サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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第十二幕 やがて旅立つ辺境嬢は紅と踊る

 左の頬から右頬へ、右の頬から左の頬へ。むぐむぐと口腔を移動させ、もちもちとした触感を存分に楽しみながら餅を咀嚼する。

 その表情は半目である。少し眠たいようでもあるし、餅を食べる至福に満ち足りている様子でもある。唇の端を打ち粉で白く汚し餅を持つ右手からもはらはらと盛大に粉を零しながらその男は大福を頬張っている。

「ああ……」と男は突然小さく呻き、「お茶が飲みたいな……」としみじみ呟いた。それから男は自室の扉を開いたまま唖然としているアセルスにようやく気が付き、「君はこしあん派? それともつぶあん派?」と尋ねる。野放図に逆立てた赤毛、胸元をはだけた破廉恥な服装、そして胸元のニプレス。オルロワージュとの晩餐を終え部屋に戻ってきたアセルスを出迎えたのは見知らぬ大福男だった。

「私はこしあん派……だけど、あなた、誰。人の部屋に勝手に入り込んでどういうつもり」

「残念だな、僕はつぶあん派なんだ。僕と君とはけして分かり合えない運命にあるのかもしれないね」

「……あなた、妖魔でしょう。人の話を聞かない奴は大体そうなんだ」

「よくわかったね。僕の名前はゾズマ。このファシナトゥールではオルロワージュ様に次ぐ実力者さ。……どうかな、この体の奥から自然と溢れ出てくる大物感、感じるだろ?」

 得意げなゾズマの様子にアセルスは頬を引き攣らせた。

「うわぁ……」

「……感じないみたいだね……可哀そうに、君には見る目かないんだね。可哀そうに……」

「人の部屋で勝手に大福食べといて何好き放題言ってるの、あなたは」

「好きなことが何一つ言えない世界なんて間違っていると僕は思う。君もそう思わないかい、アセルス?」

「まぁ、それはそう思うけど……。何が言いたいの?」

「君はこの針の城をどう思う?」

「……ああ、そう……。あなたもラスタバンさんと同じクチ? 言っておくけど、私は革命なんか起こすつもりはないからね」

「嫌だなぁ。あんな陰険妖魔と一緒にしないでおくれよ。僕はただ、君の考えに興味があるだけさ。実際のところ、君はいつまでこの城にいるつもりだい?」

「いつまで、って……わからないよ。私だって嫌だけど、ここから出る方法もわからないし……」

「町はずれの焼却炉。あの炎はムスペルニブルという別のリージョンからの炎なんだよ。あそこに飛び込めば逃げ出せるかもね」

「炎の中に飛び込めっていうの?」

「それは君しだいさ。望めばいつだって帰れる。妖魔の世界を嫌うなら自分の生きたい場所に行けばいいんだよ」

「……どうしてそんなことを教えてくれるの? 初対面なのに」

「さあ、どうしてかな? もしかしたら君が何も知らないからかもしれない。どうして僕が君に教えるのか、そんなことさえわからない君の無知が面白いからかもしれない」

「……馬鹿にして!」

「半分は妖魔で半分は人間。君は世界でたった一人の半妖だ。……だから、みんな君の選択に興味を抱いているんだよ。君が選ぶ道、君が選ぶ言葉、君自身が歩んでいく物語に誰もが惹かれてしまうのさ」

「そんなの、知ったこっちゃないよ」

「君が知ろうと知るまいと、君を取り巻く運命は否応なく押し寄せてくるもの。君にだって、それくらいはわかっているんだろう?」

「だからうんざりなんだよ、そういうのはさ。私は普通に生きていけたらそれで良かったんだ。それをむりやり妖魔の世界に引きずり込まれて迷惑にも程があるよ。人の血を吸ったり、虜という名の奴隷にしたり、モンスターと戦わなきゃいけなかったり、決闘なんていう古臭いやり方で王様を決めたりしてさ……。私は知らない。関係ない。私は人間だ。人間なんだ……!」

「そういう幼い物言いをするから周りの大人が君に構いたくなってしまうのさ。……ああ、そうだ。肝心なことを忘れていたな。大福餅の話をしようじゃないか」

「だ、大福……?」

「そうそう。良く考えたら、僕はその話をするためにここへ来たんだった。アセルス、君は、なぜ自分がこしあん派なのか考えたことがあるかい?」

「はぁ……? 意味がさっぱりわからない……。好きだからでしょう?」

「そうだね。理由なんてのは、結局のところそういうものなんだよね。君自身、こしあん派である自分が正義だとは別に考えてはいない筈だ。でもいつか君はまるで自分が正義の代弁者であるかのような顔をしてつぶあん派を否定するようになるんだよ。……いや、もしかしたらもうそうしているのかもしれない。君がつぶあん派を否定するのはただ君がこしあん派であるというそれだけの理由だ。けれども君はつぶあん派が仲良くつぶあんをぱくついている所へ行ってお前たちのやることは人道にもとるといって指をさして罵倒するんだよ」

「……何が言いたいの? 私が間違っているって、そう言いたいの?」

「僕が言いたかったことが何なのか、今答えたところでそれは嘘かも知れない。何が本当で何が嘘かなんてことは結局のところ君の視界の中でしか成立しないことだろう。誰かに尋ねる前に自分で答えを出せるようになりなよ。もっと経験を積んでさ……。そうだよ、君はやっぱり旅をするべきなのかもしれないね。かつてこの針の城から逃げ出した零姫という妖魔はこう言ったそうだよ。“妾は針の城から逃れ、まだ見ぬ辺境に居場所を求めるとしよう”ってね。今いる場所に自由が無いのなら、この世のどこかに自分の居場所を探し出すか、作り出すしかないじゃないか。君がどんな場所を選ぶのか、僕は楽しみにしているよ。それじゃ」

 言いたいことだけ矢継ぎ早に告げるとゾズマは絨毯の下に潜り込んで消えてしまう。慌ててめくり返してはみたものの隠れるような空間は見当たらずアセルスは首をかしげる。

「一体何しに来たんだ、あいつ。なんだか説教くさい妖魔だったな……」

 本当に不思議なことを言う妖魔だった。こしあんやらつぶあんやら人を煙に巻くようなことばかりを口にしてうんざりしてしまう。しかし、零姫という女性の話だけは聞くことができて良かったと素直に思う。

 この針の城から自分の意志で逃げ出した人がいる。なぜ彼女は逃げ出したのだろう? 虜化を受けておきながらどうしてオルロワージュに逆らうことができたのだろう?

 彼女──零姫は辺境を目指したのだという。それは今いる場所を愛せない心細さや自己嫌悪をかなぐり捨てて旅立つものが目指す理想郷の名前だ。

辺境(フロンティア)……」

 舌の上で転がした言葉の感触にアセルスはそっと目を閉じる。

 

 

 

 

 

 たとえば彼女がほうと息を吹くだけで、見渡す限りの野原が燃えた。炎の舌がちろちろと大地を舐め、酸素を奪い、生きているものはみな黒焦げにする。

 紅の髪、赤銅の瞳。輪郭揺らぐ陽炎の乙女。炎妖メローペは業火の中で笑っている。燃えろ、燃えろ、世界よ燃えろ。楽しげに唱える呪文でばちりばちりと大気が爆ぜた。燃える世界は美しく、焼け爛れ膨張した人間の肉が彼女を飾る。

 彼女の目の前に降り立ってオルロワージュは優雅に礼をする。メローペは手を振り上げただ一言「燃えろ」と告げる。渦巻く炎が燃死鳥となって襲いかかるが、オルロワージュは事もなげに燃死鳥の首根っこを握り潰して絶命させる。唖然としているメローペを抱き上げ、背徳に満ち溢れた口づけを落とす。ただでさえ赤いメローペの顔は更に紅潮し、彼女の身体からくたりと力が抜ける。

 ──何をするの。あなたは。

 瞳を潤ませながら尋ねるメローペにオルロワージュは答える。

「メローペよ。余のものとなれ」

 いや、と首を振るメローペはしかし胸の疼きを抑えられず、オルロワージュが舌を動かす度にどうしようもなく耳朶を這う快感に悶えてしまう。

 こうして妖魔の君オルロワージュの寵姫となったメローペは第八の姫、紅姫と称され、揺らぎ霞むような陽炎の美しさと全てを燃やし尽くす業火の残酷性からオルロワージュの元で強く寵愛を受けた。

 

 何かを燃やすことしか知らなかった乙女がオルロワージュの口づけを受け容易く虜となってからは夢見る瞳に情欲の炎をともして官能に身を焦がす。

 男は紅を美しいと言い、紅の操る炎を美しいと言う。紅もそれを信じる。ああ自分は美しく掛け替えのない生き物だ、そう思う。だから彼女は表情を蕩けさせてしな垂れかかり男にそっと囁いた。もっと私に価値を与えて。私という炎に無限の供物をくべて、燃え上がった地獄の火炎でこの空も何もかもを赤く染めてしまえばいいわ。オルロワージュは優しく微笑んで「そうしよう」と答えては紅の指し示す先で惨めな人間たちが炎に焼かれ悶え苦しむのをそっと眺めていた。

 紅は幸福だった。

 そして──、

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、無数の時が流れた。

 

 

 

 気がつくと彼女はごみを燃していた。いつからこんなことを続けているのだろう、時折思い出そうとしてはみるもののその度に頭の中の螺子がきゅうきゅうと音を立てるように痛みうまく思い出せない。昨日はといえばこうして同じようにごみを燃やしていたし、一昨日も一昨々日もまた何かを燃やしていたような気がする。

 少し気を抜いただけでひどく重い睡魔が紅を襲う。朝目を覚ましてもまだ夢を見ているような感覚が続いているし、一日中うつらうつらとしては唇から涎を零しはっと目を覚ましてはわけのわからない悲しみに唇を噛みしめる。

 膝を抱えて座り込み、恐ろしくゆっくりとした動作で周りのごみを拾い上げては焼却炉の炎に近づける。犬に餌を与えるような気分になる。手をそろそろと寄せていくと、不意に伸びた炎の舌がごみに巻きついて見る見るうちに焦がしていく。おいしい? おいしくない? 答える者の存在しない問いを心の中で繰り返しながら紅は眠たげな目をうっそりと巡らせて、次は何を燃やそうか(それともこのまま寝てしまおうか)と考える。

(ねむい……)

(ああ、とても……ねむたいわ……)

 うとうとと膝の中に顔を埋め、紅はそのまま横に倒れこんで目を閉じた。普通の妖魔であれば到底行わないようなだらしのない恰好で紅は睡眠をとる。もしこの姿を誰かに見られでもしたらそれこそ誇りを失って消滅さえしてしまうそうな自堕落な有様ではあったけれども、しかし紅は何一つ心配してはいなかった。彼女の姿はほとんど消えかかっていて誰の目にも映ることはなかったからだ。

 紅はこのファシナトゥールでごみを燃やす焼却炉の管理をしている。ようするにごみ処理係である。

 ごみ、というのは汚いもののことだ。誰かに使われ、あるいは使われることすらなく、もういらないものだからと捨てられてしまったもののことだ。もしこれが人間の世界であればそれこそ汚物という汚物を扱い糞便に塗れて働かなくてはならなかったかもしれないが、そこは麗しい妖魔のこと、基本的に排泄行為を行わないためにそこまでおぞましいものを燃やしているわけではない。そういう意味ではある意味紅は幸いであったかもしれない。それでも、汚れた食器やら枯れ果てた花の塵やらが頭上からぼとぼとと投げ落とされ、来る日も来る日もそれらを燃やし続けなくてはいけない生活を送るうちに次第に紅の体は透けていっていつしか誰かの目に留まることもなくなった。

 針の城では今日も目覚めさせられた寵姫が甘い睦言を囁いてオルロワージュと交わっていて、きゃっきゃと甲高い嬌声を上げて身をくねらせ、その内に体液で濡れたシーツが窓から放られこの焼却炉へと辿り着くことになるのだろう。昔はそのシーツを胡乱な目つきでじっと眺めていた時期もあったには違いないが、今となってはもう何もかもがどうでもよくなってシーツの端っこをそっと摘み上げては燃え盛る炎の獣に差し出して視線一つくれない。

 オルロワージュを責めようという気にはなれなかった。紅はまだ彼のことを愛していたし、自分の魅力が足らなかったのが悪いのかもしれないとさえ考えていた。「もう愛してはいない」と言われたわけではないし、傷つくようなことや別れ話を口にされたわけでもない。ただ、自然に疎遠になっていただけだ。愛が薄れてしまっただけだ。

 だから、仕方がないのだ。何を恨むことも出来ない。

 この焼却炉は根っこの町のはずれもはずれ、殺風景な崖の向こうに位置している。焼却炉といっても明確な「炉」があるわけではなく、崖の下につくられた特別なゲートからムスペルニブルの天まで立ち上る炎を呼び寄せているだけだ。崖の端に腰かけて紅は焼けつく炎に弱々しい指先を伸ばし、いつか何もかもが嫌になったらその時はこの身を投げて融けてしまおうと考えている。

 眠たい目を擦りながら火の番をしているとそのうちに一人の人間が訪れておもむろに泣き始めた。意地を張るように唇を噛みしめ、ぽろぽろと涙を流して目を真っ赤にしていた。そのすぐ隣に紅が座っていたのだが案の定その女は気がつかずに力のないため息をつく。元気なころの紅であったなら卑しい人間風情が私に近寄るなと叱り飛ばし瞬く間に消し炭へと変えてしまっていたかもしれないが、悲しいかな今の紅はあらゆるものに優しくなっていて隣に立つこの女が泣き出すのにおろおろと困ってしまう。

 自分は大切な人に忘れられてしまったのだとジーナと名乗ったその人間は言った。紅にもその悲しみは身に滲みて理解できたので少しだけジーナと会話を続けたがさりとて何か気の利いたことを言えるわけでもない。久しぶりに感情を揺さぶられた自分が恥ずかしくなった紅は「さようなら」と言って黙り込んでしまった。

 ジーナと会話をしてからしばらくは苦しい時間が続いた。ああそうだ私は忘れられてしまった。あのオルロワージュ様の優しい手、優しい指が私の体をなぞることはもうない。甘い言葉をかけられることも、そんな自分を誇らしく思う心地よさを味わうことももうないのだ。

 悲しい。悲しい悲しい悲しい。どうして思い出してしまったのだろう。ぼんやりと眠たい顔をして日がな一日ごみを燃していれば嫌なことを考えずにいられたのに。私は愛しい人に忘れられてしまった。忘れられたことを忘れてしまいたい。何もかもを忘れてしまって、心のない人形になりたい。両手で顔を覆いさめざめと涙を流しながら紅はごろごろと崖の上を転がったりじたばた足掻いたりしてはみたもののそんなことで悲しみが収まるはずもなく、仕方がない最後の手段だととうとう紅は息をとめた。海の底にひっそりと沈んだ黙する貝のように、大気と光と水とを吸ってそれ以外の何をも殺すことのない物言わぬ植物のように、沈黙を己の枷として心の動きを停めてみる。はじまりの三十秒まず息を止めて耐えきれなくなったら口を開いてすぐさままた口を閉じる。息を止めて、苦しさにむせながらまた口を開いてまた口を閉じる。息を止めることだけに集中していられたら悲しいことを考えずにいられる。ああ息をしよう。そして息を止めてしまおう。それでそのまま自分でも気がつかない内に死んでしまえたらいい。妖魔としての強さなんて何一ついらない。欲しいのはただ一つの言葉だけだったのだ。息をして、息を止める。

(もう機械でいい、人形でいい。息を止めているだけの、思考を持たない無機物でいたい……)

 悲嘆にくれる紅が傷つく心に閉じこもっていると久しぶりに妹が訪ねてきた。炎妖アルキオネ。今は黒騎士セアトに使える炎の従騎士として働く彼女に会うのは何百年振りだろうか。

「紅姫! 紅姫! いらっしゃるのでしょう、姿を見せてください!」

「あ……アルキオネ……」

 透明なまま答えるとアルキオネは声のする方を鋭く睨みつける。

「紅姫。そこにいるのですね? 相も変わらずいじけて透けたままでいるなんて、何てみっともない」

「そんな風に冷たいことを言わないでおくれ、アルキオネ。……それに私とあなたは姉妹なのよ、昔のように、メローペと呼んで頂戴」

「まさか」

 アルキオネは口元を侮蔑に歪めて冷笑する。

「落ちぶれたとはいえ姉さまはオルロワージュ様の寵姫ですもの。呼び捨てにすることなどできませんわ」

「そう……そうね……仕方がないわね……」

 弱々しい紅の口調にアルキオネは顔面にすっと朱をのぼらせ、か、と唇から火を吹いた。

「いつまでそうやってうじうじしていらっしゃるつもりなのですか? 以前のあなたなら生意気な口を聞いた私をけしてお許しにはならなかった筈。苛烈であることが、激甚たることが何よりの炎妖の証であるというのに。あなたは変わってしまわれた。オルロワージュ様に選ばれるという光栄に預かりながら凋落し、一族の名誉を汚し続けている。なぜ、あなたなのですか? なぜ私ではなかったのですか?」

「あなたにはわからないわ。愛した方に嫌われることすらできなかった女の気持ちなど……」

「わかりたくもありません。黒騎士セアトは私の男。私が私自身の意志で手に入れた男です。天から降り注ぐものだけしか手に入れられぬというのなら、もはやあなたは炎妖ではないのです」

「私のことはもう、放っておいて。……大丈夫。あなたになるたけ迷惑をかけないように、いつの間にかにそっと消えてしまうから……」

「あなたは……!」

 怒鳴りかけたアルキオネははっと我に返り、「いけない……」と呟いた。ごほん、と咳をする代わりにまた一つ炎を吐きだして「今日はそんな話をしに来たのではなかったわ」と声を和らげる。

「アルキオネ……?」

「まもなくここにアセルスが来ます」

 アルキオネは静かな口調で告げる。

「アセルス……? あの……、オルロワージュ様の血を享けたというアセルス様のこと……?」

「ええ、そうです。そのアセルスが焼却炉に来ます。おそらく、この炎について尋ねてくるでしょう。炎の中に飛び込めばムスペルニブルに行けるのかと」

「なぜ……?」

「なぜ? アセルスが人間だからでしょう。卑しい人間だった小娘にこのファシナトゥールの素晴らしさなど理解できる筈がありません。あの愚かな半妖は針の城から逃げ出そうとしているのですよ」

「針の城から……逃げ出す……? そんなこと、考えたこともなかった……」

 口元に手を当てて紅はじっと考え込むがもアルキオネは気付かずに話し続ける。

「もしもアセルスがここを訪ねてきたらそのまま通しておやりなさい。優しく、丁重にムスペルニブルへとお送りすれば良いのです」

「それで良いのですか……? オルロワージュ様がお怒りになるのでは?」

「アセルスはオルロワージュ様を裏切って逃げ出していくのですよ。心配することなどなにもありません」

「ムスペルニブルへ行って、そのあとアセルス様はどうなるのですか?」

「その後?」アルキオネは残酷な笑みを浮かべる。「その後は私が狩ります」

「そんな!」

「何を戸惑うことがあるのです紅姫。アセルスが憎いでしょう? あの小娘はなんの力も持たないくせに、我々妖魔たちが何百年と望み続けた妖魔の君の力を手に入れたのですよ。戦うことも、苦しむこともなく、たかだか十年かそこら生きただけの人間が偶然からオルロワージュ様の庇護を得るだなんて、そんなこと許されるはずがないでしょう」

「オルロワージュ様の……庇護を……」

「あなたが失ったものを彼女は手に入れた。あなたからオルロワージュ様の愛を奪い去った。……難しいことを言っているわけではありません。あなたはただアセルスを見逃せば良いのです。手を汚すのは私が引き受けます」

「う……」

「わかりましたね紅姫?」

「え、ええ……。わかった……わかったわ……」

「それでいいのです」

 満足げににっこりとほほ笑み、アルキオネは足早に立ち去って行った。久方ぶりの再開だというのに抱き合うことすらなく、炎妖姉妹は形ばかりの会話を交わして別れていく。

 わかった、と答えはしたものの自分でも自分の気持ちが整理できず、紅はまた座り込んで膝を抱え、目を閉じてゆっくりと物思いに耽った。

 

 

 

 

 自分は今ここにいて、アセルス、という今ここにはいない者のことを考えている。

 自分はアセルスが憎いのだろうか。アセルスという、まだ見ぬ半妖のことを憎らしいと感じているのだろうか……。そうは思えなかった。怒りや憎しみを蓄えるほど自分の腹には食いしばる意気が残ってはいなかったし、会ったこともない半妖に悪意を向けるだけの体力も持ち合わせてはいなかった。

 オルロワージュからの愛を奪われた、とアルキオネは言った。しかしそれは違うのだ。奪われたというのなら奪い返せばそれで済む。捨てられたというのなら拾いなおせばそれで済む。しかし愛はいかなる時も色褪せていくもの、時の流れの中に忘れられてしまうものなのだ。手の届かないところに行ったわけではないし、消えてしまったわけでもない。愛は今もなおそこにある。けれどもそこにあると知りながら忘却の果てにその姿を見失い、触れることさえ出来なくなってしまう。

 奪われたのではない。忘れられてしまったのだ。

(だとすれば、私は……)

 

 

 

 

 こんにちは、とアセルスは言った。

 緑色の髪の少女、緋色の衣装に身を包み腰から剣を提げた半妖のアセルスは焼却炉を訪れ、きょろきょろとあたりを見回してから簡単な挨拶を口にした。

「はじめまして、私はアセルスといいます。紅さん、聞こえますか? この焼却炉を管理しているのはあなただとジーナから聞きました」

 紅は少し躊躇ったが、しかし最後には結局ありのままを包み隠さず話すことにした。焼却炉のこと、アルキオネのこと、もし針の城から逃げ出せば必ず追手がかかるであろうこと。それは自らの罪悪感から逃れるためだったかもしれなし、あるいは選択をアセルスに押し付けるための責任逃れだったのかもしれない。けれどももしかしたらそれは──オルロワージュの力を継いだ少女なら迷える自分の思惑など容易く吹き飛ばし、正しい選択肢を選びとってくれるのではという淡い期待があったからかもしれない。

 勝手にいなくなるのは確かに失礼なことかもしれないが、だからといってなぜ追われ、しかも命まで狙われなければならないのか、とはじめアセルスは訝しげにしていたが、紅が丁寧に説明するとすぐに納得してくれた。針の城からしてみれば、アセルスが他者の手に落ちることはオルロワージュの血が奪われることを意味する。妖魔の君そのものではないにしても、アセルスの血を手に入れればオルロワージュの力の一端を掠めることくらいはできるだろう。故にファシナトゥールから抜け出したアセルスはすぐにでも連れ戻さなくてはならない。またそうでなければ──あるいはオルロワージュの目が届かない別のリージョンでアセルスを殺し、吸血を行ってその力を奪い取ってしまうこともできる。アセルスが逃げ出せば監督役を命じられたイルドゥンを蹴落とす理由ができるセアトにとっては願ってもないことだ。

 アセルスは困ったように眉を下げ、声をひそめた。

「……弱ったな。イルドゥンのことは嫌いだけど、だからといって迷惑をかける訳にもいかない」

「……申し訳ありません。あなたを惑わせるようなことを言ってしまいました」

「いや、気にしないで。知らないでいるよりは知った上で苦しんだ方がずっとましだ」

「……ほんとうに?」

 尋ねると、アセルスは弱々しく微笑んでおどけてみせる。

「さあ、どうかな。自分で言っておいてなんだけど、やっぱりそう聞かされて困っている自分もいるんだろうと思う。聞かなければよかった、黙っていてくれれば良かったのにとも。そういう私だって、たぶんどこかしらに存在しているんだろう。自分の弱さを疑えば、誰にだって無限に否定できるでしょう?」

「……あなたは」

「うん?」

「……いいえ。なんでもありません」

「そう言われるととても気になる。できれば何を言おうとしたのか教えてほしいんだけど……」

「……ごめんなさい。思わせぶりな態度をとって。あなたがあまりにも素直に自分の弱さを認めるので、少し驚いたのです」

「驚く? どうして?」

「妖魔は誇り高く生きるもの。自らの失敗や選択を悔いたりはしないものですから。自分のことを弱いと思う妖魔は、いずれ邪妖として消えてしまいます」

「ふうん。そういうものかな……。確かにイルドゥンなんかを見るとそうかもしれない。……でも、オルロワージュはちょっと違うような気がする。あの人はなんだか……妖魔の君だってのに、どこか妖魔らしくない気がする……。不思議な人だよね、ほんと……。迷い続けているのに、けして迷わない、そういうところがさ……」

「そうなのです」

 声を僅かに高く跳ねあげ、紅は嬉しそうに語りだす。

「あの方は、オルロワージュ様は特別なお方なのです。妖魔の中にあって妖魔を超える存在。唯一無二のかけがえのない人……」

「オルロワージュのことが好きなんだね」

 はい、と答えるだけで充足感が満ちた。オルロワージュへの愛を認めるだけで胸が誇りで一杯になる。また一人になったら苦しむことになるだろうと思いながら、それでも誰かに自分がオルロワージュを愛していることを伝えられるのが嬉しかった。

「紅さん。あなたの姿が見たいな」

「え?」

「さっきまでの元気のない喋り方より、今のあなたの方がずっと魅力的に思えるんだ。オルロワージュのことが好きだって笑うあなたのことを見せてよ。私もあの人のことが好きになれそうなんだ。一緒に話をしよう」

「それは……できません」

「どうして」

「私がとても醜いからです。人にこの姿を見られるのが私にとってはひどく苦痛なのです」

「……だから姿を見せないの?」

「姿を消しているわけではありませんが……自らを恥じている内に自然と姿かたちは薄れていきました」

「そんな生き方は悲しいよ」

「そうですね」紅は儚い笑みを浮かべてそっと涙を流す。「私もそう思います」

 声の震えを聞き取ったアセルスはむっと眉根を寄せた。

「人間の私に比べれば、妖魔のあなたたちの方がずっとずっと綺麗じゃないか。あなたの姿を見たことが無い私が何を言ってもそれは無責任かもしれないけど、きっと私の方が不細工だよ。……って、だからって、それでまぁあなたの悩みが解決するわけでもないけどさ!」

「あなたはとてもお美しい方です。お顔を見ればそれがわかります」

「それは、どうかな……」

 アセルスは静かに言う。

「半妖になってニキビも取れたしソバカスもなくなった。でもね、顔の造作まで変わったわけじゃあないんだ。私の顔は私のままだ。……それなのに、どうしてだろうね? 針の城で目覚めてから綺麗だねって言われることが突然増えた。これまでは一度だって無かったのに。お城の侍女も、ジーナにも、あなたにも言われた。みんなが私を褒めてくれる。優しくしてくれる。だけど、私にはわかっているよ。自惚れるほど私は美人じゃない。もし、仮に私の何かが美しいというのなら……それはやっぱり有難いオルロワージュ様の血液のおかげなんだろう。……でもさ! だとしたら、美しいとか醜いって一体何なんだ。外見じゃなくて、体の中の血が美しいとそう思わせるっていうのなら、それは洗脳や催眠と何も違わないじゃないか。……ねぇ、紅。美的感覚なんてそれぞれ違う。私がいま美しいと思うことを、別の場所で誰かが醜いと言う。美醜なんて、根本的には気持ちの問題だよ。……ジーナはね、お姉さんのことで悩んでいたときにあなたに話を聞いてもらえてすごく助かったんだ。あなたのことを優しい妖魔だって言っていた。もっとちゃんとお礼を言えば良かったって、そう言ってた。だから私は思うんだ。たとえ他の誰の世界であなたが醜かったとしても、私の視界に捉えるあなたはどんな時でも美しい。誰かに優しくできるあなたはとても綺麗だと思う。オルロワージュのことが好きだって言うのなら、もういちど会いに行こう。会いに行って、好きだって、あなたのことが必要なんだって言いにいこう。あの人はきっと受け入れてくれるよ」

 凛とした声、溌溂としたアセルスの表情に紅はそっと穏やかな微笑みを浮かべた。

「ああ……」

 紅は見えない姿のままアセルスに近づき、その右手を自分の両手でぎゅっと握りしめると熱いため息をついてこう言う。

 

 

 ──お前になにがわかるというの?

 

 

 

 

 感電したように右腕が不意に痺れた。とっさに腕を引こうとして、しかし紅の両手にがちりと捕まえられた右腕はぴくりとも動かない。「紅?」訝しげに声を上げると今度は右腕に突然すっと凍りつくような寒さが襲い、アセルスは驚いて前方をまじまじと見つめる。見えるはずのない紅が確かに笑う気配がした。

「何も知らない癖に」

 唐突に響いた紅の声に反応するように、アセルスの右腕に無数の穴が生まれる。見る見るうちに膨れ上がった穴からは煮えたぎった鍋から噴きこぼれるようにぐつぐつと沸騰した血液が飛び出し、焼けついた肌の上でしゅっと蒸発する。

 ぐ、と低く呻いたアセルスが振り払おうと暴れるが紅は冷たい声を上げ、「離さないわ」と化鳥のような笑い声をあげた。

「燃えろ、燃えろ。何もかも燃えてしまえ」 

 どす黒く変色した右腕が膨張し破裂する。どろどろに溶けだした肉がぶちまけられ周囲に散らばり、突き出した骨がひそやかに焦げていく。

 内側からアセルスを焼く紅は童女のように顔を綻ばせて物語りをはじめる。

 

 

 ……私はそっとしてほしいだけなのに、誰もかれもが勝手なことばかり言うの。それならば何もかも燃えてしまえばいいわ、焼け焦げてしまえばいいわ。

 私が言葉を望んだら、あの方はいつも愛していると言ってくれた。何度でも抱きしめて、夜という夜をみな熱情のさなかに溶かし固めて私を抱いてくれた。

 愛していた。

 あの方のことが好きだった。

 だってあの方はとても弱い方なのだもの。いつも孤独で寂しそうにしている人だから、私が寄り添って慰めてあげなければならないのだもの。

 あの方は幸福になるべきなの。幸福にならなければならないの。あの方にはいつだって笑っていて頂きたいの。私はそう願うの。

 何年も何十年もあの方を愛した。何十年の夜伽を超えて何百年の口づけを交わしてけれどもけして薄れることのないこの愛に私は焼かれた。悶えるほどの熱い情欲、膨れ上がる下腹部の炎!

 ……。

 …………。

 

 

 そして時は流れたわ。

 私はいまあの方の寝た夜具を抱いてあの方の残り香を焼く。

 あの方は私を憎んでは下さらなかった。嫌われることさえできなかった。せがみさえすれば何度でも「愛している」とそう言ってくれた。妖魔の君、妖煌帝オルロワージュ様の唇からは永遠の調べにも似て私への愛の言葉が途切れはしない。

 それでも生きている内に段々とあの方は笑うことが少なくなっていった。以前よりも楽しそうにすることが減っていって、例え笑ってはいてもそれはお芝居のように仮初の表情に思えた。

「愛しています」と私が言う。

「そなたを愛している」とあの方が答える。

 でもそれは言葉なのでしょ愛と言う名の言葉でしかないのでしょう。

 つまらなそうにしているオルロワージュ様を見て私は思ったの。「ああ、私が悪いのだわ」 だからあの方を楽しませるために何か違うことをやってみなくてはと考えた。

 あの方と戦うこともあった。戯れではあったけれど敵うはずもないあの方に牙を向いて血を流してみたかった。でも私には竜に対する蟻のように敵となることさえできなかった。

 馬鹿の振りをしてみた。芸やまじないを学んでみたりもした。そして時が流れ、流れ流れて停滞は続いた。はじめの内は笑っていても、いつかはあの方も飽きて行く。私の全てに飽きて、飽きてしまったご自身に傷ついて、それでも枯れ果てた心を懸命に動かして私を慰めようとしてくれる。愛していると言ってくれる。

 あの方が好きだわ。オルロワージュ様を愛しているわ。

 でも私では駄目なのよ。もう私では足りないのよ、。その内に何をすればあの方を笑わせてあげられるのかがわからなくなった。どんな顔をしてあの方の前に立っていればいいのかわからなくなった。どんな顔をしてもそれは過去に繰り返したお芝居の再現でしかないような気がした。気がついたら上手く笑うことが出来なくなっていた。笑おうとしても顔が引き攣って歪んでしまう。誰かを傷つけるためならいくらでも笑えるのに、愛そうとすると途端に笑えなくなるの。だから私なんて消えてしまえばいいの。消えてしまって忘れられて滅んでしまえばいいの。

 あなたの名はアセルス。何も知らないくせに私を美しいと言う。たかだか十年かそこら生きただけの女が、時の悠久を知らずに愛を語ろうとする。あなたなんて死んでしまえばいい。

 

 

 悲しみに噴出した炎がアセルスの全身を舐める。

 揺らぐ炎に輪郭をなぞられて紅の顔がようやくアセルスにも見えた。紅は泣いていた。なぜ泣くのだろう。自分の力ではどうすることもできないから泣いているのだろうか。どうすればいいのかも自分では決められない無力を嘆いているのだろうか。

 ふと、不可思議な既視感が沸き起こった。力なく自嘲するこんな泣き顔をいつかどこかで見たことがあるような気がした。それはもしかしたら自分の顔なのかもしれなかった。

 悔しいな、とアセルスは思う。自分でも訳がわからないままこみ上げる悔恨にぎりりと歯を食いしばり、腕を焼かれる痛みを束の間忘れた。

「馬鹿!」そう言ってがむしゃらに頭突きをかますと、「ふま」と間抜けな声を出して紅がのけぞる。

「ば、馬鹿……?」

 戸惑ったように声を揺らしながらきょとんとしてみせる紅の鼻からほろと血が零れ落ちた。無様に鼻血を流す紅が思わず顔を拭おうとした両手を今度はアセルスが捕まえて握りしめる。見る間に焦げ付き燃えて行く両手に脂汗を流しながらしかしアセルスはしっかと紅の眼を見つめて囁いた。

「消えてしまえばいいと言うのなら、本当に消えてしまえば良かったんだ」

「え……?」

「そっとしておいて欲しいならそんな顔をして泣くなよ。寂しそうに涙を流しておいて感情移入されたくないなんて勝手だよ。そんな風に泣かれたら、思い切り抱きしめて、頭を撫でて、あなたのことが好きなんだって言ってあげたくなる。自分のことが好きになれなくて泣いている人を見たら、そんな人を放っておいてしまったら、きっと自分だって救われないんだろうって絶望したくなるじゃないか」

「そんな……そんなの、それこそ勝手だわ!」

「ああ、そうさ。私は勝手なんだ。あなたの話を聞いてたら無性に腹が立ってきた。オルロワージュをぶん殴りに行ってくる!」

「や、やめなさい!」

「……まぁ、いきなり殴るのもおかしいから、とりあえずオルロワージュがどう考えてるのか聞いてから場合によっては殴る!」

「やめなさいと言っているでしょう!」

「……じゃあ、どうしたらいいの? どうしたらあなたは元気になるの?」

「それがわからないから……!」

「ここにいたってあなたはそうやって泣いているだけじゃないか」

「なら、どうしろというの?」

「旅をしよう」

「旅……? どうして……?」

「今ここにいても辛いだけなら、どこにも居場所が見つからないのなら……。ここではないどこかの、まだ見たことのない星の辺境地にいつか生きることのできる場所を探そうよ。私はそのために来たんだ。このファシナトゥールを抜け出して私が望んでいられる場所を作り出すために旅をするんだ。だから紅、一緒に行こう」

「そんな場所がこの世にあるの? あの方から離れて、本当に私は幸せになれるの?」

 アセルスは残酷に首を振る。

「そんなことは、わからない。旅をしてみてそれでも居場所が見つからなかったら──短い私の寿命が尽きて、それでも幸せになれないのなら、その時は何もかもを諦めて盛大にこの世を呪って死ねばいい。やるだけやってみて、駄目だったら死ぬしかない。だからそれまでは泣くのを止めて、私と一緒に辺境を目指そう」

「辺境……この世の果ての、開拓地……」

 不確かな響きを辿るように紅の舌がその言葉を繰り返した。アセルスの握りしめる紅の両腕がわなわなと震えた。くれない、とどこか舌足らずにアセルスが名前を呼ぶ。優しく紅を見つめるアセルスの瞳、それは夢見る若者の眼、恐れも知らず無知無謀な場所へと足を踏み出す冒険者の眼だったから、紅ははっと息を呑んでその瞳を覗き込みゆっくりと瞬きをする。

 

 

 ──アセルス……様……。

 ──あなたも私のことを様と呼ぶの。どうしてかな……。私はそんなに偉い人間じゃあないよ。

 ──いいえ、いいえ……。いま、あなたをアセルス様と呼ぶのは、私の意志です。そう呼びたいの……。アセルス様……私を連れて行って下さいますか? あなたの求める黄金郷への旅路に、私も加わってよろしいのですか……? ああ、あなたは開拓者。この世の果てを目指す辺境嬢(レディ・フロンティア)……。

 

 

 囁いた紅は炎を纏って上空に舞い上がり、ぱっと鮮やかな火の粉を散らして空を彩る。わ、と歓声を上げたアセルスが楽しげに手を差し伸べると、浮遊する紅はその小さな掌を捕まえて裏返し、手の甲にそっと唇を落とした。

 あなたの姿が見たいよとアセルスは言う。あなたの形をこの手で確かめて、抱きしめてみたいんだと。

 告げられた紅はほうと甘いため息をついてその身を翻す。するとその体は次第に色を取り戻しながら縮んでいき、赤銅の揺らぐ髪を持つ小人の姿となった。

「いまはこれがせいいっぱいです」

 可愛らしい声で答えた紅はふわりと浮かんだかと思うとアセルスの肩に腰かけ、うなじにもたれかかって安らかな表情で頬を寄せた。

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