あの時そこには
トーンの切り屑散らばる、マンションの一室。
亜城木夢叶の片割れの真城が、一生懸命掃除をしている。
「手伝えよ、シュージン。さっきから何やってるんだよ」
「うん……」
相棒の高木は、ソファに座ってパソコンを睨んだきりだ。
「これから来る相手の事を調べているのなら、趣味が悪いぞ」
「そんなんじゃないって」
高木はパソコンから目を逸らさないまま答えた。
「それに例の作品、ジャリランの見本(みほん)本見せて貰ったけど、なかなか良かったじゃないか」
「中井さん補正が効いているんだろ。なのに、高校生原作者って前面に押し出し過ぎだってーの」
真城は掃除の手付きが乱暴になった。
「俺達だってデビューの時はそんな感じだったじゃないか。……なあ、彼が来てもそんな顔してるなよ。一応仕事なんだから」
「『高校生原作者の先輩を訪ねて』って対談企画か。俺、打ち合わせ中に逃げ出すような子とシュージンが同じテーブルに並べられるのも嫌なのに」
「いいじゃん、仕事として割り切れば」
真城の熱とは裏腹に、高木は心ここにあらずな感じで液晶に見入っている。
「だったら掃除手伝えよ。だらしない仕事場だって思われるのも癪(しゃく)だろ」
「うん……」
「だからあ!」
相変わらず上の空な高木の肩を引っ張って、真城はびっくりした。
「・・・」
「な、何で泣いてんだよ、うわっ鼻水、汚なっ」
「だ、だっで・・・」
高木の指差す液晶には、ネットのチャット欄らしき画面。
「またネットかよ」
「違う、これ、服部さんに貰ったUSBメモリ」
「??」
見ると、パソコンの横に小さな記憶媒体が差し込まれている。
服部は、今の連載『PCP』の担当で、デビュー時から世話になった、二人の最も信頼する編集者だ。
鼻をかんだ高木が、画面をスクロールして最上段に戻した。
「何かのサイトのチャット画面のコピーだと思う。レイアウトとか多分そのままなんだろうけど、ネットじゃないからトップ画面に移動は出来ない。このページだけ」
「……」
真城も目が吸い寄せられた。
最上段のスレッドタイトルが、『亜城木夢叶を応援するスレ』で、すぐ下のコメントに、
:夢叶さんの作画担当の方が入院されました。
・・・とあったからだ。
「俺が倒れた時の? 4年前?」
「『TRAP』休載の報せが出た日付だな」
高木がスクロールして見せた。
:夢叶さん、早くよくなって
:ゆっくり治してください
:元気に戻って来るまで待っています
:鶴折りました
(という下に折り鶴の画像)
:俺も折ってみた。
:私も
:うちは100羽折りました
・・てな感じで、色とりどりの鶴の画像が並んでいる。
「へえ、こんな事してくれてたんだ。ネットでもこんな場所もあるんだな」
高木が、更に下へスクロールして行く。
:夢叶さん戻って来た。
:おかえりなさい。
:身体は大事。無理しないでね。
:待ってたぜ、やっぱり『TRAP(トラップ)』がなきゃ。
「うわ、嬉しいなあ。手術明けのヨレヨレだった俺に見せてやりたい」
一瞬喜んだ真城だが、下の段に行くと、顔を曇らせた。
:『TRAP』切るなんて信じられない。
:ジャック編集何やってんだ。
「『TRAP』が打ち切りになった時だ…」
あまりいい思い出ではないので、真城は目をそらした。
「真城、ここ」
高木の声に、目を上げる。
:夢叶ロスの皆さんに朗報。25号で、亜城木夢叶復活。
:おかえりなさい、夢叶さん。
:待ってたよ。
:おかえりなさい
「『TEN』の時だな」
「俺達にとっても長かったよな、ファンの人達もそうだったんだな」
「うん……」
:今度はぜったいアンケート送ろうぜ。
:同じ轍は踏まない。アンケート必須。
:みんなで夢叶さんを連載枠に呼び戻そう。
「俺、さっき、ここで泣いたの」
「ん……」
真城もちょっとグッと来ていた。
:三冊買ってアンケート送った。更に朗報。次号にも夢叶さん載るよ。嬉しすぎ。
:やった! 完全復活だね。
:早く連載~。
:いやいや、身体が第一ですよ、夢叶さん。もう無理はしないで。
「嬉しいなあ、俺達も嬉しかったよな」
「ああ」
二人は掃除も忘れて、思い出に浸りながら画面に見入った。
高木にして不思議だったのは、このスレッドには、他でありがちな、からかいや汚い言葉がほとんどなかった事だ。これなら安心して真城にも見せられると思った。
:よかった、今度はエグい奴だ。『Futune Watch~未来時計~』最高!
:やっばりこうでなくっちゃ『TEN』で心配になったけど。
:うん、不安感ハンパなかった。
:引き出しが多いって事でしょ。夢叶さんのギャグもたまにはいいじゃない。
ずっとは困るけど。
:ねえ、もしかして、二号連続、違うタイプの読み切りが載ったのって、
読者の反応を見比べる為だったりして。
:・・・あ・・!!
スレッドはそこで途切れていた。
「中途半端だな」
「ねえ、シュージン、その一番下にある数字は?」
「あ、二ページ目以降がある」
クリックすると、折り畳まれていた続きのページが開いた。
:やべっ! 先号にお小遣い使いきっちゃった。
:Web版契約してるのに、わざわざ紙の本買ってアンケート送ったのに!
:なんでギャグの方、先に載せたんだよ、罠だろ。
:それぐらい考慮してくれるでしょ…
:考慮してくれなさそう。亜城木夢叶にギャグ描かせる時点で。
:夢叶さんが実はギャグ好きで描いたのかもしれないよ。
:ありえん。明らかに『Futune』の方が筆がノッテるだろ。
「…………」
「筆がノッテるとかノッテないとか、ちゃんと見られてるんだなあ…」
「っていうか、ギャグとエグいの両方載せて読者の反応を比べるって、まんまバレてたんじゃん。ジャックの購買ターゲットよりちょっと上の年齢層の人達なんだろうけど……怖ぇよ」
***
:うそだろ?
という書き込みに日付を見ると、読み切り版の『ひらめき!タント君』が載った『ジャックNEXT』の発売日だ。
:亜城木夢叶、ずっとこれで行くのかなあ…
:がっかり……
:春の読み切り二連続のアンケ、ギャグの方が良かったのかなあ?
:まさか、ネタ古いし、スベリまくってたじゃん。
スクロールしながら高木が悲愴な顔になった。
しかし真城も「もうやめておこう」と言えずに、その先に対する好奇心に負けていた。
:僕らのせいかなあ。
復活第一段に浮かれて、内容関係なく、アンケ送りまくっちゃったから。
:それはないだろう。全部を集計する訳じゃないんだから。
:ねえ、『TRAP』から担当の人変わったの?
:同じ人の筈。でも、元々『TRAP』の企画を作ったのは、別の編集さんとらしいよ。
「!!!」
二人は顔を見合わせた。
「シュージン、このメモリ、服部さんに貰ったって?」
「うん、でも、服部さんも貰い物だって言ってたんだ。中身を確認もしないで僕らに渡す人じゃないから…… 推測だけど、服部さん、二ページ目がある事に気付かなかったんじゃないかな」
「……」
:はあ、なるほど……
:・・・あ、察し。
:どおりで。
:『TRAP』みたいな傑作が失速した理由が……
真城がテーブルをダン!と叩いた。
高木が恐々彼を伺うが、画面を睨み付けてスクロールを促している。
もうこうなったら、最後まで見切ってしまうしかない。
しばらく過去作の感想等が続いて、そして二月。
『タント』の新連載の号が発売された日付だ。
また非難ごうごうの書き込みが始まるのかと思いきや、意外や、コメントは一つだけだった。
:みんな、僕は、今日決めた事があります。
僕は、漫画家になる。
そして、担当抜きで漫画を作るやり方を確立してみせます。
担当の巡り合わせで作家の人生が左右されるなんて、本当にダメだ、絶対にダメだ。
今日まで楽しかった、ありがとうございました。
スレッドは、そこで唐突に終わっていた。
「…………」
「…………」
しばらく固まっていた二人は、ピンポンというチャイムに呼び戻された。
「はじめまして、宜しくお願いします」
服部に連れられて入って来た大人しそうな少年は、ソファに座る前に礼儀正しく挨拶をした。
(思ったより普通だな…)
目の下にうっすら隈はあるが、福田に聞いていた鬼気迫るイメージはない。
「えっと、取材の前に、服部さんに聞きたい事が。昨日くれたこのUSBメモリ、誰から貰ったんですか?」
身体の大きな服部は、のんびりとパソコンを覗き込んだ。
画面はスレッドタイトルのある最初に戻してある。
「あ、これ? 遠藤メンデル先生だよ」
「??」
真城と高木は顔を見合わせた。
「遠藤先生も別の誰だかに貰ったって。『亜城木夢叶ファンの集いらしいんだけど、自分はパソコンなくて見られないから、確認して問題なかったら、亜城木先生にあげてください』って渡されたんだ。一応ウィルスチェックもしたんだが……何かあったのか?」
「いえ……」
「そうそう、真城君が入院した時の折り鶴画像! いいよな、ああいうの」
やはり二ページ目以降は知らないようだ。ファンレターと同じ感覚で渡してくれたのだろう。
「でも何で遠藤先生が? ジャリランの作家さんでしょ?」
「うん、今、小杉が担当していて、編集部にいらしたんだ、その時に……」
「??」
「おっとすまんすまん、まだ社外秘だった、忘れてくれ」
「???」
そこで服部のスマホが鳴った。
「え? ……ああ……分かります……はい……そこで待っていて下さい」
鞄を持って立ち上がる。
「カメラマンさんが道に迷ったそうだ。すまない、ちょっと迎えに行って来る」
「あ、はい…」
玄関まで服部を見送った二人は、もう一度顔を見合わせた。
なんだよ、このデジャヴ感・・・
そう、過去、まったく同じこのシチュエィションで、七峰透は仔ウサギから古ギツネに豹変したのだ。二人は恐々、ソファの少年を振り向いた。
彼は変わらず仔ウサギのように畏(かしこ)まっているのだが…
「あ、ダメ!」
開いたままのパソコンをじっと覗き込んでる。
高木が駆け寄って閉じようとしたが、「セットさん……」という声に手を止めた。
***
「セットさんだ」
「し、知っているの!?」
「はい、これ、『ムゥの宝箱』のスレッドですよね。スレ主の名前……ほら、ここ。Septさん、こんなスレ立ててたんだぁ」
高木はもう一度パソコンを見直した。
真城も慌てて隣に来る。
「これ、『セット』って読むの?」
「はい、本人に教えて貰いました」
「この……スレッド主? と、知り合いなの?」
「えと、このサイトはもう閉鎖されているので、昔の事ですが。よく宿題教えて貰いました、算数とか理科とか」
「……」
『TRAP』終了の頃なら、確かにこの子は小学生だ。
「あっ、すみません、懐かしくて、つい」
少年は罰悪そうにパソコンから離れた。
「いや、いいよ、丁度その人の事を詳しく知りたいと思っていたんだ」
真城の言葉に、少年は堅い顔になった。
「ネットの中だけの付き合いだったし……」
ああ、これが、福田さんの言ってた『めんどくさい部分』だな。
高木が、当たり障りのない会話に切り替えようと考えている横で、真城が直球を投げた。
「このスレッド、何か不自然だよね。皆の言葉がずいぶん画一的できれい過ぎるっていうか。まるで『作られた』スレッドみたいに」
(おい、ズケズケ聞きすぎだって)
高木は慌てたが、少年はムッとして答えた。
「『ムゥ箱』は管理人さんが厳しかったんです」
「サイトの管理人? が、気にくわない奴を片っ端から追い出したの?」
「いえ、ちょっと違くて。マナーにうるさいっていうか。僕なんかもしょっちゅう削除喰らってたし」
「小学生の君の書いたものも?」
「子供だから余計にマークされてたと思う。いっぺんなんか、w入れただけで消された」
「何だそりゃ。wくらい、普通に使うだろ」
「wは嘲(あざけ)りの意味があるからって、他の大人の人達に説明されました」
そういう説もあるんだろうけど、そんな言葉狩りみたいな事をやってたら、削除だらけになって、人が居なくなっちまうだろ?
「他に使ってる人もいるのに、僕だけ消されたんです」
「へえ?」
嫌われてたのか? と言いそうになって、口をつぐんだ。
「で、不満グチグチ言ってたら、『君は意味を知らずに、ただ人の真似をして使っているからだろう』って」
「……」
「ああ、思い出した。それ、Septさんに言われたんだ」
少年は堅い顔を崩して、ちょっと微笑んだ。
「今は分かるんです。どのサイトに行っても、皆に信用されている人は、w使ってないもの。そういうのって、あの時教わらなかったら、今も気付かなかったと思う」
「……」
「そんな削除大魔神がいても住人がそこそこ残っているんだから、例えスレが画一的にになっても、きれいな文章だけを読み書きするのが好きな人って、意外といるんじゃないでしょうか」
「……」
すげぇ、真城が言い負かされてる。
高木は、頭の中に、昨日貰ったこの少年のプロフィールを引っ張り出していた。
受賞歴なしの平凡な高校一年生……だったよな。
「お、俺、お茶入れて来るわ」
重い空気から逃れるように、高木はキッチンに向かった。
はぁ、息が詰まる。
「ね、君、七峰透と知り合いなんだって?」
「サイコー! お茶っ葉どこだっけ!?」
油断も隙もない真城に、高木が慌てて大声を被せる。
(今日はその話題は持ち出さない約束だっただろ?)
「えー……どうしよう」
少年は困惑の声色だ。
「何? 七峰に何か口止めでもされてんの?」
「いえ、師匠が……」
「師匠? 新妻エイジ?」
「いえ、僕の師匠は福田さん。福田慎太師匠。この間、師匠呼びする許可を貰いました」
「……」
福田の苦笑いが目に浮かんだ。
「師匠が、亜城木夢叶先生の前では、七峰さんは『名前を言ってはいけない人』だから、細心の注意を払えと」
悪の魔法使いかよ!
「福田さんらしいな」
真城が指を組んで少年に向き直った。
「両方知っている君だからこそ、率直な意見を聞きたいんだ。このSeptと七峰透が同一人物じゃないかと俺は思うんだけど……どう?」
「サイコー!!」
短絡過ぎるだろ! それは本当にやめとけっ!
高木は真城の肩を掴んで、キッチンに引っ張って行った。
(今日は俺の取材なんだ。頼むから波風立てないでくれっ)
(シュージンだって気になるだろっ)
キッチンでゴタゴタしている二人の耳に、静かな声が届いた。
「そういえば……確かに似た所は、あるかもです」
二人、絡まるようにソファに駆け戻る。
「どんな所??」
少年は二人の顔を交互に見てから、素直に話し始めた。
「他人の事でビックリするほど熱くなっちゃう所」
「んん?」
「Septさんって、自分は何を言われても飄々としている癖に、親しい人が何かされると、めっちゃ怒るんです」
「へえ」
「僕がスレッドで、『ガキは黙ってろ』的に理不尽に絡まれたりしたら、Septさんが乱入して来て、相手をガーッと論破して追い払っちゃう。そんで管理人さんの禁止ワードに引っ掛かって、自分がペナルティ喰らったり」
「うひゃ」
「そんな事は何回かありました。で、思い返すと、七峰さんも、そんな所あるなって」
「……」
「今回、最初に編集部との間に誤解があったんですけど。僕がただただショックで茫然としている間に、七峰さんの方が先に、グワーって怒り出して」
「……」
「『お節介』って言葉は当てはまらないな。えっと、あれです。『放っとけない体質』!!」
「そ、そう……」
「でもやっぱり、他人ですよ。Septさんなら、僕の小説サイトと名前を知っているから、最初に連絡した時点で、僕だって気付いてくれる筈だもの」
インターホンが鳴って服部がカメラマンを伴って戻って来た。
カメラマンに挨拶して細々した段取りをこなしながら、高木はぼおっと考えていた。
このメモリが自分たちの目に触れたのは、たまたまの偶然だ。服部さんが二ページ目に気付かなかったのも、自分たちが気まぐれでつい最後まで見てしまったのも、操作された物ではない。誰の意志も介在しない、偶然なんだ。だったら出所が何処なのかとか、もう深く考えず、忘れてしまっていい物なのかもしれない。
ただ、のどに引っ掛かった小骨のように、どうしても心に障る。
あの青年がここで古ギツネに変身し、担当抜きの漫画の作り方を嬉々として語り出した時……自分は何て言ったんだっけ……?
やはり気持ちが他所へ行ってしまって、高木はその日のインタビュー、何を喋ったのか覚えていない