ツクシとスギナ・3
「そんなにふてくされなくてもいいじゃないですか」
秋名を見送って戻って来た小杉を、七峰はイタズラっ子な目で見上げた。
「僕が後ろの席にずっと居たの、気付かなかったくせに」
「分かる訳ないだろ、背中に目がある訳じゃあるまいし」
「素敵でしたよ、気難しい女性作家相手に一生懸命打ち合わせをする小杉さん。まるで地雷源を匍匐(ほふく)前進するブルース・ウィルスのようでした」
「七峰君、きみ、性格悪いね」
「そんなまさか、今気付いたんですか?」
駄目だ、またこの若者のペースに巻き込まれてしまう。
ウェイターにコーヒーを注文し、小杉は深呼吸して彼に向いた。
「さて、七峰君、今日僕が君を呼び出した理由(わけ)……だいたい想像付いてるよね?」
「分かりません、何でしょう」
この食わせ者! そっちがそう来るなら……
小杉は書類ケースから分厚い紙束を引っ張り出した。
「前に中途になっていた新作のプロット、これをちゃんと仕上げちゃおうと思ってね。終わるまで帰さないよ」
「・・・・・・」
「どうしたんだい? 僕は君の担当だ。担当が作家と作品について話し合うのは当たり前だろ。僕は自分の晩御飯より君の作品が大事だよ」
七峰が額に手を当てて首を振った。
「はあ……分かった、分かりましたっ、小杉さん。僕が悪うございましたっ」
「本当に悪いと思っているのか」
紙束をケースに戻しながら、小杉は上目で若者を睨んだ。
「だって、そんな事態に発展するなんて誰が想像出来ますか。あの子が原稿抱えて逃げ出して、ジャック編集部内で大捕物をやらかすなんて」
「どうもこうも君が彼に余計な事を吹き込んだからだろ……?? って、七峰君、ジャック編集部内で大捕物の話とか、何で知ってんの?」
「僕の情報源は小杉さんだけじゃないんですよ」
七峰はスマホをヒラヒラさせて、悪い顔をした。
大方、バイトの学生か掃除のおばちゃんあたりに『イイ方の顔』を見せて取り込んでいるんだろう。この男のジャックへの執着(ストーキング)は異常だ。
今回の事だって、とっとと上に進言して彼を遊栄社から遠ざけて貰うべきなんだけれど……
残念ながら、悔しいけれど、僕は彼の漫画家としての才能に惚れ込んでしまっている。
彼を手離したくないんだ、こんちくしょう!
「作家の卵の子を助けたいなんて、珍しくマトモな事を相談して来たと思ったら、これだ」
「久祖(きゅうそ)って編集者に確認を取ってくれたのには感謝していますよ。まあ、彼のスキャンダルは、別ルートから知ったんですが」
七峰はもう一度スマホをヒラヒラさせた。
・・ったくもう、どいつもこいつも、守秘義務はどこへ行った??
「で、僕を呼び出した本当の用事は何です? 久祖に確認を取って貰ったお礼に、一回だけ言う事をきくって約束をしていたから、今日ここに来たんですよ」
そう、今、書類ケースの中にある未完成のプロット。本来なら、これを完成させる為にその約束を使いたかったのだ。でも今は……
「公星君に連絡取れないか? メッセージフォームも閉じちゃってるし。久祖がまだあきらめていないんだ」
「へえ?」
七峰が意外そうに頬杖から顔を上げた。
「同じ部署でもないのに、ずいぶんとご親切な事だ。編集者ってそんなに暇なんですか?」
「うん……」
「??」
自分の嫌味に言い返して来ない小杉に、七峰は神妙な顔になった。
「実は、君の用事で会いに行った時、ちょっと雑談してね。そしたら妙にウマが合って、その日に飲みに行ったんだ」
「えっ、久祖と友達になっちゃったんですか?」
「そう呼べる程のものでもないと思う。ただ、歳も近いし、好きな漫画がだいたい同じでさ。漫画談義だけで何時間も話していられて……うん、凄く楽しかったんだ」
「……」
「その彼が酷い惨状だったあの時、側に居たのに、僕はビビって何の助け船も出してやれなかった」
まあ、入社二年目の若造に口出しする余地なんかなかっただろうが。
「公星君の気持ちは勿論大切だけれど、久祖にもう一度チャンスを与えてやって欲しいんだ」
真剣な眼差しの小杉を斜めに見上げて、七峰はもう一度頬杖を付いた。
「でもねぇ、騙すみたいな感じで編集部に招いたんでしょ? 挙句、彼が逃げ出してしまうなんて、よっぽど怯えさせる追い詰め方をしたんじゃないですか?」
「公星君がそう言ったのか?」
「違いますけどね。あの子は『この件はもうお終いにします』ってメールをくれただけです。彼がそう決めたのなら、僕もこれ以上は連絡しません。まあ、約束ですから、『久祖が連絡を取りたがっている』とだけは送りますが……期待しないで下さいよ」
「その……メールアドレスを教えて貰う訳には行かないのか?」
「僕を何だと思っているんです! 嫌がってる子のメアドを教えるような恥知らずだとでも?」
そこは七峰は真顔で言い、小杉も慌てて「すまない」と謝った。
「はっきり言って、あんなお下劣漫画を作ってしまうような連中に、あの子を娶(めあわ)せたくないんだ。勿論僕はあの子の保護者でもなんでもない。ただ、あいつ、思いっきりバカ正直で世間知らずで、だから僕が護ってやらなきゃならない……」
あれ?? 今、なんか、物凄く七峰透らしからぬ台詞を聞いたような?
まさか、僕の気のせいだ。
「あのぉ・・」
不意に、テーブルの横に一人の男性が立った。先程まで近くの席に一人で居た客だ。
小杉と七峰は顔を見合わせた。どちらの知り合いでもないようだ。
「何か?」
七峰が威嚇するように聞いた。
「先程の貴方の高橋留美子の持ち込み原稿の話が面白かったもので、つい聞き耳を立てていました。失礼しました」
「……」
喫茶店で他人の話を盗み聞きなんてマナー違反もいい所だが、そもそも七峰が、イヤミ男を撃退する為とはいえ大勢に聞こえる声でパフォーマンスしたのだから、文句は言えない。
男性は、五十代半ば、白カッターにループタイ、鹿の子模様のジャケットと、身なりはキチンとしているのだが、姿勢が悪いのでヨレヨレ感が否めない。
そして何より、ごま塩頭に大きなベレー帽、そこはかとなく漂う哀愁……
漫画家の方ですか? と小杉が聞く前に、男性の方が先に口を開いた。
「私、遠藤メンデルと申します」