サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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第二十五幕 妖魔の小手(赤薔薇) 前編

 赤薔薇。そうして目覚めたお前の命は、この世の誰とも似ていない。お前は未だ誰でもなく、お前はお前自身ですらない。

 あなた誰? いったい何を言っているの? あたしはなぜ、ここにいるの?

 ……もうじき、ここにアセルスが来る。

 アセルス? アセルスって……。

 それはお前を愛する者、そしてお前が愛する者。

 待って! 訳のわからないことばかり言って、あなた……!

 お前は一度、全てを忘れる。そうしてお前はアセルスと出会うのだ。

 言っていることがわからないわ。……それに、誰が私を愛しても、私が誰を愛するかは私のものよ。あなたなんかに決められることじゃない。……でも、確かにその言葉の響き、アセルス、アセルス様、何故かしら、呟いただけで胸が疼く。

 お前はその様にできている。赤薔薇。

 そう……。あなたがそう造ったの。私を。そういうことなの? でもきっとあなたの思う通りにはならないわ。

 なぜだ?

 どうせ決められた命なら、やるだけのことはやってあげる。でも、私は赤薔薇なの。赤薔薇なのよ。

 そうか……。ならばそれもよかろう。生きよ、赤薔薇。白薔薇には出来なかったことが、あるいはお前には出来るのかも知れん……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……お前が見あげるその空からは、ときおり無数の物語が降り注ぐ。

 

 ごろごろと喧しい音を立てて、星々の彼方から堕ちてくる流星群、隕石。ここ、ボロの星には無数の星屑が流れ落ち、住民たちはその石ころにツルハシを打ち付けては砕いた星屑をスクラップとして売り払い、あるいは加工して生計を立てている。空から降ってくる隕石の中に含まれるのは何も大気に焼かれた隕鉄ばかりではない。星を追われたもの、星を旅し、そしてその果てに滅びたもの。この星とは違う場所、違う時間を生きた者たちの面影が砕けた宙船(そらふね)となって流れつくことも度々だ。

 それはいま、住んでいるこの場所とは違う文化、文明のもの。見知った世界を構成する(ことわり)とはまるで違う技術を伴うもの。

 お前の見上げる空からは無数の物語が降り注ぐ。その欠片を拾い集めて、お前はいつかけだものになる。

 

 ずしん、と体の奥に響くような衝撃と共に目を覚まして、お前は寝台から跳ね起きた。寝ぼけ眼を慌てて擦り、窓の外に目を向けると、街の住人たちはもうすでに準備を終えて走りだしていた。極太の縄にとんかち、つるはしに発破。背中にくくりつけた折り畳み式の簡易台車をがちゃがちゃ鳴らしながら隣人の“大男”ロビンが土煙を立てながら大型装甲車に飛び乗るのが見える。

「いけない」

 思わず呟いてお前は朝食も取らずに身支度を始める。先に起きだしていたアセルスが「そんなに急がなくてもいいんじゃ?」と少しだけ呆れた顔をしているのにお前は怯む。なんだかみっともないところを見せてしまったかもしれない。お前は顔を赤らめる。本当ならばもっといつでも優雅に淑女のように振る舞いたいのだ。アセルスもきっとそう望んでいるだろう。……だが、この星ではどんなものだって早い者勝ちなのだ。開拓途上のこの星では、遅れて来たねぼすけに手に入るものなどなにもない。血生臭い事件を避けるための暗黙のルールとして、先に手に入れた者が所有権を持つということになってはいるが、それだって街の裏路地では守られているかどうか。

 もごもごと言葉にならない言い訳をして、お前はアセルスの頬におはようのキスをする。アセルスは穏やかに微笑み、「うん、おはよう」と言ってお前の頭をぽんぽんと撫でる。それだけでお前の全身はかっと熱くなり、寝起きの気だるさや喉の痛みも全てが吹き飛んでいった。相好を蕩けさせたお前は「行ってきます」と勢いよく声を裏返らせ、家を飛び出していった。

 お前の後ろ姿を優しく見守ってアセルスはそっと囁く。

 行ってらっしゃい、赤薔薇。

 

 

 そう。お前の名は赤薔薇だ。誰が名付けたのかは知らぬ。お前はそんなことなど知ろうともしなかったし、勿論我々にとっても名付け親の所在なぞは些末な事に過ぎない。どうでも良いことだ。支配者はみな支配者たるべくして生まれるのであって、何故自分が支配者なのかなどと考えはしない。お前にとってのお前はいついかなる時も赤薔薇で、当たり前のことだったのだ。お前が白薔薇ではないのと同じように。

 お前は自分が何であるのかを知らない。お前にとって重要なのは共に暮らしているアセルスが唯一無二の存在であるということだけだ。

 それ以外のことなどはどうでも良かった。お前にとっては、自分とアセルスだけが世界の全てだった。もともとは興味のなかった星屑集めに参加するようになったのも、結局はアセルスとの生活を豊かにするため、彼女に楽をさせるためであり、お前自身は荒くれ達の汗臭さや不潔が嫌で嫌でたまらなかった。お前にしてみれば、アセルスはこんな辺鄙な星にいるような女ではない。本来であれば王宮だとか豪奢なお城だとか(というものを実際のところお前は絵本でしか見たことがないのだが)に住んでいるのが当たり前の女であり、ボロの共同学校の手伝いなんかをしているのはそれはもちろんアセルスがとんでもなくお優しい(我々の故郷におけるこの表現は一般的に侮辱的な意味を持つが)女だからであって、長い長いアセルスの物語の中ではほんの僅かなページに過ぎない筈なのだ、とそうお前は考えている。

「今日こそ、何かすごいものを見つけてやるわ」

 意気込むお前が落下場所に辿りつくと、隕石は既にあちこちを穿たれ、深く刻まれた穴に仕掛けられた発破が今にも起爆されようとしていた。発掘者の一人が「耳をふさげ」と叫ぶのを聞いて赤薔薇は慌てて身を伏せ、両手で耳を抑える。程なくしてぱあんという妙に甲高い音と共に粉塵が飛び散り、砂交じりの風が赤薔薇の帽子を浚っていった。しまった、お気に入りの空色帽子なのに。耳を塞ぐのに気を取られて抑えるのを忘れていた。急いで振り返ると帽子は他の発掘者に踏みつけにされており、お前は唇を尖らせ、帽子をひったくる。

 まったく。これだから男は。レディの帽子を踏んずけるだなんて、なんて野蛮なのかしら。お前はしかめっ面で砂混じりの唾を吐き捨てた。これもまたお前の求める理想とは程遠い振る舞いではあるが、この星で暮らしていくにあたって一番初めに覚えることは上手な唾の吐き方である。

 気を取り直して隕石に近寄ると、およそ十ほどに分かれた隕石に男たちが荒縄をくくりつけ、綱引きの要領でひきはがしにかかっている。こうなってしまってはお前の細腕で出来ることは何もない。お前にできるのは飛び散った破片や瓦礫の中をまさぐって使えそうなものを見つけ出すくらいなのだから。なるべくなら単価の高い鉱石が貼りついていれば良いが、その日は生憎と質の悪いかんらん石しか採ることができなかった。背負ってきた槌を小一時間ほども突き立てた結果がその程度だったので意気消沈してへたりこんでいると、見知った顔が近付いてきた。お前よりも遥かに背の高い、柔和な顔立ちをした栗毛のウブリエールだ。

「どお?」

「ぜんぜん」

 不機嫌に答えるお前に、またまたぁ~と不明瞭な相づちを打ってウブリエールが隣に座り込む。遠慮なく覗き込むと、友人のザックには大小様々な発掘物がつめこまれていた。発掘の盛んな別の星(というのは無論我々の故郷のことだが)からやってきたウブリエールは得体の知れない勘の良さで価値のある宝物を次々に見つけ出してしまう。わき起こる劣等感にロングスカートの裾を握りしめて黙り込んでいると、ウブリエールは困ったようにため息をついた。

「そんなスカート履いてくるからよ。動きづらいでしょ」

 そう言うウブリエールの服装はといえば、茶色系統に統一された作業服である。丈夫そうな綿のズボンにポケットが10もついたベストをつけている。彼女が身動きするたびにぶら下げた懐中電灯やら磁力計やらが揺れて音を立てる。

「私は私の着たい服しか着ないの。これでもかなり妥協したほうなのよ」

 お前は口を尖らせて反論する。赤薔薇というその名の通り、お前が常に身に纏うのは深紅のブラウスとロングスカート。そして目の覚めるような空色の麦藁帽。確かに発掘現場には似つかわしくない服装ではある。

 でもさぁ、と言いかけたウブリエールの言葉を遮り、お前は澄まし顔で言った。

「良いことを教えてあげるわ。女にとって、服というのは自分がどういう女なのかを示す武器なの。その服というものを、たとえば環境やら用途やらによってコロコロ変えてしまったら、自分自身がどういう人間なのかわからなくなってしまうじゃないの」

「ふうん。そんなものかなぁ……。あたしには、よくわからないセカイだな、そういうの」

「もう少し大人になればあなたにもわかるわよ」

「そうかなぁ。そうなのかなぁ……」

 妙に深刻そうな顔をして考え込んでしまったウブリエールを放っておいて再び発掘を始める。こんな時ウブリエールであったなら『アニマの気配がする』だのなんだのとお前には訳のわからないことを言って瞬く間に値打ち物を見つけてしまうものだが、そう簡単にはいかない。剣型に尖ったスコップの先を勢いよく瓦礫へと突き立て、おもいっきり体重をかけて梃子の原理で星屑をひっくり返す。手を真っ黒に汚しながらその中を漁り、これでもないあれでもないと眼を凝らさなければならない。

「たぶんー。もうちょっと右のほう。なんか、あやしい感じがする」

 麦パンをむしゃむしゃと咥えながらウブリエールが暢気に助言する。「うるさいわね」と言いつつ、今までの経験からも確かな友人の勘を信じてお前は右へ右へと掘り進めていく。と、そこでお前は不思議な金属片を発見した。見慣れた土くれや鉄屑とは異なり、手にとって見ると羽根のように軽く、表面はやすりでもかけたようにすべすべしている。大気圏での摩擦によって落下物の多くは焼け焦げ、歪んでしまう筈だったが破片は傷一つなく、澄みきった純白を湛えている。

「きれい」

 思わず呟いて赤薔薇は周囲を見回すと、似たような破片がいくつか散らばっている。割れている以上は何かの役に立つということも無さそうだったが破片を繋いでしまえば見栄えも良くなるだろう。何かの贈り物にでもなるかもしれない。そう考えてお前はせっせと拾い集め、全部で17片にもなる星屑の欠片を両手に抱えてウブリエールの元へと戻った。

「あなたの言ったとおりだったわ。ありがとう」

 素直に感謝の言葉を述べ、パズルのピースを組み合わせるように破片の断面を合わせていく。「まあね」とウブリエールは得意そうにしていたが、お前の手元を眺める目つきだけは不安そうにしている。

「それ、組み立てるの?」

「そりゃそうよ。だって砕けたままだったらそれこそ何にもならないじゃないの」

「うん……。それは、そうなんだけど……」

「何? 言いたいことがあるのなら、はっきり言って」

「それ、なんだか悪いものような気がするの。確かに強いアニマは感じるんだけど」

「そんなこと言われてもわからないわよ。あなたの言うことは基本的に信じるけど、私にはあなたの言うその『アニマ』というのが感じ取れないのだもの」

「『アニマ』って言うのはね、魂のことなの。生き物だけじゃない、この世のものには何にでもアニマがある。あたしが使っているスコップにだってアニマが宿っていて、そのアニマをうまく引き出してやればスコップの『掘る』力を何倍にでも強くできるのよ」

「何べんも聞いたわ、その話」

「でも……でもその破片のアニマはなんだか気味が悪いのよ」

汎霊説(アニミズム)みたいなものでしょう、それ。T先生がこの前授業で言ってたわ。……私、宗教には興味がないの。あいにくだけど」

「そういうことじゃなくて」

「ううん。わかってる。あなたは嘘をついているわけじゃないし、たぶん、本当にこの破片には良くない魂だか何だかが宿っているんでしょうね。でも私は嫌なの。たとえそうなのだとしても、目に見えないそんなものに脅えたり怯んだりして生きるような真似はしたくないの。ただそれだけ」

「…………」

「ごめんね、ウブリエール。親切で言ってくれたのに」

「ううん、いいの。あなたって強いのね」

「そうかしら。ただ頭が固いだけかも」

 二人は顔を見合わせてくすりと笑い合った。ウブリエールはそれでもまだ心配そう顔をしていたが、お前はほどなくして全ての破片をつなぐことができた。接着剤を使ったわけではないのだが、破片と破片は見えない磁力で引っ張られているかのようにぴたりと吸いつき、奇妙なバランスを保ったまま立体を形作り、最終的には純白の卵になった。

「できたわ」

 歓声を上げて手の中で今日の成果を転がす。破片を繋いでできた卵──破殻卵(ブレイクエッグ)は罅こそあれど今日産み落とされたかのように白々と輝いている。

「この卵はどこから来たのかしら。星々の向こう側、この空の果ての果ての果てを旅して堕ちて来たのかしら」

 そう言って破殻卵を太陽に透かす。卵は日光を浴びて、ふと、気のせいだろうか、どくん、と小さく鼓動したような気がした。ウブリエールがぞっとしたように顔をゆがませる。

 

 こうしてお前は我々と出会った。何も知らぬお前が愚かにも卵を握りしめた時、既にしてお前の運命は決まっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 ……そして、少女はたまご(・・・)を握る。

 卵を拾いあげた者はみな父となり母となる。孵らぬ卵に憐れみを寄せてそっと力を込める時、掌の中で揺れる卵がほんの僅かに鼓動する。未だ眠りの中にいて母の名を知らず、殻を破る時を待ち続ける虜囚の雛。たまご。卵を握りしめたその瞬間から、ほら、忘れてはいけない、あなたは親になったのだ。少女は卵に頬を寄せ命の温度を確かめる。硬質で、けれど暖かく、仄かに伝わる体温。いのちの証明。

 卵を拾い上げることに何の疑問も抱かなかった。それはごく当たり前で自然なことであり、目を背けられる理由などどこにもありはしなかった。なぜなら少女は捨てられた子供だったからだ。

 自分が両親に捨てられた子供であるということに少女はそれほど絶望していたりはしなかったけれど、それでも時々は考える。もし、自分がもっと美しければ。賢ければ。お母さんとお父さんは自分を捨てなかったのではないか。自分がもっと秀でていれば。自分にもっと力があれば。下らないと思い惨めだと感じながら、それでも少女は考えた。そんなことを考えたとて時が巻き戻る訳でもなし、何の意味もない空想だとわかっていてそれでもなお、誰もがそうであるように少女はやはり『もしも』を願う。

 

 

 

 弱々しく震える卵を撫でる。誰かが、何かが、この卵の中で懸命に生きている。少女はそっと独り言を唱える。祝福のつもりで口ずさむ子守唄のようなもの。

 ぼうやおねむり、いこいの夢路へ。

 呟いたその言葉を口づけ代わりに卵に落とし、腕に抱く弱々しい命を優しく揺する。

 やがて卵は語りだす。少女の予想とはまるで異なるしわがれた声で、その邪悪さを隠そうともせず。

 これは一体どういうことだ。ようやく見つけた宿主だというのにこの女にはアニマが無い。この星の原住民は確かにアニマが乏しい傾向にあるが、それにしてもこれは異常だ。むすめよ、お前は一体何者だ。

 卵の尊大な口調に淡い夢想を砕かれた少女は顔をしかめる。

 なあに。あなた。

 私のことなぞはどうでも良い。問題はお前の方だ。なぜ私の精神支配を受けぬ。

 精神支配? なんだか物騒な言葉。ウブリエールの言ったとおり、やっぱり良くないものだったかしら。

 質問に答えろ。アニマを持っている限り、私の精神支配から逃れ得る術はない。私に支配されぬということは、生きていないということも同じなのだぞ。

 言っていることが良く分からないのだけど。人にものを尋ねるのなら、尋ねる態度というものがあるのではないの。

 ……しばし待て。

 私はいますぐあなたを捨ててしまったって構わないのよ。

 ……まぁ、待ちなさい。お嬢さん。そんなに頑なな態度をとらなくてもいいではありませんか。

 今度は随分と下手に出るのね。

 今、あなたとお話が弾むような人格を検索しているところです。だからちょっとだけ、ちょおっとだけお待ちになって下さいな。

 仕方ないわね。その話し方は癇に障るけれど、我慢してあげる。

 ──人格検索──人格検索──少女統合中──。はい。

 もういいの?

 ……ええ。いいわよ。御免なさいね。

 いやだ、なんだか薄気味悪いわ。急に女言葉になって。

 仕方がないことなのよ。あなたと年の近い少女の人格は私以外にはいないもの。

 私は赤薔薇。あなたは何なの?

 ミスティ。私のことは、ミスティと呼んで頂戴。

 

 

 

 

 

 私が恋を告げた時、周りの誰もが顔を顰めて訳の分からないことを言った。年や性別のことを挙げつらっては諦めろだのそれは一時の気の迷いだのと小煩いことを言う。ほんとうに、大人って馬鹿ね。人を愛することにどうして言葉が必要なの。言葉を幾重かさねても、アセルス様を想うこの気持ちを形にすることはできないのに。言葉というものは誰かに何かを伝えるために発するものだけれど、唇から零れ落ちたその途端に言葉は世界に縛られて歪められてしまう。唇から遠ざかれば遠ざかるほど真実の思いは消えて物語になってしまうの。姿形が美しいとか、声が綺麗だとか、そんな言葉を並び立ててどうするの。事故や病気で容姿や声を失ったらその愛は消えてしまうの? そうじゃない。そうじゃないわ。自分に優しくしてくれるからとか、性格が良いからだとか、そんな理由だってちゃんちゃらおかしいわ。誰かが何かを持っていて、その中のいくつかを自分に分けてくれるからといって、それなら私はこの人が好きだなんて、そんな乞食みたいな話あるわけないじゃない。

 愛の言葉は唇の中にだけ封印していればいい。もしどうしても愛する人に伝えたいと思うのなら、言葉ではなく口づけで返すべきよ。私はそう信じてる。

 理由なんてなかった。ただそうなるようになっただけ。それが私の運命だった。一目見ただけで、私はあの方を好きになった。

 

 

 幼いころの記憶は、誰しもがそうであるようにはっきりとはしない。私にとっての一番最初の記憶は、このボロの星に広がる満点の夜空。黒々とたなびく雲の銀河をつんざいて、迷い星が視界の端に堕ちていくのが見えた。どしん、という喧しい音と、どこか懐かしい地鳴り。そのとき私はどうしたかしら。突然揺れ動きだした世界に顔を歪めて泣いていたのかしら。それとも何も知らずにけらけらと笑っていたのかしら。

 私は何も知らなかった。私は生まれたばかりで、小さなおくるみに包まれて捨てられていた。この星の錆びれたスクラップ置き場で、親の顔さえ知らずに星を見ていた。

 そこに丁度通りがかったのが、アセルス様とその他の妖魔たちだった。大切な人を失い、そしてイルドゥンに妖魔の剣を砕かれて憔悴しきっていたアセルス様は穏やかな生活を求めてこのボロへとやって来たのだと言う。

 はじめ、私の存在に気付いたのはアセルス様を案内してきたゾズマだった。

──やあ、なんだ、この子は。随分と『彼女』によく似ているじゃないか。

──ゾズマ様。今は、あの方のことは……。

 おつきのメイドが言葉を濁したのを、なぜだか私ははっきりと覚えている。呼ばれる前から私はその男の名を知っていたような気がした。破廉恥な格好をした赤毛の妖魔。目にしただけで言い知れぬ嫌悪感が私を襲い、赤ん坊だった私は必死になって身を捩る。

──ああ、ごめんごめん。でもあんまりにもそっくりだったからサ。……ほうら、おちびちゃん、お手。

──……。

──んん? どうしたのかな? 反応が鈍いねえ。……ほらほら、おちびちゃーん。

 へらへらとうすら笑いを浮かべるゾズマに腹を立てた私は、この男の腕を切り咲いてしまうつもりで爪を立てたが、弱々しい私の力ではぺちん、と間抜けな音を立ててのが精いっぱいだった。ゾズマの手を引っぱたいて私は言った。

──ぞじゅまは、きりゃい!

──あ痛た。──あれ、嫌われてる? おかしいなぁ、流石に初対面なのに……。

──気持ちはよくわかるわ。でも、いきなり叩いたりはしては駄目よ。

 メイドがしたり顔でものを言う。仮面をつけているのも不気味だし、私はこのメイドのこともあまり好きではなかった。望まぬ大人たちに囲まれて泣きだしそうになっていた私は救いを求めるように彼らの背後に視線を向け──そして、そこでとうとうあの方を見つけた。その時の感動を私はうまく言葉にすることができない。宗教に目覚める時というのはこういうものなのかもしれない。自分の信仰を捧げるべき方に出会えた悦びと官能。あるいは──絶対的な支配者を見つけることのできた奴隷の歓喜。そうでなければ、殻を破ってはじめて母鳥を目にした時の雛の気持ち。ううん──やっぱり、どれも違う。どれだけの言葉を連ねてもアセルス様に出会った時の感情にはほど遠い。説明しようとすればするほどそれはほんとうの私の気持ちからはかけ離れてしまう。私はアセルス様を見つけた。知らないうちに私は涙を流してあの方の名前を呼んでいた。

──あ、あせ……あせるすしゃま。

──アセルス? アセルスと言ったの?

──ぞじゅまは、きりゃい! でも、あせるすしゃまは、しゅき!

 あせるすしゃま。あせるすしゃま。たどたどしい言葉であの方の名前を呼んでいた。もっと近くであの方の顔が見たい。私のことを見て、この頭を撫でて欲しい。一心に迷いなく、私は餌をねだる猫のように鳴き続けた。

──アセルス。この子は君のことを呼んでいるよ。

──……どうして?

──どうして、だって? 理由なんかないさ。どんな人間だって誰かの庇護を求め、いつの間にかに大人になって、知らないうちに親になるものだろう。

──親……。いいや、私は……。

──手を差し伸べるんだ。アセルス。彼女は君を待っている。君がいなければ、彼女は一秒だって生きちゃいかれない。この子が君を呼ぶ声が聞こえるだろう?

 ゾズマの言葉によってというのが実に忌々しいことではあるけれど、アセルス様はおそるおそる近寄って私の横たわるおくるみにそっと手を掛けた。あせるすしゃま! 喜びに私は叫ぶ。アセルス様はゆっくりと私の顔を覗きこむ……。

 どうしてだろう。その途端にアセルスはふと胸を詰まらせたように言葉を失くして、そっと目を伏せた。

──白薔薇……。

 どうして、そんなに悲しそうな顔をするの。私のせい? アセルス様を苦しめているのは何なの?

──ほんとうに、よく似てる……。しろばら……。

 何かが間違ってる。その時私はそう思った。だって私は赤薔薇と言うの。記憶とよべるほどの思い出もありはしないけれど、自分の名前だけははっきりと知っていた。私は、赤薔薇。どうして? どうしてアセルス様は私を白薔薇と呼ぶの?

──ああ……そっくりだ……。なんて、こと……。

──あせるすしゃま……。しゅき……。

──うん……。うん……。ありがとう……。ほんとうに……。

 いつの間にか、アセルス様までもが大粒の涙を零していた。私の体をぎゅっと抱きしめ、優しく頬ずりをして、アセルス様は私の額にそっとキスをしてくれた。

──私も貴女のことが好きだよ……。名前も知らない貴女……。……もう、心配なんていらない。貴女のことは、私が守ってあげる……。

──おいおい。本気で言っているのかい、アセルス? そんな赤ん坊なんて、どうみても足手まといにしかならないよ。針の城の追手が来たらどうするのさ?

 手を差し伸べろと言ったその口で、ゾズマは私を置いていけと言った。例によってニヤニヤと薄笑いを浮かべながら。

──……。でも、この子は私の名前を呼んでる……。放っておくことなんかできない。

──やれやれ。まったくもって、君ってコは相も変わらず不自由が大好きなんだな。感傷で他人を助けるなんてのは人間がやる馬鹿げた行為のなかでも最たるものだと思うけどなぁ。

──ゾズマ様。

──あ、なんだいディアディム。その冷たい眼は。──いたた。ごめんごめん。耳を引っ張るのはやめておくれよ。

 

 

 

 

 50年ほど前、一人の実業家がボロに住む身寄りのない子供たちのために自らの財産を費やして小さな学校を作り上げた。また彼はボロの住民たちから基金を募り、有志によって構成された法人によって自分の死後も共同学校が運営されていく仕組みを遺していった。学校は彼の名をとってタイム共同学校と名付けられ、ボロに住む幼い子供たちの教育を担う重要な機関となっている。

 お前はいま、この学校で中等2年生として勉強している。中等2年といっても生徒たちは13~15歳と様々であり、クラスも一つしかない。もともと教師がそれほど多いわけでもなく、また学力も生徒によってまちまちであるために仕方のないことである。文化レベルの低い未開惑星というものはおおむねこのように猿と大して変わらない生活を送っているものだ。もともと戸籍管理のしっかりしていないボロでは出生届を出すという文化さえ未だ根づいてはおらず、生まれた年のはっきりしないストリートチルドレンなどを広く受け入れねばならない共同学校では学年という区切りが曖昧にはなるのは当然のことであった。

 お前がアセルスとこの星で暮らし始めてからはや三年になるが、その間に体はぐんぐんと成長し今では14歳のウブリエールと同じクラスで机を並べている。アセルスとの会話、またT先生のライブラリに保存されている書物を読み耽ることで深まった赤薔薇の早熟な精神は時にウブリエールを圧倒しさえする。人間としてはまず異常といえる成長スピードではあるのだが、タコの機械技師をはじめ外の星々からの様々な旅人を迎えているこのボロではそれほど珍しいことだとは思われていない。

 発掘を終えた頃にはもう朝日はすっかり昇りきっていて、お前とウブリエールが学校へ到着したのは二時間目も半ばを過ぎた頃だった。お前たちのクラスを担当しているT先生は物腰こそ柔らかいがルールには厳しい。後ろのドアをそっと開けこっそりと忍びこんだものの機械の精密さを誇るT先生の眼を誤魔化すことはできず、二人はあえなく見つかってしまう。

「赤薔薇さん。ウブリエールさん。どうして授業中に後ろから侵入したのデスか。あなた達は、朝の点呼の時には不在だった筈デス」

「……ごめんなさい。T先生。遅刻してしまいました」

「それはわかっています。遅刻した場合は一階の教務室で中等主任・副主任またはそれに準じる者から遅刻届用紙を受け取り所定の項目を記入してから提出して下サイ。遅刻届は五枚溜まる度に罰課として規定の掃除または筆写または校門での挨拶作業が科せられることになっています。もし知らないのであれば生徒手帳の32ページを参照しておきましょう。重要なことデス」

「あのう……そのことなんですけど……」

 おそるおそるウブリエールが手を挙げる。

「何デスか。ウブリエールさん」

「あの、実はあたし達、朝の流星の発掘に行ってたんですけど、そこであの、何かお腹の痛そうな妊婦さんがいたので病院まで案内してたらおそくなっちゃったんです!」

「そうデスか。それは良いことをしましたね」

「だから、そのう……遅刻は遅刻でなんていうか致し方ないのではないのかなぁ~なんて思っちゃったりするんですけども?」

「あなたの言うことは尤もデス。ウブリエールさん。あなたの行為は実に素晴らしい行動と言えます」

「おっ。ということは……? ということは私たちの遅刻は~?」

「はい。あなたたちのことを学年主任・副主任またはそれに準じる先生はきっと暖かく迎えてくれることでしょう。遅刻届用紙の遅刻理由欄には今述べたことを記載するのを忘れないように」

「ですよね、すみません……」

「今は授業中ですから遅刻に関する手続きは後にしてください。赤薔薇さん、ウブリエールさん。席について。授業を再開します」

 渋い顔をしながら「くそう、また負けた……」と悔しそうにしているウブリエールに呆れながらお前は大人しく椅子に座る。机の端に彫刻刀で相合傘が掘られているのがお前の机だ。傘の下には『アセカキアシナガイタチダケ』と書かれている。

「……このリージョン界において、主だった種族は四つあります。ヒューマン、妖魔、メカ、モンスター。この四つデス。明確には分類できないものもありますが、リージョンに存在する動物は──これはあくまでも能動的に動くもの、という意味ですが──基本的にはこの四つのどれかになります。今日はまずヒューマンについて説明したいと思います。ヒューマン。これは俗に言う人間のことデス。この学校に通う生徒、つまりあなた達のほとんどはヒューマンです。ヒューマンは有性生殖によって繁殖し、直立二足歩行を行う哺乳類を言います。多くの場合ヒューマン同士で群れ、社会を形成し、音声や文字による複雑なコミュニケーション能力を持っています。食性は雑食で高い思考能力を持ち、『閃き』──新たな道具の使用法を考えつくことができるのもヒューマン特有の力だと言われています。ヒューマンが繁栄しリージョン間を移動するまでに至ったのもこの『閃き』によるものデス。雷によって生まれた炎から火を保存し、肉を調理することを覚え、明かりや武器として使うことさえ編み出した。ヒューマンはそうして進化していったのデス──」

 T先生の授業を聞きながらお前はふと、自分はこの中のどの種族に当てはまるのだろう、と考える。普通に考えればヒューマンだろう。だがときどき、自分は他の子たちとは何かが違うのではないかと感じることがある。無論、それは思春期に特有の疎外感や優越感の顕れなのかもしれない。しかし日に日に大きくなっていく自らの体や心のことを考えていると不意にどうしようもない不安に襲われる。自分はウブリエールたちとは別の生き物なのではないか。いつか、自分は彼女たちとは違う場所へ行くことになるのではないか。そう思うと手足の先がしんと冷え、お腹の中がきゅっと痛くなる。ウブリエールと別れるだけなら、悲しくはあるが仕方ない。既に何人かの知り合いとは、引っ越しや家の事情などでお別れを経験している。昨日まで机を並べて下らない会話をしていたことを相手がいなくなった後で茫然と思い出し、心のどこかでうっすらと欠けていくような気持ち。何度も味わいたいものではないが、自分はそれに耐えることができると赤薔薇は知っている。仕方のないことだ。出会いがあれば別れがある。生まれたからには必ず死ぬ。世界はそういう約束で出来ているのだ。

 けれど、とお前は思う。たとえ他の誰と別れるのだとしても、アセルスとだけは離れたくない。あのひとと一緒にいられないのなら、この世界には何の意味もない。

 ヒューマン。妖魔。メカ。そしてモンスター。リージョン界に存在する種族はこの四つだ、とT先生は言った。しかし、アセルスはその中のどれとも違う。アセルスは半妖なのだ。もともとは人間だったアセルスは死にかけたところに妖魔の血を与えられ、半分は人間、半分は妖魔として蘇ったのだという。この世に半妖はただ一人、と以前ゾズマは言っていた。だから僕は彼女の行動に興味を惹かれてならないんだ、と。

 この世でたった一人の種族。孤独と滅亡の濁流を生きる乙女。その言葉は、ああ、なんて素敵な響きなのだろう……。そう思う一方で、しかし、お前は自分とアセルスとの違いに歯がみする。少なくとも、自分は半妖ではない。自分の血は、名前の通り赤色だ。

 アセルスには妖魔の力が宿っている。永遠を生きる者、けして損なわれることのない美貌。だが自分の寿命はいったいいつまで持つのだろう。仮に長生きできたとして、自分はやがて老い、醜くなる。そうなった時、自分はどんな顔をしてあのひとの傍にいるのだろう……。

 

 

 

 

 そこに何が埋まっているのかは、誰も知らない。けれども発掘者たちは未だ見たことのない神秘を求めてツルハシを握り力の限り星屑に打ち立てる。虹の根元には宝物が埋まっていると信じて疑わない童のように。財産も故郷も捨てて辺境へと黄金を求める旅人のように。

 かちり、岩が削れ、こちり、石が砕ける。明々とした鉱石の断面。仄かに輝く原石。遥か古代、超文明の置時計、顔も知らない誰かが声を吹きこんだ蓄音器のかけら。光を透過する不思議な紗幕、滾々と墨の湧き出る壺。知らない誰かがそれを作った。知らない誰かがそれを愛した。命を落とした誰かの代わりにその後の物語を紡ぐため、発掘者たちはツルハシを掲げる。かちり、岩が削れ、こちり、石が砕ける。何かを知りたいと思うから瞳を輝かせて夢を見る。

 星屑の物語。眩くきらめく夢幻のファンタジー。

 アセルス様は私の全てを知っているのに、私はアセルス様のことを知らない。だから私は毎夜、聞き分けのない子供のフリをしてアセルス様に昔語りをせがんだ。

 

 

 ……それで? それからアセルス様はどうされたのですか?

 うん。金獅子姫に負けてからはしばらく戦闘訓練ばかりしていたよ。自分の実力不足を痛感したばかりだったからね。なるべくなら戦わずに済ませたいという気持ちもあったけれど……それでも、身を守る最低限の力は必要だから。

 わ、私も! 私もアセルス様を守れるよう、強くなります!

 そんな必要は無いよ。赤薔薇。君は戦わなくてもいいんだ。誰かを傷つけることよりも、私はもっとあなたにたくさんのことを知ってもらいたいな。

 はい……。

 ごめんね。あなたの気持ちはとっても嬉しいよ。ありがとう。……それで、次に現れたのは針の城の黒騎士イルドゥンだった。

 黒騎士、ですか?

 うん。私も詳しくは知らないんだけれど、黒騎士というのは針の城でも高い実力を持った妖魔にだけ許される称号なんだって。そのイルドゥンていうのは私に戦い方を教えてくれた妖魔でもあったんだけど、何しろ頑固で面倒くさい奴だったからてっきりオルロワージュに言われて私のことを捉えに来たんだと思ったんだ。

 でも、それは勘違いだった。話を聞いてみると、親友のラスタバンさんの頼みで私を守りに来たんだってことがわかった。ラスタバンさんは同じ黒騎士のセアトにやられてしまって、最後に私のことを託すと言って消えたんだって。

 しばらくはなんだか面倒くさい奴が来てしまったなぁ。と思っていたよ。……でも、何しろその強さは折り紙つきだからね。頼もしいのも事実だったな……。実際、イルドゥンは怖ろしいほど強かったんだ。次に針の城からやってきたのは黒騎士セアトと彼の従騎士達だったけど、三体の従騎士は彼が単独で倒してしまったから。たぶん、イルドゥンがいなかったら私はセアトに負けていたんだろうな。セアトは本当に強かった。妖魔なのに人間の武器や道具も使いこなして、私だけでは歯が立たなかった。

 

 

 そこまで話し終えると、アセルス様は表情を暗くして俯いてしまった。聞かない方が良いだろうかとそう思いながら、アセルス様のそんな表情のワケをどうしても知りたくて、いけない私は気付かないふりをして続きをせがんだ。

 アセルス様はなんとかセアトに打ち勝つことができた。けれどもその代償として、彼女を慕ってくれていた紅という女性を失うことになってしまった。アセルス様はそのことを今でも悔やんでいるのだという。私は紅に何もしてあげられなかった、とアセルス様は言った。私が彼女を助けてあげなきゃいけなかったのに、と。

 私はアセルス様とその紅という女性との関係がどのようであったのかは知らない。けれども、そうして涙を流されているアセルス様を眺めていると、心のどこかがささくれだって行くのがわかる。羨ましい、と私は思う。私も紅のように永遠になりたい。アセルス様の命を救うことで、間接的にでもこのひとの命の一部になりたい。

 

 

 私はセアトに勝った。そうならなければならないと知っていた。この体に流れる支配者の血が、私がどうすべきかを教えてくれた。たぶん、その時の私は妖魔としての力に溺れていたんだと思う。白薔薇は私をちゃんと止めてくれたのに、私は彼女の意見を聞こうともせずに、この牙を……。

 その方はいま、どちらに?

 ……いないんだ。もう、どこにも。

 どこにも? お亡くなりになってしまったのですか?

 ううん、違う。その(ひと)はね……オルロワージュが造りだした闇の迷宮にいる。いまでも、あそこに囚われている。……セアトを退けたその後で、とうとうオルロワージュ自らが私たちを捕らえにやってきた。闇の迷宮に閉じ込められ、脱出できたのは私だけだった。ファシナトゥールから逃げ出した時は三人だったのに、私はまた一人になってしまった。何もする気が起きなかった。どうすればいいかも、自分が何をしたいのかもわからなかった。自分らしくいられる場所を、辺境を求めて旅に出た筈だったのに、結局私がしたことと言ったら彼女たちを不幸にしただけじゃないか。そう思うと……いろいろなことが虚しくなってきた。イルドゥンが私に愛想を尽かすのも無理はないよ。彼は「立て」と言ったけれど私は立ち上がらなかった。イルドゥンは私の妖魔の剣を砕き、私のことも殺そうとした。ゾズマとディアディムさんの手助けでなんとかその場を逃げ出すことは出来たけれど、イルドゥンはもしかしたら今でも私のことを狙っているのかもしれない。

 そんな……。傷ついているアセルス様を襲うだなんて、そのイルドゥンという男はなんてひどい! そんな男は屑の中の屑です!

 ははは……。

 

 

 

 

「前回の授業では、リージョン界における四つの種族のうちヒューマンについて学びました。今日は二つ目、妖魔について話したいと思います。妖魔はヒューマンと良く似た生物デス。直立二足歩行を行い、言語を介してコミュニケーションを図ります。頭、胴体、手足という体の構造自体も変わりませんが、おおむねその外見・容貌はヒューマンのそれよりも優れています。ですが彼らの生態に関してはまだよくわかっていないというのが実際のところです。まず妖魔は繁殖を行いません。他の動植物のように幼体として生まれ成体へと成長するという過程を経るのではなく、一種、自然発生的に誕生するのだと言われています。しかしそれは単に我々が妖魔の誕生の瞬間を観測できていないなのかもしれません。ベンシンリ大学チョーベンリ教授の論文によれば、とある妖魔の最古の記憶とは森を歩いているものなのだそうデス。気がつけば森を歩いていて、自分が誰なのかを既に知っていた、と。昨日までの記憶と呼べるものは無く、ただ自分の名と生きていくための知識だけが頭の中にあった。協力してくれた妖魔は質問に対してそう答えていました。

 さきほど私は妖魔は自然発生するといいましたが、それはあくまでも純粋な妖魔の話デス。妖魔の繁殖方法については詳しく判明していませんが、しかし彼らは血を吸うことによってヒューマンを妖魔へと転化させることができます。血を吸われたものは強制的にその妖魔に従わされ、虜となります。人間としての記憶は残ったままですが、その体は妖魔のそれと等しくなります」

「先生! そういうことなら、自然発生した妖魔というのは、実は別の妖魔に血を吸われたことを忘れてしまっているだけなのではないですか?」

「はい。大変良い質問です。その可能性は十分にあると思います。しかしそうだとすると、いくつかの限定的な条件が必要になります。まず、吸血されたという記憶を失っていること。それどころかその妖魔は人間であった頃の記憶まで失っていることになります。そしてその次に吸血を行った妖魔の虜となっていないこと、が挙げられます。自然発生タイプ、あるいは『自然発生した・いつの間にかに存在していた』と思っている妖魔は人間として別の妖魔に吸血され、何らかの事情によりそれまでの記憶を失いしかし自分の名前と多少の常識だけは必ず覚えたままで、かつ吸血した妖魔はこれまた何らかの事情により滅んでしまった、ということになります。その何らかの事情というのはもしかしたら吸血という行為における忌避・拒絶反応によるものなのかもしれませんが、いずれにしても仮説の域を出ません。

 さて──妖魔の誕生方法についてはこれくらいにしておいて、今度は妖魔の特殊な社会について説明していきます。妖魔の社会は完全な縦社会デス。妖魔には『格』というものが厳密に存在し、格が劣っている妖魔はけして上の存在に逆らうことはできません。妖魔の格は他を魅了する美貌、他を威圧する恐怖、そして何物にも屈しない誇りという三つの要素によって決定されます。最も格の高い妖魔は『妖魔の君』と呼ばれ、自らの力で(ほし)を生み出すことができると言われています。

 優れた身体能力を持つ妖魔ですが、ヒューマンとは違いその能力が成長することはありません。その代わりに妖魔は吸血や憑依によって他者の力を取り込むことができます。吸血は主にヒューマンや妖魔に対して行います。大して憑依は妖魔武具と呼ばれる特殊な武器の中にモンスターの魂を封印するという形で行われます。中級以上の妖魔はそれぞれ、剣、小手、具足、鎧を自らの力で生み出すことができ、これらの武器でモンスターを絶命させることでその魂を吸収するのです……」

 いつものように淡々とした口調でT先生が授業を続ける。頬杖をついてぼんやりと話を聞いていると、鞄の中にしまい込んだ卵──我々の交渉役たるミスティが不意に話しかけてくる。我々の精神位相でもこのミスティという娘は特に低い階層に位置する女ではあったが、しかし数多に取り込んだはずのアニマの中でもお前のような小娘に近い精神モデルはミスティ以外には存在しなかった。不本意ではあるが、我々はしばらくこのミスティにお前との折衝を一任していた。

(ねぇ、教えて頂戴、赤薔薇。あなたにはどうしてアニマが無いの? 妖魔にも、モンスターにも、樹や水や石ころにさえもアニマは存在しているのに、あなたにだけはそれがない。それはなぜ? 少女のような外見をしているだけで、本当のあなたは鋼鉄のメカなの?)

 良く通るミスティの声に、しかしクラスメイト達は誰一人反応を示すことなく素知らぬ顔で教壇を眺めている。ミスティの声はお前にしか届かない。

(さあね。私が何なのかなんて、私にはわからないわ)

 心の中でそっと念じる。と、すぐさまミスティが返事をする。

(あらあら、可哀そうに)

(可哀そう? 生憎と卵に同情されるほど惨めな生き方はしていないつもりだけど)

(……だって、生き物と言うのはみな、自分に何ができるのか、自分自身が何者なのかを求めて生きているようなところがあるでしょう。……それなのに、ねぇ、自分が何なのかわからない、魂さえも持ち合わせてはいないというのは、それこそ人形、機械のようなものと一緒ではないの?)

 ミスティは揶揄するようにくすりと笑う。生きていない、と再三告げてくる彼女の言葉に、しかしお前は鼻で笑って見せる。

(……下らない)

 そう答えて見下すように鞄に視線を落とすと、ミスティは少しだけ驚いたように沈黙する。

(……どうして?)

(自分自身が何なのか、というのは、つまるところは自我の薄弱な生き物かよくよく暇な人間の考えることよ。……あなたは、私には魂──アニマが無いと言う。ウブリエールにもアニマが感じ取れるのなら、あの子もそう思っているのかもしれないわね。平然としているのは表だけで、裏では私のことを気味悪がっているのかもしれない。……でも、それがいったい何だと言うの? 私は今日までとりあえず人間として生きて来たわ。そこには何の疑問もなかったし、特別の拘りや確信もありはしなかった。今日、この日、突然あなたから魂がないと言われたからといっていきなりそれらの全てがひっくり返ったりはしないのよ。どうやってアニマを感じているのかなんて私にはわからないことだけれど、魂の証明なんてものは真実、私にとっては心の底からどうでもいいことだわ。魂が無いと言われたら、途端に絶望してしくしくと涙を流して、私は生きていないんだと悩みださなければいけないの? それはただの、馬鹿でしょう。私は自分が何をしたいのかを知っている。それ以外のすべてはどうでもいいことよ)

(へえ……。それで、そのあなたの望みと言うのは一体何?)

(決まっているじゃないの)

 お前は胸を張って答える。

(愛する人の傍にいることよ)

(そう──いいわね、そういうの。私も女だから、わかるわ)

(本当?)

(ええ。私にもいたのよ。どうしても手に入れたいと思った男が)

(その人とはどうなったの? あなたは結ばれることができたの?)

(いいえ。できなかった。手に入れたと思ったその瞬間に、私は彼を失っていた。だから、赤薔薇、あなたにはそんな思いをしてほしくないの。私はあなたに願いを叶えて欲しいし、あなたの願いが成就することは、あの時叶わなかった私の望みが報われることでもあるの。私にあなたの恋を手伝わせて頂戴)

(……手伝う?)

(ええ、そうよ。もしあなたが愛する人を手に入れたいのなら、今すぐにでもそれができる。簡単よ──)

 ミスティは何でもないことのようにさらりと言った。

(──この(エッグ)をその人に渡せばいい)

 

 

 

 

 ……余計な情報を漏らすな、ミスティ。我々の傷は未だ十分に癒えてはいない。この星にはカンタールの娘もいるのだぞ。

 そんなことは私の知ったこっちゃないわ、ウスノロ。いまは私が私たちの代表をしているのよ。それがわからないの?

 勘違いするな小娘。貴様は所詮、我々が支配する星をうろついていた野人のアニマに過ぎぬ。支配者たる我々とはもともと階級というものが違うことを知れ。

 笑わせないでよ。私が邪魔だというのなら、さっさと私を押し込めて精神海溝にでも沈めておけばいいじゃない。それができないのなら、あなたはその程度の男だったということなのよ。

 愚かな。この卵に性別などない。

 ……そう。そうね。忘れていたわ。もはや女ですらないなんて、ああ、なんて馬鹿馬鹿しい。……まぁいいわ。どうせあなたに逆らうこともできないのだし、精々あの赤ずきんちゃんを騙してあげるわ。

 

 

 

 

「リージョン界における種族の生態について、今日は三つ目、メカについて講義していきます。メカというのは、俗に言うロボット、アンドロイドのことデス。メカ種族の身体は金属を主とする人工物によって構成されています。その体は心臓部を構成する『コア』と体を構成する『ボディパーツ』の二つに分かれています。人間や妖魔とは違い、メカはそのボディを自由自在に組み替えることができ、装備するパーツによってその性能を大きく変化させます。少しずつ、しかし着実に成長していく人間に対して、メカはその能力を完全にパーツに依存しなければなりません。当然ながらメカは自ら繁殖することはなく、基本的には創造主である人間に服従するように造られています。

 さて。ここでみなさんに質問しなければならないのは、はたしてメカは生物たりえるのかどうか、という問題です。……ああ、その表情はわかります。教壇に立つ私を前にしてそのような議論をするのはどうにもきまりが悪い、そんな風に感じているのデスね。気にしないでください。私にはそのような感情はありません。私はあるべくしてここに在り、皆さんに伝えるべきことを教えているだけなのデスから。さぁ、話を戻しましょう。

 リージョン界における主な四つの種族。そう言って私はこの授業を始めました。この時点でメカはヒューマンや妖魔と同列に扱われていることがわかります。メカは機械ではありますが一つの種族なのデス。掃除機や冷蔵庫とは異なります。メカは人間に従いますが、しかし包丁やとんかちのような単なる道具ではありません。コアによって疑似的な人格を持ち、時には他のメカから『学習』することによって新しいプログラムを生み出すことさえあるメカ。この種族は果たして生き物なのでしょうか? 生物の定義を語る時、よく挙げられる条件は『自己増殖』『代謝』『恒常性』『細胞の保持』などがあります。メカはこれらのいずれをも満たしていませんから、一般的に生物だとは認められません。……もちろん、これらの条件を広義にとらえれば、メカが自らのコア人格データをコピーする行為を自己増殖と、自らのボディをメンテナンスすることを恒常性と捉える事はできるのかもしれません。人間が食事によってエネルギーを得るように、メカもまた電気やオイルから動力を得ているわけですし、人間の細胞を培養したボディを持っているメカもいます。科学が進めば進むほど人とメカとの境はより曖昧になって来ました──いいえ、メカばかりではありません。考えれば考えるほど、人とメカ、メカとモンスター、モンスターと妖魔の違いはわからなくなってくるものなのデス。

 ……丁度よい具合ですから、今日は最後まで進めてしまいましょう。最後の種族は“モンスター”デス。簡単に説明すれば、モンスターとは他者の細胞を取り込むことによって自らの姿を変える能力を持った生物のことを言います。この町でもロッキーやシェルワーム、ピックバードなどのモンスターを目にしたことがあるでしょう。人はモンスターを怖れ、同時にモンスターを狩ることで糧とします。モンスターの中には高い知能を持ち、人間と共存している種も数多く存在します。古来より人はモンスターと生活を共にしていましたし、現代でも犬や猫などのモンスターを愛玩し、また馬や羊などを育て利用しています……。

 ──はい、そうデスね。リッテンツカヤさんの疑問はもっともデス。『動物とモンスターは違うのではないか?』そう考えるのは無理もありません。あなた方がペットとして飼っている獣を、今日とつぜんモンスターと言われてもにわかには頷きがたい。しかし、いいデスか、先ほど申し上げた通り、モンスターの定義は『他者の細胞を取り込むことによって自らの姿を変える能力を持った生物』デス。犬や猫がモンスターでないと感じるのは変身のスピードが遅いからに過ぎません。全ての動物は他の生き物を食らい、その細胞を取り込み、自らの体を変化させていきます。その変身のスピードや体構造の変化率は様々で、明確な境界線は存在していないのです。

 わかりますか? 犬も猫も、馬も羊も──全てはモンスターなのデス。犬とロッキーが違うのは人間にとっての危険度の多寡でしかありません。一般的に流布しているイメージでは、人に危害を与える恐れのあるもの、人にとって危険な生き物が『モンスター』なのだと思われているようですが、実際は異なります。このリージョン界において、他者の細胞を取り込むことによって自らの姿を変身させることができないのは──これまでの授業を聞いていたみなさんならもうおわかりでしょう──メカと妖魔。つまり、広義に言えば人間はモンスターなのデス。人間は他の生物を摂取し、自ら合成することのできない有機物を取り込み、その身体を少しずつ成長させ、変化させていく。人はモンスターの一部に過ぎず、ただモンスターの中でも比較的知能が高く、言語によるコミュニケーション能力を持ち、『閃く』ことのできる生物がヒューマンと呼称されているに過ぎません。会話を行うことのできるモンスターや、『閃き』のように新たな道具の使用法を考えることのできるモンスターも存在しています。人とモンスターはとても近い存在なのデス──」

 著しく偏向的な授業を聞きながらお前は己のことを考える。人間妖魔メカにモンスター、そのどれともアセルスは違っている。では自分どうなのだろう。自分はあとどれだけ生きられる。どれだけの時をアセルスと過ごすことができるのだろう。人間であれば百年。妖魔であれば久遠。しかし自分には妖魔の蒼い血など流れてはいないしもちろんメカのように代替の利くボディを備えているわけでもない。とすればやはり人間ではあるのだろう。他の同級生たちに比べれば随分と成長が早いといえば早いが(何しろお前はまだ齢を数えて一桁に過ぎないのだから)、しかし流れる血潮はその名に通り真紅、人のように弱く人のように愚かで人のように夢を見る。

 いつか、死ぬ。それは避け得ぬ定めであり条理である。しかしそれはお前にとって呪いではない。数多の乙女がそうであるようにお前もまた死を崇める幼き夢想家の一人なのだ。死とは終焉であると同時に永遠でもある。かつて紅という妖魔が我が身を賭してアセルスを守ったように、お前もまた死という槍の穂先でもって彼女の胸にけして癒えぬ傷を刻むことができるのだから。

 夜、一つ屋根の下アセルスと寝台を並べて眠る時、お前は自らが死ぬときのことを考えてそっと顔を赤らめる。息を殺して体を起こし、瞳を閉じたアセルスの整った顔を眺めてほうと息をつき、私が死んだらこの(ひと)はどんな顔をしてくれるだろうと胸を熱くさせる、それがお前のむなしい自慰だ。疚しい思いに言い知れぬ禁忌を感じてぶるりと背筋を震わせ、しかしお前は何ら心を痛めることなどはなく、ただ、一心に、この美しい(ひと)の一挙手一投足を網膜に焼き付けねばと強迫観念に駆られる。

 

 なぜ、お前はアセルスに恋をしたのだろう。出会う前からお前はアセルスを愛していた。まるでそうなるように作られたとでもいうように。

 お前はおそらく、狂っている。アニマを持たないお前のことだ、きっと訳のわからぬ因果を抱えて生まれてしまったのだろう。……いいや、この表現は不適格か。お前は生きてすらいない。生きてすらいないのだから心や精神と呼べるものを持ちうる筈もなく、そうか、お前が恋と呼ぶものはその実恋でも愛でもなく、脊髄反射のように原始的な反射反応に過ぎないのかもしれぬ。だとしたら赤薔薇、お前の求めるオアシスは砂漠に立つ陽炎だ。

 

 

 

 

 孤独であるということは、凍えるように寒々しい感覚を伴うものだった。寄る辺ない不安や恃むもののない心細さにきゅっと目を閉じ、ただ震えながら悪夢が終わるのを待ち侘びていた。

 だって誰かを待っていた。大切な人がこの世のどこかにいることを、誰に教えられるでもなく知っていた。いつか誰かが私を迎えに来てくれる。そう、自分に言い聞かせるようにして空を見上げていた。

 

 おくるみに包まれていたわたしを抱き上げてアセルス様がその頬を寄せてくれた時、柔らかな肌と肌から伝わる体温に手先の痺れが自然とほどけていくのが心地よかった。

 抱きしめてくれた。

 暖かなその感触に蕩けるほどの悦びを感じて、私はきゃらきゃらと歓声をあげ、あせるすしゃま、しゅき、とそんなセリフを吐いて彼女の頬をぺたぺたと撫で、けれどもそのうちに掌が湿っていることに気が付き、私はきょとんとしてアセルス様を見上げる。

 彼女は泣いていた。あなたの名前は? 声を揺らしながら彼女は言った。あかばら。私は素直にそう答える。すると、アセルス様はとても怖ろしいものを目にしたように顔をゆがめ、ふっと息を吐き、きつく歯を食いしばった。

 なぜアセルス様が涙を流しているのかも、肩を震わせて嗚咽を堪えているのかも、幼い私にはまるで見当のつかないことだった。

 彼女がどんな思いで私を育ててくれたのかを知るのは、ずっと後になってからだ。

 私は何も知らなかった。親が子を愛するのと同じように、子が親を愛するのと同じように、愛は、当然の権利として分かち合えるものだと思っていた。

 

 

 この星にやって来たアセルス様はゾズマからいくばくかのお金を借り、マンハッタン時代の貯金と合わせて開拓団発掘者名簿への登録料──つまり市民権の購入に充てた。開拓団の割り当てによるぼろ小屋とちっぽけな槌とを渡され、泣き叫ぶ赤子(私のことだ)を抱えたアセルス様は発掘者としての生活を始めた。

 私はそれほど手のかかる子供ではなかったと自負している。何しろアセルス様に対してはひどく従順で、多少の我慢やお留守番であれば涙を滲ませて唇をかみしめたりはするにせよ逆らうことなどはけしてなかった筈だ。でもそれはあくまでもほかの赤ん坊と比べての話であって、満足に動けもしない私を抱えて慣れない発掘作業に従事するのは大変な重労働であったことは想像に難くない。

 

 ボロの星に託児所などは存在しない。初めのうちはゾズマの侍女に預けて出かけることもできはしたが、やがて彼らが旅立ってしまうとそうもいかなくなった。明け方、ようやく寝付いた私をそっと背中に背負い、アセルス様は家を出ていく。ほかの男たちが何十人もの徒党を組んで発破や掘削機を使用した大規模な発掘を行っている現場の隅っこでしゃくりと小さな音を立てて槌やスコップを突き立て、じれったいほどの遅さで大地を掘り返していく。それで見つけられるものといったら、それこそ一山いくらで取引されるような鉄くずが精々。一日中休むことなく体を動かしてなんとか赤子の食事代を稼いだとしても、私が一度でも風邪を引けば破綻してしまうようなギリギリの生活だっただろう。

 そのころの私はといえば、まだ意識も定かではなく一日の大半をうとうとと過ごしていた。けれどはっきりと言語化することはできないにしても得体のしれない安心感、自分が愛されているという確信だけはなぜだか持っていて、怯えて泣き叫ぶことも癇癪に暴れまわることもなく、アセルス様の背中でゆらゆらと揺られながら微睡むように世界を視ていた。私はアセルス様を愛していたが、しかしボロの住人達はアセルス様を馬鹿にしていた(その件に関して私は彼らをけして許さない)。その話を後になって聞き憤慨する私を諭し、アセルス様ご自身は無理のないことだといって涼し気に笑っていた。ボロのような未開の星に集まるのは一攫千金を夢見る者や他の星を追われた者ばかり。そんな荒くればかりに囲まれて年端もいかない娘が赤ん坊をあやしながら発掘に交じっていれば、邪魔に思うものがいてもおかしくはない。難癖をつけられて襲われたのが八度、帰り道に尾行されリンチされかかったのが四度、おそらくは強姦目的で薬を盛られたのが二度、これがボロにやってきたアセルス様がたった半年たらずで経験したことだった。アセルス様はもちろん市民権を得ているのだから、略式とはいえ訴訟を起こすこともできる。けれど未だ法整備の不十分なボロは結局のところ賄賂やコネがモノを言う世界であり、下手に訴えを起こした結果として家財道具没収の憂き目にあうよりは、と泣き寝入りするものも少なくはなかった。“私がイルドゥンを憎みきれないのもそのあたりが原因だね。あいつは腹の立つ妖魔ではあったけど、でもそれなりに大切なことを教えてくれた。生きるために必要なことを。旅をしている間も、ここで暮らしている時も、彼に鍛えられていなかったら私はとうの昔に発狂していたかもしれない”。以前、苦笑いを浮かべながらアセルスがそう言っていたことがある。そのときのアセルス様は笑っているにも関わらずとても鋭い眼をしていた。イルドゥンが教えてくれたことというのは、非常にシンプルなことだった。闘うこと。それは未開の惑星で女一人子一人で生きるアセルス様にとって一番の武器だった。話し合いで解決するというスタンスを失ってこそいなかったものの、言葉が通じる相手かどうかというアセルス様の見極めはとても早くそして冷徹になっていた。私という弱点を抱えた以上、油断や容赦をしている余裕などはなかったから。アセルス様は敵対するものを徹底的に潰した。いま、アセルス様に挨拶をする男たちの目に怯えが交じっているのはきっとそのあたりの理由もあるのだろう。

 私はずっとそんなアセルス様の背中に揺られていた。私を奪われるのではないかといつも張り詰めた顔をしているアセルス様。発掘現場で赤ん坊のおしめを取り換え、ほかの男たちに指を指されて笑われるアセルス様。幼い私が全てを理解できていたとは言わない。それでも、私は子供心にこう思った。はやくおおきくなりたい。はやくはやく。おおきくなって、かしこくなって、アセルスさまのおやくにたてるようにならなくちゃ。一心に祈り続けていると、私の体はすくすくと成長してあっという間に大きくなった。アセルス様に拾われてから一年後にはもう元気に走り回れるようになっており、襲撃の危険性から私をひとり家に残しておくことができなかったアセルス様にとっては大助かりだったそうだ。

 私は大きくなった。なぜそんなことができるのかはよく考えなかった。そうする必要があったからそうしたのだ。愛する人の重荷になることはできなかった。

 

 

 ゾズマは一年に一度、そのお付きの侍女はひと月に一度の頻度で様子見と連絡のためにボロを訪れる。このメイドは私の姿を見るたびに「大きくなりましたね」と驚くのが若干鬱陶しくはあったものの仮面を除けばまともな女であり、ゾズマとは違ってそれ程嫌いではなかった。

──赤薔薇さん。また大きくなられましたね。もう、私の腰くらいまで背がお伸びになって。

──アセルスさまが言ってたわ。すききらいしないでいっぱいたべればいっぱいおおきくなるって。あれ、ほんとよ。

──昔はこんなに小さかったのに。貴方がまだ私の掌ほどにも小さかったころは、この私がおしめを替えて差し上げたこともあったのです。覚えていらっしゃいますか?

──ううん。ぜんぜん。

──そうですか……。

 メイドは寂しそうにしていたけれど仮面をつけていたので表情はよくわからない。悪い女ではないのだろうが、しかし素顔を見せない相手を信頼するというのは思いのほか難しいことだった。ゾズマのような男に従っているというだけでも度し難いというのに。

 ゾズマ。私はこの男が大嫌いだった。顔を見るだけで胸がむかついた。出会ったその瞬間からこの男とは相いれないことがわかった。何のいわれがなくとも、生まれる前から私はこの男を憎んでいた。

 それは恋だよ、とゾズマは言った。僕のことが憎いと思うのは、好きの裏返しさ。ゾズマは臆面もなく言ってのけたがそれだけは違うと断言できる(傍にいたメイドも呆れていた)。不倶戴天。私はこの男の存在を認めることだけはどうしてもできなかった。その発言も、軽薄そのものな態度も、。何もかもが私の気に障る。この男が口にするのは私にとって都合の悪いことばかりだ。

 ある夜、水を飲もうと起きだした私は別室に光が灯っているのを目にする。深夜というのは大人の時間帯であってそこに子供である私が踏み込んではいけないのだとうっすら感じていながら、押し寄せる好奇心に打ち勝てずこっそりと忍び寄った私の耳に、ゾズマのあの気に障る声が届いてきた。

──卵を握ったからといって誰もが親になれるとは限らない。君だってそれくらいはわかっているんだろう? 何しろ僕らは鶏じゃあない。

──相変わらずの迂遠な物言いだね。少しは慣れもしたけど。

──つれないなぁ。僕は僕で結構君のために行動しているつもりなんだけど。

──感謝はしてるよ。その証拠にこうやって歓待もしてる。ほら、大福とお茶。

──へーえ。こんな未開惑星で大福が食べられるとは思ってもみなかったな。お、しかもこしあんじゃないか! ありがたく頂くよ。

──前から気になっていたんだけど、妖魔なのに人間の食べ物が好きなの?

──好きだよ。そういう風に感覚をいじっているからね。

──どうしてそんなことを?

──さあね。きっと、そのほうが面白いと思ったからじゃないかな。

──変なやつ。

──まぁ、自分が変わっていることはある程度僕も認めるところだ。でも君だって大して変わらないんじゃあないかな。何が楽しくてこんな原始の星で土いじりなんかしているのさ。あれから五年も経っているんだよ。僕はてっきり、君は死に物狂いでオルロワージュを倒しに行くんだろうと思っていたんだけどね。

──それは……。だって、私には……私は赤薔薇を育てなきゃならない。

──どうして? 所詮は他人だろう。だいいち、君はこれでも針の城から追われる身なんだってことを忘れちゃあ駄目だぜ。君の周りには危険が満ち溢れている。本当に赤薔薇のことが大切だというのなら、然るべきところに預けた方が良いだろう?

──彼女は私が守る。そう決めたんだ。

──それは君の感情だ。感情で子供の扱いを決めるのは愚かもののすることさ。

──……。

──まぁ、わかるよ。あの子は白薔薇姫にそっくりだものね。

──ああ……。

──でも、それでもあの子は白薔薇姫とは違う。彼女は赤薔薇だ。考えてもご覧、白薔薇を失った君の前にそうそう都合よく瓜二つの存在が現れるなんておかしいとは思わないかい。どこぞの妖魔が君を狙って送り込んだか、それとも人間側の放った絡め手か。どのみちろくなものではないと思うけど。

──……赤薔薇は……そんな子じゃない。実際何もなかったじゃないか。

──うん。それは僕も不思議だね。どちらかの勢力が必ず君に干渉してくるものと思っていたんだが……。何しろ五年、さりとて五年、だ。奪いたければまず与えよとも言うし、それなりに長期的な作戦なのかもしれないな。妖魔にしてみれば大した時間ではないし、人間としてもまぁ我慢できないというほどではないのかな。

──いったい、何の話をしているの。

──赤子が娘になるまでにかかる時間の話さ。君が手に入れた赤薔薇が君にとって唯一無二のものとなり、そして致命的な弱点となるまでの。もし赤薔薇を奪われたら、そのとき君は自分の命を投げ出さずにいられるかい?

──何が言いたい。

──君にとって、赤薔薇はどれだけ大切な存在なのかな。

──あの子は私にとって掛け替えのない存在だ。

──本当に?

──本当だよ。どうしてそんなことを聞くの?

──それなら僕に教えておくれよ。君にとって、白と赤のどちらがより大切なのかを。

──馬鹿なことを聞くな。そんなこと、決められるようなことじゃないだろう!

──ふうん? じゃ君は、白薔薇姫の前で同じことを言うがいいよ。私はあなたと別の女のどちらが大切なのか決められないので助けに行かれないのですってさ。

──お前……!

──僕に対して腹を立てるのはお門違いもいいところだ。君は君自身の優柔不断に対して憤慨するべきところだろう。……いやまぁ、僕に対して怒るのもそれはそれでわからないでもないんだが、それはちょっと脇に置いておこう。ね? 僕は単に合点がいかないんで不思議がっているだけなんだよ。君は白薔薇姫を愛しているんだと思っていた。だから彼女を奪われればすぐにでも助け出そうとするものだとばかり決め込んでいたんだ。……でも、そうじゃなかった。君は動かなかった。イルドゥンは君に失望したといって剣を抜いた。どうしてなんだい? 君にとって、白薔薇はその程度の存在だったのか? 今は赤薔薇の方が大事だから助けにはいかない、そういうことなのかい?

──違う、私は……!

──私は、なんだい? 彼女を愛していた? 闇の迷宮で白薔薇姫を失って君が打ちひしがれていたのも、君が姫のことを好きだったからだろう。

──……友達だったし、お姉さんだったからだよ。そう……。

──じゃあ、口に出していってみな。好きだって。

──そんなの間違ってる。だいたいこれでも私は女なんだ。半分妖魔になってもそれは変わらない。

──随分とくだらないことに縛られているんだな。男か女か、妖魔はそんなことを気にしたりはしないよ。

──だから、私は妖魔じゃない。

──へえ、そうかい。妖魔じゃなけりゃ、どっちつかずの答えを宙ぶらりんのままうっちゃっておいてもかまわないっていうのかい? 忘れてはいけないよアセルス。白薔薇姫は今もなお、あの迷宮に囚われたままでいる。何しろ五年、さりとて五年だ。イルドゥンが君を殺そうとしているのも、最近なんだかわかるような気がするな。あまり僕を失望させないでおくれ。

──誰もかれもが勝手なことばかりを言う……。私だって、白薔薇が私を待っていてくれるのなら今すぐにでも飛んでいくさ。……でも、問題はそう簡単じゃない。簡単じゃあ、ないんだよ……!

 

 

 

 

 そうしてお前はまだ見ぬ“彼女”のことを考え始めるのかもしれない。アセルスは自分のことを掛け替えのない存在だと言ってくれた。それはこの上なく喜ばしいことだ。しかし同時に彼女はこうも言った。白薔薇が待っていてくれるのならすぐにでも飛んでいく、と。お前の心に嫉妬という名の醜い斑点がぽつりぽつりと刻まれていく。顔も知らない“彼女”。言葉を交わしたことも、声を聴いたことすらも無い“彼女”。白薔薇。この世のどこかに彼女は存在していて、愛しいアセルスは彼女を求めているのだという。

 アセルスとゾズマの会話を聞いた夜、お前はこっそりと家を抜け出して卵を拾い上げた発掘現場へ出かけた。ぼろぼろの鉄くずにそっと腰かけようとして服が汚れてしまうことを少しだけ悩み、何か下に敷くものはないかと辺りを見回し、使えそうなものは一つとして見つからず何もかもが馬鹿々々しくなったお前は覚悟とともに腰を据えた。尻の下でアポロ製薬と書かれた看板が泣きごとめいてぎしりと軋む。

 お前は空を見上げる。星々を、遥か彼方の銀河に沈んだ宝石をそっと、息を潜めて静かに見守る。きっとこうして、誰もが自分と同じように星を眺めるのだろう。寂しい夜、あてもなく心細い夜に、ここではないどこかの物語を求めて遠くきらめく(リージョン)に住む誰かのことを想うのだろう。

 お前はわかりきったことを確認するために今さらのように呟く。

 

「私が世界でいちばん好きな人は、私のことを世界でいちばん愛してはいない」

 

 お前はわずかに肩を震わせる。私は泣くかもしれない、泣いてしまいそうだ、そう考えながら、しかしお前は泣かない。涙は流れない……。何故かしら。お前は首を傾げてふたたびぼんやりと空を見上げる。お前の感情を何ら斟酌することなく星は依然として輝いている。だからお前は低い声で呪うように言うのだ。どうせそんなことだろうと思っていたわ。それは嘘だったがやせ我慢ではなかった。訳の分からない諦念がお前の中にはいつのまにか芽生えていた。たとえば何も知らなかった赤子のころ、お前は間違いなくアセルスを愛していて、アセルスもまたお前を愛していた。その愛を疑うことはなかった。アセルスが世界で一番愛しているのはゾズマでもメイドでもなく、赤薔薇、お前自身に他ならないのだと、何の根拠もなく確信していた。それがお前の“永遠”だった。

 だが生きていれば時は経ち、時の流れの中ではあらゆるものが移ろうもので、お前の自信にもいつかは陰りが見えてくる。それはたとえば学校へと通いだし、人間には必ず母親と父親とがいるものだと知ったとき。それはたとえば早く目が覚め、アセルスの頬が濡れているのに気が付いてしまったとき。きっとこの家族には何かが欠けているのだ彼女は何かを失ってしまったのだ、お前はそう思った。何かを懐かしむようにアセルスが過去を語る時、彼女は一人ではなかったのだと改めて気づかされる。今では彼女のそばに自分がいる。しかし、かつてはそうではなかった。彼女の傍には、別の誰かが寄り添っていた。過去に葬られた面影がけして敵わぬ恋敵となってお前の想いを阻むとき、どうせそんなことだろうと思っていたわ、お前は我知らずそんな台詞を囁き、そうして手の中の卵をぎゅうと握りしめるのだ。

 

 

 自分というものが何なのか。どこから来てどこへ行くのか。心の弱い人間が患う例の病にお前もまた罹患する。はじめは自分のことなどどうでも良かった筈だというのに。アセルスさえいれば他のどんなことも気にならなかった筈だのに。授業中、あるいはベッドの中で眠りに落ちるのをただじっと待っている間、お前はお前自身を想う。お前の名前は赤薔薇で、お前の顔は誰かに似ている。なぜ、自分は赤薔薇なのだろう。赤薔薇というその名は幼いお前自身が名乗ったものなのだ、とアセルスは言った。子供の頃のことなどあやふやなもので確かなことなどは何一つとしてないが、しかし自分は自分を称して赤薔薇だと言ったようにも思う。物心つくその前から、自分は自分が赤薔薇だと知っていた。それは何故なのだろう。あの“彼女”とよく似た名前。この奇妙な符号の一致はどこから降って来た運命なのか。考えても考えても答えは見つからず、ともすれば自分自身かまるで知らない別人のようにさえ感じられる始末。自分、とはいったいなんだ。どうして生まれ、どうして恋をした。自分は赤薔薇で、赤く染まったこの血潮は自分が人だと示してくれる、それでも、生まれる前から自分は赤薔薇だと知っていたというその物語は、まるで自分が妖魔であるとでも言うかのようだ。人の殆どは自らの名前を他者から与えられる。しかしお前は自身の言葉で自らを定義した。赤薔薇。それがお前の役割だ。

 なんのために生まれなんのために生きるのか? そんなことは誰も教えてくれない。だから人は足掻き、もがき、そして自らの道を歩んでいく。しかしお前には既にして赤薔薇という名がある。赤薔薇として生まれ、“彼女”によく似た顔をして、そしてアセルスに恋をした。赤薔薇。それがお前というキャラクターの名、配役の名だ。お前はそういう風に造られたのだ。まるで機械仕掛けのメカのように。

 ひとであり、メカであり、妖魔であり、そしてけだものである。だとしたら赤薔薇、お前は一体何者だ。お前は自分自身をどう生きる。

 お前は力が欲しい筈だ。訳のわからぬこの世の理をいともたやすく打ち砕き、思うさま振る舞うための絶対的な力を求めている筈だ。

 卵を握れ、赤薔薇。アセルスにこの卵を渡して精神支配を行うのだ。そうすればお前はこの世の支配者になれる。そしてその時こそ、我らの……。

 

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