあったら直ぐに報告を。」
「了解しました。」
職員にそう伝えたあと、リンディとクロノは少年を残して、医務室をあとにした。
アースラ艦内の廊下で二人の歩く音だけが響く。
「あの子、やっぱり悪人、ではないのかしら。」
「彼の佇まいを見る限り、今のところはそう判断はできます。ですが、それはあくまで彼の記憶がないだけ。もしひょんなことで記憶を取り戻した時、あのままの彼であるとは・・・。」
「・・・・そうよね。それに、彼が持っていたデバイスも気になるし・・・。」
リンディの手の上には少年から預かったデバイスと思われるネックレスは照明の光を反射して、光輝いていた。
『・・・・なるほど、あの冷凍睡眠カプセルの中には少年が入っていたのか。』
「はい。ですが、解凍を行った際に記憶を失ってしまったようです。おそらく海馬に異常が発生したためだと思われますが・・・。」
『記憶喪失の度合いはどれほどかね?」
「その子は・・・。かなり重度の記憶喪失を起こしています。それこそ、精神状態が赤ん坊のそれまで戻ってしまっているほど・・・・。」
管制室にやってきたリンディとモニターを介して会話をしているのは青白い髭を生やした初老の老人であった。
その人物は時空管理局における重鎮、ギル・グレアムその人である。
リンディは彼に対して、少年のことに関して、予めの報告は行なっていた。
彼はリンディからの報告を聞くと少々難しい表情を浮かべた。
『ふむ、それで今その子はどうしているのかね?』
「現在は医務室で監視を行っています。比較的、パニック症状などを起こしている訳ではないので問題はないかと思われますが・・・。」
『意思疎通はできているのかな?』
「ええ。なんとかこちらの話していることに理解は示してくれているようです。」
リンディの報告に対し、グレアムは少々考え込む仕草をした。
『確かアースラの定期メンテナンスはそろそろだったかい?その時にその子を預かろう。いつまでも置いておく訳にはいくまい。』
グレアムからの思ってもいなかった提案にリンディは驚いた表情を浮かべる。
「よ、よろしいんですか?」
『何、君が気にすることはない。デスクワークもいかんせん、暇な時が多いのでな。』
「提督がそれでよろしいのでしたらいいのですけど・・・。」
『・・・しかし、今回、君には中々酷なことをさせてしまったな。』
「・・・大丈夫です。提督が気にすることはありませんから。」
リンディの言葉にグレアムは柔らかな笑みを浮かべた。
『では定期メンテナンスの時にまた会おう。』
「はっ!!了解しました!」
リンディがグレアムに敬礼をすると、モニターの映像が閉じ、通信が終了する。
「まさか、提督がこちらから切り出す前におっしゃっていただけるとは・・・。」
「ええ・・・。でも、アースラ自体のメンテナンスはまだ先だし・・・・。あの子の経過次第で、艦内を出歩かせてみるのもいいかしら?」
「いやいやいや、母さん。それは不味いって・・・・。」
リンディの発言に思わず一執務官としてではなく、彼女の息子としての口調が出てしまうほどに狼狽した様子を見せたクロノを彼女は軽く笑みを浮かべる。
「・・・・・・・・。」
で、その件の少年、もとい、ヒイロ・ユイは医務室の外に出ていた。
監視していた職員はヒイロがあまりにも何もしなさすぎて、退屈のあまり居眠りをしていた。その間に彼は医務室から退室した。
その職員に咎はない、と思いたい。
ヒイロはその胸に抱いちゃった好奇心の赴くままにアースラ艦内をほっつき歩こうとしていた。
「あの・・・・見かけない方ですけど、どなたですか?」
声がかけられたが、そんなことは露知らず、ヒイロは御構い無しにそのまま歩を進める。
「あ・・・あれ?き、聞こえてないのかな・・・?あ、あのっ!!」
そこでようやく自分に声がかけられていると感じたのか、ヒイロは振り向いた。
振り向いた先にいたのはキラキラと輝いてみえる金髪の髪をピンク色のリボンでツインテールでまとめた少女がいた。
その少女の名前はフェイト・テスタロッサ。
物語の歯車に本来ありえないはずの歯車が組み合わさった結果、物語は僅かにその動きを変えた。
それに気づくものは誰一人として知りうることはない。