コーラとゴーヤ茶・1
遊栄社玄関から十数メートル離れたビルの陰。
降り始めた雨を気にする素振りもなく、濡れそぼったまま、通りを凝視している者がいる。
その透けた白シャツの肩を、背後から、ペンダコのあるごつい指が掴んだ。
「ひっ」
「ここでウダウダしているくらいなら、さっき逃げなきゃよかったろうが」
掴まれた白シャツの少年は、身を低くして逃れようとした。
「逃がすかよ」
福田は素早く彼の前に回り込んだ。
師匠に対する態度もアレだが、あのメンタルの弱い中井さんを追い込んだのが許せねえ。
あの人が落ち込むと、周囲の者がどんだけ面倒くさい目に遭うと思ってんだ。
「大人にワガママかまして振り回すのは楽しかったか? 幾つであろうと、自分の作品引っ提げて出版社に来たのなら、子供ブリッコは通用しねぇんだよ」
白シャツが思いの外暴れるので、福田は羽交い締めて人通りのない方へ引っ張ろうとした。
そこへ……
「おい、何やってる?」
運の悪い事に、巡回中の警察官だ。
加えて運の悪い事に、福田の風体は、何もしていない時でも職質に引っ掛かるナチュラルヤンキーだ。
(しまった)
些細な事でもネットで大袈裟に拡散される昨今、警察沙汰はまずい。
「ちょっと交番まで来て貰って、話を伺いましょうか?」
そう言いながら警察官は無線を手に取った。
(やばいやばい)
「先輩、ほら、やっぱ飲み過ぎですって、おまわりさんに怒られますよ」
いきなり白シャツが叫んだ。
「すみません、大人しくさせますから」
「こ、こら~後輩の癖にナマイキだぞぉ~」
福田も慌てて話を合わせた。
警察官は肩をすくめて、気を付けて帰りなさいと、去って行った。
雨の中で肩を下ろす、残された二人。
「……大根ですね…」
白シャツがポソッとつぶやいた。
「す、すまん・・じゃなくってっ!!」
叫んだ福田の語尾をかき消すように雨が激しくなり、雨宿りに走る周囲の動きが慌ただしくなった。
「ドリンク、以上でお揃いですか? 追加・延長はそちらの内線でお申し付けください」
従業員は、大きなソファに離れて座る二人の男性を怪訝そうにチラ見してから、扉の向こうに消えた。
「やっぱ、こういう所で唄わないと、怪しまれるんですかね」
「しょうがないだろ、サ店がどこも一杯だったんだから」
びしょ濡れの上衣を衣紋掛けに引っ掛けながら、福田は素っ気なく言った。
「怪しまれっぱなしなのも気分悪いんで、一曲唄っときますね」
「は? おい、ちょっと待て」
止める間もなく少年は、慣れた手付きでタブレットを操り、程なく賑やかなアニメのオープニングが流れ出した。
(『CROW』かよ!!)
今さっき失礼かました先輩作家のアニメソング…どんな神経してたら唄えるんだ?
呆気に取られる福田の前で、三番まで完璧に唄いきった白シャツは、ふぅと息をついてコーラのストローをくわえた。
「……」
じっと見ている福田の視線に気付いて、少年はストローを離して炭酸息と共にポソッと言った。
「ボク、『CROW』大好きなんです」
「ほお・・そいつぁ師匠も喜ぶだろうよ」
なんだかもう、何て反応したらいいやらだ。
「やっぱり?! 『GIRI』の福田慎太さんですよねっ!」
いきなりテンション高く叫ばれて、福田はたじろぎながら、ああ、と答えた。
「ジャックの巻末コメで、新妻エイジを師匠呼びするの、よく見かけてたから。ホントに普段から師匠呼びなんですね。あ、今週の『GIRI』めっちゃカッコ良かったです」
「そいつぁどうも」
お喋りなくらい喋るじゃねえか。何なんだよ、さっきの編集部でのダンマリは。
「その大好きなアニメの原作者に、よくぞあんな失礼なマネが出来たもんだな」
少年はサッと顔色を変え、急に脱力してソファにうつ伏せた。
「そ、そう、こんな時じゃなきゃ、天にも昇る気持ちだったのに・・」
さっきのテンションはどこへやら、蚊トンボみたいな声だ。
「お前さんにどんな事情があるのか知らんが、事情があるからって何をやっても許される訳じゃないからな。え? 何とか言え」
ペシャンコのまま反応しない白シャツ。
おいおい?
こいつ、ハイとロウの差が激しすぎる。しかもスイッチが分からん。
「ううう・・唄っていいですか・・?」
「はあ? なんだそりゃ?」
「僕、唄ってテンション上げないと、喋れなぃ・・」
ふざけんな!!! お前はどっかのロボットアニメから来た異世界住人かっ!!??
コーラとゴーヤ茶・2
「先月の中頃、僕の投稿している小説サイトの個人ページに、遊栄社の編集部員を名乗るアカウントからのメッセージが届きました。コミカライズに興味があるなら、折り返し連絡をくださいと」
『CROW』二期のオープニングを歌い終わり、白シャツはホコホコした顔でやっと本題を話し始めた。
「こういう昨今ですから。手放しで喜ぶよりもまず、本物かどうかを疑いますよね」
「そうだな」
順調に喋ってくれている彼のテンションを下げないように、福田は最低限の相づちだけを入れる事にした。これ以上あの妙な高音を聞かされたら、耳がどうにかなる。
「で、遊栄社の番号を調べて電話してみたんですが、案内メッセージばかりで全然繋がらない。
時間を変えて何回か掛けてもダメでした」
最近、モンスターを越えたクレーマーが頻発するから、そうなっちまったらしいな。
奴ら、こういう真っ当な問い合わせをしたい子達にトバッチリが行く事を考えないんだろうか。
「それで僕……あ、普段から小説サイトの人達がチャットしているスレがあるんですけど、そこで思い切って相談してみたんです。そしたら、住人の一人が、自分が単発アシスタントに行く漫画家先生が、遊栄社で仕事してたかもって」
「ほお」
今時の子は何でもネットにおもねるんだなと思ったが、それで繋がる場合もあるんだな。
「その先生のフェイスブックを教えて貰って連絡取ったら、思いの外親身になってくれて。自分の担当に頼んで、遊栄社内部に該当者がいるか調べてくれたんです。その日のうちに、ボクにメッセをくれた久祖さんは実在していて、メッセも確かに送ったと、本人に確認を取ってくれました」
「そうか、よかったな」
「ええ、本物と分かって嬉しかったです。好きで書いてはいるけれど、誉められた事なんかないし、ましてや大手出版の編集部員が目に止めてくれるなんて、夢みたいだ…と・・」
言ってる言葉とは裏腹に、白シャツの声に元気がなくなって来た。
「ど、どうした?」
「嬉しかったのは、一瞬だったんです・・」
「??」
白シャツは黙ってスマホを取り出し、ひとつの画面を開いて、福田に差し出した。