サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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全ての乙女は邪悪でなくてはならない──炎の従騎士アルキオネの物語④──

「たった一人の家族を失った悲しみにさえ、満足に浸らせてはくれないのか、オルロワージュ……!」

 

 

 憎悪に満ちたアセルスの声にアルキオネは思わず剣を振るう。妖煌帝の愛し子の首があっけなく落ち、ころころと転がっていく。あっけない結末に拍子抜けする思い出でほうと息をつき、剣を収めかけて──無視できない違和感にアルキオネは眉を顰めた。

 血が、流れていなかった。

 確かに妖魔の血流は穏やかで、その鼓動も人間に比べれば遅い。腕を切り落としたからと言って動脈から血が勢いよく噴き出したりはしない。しかし、腰を下ろしたままのアセルスの死体──断面は青の血に濡れこそすれ一滴たりとも零れてはいない。いや……、

「青色の……。アセルス、お前……!」

 血相を変えて転がり落ちたアセルスの首を睨みつける。あちらを向いているために表情は見えない。後頭部は長く伸びた緑の髪をくしゃくしゃに見出し、土と泥に塗れている。慌てて駆け寄りその顔を確認しようとアルキオネが手を伸ばしたその時、事切れたはずのアセルスの唇から静かな言葉が漏れだした。

「なんてさ。馬鹿馬鹿しいかな……。死んだふり」

「アセルス……」

「これでいいじゃないか。このまま帰ってくれないかな。アセルスは殺したと、白薔薇は見つからなかったと、そう報告してくれればいい……。黙って首を斬られたんだ。そういうわけには、いかないかな……?」

「いかないね」ぎりぎりと歯を噛みしめて憎々しげにアルキオネは吐き捨てる。「そんな冗談を誰が信じる? あたしはお前を殺しに来たんだ、仲良しになるためじゃあない」

「そう」アセルスはどこまでも穏やかに答える。「あんたたちはいつもそうだ……」

「舐めるな!」アルキオネは叫んだ。怒りのままに剣を突き立て、首を串刺しにする。アセルスの声が奇妙に捩れる。故障した蓄音器のように罅割れた言葉を何度となく繰り返す。「たたたたた戦うこことばかかかり……、ここここ殺すすすことばばばばばかり……」

「黙れ!」力任せに足を踏み下ろすと今度こそ頭ごと潰れてアセルスは喋らなくなった。無性に疲労を覚えた。肩で息をしながらアルキオネは歯がみする。「なんなんだ……」

「オルロワージュ様の血の力……そういうものなのか……?」

 妖煌帝の血に底知れぬ恐ろしさを感じてアルキオネは僅かに身を震わせる。ただの人間の小娘がここまでの再生能力を……。セアトがこの血を手に入れさえすればイルドゥンやラスタバンなどものの敵ではない。

「セアト。いま持って帰るからね」

 呟いてアセルスの髪を掴み、首ごと持ち上げようとしてずるりと手が滑った。首が再び転がっていく。血で滑ったのだろうか? 手元を確認してアルキオネはそれが間違いであることに気付く。依然として掌の中に髪は握られている。とするとこれは手が滑ったのではなく──髪が、伸びたのだ。そういえばおかしいと思うことは他にもあった。青色の血。話によればアセルスの血は紫色だった筈だ。しかし今、確かにこの髪は青く濡れている……。いや……これは血ではない。初めは血だったのかもしれないが今は違う。髪が血を吸っている。

「吸血……」

 茫然としてアルキオネは囁いた。何かがおかしい。首を切り落とした時、確かにアセルスの髪は緑色をしていた。だがこの色は、アルキオネの良く知るこの色は妖魔の……。

 恐怖に手を震わせたアルキオネの眼前でアセルスの髪が凄まじい速度で伸びていく。地を這い、樹木に纏わりつき、コンクリートを覆い、増殖と蠕動を繰り返す。慌てて飛び退るアルキオネの靴をすっと血が舐めた。物語の1ページが捲られるように大地が血に染まった。透き通る程の青い海。血液でできた青の鏡。

 ちゃぷり、と血が鳴った。舌舐めずりの音。

 ぴちゃり、と血が跳ねた。水たまりを蹴散らす童女の軽やかさで波紋は広がり、オルガンを爪弾くように血が爆ぜる。

「アセルス!」

 恐慌に駆られて唸り声を上げたアルキオネに答えるかのように、ぬるという鈍い感触が背中を叩いた。

「あ……?」

 不思議そうに振り返るとそこには首なしの少女が一人立っている。もの言わず淡々と佇むその首なし──アセルスの腕はこちらに何かを差し出すように向けられている。

「いつか、私もこんな風に刺されたんだ。あなたの男に」

「あ……」

 アルキオネはゆっくりと見下ろした。いつの間にかに自分の胸から剣が生えている。過たず妖魔の心臓を貫いたその剣にそっと触れ、信じられないように目を見開いてアルキオネは膝を折る。

「首にばかり気を取られているからそういうことになるんだよ」

 背後で──おそらくは再生を終えたのだろう──アセルスの生首が語りかけてくる。

 諭すような口調に屈辱を覚え、アルキオネはかっとなって怒声を上げた。

「黙れ……! 不意打ちなんて、この卑怯者……!」

「そんなことは私の知ったことじゃあないね。まともにやって勝てない相手に正々堂々と殺されろとは、少なくともイルドゥンは言わなかった。……だいたい、あなたは私を殺しに来たんでしょう? そんな相手にかける義理はない。これでも私はあなたに相当腹を立てているんだ。本当だよ……」

 目の前の首なしはつかつかとアルキオネの背後にまわり、背中を踏みつけにして剣を抜いた。低い呻き声を漏らすアルキオネに構わず、首なしはそのまま自らの首を拾い上げて胴体に据え付ける。

「さて」とアセルスは言った。「紅からある程度は聞いてある。あなたにそこまでの再生能力はない。死ぬことはないにしても、しばらくは動けないんじゃない?」

「殺せ……」呪うように吐き捨てたアルキオネに、アセルスは表情にようやく険を浮かべた。

「私はあなたを殺さないよ」

「半妖に情けをかけられて生きながらえるなど」

「情けなんかじゃないさ」

 アセルスはきっぱりと答えた。

「自分がほんのちょっと手を動かせば私を消し炭に変えることもできる。さっき、あなたはそう言った。多分それは嘘じゃあないんでしょう。やろうと思えばあなたは私を簡単に殺せる。……じゃあ、なぜそうしなかったか。答えは簡単だ。あなたたちは私の“血”が欲しいんだ。炎の従騎士ともあろう人がついうっかり本気を出して、血液ごと私を蒸発させてしまったら元も子もない。だからあなたは手加減せざるを得なかった……」

「……」

「でも、いよいよ自分が死ぬかもしれないとなったらあなただってそういう訳にはいかない。きっと体ごと炎に変えて私を殺そうとするだろう。だから、私はあなたを殺さない。あなたにはまだチャンスがある。いまを耐え、時間をかけて再生しさえすればまた私の血を奪うことができる。だから……あなたも私を殺さない。お互いに殺し合わない理由ができたね。私はさっさと逃げることにする。……よかったら、セアトに伝えておいてくれないかな? 殺されるのは嫌だけど、ちょっと血をあげるくらいなら別に構わないって。それで追うのをやめてくれるのならね。ちゃんと話をしに来てよって」

「半妖と話すことなんてなにもない……」

 言い知れぬ敗北感に打ちのめされて弱々しくアルキオネは唇を動かした。

「まぁ、そう言わないで欲しいな。……あ、そうそう。さっきから気になってたんだけど、どうしてあなたはそんなに血を流しているの? この辺り一帯、あなたの血で海みたいになっているんだけど……」

「……? 何を言っている? これはお前の血だろう」

「私の……? 違うよ。私の血は……その、紫色だもの」

 不思議そうに尋ねるアセルスの表情に毒気を抜かれて、アルキオネは黙り込んだ。口を閉ざしたアルキオネにやがてアセルスも会話を諦め、とぼとぼと去っていった。

 

 

 

 

 連絡がないことを心配したのか、それとも単に様子を見に来たのか、やがてセアトが迎えにやってきた。半妖ふぜいに不覚をとった自分をもしかしたら彼は責めるかもしれない。そう思うと悲しくなってアルキオネはぎゅっと目を閉じる。だがセアトは何も言わず、傷ついた彼女の体を優しく抱き抱える。

「……ねぇ、セアト。あたし、負けちゃった。役に立てなかった。ごめんね」

 悲しそうにアルキオネが言うと、「気にするな」と言葉少なに彼女を受け入れてセアトは穏やかな手つきで彼女の髪を撫でる。それだけでなんだか幸福な気分になって、アルキオネは「へへ」と笑ってセアトの腕に身を任せた。

 

 

 ──ねえ、セアト。アセルスはあなたに血を与えてもいいと言ったわ。少しくらいなら、それで追うのをやめてくれるのならと。

 ──そういうわけにはいかないな。お前も分かっている筈だ。白薔薇姫のこともある。奴を野放しにしておくことはできない。奴はただそこにいるというだけで針の城を揺るがしかねない存在だ。

 ──うん。そうね。……あたし、やっぱりあの女のことが大嫌いみたい。何さ、訳知り顔で偉そうなことを言ってさ。二十年かそこら生きただけの小娘のくせに……。あたし悔しいよ。あんな奴一人殺せなくて……。ほんとごめん。次は絶対にぶっ殺すから。

 ──……。

 ──セアト?

 ──不意打ちとはいえ……お前の話を聞いた限りではオルロワージュ様の血の力は未だ底が見えない。まして、今回のこともあればアセルスもそうそう一人にはならんだろう。相手は白薔薇姫と紅姫。迂闊に戦えば今度こそお前は……あるいは他の従騎士が死ぬかもしれん。どうも俺の見通しは甘かったようだ。

 猟騎士の異名に恥じぬ狩人の残酷さと冷徹さを胸に秘め、セアトは冷えた視線で淡々と言った。

 ──次は俺が出る。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 白薔薇と紅は宿の一室で「かっぷめんとは何か」という話題について一頻り議論していたが結論は出ない。そこへ血だらけのアセルスが帰ってきたものだから彼女たちは「どうしたのですか」と驚き、弱々しく微笑むアセルスを心配する。

「心配ないよ。私は大丈夫。怪我は……あるけど、いつかは治る」

「そうですか」

 ほっとした顔の白薔薇はアセルスの頬に付着した血を拭き取ろうとするが、アセルスは「自分でするよ」とやんわりと断った。

「私が離れたばっかりに……申し訳ございません」

 小人姿の紅は居てもたってもいられないとでも言うようにアセルスの体をよじ登り、再生していく傷跡を痛々しそうにつつき始める。ごめんなさい、ごめんなさい。そう言ってしきりに謝る紅はしかし、何か言いたげに口を開きかけては頭をぶるぶると振って再び謝罪を繰り返している。その姿を見て「心配しなくてもいいよ」とアセルスは優しい声色を作る。

「襲ってきたのはアルキオネさんだったけど、彼女も無事だよ」

「あ……」

 ぎくり、と見るからに動揺を浮かべて紅は小さな体をぷるぷると震わせた。

「ごめんなさい……」

「気にしなくていい。家族を大切に思うのは尊いことだ」

 そう言って、アセルスはふと瞳を揺らした。窓の向こうに遠い視線を向け、寂しそうな口調で「多分ね」と付け加える。

「アセルス様おひとりでアルキオネさんを撃退なされたのですか?」

 恐縮する紅には目もくれず、白薔薇は冷静な疑問をぶつける。

「その血はアルキオネさんのものですね? 鉄の剣で炎の従騎士の体を斬ったのですか?」

「そうだ、白薔薇……」

 気を取り直したように振り返り、アセルスは腰に提げた剣を抜いてみせる。ゴサルスの店で買った平凡な鉄の剣だったが、いま手に握る剣は様相を変え、禍々しい紅玉の光を放っている。

「さっき見たらいつの間にかこうなってたんだ。血に濡れたっていうのなら青か紫になっていないとおかしいし……」

「それは」誰にも悟られないほど僅かな嘲笑を唇の端に浮かべて白薔薇は言った。「それは“妖魔の剣”ですね」

「妖魔の剣?」

 耳慣れない言葉にアセルスが言葉を繰り返すと、白薔薇はいつものように温和な表情を取り戻して優しく答える。

「妖魔が持つべきつるぎ。信じさえすれば、あらゆるものを斬り裂くことのできる剣。妖魔が戦いの中で己と敵との血でもって研きあげる武器、他者の魂を奪い取る吸魔の剣。それは妖魔であればいつかは手にするものです」

「でも私は」

「戦いの前後で何か変わったことはありませんでしたか? 体に違和感は?」

「いや……首、思いっきり切り落とされてたから、正直混乱してよく覚えてないんだ。無我夢中で……」

 矢継ぎ早に尋ねる白薔薇にアセルスはしどろもどろになりながら懸命に記憶を辿る。

「そう、この血はアルキオネさんのもの……その筈なんだけど、どうしてかな、彼女はこれが私の血だって言う。私が流した血だって」

「やはり、そうなのですね」

 得心したように白薔薇は頷く。確信に満ちたその態度にアセルスは思わず身を乗り出して「やっぱり?」と先を促し、話がさっぱりわからないという顔で首を傾げていた紅はアセルスを見て「やっぱり?」と真似をする。

「簡単なこと。……あなたは、つかのま妖魔になっていたのです」

「そんな!」

「おそらく生家での一件が一因でしょう。あなたの感情が激しく揺らいだ。そこで戦闘が起きる。震える魂は一瞬のうちに激情へと変わる……。オルロワージュ様の血が目覚めたのですね。あなたの持つ鉄の剣は妖魔の剣に、あなたの肉の裡を流れる血は紫から青へと遷移する。戦闘技術では遥か格上の相手にも怯むことのない鋼の意志と凍りつくほどの判断力。この世を統べる支配者の精神があなたに宿る」

「そんなすごい状態になってたの、私……」

「断言はできませんが……。失礼ながら、そうでもないとアセルス様にアルキオネさんを退けられた理由が説明できません」

「そっか……そうだね」

 どこか腑に落ちたように言葉尻を弱め、アセルスはぽてりと力なく椅子に腰を下ろした。

「妖魔。私がね……」

 へえ、と投げやりに呟き、アセルスは白薔薇の手から剣を取るとそっと手首に当てて引いた。

「アセルス様!」

 首筋に縋りついた紅が怯えたように叫んだ。

「大丈夫」

 落ち着いた声でアセルスは答え、手首から滔々と流れ出す紫色の血を見つめる。

「私は狂ってなんかいない。確かめなきゃいけないと思っただけ。いまの自分が何なのかを」

 アセルスは一心に血を見つめる。一歩離れた場所でアセルスを見下ろす白薔薇の瞳に興味深そうな光が宿る。

「白薔薇」アセルスは静かに言う。「私は妖魔になるの?」

「さあ、それはわかりません。戦いをやめられず怒りや憎しみに呑み込まれていくのならそういうこともあるでしょうし、あなたが何を食べ、どのように生活し、どう生きていくのかによって、あるいは別の物語が待ち受けているやもしれません」

「結局……先のことはわからないってことか……」

 アセルスはこくりと頷くと窓辺に近寄り、硝子にこつんと額をぶつけた。

 

 

 狂っているわけじゃないよ。だってたいして痛くないんだ。痛くないって知っていれば、別に無茶だってできるでしょう。

 感覚がないわけじゃない。痛いものは、痛い。でも我慢できるような気がする。手首をちょっと切るくらいならね、何て事もないよ。

 でも、相変わらずだな。自分のことがよくわからないや。

 私はアルキオネに殺されるべきだったような気もする。狂ってしまうべきなような気もする。だって首を斬りおとされたんだ、発狂したっておかしくはないじゃない。……いいや、おかしいか。普通はその前に死ぬものな。普通はさ……。

 私は戦うことに慣れていく。傷つくことに慣れていく。その挙句が青い血だ。知らない間に妖魔になっていたってさ。なんでもアリだね、我ながら……。

 ああ、そうだな。

 

 私はもう、[[rb:シュライク > ここ]]にはいられないんだ。

 

 故郷にはもう戻れない。なるほどね、叔母さん。実際のところ私は化け物なのかもしれないよ。

 あなたの住んでいるところを血で汚してしまってごめんなさい。

 あなたの平穏な毎日を壊してしまって、本当にごめんなさい。

 私は遠くに行くことにします。

 どうかお元気で。

 

 

「次はどこへ行こうか?」

 ぼんやりとアセルスは呟いた。

「そうですね、路銀も少々心もとなくなってきたことですし……」

 思案顔で頬に手を当てる白薔薇。「全然わからない」という顔で申し訳なさそうにしょんぼりしている紅。

「身分証明のない者が暮らして行けそうな場所……手っ取り早くお金が手に入るような星……。生きて、生活していくんだ。私は……」

 われ知らず握りつめた拳を震わせ、アセルスは顔を上げる。

 クーロンへ行こう、と彼女は言った。


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