サナギとムゥの宝箱・2
遊栄社一階エントランス。
入り口の自動ドアをくぐって、今、白シャツにブレザーの少年が入って来た。
背には学校帰りらしい通学カバン。
今日はザンバラ頭は幾分落ち着かせているが、目の下の隈は相変わらずだ。
一瞬不安そうに立ち止まった後、決意したように視線を定めて、上階へ通じるエレベーターホールを目指す。
「あ、あのバカ……」
こちらは、ロビー脇のギャラリーの陰。
ソファに座って広げた新聞でベタな隠れ方をしているのは、ベタベタな変装姿の福田。
(まずは受付に行って入館手続きしろって教えただろっ。おまけに約束の時間より全然早いじゃねぇか。先方は仕事中なんだから、訪問は約束時間ピッタリにって、あんだけ念を押したのに!)
「大丈夫です。一人で行きます」
昨日の夜、電話して来た公星は、心配する福田に対して、そう言い切った。
エイジの所から帰ったその夜に久祖に連絡を取り、会いに行く約束を取り付けたという。
先日の事を謝って、エイジに言ったのと同じ台詞を、『顔をしっかり見て』言いたかったらしい。
「本当に大丈夫か? その日なら着いて行ってやれるぞ」
「決意が揺らぐから、そゆ事言わないで下さい」
「うん、自分で会いに行くって決意して、ちゃんと連絡して約束出来たんだもんな。お前にしては頑張ったよ」
「あー、いえ、そこは、……先に久祖さんから連絡を貰ったのですが…」
「?? メッセージ機能、使えないようにしてたんだろ?」
「えっと……メッセ入れようと、設定をONにして、文章作ろうとマゴマゴしている間に、向こうから先にメッセが届いちゃって…」
「……ちなみに、何時にONにして何時にメッセ来たか教えてみ?」
「いいじゃないですか、そんな事」
全然大丈夫じゃないじゃねぇか。
そんなんでちゃんと話が出来るのか? また何かしでかすんじゃねぇか?
案の定、警備員に止められてアタフタする公星少年。
前にも一回訪問しているだろうが。覚えてねぇのか、ねぇんだろうな。
あああ、もお! だから放っとけないっつーの。
「何やってるんですか? こんな所で」
福田が座った形のまま飛び上がって振り向くと、ジャック編集の小杉が目をパチクリさせて立っている。受付の方を向いて新聞紙を広げていたから、外から来る者にはノーガードだった。
「小杉さん、頼むっ隠れてっ!!」
福田は小杉の頭を押さえて、ソファの影に突っ伏した。
間一髪、背中を向けていた公星が、周囲を見回して首を傾げている。
勘だけは無駄にいいんだよな、あいつ。
「あれ、公星君でしょ? 久祖に会いに来たのなら、ちょっと早過ぎるような…」
「うん、そう。小杉さん、今日の奴の訪問、知ってるの?」
「朝、久祖に聞きました。で、福田先生はこんな所で何をコソコソしているんです? しかも何ですか、その胡散臭いサングラス)
「これはその、あれよ、親心っつーか……」
鼻の下をゴシゴシこする福田の横で、小杉はクスリと笑って、立ち上がった。
「お、おい」
突っ伏したままの福田に小さくウインクして、彼はスタスタと警備員の方に歩いて行く。
「公星くん!」
清々しい声に、少年はビクンと揺れて振り向いた。
「すみません、僕の知り合いです。ブースに連れて行きます。さ、行こう」
警備員に会釈して、小杉は公星の手を引っ張る。
「あ、あの…」
「久祖に面会でしょ? あいつは今ちょっと上に呼ばれていて、自部署に居ないと思うよ。それに約束の時間にはまだ早いだろ?」
「あ……」
少年はそこで初めてロビーの時計を見上げる。
やっぱり福田に言われた事とか、まるっと忘れていたみたいだ。
「ジャック編集部の小杉といいます。ね、時間まで僕とお茶しない? ご馳走するからさ」
返事を聞かずに小杉は、ロビー奥の談話ブースの一つを確保し、コーヒーを注文した。
「ででででも……」
少年は躊躇して後ずさる。
小杉と初対面ではないのだが、あの時編集部内にいた面子など、覚えていなかろう。
いきなり現れた知らない大人に、警戒心満々だ。
そんな彼の耳元に顔を近付けて、小杉は何かささやいた。
瞬間、少年は感電したように硬直する。
(???)
福田の場所からは、勿論声は聞こえない。
だが、そのひと言で公星の表情が明らかに変わったのは分かる。
魔法にかけられたように大人しくなり小杉に従う少年に、福田は唾を呑み込んだ。
(何の呪文を唱えた? 小杉さん)
ブースの衝立(ついたて)の向こうに去り際、小杉は振り返り、もう一度ウインクして、隣のブースを視線で指した。
(俺に、盗み聞きしろってのかよ…)
福田は眉をしかめて立ち上がった。
サナギとムゥの宝箱・3
福田は忍び足で、小杉達の隣のブースに滑り込んだ。
抵抗は感じるが、あんなに扱いづらい公星を一発で従順にさせた魔法に、正直、興味がある。
雄二郎さんと違って小杉さんは真面目だし、悪ふざけではないんだろう。
「あの……」
おずおずとした公星の声。
「何で、そのハンネを? あっ、もしかして、『ムゥ箱』の住人だった人ですか?」
何だ? ハンネ? ムゥバコ?
「ううん、僕じゃない。久祖が君の事をそう呼んでいたんだ。『ハムたろ』ってハンドルネームで」
「え、え? 久祖さん?」
「うん、学生時代、『ムゥの宝箱』はよく覗いていたんだって」
「ええっ! 本当ですか? ハンネは? まさか、あのスレの誰かだったとか?!」
「いやいや、彼はROM専……読むの専門で、ネットでのコメントはほとんどした事がないって言ってた」
「そうですか……」
ふむ、『ムゥの宝箱』とはネット上のサイトの一つなんだろうな。
そこを、偶然、過去に、公星も久祖も利用していたって事か。
小杉さん、細かい補足ありがとう。
「『ムゥの宝箱』なんて、ほぼ『レトロ漫画を語り合うオッサン達のサイト』なのに、本物の小学生がいて、それが結構古い漫画に詳しくてオッサン達に馴染んでるもんで、微笑ましくて、つい覗きに行ってたんだってさ」
「そう……なんですか、懐かしいなあ、僕が初めてネットで人と話した場所なんです。うわ、思い出したら顔が熱くなって来た」
公星の声がほどけた感じで弾んでいる。
ちっ、俺には唄いながらでなきゃ喋れなかったくせに。
「久祖さん、何で『ハムたろ』が僕だって分かったんでしょう? 今から思うと生意気な小学生だったし、めっちゃ恥ずかし」
心配するな、今でも十分生意気で恥ずかしい奴だぞ、お前。
「小説サイトに投稿を始めたって、スレで報告しただろう?」
「うわっ、本当にヤバい所見られてた。クサイ台詞で宣言した記憶がある」
「ネットの海に放つ言葉には気を付けなきゃ、だね」
「はいぃ・・」
だから何で、俺の前と違ってそんな素直なんだよ、腹立つな。
「その時、スレの仲間に教える為に、小説サイトのURLを貼ったろ? 久祖もちゃっかりコピーして、読みに行ったんだって、君の小説」
「・・!」
「小学生らしからぬきっちりとした文体と、小学生らしい自由な発想力に、妬ましさすら覚えたって言っていたよ」
「そんな、まさか」
「それが、久祖と君の小説との出会い。そして彼は、それ以来の君の小説のファン」
少しの沈黙の後、椅子を動かす音がした。
「そろそろ時間だね。受付で手続きしておいで。ちょっとでも君と話せて良かった」
少年が受付で訪問者カードを貰って上階へ消えた後、福田がノソリと姿を現した。
「小杉さんズルいな、何? その隠し玉。『ムゥの宝箱』って何だよ」
「さあ、僕も見た事ないんです。何年か前に閉鎖されたらしいですから」
「ちぇっ」
後で奴の黒歴史を覗いて笑ってやろうと思っていたのに。
「こっちはアナログに奴に付き合って苦労していたのに、ネットの向こうの文字だけの奴等にあんな弾んだ声出しやがって。ひねくれてもいい? 俺」
小杉は、そこは真剣に首を横に振った。
「あの子の扉を開いてくれたのは福田先生ですよ。メッセージが繋がって、久祖が本当に感謝していました」
「こそばゆい言い方すんなよ……あっ!」
一つの事に気付いて、福田は公星の去った方向を見やった。
「何で下のブースでの面会にしなかったんだ。ジャリラン編集部なんかに行ったら、また佐波寅さんがしゃしゃり出て来て、面倒な事になるんじゃないか? 新妻師匠への未練タラタラなんだろ、あの人」
「ああ、その点は対策済みです。ハブの所へはマングースが行っていますから」
「??」
「おっしゃる通りです! 今時の子供に考えさせる漫画なんか必要ないですよね!」
表通りのうらぶれたファミレス。
よく喋る青年に適当な相づちをうちながらも、佐波寅はまだ彼が誰かを思い出せずにいた。
しかし自分の部署や役職を知っているし、自分が常日頃言っている事にもグイグイ押し入って来る。誰なんだ? 飲みの席ででも意気投合したんだっけ?
「ゆとりに育てられた子供なんて、ゆとりもゆとり。頭も身体も栄養過多でブヨブヨで、小難しい物を消化する力なんかありゃしない。ただ大人の嫌がる刺激物を面白おかしく摂取していたいだけ。そんな連中に情操だの知育だのって考えてやる必要ないですよね」
「いや、君、いくら何でもそれはちょっと言い過ぎじゃないか」
「何を仰いますやら、お下劣漫画の第一人者、遠藤メンデル先生の担当さんが!」
言葉と同時に、青年は数枚のコピー紙をテーブルに並べた。