小杉さん、秋名愛子の担当就任
原作・2018年 → 本作・2016年 よしなにm(__)m
ツクシとスギナ・1
都心のオフィス街の喫茶店は、地代に対するナンチャラ還元率とやらで、狭い店内に席をギチギチに詰め込みがちだ。
その点、路地一本入った古いこの店は、表通りの喧騒から取り残されている。
平日昼下がりでも概(おおむ)ね席にありつけるので、近隣出版社の社員の間で、打ち合わせの穴場として重宝されていた。
今その一角で、ジャックの編集部員小杉が、膝に置いた両手の中にじっとり汗をかいている。
対面には、彼の担当作家の秋名愛子。
ジャックの人気連載、『+Natural(プラスナチュラル)』の原作者。
才媛という言葉が服を着て歩いているような彼女は、純文学畑の出で、あちら方面でも将来を嘱望されているという。
正直何をトチ狂って少年誌で異能力バトルファンタジーを書いているのか分からない。
だが下地の違う彼女の書くバトルは切り口が斬新で、確かに面白いのだ。
小杉の冷や汗は、秋名の迫力に圧されているせいではない。
原因は、彼女の後ろの席の二人組の他社の編集者だ。
こちらに丸聞こえの声の大きさ同様、会話の内容も横柄だった。
「で、その持ち込みがオンナだった訳よ」
「うお、災難だったな」
「こっちは、昼飯の時間が押してんのにさ。オンナの描く漫画なんかモノになる訳ねぇんだから、見るだけ時間の無駄だってーの」
ありがちな『オンナノマンガ論』だ。
小杉だって、漫画の仕事をしていたら、そこかしこでこの手の会話には遭遇する。
問題はここに、これから出来れば和やかに打ち合わせに入りたい女性作家が居る事だ。
秋名にも後ろの会話は聞こえている筈なのだが、眉をヒクと動かしただけで特に反応はしない。
逆に、気にしてドギマギしている小杉に冷ややかな視線を向けた。
「私(わたくし)が、くだらない戯れ言をいちいち気にすると思っているのですか?」
「え、あっ、いいえっ、いいえっ」
「雑音は無視して、さっさと打ち合わせに入りましょう」
「そ、そうですねっ」
無視出来ていないくせにっ!
「じゃあ、この台詞はモブAでこっちはモブB……サヤノがこれを聞いたのは、後々の伏線って事でいいですね?」
赤ペンでメモしながら確認を取る小杉を、秋名がジッと見つめる。
「秋名先生、何か?」
「いえ、前担当の三港(みうら)さんは、そういう事は聞いて来なかったもので」
「そうですか。えっと、作画の新妻先生って、たまに思いもよらない質問を投げかけて来られるので、何でも答えられるようにしておこうと思いまして」
「私の文章では伝わらないのでしょうか?」
「どんなに優れた小説家でも、読者に100%は伝えられない。いい所六割だと言われています。
しかし作画担当は読者とは違う。残りの四割を出来うる限り埋めるのは、僕の仕事だと思っています」
秋名がまたジッと見てくる。
「えっと?」
「そういうのって、服部さんのご指導ですか?」
「僕個人の考えです。煩わしいですか?」
「いえ、目新しかったもので。あの、私は、自分の中にない新妻先生テイストも、毎週楽しみにしておりますのよ」
「へえ」
それはちょっと意外だ。自分のイメージからはみ出すのを嫌がる人かと思っていた。
「でも、小杉さんのお考えは理解出来ました。初期に服部さんに、漫画原作と小説の書き方の違いを指導頂いたのに、最近おろそかになっていたのかもしれません。次回から、今仰られた事を頭に置いて、分かりやすい文章を書くように心掛けますね」
あ、話が通じた、嬉しい。三港さんがエラく脅かすから最初はビビったが、ちゃんと話せば分かってくれる女性(ひと)じゃないか。
――ゴツン
秋名の椅子に、背後の男の椅子の背が当たった。
この店は席の間に余裕があるので、故意でなければそんな事は起きない。
案の定、男は思い切り足を伸ばして椅子を斜めにもたせかけている。
秋名はまた眉を動かしただけで、振り返りもしない。
さっきから、彼女の背後の男が、身体を不要に大きく揺すりながら『オンナノマンガ云々』の同じ話をループしているのには気付いていた。
明らかにこちらを意識しての嫌がらせだ。
背後の女性が何処かの作家だと分かって、チョッカイを出したいんだろう。
困った輩だ。
注意したって彼女を不快にする台詞を吐かれるだけだ。そもそもそれが目的なんだろうし。
ここは無視してとっとと切り上げよう。
「では、今回はこの辺でお終いにしましょうか」
「そうですね」
秋名は素直にテーブルの仕事道具を片付け始めた。
「優れた女性作家なんてこの世に大勢いるのにね。僕、高橋留美子さんとか大好きですよ」
彼女を励ましたいのと、後ろの憎たらしい男性に一矢報いたいのとで、何気なく口にした一言。
それが余計だった。
秋名のコメカミにピシッと線が入った。
「私(わたくし)は、高橋留美子さんではありません」
「??」
「高橋留美子さんでも荒川弘さんでも塀内夏子さんでも長谷川町子さんでも萩尾望都さんでも、J・K・ローリングでもありません」
「え? えっと??」
「貴方、尾田栄一郎さんが優れた漫画家だから同じ男性の貴方も自信を持てと言われて納得しますか?」
うひゃあ、なんか地雷踏んだ、地雷踏んだ―――っ!!
「分かります。その辺の幼稚園児みたいなアホはどうでもいいけれど、自分の信頼したい担当がそんなテンプレートな台詞しか言えないのでは、失望して当たり前です」
秋名の頭の上から声がして、ぶつけられていた背後の椅子が押し除けられた。
見上げると、背の高い明るい髪色の青年。
台詞(セリフ)同様、着ている物も身だしなみも、小洒落(こじゃれ)ていて隙が無い。
「な、七峰くん・・」
ツクシとスギナ・2
(七峰さん?)
秋名はテーブルの横に立つ青年を見上げた。
去年、高木や真城やあの辺の人たちが、わちゃわちゃと大騒ぎしていた相手がその名前だった気がする。見た所、ひょろっと線の細いお坊ちゃんタイプだけれど。
「そういえば、こんな面白い話があります」
青年は前髪をかきあげて、勝手に話し始めた。
「少し前、週刊の少年漫画誌は、今の四誌の他にもう一誌ありました。タイトルを聞けば誰でも知っている鉄道SFファンタジー等、数々の個性的な作品を輩出した、マニアに人気のある雑誌でした」
小杉は口をパクパクさせ、椅子を押されたイヤミ男は(その位知っている!)という顔をして、こちらを睨み付けている。
「いかんせん、マニアック路線に走りすぎ、尻すぼんで休刊となりました。編集部が解体になり、部内の片付けをしていた時のお話です。誰かが悲鳴を上げました。『これの担当した奴誰だ!』。彼の前には未分類の原稿の山。そこに埋まっていたのは、高橋留美子氏のデビュー前の持ち込み原稿だったとさ」
「……」
話の意外性につい呆けてしまった秋名の頭越しに、青年は小杉に話しかけた。
「高橋氏の初期からの才能の片鱗は素人でも分かります。その持ち込み原稿はまともに見られる事もなかったのでしょうね。例えば『オンナノマンガなんかより自分の昼飯が大事』なんて理由で」
椅子に半身ねじってこちらを向いていた男が、ツイと目をそらした。
「ああ、そうかもしれないね。でもその場で終わった事の責任を追求するのは、茶番だ」
小杉は毅然と言った。
「さすが発行部数日本一のジャック編集部員。余裕ですね~。じゃあ、小杉さん、同じ編集部員として、持ち込みを担当した編集部員がその場で何を思ったか、推理して教えてくださいよ」
「えっと」
そう来るか? しかし小杉もこの青年相手に引いてはいけない事を学習している。 何せ去年、彼の連載を担当出来たのはいいが、筆舌に尽くしがたい程振り回されて、身心共にボロボロにされたのだ。
「ううんと……その持ち込みをキチンと拾っていれば、今の片付け作業をしていなかったかもしれないなあと、彼は非常に悔しがったんじゃないかな」
「ノンノンノンノン!」
七峰は人差し指を小刻みに左右に振った。
確かに、仕草の一つ一つが鼻持ちならないかもと、秋名は思った。
「ホッとしたんですよ、彼は多分、ホッと胸を撫でおろしたんです」
「ええ? 何で?」
「高橋氏はプロへの執念の強い人だったから、それしきでくじけず、他所にも原稿を持ち込んで、そちらで花開いた。その編集者は、自分が担当していたらどうだっただろうと想像して、一瞬ゾッとして、彼女が他所に行ってくれて良かったと、ホッとしたんですよ。何しろ自分達の雑誌は休刊になったんだ」
「いや、おかしいだろ、担当してみたかったと悔しがるだろう、編集者なら」
「あわや高橋留美子を野に埋もれさせかけたような者に、悔しがる資格なんて無いです。小杉さんもまだまだサラリーマンだなぁ」
「~~~~!!」
いつの間にか、後ろの席の男性二人組は居なくなっている。
・・っていうか、周囲の出版関係らしき者たちも、茫然と七峰を見ている。
悪目立ちし過ぎだ。
「あのさ、七峰くん、君との約束は四時じゃなかった?」
小杉がその場をぶった切った。
「はい、久しぶりに小杉さんに会えるのが嬉しくて、早目に来ちゃいました」
青年は悪びれなくニッコリ笑った。
先ほどまでの不敵な顔とギャップがありすぎて怖い。
「僕はあっちの席で待っていますね。お邪魔して申し訳ありませんでした、秋名先生」
「あ、いいえ……」
さすがの秋名も、呆気に取られて何も言えない。
「そうだ、秋名先生、ひとつだけ」
「はい?」
「『+Natural』のノベライズ版、読みました。頭脳戦をメインに置いた所にインテリジェンスを感じさせて、非常に読み応えがあった。『さすがは秋名愛子』ですね」
「………」
青年は奥の席に去って行ったが、秋名はそちらをぼぉっと見ている。
あのタラシが! 口の上手さじゃ敵わない。
僕だって勿論読んだし、素晴らしいと思ったさ。
ただ、女性は口に出して言わなければ分かってくれないという事を忘れていただけだ。
小杉は大きく息を吐いて、冷たくなったコーヒーをイッキ飲みした。