サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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罔象の子宮、プリンセス・スライム──水の従騎士ハウゲータの物語②──

 それで、お前はアセルスにしてやられておめおめと帰って来た訳か?

 ……あんた、ぶち殺されたいわけ?

 ハウゲータ、アルキオネを責めてやるな。アセルスの妖魔化は俺達が思っていたよりも進んでいるようだ。オルロワージュ様の血を侮ることはできない。次はこの俺が行こう。

 お前が行くのか、セアト?

 ああ。

 それは良くないな。お前は私たち従騎士の大将なのだ。そう軽々しく動くものではない。男ならば配下を信用し、泰然自若としているものではないか。

 確かにそうかもしれん。だが俺は、俺の女が傷つくとわかっていてみすみす行かせるほど暢気ではない。やるからには必ず殺す。

 ……ふむ。

 なんだ。

 今のはなかなか良い台詞だったぞセアト。気に入った。……アルキオネ、セアトにキスしてやれ。

 はあ!? なんでこのタイミングでそうなるわけ?

 私はセアトの言葉を好ましく感じ、キスしてやりたいと思った。だがそうするとお前は嫌だろう? だとしたらキスはお前がするべきだ。

 しないわよ!

 そうか。ならいい。では私がしよう。……セアト、こちらへ。

 こいつ、燃やしてやろうか!

 落ち着け。今はそんなことで揉めている場合ではないだろう。とにかく次は俺が行く。

 そのことだがな、セアト。やはり次は私が行こうと思うのだ。

 ……あんた、さっきの話聞いてたの?

 もちろん聞いていたさ。そうして思ったよ、やはりこの男を死なせたくはないとな。……なあ、セアト。確実性の高い方法を取ろうとするお前の気持ちもわからんではないさ。一番良いのは我々全員でアセルスたちを襲撃することだが、そうすると今度は黒騎士としてオルロワージュ様を警護するという役目が果たせなくなる……。我々の中で最も強いお前が単独で行くというのは、なるほど理に適っているようにも思える。しかしなぁ……。

 あんたねー。セアトの力が信じられないってんならそう言いなさいよ。そうしたらあたしが相手になるわよ。従騎士なら従騎士で、主のことをばーんと信じとくのが筋ってもんでしょうが。

 セアトくん。おせんべ焼けたよー。

 ……ああ。今、行く。

 なあアルキオネ。お前がみたアセルスの力、それが全てというわけでもないのだろう? オルロワージュ様の血に秘められた力は未だ未知数だ。ましてやアセルスの傍には白薔薇姫と紅姫がついている。一度襲撃に失敗した以上は向こうも警戒しているに違いない。一筋縄ではいかんだろう。

 じゃあどうすんのよ。

 “対話”してくればいい。

 は? タイワ?

 お前の話の中でアセルスは興味深いことを言っている……。血が欲しいのなら少しくらいなら譲っても構わない。それで狙うのをやめるのなら。……確か、そんな内容だったかな? 話をしに来てよと向こうが言っているのだ。噂の辺境嬢はとんだ平和主義者のようだ。つけいる隙は十分にある。戦う前にアセルスの血を手に入れることができるなら、あとはそれをセアトに飲ませて妖魔の君の力を手に入れてもらう。

 ……よくわかんないけど、そんなに上手くいくわけないでしょ。

 私はお嬢さんとお話ししてくるだけだよ。別に危険はないだろう。……それでいいな、セアト?

 …………。

 

 

 ◇

 

 

 その女は美しい顔立ちをしていた。ほっそりとした瓜実顔に眼は細く、こめかみに流した艶やかな黒髪が艶めかしい。目元にちょんと添えられた泣き黒子は女の色香を存分に匂わせ、その身に纏う黒衣は獣たちがまぐわう洞穴の暗がりの如く。

 その女は確かに美しかった。けれども不思議なことに、あとになって彼女がどんな顔をしていたのかと思い返してみるとどうにも上手くは想像できない。必死に記憶を探ろうにも意識の焦点が結ばず、女の顔は奇妙にその印象を薄れさせてしまう。女の美しさはひどく流動的で、刻一刻と姿を変えているのかもしれなかった。その女の姿形はまさにその“時”というもの、時の流れを体現したものかもしれず、もし女が美しいというのならばそれは時の美しさなのかもしれない。

 彼女は何の前触れもなくアセルスの部屋に訪れ、その扉を叩いたのだった。何の躊躇いもなく彼女は水の従騎士ハウゲータだと告げた。予想だにしない唐突な訪問にアセルスは固まり、すわ敵襲かと血相を変えた紅が隠れていた扉の裏から火焔を放つ。ハウゲータは軽やかに後ずさり炎をかわし、廊下の手すりがどろどろに溶けるのを見届けてから「ふむ」と頷いた。

「まあ気持ちはわかるな」

 剣を抜きかけていたアセルスはハウゲータののんびりとしたその言葉に意気を挫かれたように瞬きする。

「……いま、なんて?」

「確かに一度アルキオネに襲われているのだから、攻撃してくるのもわからないではない。……だが私はまだ挨拶をしただけだろう。剣を納めてくれないかアセルス。私は話をしに来ただけなのだ」

「え……」

「もし、いや許さない、死ねというのであればとりあえず私は逃げるが……。話をしに来るように言ったのはあなただろう? 中に入れてくれ」

「ほ、本気でいってるんですか……それ」

「ああ」

 アセルスは疑わしげにハウゲータの様子をうかがっていたが、やがてぱっと顔を輝かせて部屋の奥へと叫んだ。

「すごいよ白薔薇! 妖魔にもちゃんと話のわかる人がいるんだ!」

 嬉しいなぁ、とにこにこしながらアセルスは「どうぞどうぞ」と馴れ馴れしくハウゲータの手を握って室内に招き入れる。思っていたよりも好意的な態度に拍子抜けしたようだったが、ハウゲータはじろじろと室内を見回して「なるほど」と訳知り顔で頷き、断りもなく居間のソファーに座りこんだ。

「何をしにいらっしゃったのですか」

 客人に紅茶を出しながら白薔薇が落ち着いた調子で尋ねる。「ありがとうございます、白薔薇姫」と礼を言い、ハウゲータがカップを受け取る。紅は部屋の隅からなおも険しい目つきで睨みつけている。

「こちらのお嬢さんがうちのアルキオネに言ったことを真に受けて。交渉してみようかと思いまして」

「交渉?」

 お嬢さんと呼ばれたことにむっとしながらアセルスがおうむ返しに呟くと、ハウゲータは視線を向けてアセルスの瞳を覗きこんだ。

「そうだよ。もしもう襲わないと約束をするなら血を分けてもいい、とあなたはいったそうじゃないか」

「そ、そんなことを仰ったのですか、アセルス様? それはいけません!」

 仰天した紅が珍しく非難の声を上げる。「いやぁ……」と気まずそうに頭をかきながらアセルスは紅に近寄り、ぷっくりと頬を膨れさせた彼女の頭を人差指で撫でた。

「そんなことをしても誤魔化されませんから」

 ぷい、とそっぽを向いてしまった紅に「困ったな」と眉を下げ、アセルスはハウゲータに向き直る。

「……でもまぁ、確かに私はそう言いました。いまでもそう思っています」

 オルロワージュ様の大切な血、奪われでもしたらどんなに大変なことに……、と壁に向かってぶつぶつと呟いている紅をハウゲータは面白そうに眺めながら「あなたは妖魔のことをどれだけ知っているのかな?」と質問した。

「紅姫の言っていることはその通り。私たちがあなたの血を求めているのはその血の中に秘められたオルロワージュ様の力が欲しいからだ。もしあなたが血を渡せばどういうことになるか、きちんと理解しているのかな?」

 アセルスは目を鋭くする。

「……逆に聞きますが、あなたたちは私の血にどれだけの力があるか本当に理解しているんですか? 私は世界でただ一人の半妖らしいじゃないですか。仮に元がオルロワージュの血であろうとなかろうと、今はこの私の血です。たかが私ひとりの血を飲んで、そちらのセアトだか誰だかがやたらに強くなって新しい妖魔の君が誕生する。そんなことが実際におこるものなんでしょうか。……それは、すこし博打に過ぎるんじゃあないですか?」

「リスクのないものを博打とはいわない。強くなることはあってもその逆はない」

「リスクはあります。この取引の話がどこかから漏れたら……あるいは私自身が針の城に伝えたら、あなた達の立場はまずいものになりますよ」

「針の城から逃げ出したあなたがそんなことをするとは思えないが……まぁ、それもそうだな。何らかの手段でオルロワージュに伝えることも出来なくはないだろう。ふむ……」

 ハウゲータは少し考え、真顔で言った。

「それは困る。やめてくれ」

「ええ……? 予想外の反応……。ハウゲータさんは交渉に来たんですよね……?」

「交渉には来たが別に上手いとはいっていない。そもそも、交渉の得意な妖魔などいない」

「だったらなぜここに来たんですか?」

 不思議そうに尋ねるアセルスにハウゲータは屈託のない笑みを浮かべる。

「私は他者と会話するのが好きだ。自分の知らないことや、考えもしなかったこと……自分の世界とはまるで違う場所がこの世のどこかに広がっていると感じる時、私はたまらなく嬉しくなる。あなたもそうだよ、アセルス。この世でたった一人の半妖。他の多くのものと同じように、私もあなたにはとても興味がある。あなたの話を聞かせてほしいな、アセルス。そしてその上で、もし分かり合うことができるのならあなたの血を私に譲ってほしい」

 ハウゲータの言葉に紅はきっと目を吊り上げて「血は駄目です!」と鋭く叫ぶ。

「ああ……ええと……まぁ、血のことはともかくとして、いや、ともかくというか一端置いといて……。私の話、ですか?」

「ああ、そうだ」真正面から視線を向け、ハウゲータは敵意が存在しないことを示すように両の掌をこちらに向ける。「時間はいくらでもある。互いのことを知らずにああだこうだと口を尖らせても仕方がないだろう?」

「そりゃあ、まあ」

「あなたの名前はアセルス。少し前までは人間だった。何の因果か妖魔の君に血を与えられて半妖になった。今は針の城を抜け出してクーロンで暮らしている。ファシナトゥールを離れたのは妖魔の世界を嫌ったからかな? オルロワージュ様を憎んでいる?」

 むう、と口を一文字に引き締めてアセルスは慎重に言葉を探す。

「憎む……というのは、やっぱりなんだか違うと思います。でも私は人間だったんですよ。それが急に半妖なんてことになったら、色々思うところもありますよ」

「それはわかるな。自分が自分の意志ではないものによって自分以外のものに造り替えられてしまったら、それは不愉快極まる。それはわかる」

 わかる、と何度も頷くハウゲータにアセルスは僅かに唇を綻ばせる。緊張のほぐれたアセルスをちらりと見たハウゲートは「では──」と話の矛先を変えた。

「それ以外の妖魔についてはどう感じたのかな。たとえばラスタバン、イルドゥン、それにセアトは?」

「ラスタバンさんはよくわからないけど悪い妖魔ではない気がします。イルドゥンは嫌いです。セアトは初対面でいきなり刺してきたからもっと嫌いです」

 アセルスはきっぱりと言った。ハウゲータは重々しく頷く。

「それもわかる。セアトには後で“そういうことをすると女に好かれないぞ”とよく言い含めておこう。イルドゥンについては……彼はああいう性格だからな」

「理由について詳しく言うつもりはありませんが、まあ嫌いです」

「針の城の栄えある黒騎士が乙女に対してこれとはな。魅了者たる妖魔としては嘆かわしいことだ」

「魅了者……」

「うん?」

「私としては、そのあたりのことがいまいち実感できないんです。妖魔は他者を魅了し、虜にするもの。頭では知っていても、それはやっぱりオハナシの中のことで、どうにも現実感がない」

「あなたはオルロワージュ様の血を引いているからね。どんなに強力な妖魔でも魅了することはできない。実感できない、というのは、それはごく当然のことだよ。あなたには妖魔の持つ魔的な力が作用しないのだ」

「どうして妖魔には魅惑の力が宿っているんでしょう。どうして虜化の力なんてものを使って……」

「……恋をしたり、愛をしたり?」

「そう、そうですよ。私は妖魔のことを考えていて時々不思議になるんです。だって魅惑の力を使って相手を虜にしたところで、それは都合のよい人形であって恋人ではない。どれほど愛しているよと告げられても、それは嘘ですよ。そんなことを言われても嬉しくないです。……針の城の寵姫だってあなた達従騎士だって、本当のところは洗脳されていて自由意思なんてものは持ち合わせていないのかもと怖くなることはないんですか? あなたはセアトの従騎士。黒騎士に虜化された妖魔でしょう。あなたがセアトを想う感情の何もかも、妖魔の血に縛られたものだとは思えませんか?」

 矢継ぎ早に質問を続けるアセルスに、ハウゲータは余裕たっぷりに微笑みをみせる。

「……成年者(おとな)はそんなこと気にしないんだよ、アセルス」

「それ、話を逸らしていませんか?」

「逸らしてなんかいないさ。この身に抱く愛が真実のものかどうかなんてことを後生大事にためつすがめつするのはおぼこ娘のやることだよ。妖魔はそんなことに悩んだりはしない」

「でも」

「でも、とあなたは言う。でも、その前に私は尋ねよう。愛とは何ぞや」

「あ、愛……?」

「あなたは真実の愛とやらが重要であるかのように言う。自由意思、だったかな? そんなものによって行使される“愛”が尊いものであると、そう言いたいんだろう? ……だが、自由意思とは何の謂いだ。愛というのは、どのようなものなのかな?」

「……そんなこと、答えられるわけないじゃないですか」

「私にはできる。愛とは物語のことだ。男女間で交わされる幻想のことだ」

「それが大人の考え方ってやつですか。シニカルであることが現実主義者の証明だとは私には思えません」

「私は皮肉屋ではないよ。むしろ私ほどロマンチストな妖魔もそうはいないと思うがね。……私は別に愛と恋とを馬鹿にしているわけではない。誰かを好きになって恋をすることは素晴らしいことだと思う。だが──、ああ、何と言えばいいのか……ふむ。まず、そうだな……こういう言葉から始めてみるのはどうだろう? 妖魔に虜化などという力は無い、と」

「え?」

「虜化は相手を恋に落とす力。けれども誰かが恋に落ちたとして、それが生きている者の単なる魅力によるものか、それとも妖魔の超常的な力なのか、判断することはできないだろう?」

「でも、明らかに虜化される前と後では様子が違うということもあるでしょう」

「そんなものを誰が見た。教科書にでも書いてあるのか。仮に書いてあったとして、それが本当だとどうやって証明する。妖魔に虜にされるのと、人間に恋をするのとはどう違うのだ。どこまでが恋で、どこまでが虜化なのだ。そんなことを考えて時間を潰すくらいならば口づけの一つでも交わすことだ。たとえ人間同士であっても多少の上下関係はあるものだろう。恋に恋するあまり相手の言うことを何でも聞いてしまう、探してみればどこかしらに転がっていそうな話ではないか」

「違いますよ。人と人とが出会って、自然な感情の流れから恋に落ちるのと、魅了して強制的に従わせるのとは天と地ほども違いますよ」

「何も違わないさ。恋に落ちるまでの過程を虜化と呼ぶかどうかというだけだ。妖魔と人間が恋に落ちた時、たいていは寿命に短い人間の方が立場的に弱くなる。そして多くの場合、人間は人間が被害者であるように物語を拵えるものだ。あれは妖魔が人間を攫っていったのだと。虜化して連れ去ったのだと」

「……あなただって、似たような話の進め方をしているでしょう。妖魔には虜化の力が無いという話をするのは、その方が自分にとって都合が良いからだ」

「ふむ。そうか。そう言われるとそうかもしれない……。でもね、アセルス。私たち妖魔であっても、本当に自分たちに魅惑の力が宿っているかどうかなどということを確かめることはできない。あなたのことが好きだよ、と私は言う……すると、彼か彼女かは途端に目を輝かせてはい私もですと答えるのだ。それがどこまで邪悪なことなのかはわからない。それにもし、事実妖魔に魅了の力があったとして……一体我々に何ができるだろう? たとえばアセルス。君は自分が知らず知らずの内に誰かを魅了してしまっているとは思わないか?」

「私がですか? だって、私は誰の血も吸っていませんし」

「血を吸わなくとも魅了はできる。かてて加えて君は何しろ妖魔の君の愛し子だ。考えたことはないのか? なぜ白薔薇姫と紅姫は君についてきた? 君が彼女たちを魅了したからだろう」

「そんな!」

 アセルスは声を荒げた自分に驚き、恐る恐る白薔薇と紅の様子を窺う。白薔薇は相変わらず柔らかな微笑みを崩さず、紅は恥ずかしそうに視線を反らしている。

「私が、彼女たちを……?」

 不安げに唇を震わせるアセルス。ハウゲータは困ったように苦笑いを浮かべる。

「ああ、すまない。そこまで気にしないでほしい。仮定の話をしているだけだ。実際にそうだというわけではないよ。あくまでも、もしかしたら、というおはなしの中のことだ。あなたにはもしかしたら虜化の力があるのかもしれない。もしかしたら、あなたは誰かを虜化しているのかもしれない。あるかないかもわからない支配力を前にしてあなたならどうする? いつかあなたが誰かを愛したその時に、愛した誰かを自分が支配してしまっていたとしたら?」

「ああ、そうか……。そういう話なんですね」

 ようやく合点がいったという風にアセルスは頷いた。

「もし虜化というものがこの世には無ければ何も問題はない。けれど、もし虜化というものが存在しているのなら妖魔は果たしてどうするべきなのか……。全ての愛を疑って虜化を行わない、恋をしないというのも方法の一つだし、ハウゲータさんの言うように気にしないというのも一つですね、確かに。虜化の存在を前提とすれば全ての愛を疑わなくてはならない。だからあなたは愛を物語だと言ったんですね?」

「ああ、そうだ。この世界の全ては一幕の舞台に過ぎない。だとしたら真に私たちにとって問題となるのは、その物語をどう解釈するのか、ということだけだ……。私はこの物語を存分に楽しもうと思う。あなたはどうする?」

「……私は、まだ、わかりません……」

「恋をしたことは?」

「ありませんけど」

「した方がいい。あれはとても良いものだ」

「いや、そんなこと言われても」

「私はこれまで732回の恋をして423の恋人を持った。どれもみな素晴らしい体験だったよ」

「な……ななひゃくにじゅうさん? 流石に多すぎはしませんか、それ」

「妖魔は長生きだからね。そのくらいにはなるさ」

「そんなの、不純です」

「不純? ああ、そうか……言葉が足りなかったかな。もちろん、同時に複数を愛するような真似はしていない。一つの時に愛するのはたった一人、たった一体だけだ」

「いえ、でも……」

 常識の違いに混乱したアセルスは口ごもりながら説明する。

「人間は……一般的には、やっぱり、たった一人だけを愛するというのが良いことだとされているような気もするんですが……」

「いや? そんなことはないだろう? たとえば夫の死を嘆き一人閉じこもる未亡人に対しては、辛い過去は忘れて新しい人生を生きてほしい、新しい恋を見つけてほしいという声だってあるはずだ」

「それにしたって423人は多すぎですよ」

「そうなのか……? 私はちゃんと死を悼むし、別にとっかえひっかえという訳じゃあない。先の話でいえば、たとえば未亡人が夫の死の三日後に新しい恋人を見つけていたらそれもどうかという気がしないでもないが、私の場合はそれこそ十年百年は間隔が空く。恋人に対してそこまで不義理だとは思わない」

「うーん……」

 まるで共感できない様子で頭を振るアセルスは苦々しい顔で手元のお茶に口をつけた。

「聞けば聞くほど妖魔の考え方がわからなくなってくる気がする……。いいや、確実にわかる、理解できると思う部分もあるにはあるんだけども……どうしても違和感が消えないというか……。どうして、あなたはそんな風に恋をするようになったんですか? たくさんの恋をしたのは、気がついたらそうなっていたからで、元々のあなたの気質がそうさせたということなんでしょうか。以前、妖魔というのはみな寂しい生き物だ、と言われたことがあります。妖魔はだから、あなたみたいな考え方をするようになっていくんですか?」

「どうだろうか。私は他の妖魔が自分と同じ考えをしているかどうかにまるで興味がないから考えたことはない。私がこういう考え方をしているのは、それはやはり私が私だからだろう」

「あなたがあなただから……ですか?」

「ああ、そうだ」頷いて、ハウゲータは面白いことを思いついたというように顔を明るくさせ、あなたに一つ物語を贈ろう、と言った。

「物語?」

「私が私だから、ということを私が説明するのはなかなかむつかしい。だから、代わりに物語の登場人物にその思いを演じてもらおうと思うのだ、アセルス。もし許してくれるなら、少しばかり長くなってしまうかもしれないが、私に物語を語らせてはくれないか?」

 そう言ってハウゲータは静かに目を閉じ、流暢な語り口で物語を紡ぎ始めた。

 

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