サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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幕間 水月感応/獅子と黒─ The Legend Of YAKISOBA─

女は当てが外れたような顔をして、「そう」と寂しそうに俯く。ラビットヘッドは『彼女』とは出会わなかった。

 女の脇を横切ってクーロンの街へ出る。もはや見慣れた汚い街並み。前回までの任務中ずっと暮らしていた安アパートへと向かう。二階のその部屋に表札はかかっていない。鍵は渡されていなかったので強引にこじ開けて侵入した。やはり見慣れた部屋だった。小さなテーブルに備えつけのベッド、電子レンジと冷蔵庫そしてテレビ。他に調度品は無い。畳まれた洗濯物が壁際に重ねられている。テレビの電源を点け、ぼんやりと眺める。しばらくしてから押し入れの戸を開ける。上の段には冬物の服が、そして下の段には無数のペヤングがうずたかく積もれている。ペヤングペヤングそしてペヤング。その内の一つを抜きとって台所へ行き、ヤカンを火にかける。湯が沸くまでの間にふと、あの女は今もなお星間船発着場で誰かを待ち続けているのだろうかと思う。笛のような音を立ててヤカンが水蒸気を噴き出す。かやくをいれ、箱内部の線までお湯を入れて三分待つ。その後、箱の端につけられた湯切り用のツメを開けようとしてしばらく奮闘しなんとか成功する。流し台にペヤングを抱えて内部のお湯をこぼしていく。残りの湯量が少なくなるほど流れ出すお湯の勢いは弱まっていく。一端フタを開けて中を覗いてみるとまだお湯が残っているようで麺がふやけてぐじゅぐじゅになっていた。再びフタを締め、流し台へと傾け、今度は少し強めに振ってお湯を斬る。だがペヤングはポリ容器である。熱と重みで大分たわんでいたペヤングのフタがぐにゃりと歪み、内部の麺が水死体のようにぐったりと飛び出して流し台に落ちた。明らかに失敗である。しかし不幸中の幸いとでも言うべきか、自分はメカである。素手で無造作に麺を掴み箱の中に戻した。流し台が完全に清潔とは言い切れなかったが多少の雑菌がついたところで機械の自分には支障あるまい。もう一度お湯を丹念に切る。ソースをかけるべくペヤングを置き、フタを開ける。するとフタの裏側にキャベツが大量にこびりついている。フタをぺしぺしと箱に叩きつけ、落ちなかったキャベツは箸でこそげ落としておく。ソースの小袋を千切り、どろりと粘つくソースを面へと絡める。ペヤングはこれで完成である。居間へと戻りテーブルにつき、ペヤングを高々と持ち上げて「頂きます」と言ってラビットヘッドは食べ始めた。

 彼は孤独だった。

 目の前にいるべき女はいまだ出会っておらず、誰かと会話を交わすことも笑い合うこともなくラビットヘッドは淡々とペヤングを食い続けた。テレビの中で知らない男女がげらげらと声を上げ笑っている。人というのはいつでも騒がしいものだ。喋っていなければ気が済まない。人間は時に意味のない言葉を口にする。窓の外を眺めながら、「うまいうまい」とラビットヘッドは言った。だがペヤングはまずかった。ふたの裏にキャベツがこびりついていたことを考えた。芙蓉杰が作ってくれたペヤングはそんなことにはなっていなかった。彼女はいつも箸で丁寧にキャベツを取っていたのだろうか。試しに電子端末で検索してみるとお湯を入れる前にいったん乾燥麺を取り出してかやくを入れ、その上に麺を戻してからお湯をかければキャベツが散らばらずに済むようだった。彼女はどうやってペヤングを作っていたのだろう。ラビットヘッドのためにわざわざ麺を取り出してかやくを入れて麺を戻すという作業を毎回くりかえしてくれていたのだろうか。そう考えた時、ふと心臓部がふわりと軽くなってどこか遠い場所へと運ばれていくような感覚に襲われた。彼女との会話ログが勝手に再生されていく。「うまいうまい」とラビットヘッドは言った。ペヤングを独り噛みしめた。うまい、うまい……。

 容器をゴミ箱に捨てて家を出る。近くの闇市で一平ちゃんを購入し、家に戻ってから押し入れのペヤング山にそっと差しこんでおく。

 さぁ、これから何をしよう。

 クーロンの街をそぞろ歩いた。道端に落ちたラムネの瓶に蟻が群れている。エメラルドの瓶が日光を反射して淡く輝く。意味もなくラムネを蹴り転がすと蟻たちは慌てた様子で瓶を追いかけ始めた。

 自分は人の心を手に入れなければならない。それは分かっていた。手に入れたい、という気持ちはもちろんあった。だが同時にそれが自らの魂というものなのかそれともただメカとしてコアにインプットされた情報に過ぎないのかを判断することはできなかった。自分が機械であることは知っている。人間ではない。これは当り前のことだ。人間ではないから人間になりたいと考えているのだ。前提条件で既に自分は『偽物』であることを義務付けられている。一体、どうすればいいのか。

 今からでも星間船発着場へ言ってあの女の所へ行き「やっぱり自分がラビットヘッドだった」と言うべきなのかもしれない。彼女は人間だ。人間になりたいのだから人間の行動を観察し人間の振る舞いをまね人間の知恵を借りるべきだ。そう考えはしたがどうしてもそんな気にはなれなかった。自分の任務はクーロンでの潜伏だが、おそらく自分は彼女の近くにいるべきではない。どこか、別のところへ行くべきだ。そう考えた時、ふとペヤングが京のTraditionalFood、YAKISOBAであることを思い出した。そうだ、京へ行こう。本物のYAKISOBAというものを食べれば、人間になる方法が思いつくかもしれない。

 

 

 

 

 駅の売店で軍糧精なる飴菓子を買った。原色の赤に塗られたいっそ毒々しいとさえ言える包装には、古めかしく捩れた文字で「文化的滋養香味菓子。醫科大學教授片瀬博士推薦」とあり、裏面には宣伝文句として一粒食べれば忽ちのうちに活力を快復せしめ、三百メートルもの全力疾走を可能とする旨が記されている。謳われている文句から察するにどうも向精神薬の類であるようだ。昼日中から、しかも外地からの旅人を迎えるための駅で平然と薬物が販売されていることにラビットヘッドは驚嘆を禁じ得なかった。京というこの星の中毒薬物に対する意識があまりにも低いか、それともこの土地の文化風俗そのものに薬物を受けいれる何らかの素養が備わっているのかもしれず、いずれにしても奇矯なリージョンだと言えた。

 赤煉瓦の駅舎を出、俄か作りの尖塔や洋装建築が立ち並ぶ商工街を抜けていく。通り過ぎる人々の服装は山高帽を被った洋装の紳士がいればその後ろでは絣の着物を着た婦人が風呂敷包みを抱えて静々と歩き回りと様々である。そろそろ日が暮れようかという時刻に、制服を着た点消方は点火棒を脇に抱えて街路に並ぶ瓦斯灯に火をくべて歩き、自転車に乗った軍人が公序良俗を乱さぬよう慎みのある振る舞いをするようにと叫んでいる。世界の端がやんわりと夕焼けに焦げていくのが見える。

 人込みを抜け、都市部を離れると途端に人工物の影は消え、代わりに噎せ返るような熱気と湿気が押し寄せてきた。むんと鼻につくような粘性を帯びた緑の匂い、昼の日光に熱せられた腐葉土が発酵する匂いが濃密に立ち込め、夏に死に損なった蝉達が僅かな寿命を絞り切る様に絶叫している。そして何よりも目に付くのは、京にしか存在しない常紅樹、季越もみじの圧倒的な赤である。この星に広く群生するこのもみじは狂ったように四季を超え、春も夏も秋さえも超えて冬の極寒の中ですら凛として紅を誇るもみじである。淡い桃色から灼熱を孕む深紅まで色とりどりの季越もみじが至る所で色づき、京の郊外を赤く赤く染めている。地平線の向こう側から差しこんだ西日が山を大地を照らし出し、もみじの赤と融け合う夕焼けがこの世のすべてを焚き上げていく。

 京。古都の星、夕焼けのリージョン。その場所は落日の園であり、退廃と伝統とがうねり合う国である。

 メカであるラビットヘッドはここ京においては珍しい種族のようで、時おり通りすがる巡礼たちから向けられる視線は興味深そうなものから胡乱気に警戒する目つきまでいささか不躾とさえ言えるものであった。

 おさげ髪の女学生たちは幼さゆえの好奇心からか「自動人形さん、何しにいらっしゃったの? こんな所にあなたの求める理想(はだりい)はありませんよ」と言ってくすくす笑い合う。こちらに好意的な態度を感じたラビットヘッドが「この辺りでYAKISOBAを食べられる場所はありませんか?」と尋ねると、女学生の一人、特徴的な猫目の少女が「そんなの、どこでだって食べられるじゃないの」と再び笑った。

「いいえ、私は出来る限り『本物』に近いYAKISOBAが食べたいのです。即席麺ではなく、料理として本格的YAKISOBAを求めています」

「おかしなことを言うのねえ。そんなの、ないわよ」

「ですが、YAKISOBAは京のTraditionalFoodではないのですか?」

「と、とらで……? いやねえ、このお人形さん、急にはいからぶって。だって、焼きそばは、焼きそばでしょう。本物も偽物もないのよ」

「しかし……」

「どうして納得してくれないの? 困ったわねえ……」

 首を傾げた猫目は次の瞬間にぱっと顔を輝かせ、丁度背後を通り過ぎようとしていた青年に声をかけた。

「ねぇ、お兄さん! このお人形さんが焼きそばが食べたいって言っているの! 案内してあげてくれない?」

 青年は振り向き、「はぁ? 何で俺が?」という顔をした。猫目の馴れ馴れしい態度に顔を顰め「まったくこれだから……」と何やらぶつぶつ呟いていたが、幸運にもお人よしな人間だったらしく渋々といった様子で近づいてくる。

「ね、お兄さん!」

 顔を綻ばせて猫目が笑うと、屈託のないその笑顔にたじろぎながらも青年は「いや、お前が案内しろよ」と反論してみせる。

「でも、私たちはこれからお家に帰らなければならないのよ。もう、ずいぶん日も暮れてしまったし、暗くなったら危ないじゃないの」

「うーん。まぁそれはそうなんだが」

「お兄さんは、たぶん、外の星から来た方でしょう? だったら旅人同士、観光ついでに焼きそばを食べに行けばいいじゃないの」

「外の星から来た? なんでそう思う?」

「お兄さん、鏡をごらんになったことはないの? この京じゃ、そんな頭をした人はいないわ」

 猫目の示した通り、なるほど青年の髪は天に向かって直立し、あまつさえ青く染められていた。黒髪ばかりの京の住人とはまったく異なる装いである。

「なるほど、確かにな。でも俺も元々はここの生まれなんだぜ。長いことシュライクに住んでたけど」

「そう? そんなふうには見えないけど」

「色々あるんだよ。外の世界には。……まぁ、いいさ。このロボットに焼きそばを食わせてやればいいんだろう?」

「いいの?」

「ああ。お前たちは道草しないでまっすぐ家に帰るんだぞ」

 はーい、と唱和して女学生たちは何がおかしいのか顔を見合わせてきやらきゃらと笑いながら立ち去って行き、あとには青髪の青年とラビットヘッドだけが残される。

「……で? お前、名前は?」

「7874-8782-DRC0015Rabbitheadと言います」

「そうか。俺は小此木烈人。そんなわけで今から焼きそばを食いに行くわけだが、あれなのか? なんか味の好みとかあるのか? 言われても多分対応できないと思うが」

「味に拘るつもりはありません。ただ私は『本物』のYAKISOBAが食べたいのです。YAKISOBAの発祥地である京になら本物のYAKISOBAがあるはず」

「期待してるとこ悪いんだが、そんなもんはねぇ」

 青年──烈人はきっぱりと言った。

「焼きそばってはB級グルメだ。ジャンクフードなんだよ。仮にどっかの高級料亭でバカ高い焼きそばが食えるとしてもそれが本物の焼きそばだとは思わねーな。焼きそばってのは安っぽくて胡散臭いものなんだ。本物もクソもねぇ。京に住んでる人間だって高級かつ『本物』の焼きそばなんか誰も求めてないと思うぜ。縁日の屋台とか、商店街の出店とかで、安っぽいソースと何の肉かわからんような細切れの挽肉が入ってる……そんな偽物みたいな焼きそばを人込みの中で汗かきながら食べてさ……俺にとっての焼きそばってのはそういうもんだな……」

「そうなのですか……」

「……なんかがっかりさせて悪かったな。できるだけ美味いところを紹介してやるから勘弁してくれよな。地元のババアがやってる小さな店があってさ、たこ焼きとかかき氷とか一緒に売ってる小さな売店だけど妙に美味いんだ」

 親切な烈人に「是非」と答えて大人しく付き従う。悪い人間ではないようだ。

「ありがとうございます、烈人様。あなたは親切な方ですね」

「急になんだよ。恥ずかしいな。烈人でいいぜ。せっかく観光に来たんだろ、もっと気楽に話せよ。メカに言うのも何だけど」

「わかりました。……それでは、烈人。君はなぜ京に? 休暇か何かで実家に帰って来たのか?」

「実家? 実家ね……」

 烈人は俯いて表情を硬くする。

「……すまない。失礼なことを聞いてしまったか」

「……いいさ。気にしないでくれ。俺がここに戻って来たのはまぁ……なんつーか、仕事の一環だな」

「いまは何の仕事を?」

「んー。まぁ、調査、みたいな……そういうアレだ」

 言葉を濁す烈人。あまり深く追求するべきではないと察したラビットヘッドが黙っていると、烈人は道を歩く巡礼者たちを指さした。

「今はだいたい、あの巡礼たちが通る順路を調べている」

「……民俗学的な調査なのだな。京の八十八か所を回る巡礼にも様々なルートがあると聞く」

「ああ、まぁ、だいたいそんなトコだ。……近くの大学教授に依頼されてさ。俺自身はあんまり興味がないんだけどな。白装束に菅笠、金剛杖に輪袈裟。お遍路さんもこのクソ熱いのによくあるよな。巡礼なんてしたって何の意味があるのかね」

「彼らは自らの心の不安を求めてこの地にやってくる。彼らの目的地は心の中にあるのだ」

「メカのくせに哲学的なことを言うんだな」

「内部に記録されている文献にそう書かれていただけだ。別に私の言葉ではない。メカである私はインプットされた言語情報からその場その場に沿った台詞を選択し再現することしかできない。私自身の言葉というものはない。……古人は言った。石には石の心があると。ならばねメカにもメカの心があってしかるべきだ。だが、メカである私には自分の心が見えてこない。心を求めれば求めるほど、己の中には心がないことを確信することになる。これは虚しい」

「なんか眠くなってきたぞ」

「君には興味のない話だったか。すまない。だが私はいま、自らの在りように悩み、困惑している。京にYAKISOBAを食べに来たのもそのためだ。私はいま……そうだな……、きっと、誰かに……助けてもらいたかったのだ……」

「……」

 烈人は足を止め、真顔になった。

「……初めからそう言えよ。茶化して悪かったな。何の役にも立たないと思うが、話くらいならいくらでも聞いてやるぜ」

「……かたじけない」

「気にするな。人として当たり前のことだろ」

「当たり前のこと。困っているものを助けること。それが人間として当然の行いなのだろうか。私はかつて、正義の味方たらんとして活動していたことがあった。そうすることでせめて人間らしくなりたいと考えたからだ。……だが、結局人間のようにはなれなかった。私は人間の心を手に入れればならない。……どうすれば人間の心を持つことができるのか、それがわからない……」

「……別に、人間だからってみんながみんな善人だってこともないさ。悪い奴がいるから、正義が求められる。そういうことだろう? 正義でないから人間でないなんて、そんな理屈は無いはずだ。心がないなんて考えすぎさ。お前には心がある。俺が保証してやるよ」

「……なぜ?」

「心が無くてメカが悩むか? 焼きそばを食いに京まで来るかよ? ……自信を持てよ、ラビットヘッド」

「私には心がある……?」

 呟いて、ラビットヘッドは天を仰いだ。

「……ありがとう。烈人」

「なんだよ。もっと喜べよ」

「ああ、そうだな……。私はいま、造られてから初めて心があると言われた。これは喜ばしいことだ。……だがな、烈人……」

「何だよ?」

「考えても見てくれ。たとえばここに『幸せになりたい』と願っている人間がいるとする。幸せになろうと頑張るその人間に。ある日別の誰かがこう言う。『あなたは幸福です。自分でそれに気づいていないだけなのです』と。……もし君がその人間だったとしたら、そうだったのかと頷いてにこにこと笑いだすことができるだろうか? そうではない筈だ。自分が幸福ではないと思っているからこそ悩んでいると言うのに、ある日突然お前は幸せだと言われたところで納得など出来はしない。……そうだ。問題はもっと複雑だった。人の心を手にするだけではない。自分が人の心を手にしたと信じ込ませることができなければ、証明することができなければこの悩みは終わらないのだ」

「でもよ……。俺は、お前には心があると思う。たとえお前が信じなくても」

「烈人。君はいい奴だな。正義の味方というのは、きっと君のような人間のことを言うのだろう。私には心があると言ってくれた。君のことはけして忘れまい」

「買い被りすぎだよ。俺は別に、正義の味方なんてガラじゃないさ」

「謙遜することは無い。君は見ず知らずの女学生の頼みを受け入れ、今またこうして今日知り合ったばかりの私の話を真摯に聞いてくれた。君は善良な人間だ」

「俺もな……。ついこないだまでは、自分は結構良い奴だと思ってたんだ。……正直に言うと、実は正義の味方のつもりだった。俺はヒーローなんだと思っていた。でも、そうじゃなかった」

「聞かせてくれ。今度は私が君の話を聞く番だ」

「……子供の頃、京からシュライクに引っ越してさ。その時は手ひどく苛められたよ。俺は苛められっ子だったんだ。シュライクの人間はみんな白色人種だろ? 京出身の人間は黒髪で黒眼、肌の色も違うからシュライクじゃ目立つんだ。あの頃は学校に行くのが嫌だったな。出会うやつがみんな俺のことをイエローモンキーだと言って笑うんだ。言い返したくても相手はみんな俺より体がでかいやつばかりさ。モンキー。人間じゃないと言われているような気がしたよ。周りの人間から除け者にされて……俺はいつの間にか学校でも仲間外れにされてる連中とばかりつるむようになってた。ひねくれた奴とか、問題のあるような奴とかさ。その中に一人、アセルスっていういつも俺に優しくしてくれる人がいた。たまたま近くに住んでいたせいかもしれないけど、俺が苛められていると必ずとんできて助けてくれた。正義感の強い人だった。アセルス姉ちゃんは俺のヒーローだったんだ。……でも、ある時アセルス姉ちゃんは突然行方不明になって帰ってこなくなった。変な噂が流れたよ。変質者に犯されて殺されたとか、悪い男に騙されて駆け落ちしたんだとか。少なくともろくな話じゃあなかった。子供だった俺はその時、もしかしたらヒーローは負けてしまったのかもしれない、とそう思ったんだ。アセルス姉ちゃんはいつも正しいことをしていた。でもいなくなってしまった。悪い奴に捕まってしまったのかもしれない。誰かに殺されて、どこか遠くの場所に埋められてしまったのかもしれない。俺を守ってくれる人はいなくなった。だから……だから、俺は強くならなきゃならなかった。舐められないために髪も染めた。今度は俺がヒーローにならなきゃいけないと思った……」

 そして、彼が本当の意味でヒーローになる時がやってきた。ブラッククロス四天王の一人、シュウザーの襲撃で命を落とした烈人はサントアリオからやってきたアルカールの力によって光刃皇帝アルカイザーとして蘇った。俺はヒーローになるのだ、と彼は思った。ヒーローの力を使ってブラッククロスと闘った。シュライクでの幼女誘拐事件、そして星間船ハイジャック事件を経て、自分は正しいことをしているという実感がようやく確かなものになろうとしている時、彼の目の前に再びアセルスは現れた。だがそれは彼が越えるべきヒーローとしてではなく、彼が守るべき女性としてでもなく、彼の仇であるブラッククロスを庇う存在としてだった……。

 

──ヒーローは強いのか? 俺を強くしてくれたのか?

──ヒーローの力は正義のために使わねばならん。

──ブラッククロスの奴らをぶちのめす!

──復讐はいかん! 正義の戦い以外に力を使えば、君は消去されるぞ!

──どのみち死んでいたんだろう。ブラッククロスだけは許さねえ!

 

 アルカイザーになったあの日、アルカールと交わした会話を思い出した。自分の行動の原点は正義ではなく、復讐だった。

「俺は俺のやっていることが間違っているとは思わない。だが、敵を庇うアセルス姉ちゃんの姿を見てわからなくなった。俺のやっていることは正義なのか? 子供の頃、彼女を見て憧れたヒーローと今の俺とは何かが違う。俺は迷った。何も決められなかった。戸惑っている内に仲間の一人が敵を殺し、アセルス姉ちゃんまでも傷つけることになってしまった……」

「後悔、しているのか?」

「しているさ。ヒーローになったことを後悔しているんじゃない。迷ってしまったことをだ。俺には責任があった筈だ。迷わなければ、敵を殺すことも、そしてアセルス姉ちゃんの憎しみを受けることも全部一人でやれた筈だ。ヒューズの……仲間の情けに甘えることもなかった。うだうだと悩む振りをして他人に手を汚してもらうなんて、ヒーローの、男のすることじゃない……! 俺は『変身』したんだ。たとえ俺と言う個人がつまらない奴だとしても、変身したからには完全無欠のヒーローにならなきゃいけなかったんだ。……『変身』ってのは、だって、そういうもんだろう? 弱い自分を捨てて……正しい英雄になる。そうでなきゃ、俺は……」

「そうか……。君は、これからどうするつもりだ?」

「さあな。わからん。だが、どうにかして強くならなきゃならんだろうな。少なくとも、このままじゃいられない」

 衝撃的な話だった。肝心なところをさりげなくぼかしてはいたが、彼の正体がブラッククロスに敵対するものであるとは間違いなかった。このまま彼をひと気のないところに誘き出して殺すべきだろうか、と一瞬ラビットヘッドは考えた。だが「このままではいられない」と言った烈人の力強い眼を見てやめた。それは機械のやることだ。自分は人間の心を手に入れなければならない。

 烈人のススメに従って小さな売店で焼きそばを購入した。近くのベンチに腰かけ、もみじを眺めながらぼんやりと焼きそばを口に入れる。味の分析結果は「美味いといえば美味い」だった。彼は少し考え、自らの分析結果を上書きすることにした。いま、この京で、烈人と二人並んで口にするこの焼きそばの成分データは「美味い」。そう定義する。

 次に会う時は敵同士かもしれない。その時はきっと、小此木烈人は再び正義のヒーローとして立ちなおっているだろう。そうであればいい。人としてか機械としてかはわからないが、願わくはその時、自分もまた迷うことなく相対したいものだ。

 うまいうまい、と言ってラビットヘッドは焼きそばをかきこんだ。隣の烈人は「何だよそれ」と言って笑った。メカのくせに、変な奴だなぁ。そう言って、烈人自身もまた「うまいうまい」と言って焼きそばを口に入れる。それが人間の姿だった。

 

 

 

 

 その女を見かけたのは心術の修行場であった。

 強くならねば、と言った烈人と別れたラビットヘッドは自分もまた強くならなければと決意を新たにしたが、さてではどうしたらいいのかと言えば思いつかない。ラビットヘッドはメカである。幾度戦いを繰り返したところで筋力や体力が身につくわけではないし技の閃きに身をゆだねることもできはしない。そこでラビットヘッドが思いついたのは、修行場で座禅を組むことであった。人間は座禅を組み、深く瞑想することによって精神心中に入り込み自己を見つめなおす。自分に心があるとは未だ思えないラビットヘッドではあったが、人の行動を模倣することによって何か心のようなものが見えてくるのではと考えたのだった。ところが、そうして出向いた修行場にラビットヘッドは足を踏み入れることさえ許されなかった。心術の資質を手に入れることのできるのは人間のみと知ってはいたが、挑戦さえさせてはもらえないとは。自分は資質が欲しいのではなく、ただ座禅を経て自らの心の在り処を見つめる導きを求めているだけなのだ、と説明してはみたものの、修行僧の対応は変わらずけんもほろろに追い返されてしまった。

 拒まれ、途方に暮れたラビットヘッドが寺の軒先に佇んでいると、そこに一人の女がやって来た。彼と同じように心術の修業を求め、断られた彼女は苦笑いを浮かべていたが、しかしそんな表情ですら清々しい印象を受ける女であった。

「あなたも?」とラビットヘッドは問うた。

「ええ」と女が答える。「妖魔であることを理由に断られてしまいました。京の座禅修行は心を洗うといいます。一度、体験してみたかったのですが」

「メカの私に術が使えないのは仕方のないことですが、心術は妖魔にも扱えないのですね。不思議なことです」

「何か条件があるのかもしれません。心術というくらいですから、心の問題なのでしょうね。人と、妖魔。やはり心の在り方が違うのでしょうか」

「心……。私はまさにその『心』を求めてこの修行場にやってきたのです。しかし挑戦すらさせてはもらえなかった」

「ふむ?」

 女は笑った。

「メカであるあなたが心を求めるとは実に興味深いことだ。なにゆえ心を求められるのですか?」

「『心』は私を人間にしてくれます。人間に近づいた私は、メカである以上の強さを発揮できるはずなのです」

「ぞうですか。……メカとしての、性能以上の強さを手に入れて、あなたはどうなさるおつもりなのですか?」

 そう尋ねられて、ラビットヘッドは一瞬答えることが出来なかった。はて、何故だっただろうか──そう考えて、ようやくその理由を口にする。

「クーロンに残してきた人がいます。私はその人に出会わなければならない。、その人に出会いその人を守るためには、強くならねばならないのです」

「それは好ましい言葉です。どうやらあなたにも複雑な事情がおありのようだ」

「あなたは、なぜ京に?」

「理由は主に三つあります。一つは、長い間眠っていたためになまってしまった体と勘を鍛えなおしたいがため。二つ目は、……まぁ、単なる観光のようなもの。私は剣を少々やります。数多くの剣豪を輩出しているこの京の文化に触れることで、私もまた新たな剣の精髄に近づけるのではと考えたのです。そして三つ目は──結局はこれが一番の理由ということになるのですが──我が主のもとから逃げ出した姫を連れ戻すためです。話によれば、彼女たち(・・・・)はこの京へやってきているようですから」

「姫? もしやあなたは、ファシナトゥールの──」

 女はそっと眼を閉じ、静かに答える。

「私の名はラフネライア。恥ずかしながら針の城では金獅子姫と呼ばれています」

 

 

「金獅子姫……金の姫獅子。データベースにも残されています。かつて洸王国から妖魔の君へと献上された人間の姫。女性でありながら勇ましい戦士であったと」

「いいえ、『献上』ではありません。私はオルロワージュ様との一騎打ちにて敗れ、あの方の寵姫となることを受け入れたのです。寵姫の中で、自ら剣を執り戦士たろうとする女は多くありません。私が金獅子姫などと身に余る名で呼ばれるのもそのためでしょうが、畢竟わたしは一回の武辺者に過ぎないのです」

「そのあなたがこうして針の城からやってきたということは、逃げ出した姫というのは、別の寵姫の方なのですね。針の城の姫君はみな虜化を受けているはずでは?」

「彼女──白薔薇姫は少し特殊な姫なのです」

 淡々と答えた金獅子姫の表情は柔らかな笑みを浮かべていた。その『姫』の行動に困りながらも、どこか面白がっている、そんな顔をしていた。

 白薔薇姫たちを待ち受けると言った金獅子姫に付き合ってしばらく剣術や戦闘についての会話をしていると、やがて二人組の女性がやってきた。肩に人形を乗せた緑の髪の女性、そして頭に薔薇を纏わせた深窓の令嬢といった風情の女性。それが、金獅子姫の追っている白薔薇姫とアセルスだった。

 

 

──お久しぶりですね、白薔薇姫。そして……お初にお目にかかります、アセルス殿。

──どなたですか?

──金獅子姫様ですね。私、白薔薇と申します。姉姫様のお噂は耳にしておりました。最も勇敢な寵姫であったと。

──白薔薇姫。貴女は最も優しい姫であったと評判ですよ。その優しさで、私の剣が止められますか?

──金獅子姫。白薔薇は私が無理やり針の城から連れ出してきた。戦うのは私です。

──どちらでも構いません。私はお二方を連れて帰るようにとの命を受けています。私はただ、そのために剣を尽くすのみ。

──どうして……? どうして、自由を求めてはいけないんですか? 私は何も、オルロワージュを裏切るだとか、傷つけたりだとかしようとしているのではないんです。私はただ、自分が自分らしくいられる場所をみつけたくて……。

──アセルス殿。私は別に、貴女を責める気などはないのです。逃げたいのなら逃げれば良いでしょう。私はただそれを追うだけです。生きとし生ける全てのものには自らの可能性を求めて戦う権利がある。私は貴女の行動を咎めはしません。ただこの剣をもって対峙するだけです。

──力ずくで他者の自由を奪うことが、あなたの求める剣ですか? 話し合いで解決することはできないんですか?

──自由と自由とがぶつかればそこに敗者が生まれることもありましょう。言葉だけでは叶わぬ夢もあるのです。

──アセルス様。私も戦います。

──いいんだ。白薔薇。もう、知っている人が傷つくのは見たくない。これは私が始めた『旅』なんだ。たとえ誰に裏切られても、どんな失敗をしても、全ては私の責任……。だから、私は戦う! 金獅子姫! 

──いざ!

 

 

 決着は一瞬で着いた。

 金獅子姫は中段の構え、青眼。剣先で相手の左目を付く構え。これは防御のための構えであり、追跡者としての金獅子姫には不釣り合いといえる構えであった。攻める気を見せない金獅子姫に対して──やはり経験も浅く未熟なのだろう──焦れたアセルスが逸り、直線的に斬りかかった。上段から振りかざした剣で金獅子姫の手首を狙う。まず敵が持つ武器から奪うというこの狙いはそこまで悪いものではない、が、それはあまりにも見え透いた隙であった。戦いが始まってより僅か六秒。戦いの趨勢は初めから最後まで金獅子姫の手の内にあった。アセルスの剣が小手を捉えたと思えたその瞬間、金獅子姫はあたかも霞のごとく構えを変じる。変幻自在、霞の青眼。振り下ろしたアセルスの剣を小手で捌くというよりも弾き飛ばし、大きく体勢を崩したアセルスの首元へと吸い込まれるようにして金獅子姫の剣が奔る。あわや真っ二つと思われたその時、金獅子姫の剣はちょんとその剣先を跳ねあげ、剣の腹がアセルスの顎を強かに打ちつけた。途端、力なく膝を落としてアセルスはあっけなく気絶してしまう。

 

 

──……これが対妖魔の戦い方です。下手に傷つけ再生させてしまう前に意識を断つ。妖魔といえど人の体と似ているところは多いのですよ。覚えておくと良いでしょう。

──聞こえていないのでは?

──後から貴女が伝えて差し上げれば良いでしょう。白薔薇姫。

──後から? それでは……私たちを見逃して下さるのですか?

──私にはアセルス殿を斬る理由がありませんから。

──しかし、金獅子姫様はさきほど……。

──あれはあれで正しいことだと思います。嘘ではありません。ただそれが『今』である必要はどこにもないというだけのことです。彼女は貴女を守るために必死だった。もしかしたら、戦いが長引けば別の追手が来ると考えたのかもしれませんね。そうなれば貴女まで剣を抜かねばならなくなる。アセルス殿はきっと焦っておられたのでしょう。もし何か一つでも条件が変わっていれば倒れていたのは私だったかもしれない。……アセルス殿が妖魔化されなかったのには理由があるのですか?

──さあ、どうしてでしょう。自分自身の力で正々堂々と闘いたかったのかもしれません。

──ふっ……。それについては、未熟と言わせて頂きましょう。貴女を守ることも、己の誇りを貫くこともどちらも手にしようとして、結局彼女は何も手に入れられなかった。

──そうですね。確かにアセルスはまだ若く、愚かな面も目立ちます。ですが……。

──そんな彼女に惹かれているのですか、白薔薇姫? 四十六番目の寵姫である貴女が?

──どうでしょうか。最近、わからなくなるときがあります。

──針の城ではアセルス殿が貴女を連れ出しともっぱらの噂。……ですが、私はむしろその逆ではないかと思っています。

──何故です?

──追跡の任務を受けるにあたり、オルロワージュ様から貴女の性格については多少、伺っております。アセルス殿の、そして白薔薇姫、貴女の思惑を私は見極めねばなりません。今日はそのために参ったのです。貴女が針の城をとびだしてから五年あまりもの歳月が経ちました。その中に貴女の求める物語がありましたか?

──…………。

──他者の行動を『見る』『観察する』そして『物語る』……。それがあなたの嗜好なのでは?

──オルロワージュ様がそう仰ったのですか?

──いいえ。あの方の話を聞いてそう思っただけです。間違っていましたか?

──……いえ。その通りです。ご推察の通り、私は物語を楽しむ女。まっすぐで純粋な者が社会の理不尽に曝されて苦しみ、思い悩む姿が……私には愛おしくてならないのです。

──随分とあっさりお認めになるのですね。

──貴女を騙しても面白くはなさそうですから。

──……白薔薇姫。貴女は物語を楽しむ。ですが貴女は自らの求める物語の結末を知っているのですか?

──どういう意味でしょう。

──たとえそれが主人公の苦難を描き続ける物語といえど、ハッピーエンドとバッドエンドでは天と地ほどに違いましょう。

──…………。

──あなたが願う結末はどちらですか?

──ここでバッドエンドだと答えたら、私は貴女に斬られるのですか?

──返答如何によっては、無論、そうなりましょう。

──さて……果たしてどちらなのでしょうね。そのあたりは私にも判然としないのです。なにぶん、長いことページをめくりすぎたものですから。

──白薔薇姫。

──手垢のついた物語はいつか古びて忘れられてしまう。だから私たちはきっと、自ら物語を動かすべく行動していかなければならない。その方法が正か邪か、これは私には預かり知らぬことです。

──白薔薇姫。貴女はやはり針の城を、オルロワージュ様のことを……。

──先ほどアセルスは旅の責任は全て自分にある、と言ってくれました。たとえ誰に裏切られても、どんな失敗をしても、と。それはあまりにも幼く愚かで、しかし勁い言葉であったように思います。ならば、私もまた独りの女として自らの在り方を選ばねばなりません。私が望むのは果たしてアセルスの絶望かそれとも勝利なのか。次に会う時までには、必ず。

──良いでしょう。楽しみにしていますよ。

 

 

 

 

 話の内容はまるで理解できなかった。しかしそれはどうでもよいことだった。ラビットヘッドはただ、金獅子の剣に魅入られた。短い攻防ではあったが怖気立つほどの冴えを見せるあの業。あの剣速。

 内にインストールされた剣闘マスタリー。数多の剣豪の体捌き・剣閃を記録している自分にはわかる。この女剣士は只者ではないと。

 そう認めた時、既にラビットヘッドは彼女と闘うことを決めていた。たとえその結果敗北したとしても、その経験は自分にとってあまりあるものだ。

 いまだかつてない感覚に頭部が軋む。それは言うなれば『高揚』とでも呼ぶべき感覚だった。心が躍った。

「金獅子姫──」

 出会ったばかりの彼女にこんなことを頼むのは変だろうか。いいや、構うものか。たとえ笑われたとしても、失うものなどなにもない。

「不躾は重々承知の上でお願いいたします──どうか私と手合わせ願えませんか」

 身を屈め、腰に佩いた加熱剣にそっと手を添える。全身の駆動処理を最優先。

「ははッ……」

 金獅子姫が笑う。だがそれは嘲笑ではない。

「──戦いを挑まれて拒む剣士がいるでしょうか? ラビットヘッド殿。ちょうど私も物足りなく感じていた所です。謹んでお受けいたしましょう」

 そう言って爽やかに笑ったかと思うと、次の瞬間には既に表情を消している。幽遠の瞳でラビットヘッドの動きを捉え、いかなる攻撃にも対応してみせんと身を撓める。

 本気でやる──そう、眼で言っていた。脊髄を歓喜が奔った。ラビットヘッドはこの女妖魔の流派を知らぬ。その剣の由来を知らぬ。だが間違いなくこの姫は剣の達人。それも人の限界を超えた妖魔の剣士──。

 勝てる、とは思わない。並び立つことができるとさえ思わない。だからこそだ。己が全身全霊をかけて闘ってこそ見える境地もあろう。

 寺の境内に夕日が降りる。赤々と焼けた西日が夕闇を掻き混ぜ、照り返しを受けた雲は溶岩流じみて尖る。寺院はその輪郭をくっきりと露わにし、深く濃密な影を背負っていく。

 深紅に染まる夕空の眩さにあって、しかし地上はひたすらに暗く影絵となり、出会うもの全てが表情を持たぬのっぺらぼうのような、人格を削ぎとられた無機物のような、一寸先の想い人でさえ死者と見紛うこの時刻。黄昏時。

 人の形をしているものは誰もが人の影を持つ。ゆえに時は黄昏、ラビットヘッドが持つ影は頭が一つに体も一つ、腕と足が二つずつ。それこそは人の形、人の影。人形が持つ影はいかなるときも柔き人影、機械仕掛けの人形は今こそ人影を伴って妖魔の姫と対峙する。

 ラビットヘッドの剣が閃く。

 人を超えた膂力で撃たれる剣閃は神速。膨大なデータから最適化された体駆動は伝説の剣豪が一生に一度撃てるかという一振りを容易く再現する。握る機剣は加熱剣。錬金術の秘奥を受け、生成された流体金属を鋼の牙と成し──超高熱の火焔を秘め、摂氏三千度を超えてなお燃ゆる灼熱剣。触れるもの全てを灼き砕く剣は白くどこまでも白く輝き、その剣が振るわれる空間では音さえも焼かれ、周囲一面は剣の殺意に溶けて静寂と化す。

 対する金獅子姫はやはり青眼。

 返し剣。大海のように悠々と待ち受け、泰然自若として剣を捌く。あらゆる器にその身を寄せる流水の如く、金獅子姫の自在剣は後の先。動かぬことの強さをもっていかなる刃をも打ち破る。天に選ばれた麒麟児が妖魔の縁を受け、人の寿命を遥かに超える幾年月を剣戟に費やすことで到達した凶気の剣。あらゆる剣の後から撃たれ、しかしてあらゆる剣の先を征く剣。

 片や機械の加熱剣。

 片や獅子なるかすみ青眼。

 相対する必殺剣。その勝機を得たのはやはり──剣士として上を行く金獅子姫の方だった。加熱剣をいなすことは不可能と見た姫は瞬時に剣閃を変えてのける。──燕返し! 妖魔の剣が恐るべき弧を描きラビットヘッドの腕を打つ。狙いを外した加熱剣は虚しく大地を叩き、その刃が砕け散る。

──なかなか面白い剣ですね。普通の剣では受けるだけで断ちきられてしまうでしょう。……ですが、そうとわかれば受けなければ良いだけのこと……。

 金獅子姫の眼がそう語っている。言葉に出さずとも伝わる。互いに死地を囲む者同士だからこそ、その眼差し、その吐息が百万の言葉よりも雄弁に意志を語り始める。手に取る様に考えていることが理解できる。

 納刀──再チャージまで凡そ十三秒。絶体絶命の状況にあって、然しラビットヘッドは笑う。憎しみもない。後悔もない。何の戸惑いも迷いもなく、何一つ守る必要のない戦場で──ただ、無意味に。剣と言う名の邪悪を振るい、己が全身を殺意に満たして、純粋無垢なる殺人者として闘うことのなんと心地よきことか。そうだ。ここには論理がある。心などというあやふや言葉も、任務や組織などの縛めも、そして守るべき女さえもなく、ただこの場を貫く理は一つ──強い者が生き、弱い者が滅ぶ。なんと明確な理屈だろう。正義などはいらない。邪悪であることさえも煩わしい。ただひたすらに存在し、存在し続けるために──生き残るために兇器を振るう。

──剣は砕けた。だがまだ私は敗れておらぬ。この十三秒、見事凌ぎきって見せましょうぞ。

 慌てずに飛び退った。彼我との距離は三歩半。金獅子姫ならばまばたきほどの時間で零としてのけるであろう距離──だが、これで良い。

 返しの剣。かすみ青眼。非の打ちどころのない剣である。しかし『剣』の業に関してはラビットヘツドにも一日の長がある。無数の星、無数の時代に存在した数多の剣豪──彼らの生きた証がこの胸には生きている。無刀の位──あるいは徒手空拳による返しの技術。剣闘マスタリーが内包する防御法は千を超え万を超える。

──そうです。ラビットヘッド殿。貴女に必要なのはまず、歩法。剣を納めている間、敵の攻撃を逃れるための徹底した体捌き。そして──。

 教え導くような金獅子姫の言葉。そこに侮りの感情はない。互いの全力を尽くし、剣戟の極致を交わすための啓示。

──……そして何よりも貴女が手にするべき技は──抜刀術。加熱剣は必殺剣。しかし必殺も当たらなければ無為と化す。ゆえに、あなたが繰り出す加熱剣はあらゆる剣閃を追い抜かねばならない。

──抜刀……術……。

──抜刀術とは文字通り抜刀するための術。貴女は必ず剣を鞘へと納めなければならない。そしてその状態で敵の攻撃を受け続け、再び剣を抜かねばならない。命の遣り取りを無数に交わす闘いにおいてその隙はまさに必死。なればこそ、貴女の求める剣は抜かずして抜く剣でなければならない。抜刀を極めれば即ち剣は鞘内にありて同時に掌中を滑るもの。──さぁ、ラビットヘッド殿。次の一手で終いと致しましょう。貴女の『剣』を私に見せてください……!

 金獅子姫がその眼で吠える。ラビットヘッドは無言で応える。そっと天を仰いだ。地平の端に夕日は落ちて静かな夜がやってくる。穏やかな夕闇。視界の隅に覗き見える幽かなる夕月。人間であれば懸命に眼を凝らしてようやく見えるほどの、朦朧と霞む月。

 月が見える。

 さぁ、全力を尽くそう。己の全てを見せよう。

 在るか無きかもわからぬ魂などではなく、今ここに実存する自らの躯体、自らの機能を駆使して。

 形式番号7874-8782-DRC0015Rabbithead。この体は中島製作所ラビットシリーズを基に造られた。

 月を見る。ラビットヘッドは静かに呟く。

 

──次元衛星連結機能(サテライトリンカー)、起動。

 

 原子時計励起開始。超精密三次元測位。彼我相対距離算出。

抜刀演算(ブレイド・ドロウ・カルキュレイション)──」

 こうして魔剣は生まれる。

 衛星連結によって得た位置情報を基に必殺必死の抜刀は演算される。未来予知にも似た殺人試行(シミュレーション)。物理的に回避し得ない速度・角度で振るう加熱剣を幻視する。

 チャージまで残り三秒。

 いざ、と姫が言う。

 チャージまで残り二秒。

 いざ、とラビットヘッドが言う。

 チャージまで残り一秒。

 白々と澄んだ月光が灼熱の剣を舐める。

 いざ、と金獅子姫が叫ぶ。

 いざ、とラビットヘッドが叫ぶ。

 動いたのは同時──。

 ラビットヘッドの加熱剣が、そして金獅子姫の自在剣が、その牙を突き立てんと闇夜を奔る──。

 

 

 

 月が綺麗ですね、と金獅子姫は言った。血だらけの体で空を見上げ、しみじみとため息を零す。剣は傍らに投げ出され、金獅子姫自身もまた膝をつき、力なく軒先にもたれかかっている。夥しい流血に血の気を失った顔でふ、ふ、とささやかな笑い声を上げ、ラビットヘッドを見下ろす。

 月が綺麗ですね、と金獅子姫は言った。だがラビットヘッドには何と答えて良いのかわからなかった。だから彼は──ぼんやりと月を見つめ、うわ言のようにその言葉を口にした。

 

 

 色々なことが怖くて怖くて堪らないのです。この世は不可解に満ちている。訳のわからないことばかりです。

 猿の話を私は見ました。そうして、人間になれ、と言われました。人間になる方法なぞ、私には皆目見当がつきませんでした。

 人との会話を楽しむことだ、と博士は私に言いました。だから彼女と話をしました。彼女はやがて死にました。メタルガウンという敵がそうしたのです。私は彼に負けました。

 しばらくすると私はまた新しい体をもらいました。私は次の私になります。次の私はまた同じ任務を与えられます。人間になれ、誰かが私にそう言いました。

 私は彼女と出会いました。芙蓉杰、という名の女です。最初に死んだ女も確かそんな名前をしていました。

 人間であればこの時すぐに何かがおかしいと気づくものなのでしょうか。

 たとえば人間には猿の見分けがつかなくても、猿には猿の見分けがつく。

 人間同士であっても、異なる人種間では外見の区別がつけにくいということは証明されています。

 私は現地協力者に会うように言われていました。一人目の協力者は名を芙蓉杰と言い、彼女はメタルガウンに殺されました。二人目の協力者の名も芙蓉杰と言い、やはりメタルガウンに殺されました。

 7874-8782-DRC0014Rabbitheadとなった私は再びクーロンへと赴きます。そこで出会った『彼女』もまた、芙蓉杰という名の女性でした。

 その時になってようやく私は何かがおかしいと考え始めました。しかし何がどうなっているのかさっぱり理解できません。

 単にブラッククロスが現地協力者として雇った人間が『芙蓉杰』という共通のコードネームを与えられているのではないか、そのように考えもしました。しかし何度も出会う『彼女』はいつも同じ彼女のように思えました。彼女は娼婦でした。彼女はペヤングが好きでした。「うまいうまい」と言ってペヤングを食べました。正義の味方になれ、と言ってくれました。何故でしょう。私はそれが少しだけ嬉しかった。三人目の彼女もまたメタルガウンに殺されました。私は彼女を守ることができませんでした。博士が私に尋ねてきます。彼女のことをどう思うのか、と。なぜそんなことを聞くのでしょうか。何かがおかしいと博士に確認してみるべきだったのでしょうか。わかりません。私はただ怖かったのです。今にして思えば、何かが怖くて怖くて堪らなかったのです。早いうちに彼女の脳波を測定するなりDNA照合を行うなりしておけばよかったのかもしれません。でも、もし、彼女たちが同一人物だと確定してしまったら? 博士に聞いて真実を知ってしまったら? 二人目の彼女に出会った時──二人目の彼女に出会ってペヤングを食べた時、私は少しだけ懐かしさを覚えてほっとしました。ああ、これだ、と思いました。死んだはずのものが生きていました。三人目の彼女と出会ってその想いはますます強くなります。これは一体何なんだ? そんな風に考えます。真実を知りたい、彼女が何なのかを突き止めたい。そう思うその一方で──私は静かに恐怖していました。何かがおかしい。だがその秘密を暴いてしまえば私はもう二度と彼女に会えなくなってしまうのではないか。夢でも見ていたかのように彼女は再び死体へど戻ってしまうのではないか──そう考えると怖くてたまりません。

 だから私はクーロンから逃げました。

 繰り返される事件、悪夢のループから逃げたのです。また芙蓉杰と出会えばまた彼女を失うことになる。だから私がいなくなれば彼女も幸せになれるのでは。そんな風に言い訳をしてこの京までやってきました。

 京の町で小此木烈人という青年と出会いました。彼はヒーローでした。正義の味方であった彼は己の理想に苦しみ、悩んでいました。私はそれまで、正義の味方と言うのはある種の機械のような存在だと感じていました。正義の味方はけして迷わない。正義の味方は『正義』という理念を掲げ、悪と闘ってこれを打ち砕く。そこには何の歪みもない論理があります。正義の味方はどこまでも純粋な機械なのだと。

 ところが、そうではありませんでした。小此木烈人というヒーローは自らの弱さを嘆き、戸惑いを抱え、それでもなお闘う男でありました。正義の味方には心があったのです。誰かを救う正義の味方もまた、同時に誰かに救われたいと願っている。その矛盾を私は愛します。そしてこう考えるのです。もし正義の味方に『心』があるとするのなら、正義の味方になることのできない存在、『悪』というものにも心があるのではないか──と。

 ……なんだか、話が脱線してしまいました。

 心、という存在を私は求めました。ですがその言葉の在り方をついぞ掴むことはできませんでした。答えを見つけることは出来ない。しかし私はそれでも強くならなければならないのです。この修行場でとうとう私は貴女と出会いました。私はただ、あなたの剣に憧れた。理屈や倫理に拠ることなく、この剣にのみて生きること。清々しい貴女の弁に私もまたこうありたいと感じたのです。

 貴女のように強くなりたい。

 貴女のように強く在りたい。

 そう思う私を私は恥じません。……私は間もなくあの場所へ還らなければなりません。その結果この身がどうなるかはわかりませんが、金獅子姫、貴女に教えていただいたことはけして忘れない。

 

 

 月が、綺麗ですね、と金獅子姫は再び言った。ラビットヘッドは答えない。その代わりに、今度は金獅子姫が静かに語り始める。

 

 

 生憎と学の無いこの身ゆえ、心というものが何なのかを教えて差し上げることが私にはできません。私にあるのは、ただ、この『剣』のみです。

 月が綺麗だ、と私はいま思います。その言葉が何に由縁するものなのかを私はしりません。

 ですがそれでも月は綺麗です。たとえその想いを貴方と共有することができないとしても。

 我が主、オルロワージュ様ははるか昔に心を亡くされてしまわれました。“月は確かに美しい。しかし、その美しさは百年前の美しさとどう違うのか?”。──そう、あの方に言われたことがあります。随分と寂しそうなお顔をされていました。

 私には剣しかありません。女としてあの方に悦びを捧げることはできない。それを歯がゆく思うこともあります。でずか畢竟、私にできるのは戦うことだけなのです。

 あの方の孤独を癒して差し上げることができないのなら、せめてこの剣を持って外敵を滅ぼし守り抜く。それが私の務めです。

 この身はオルロワージュ様の剣。この身はオルロワージュ様の鋼。

 心が無くても良いではありませんか。ラビットヘッド殿。たとえ心が無かったとしても、剣が、この身が『鋼』であるのなら畏れることは何もない筈。

 剣術とは殺人の法。心が鋼であればすなわち患うことなし。この場合の心とは人間の心を言うのではありません。戦いにおける心構えを言うのです。

 鋼としておありなさい。ラビットヘッド殿。さすれば貴方の剣は必ずや道を切り開くことでしょう……。

 

 

 ラビットヘッドはもはや答えない。金獅子姫はそっと天を仰ぎ、なおも月を見つめ続ける──。

 

 

 ◇

 

 

 私は、と彼は言う。眼が覚めて、いつもの光景を視認する。天井には光度の強い蛍光灯。無機的な実験室。周囲の生命反応は二個体。壮齢の男性一体。その後ろに女性体が一つ。彼らが誰なのかを自分は知っている。

「ようやく目覚めたか。自分が誰なのかわかるかね?」

 私は誰なのか、と彼は尋ねている。ラビットヘッドは答える。

「この体の型式番号は7874-8782-DRC0016Rabbitheadです。ドクタークライン」

「うむ。無事に目覚めて何よりだ、ラビットヘッド。──しかし、それにしても今回は随分とおかしな行動を執ったものだな?」

「私の任務はクーロンでの潜伏任務です。しかしメタルガウンの存在によって当任務は遂行困難と判断されました。よって私は状況改善手段を求め、京へと向かったのです」

「はっ……はっはっは。そうかそうか! それが君の考えか! いいぞ、ラビットヘッド! それでいいのだよ! それで君は何らかの手段を見つけられたのかね?」

「はい。博士。学習プログラムにより、剣闘マスタリーから新たなプログラムを拡張することができました。私はそれを抜刀マスタリーと定義しています」

「抜刀マスタリー! おお、なかなか浪漫のある名前ではないか!」

「ありがとうございます。博士」

「それで、だ。何度も聞いた質問で申し訳ないのだが──君は、現地協力者をどう思う?」

「ミズ・芙蓉杰のことですね」

「そうだ」

「彼女は私が任務を遂行するために必要な存在です」

「……それだけかね?」

「はい、博士。それだけ(・・・・)です」

「そうか……。フーム、うまくいきそうでなかなかいかんな……。ではラビットヘッド。再びクーロンへ向かい任務を遂行してくれたまえ」

「了解」

 変わり映えのしない会話を繰り返してラビットヘッドはクーロンへと赴く。いつものようにいつもの場所で芙蓉杰が彼を見つけて声をかける。

「あんたがラビットヘッド?」

「はい、そうです。ですが、どうして私がラビットヘッドだとわかったのですか?」

「それ、答えなきゃいけないわけ?」

 気だるそうに彼女が言う。

「ミズ・芙蓉杰。また会うことが出来て光栄です。早速ですが私はメタルガウンと戦わねばなりません。奴がどこにいるのか教えて頂けませんか?」

「え……? 何であたしの名前を知ってるの? それに、メタルガウンって、誰?」

「本当に何も知らないのでしたら申し訳ありません。しかし、ミズ・芙蓉杰。貴女は三度私と出会い、同じく三度、目の前で死んだ。貴女は本当に人間なのですか? 貴女には、何か秘密があるのではないですか?」

「な、何言ってんだよ……。訳のわからないこと突然言い出して……」

「ミズ・芙蓉杰。お願いです」

「……」

 しつこく尋ねると、芙蓉杰はぴたりと口を噤み表情を消した。

「……本当に? 本当にそれでいいの?」

「……はい」

 頷くと芙蓉杰は悲しそうに顔を歪め、それからひと気のない場所を目指してとぼとぼと歩きだす。

 案内されたのは潰れたばかりの住宅ビル跡地だった。風が忙しなく砂埃を立て、霞む視界の向こうで、メタルガウンが瓦礫に腰かけているのが見える。

「よぉ。遅かったな。うっかり待ちくたびれるとこだったぜ。ここにたどり着くまで随分かかったな」

 馴れ馴れしい態度でメタルガウンが挨拶代わりに手を上げる。

「……結局、これはどういうことなのですか」

 そう尋ねると、メタルガウンは素っ頓狂な声を上げる。

「え? お前、全部わかったからここに来たんじゃねーの? うっわ、マジで? ……あちゃー。やべー」

「……私が認識しているのはこの任務が『繰り返し』の状況にあるということだけです。芙蓉杰と出会い、メタルガウンが現れ、そして私が敗北する。執拗なまでに再現されるこのシチュエーションに『気づき』を覚えることが私自身の任務にとって何か重要な意味を持つのではないですか?」

「まァな。説明してみりゃ案外くだらない話なんだが……。言ってみれば大いなる茶番だな。ドクタークラインもよ、人の心をもったメカを作るっつったって、これまた馬鹿みたいな実験を思いつくもんだよな」

「実験……。これは実験なのですか?」

「RPGだよ。ロールプレイングゲームさ。このアマは可哀そうなヒロイン。俺様は悪の大魔王。そしてお前は姫様を助ける主人公ってわけだ。ゲームオーバーになっても何度だってセーブポイントからやり直せる。ゲームのクリア条件はヒロインとの会話の中で人間性を手に入れ大魔王を倒すこと。……お前だって、女を殺されて少しは腹が立っただろ? その怒り、正義の心を体得できたなら人間になれる、まあドクタークラインもそんな風に考えたのかもな」

「……随分あっさりと真相を告白するのですね」

「冷静に考えても見ろ。たとえバレたとして何の問題がある? 実験が行われてるのはきっとクーロンだけじゃない。お前みたいなラビットシリーズの複製体は何体でもいるんだ。他のリージョンでだって似たような実験が行われてるんだろ。……俺様にはこの実験の責任なんかねーからな。適当にやるさ」

「……」

「……な? 話としては下らねーし、騙されてたってわかって腹が立つだろ? それも目的の一つなんだよ。何もかもが嘘だと知って絶望の淵に叩きこまれて、そんでてめーはどうすんだ?」

「……」

「絶望はてめーに心を与えてくれる。理屈は簡単だよな。絶望するのは心があるからだ。何もかもが嘘だった。ドクタークラインは全部わかった上でお前のとぼけた回答を裏で笑ってたんだよ」

「メタルガウン」

「何だよ」

「お前はもっと自由な存在なのかと思っていた」

「だったら何だってんだ」

「初めて会ったときにお前は言ったな。自分には魂がある。だから組織から逃げ出し、思いのままに生きていると。私にとってお前は敵以外の何物でもないが、しかしその点に関しては羨ましく感じていた。人の心を求める私だ、既にして『魂』を手に入れたお前はその方向性さえ違えども見習うべき先達者なのかと思っていた。──だが、それは違うのだな」

「ケッ。うるせー野郎だなてめーは。ああそうだよ。俺様は自由でもなんでもねぇ。結局はブラッククロスに造られたメカなんだ、創造主にゃ逆らえねぇ。どうしたって仕方がねーんだよ、これは。……てめーだってそうなんだぜ、ラビットヘッド! どんなに納得がいかなくたって、ドクタークラインには反抗できない。そういうプログラムが組み込まれてるんだよ、俺たちにはな!」

 自棄になったように捨て鉢に叫ぶメタルガウン。だがもしかしたらそれすらも彼にインプットされた人格を再現しているだけに過ぎないのかもしれない。

「自由を手に入れたのではなかったか。心があるのではなかったのか……!」

「そういう『配役』を与えられただけだ。俺もお前も。そうさ、大した違いなんかありゃしねぇ。お前だって、何か一つ違えば悪役になっていた筈なんだ!」

「……私は、お前とは違う……」

「何が違う? 結局のところ、お前はここにこうしてのこのことやって来ている。お前にもし、本当に真実と戦う覚悟があったならクラインの野郎に問いただしていた筈だ。たとえそうでなかったとしても、その女を本気で守りたかったのならその場であのくそ爺いたちを皆殺しにしてブラッククロスを裏切り、その女と逃げ出したっていい。……いいや、今からでも遅くはない。お前がそうするというのなら、この場は見逃してやるよ」

「……」

 まるでこちらがそうすることを望んでいるかのようにメタルガウンは言う………。しかし。

 ドクタークラインを、ブラッククロスを敵に回す? 確かにそれは一つの方法ではある。妥当性はともかくとして、確かにそれは考慮に値する手段だ。だがこれまで、自分にはそんな考えは何一つとして思い浮かばなかった。いいや、今もそうだ。考慮には値する、そう判断しながら、しかし自分はその選択をはなからありえないものとして今にも切り捨てようとしている。

 それはなぜか。

「……お前はもう、負けてるんだよ、ラビットヘッド。そういう風に作られたのさ」

 嘲りと共にメタルガウンが呻くように言う。ラビットヘッドは答えない。

「……ミズ・芙蓉杰」

「あ……?」

 それまで傍観していた芙蓉杰は突然話しかけられて困惑の表情を浮かべる。

「あなたも、そうなのですか。何もかもを知っていて、私のことを騙していたのですか」

 芙蓉杰は唇を噛みしめる。

「……ああ」

「そうですか……」

「何から何まで嘘だってわけじゃない。私は自分に刷り込まれた人格データを基に振る舞っているだけだから。あんたにペヤングを食べさせたのも、正義の味方になれと言ったのも、あたしの中の芙蓉杰がやったこと。でも、……そうだな、やっぱり、ひどいことだったよね……。ごめん……」

「……」

 ラビットヘッドは瞑目する。全身の力が抜けていく。どこか心地よいとさえ言える虚脱感。

「ミズ・芙蓉杰……。貴女に出会えたことを、私は忘れません。ですが……こんな実験はもう、繰り返すわけにはいきません。私は……」

「うん……」

 泣きながら弁解する幼子を許す母のように芙蓉杰が頷いた。ラビットヘッドは彼女の首に手を掛け、そのまま縊り殺す。ゴキリと鈍い音がして、女の骨が砕けた。全身からくたりと力が抜けて芙蓉杰が膝を落とす。

 そして虚無が訪れた。女の死体を胸に抱く。体の内部が虚ろに透けていくような感覚。もしこれが『心』によるものであるのなら、こんなものを望んではいなかった。だがこれは予想していた結末だ。どうせこんなことになるのだろうと思っていた。クーロンから逃げ出した時から感じていたことだった。金獅子姫と戦い、クーロンに戻ることを決意した時でさえわかっていた。けして幸福な結末など待ってはいないことを知っていた。

 小此木烈人。私を助けてくれ。

 いや……彼はここにはいない。ヒーローはやってこない。そして私は正義の味方ではなく、人間ですらなく……悪の組織ブラッククロスの機械兵士に過ぎない。

 心があれば。

 私が人間だったなら。

 ……今さらそれが何になる。たとえ人の心を手に入れたとしても、人間性に縋りついて生きるわけにはいかない。

「……なぁ、もういいか? 俺もいい加減うんざりしてるんだ。馬鹿みたいな台詞を喋るのには。もう戦うのはこの辺で最後にしようや」

「……そうだな」

 私は一体なんだ。

 7874-8782-DRC0016Rabbithead。それが私の形式番号。そんな言葉が果たして何の役に立つ?

 

“たとえ心が無かったとしても、剣が、この身が『鋼』であるのなら畏れることは何もない筈”

“正義の味方のつもりだった。でも、そうじゃなかった”

“白か黒かで言えば、やっぱりあたしは黒なんだ──”

 

 自分は正義の味方にはなれない。

 守るべき女を殺して進む道などどこにもありはしない。

 自分はブラッククロスの兵士として生きることしかできない。

 ならば──ならばせめて悪として、一筋の誇りをもって生きたい。

 悪──ただし、鋼の。ただ一振りの剣にのみて悪を為す、正義と対極の存在として。

 

「白黒つけようぜ、ラビットヘッド」

 メタルガウンが言う。殺意を剥き出しに爪を構える。

「そうだな。私は黒でいい」

 答え、剣を構える。

「ラビットヘッドとしての私は既に敗北している。──ならば、ここにいる私はラビットヘッドではない」

「なに?」

「我は鋼、我は黒。我が名は……メタル、ブラック……! ──推して参る!」

 

 

 

 

 

 

 柳生新陰流『兵法家伝書』活人剣に曰く──。

 心は水の中の月に似たり、形は鏡の上の影の如し。右の句を兵法に取用ゐる心持は、水には月のかげをやどす物也。鏡には身のかげをやどす物也。人の心の物にうつる事は、月の水にうつるごとく也。いかにもすみやかにうつる物也。

 人の心のものにうつる事、月の水にうつるがごとくすみやかなと云ふたとえなり。意の速かなること水月鏡像の如しと云ふ経文も、月が水にうつりて、さだかにあれども、水のそこをさぐれば、月はなひと云ふ儀理にはあらず。

 我心を月のごとく場へうつすべし。心がゆけば身がゆく程に、立あふてより、鏡にかげのうつるごとく、場へ身をうつすべし。

 場にては水月、身には神妙剣也。いづれも、身足手をうつす心持は同じ事也──。

 

 

『月が水にうつりて、さだかにあれども、水のそこをさぐれば、月はなひと云ふ儀理にはあらず』

 私は誰だ、と誰かが言った。

 私は私だ、と誰かが答えた。

 ではその『私』というのは一体何だ。問うものと答えるものとはどんな因果で結ばれている。

 ここクーロンの薄汚れた空にもやはり、月は等しく輝いている。

 月があるからそれを月と呼ぶのではない。ただこの星唯一の衛星を、自転と公転の等しいその星を『月』と呼んでいるだけだ。

 それでもここに月はある。この星の空に月は確かに輝いている。

 月は狂気。人を狂わす魔性の女。そんな女に恋をしてこの世の条理に抗するならば、誰しもその手に虚無を握る。

 ここに一匹の猿がいる。猿は月に恋をして、叶わぬ恋にその身を焦がす。伸ばしたその手はけして届かず、絶望のうちに猿は死ぬ。

 ここに機械の兎がいる。兎は人の心を求めて旅をし、幾度も敗北を繰り返す。人の心。そんな不確かなものを、果たしてどう抱きしめろと言うのか。

 それでも物語は無くならない。無かったことにはならない。猿が懸命に伸ばした腕を、兎の願った正義の味方を、その透き通りゆえに水影として写し取ることができたなら、その物語は救われる。

 鋼の黒。

 メタルブラック。

 腰に構えた加熱剣に右手を添える。

 次元衛星連結機能(サテライトリンカー)起動。原子時計励起開始。超精密三次元測位。彼我相対距離算出。

 抜刀/演算(ブレイド・ドロウ・カルキュレイション)

 呪文めいたコマンドと共に身を撓める。

「へッ。一丁前に構えやがって」

 メタルガウンが嘲り立てる。

「てめえに俺様が倒せるか? 騙されっぱなしの空っぽ野郎がよ! てめえには戦う理由がねえ! だから俺には勝てねえんだよ!」

 こちらの集中を乱すための安い挑発に、しかしメタルブラックは静かに答える。

「理由なら、ある。──貴様の顔が気に食わん」

 そして、抜刀──。

 繰り出すは必殺のツルギ。あらゆる剣の後から撃たれ、しかしてあらゆる剣の先を征く剣。

 演算抜刀──月擦剣(ムーンスクレイパー)。灼熱の魔剣は遂に放たれた。

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