サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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第二十幕 銀河の旅路 前編 私が貴方に支配されていた頃

 その瞬間が訪れた時、不思議と私に不安や迷いはなかった。それはかつて白薔薇という女が語った通りの出来事であり、初めてその言葉を耳にした私は激しく拒絶したものだったが、いまとなっては何もかもが来るべき予定調和として受け入れられる気がした。

 もしこの世に定めというものがあるとしたら、きっと目の前に迫りくるこの剣、この切っ先こそがそうなのだろう、と私は思う……。

 忌々しいわが身の愚かさとも、呪いのように拭い難いこの心の弱さともこれでおわかれ。……ああ、そうだ。何もかもを終わりにできる。私という物語の結末を美しく飾ることができる。

 躊躇いはない。

 後悔もない。

 ただ、静かな悦びだけがここにある。

 

 ──私は貴方のお役に立つことが出来ましたか?

 

 ──少しでも貴方の記憶に残ることができましたか?

 

 もしひとかけでもお慈悲を頂けるのなら、お願いでございます。どうか私を、あなたの──。

 

 

 

 

 ……紅たちが駆け付けると、すでに戦いは終わっていた。

 

 マンハッタン・キャンベルビル屋上。この星での庇護者であったシンディ・キャンベルは瀕死の状態で倒れ伏し、ライダースーツの見知らぬヒューマンと怪しい扮装の男が何やら会話している。人間には全く興味のない紅ではあったがその男はどこかで見かけた気がして首をかしげる。

「あの男、以前どこかで……」

 状況がまるで飲み込めず混乱していると、傍らの白薔薇は冷たい声でそっと囁いた。

「あれはアルカイザー……。そうですか、アセルス様。戦えなかったのですね」

 白薔薇の視線の先に目を向けて、紅は息を飲む。現在の主であるアセルス──彼女が額を撃ち抜かれたまま部屋の隅で倒れている。

「アセルス様!」

 叫び、紅の体は瞬時に燃え上がった。炎妖たるその体が激昂する感情に従って激しく燃え盛る。ばちばちと音を立てて空気が爆ぜ、周囲には蜃気楼がもうもうとたちのぼる。

「おいおい。こりゃあ……」

 ライダースーツが冷や汗を流しながら誤解だというように手を振るが知ったことではなかった。

 決まっている。

 アセルスを傷つけたのだ。

 殺すしかない。

「おい、待てよ! キャンベルはともかく、アセルスに手を出すつもりはない! 戦う気は──」

「身の程を知れ! 下郎!」

 構わずに火焔を放った。紅の炎は大理石の床を瞬時に溶かしながら男を消し炭に変える──筈だった。だが目算とは裏腹に紅の炎はアルカイザーによって防がれてしまう。焦げ付く皮膚の痛みに呻きはしたものの、しかしアルカイザーはなおも平然とこちらを警戒し続けている。

「貴様……!」

 更なる憤激に髪を逆立てた紅に、白薔薇姫は相変わらず落ち着いた様子で制止する。

「そのへんにしておきましょう、紅姫。彼らにも、そして我々にも、戦う理由はありません」

「な……」

 

 ──何を言っているのだ、この女は……?

 

 腹の底で長い間くすぶっていた疑念が今また鎌首をもたげ、ちりちりと焦げ付いていく。傷つき、倒れているアセルスが見えないのか。世話になったキャンベルが今にも死にかけているのがわからないのだろうか。激情にわなわなと震え出す歯をぎりと噛みしめ、紅は矢のような視線で睨みつける。が、やはり白薔薇姫は柳に風といった様子で素知らぬ顔をしている。

「……何を、言っているのです。白薔薇姫。貴女にはこの状況が見えないのですか!?」

「ではどうします。アルカイザーを殺すのですか?」

 淡々と、白薔薇姫は告げた。

「貴女にならそれが出来るでしょう。たった一息で一国をも滅ぼす炎の妖魔、紅姫。かつての貴方ならきっとそうするのでしょうね。……でも、そんなことをして本当に良いのですか?」 

 軽やかに白薔薇姫は笑った。無邪気でいてどこかこちらを試すようなその瞳が紅は嫌いだった。アセルスが──自らの主が彼女を求めてさえいなければ早々に滅ぼしていたものを。

「どういう、意味ですか……?」

 今すぐこの女を灰にしてやりたい気持ちを懸命に押し殺しながら訪ねると、白薔薇は困ったようにはにかんでみせる。

「紅姫、貴女は人間に興味が無い。どんな人間を見ても、みな同じものだと思っている。だから、まともに区別もつかない。……忘れたのですか? 彼が──アルカイザーが誰なのかを」

「……だからこの者たちを見逃せ、と? 知り合いとはいえ、アセルス様をこのような目にあわせるなど、万死に値する!」

「ではなぜ、アセルス様はここで倒れているのですか。戦わないことをアセルス様が選んだからでしょう。その決断を、貴女は裏切るのですか?」

「そ、それは……」

 痛いところをつかれて紅はたじろぐ。確かに、アセルスには甘いところがある。妖魔ばかりではなく、人間や時にはモンスターの命でさえも守ろうとする彼女の判断に首を傾げながらも尊重してきた紅には、確かに皆殺しという選択は躊躇われた。もしアセルスが目を覚ましていたら確かにアルカイザー──小此木烈人を殺すような真似はしないだろう。たとえそれが紅にとって塵にも等しい存在であったとしても。

 自分がどうするべきなのかわからなかった。……どうして、そんなことさえも決められないのだろう。

 以前の自分なら迷うことなくすべてを焼き尽くしていたことだろう。他者の意見など耳を貸す必要はなかったし、その気もありはしなかった。自分はただ、燦々と燃え盛っていれば良かった。炎妖はその激しい感情の起伏のままに生きる妖魔、灼熱の気性を孕む生き物なのだから。かつて針の城が誇る八番目の寵姫であった頃なら、きっとこのちっぽけな人間どもを殺しウロネブリをそして白薔薇姫をも滅ぼしてしまうに違いない。……だというのに、いま自分は前にも後ろにも足を踏み出せずにいる。だって、それは仕方のないことだろう。愛されることを忘れた紅には、自分自身を愛することさえできないのだから。

(ああ、私は……) 

 助けを求めるように、弱々しく震わせた瞳で倒れたアセルスを見つめた。そうだ。どこに行けばいいかはアセルスが決めることなのだ。目的も行き先も、果ては失ってしまった自信でさえもこの若き主が与えてくれる。だから、その信頼を裏切るわけにはいかない。

「……わかりました、白薔薇姫。しかし、戦わないにしてもキャンベルさんはどうするのですか? アセルス様ならきっと助けようとするはず」

「ええ。問題はそこですね」

 白薔薇姫はちらりと男たちに目を向ける。

「話はまとまったかい? 俺たちの目的はそこのキャンベルだけでね。一応、あんたたちとは敵対したくはないんだが?」

 ライダースーツの男が言う。

「なぜ、キャンベルさんを? 貴方がたはなぜ、ここに?」

「白薔薇姫」それまで黙っていたアルカイザーはようやく口を開いた。「確かにキャンベルはあんたたちに優しかったのかもしれない……。だが、彼女の正体は秘密結社ブラッククロスの女幹部、アラクーネ。頼む、彼女の身柄を渡してくれ」

「アルカイザーさんよ」面倒そうにライダースーツの男がぼやいた。「お前が話すといろいろややこしくなるんだよな」

ため息をついてライダースーツの男が煙草に火をつける。

「見てわかると思うがこいつはアルカイザー、ヒーローだ。んで、俺の名はヒューズ。IRPOの捜査官だ。わかるだろ。とりあえずは俺たちが正義、そこに倒れてる方が悪だ」

「おかしなことをおっしゃるのですね」白薔薇姫はそっと微笑む。「妖魔に善悪を説いて何になるのですか?」

「待ってくれ、白薔薇姫さん」

 それまで黙っていたアルカイザーが戸惑ったように声を上げた。

「あんたたちは騙されていたんだ。キャンベルがアラクーネだと知らなかったんだろう?」

「私は知っていましたよ」こともなげに白薔薇姫は言った。「アセルス様はご存じなかったようですが」

「………」

 絶句するアルカイザーにヒューズは「だー、めんどくせ」と頭を掻き毟る。

「話が逸れたよな? 俺たちが正義って話はどうでもいい。キャンベルが悪だって話もな。だが、キャンベルの身柄を渡すわけにはいかねーな。マンハッタンに居場所が必要かい? 隠れ家が必要ってんならIRPOが用意してもいいが」

「あら、随分と話の分かる方。……確かに、キャンベルさんの財力は随分と頼もしく感じてはいましたが……」

 ウロネブリの放った死の灰の傷跡が色濃く残る戦場を見回して白薔薇姫はため息をついた。

「セアトの配下にこちらの居場所が知られてしまった以上、この地に留まるわけにも参りません。キャンベルさんのことは残念ですが、ここは引き下がりましょう」

「そんな、白薔薇姫!」

 紅は抗議の声を上げる。

「アセルス様なら、きっと──」

「もう、助かりませんよ」白薔薇姫は動揺一つ見せずに答えた。「あれは致命傷です。……それに、彼女のことならそこまで気にすることはないと思いますよ」

「……え?」

紅が戸惑いの声を上げたとき、キャンベルビルの屋上に一陣の風が吹き流れた。風が震え、僅かなあいだ太陽の日が陰り、一瞬の闇が生まれる。その闇に紛れるようにしていつの間にか、忽然とその妖魔は現れた。花緑青の髪に宵闇の外套、石化蜥蜴の肌を持つその妖魔──黒騎士イルドゥンは相変わらずの仏頂面で周囲を睥睨する。イルドゥンの纏う妖気にヒューズはすぐさま警戒を深め銃を構えるが、イルドゥンは一瞥をくれたきり興味が無いと言わんばかりに背を向けた。

「イルドゥン様」

 突然の来訪に驚く紅に、イルドゥンはつまらなそうに答える。

「アセルスを追ってきてみれば……こんなことになっているとはな」

 

 

 

 

「おい。誰だテメーは。それ以上動くな!」

険しい声で警告するヒューズ。しかしイルドゥンはやはり構うことなく足を進めていく。針の城が誇る黒騎士イルドゥン──しかし彼が目指すのは逃亡者たるアセルスではなく、針の城の王オルロワージュの寵姫、白薔薇姫でもなく──大蜘蛛の姿を晒し、血塗れで倒れ伏したキャンベルだった。

「……あ、」

 瀕死のキャンベルは血の気の失せたその顔でただ死を待つばかりといった様子だったが、己に近づくものが誰であるかに気づいてさっと表情を変える。

「い、いや……見ないで……」

「……飴鐘」

 囁くその言葉に感情は込められていなかった。懐旧も、感傷も、何らの思いも滲ませることなく、しかしイルドゥンはまっすぐにその名を口にした。呼ばれた途端、彼女──ブラッククロスの幹部アラクーネであり、マンハッタンの名士シンディ・キャンベルでもあり、しかしかつてファシナトゥールで小さな仕立て屋を経営し飴鐘と呼ばれていた下級妖魔であるところの彼女は、死にかけにも関わらず懸命に身を捩って顔を隠そうとした。悪として敗北することやたったいま死を迎えようとしていたことよりも、自らの姿を見られることの方がずっと苦しいことだとでもいうように。

「いや……見ないで……! 見ないでください、イルドゥン様……!」

「何故だ」イルドゥンは淡々と言った。「その姿が醜いからか」

「……」

 弱々しく目を閉じると、飴鐘の瞳からは静かに涙がこぼれだしていく。唇を噛みしめ、必死になって嗚咽をこらえ、しかし堪えきれない悲しみが喉を震わせその姿は、きれかけた電球のように弱々しく霞み、明滅するようにも見えた。

「イルドゥン……!」

無情なその態度に紅は抗議の声を上げるが、一方で白薔薇姫は表情を変えることなく平然としている。イルドゥンの剣呑な気配に冷や汗を流すヒューズもまた過度に同情するということはなく、逆にアルカイザーは“悪”の見せた涙に激しい動揺を見せていた。

四者それぞれの反応にやはり僅かな注意さえも向けることなく、ただじっと目の前の女だけを見てイルドゥンは静かに口を開いた。

「──無様だな」

「……」

 飴鐘は目を見開いてイルドゥンを見つめるが、やがて辛そうに視線を背ける。

「何のためにファシナトゥールを出た。自らを誇ることができないのなら旅に出たところで同じだ。何も変わりはしない」

「……あなたは」

「何だ」

「……あなたは、本当に、変わらないのですね……イルドゥン、様……」

「当たり前のことだろう」

 その言葉に飴鐘は瞑目し、涙を零しながら弱々しい微笑みを浮かべた。

「あなたは」飴鐘は言った。「こんな私を笑いますか?」

「ああ」イルドゥンは笑うことなく答えた。「これ以上惨めな姿を晒すくらいなら、ここで死ね」

「はは……」

 暖かな吐息と共にさめざめと泣きながら飴鐘は笑った。その声はどこか濁流に身を飲まれた者が懸命に手を伸ばすような切実なものだった。

「あなたは私を……この飴鐘を殺して下さるのですか……?」

「ああ」

「本当に……」飴鐘は充足の笑みとともにため息を漏らした。「本当に、ひどい方……」

「おい、やめろ! 動くなと言ったはずだ!」

 剣を抜くイルドゥンにヒューズが怒声とともに銃弾を撃ち込む。だが弾はいとも容易く切り払われてしまう。イルドゥンは見もしなかった。言葉を交わす価値も無いというかのように、ヒューズたちを相手にすることなくゆっくりと剣を下ろし、飴鐘の胸を一突きにする。すると飴鐘の姿は見る見るうちに萎れていき、蜘蛛ではなく人間に似た妖魔の姿へと戻っていく。イルドゥンは飴鐘を優しく抱き上げ、ぽつりと白薔薇姫に尋ねた。

「……白薔薇姫。アセルスはまだ寝ているのか?」

「はい。しばらくはこのままかと」

「そうか。成長のない奴だな。とにかくこの場所から離れるぞ。ここは……」

イルドゥンは僅かに逡巡し、静かに呟いた。

「ここは……妖魔の眠る場所としては相応しくない」

「……ええ。そうですね」

 どこかおかしそうに白薔薇姫が答えるとイルドゥンはじろりと睨みつけるがそれ以上は何も言わずに立ち去っていく。

「おい、ヒューズ! いいのか!?」

 慌てて尋ねるアルカイザーだが、ヒューズは顔を顰めたまま脇腹を押さえた。

「悪いがお前と違ってこれでも満身創痍なんでな。イルドゥン……だったか。上級妖魔、しかも針の城の黒騎士相手にドンパチ始める気はねえ。戦う理由が見つからねーしな。そうだろ? 俺もお前も、よ」

「……ああ」

 苦々しい様子でイルドゥンの背中を見送ることしかできないアルカイザー。

 ヒーローと妖魔との邂逅はこうして終わりを迎えた。アルカイザーこと小此木烈人、そして炎妖紅。飴鐘の涙を目にした両者は釈然としない思いを抱えたままその場を後にした。

 

 

 

 

 ……目を覚ますと、気が付けば汽車の中にいた。窓の外には星々の散らばる銀河が途方もなく広がっている。ここは……? そうか、星間船の中……。ようやく理解して視線を戻せば、そこには見覚えのある仏頂面が向かいの席に腰かけており、アセルスは思わず声を上げる。

「げっ」

「……なんだその反応は」

 不満げに漏らすイルドゥンには構わずアセルスは慌てて周囲を見回す。紅と白薔薇姫の姿を目にしてほっと一安心したものの相変わらず状況はまるで理解できていない。

「キャンベルさんは? 私、あのビルで……」

 その言葉を聞いて紅がさっと顔を逸らすのを見て、アセルスは結末をうっすらと悟って息を飲んだ。

「……そう」

「申し訳ありません。アセルス様……」

 すまなそうに項垂れる紅に、アセルスは優しく首を振る。

「いいんだ。貴女のせいじゃない……」

 静かな悲しみに浸るアセルス達に、話を聞いていたイルドゥンは無遠慮な視線を向ける。

「キャンベルというのは飴鐘のことか?」

「え? ええ……そうだけど」

「そうか。飴鐘は俺が殺した」

「えっ!? どういうこと?」

「あいつは邪妖になりかけていた。ただ生きながらえているだけの、己自身を愛することさえできない惨めな妖魔──見るにも値しない存在にな」

「違います。アセルス様」

 白薔薇姫が慌てて説明を加える。

「私たちが駆け付けた時にはもう……手遅れだったのです。だからイルドゥンは彼女の介錯を」

「違うな。瀕死であろうとなかろうとどのみち俺は殺していた。ファシナトゥールを出て何をしているのかと思えば……何も変わってはいなかった。下らん女だ」

「……だから、殺したの?」

「ああ」

 震える声で尋ねるアセルスの瞳はぎらぎらと燃え立つような険しい光を秘めていたが、対するイルドゥンは素知らぬ顔で頷いて見せる。

「彼女は……キャンベルさんは……貴方に逢いたがっていた……!」

「飴鐘がそう言ったのか」

「違う! でもあの人が貴方を語るとき、いつも懐かしそうに目を細めて……! 貴方や、貴方とジーナがいた仕立て屋の頃の話をしていたんだ!」

「だから、何だ。アセルス」

 アセルスの大声に不愉快を隠そうともせず、イルドゥンも鋭い瞳で睨みつける。

「あいつは醜く衰えていた。俺は無様だと言った。それを飴鐘も認めた。だから殺した。それだけだ」

「お前……っ!」

 激昂してアセルスはイルドゥンの胸倉をつかみ上げる。

「死にかけの(ひと)を前にして、優しい言葉の一つもかけてやれないのか! 介錯するにしても、そんなことを言う必要がどこにある!」

「知るか。それは人間の作法だろう。俺には関係のないことだ」

「違う! 妖魔だろうが何だろうが……!」

「アセルス」

 静かにイルドゥンは告げ、自らに伸びたアセルスの手首をぎりぎりと締め上げる。

「う、ぐ……っ」

「何を勘違いしているのか知らんがそんなことを悠長に話している場合か。だからお前は馬鹿だと言うんだ、アセルス。あの下らん格好をした馬鹿どもを相手に後れを取り、飴鐘を守ることもなく無能を晒して気絶したままでいるとはな。油断、怠慢、そして何よりも愚かだ。お前が平和ボケしている間に二体の寵姫の首が飛んでいる可能性を考えたらどうだ」

 アセルスははっと顔色を変え、イルドゥンの手を振り払うが否や通路側に飛びずさり、腰の剣に触れ身を撓めた。

「針の城からの追っ手……次は貴方という訳か」

 真剣な面持ちのアセルスは冷や汗を流しながら相手の対応を窺うが、イルドゥンはうんざりしたようにため息をついた。

「反応が遅すぎる……。針の城から逃げ出して少しは成長したかと思えばその体たらくか。今のお前なら先のやりとりで五回は死んでいる。それで白薔薇姫を守れるのか?」

「え……?」

 戸惑っているアセルスに、紅がおずおずと助け船を出す。

「アセルス様。イルドゥンは我々を狩りに来たのではありません。むしろその逆で、ラスタバン様の頼みで守って下さるそうなのです」

「今となっては面倒な話だがな。ラスタバンから話を聞いた時は少しは面白くなるかと思ったが……」

 不満げにアセルスを眺めまわし、イルドゥンは口元を歪めた。

「つまらん。俺は寝る」

 目を閉じ、それきり黙り込むイルドゥン。紅はそっと近づき様子を窺うと、少し驚いたように報告を返した。

「寝てます」

「何しに来たんだろう……」

 茫然と呟くアセルスは呆れた表情でイルドゥンを見つめる。白薔薇姫はおかしそうにくすりと声を漏らした。

「頼もしいではありませんか? 態度や言葉がどうであれ、一応は協力してくれるらしいのでしょう?」

「でも……許せないよ」

 躊躇いがちにアセルスは言った。

「キャンベルさんのこと……。たとえもう助からなかったのだとしても、あの態度には納得出来ない」

 不貞腐れたように口を尖らせ、窓の外に顔を背けるアセルス。気まずい雰囲気に白薔薇と紅は顔を見合わせ、静かにため息をついた。

 

 

 

 

 傷ついた少年のような眼差しで窓の景色を眺めるアセルスの様子を窺いながら、紅はそっと考える。

 だけど、と思う。アセルスはあの現場を実際に目にしてはいない。あまりにも冷たく残酷なイルドゥンの言葉、そして……“貴方は変わらないのですね”そう囁いたキャンベルの表情をアセルスは知らない。以前と変わらぬ男の態度を前にしてため息を零した女のあの顔を満ち足りたものと評することは簡単かもしれなかったが、紅にはやはり完全には理解できないでいた。

 自分ならばどうしただろう。無様だ惨めだと罵られたのなら涙もするだろうし、事実、紅もまたイルドゥンの言葉に憤りを覚えないでもない。だが、もし……もしも紅の想い人が──妖魔の王オルロワージュが紅に死を告げその剣を振り下ろすというのなら、その結末は甘美とは言えないだろうか? 絶対者に下された裁定を受け入れ、愛しい主の定めた末路のままに散っていけるというのなら、こうして迷いを抱えたままうじうじと生きながらえているよりもずっと妖魔らしい生き方なのではないだろうか?

 胸にこみ上げた感情のまま、戸惑いに紅は唇に指を寄せる。

 私はどうしたら良いのですか、アセルス様……?

 助けを求めるようにそっとアセルスに目を向けると、現在の主は拗ねているのを咎められたようにでも感じたのか、恥ずかしそうに口を開いた。

「それにしてもさ、随分とレトロな星間船(リージョンシップ)だね、今回は」

 革張りの座席を撫でながらアセルスは興味深そうに内部を見回した。これまでに乗ったキグナスやスクイードとは異なり、内部は木目で統一され、瓦斯洋灯(ガスランプ)の柔らかな光に照らされたその場所は、星間船というよりは汽車と呼んだ方がよほど相応しいように見えた。

「ええ。この船は──いいえ、この鉄道は特別なのです。これは一年に一本だけ、99番ホームから午前0時に発車する汽車。短い距離を往復するのではなく、メガロポリスからアンドロメダの終着駅まで、長い距離を旅するためのこれは銀河鉄道と呼ばれています」

「銀河鉄道……。おとぎ話だと思っていたけど……」

「今回は次の目的地も決まらないままにマンハッタンから逃げ出さなくてはなりませんでしたから……なるべく多くの星へ行けるように、と。アセルス様の希望に沿う場所があれば良いのですが」

「そっか……。ありがとう、白薔薇。……でも、そんな特別な鉄道、料金は大丈夫だったの?」

「ああ、それは大丈夫です」

 ほら、と言って白薔薇姫が取り出したのは小さなパスだった。

「これは銀河鉄道の無期限パス。これがあればいつでも乗ることができます」

「よくわからないけど、すごいね……。こんなものをどこで?」

「以前、いろいろあったもので……」

 語尾を濁した白薔薇をことさらに問い詰める真似はせず、ふうん、とアセルスは素直にうなずいた。アセルスは疑問に思わないのだろうか? 白薔薇姫には不審な点が多すぎる。旅に出てからというもの、この女は得体のしれないところばかりを見せる。クーロンでの一件以来、紅は白薔薇を信じられないでいる。針の城にいた頃、白薔薇姫はけしてそんな素振りを見せなかった。ファシナトゥールで最も優しいと評された妖魔。下級妖魔や人間にさえも慈悲深く、根の町の住人の多くに愛されていると聞いた。おかしいと思うべきだったのかもしれない。妖魔が──誇りと美貌と恐怖とを誇るべき生き物が“優しさ”を謳われるなど不似合いに過ぎるというのに。

 白薔薇染ととりとめのない会話に耽るアセルスを見て、紅は静かな孤独を感じて目を背けた。

窓の外には、どこまでも無情に輝く星の海があてもなく広がっている……。

 

 

 

 

『宇宙には、ところどころ理由もなしにとても寂しい場所がある。旅人はそこを通るとき申し合わせたようにブラインドをおろし、外を見ないようにするという』

 

 

「この辺りはなんだか寂しい感じのする所だね」

 窓の外を眺めていたアセルスがぽつりと言うと、白薔薇姫は少しだけ驚いたように答えた。

「アセルス様……ブラインドをおろさずに外をみているのですか?」

「何か危ないことでもあるの?」

「いいえ……。でもここを通るとき大抵の人は窓をふさぐのです」

「どうして?」

「ここはとても寂しい場所だから……。誰かに教えられることがなくとも、この場所を目にした者はみな、はっと息を飲んで目を閉じ、静かな祈りを捧げる……そんな場所だからです」

「そう……。ま、私って結構がさつな所があるからね。だからかも」

「感傷に溺れ過ぎないというのは一つの長所ですわ。元気が良くて……そう、旅人にとって、タフであるということはとても重要なこと」

「そうかな……。私はとにかく、居場所を見つけるためにどんな所でもきちんと目にしておかなけりゃと思っているだけだけど……」

「素晴らしい心がけですわ」

 まっすぐな言葉で褒められ、アセルスは少しだけ恥ずかしそうに身を捩る。と、その拍子にアセルスは見知らぬ乗客に気づいて「あれ?」と声を上げた。いつの間にかに乗客が一人増えている。マンハッタンからここまで、新たな乗客が乗り入れるような駅など通り過ぎてはいない。呑気な会話をしていたとはいえ、一応は追われる身のアセルスだ。乗り合わせた乗客は逐一把握する癖はつけている。だというのに、その乗客──膝の上に猫を抱いた痩せぎすの女性はいつの間にか忽然と現れたのだった。警戒心も露わに女性を観察するアセルスだったが、女性はこちらを襲う気配などは微塵もみせず、ただただ穏やかな目をして膝を抱いている。女性の髪は長く腰まで伸び、色褪せてはいたものの清潔さを保っている。

 とても優しそうな人だ。そう思ったが口には出さずアセルスが遠めに眺めていると、女ではなく猫がこちらに気づいて「みい」と鳴いた。虎嶋の小さな猫だ。女は猫の声に顔を上げこちらに気づいたが、小さな会釈を返しただけでそれ以上の興味は示さなかった。

「白薔薇はペットを飼ったことってある?」

「ありますよ。アセルス様は?」

「私は無いよ。猫は好きだけど」

「飼おうとは考えなかった?」

「うーん。どうだろう。飼いたいとは思ったのかな……。でも、なんだか贅沢を言うようで叔母さんには言えなかったし……生き物を買うのに、ただちょっと飼ってみたいからといって気軽に始めるのも無責任なような気がしたのかな。……多分、自信が無かったんだと思う。猫を飼うってことに対して」

 女性は猫の話を耳にして顔を上げるが、やはり大した関心もないようでアセルス達に視線を留めることはなく、どちらかといえば静かに眠りこけているイルドゥンに時折ちらちらと目をやっているようだった。

がたり、と音を立てて扉が開き、現れた小太りの車掌が次に到着する駅の名を告げた。

「えー次の停車駅は『ミーくんの命の館』。停車時間は三十八時間と十五秒」

「ミーくんの命の館」アセルスは感心とも呆れともつかないため息をついた。「変わった名前の(リージョン)だな……」

 その星は琥珀色をしていた。暗い宇宙の海に温かい色に光ってひっそりと浮かんでいる。心の休まるかわいらしい星だが、しかし紅の目にはなぜだろう、とても寂しい星にも見えるのだった。

 汽車は張り裂けんばかりに鼓動していた心臓を止めるようにして全ての動きを止め、音もなくその星へと落ちていく。眠れる我が子を起こさぬよう息を殺す母のように。汽笛を鳴らすことも煙突から蒸気を吐き出すこともせず、ただ無音でその星──『ミーくんの命の館』へと到着する。

「イルドゥン様はどうしますか? まだ寝ていますが」

「うーん」アセルスは少し考える。「置いていこうか」

「良いのですか?」

「イルドゥンがいると話がすぐ殺伐とするし……起きたら追ってくるんじゃない? たぶん」

「はあ……」

 星間船発着場は花園に囲まれていた。小菊や百日草、そしてカーネーション。アイリスにリンドウ、グラジオラス。遠く地平の果てまでも色とりどりの花々が見事に咲き誇り、蝶や蜜蜂が飛んでいる。

「きれいなところだね!」

 嬉しそうに深呼吸して、アセルスは濃密な花の匂いを好きなだけ嗅いだ。振り返ると、駅は原色の積み木を組み合わせたシンプルな造りをしており、まるで童話に登場するオモチャの城のようだった。平和的な光景に和んでいると、アセルス達の後ろから先ほどの女性が猫を抱いて出てくる。

「さ、降りましょうね、おチビさん」

 そう言って胸元に抱いた猫を撫でると、猫は体を震わせながら「みい」と鳴く。

「怖がらなくてもいいのよ。ここはそういうところなのだから」

「みい、みい」

「わかってるわ。ご主人と別れたのが悲しいのね」

 そう言うと、女性は目を閉じて猫の背中にそっと鼻を押し付けた。その瞼から一筋の涙が流れ落ちるのを見て、アセルスは驚いて目を見開いた。

「あの人、泣いてるよ」

 自らが口にした言葉に自分で動揺しながら、アセルスはしかし自分にはずうずうしく他人の事情に踏み込む権利などはないのだと考えたのか小さく頭を振って歩き出した。

「この星はいいところだ」

自身に言い聞かせるようにしてアセルスは言う。

「いいニオイだし、熱からず寒からず……気持ちのいい場所だ」

「ここは宇宙で一番気持ちが良くて住みやすい所と言われている星ですから」

 アセルスと白薔薇の後を無言でついていきながら紅は静かに考える。しかし……。それにしては人の姿が見えないのはどういうことなのだろう。この星が住みよい場所だというのなら──ここが楽園だというのなら多くの観光客や旅人が訪れて当たり前なのではないだろうか。だというのに駅から足を踏み出してからというもの目にするものと言えば無数花々に蝶や蜂、そして豊かに実る果物と──そして獣たちだけだ。

 紅の視線の先で、小さな黒猫が足で耳の裏を蹴りつけている。こちらに気が付くと黒猫はじっと観察するように睨みつけ、「のおう」と鳴き声をあげた。猫だけではない。犬や鳥、兎に蜥蜴。よくよく目を凝らせば遠くの方にダチョウさえ見える。

「うじゃうじゃいるね。ここではみんな放し飼いにしているのかな。餌やトイレなんかはどうしているんだろ?」

 訝るアセルスは慣れた様子で近づいてくる猫をいちいち撫でるたびに立ち止まる。そのために一行の足取りは遅々として進まず、車掌に紹介されたホテルに辿り着くころには既に日が暮れかけていた。

「これはまた積み木みたいなお子様ムードのホテル……」

 ホテルを見上げてアセルスは呟く。まるさんかくしかく……と、確かに子供が戯れに組み合わせて作ったような簡素でしかし暖かな構造のホテルが花畑の真ん中にぽつりと佇んでいる。

「子供の頃の子供部屋を思い出しますね」白薔薇姫が優しい目をして言った。「そうではありませんか、アセルス様?」

 壁紙にはチューリップが描かれ、床にはケガをしないようウレタンが敷き詰められていて逆に歩きづらい。所どころに白い汚れが見えるのは何かのシールを剥がした跡だろうか。

「うーん……。まぁ、そうだね。流石にこんな部屋ではなかったけど……。でも、なんだか懐かしい感じはする。あの頃は……」

「……」

「叔母さん、元気にしているかな……。たった一人で体を壊したりしていないといいけど……」

 暗い顔をしてアセルスは俯く。

「ごめんなさい、アセルス様。シュライクでのことを忘れて、無神経なことを言ってしまいました」

「そんな! 気にしないでよ。全然平気! あの頃は確かに平和な毎日を過ごしていたけど……でも、どこか窮屈で息苦しかった。同級生の子たちと比べて、どうして私は違うんだろうっていつも思ってた」

「……他人の暮らしが羨ましいと感じたことは?」

「どうかな。少しは……あったかもね。そういう気持ちが。私には未来がある、無限の可能性がある筈だとそう思いながら……本当にそうか? そんなものは誰にも平等に無いんじゃないかと……そんな風に思ってもいた。でも、今は違う。少なくとも私は、私自身の意志で自分の生き方を選んでいる。だから、これでいいんだ」

 そうですか、と言って白薔薇姫は随分と楽しそうに微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 でかい。

 まず脳裏に浮かんだのはそれだった。

 猫である。猫であるが、やたらとでかい。背は優にアセルスの二倍を超えている。猫といえばこれはもう問答無用で可愛いものだと相場は決まっているが、しかし目の前のこれはどうだろう。猫と言えば猫なのかもしれない。しかしあまりにも大きすぎ、大きすぎるが故に猫というよりもただ肉食動物という側面ばかりが見えてくるような気がする。ぎらぎらと涎に濡れた牙はアセルスの頭程度ならばいとも容易くかみ砕けそうだ。

「う、わ……」

 ホテルにはルームサービスが存在しておらず、仕方なく白薔薇姫たちを残して飲み物を探しに出かけたアセルスの目の前に現れたのは、廊下を塞ぐほど巨大な猫だった。

「にゃお」

 猫が鳴いた。猫なのだからそれはにゃおと鳴くだろう。しかしその声はあまりにも野太いがため、ぎゃお、とか、がお、と聞こえないこともない。猫は猫だ。しかし存在感たっぷりに迫りくるそれはもはや怪物だった。

「にゃあーお」

 猫が鳴いた。可愛い。アセルスはごくりとつばを飲み込む。確かに可愛い。だが出来ることならば1/20くらいの大きさであってほしかったと切実に思う。目の前で猫は小首を傾げ、目を輝かせて飛び掛かってくる。ひええ。慌てて踵を返し飛びのくと、猫は夢中になってアセルスを追いかけだした。

「なんだ、このホテルは!」

 毒づきながら全速力で駆け出す。だが脅威はそれだけではない。廊下の角を曲がるや否や次に出くわしたのは巨大な蛇だ。細長い舌をしゅるしゅると出し入れしながら巨体をくねらせている。こちらを警戒しているようには見えなかった。背後の猫もそうだが、どちらかといえばヒトに慣れているようには見える。こちらに近づいてくるのも襲うためではなく、どちらかといえばじゃれているに過ぎないのだろう。だからといって丸太のようなネコパンチを食らう気にはなれないが。

逃げた。そうするより他にはなかった。戦うという選択肢が無いでもなかったが、さすがに猫を切り殺すのは後味が悪そうだ。唸りを上げて飛びかう爪をかろうじて避け、蛇の鱗すれすれに身を撓めてなんとかかいくぐり、命からがらアセルスは自室へと戻る。

「はぁ……」

 急いで閉めたドアに背中を預けてアセルスは膝から崩れ落ちる。

「どうしたのですか、アセルス様?」

 白薔薇姫が不思議そうにこちらを眺めている。

「いや、それが……」

 言いかけて、アセルスは口を噤む。自分の目にしたものを上手く説明できる気がしなかった。

「自販機が見つからなかったのなら、私がホテルの外で買ってきますわ」

 扉のノブに手をかけた白薔薇姫を慌てて制止する。

「いや、いい、いい! 喉が渇いたような気がしつつも全然そんなことも無かったから、とりあえず大丈夫!」

「ええ……? はい……」

 よくわからないといった表情で不審そうに頷く白薔薇姫。

 なんなんだ、このホテルは。胸の内でアセルスは叫ぶ。どう見ても平和そうで穏やかなところだと思っていたのに。何かが変だ。その思いは夜になるとなおさら深まることになった。

 外へと出てたがる白薔薇姫たちを何とかいいくるめ、アセルス達は一歩も外へ出ることなく夜を迎えた。ベッドの中で寝ようとして寝付けず悶々としていると、どこからか動物たちの鳴き声が響いてくる。惑星『ミーくんの命の館』の夜は動物たちの鳴き声で満ち溢れていた。楽しそうな声ではなかったし、かといって怖ろしい声という訳でもなかった。それはとても悲しそうな声ばかりでアセルスの胸はひどく痛んだ。

 ……いつ眠り込んでしまったのだろう。気が付けば時計の針は随分と進んでおり、深夜三時を示している。いつの間にか動物たちの鳴き声も聞こえなくなっており、はて問題はいつの間にかに解決したのかしらんと体を起こして辺りを見回せば、なんということだろう、白薔薇姫がいない。

「白薔薇!」

 急激な焦りと恐怖に冷や汗が湧いた。まさか追手が……。いや、そんな馬鹿な。よくよく見回せば紅もいないではないか。どういうことなのだろう。敵の襲撃にしてはこの自分が無事なままでいるのがどうにも不可解だ。

なんという失態だろう。彼女たちは自分が守らなくてはならないのに。自らのふがいなさに歯噛みしつつ、アセルスは跳び起きて窓から外を眺めた。なんのことはない、白薔薇姫は素知らぬ顔をして平和そうに歩いている。が、彼女の背後を見て緊張は更に高まった。白薔薇姫の背後から巨大な動物たちがうじゃうじゃ近づいてくるのが見える。白薔薇が危ない。

迷うことなく飛び出した。間に合うだろうか。逸る心を懸命に落ち着かせ、剣を抜きながらエントランスを駆け抜ける。

「白薔薇! こっちへ!」

 叫びながら白薔薇姫の手を掴み背後へと庇った。

「アセルス様……?」

 戸惑いの声をあげる白薔薇姫には構わず、アセルスは剣を振り上げる。猫……のようなものを傷つけたくはなかったが、仕方がない。覚悟を決めて剣を振り下ろした。しかし──、

「この子たちを虐めないで!」

 鋭い声と共に割って入った女性を見て、アセルスはぴたりと動きを止めた。

「あなたは、駅で猫を抱いて泣いていた……」

 名も知らぬあの女性が、なぜか動物たちを庇って立ちはだかっている。

「大丈夫ですよ、アセルス様。ここの動物たちは何もしません」

「えっ?」

「みんな人間のお友達……優しいペットなのです」

「ペット……? でも飼い主も見えないし、夜中に騒いで迷惑じゃ……?」

 戸惑いに混乱していると、女性は申し訳なさそうに目を伏せた。

「この子たちは別れてきたご主人たちを思い出して泣いているだけ。許してあげて」

「別れてきた?」

 話が見えないアセルスはぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「そう……。ここの動物たちはみなご主人と死に別れてきたものばかり……。ここの動物たちを飼っていた人たちはここが動物の魂の住む所だと信じているわ。ともに暮らして……そして死んだ動物たちが永遠に幸せに暮らしてる星だと。……私が死んだとき、ご主人は人前では平気な顔をしていたけど……、独りになるといつも私のことを思い出してくれた。私のお墓の前で、表情は何一つ変えないまま……だけどずっとずっと長い間、気の遠くなるほどの時間お墓の前で俯いていた……。私はとても嬉しかった……」

「死んだ……? 貴女が?」

「それ以来、私はご主人と死に別れてくる動物たちを出迎えて列車でここへ連れてきてあげる役を引き受けたの」

 澄んだ目をして女性は言った。

「貴方は……一体だれ?」

「私? 私はミーくん」

「ミーくん!?」

「メスだけど、男のように気が据わっているから、ここではミーくんと呼ばれているわ」

「はあ……」

「飼っていた犬や猫が……動物たちが死んだあと……。特に子供のご主人は死んだ動物たちがここで幸せに暮らしていると思って星空を見上げて安心してくれるの……。私はね、いつまでもこの星とそういうご主人たちのあいだを往復して動物たちを連れてきてあげるの。この星はそういう人たちのためにあるのよ」

 そうか、とアセルスは思った。銀河鉄道が音を立てずに星へ着陸するのは動物たちを驚かさないためだったのかと。

「だけど……貴女はどうして人の姿をしているの?」

 不思議に思って尋ねると、ミーくんはこともなげに答えた。

「何故って、私は人間だから」

「人間? だけど、貴女は……」

「何もおかしなことはないでしょう。そう……誰かに飼われていた人間だって、ペットには違いないわ。私のご主人さまはさる高貴な妖魔だった」

「そんな……」

 アセルスは一瞬言葉を失い、それから憤然と語気を荒らげた。

「人間を飼うだなんて!」

「……どうして?」

 ミーくんは本当に不思議そうな顔をしていた。なぜアセルスが怒るのかがわからない、そんな顔をしている。

「なぜ、妖魔が人間を飼ってはいけないの? なぜ、人間が妖魔に飼われてはいけないの? 人は猫を飼うのに?」

「それは……」

ミーくんは空を見上げ、遠い目をして言った。

「私はご主人様のことが好きだった……。言葉にすることはなかったけれど、自分の生き方には満足していた。後悔はないわ……」

「そう、ですか……」

 躊躇いがちにアセルスは答えた。納得はしがたい話ではあったが、しかし本人がそれで良いと言っている以上、部外者が異論を唱えても仕方がない。アセルスは巨大な猫の頭を撫でた。「驚かせてごめんね」と言うと、猫はやはり野太い声で「にゃっ」と短く鳴いた。

「混乱させてしまってごめんなさい。でも、私たちのことはそっとしておいてほしいの。けして貴女たちに迷惑はかけないから」

 そう言うとミーくんは動物たちを先導して何処かへと立ち去っていった。アセルスはただ、そのどこか寂しい後ろ姿を見守ることしかできなかった。

「ねぇ、白薔薇」

 ぽつりとアセルスは言う。

「はい。アセルス様」

「どうして……人はペットを飼うのかな?」

 特に問いを求めてというわけでもなく、半ば独り言のように囁かれたその言葉に、白薔薇姫は黙って耳を傾ける。

「むかし……ヌサカーンという妖魔に言われたよ。妖魔は自分のことを覚えていてほしいから人を愛するのかもしれない、と……。不思議だね……。ミーくんを飼っていた妖魔はいまどこで何をしているんだろう……」

「はい……」

「どうして、人間は、妖魔はペットを飼うんだろう。やっぱり私にはわからない。どうして……自分よりも寿命の短いものを飼って、『愛玩』するんだろう……。必ず自分よりも先に死んでしまうのに」

「それは……仕方のないことではありませんか? 自分よりも長生きするものを飼ってしまったら、自分が死んだ後に世話をするものがいなくなってしまいますから」

「そうだけど……でも猫や犬なんて十年かそこらで死んでしまう。ペットを飼っている人たちはどうするんだろう。涙を流して、悲しんで……それからあとはどうするのかな? 次のペットを飼おうと思うのか、それとももう二度とこんな思いはしたくないと思うのか……」

 アセルスは小さな声で、絞り出すようにして言った。

「私は怖いよ……。知っている何かが人であれペットであれ、それがいつか死んでしまうのが。時が経って、何かが変わってしまって、そしていつか滅ぶ運命にあるのが、なんだかとても怖いことのような気がするんだ……」

 

 

 

 

 

 花畑の中を進むというのは、思っていたよりも心地よいものではなかった。自らの背丈よりも高い花々を押し分け掻き分け歩かねばならないのは存外に煩わしく、また息苦しいものだった。

 深夜、ホテルを抜け出した紅は独り歩いている。考え事がしたかった。そのためにはアセルス達がいるホテルからは離れねばならないような気がした。だが花畑の中を進んでいるうちに、なぜかむきになったように花々をへし折っている自分に気が付いて紅は途方に暮れた。

 花は、言葉を語りはしない。ただ花は美しくあり、紅を優しく取り巻いている。けれども花の檻に取り囲まれて見る光景は、とても狭く、つまらないものにも思えた。

 燃やしてしまおうか、と思う。あのふざけた子供趣味のするホテルも駅も、そしてこの平和なばかりで何の救いも与えてはくれないお花畑をも、この炎で焦げ付かせてしまえば、そうして後に残るのは何一つ残らない平原だけだ。地平までもが灰に満ちて、視線を遮るものは何一つないその光景は、果たして清々しいものだとは言えないだろうか。

 手を伸ばし、小さな焔を生み出しかけて、紅は躊躇う。しかしそんなことをすればアセルスは悲しむだろう。もとは人だったアセルスのためにも人は殺すべきではないし、平和や善を愛するアセルスのためにもこの星を燃やし尽くすべきではないのだろう、きっと。

 でも。

 だとしたら。

 自分はいったい、何を燃やせばいいのだろう……?

 紅はため息をついて、上げかけた手を力なく落とした。今夜の自分はひどく無力だ。何をする気にもなれない。何かができるとは思えないし、何を始める気にもなれない。

 こんな自分を──オルロワージュはどう思うだろうか。

 想像して、肩を震わせながら紅はぎゅっと目を閉じた。

 以前なら、そんなことをけして考えはしなかったのに。

 マンハッタンで死んでいったキャンベルのことを思い出した。『お前は醜い』と、冷たい目をして告げたイルドゥンの言葉。あの時、キャンベルはどうしてあんな表情を浮かべていたのだろうか……。

 どうして、時間などというものがあるのだろう。時の流れは全てを変えてしまう。時が経たなければ、こんな思いをすることなどなかった。オルロワージュが自らを蔑むことなど、かつての自分なら想像すらしなかった筈だのに。時は愛を濁らせてしまう。時は、想いの全てを色褪せさせてしまう。

「本当に……何もかも、燃え尽きてしまえばいいのに」

 小さな声で紅は言った。涙が自然とこぼれ出て頬を優しく伝っていった。

 自分もいつかはキャンベルのようになるのだろうかと紅は思う……。そうして死んでしまえば、それでいいのかと……。

 

「……こんばんは」

 

不意に聞こえたそんな声に、紅は驚いて身を竦ませた。慌てて涙を拭い辺りを見回すと、長い髪をした女性が立っている。星間船の駅で、猫を抱いていたあの女性だ。今は猫はおらず、その視線は紅の方を向いてはいなかった。話しかけられたのが自分ではないと気づいて、紅は泣き顔を羞じてそっと息をひそめ、身を隠した。

「私の名はミーくん。あなたのような高貴なお方が、どうしてこんな星へ?」

 問われた側は質問には答えず、短く鋭い言葉を返した。

「ミーくん……。それが、お前の名か?」

 声の主がイルドゥンであることに気づいて、紅は少しだけ驚く。やはり駅からアセルスたちを追ってきたのだろうか。

「ええ。今はここで、ご主人を失くした動物たちの世話をしているの」

「そうか。俺の知ったことではないな」

 ミーくんは静かに笑い声をもらす。

「確かに、そうでしょうね。貴方には」

「何が言いたい?」

「いいえ。別に、何も」

「気に食わんな。その思わせぶりな態度」

「ごめんなさい……別にそんなつもりは」

「……」

「……こんなところで何をしてらしたの?」

 なぜそんなことを答えねばならないのか、とイルドゥンは答えるのだろうと紅は思った。だがイルドゥンの返答は違った。

「時の流れのことを考えていた」

「時の流れ?」

「かつて、妖魔の王オルロワージュは時の流れの中で何かが変わりゆくことを寂しいと言った。俺にはその言葉の意味がわからない。あれから何千年も経つが未だに分からないでいる」

「そう……」

「飴鐘、という妖魔がいた。根の町で小さな仕立て屋をしていた。飴鐘はファシナトゥールを離れ、どこかへ行ったようだった。どうでも良かった。たとえどこへ行こうとも、飴鐘がやりたいことをしているのなら構うまいと。だが──それは違った。再開した飴鐘は見るも無残なほど醜くなっていた。俺は飴鐘を殺した」

「……それで? そんな貴方は、自らの行為をどう思っているのですか」

「さあな」イルドゥンはぶっきらぼうに答えた。「どうでも良い。大した感慨も無い。……いいや、違うな。ただうんざりしている。孤独を感じることも、寂しいと思うこともない。だが……俺はうんざりしている。何故、妖魔ならば自らを愛さないのかと」

「気に病んでいるのね。その飴鐘という方のことを」

「気に病む? いいや、違う。俺は何も失ってなどいないのだから」

 ミーくんはゆっくりと息を吸い、それから穏やかな調子で口を開いた。

「……何も失っていないと思うのは、それは貴方が何も手に入れていないからではないの?」

「……なんだと?」

「貴方にあるのは『自分』というそれだけで……それ以外の何物をも持ち合わせてはいないから……だから、何が起きても何も失わない、それだけなのではないの?」

「相変わらずお前の言い方は気に食わないことばかりだ」

 顔を顰めたイルドゥンに、ミーくんは笑う。

「変わらないかしら、私は?」

「……ああ。何一つとしてな」

「そう……」

 嬉しそうにため息をついて、ミーくんはイルドゥンの隣に腰を下ろした。

「ねぇ、貴方はどうしてこの星へ来たの?」

「理由などない。ただの成り行きだ」

「そう……。ここは死んだペットたちが訪れる星。とても優しくて、けれどとても悲しい星……。この星には、貴方の考え事を邪魔したりするものは誰もいないわ」

「ペットの魂の星、か……。理解できんな。他者に飼われることを良しとする気持ちなど、何一つとしてわからん」

 そういうと、イルドゥンはまっすぐにミーくんを見つめた。

「お前はペットだったのか? お前は……飼われているつもりでいたのか?」

「……」

「わからん……。俺にはまったくわからん……」

「ごめんなさい……。私、貴方を傷つけてしまったかしら」

「俺は傷ついてなどいない。お前の弁に従うのなら、俺は何も手に入れてはいないのだから。所有してなどはいなかった」

「そう……ごめんなさい。私のご主人さまは、私を対等に扱ってくれた。“彼”が望んでいるものは、彼の後ろに傅くものではなく、彼の隣に立って共に歩むものだということをわかってはいたけど……でも、私にはできなかった」

「知ったことか。本当に……」

 そう言い残すと、イルドゥンはその場を立ち去って行った。「またいらして」そう言ってミーくんは後ろ姿に手を振る。イルドゥンは一度だけ振り向いて目を細めたが、特に何か言うことはなかった。

 

 一部始終の会話を図らずも盗み聞きしてしまった紅は胸を押さえ、懸命に息を殺していた。潜んでいるのを知られたくないからではなかった。ただ彼らの会話を邪魔してはいけないと、そう思ったのだった。

 かつて彼と彼女との間にあった物語を紅は知らない。全ては朧げな想像に拠るものでしかない。しかし……。

 紅は空を見上げ、星を眺めた。

 犬や猫と死に別れたことのある旅人は時々ミーくんの命の館に巡り合うことがあるという。しかしその星が何処にあったか、正確に答えられるものはいない。それは人の心の中にある星だから、という人もいる。

 ペットを失った悲しみに涙を流す人は、夜空に浮かぶ星々を見つめる。そうして、『ああ、あの星のどれかにあの子がいる。自分の愛したあの子が、あの星の中にきっといる』と思うのかもしれない。その星の名をミーくんの命の館と我々は呼ぶ。

 もし魂というものが永遠なら、ミーくんの命の館がそれを証明してくれるというのなら、いつか自分が滅んでもこの心が愛するひとの元へ届けばいい。大切なひとに寄り添い守護することができるなら、それ以上の喜びは無い。

 そう考えたとき、いつしか紅の口元には小さな微笑みが浮かんでいる。その微笑みを、紅は最後まで誰にも見せることは無かった。それは誰にも知られてはならない微笑だった。

 

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