現在と微妙に違うみたいですが、原作に沿います
白シャツとゆで卵・3
「本当ですか? 新妻先生!」
驚きのあまりリアクション出来ないゆで卵を押し退けて、スダレ禿げがしゃしゃり出た。
「本当に我が誌で描いて頂けるんですか?」
「描いて頂ける訳ねぇだろっ!」
相田が割って入った。
「新妻エイジはジャックの宝だ!」
そう、ジャックの連載作家が結んでいる専属契約は遊栄社との物なのだが、実質『ジャック専属』って考えるのが暗黙の了解だ。
本来、作家は自営なんだから、どこと仕事をしようが自由な筈だ。
が、例えば福田は、担当の雄二郎に、鼻ったらしの小僧の頃から、手取り足取り漫画のイロハを教わった。
エイジには天賦の才能があったが、田舎に埋もれていた彼を発掘して上京させ、一人前の社会人になるまで面倒見たのは、ジャック編集部だ。
作家と担当・編集の間には、他からはちょっと分からない、独自の繋がりが存在する。
いくら『CROW(クロウ)』の連載が終わって余裕があるといっても、いきなりこんな事を言い出すエイジに、福田は違和感を覚えた。
だから足を掴んでいる白シャツが、「ニイヅマ……エイジ……」と呟いて全身総毛立たせているのに、気付かなかった。
「同じ社内で作家の貸し借りはアリだろ? 第一、新妻先生が乗り気でいらっしゃる」
スダレ禿げは頑張る。
「あ――のぉ――」
再び、エイジがその場を切った。
「ボクがそっちで描く事になったら、担当さんは当然この人になるんですよね?」
エイジは椅子にガーゴイル座りになって、床に四つ這いのゆで卵の方にクルリと回った。
「トンでもないっ、天下の新妻先生の担当を新卒なんかに任せられるものですか。私かベテランの誰かに」
「えー、だってボク、この原作が気に入ったのに、それをコキ下ろす人とはちょっとォ」
「い、いや、コキ下ろすも何も、私はまだ内容を読んでいませんし。でも先生がそこまでお気に入りなら」
(何だこいつ?!)
さっきまでは全部ゆで卵にひっかぶせて、他人事を決め込んでいたくせに、旨味があると思った途端にこれかよ。しかも、あれだけ蔑んでおいて、実は読んでいないだと。
福田が一言文句を言ってやろうと身を乗り出した……次の瞬間、足元の白シャツが、バッタみたいに暴れた。
「うああああ―――!!」
奇声を上げながら福田の足元をくぐり抜け、エイジの手から原稿を引ったくるや、野生動物みたいに机を飛び越え出口に走り、倒れたフリーザの向こうへとダイブした。
「新妻エイジなんか、新妻エイジなんか、絶対にダメだああぁ――っ」
という衝撃の台詞を吐きながら。
「こ、公星君!!」
ゆで卵が立ち上がって、よろけながら追い掛けた。
「きゅうそ!!」
スダレ禿げは声だけ発したが、その場を動かなかった。
バタバタと階段を駆け降りる二つの足音が遠ざかる。
「あーあ、まだ全部読んでなかったのに」
エイジがさも残念そうに、椅子をキィキィと揺らした。
「すみません、なんとお詫びしたらいいやら。あのコドモ、先生の価値が分かっていないだけです。すぐに言い聞かせますから。執筆のお話、忘れないでくださいよ」
「忘れさせて貰いますよ!」
相田がエイジを椅子ごとガラガラと引っ張って、スダレ禿げから遠ざけた。
「だいたい何なんだ? あのおかしな子は。原作担当者として招いたんじゃないんですか?」
ジャックの宝をクサされれば、相田だって気分が悪い。
「それは久祖が」
こらこら、また責任逃れか?
「そもそも久祖がネットで拾ったとか言って、あの原作を持ち込んだんだ。他に企画も無い時期で、編集長がGOを出しちまった。あいつの教育係で補佐せにゃならん俺の身にもなってくれ」
この場の者があまり同調してくれないので不満がつのったスダレ禿げは、つい口を滑らせた。
「あいつ、夏に例のあの事件をやらかした張本人なんだよ。挽回しないと後がないんで、なりふり構っていない。俺だって巻き込まれたくないんだ」
福田がとうとうブチ切れた。
「うっせぇ、いい加減にしろ! 子供向け雑誌を作ってる身なら下のモンぐらい庇え。グダグダ、グダグダ、みっともねぇ!」
「福田君……」
相田が横から肩に手を置いた。
「巻き込んで済まなかったね。タクシー呼んであげるから、新妻君と一緒に帰りなさい」
「お、おう?」
見ると、他の編集部員達は各々散らかった物を片付け始めている。皆、うつむき加減で無言だ。
「わぁい、タクシー、タクシー!」
エイジがニコニコと腕を組んで来た。
「ね、福田センセ、さっきボクの前に立ちはだかって庇ってくれたでしょ。カッコ良かったです。メドローアぶちかますかと思いました」
「よせやい」
「今の啖呵(たんか)もカッコ良かったデス。皆さんもそう思ってますよ、多分」
「…………」
白シャツとゆで卵・4
二人がエレベーターホールに出ると、またしても異(い)なる光景にブチ当たった。
壁にもたれて座り込んでいる恰幅のいい男性は、福田のよく知った人物だ。
「中井さん?」
反対側で正座して頭を下げているのは、先程駆け去ったゆで卵。
「すみません、すみません、すみません」
「俺は仕事だって呼ばれたから来たのに」
原作者に拒否られた気の毒な作画担当って、あんたかよっ?!
「本当に引き合わされてすぐなんだ。一言も喋る前だよ。名前を紹介されて、さて色々聞こうかなって構えた瞬間、あいつが立ち上がって、ダメです! って叫んで…」
階下へ降りるエレベーター。
乗っているのは、福田、エイジ、そして目も当てられない程ショボくれた中井。
ゆで卵は、作家に逃げ切られた事を上司に報告に行った。
可哀想に、また責められている事だろう。
「ナンでですかねェ。絵師ガチャで中井さんが当たったら、大当たりの部類だと思うんですが」
「師匠、絵師ガチャなんて言葉、よく知ってるな」
「素人にまでナメられるなんて。メジャーじゃないって辛いよな」
「…………」
中井拓朗の名前で世に出た作品はごく僅かだ。だが、彼の作画能力は非の打ち処がない。
アシスタント歴が長いだけあって、どんなジャンルでも器用にこなし、絵に関しては、作家仲間の間でも一目置かれている。
「まあ、俺もあんな暗そうな兄ちゃんとの仕事なんか願い下げだ。可愛い女の子だったらよかったのに」
性格がこれじゃなきゃ、『絵に関しては』って付けなくても済むんだが。
中井が言うには、原作の公星は最初そんなにおかしな感じではなかったらしい。
久祖が新人編集だという事で上司の佐波寅が傍らに着いていたのだが、部下を遮っては勝手に喋り出すので、そっちの方が雰囲気悪くて心配だったという。
「静かに新人を見守ってやるって事が出来ない人だったな。で、原作兄ちゃんが叫んだ後も、居丈高に叱りつけてな。とうとう兄ちゃんがパニクって飛び出した。俺が見た感想はそんなんだ」
「へ、へえ……」
酷い現場だ、中井さん災難だったな。
「んで、階段に逃げた奴を久祖が追い駆けて、佐波寅さんはブツブツ言いながらも『下で待ち伏せる』ってエレベーターで降りて行ったんだ」
なるほど、だから挟み撃ちにされた公星は、間の階のジャック編集部に逃げ込んで来たのか。
「ポツンと残された俺の身にもなってくれ」
「そいつぁ……気の毒だったな」
エレベーターが階下に着いた。
外はすっかり暮れて、ガラス越しに待機タクシーの灯りが見える。
三人は訪問者カードを受付に返し、玄関ホールから外に出た。
来る時は降っていなかった小雨がパラついている。
二台のタクシーが各々に、エイジと福田の名を確認してドアを開いた。
「あーあ、連載作家様はイイよな」
「中井さん」
福田はドアに手をかけたまま止まっている。
「よかったら乗って行ってください、俺、電車で帰りますんで」
「え? そんなつもりじゃ」
「いや、野暮用を思い出したんですよ。じゃ、師匠、さよなら!」
福田は二人が返事をする前に、小雨ににじむ街灯りの中へ、慌ただしく駆け消えた。