サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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第二十三幕 別離

 妖魔は涙を流さない。下級・中級といった妖魔ならばもしかしたら涙を流すこともあるかもしれないが、それは奴らが妖魔として不完全な存在だからだろう、とイルドゥンは考えている。だって当たり前のことだろう。涙を流したところで何も変わりはしないのだ。そんな行為に何の意味がある。

「……何をしている」

 妖魔イルドゥンはむろん涙を流さない。悲しみを覚えることもないし弱音を吐くことも己の悲運を嘆くこともしない。必要がないからだ。妖魔だからそれはごくごく自然なこと。あまり深く考えたことは無いがきっと生まれたときからイルドゥンはそうして暮らしていたし、その意味を考える必要性も取り立ててありはしなかった。……けれど、ファシナトゥールという妖魔社会で生きるようになって、イルドゥンは少しだけ不思議に思うようになった。

「……そんなところで何をしているのかと聞いているんだ」

 妖魔、と一口に言いはしても性格や好みは様々で、炎妖がいれば水妖がいて血を吸う妖魔がいれば植物を操る妖魔もいる。頑固と言って差し支えないようなイルドゥンにもそれくらいのことは納得できる。全員が全員、同じように考え同じような言葉を吐いて同じような性格をしていたら、それは気持ちが悪いだろう。だから薔薇を愛でる姫がいて剣を愛する姫がいて、服を仕立てる妖魔がいれば時を患う妖魔がいる。それはわかる。だが、しかし──。

「おい。聞こえているだろう。白薔薇姫はどこへ行った」

 悲しみに涙を流すそのワケが、しかしイルドゥンにはわからない。だって妖魔だ。人間とは違う。誇り高く生き誇り高く死ぬ、そういう種族のはずだ。惨めったらしく涙なぞ流して、自分は駄目な存在で、だから助けて欲しいのですと全身で主張しているような奴ばらめの気持ちは本当にまったく理解できない。そんなことをしても何にもならないことは知っているだろうに。そんなことをしている暇があるのなら戦えばいい。たったそれだけのことではないか。これほど簡単なこの世の摂理がなぜ理解できないのだろう。

「何とか言え。言わねば話が進まん」

 飴鐘は泣いていた。どうして泣いていたのだろう。ずっと考えている。ずっと考えてはいるが、わかりたくは無いような気もする。そんなことをするくらいなら自惚れていれば良かった。たとえ姿が蜘蛛だろうと本人が美しいと思えばそれは美しいのだ。それだけのことだった筈だ。それなのに、飴鐘はファシナトゥールから逃げ出して機械化手術を受け、シンディ・キャンベルと名乗る自らを恥じていた。理解できない。イルドゥンには何もわからない。だってそうだろう。根の町であの小さな仕立て屋を続けていたら良かった。服を仕立てることに関して、飴鐘はことさら強い自負を持っていた。美しい妖魔を更に美しい装いで飾り立てるという芸術を誇りにしていた。どんな上級妖魔にもできない、私が作る私だけの服こそがこの世で最も素敵な衣装なのだと、誰に語るでもなくその瞳で言っていた。

 美しい女だった。

「……いい加減にしろ」

 イルドゥンは空を見上げる。雨が降っている。傘をさす習慣などはないので当然雨ざらしだが、風邪をひいたりはしないのでたいして困りもしない。陰鬱とした曇り空。少しだけ昔のことを思い出した。妖魔の君オルロワージュと交わした言葉。寂しい、と奴は言った。時の流れを憂いていた。忌々しい零姫の話によれば、オルロワージュは永遠を求めているのだという。永遠。いつまでもずっと変わることのないもの。どれだけの時が経とうともけして失われることのないもの。オルロワージュの言ったことは、つまりこういうことだったのだろうか。どれだけ強靭な心であろうと、時が経てばいつかは褪せる。美しく誇り高い精神を備えた筈の妖魔は、しかし時がたてば邪妖へと堕ちていく。それが妖魔の定めだ。何百年、何千年と膨大な時間がかかろうと、その摂理から逃れられるものはいない。

 妖魔は涙を流さない。だが全ての妖魔は、いつか妖魔でなくなっていく。嗚咽を漏らし、涙を零して、いつか慈悲を乞うようになる。

 それがこの星間世界における運命だというのなら──。

 得体のしれない徒労感にうんざりしながら、イルドゥンは低く冷たい声で言った。

 

「立て、アセルス」

 

 雨はなおも降り続け、身に纏った外套ごとイルドゥンをしとどに打ち据える。目の前で項垂れているアセルスもまた濡れ鼠だ。濡れて額に張り付いた前髪からぽたぽたとしずくを垂らしたまま、微動だにしない。力なく尻を落とし、アセルスはこちらを見ようともせずにしゃくりあげている。……本当に、この半妖は、何をしているのだろうか。初めて出会ったとき、黒騎士であるこの自分を殴りつけてきた度胸はどこへ行った。どれだけの責め苦を受けようともくじけることなく、強い光をその目に宿して戦い続けていたあの獣のような女はどこへ行ったのだ。

 苛立ちは、却ってゆっくりとした動作でイルドゥンにアセルスの胸倉を掴ませた。

「何も言わねばわからない。何か言え」

 苦し気にアセルスは呻いた。常時なら、こんな時すぐさま罵倒の言葉が飛んできたものだったが、アセルスはなおも視線を反らしたままぶつぶつと弱々しい声で囁き声を返すだけだ。馴れ馴れしく触るなと叫ぶことも、手を払いのけて睨みつけることもしない。

「迷宮……オルロワージュが…………白薔薇は……」

震え声で覚束ない説明。もっとはっきり言え、と怒鳴りつけようかと思ったが、心のどこかが冷めていてそうすることはなかった。

 アセルスの言わんとしていることはなんとなくわかる。闇の迷宮。話には聞いたことがあるあの牢獄に飛ばされたのだろう。ヨークランドの平原からどこへ消えたのかと思ったが、要するに白薔薇姫が迷宮に残りアセルスだけが脱出してきたということなのだろう。

 だが、

 それが何だと言うのだ。

「そうか。闇の迷宮に辿り着く方法を俺は知らん。とすれば、やはりオルロワージュを滅ぼす以外に方法は無いな」

 イルドゥンは言った。アセルスは答えない。なんだ? 知恵が足りないのは半妖の猿だから仕方のないことだが、答えが見つかったのなら少しは嬉しそうにするべきではないか。仕様のない馬鹿だ。もう少しわかりやすく言ってやるか。

「立て、アセルス。ファシナトゥールへ行くぞ。オルロワージュを殺して白薔薇姫を取り戻す。まずは星間船発着場を目指すか」

 イルドゥンは言った。アセルスは答えない。寝ているのか? どうもそういうわけではないようだ。掴んでいた胸倉を離すとそのまま膝を落として倒れる。馬鹿なのか? 手を引っ張るがそれでも立ち上がろうとはしない。

「……おい」

「……い……や……」

 返答は短く、そして朧気だった。なぜ嫌なのか、そんなことさえろくに説明しようとせず、愚かな子供の如く言葉足らずに首を振って顔を歪めている。まるで──自分で考えたその表現にイルドゥンは更にうんざりして顔を顰めた──無力な人間の少女のようではないか。

 それは違う。少なくとも人間ではない。半妖とはいえ仮にも妖魔の君の血を享けた女。ちっぽけな人間の女とはどこか違う──そんな女だった筈だ。いつもの減らず口はどうした。俺を責めないのか。確かに考えてみれば『白薔薇と紅をよろしく』とお前は言った。俺は紅を守らなかった。その点に関していえば責があるのかもしれん。俺はただお前が勝っていれば良かったのだと思うし謝る気も無いが、だが、まぁ、そうだな。責めたいのなら好きにしろ。俺は知らん。

「アセルス」

 呼びかけて、しかしアセルスは顔をあげない。唇を震わせながら大粒の涙を零して背筋を震わせている。イルドゥンは苛立ち交じりに舌打ちをする。

「立て。立って戦え。奪われたのなら奪い返せ。たったそれだけのことだろう」

 一瞬、何を言われたのかわからないようにアセルスはきょとんとしていた。それからおずおずとこちらを見つめ、それから何かを誤魔化すように薄ら笑いを浮かべる。

 無理だよ。アセルスは言った。戦う理由がない。

「……どういう意味だ。紅は死に、白薔薇姫は囚われの身。この状況に置いて、理由が無いなどという理屈があり得るのか。お前はお前らしく生きることのできる場所を求めて旅に出たはず。やりたいことをやり、想うがままに生きる──その生き方は、しかし正しい。だが、今やその望みは絶たれ、お前の所有物である寵姫たちは失われた。戦う以外に何があるというんだ?」

「……白薔薇は」ようやく、アセルスは意味のある返答を返し始めた。「私を待ってなんかいないよ」

「なに?」

「針の城へと帰る、彼女はそう言っていた。それから……」

 アセルスはぐっと唇を噛みしめる。

「……とにかく、白薔薇は私のことを待ってなんかいない。だから、意味がないんだ」

 何を言っているんだこいつは、とイルドゥンは思った。

「白薔薇姫がどう思うかなど、この期に及んでは問題ではない」

「…………?」

「重要なのはお前がどうしたいかだ。アセルス。欲しいものがあるのなら戦って奪えばいい。それ以上でもそれ以下でもありはしない。白薔薇姫の感情など塵にも等しい。ただお前が望むもののために戦え。……立て、アセルス! 何度も言わせるな!」

 とうとう声を荒げたが、アセルスは力なく打ちひしがれたまま再び項垂れた。

「貴方に……何がわかるっていうんだよ……。何もわからないくせに……。貴方はただ、妖魔にとって正しいことを何も考えずに口にするばかりじゃないか……」

「正しいからではない。そうするべきだと知っているだけだ」

「できないよ」

「何故だ」

「……どうしてわからないんだよ。やりたくない、そんなことをしても意味がないって言ってるんだ!」

 アセルスが叫ぶ。ようやく調子が戻ってきたか──そう思ったが、すぐにその考えを捨てた。目を見ればわかる。これはただの癇癪、ヒステリーだ。思い通りにならない現実に、子供がただをこねているのと同じだ。

「白薔薇は私を求めてなんかいなかった。私はずっと騙されていたんだ。彼女は私が苦しみ続ければいいと言った。私が悲劇を迎えることが楽しみだと言っていた。だったら──もうどうすることもできないじゃないか!」

「言いたいことはそれだけか」

 イルドゥンの返答が孕む剣呑な気配に、泣き叫んでいたアセルスもさすがにはっと顔色を変え、咄嗟に腰の剣へと手を伸ばした。アセルスの剣──半妖でありながら、しかしその力で生み出し、手に入れた妖魔の剣──その妖魔としての証を目にして、イルドゥンの精神の底がすっと冷えていく。

 妖魔は涙を流さない。涙を流す妖魔など、もはや妖魔とは言えない。

 振り下ろしたイルドゥンの剣は、弱々しく掲げられたアセルスの剣を容赦なく砕いた。

 ばらばらに散っていく破片ごしに、アセルスは信じられないものでもみるようにこちらを見ている。剣を突きつけ、いまにもアセルスを殺そうとしているイルドゥンの姿を。

「これが最後の通告だ」イルドゥンは言う。「立てアセルス。立って戦え」

 アセルスは顔をくしゃりと歪め、そして力なくため息をついた。

「どうして……? 私にはもう、目指す場所もないのに……。紅……白薔薇……そして、貴方までも……もう、誰もいなくなってしまった……」

 アセルスは項垂れたまま目を閉じ、裁きを待つ罪人のように首を垂れる。投げやりで弱々しいその態度が更にイルドゥンの激情を駆り立てる。

 ああ、もう、こいつは駄目だ、とそう思った。こんな女を何度も目にしてきたような気がする。人間はいつもこうだ。偉そうにものを言う割に、百年かそこらで意気地がなくなる。これが時の流れか。オルロワージュ。お前の言っていたことはこういうものか。

 もう、いい。

 うんざりだ。

「死ね」

 吐き捨て、イルドゥンは剣を振り上げた。何もかもがこれで終わりだ。そう思った。だがしかし──、

 

 

「──おやおやイルドゥン。君ってヤツは!」

 

 

 その剣がアセルスを捉えることは無かった。剣の先にいた筈のアセルスは忽然と消え、いつの間にかに別の妖魔の腕に抱かれている。口元ににやにやと笑みを張り付けた赤毛の妖魔──ゾズマは傍に控えていた仮面のメイドにアセルスを任せ、余裕綽々といった様子でイルドゥンに向き直り、肩を竦めて見せた。

「それが針の城が称える黒騎士の態度かい? レディに対する然るべき態度とはどうしても思えないぜ」

「……ゾズマか。何の用だ」

 押し殺した声でイルドゥンは尋ねた。目の前の獲物を横取りされた怒りに殺意さえ滲ませ、イルドゥンは妖魔社会きっての異端児に剣を突きつける。

「何の用だって? 見てわかるだろう。哀れな姫君を助けに現れたのさ。悪いが、アセルスにここで死んでもらっては困るんだ。彼女にはまだ、編み上げるべき物語というものが残っているはずだからね。僕はそれを楽しみにしているのさ」

「物語だと? そんなものはない。その女はもはや抜け殻だ。何の価値も無い猿に過ぎない。そこをどけ、ゾズマ。アセルスは俺が殺す。……いや違うな」

 イルドゥンは煩わしそうに溜息をついた。

「いちいちと……面倒な問答を繰り返すのはうんざりだ。お前はそこに突っ立っていればいい。アセルスごと滅ぼしてやる」

 純然たる宣告に、ゾズマの表情からは笑みが消える。

「やれやれ……」ゾズマは見下すような嘲笑を浮かべた。「随分とまぁ、自分というものを知らない若者だな」

「なんだと……?」

「君がアセルスを殺したいというのなら好きにすればいいさ。僕は喜んで受けて立つ。かかって来いよ、黒騎士イルドゥン。……だが、その前に一つ認めるんだな。君はアセルスに執着しているんだろ?」

「ふざけるな。そんなゴミにこの俺が執着なとするわけがない」

「だったら、すぐにここを立ち去れ。何の価値も無いとそういうのなら、無価値な存在などすぐに忘れてあのファシナトゥールの下らない妖魔社会にでも帰れよ。つまらない存在にいつまでもかかずらわっているなんて、妖魔のやることじゃないだろう?」

「……」

「だが、君は違う。君は僕がアセルスを手にすることが気に食わないんだ。それどころか君以外の誰であったとしても許せないんだろう。だから君は、君自身の手でアセルスに止めを刺さなければ納得できない。──それを執着というんだよ、イルドゥン。君は、君自身でも知らない心の深い部分でアセルスに影響を受けている。紅がアセルスを過大に評価するのも、君がアセルスを徹底的に糾弾し厳しい言葉を与えるのも、根差すところは同じさ。格好悪いよ、イルドゥン。そんな生き方は僕の美的感覚に反するね」

「だったら何だ。お前の美的感覚など知ったこととか。……俺は俺のやりたいようにやるだけだ」

「そうかい。なら僕も、僕のやりたいようにやらせてもらうとするさ」

「待て! ゾズマ!」

「いいや、待たない。──追えるものなら追ってみるんだな。ちなみにそういうのを人間社会では、ストーキング行為と言うらしいけどね。……おお、そう考えると気持ちの悪い奴だな、君は。ストーキング行為の意味についてはあとで辞書でもさらってみるといい。……じゃあな、イルドゥン。さようなら」

 剣閃はまたもむなしく空を切った。ゾズマの姿は幻のように失せ、あのメイドとアセルスもまた消えている。

「……」

 イルドゥンは無言で天を仰いだ。濡れそぼった全身に外套が張り付き、空からは針のような雨が音を立てて降りしきる。

「アセルス……!」

 唸り声を上げてイルドゥンは雨雲を睨みつける。飢えた獣のように、その瞳にはぎらりと光が宿った。

 

 

 

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