サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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罔象の子宮、プリンセス・スライム──水の従騎士ハウゲータの物語④──

「こうして──」

 ハウゲータは言う。

「こうして姫はスライムの体を手に入れた。それは自らの姿を恣意する力。自らの生を演劇する力だ。姫は数多の顔を持ち、自らの望むままに生きることを願った。なりたい、と彼女は思ったのだ。彼女は自分以外の何かにならなければならなかった。だから彼女は何かになった。人間になり魔女になり、獣になり悪魔にもなった。なりたいとそう思いながら何になるべきなのかはわからなかったから、色んなものになることにした。たくさんの人生を過ごしてたくさんの人を愛した。姫はとても満足だった。百年を生き千年を生き、やがて姫は少しだけ大人になる。人々の滅びを知り生まれて生きて死んでいくその営みの儚さを目の当たりにする。その内に姫は思うようになった。こうして長い長い時を生きて自分は“何か”になったはずだが、さてそれは一体何だろうか。今の自分は一体どんな生き物なのだろうか? 考えるとわからなくなった。何かになりたいと思った時の──始まりの気持ちを彼女は忘れていた。かつての自分がどんな姿をしていたのかもう思い出すことはできない。姫は少し悲しくなった。

 私のこと、好き? ある日姫は恋人に尋ねる。もちろんさ、と恋人は答える。

 

──じゃあ、私のどんなところが好き?

──優しいところ、かわいいところ、時々おっちょこちょいなところだよ。

──そう。私は優しくて、かわいくて、おっちょこちょいな女なの……。ふうん、そうなの……。それなら……。

 

 そんなら私、そうするわ、と姫は言う。たくさんの恋をしてたくさんの女になる。誰かを愛していると一人ではなくなる。胸が温かくなって、幸福な気分になる。愛している、と恋人は言ってくれる。姫のことを必要としてくれる。

 だから姫は、今日も今日とて恋をする……」

 

 

 

 長い物語を終えて、ハウゲータはふうと小さな息をつく。真面目な顔をして聞き入っていたアセルスは手の甲を口元に当てて短い唸り声を上げた。

「こういう質問をするのは馬鹿みたいかもしれませんが──」と前置きしてアセルスは口を開く。

「今のお話のお姫様がつまりあなただということでいいんですね?」

「いいや?」ハウゲータは悪戯に笑う。「これはあくまでも物語なのだ。全てが真実というわけではない。……だいいち、お姫様は人間だっただろう? 母親に改造されたとはいえ元々は人間だ。妖魔である私とは違うさ。私は物語を語るが、その物語をどう感じるかを強制することはできない。解釈はあなたの自由なのだから。私はあなたに正解を教えることはできないし何が正解なのかも本当にはわからない。私は私のことをわかってほしいと望んでいるのかもしれない。けれども同時に、自分のことなんてそう簡単にわかってほしくないとも思っているんだよ。

 私はずっと考えている。この物語の結末はどうなるのだろう? 姫は最後にどうするのか? 姫は自分の形を見つけられるのか? もしかしたら、姫は母親を殺してしまうべきなのか? それとも……とそう考えた時、私は自分以外の誰かのことを想像する。その誰かならこの物語をどうするだろう。アセルス。あなたならこの物語をどうする。いつか──私かあなた、そのどちらかが滅ぶことになった時には、あなたの考える結末を聞かせて欲しい」

「ハウゲータさん……」

「さて、私は私の物語を終えた。言いたいことが言えたので私は満足だ。今回の目的も果たせたことだしな」

「目的? こうして、話をすることですか?」

「ああ。あなたがどんな半妖なのか、どんな考え方をする女性なのか、多少なりとも知ることができて良かった。……なかなか面白かったよ。私ばかりつらつらと話をしていて済まなかった。今度会う時にはあなたの話を聞かせてほしい。あなたの考えていること、あなた自身の物語を。……今回の目的の一つはあなたと話をすること。そしてもう一つは────時間を稼ぐこと。どちらも十分に果たせたようだ。私はそろそろお暇させてもらおう」

「時間……?」

「ああ。これは予言だが、間もなくこのクーロンは水底に沈む。既に十分な量の水は空に()び終えた。いかに紅姫が炎妖とて消し去ることは叶わぬ」

 アセルスははっと顔色を変えた。

「どういう……ことですか?」

「私は交渉に来た、とさきに言っておいた筈だ。命が惜しければ大人しくあなたの血を渡して頂こうか」

 これまで口を挟まずに見守っていた白薔薇がすっと目を細め、ドレスの袖をざわりと揺らした。

「この場であなたを制すれば済むことでは?」

 だがハウゲータは「果たしてそうでしょうか?」と不敵に笑う。

「命が惜しければと言ったのはあなたがたのことではありませんよ。ここクーロンの住人たちのことです」

「……その言葉が真実だと証明できるんですか」

 乾いた声で俯いたままアセルスが尋ねた。

「よく耳を澄ませてみればいい。どこかで潮の音が聞こえないかな。……それに、その言葉が真実かどうかを証明する必要は私にはない。あなたがそれを信じないというのであればそれもいいだろう」

「……クーロンの人間のことなんてどうでもいい、と言ったら?」

「それはそれで仕方がない。クーロンを滅ぼすどさくさに紛れて私は逃げ出そう」

「だ……」

「うん?」

「私を、騙したんですね……」

 瞳に怒りを宿してアセルスはハウゲータを睨みつける。

「さて、それはどうだろう」ハウゲータは視線を反らし、肩を竦めた。

「やっと……」アセルスは悔しげに唇を噛みしめる。「やっと、まともな話ができると思ったのに……分かり合えると思ったのに……!」

「言葉が通じるからと言って分かり合えるとは限らない。覚えておきなさい、アセルス」

「人間とも恋をした、とあなたは言ったじゃないですか! それなのに、どうして人間の命を弄ぶような真似をするんですか?」

「そう思うのはあなたが半妖だからだ。私は妖魔だよ? 知りもしない人間のことなどどうでもいい」

「あなたは……!」

「アセルス。私は何もここで死ねとか捕まれと言っているのではない。私はただ、ほんの少しあなたの血を分けてほしいだけなのだ。クーロン全住民の命とあなたの血液、あなたにとってどちらが大切かな?」

「う……」

 弱々しく目を伏せるアセルスに、紅が鋭く叫ぶ。

「いけませんアセルス様! たとえクーロンが滅んでもあなたの血を渡してはなりません!」

「そら、見ろアセルス。これが妖魔の考え方だ。妖魔は人間がいくら死のうが気にはしない」

「……」

 その言葉に傷ついた表情を浮かべ、アセルスは縋りつくように白薔薇に視線を送った。

「白薔薇……あなたはどう思う?」

「私には……なんとも言えません。ですが……一度要求を呑んでしまえばあなたは次もまた従うことになってしまいます。また不特定多数を人質に取られたら……? そこのところをよくお考えになって、返答を。この旅はあなたが始めた旅。最後に答えを決定するのはあなたの役目です。私はそれに従います」

「うん……わかった……」

 力なく呟いて、今度は紅の方を振り向き、アセルスは「紅、ごめん」と頭を下げた。

 

 

 

 

 血の入った小瓶をハウゲータに差し出し、アセルスは寂しげに言葉を漏らす。

「あなたとはもっと……分かり合うことができたと私は思うんです。私は……。私たちは仲良くなれた、そんな気がするんです」

「どうだろうか。そうかもしれないが……」

「私たちは敵同士なんですね」

「……そうだな。セアトが考えを改めない限りはそうなるだろう」

「ハウゲータさん」

「何かな」

「次に会った時、私はあなたに勝ちます。あなたに負けない物語を見つけてみせます」

「楽しみにしているよ」

 そう言うとハウゲータは軽やかな足取りで去っていき、室内には重苦しい空気だけが残された。

 なんだかごめんね、と気を取り直すようにアセルスは言う。

「私が頼りないばっかりに、変な心配を掛けさせてしまったかな。私、もっともっと強く、賢くならなきゃいけないね」

「いえ、その……」

 躊躇いがちに紅がおずおずと口を開く。

「私の方こそ、申し訳ありません。その……けして、ニンゲンの命を軽視するというつもりはなかったのですが……」

「いいんだ。気にしないで」

 慰めるように紅の頭を撫で、アセルスは視線を遠くに飛ばした。

 

 わかってはいたことだった。彼女たちは妖魔で、自分は半妖だ。異なる考え方を持つのは仕方のないことだろう。それでも……。アセルスは心の片隅に氷柱の落ちるような物悲しさを覚えていた。噛みしめるだけ噛みしめ、あとはきっと唇を結んで顔を上げ、「さぁ、ここの居場所も知られてしまったようだし、また逃げ出さないといけないかな? いやぁ、困ったね!」とおどけてみせながら、アセルスは心の中で静かに呟いた。

 ああ、強くなろう。人間であることにも妖魔であることにも飲み込まれてしまわないように。

 今日は確かに自分の負けだった。迷いのないハウゲータの言葉に、確固とした返答を返すことができなかった。考えの浅はかさを突かれ、その挙句に血を奪われる。イルドゥンならきっとこんな自分を笑うだろう。

 ハウゲータは何と言ったのだったか。仮にこの世界が物語であるとしたら、存分に物語を楽しむことだ、と彼女は言った。

 ほんの僅かな憧れが生まれた。彼女のように迷いなく生きたい、と思った。たとえ今いる場所が不確かでも、その場所を肯定するだけの強さが欲しい。今いる場所が嘘でも、錯覚やまやかしでも。いま、自分の足が踏みしめるこの大地こそが辺境なのだと言いきるだけの。

 自分は人間だとそう思いながら……もしかしたら自分は人間ではないのかもしれないとそう考えるアセルスには、いま、そんな辺境の物語(フロンティアサーガ)を語ることはできない。

 けれど、いつか自分にも──そう考えながら、アセルスは白薔薇と紅に弱々しく微笑みかける。

 

 

 確かにこの時のアセルスは柔らかな希望を胸に抱いていた。何も知らない無垢な若者が甘い夢想に酔うように、何の根拠もなく「いつか」という言葉を口にした。

 だが時はいついかなる時も流れ続ける。変わらないものなどこの世にはただ一つとしてありはしない。

 時の流れの話をしよう。

 生命は常に時の流れの只中にあり、刻一刻と訪れる回転系からは逃れられない。輪廻と言い循環と言い、ぐるぐると廻り還り来たるもの。熱き血の流れ、全身を蠢く代謝。

 時は獣を飢えさせる。時が経てば腹が減るのは当然のことだ。生きていれば腹が減る。生きることは飢えることと等しい。たとえいかな淑女とて、空腹に胃を痙攣させ寒空にわが身を抱えれば一匹のけだものとなって牙を剥く。唇の端からは溢れんばかりに涎を垂れ流し爛々と輝く眼光でもって地べたの獲物を探しまわるというもの。

 ゆえに等価は結ばれる。生と飢餓は等しく、飢餓は獣を孕むもの。全ての乙女は獣になるようにできている。

 

 二年後の春、囚われたラムダ基地でアセルスは七四人の人間を殺した。

 強くならなければならなかった。だからそうした。

 白薔薇の血を吸い、蒼い髪の妖魔と化して、自らの望むままに殺戮を行った。

 後悔は無かった。

 

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